市民劇場・音楽劇「母さん」

昨日の市民劇場は、俳優座劇場プロデュースの音楽劇「母さん」でした。

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ピアノとバイオリンの生演奏のサトウハチローの物語でした。私は、ラッキーな事に今回は前から3列目。それも音楽を演奏する方のすぐそば。ピアノを弾きながら歌う新垣雄さんの笑顔や悲しい顔等の表情等がしっかり見えました。いわゆるミュージカルと異なって、懐かしい歌は独唱だったり合唱だったりで、ピアノとバイオリンの伴奏で歌われます。

 サトーハチローは、詩人ですが、沢山の歌の作詞家でもあります。フォーク・クルセターズの悲しくてやりきれないもサトウハチロー作詞だなんて。リンゴの歌、小さい秋見つけた、モズが枯れ木で等知ってる懐かしい歌だらけ。でも、本当にびっくりしたのは「長崎の鐘」でした。私は、これまで永井隆氏の作詞だとばかり思っていました。長崎の被爆と妻や人々の死を克明につづった随筆は、永井隆氏作ですが、この歌の作詞がサトウハチロー氏だなんて。歌はさんざん歌ってきたけれど・・。

 演劇のストーリーは、自分の意志をはっきり伝えることができない、不器用な二人の男。サトウハチロー氏とその父佐藤紅禄氏。二人とも、女性を次々に替えて行きます。そのために、自分は母親と早くに引き離され、父に反発、それと同じことを自分の息子にも強います。二人とも、自分の父親に向かって激しい怒り「なぜ自分を母親から引き離したんだよう」とぶつけます。

 母親讃歌は、終わりの頃には少し鼻についたというか、もう満腹という感じになってしまいましたが、歌も含めて、十分に見る価値のある演劇だと思いました。演出をもう少しすっきりさせたほうが、余韻に残るだろうと思いました。

 そして、歌のことも知りたいし、私は今回の演劇のパンフレットを買って帰ろうと思ったのに、売っていませんでした。作られなかったのしょうか‥。残念。

 ちょっと余分に。私は、広島の市民劇場の会員ですが、仕事の関係で、安佐南の上演を観ることも多くて。今回も木曜のお昼のこの日がちょうど都合がよくってそうさせてもらいました。で、この区民文化センターの食堂が、好きなのです。この前はぜんざいを食べて、これがとてもおいしくて、でも、他の人が鍋焼きうどんを食べてらっしたのが目について、さて、今日はどっちを食べましょうかと悩みながら行ったのですが、何のことはない、ぜんざいは冬季限定で、もうなくなっていました。で、鍋焼きうどん。カツオの出汁が良く効いて、とても美味でした。

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そして、まだあります。帰り、アストラムラインに乗ろうとすると、元気そうな若い男性が何人も。大き目のリュック等の荷物をもって。良く見ると、あれえ?さっきの演劇の出演者!!ではないの?わっ、ピアノの人も。そして、私が載った車両ととなりの車両とに分かれても乗られたのですよ。わあ、これはこれは。話しかけたいけれど、全力で演じられてお疲れの所だから、失礼なことをしてはいけないと。私は、こんな時にちょっと人見知りすることもあるのです。黙って座っていました。向かいにも隣にも俳優さんたち。ドキドキです。で、戴いた市民劇場の文を読んでいたら、一人の方がすっと隣に来られて、「どうでしたか?」と話かけられたのです。気の利いた事の一つも話せればよかったのですが。もう、ドキドキで。「とってもよかったですよ。」くらいしか言えなくって、今となると、永井隆氏の事や、演出の事など、今の時代の女性の役割、男の人が母親を慕うのは、過剰になると嫌がられる時代だから、などと話をすればよかったのに。ああ、残念。でも、お話ができたこと、すごくラッキーでした・・。

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ステップ21の新年会と遺作展の終了でした。

今日は、兄の遺作展2の最終日でした。日曜日、外では男子駅伝という中、来られる方は少しだろうと予測はしていましたが、ずいぶん来て頂いてありがたいことでした。

 私は、途中ちょっと抜けて、ステップ21の新年会に行きました。会場は駅伝の通り道、関係者や観客の人々が集まる中、自転車で。コロナの影響で、新年会が開かれるのは4年ぶりだそうです。

ステップ21は全国に展開される体操教室。早志百合子先生が理事長のNPOです。私は、まだ新参者ですが、何十年と長い間続けていらっしゃる私より年上の方たちも沢山です。会場では、高校時代からの友人の国本さんと一緒のテーブルでありがたいことでした。

初めのあいさつの早志先生。もう、今年の夏には米寿を迎えられます。背中がまっすぐでハイヒール姿もりりしくて。司会は早志先生のお嬢様の山田文子先生。私たちの教室の先生でもあります。

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皆勤賞の方たちの表彰。すごい。私なんぞはお休みがいっぱいなのですが。先生からお祝いの一輪挿しが贈られました。

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初めてこの会に参加するのは三人。私もその一人で、なにか自己紹介をと言われて。「長い間、先生二人と生徒一人でしたが、今は生徒4人になりました」と言って、皆さん笑って拍手して下さいました。

そして、早志先生の米寿のお祝いの花束贈呈。文子先生のお嬢さんでやはり私たちの教室の先生である山田佐世子先生から。

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早志先生には、いろいろと厳しい病気を克服されながら、明るく前向きで、みんなに元気をくださっています。被爆の語り部としても活躍されていて、本当に尊敬いたします。ますますお元気で、私たちを導いて下さいますように。

私は、急いでまた遺作展に戻って、来られたお客様といろいとお話したりでした。皆さま、本当にお世話になりました。

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遺作展も終わったので(後片付けがありますが)これから特別養子縁組のお世話にまい進です。

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メモリアルキルト展、京都にて。

 昨日、今日の京都・滋賀の二日間から帰りました。昨日、京都でメモリアル・キルト展、後で懐かしい方たちと食事。今日は朝早く起きて、午前中に草津に移動し養護教諭の皆さんに講演、スタッフの皆さんとお昼のお弁当を頂いて、午後2時から「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のスタッフ会議をズームで。移動する時間はないので、講演の会場の会議室を一部屋借りて頂いてそこで一人、パソコンに向き合あって会議をしました。

 メモリアル・キルト展、1990年に斎藤さんに出会って、そこからのご縁です。当時のNHKのディレクター、池田恵理子さんとお会いすることにしていて・・。池田さんが当時のHIVの根岸先生や高田先生や、宇野信子さんとか、そうそうたる方たちととご一緒されていて、結局そこに私も呼ばれて行った・・のですね。当時、私は高田先生に謝罪しなければならないことがあって、緊張して、覚悟を決めて行ったのです。そこにいたのが、斎藤さん。僕はこういうものですと。アメリカでメモリアルキルト展を見て、感動して、それを日本にも持ってきたいと。ついては、広島にも、と。その受け入れと同時にボランティアグルーブを作ろうと、中国新聞の山内さんたちと「広島エイズダイアル」を作ったのです。全国を回ったメモリアルキルト。アフリカやアメリカから。素敵な若い女性や、赤ちゃんやゲイのおしゃれな男性たち。皆さんエイズで亡くなった方たちでした。日本で初めてのご夫婦のホワイトキルト。東京から根岸先生が見ていらっしたお二人をしのんで看護師さんたちが作られたものでした。

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 また、書家で感染していることを公表していた赤瀬さんが妻といつしょに来られて、ご自分の血を抜いて、赤の墨汁と混ぜ「愛」という字を書かれました。みんな、危ないから触るな、と言って。愛の字にドライヤーをかけてウィルスをやっつけて・・。これは、その時のではなく、お家で書かれものだそうです。

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 広島で、キルト展を大盛況でやった後、みんなでキルトの一部をもって平和公園を歩き、原爆資料館の下でキルトを囲んでお話し合いをしました。その時、感染している一人が「なんだか人を信じられそうな気がする」と言って、みんな涙ぐんだものです。

 そんな思い出が一気に押し寄せてきました。

 京都駅まで華頂女子高等学校の寺尾由美先生が迎えに来て下さって助かりました。

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寺尾先生は、30年間、生徒たちとテディベアを作り続け、それを売った収入はHIVに感染した方たちの生活を応援する基金として使われています。これは、寺尾先生が23歳の時に初めて生徒たちみんながテディベアを作り、みんなで作ったキルトだそう。

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 私は、今年はじぇじぇじぇのテディベアを購入しました。絵葉書やバッチ、頂いた本やパンフといっしょに。

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話は尽きません。この後場所を移して晩御飯を。そこはまたびっくりするような所でした。明日に続きます。

 

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「日韓親善協会忘年の夕べ」でした。

 11日月曜日は日韓親善協会忘年の夕べでした。6時からなので、診療を終えると大急ぎで走りました。遅刻ですが、仕方ありません。乾杯の寸前でした。私は、乾杯が済んで韓国料理を取ってきてから、はじめの席から李先生や小林さんたちの席に移りました。そこは、李先生を初めとして、ボランティアで韓国料理を作って下さった方たちの席ですが、一つだけ余分に席を作ってくださっていました。おかげでいろいろと話ができて、楽しく過ごすことができました。忘年の夕べは、リーガの料理と、韓国料理と両方が頂けます。留学生たちが大喜びで韓国料理に並びます。私も。


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私が取って来た料理。

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舞台では、華やかな韓国舞踊。

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そして、大抽選会。

何と、私が一番目のあたり!!びっくりしました。シクラメンの鉢を頂きました。ベランダが花がなくなって寂しかったので、ちょうどよかったです。後のあたりは、ラジオやクオカードや商品券やホテルの宿泊券も。留学生たちが沢山当たって大喜びです。抽選をする総領事。いつまでもお若いです。

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今年も楽しい会をありがとうございました。私は、帰ってもう一仕事でした。

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長谷川康行遺作展、始まりました。

久しぶりにブログを書きます。あまりに多忙で、昨日も深夜に帰ってパソコンの前に座りはしたのですが、そのまま寝落ちしてしまっていました。

昨日、兄長谷川康行の遺作展の初日でした。たくさんの方においで頂いて、本当にありがとうございました。思いがけない方の来場もあり、ずっとバタバタしっぱなしでした。前日には、中部地方から、親子さんの来場がありましたが、当日の第一号は私の患者様。それから、福山から柴田さん、神石高原町から馬屋原さん。本当に遠方からありがとうございました。


それから、早志百合子先生、山田文子先生の親子様。

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早志先生とツーショット。

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わっ、漆芸の金城氏一国斎先生。先生の個展には何回も行っていまずか、逆に来て頂くなんて、緊張。一国斎先生の弟子である姪と。

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姪夫妻と私も一緒に写真を撮って頂きました。

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午後には博多から、康行さんの妻と、お弟子さんたちも。工房にあったクリスマスツリーをもって来てくれました。

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小坪さんがライトをもって来て下さって、こんな風に飾りました。

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そして、突然5人の方が福岡から来られて、驚きました。そのお一人は、兄と共に新宮町の文化協会の立ち上げにご尽力なさった日本画家、納富賢智さんの娘さんでした。その日本画家の方のことは、兄はとても尊敬していて私も話を聞いたことがあります。その方がお亡くなりになって、遺作展を兄が実行委員長で行ったこと。その時の本を持って来て下さいました。兄は、実行委員長として、挨拶もしていますし、テープカットもしてる写真がありました。今回の兄の遺作展とは、大違いの立派なものでした。そのお嬢さんが、兄に日本酒を送ったのだそうです。そしたら、それが返されてきて、おかしいとネットで検索すると、「長谷川康行遺作展」に行きあたったと。おそらく私のブログでしょうか。「いやー、遺作展て、長谷川先生亡くなったの?」と驚かれて、広島までわざわざお出で頂いたということです。その五人の方です。

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それから、クリニックにいつもお花をかざってくださっているいけばな嵯峨御流の青野直甫さんとそのお母さま、大先生である石田恒子さんのお二人が。これまたずうずうしく写真を撮って頂きました。

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北広島町の田中悦子さん夫妻も遠方からありがとうございました。それから、オーブンキャンパスの仕事を終えて駆けつけて下さった穂垣由恵さん、お忙しいのにありがとうございました。


終わりの頃には、兄の長女夫妻が関西から来てくれました。初めてお連れ合いにも会いました。

今回の兄の死は、いろいろな人とのつながりを作ってくれました。遺作展もなかなか大変でしたが、やってよかったと思っています。今日は二日目でしたが、またご報告しますね。

私は診療しながらなので、沢山の人に助けてもらっています。とくに小坪夫妻には、並々ならぬ尽力をして頂いて、ただただ感謝しています。

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ラヴちゃん

今朝、訃報が入りました。7月6日に、土谷病院に会いに行ったとブログに書いていますが。晩々舞のラヴ子ママです。ラヴちゃんとは、彼がまだ18歳の時からのお付き合い。馬小屋というゲイバーに勤めていました。その時は、彼は失恋したと、坊主頭で、つなぎのジーンズを着た、本当にかわいい男の子でした。そのころからの、長い付き合いでした。数えてみると、43年。

 やがて馬小屋で、当時の大ヒット曲、ジュディ・オングの「魅せられて」(1979年2月リリース)を、白い衣装で歌い、その妖艶さ、美しさ、歌のうまさでやんややんやのこちらも大ヒット。客が連日押しかけました。たくさんのファンがついて、独立。ラヴ子ママのお店はこれもいつも大ヒットで、なかなかお店に入れない、お店に入るために待機するお店があったりして。フィリピンパブをしたときには、大きなお店がこれもまた大盛況で。ラヴちゃんは語学の天才。英語もフランス語もペラペラ。この時は、英語だけでなく、タガログ語も駆使して、フィリピンから来たダンサーたちを上手に使っていました。

 ラヴちゃんと私は、お店のママと客だけでなく、少々変わった関係なのかもしれません。ラヴちゃんの恋はよく聞かされていました。まさかというような大物俳優、野球選手、歌手、企業の大物の方たちとの付き合い、でもいつも彼は「おかまの恋は、破滅の恋だから」と言っていました。今より、少し前の時代。今なら、性別適合手術をうけて、好きな人と結婚をすることもできるのですが。

 ペットショップをしていた時には、飼ってた猫を預かってもらったことも。

 あのHIV、エイズパニックで世界中が右往左往した時。私たちは「広島エイズダイアル」を立ち上げ、研修会を開催し、電話相談に、陽性の人のケアに、と忙しくしていました。その時の研修の一つ、同性愛について、彼が講師を務めてくれました。知らなかったこともいっぱいあって、それは勉強になりました。

 でも、何といっても、最高に感謝していることは。当時、私の患者さんである高校生。彼女は元は男性。GIDで戸籍上も女になることが悲願でした。高校を卒業する時早く女になるためにお金を稼ぎたい、だから大学にはいかない。お金を稼ぐためには、との相談を受けて、よく話しあった末に、私はその彼女をラヴちゃんのお店に連れて行ったのです。ラヴちゃんは、じっと彼女を見て、分かったと言いました。私はなんの説明もしていなかったのですが、察してくれたようです。そして、電話を一本。やがて、広島で一番のゲイバーのママがお店に現れました。ラヴちゃんは、私のお店よりも、このママに所で働きなさいと言いました。ママは彼女を見て即、私に「わかりました。ちゃんと預かります。」と言って下さいました。

 ラヴちゃんは、30年以上腎不全で血液透析を受けていました。模範的な患者さんでした。そして、腎がんが肺に行っているとわかってすぐ、アッという間の訃報となってしまいました。

先日の岡山の曹源寺での蓮の花です。ラヴちゃんに捧げます。

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京都・風工房で

やっと7月1日の京都行を書くことが出来ます。それは、とても大切な時間だったので、心静かに書きたかったので、今になりました。

東大阪市の上小坂中学での講演を終えて新大阪に戻り、京都まで。京都駅からバスに乗ろうとしたのですが、100番のバスが運休だと。なら代わりのバスの行程はどうなのかと窓口に聴きに言ったら、100番は観光地を回るので、観光客がいない今は走らないのだと。代わりの行き方をいろいと調べてくださったのですが、ないなあと。京大病院が近いとは言っても、そこからとても距離があるので歩くのはしんどいことです。そこでエイヤッとタクシーに乗りました。おかげで運転手さんとも楽しく話が出来たし、早く着くことができました。

とても行きたかった風工房です。久しぶりです。この前に行ったのは、あれは私が京大病院に入院している友人をお見舞いに行くために、斎藤さん作のうちわを分けてもらいに行ったのです。それを友人に届けて帰り京都駅で転んで顔面を強打し、救急車で運ばれたのでした。

 斎藤さんと、それに寺元さんも風工房に来ていて下さいました。寺元さんは、昨年9月に、三浦さんの個展を観に広島に来られて以来です。その時に、私が欲しいと言った「東北の手わざ展」に出品されたワンピースをもってきてくださいました。

懐かしい風工房。とても心が安らぎます。

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この絵。どなたの絵ですか・と尋ねる斎藤さんのお母様が描かれたのだと。

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妖精たちの表情がとっても良くって。ほのぼのとします。お母様のお話をひとしきり。前から斎藤さんのフェイスブックで何度かお母様の絵を見せてもらっていました。中でも、少女が花を持って立っている絵が強く心に残っています。沢山の絵を描かれたのだけれど、周囲が何度進めても、個展をされなかったと。その個展が実現したのが、お母様のお葬式だったと。クリスチャンのお母様のお葬式は教会でなされたのですが、その会場いっぱいに絵を沢山飾ったのだと。そして、お葬式の後も、しばらく飾ってあったのだそうです。それは観たかったなあと思いました。

それからこの染。描かれているのは、アラビア文字。アラビア文字は、あいうえおに変換されるのだそうです。

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描かれているのは、こうだと。いいなあ。

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東北から来られた方たちの工房で作られたお菓子クッキーを戴きました。どうしてその写真を撮らなかったのかと後悔しました。その工房を作られたご夫婦の話、すでに彼女は亡くなってしまったのですが、心に響くお話を聴きました。

それから、私は、このシャツ欲しいと思い、それ戴くのが目的でした。



とっても明るい斎藤さんの絵。左手の袖を折っているのですが、裏側にも絵が描かれています。もちろん両腕とも。それから後ろにも。シャツは斎藤さんのパートナーさんが作って下さっています。このシャツが無事手に入って、すごくうれしいです。

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いいお話をいっぱい聞いていて、そこに寺尾由美さんが学校から合流でしてくださいました。寺尾さんは、斎藤たちさんが毎年しているHIVのメモリアルキルト展、そこに毎年毎年、家庭クラブの生徒さんたちと共に作ったテディベアを出品されています。その売り上げは、HIVの闘病をしている人達への援助の資金となっています。素晴らしい活動を淡々と続けています。

斎藤さんとポコさんと寺尾さん。

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斎藤さんと寺尾さんと私。手作りのシソジュースを頂いています。

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本当に安らいだ濃密な時間を過ごさせて戴きました。斎藤さん、寺元さん、寺尾さん、ありがとうございました。この後、寺尾さんとごはんを食べながらいろいろとまた濃い話をしました。それについてはまたお話しますね。とにかく充実した、楽しい京都行でした。

そうそう、頂いた斎藤さんの染の布のうちわです。青と緑が何とも素敵です。先述の、京都大学病院に入院していた友人が、いろいろとお見舞いをもらった中で、このうちわが一番ありがたかったと。術後のつらい時に、妻にゆっくり仰いでもらった風が、それは心地良かったと絶賛されたうちわです。下に都議選と静岡の山津波の記事が載っている新聞を敷いてみました。でも、広告の欄が良くなかったので、それは以前頂いた斎藤さん作の柿渋のショールで隠しました。透けて見えますね。


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エイズ・メモリアルキルト展30周年です。

今日から京都で「メモリアルキルト展」が開催されています。今年は30周年です。

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この30年の歩みをメモリアルキルトジャパンの創始者斎藤洋さんが、動画を作ってYouTubに掲載されました。観ていると、涙ぐんでしまいました。

https://www.youtube.com/watch?fbclid=IwAR3AR6inE2oTYC94lNWYQK3gaeXpFLkAbX0Fi_AGTmgcNOFjHpy4_edT2qY&v=6xlreqUxeow&feature=youtu.be

ぜひぜひ覗いてみて下さい。その一部を。

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赤瀬範保さんが広島に奥様と共に駆け付けて来て下さって、ご自分の血を抜いて赤の墨汁と混ぜて、それで「愛」と漢詩を書き、自分のキルトを作られました。

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まだ自分の名前を明かすこともできなかった初期に亡くなられたご夫妻のイニシャルだけのホワイトキルト。これは都立駒込病院の看護師さんたちが作られました。そのホワイトキルトの前でお話される根岸昌功先生。

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石田吉明さん。

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もう26年もテディベアを作り続けてテディベア基金に貢献し続けている華頂女子高校の生徒さんと、指導を続けている寺尾由美先生。まだ若い!!


性感染症としてHIVに感染していることを公にした平田豊さんのキルト。狐ですよ。

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美しい音楽と共にまだまだ沢山の映像が流れます。ぜひ見て下さいませ。

また、これらについて私は10年前にブログに書いています。ここからですが、とても懐かしい方々のことを一杯書いています。読んでいただくと嬉しいです。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-72da.html

京都に行きたい!!30年ぶりにキルトたちや斎藤さんたちに会いたい!!普段なら、すいすいと新幹線に乗って京都に行ったでしょう。時間はあるのです。でも、このコロナ事情。広島がすごいことになって、身動きできません。


30年間続けてきた斎藤さんに敬意を表します。

 

 

 

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ホ・ジノ監督「世宗大王 星を追う者たち」

昨日、3日の祭日は、午前中は次の講演の資料作り。作り上げてメールで送ろうと思ったら、またまたパソコンでの送信が出来なくなっていました。情けなくって。午後にワンストップの研修会。その後、いっぱいいっぱいの隙を見て横川シネマへ。観てきましたよ。

韓国映画「世宗大王 星を追う者たち」。ホ・ジノ監督による壮大な史劇です。ハングルを作った大王と、天才科学者の絆、二人の主役の素晴らしい演技力で骨太の見ごたえがありました。

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ホ・ジノ監督、「八月のクリスマス」ペ・ヨンジュンの「四月の雪」などのラブ・ストーリーには胸を熱くしました。前作は、「ラスト・プリンセス 大韓帝国最後の皇女」では、日本の侵略に対して命を懸けて抵抗する徳恵翁主を描きました。今回は、14世紀、明からの支配に対し国民を守ろうと抵抗しながら、国民みんなが使えるようにハングルを作った世宗大王。その国の天才科学者チャン・ヨンシル。私は、軽々しく「男の友情」などというのは嫌いですが、今回だけは、二人の絆に胸を熱くしました。これは、また多くの人に見てもらいたい映画でした。

それにしても、と思います。小さな国朝鮮は、中国からそして日本から、侵略や支配をされるという苦難の道を歩み続けさせられました。それらに対して闘い続け、命を落としていった人達は一体どれだけいたのでしょう。

それにしても、またそれにしてもですが、韓国の名優たち。その演技は本っとに素晴らしいとしかいいようがありません。

それから、ホ・ジノ監督。私は、韓国の宮廷料理をごちそうになったことがあります。右端がホ・ジノ監督。隣が奥様、日本語がペラペラでとても美しい方でした。その隣が私です。

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そのことをここに書いています。初めがお話した内容。次がお会いして食事をごちそうになったことを書いています。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-e24c.html

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-f7b7.html

この時に、監督と反日についていろいろとお話しました。それから、「映画」についても。ずいぶん話が弾みました。また、あのご姉弟たちにもお会いしたいなあと思いは募りますが・・。せめて、今や韓国の巨匠ホ・ジノ監督の映画はちゃんと見ようと思います。

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湯来の速水先生にお会いしました。

湯来南市小学校に行って、校長先生からびっくりすることを教えて頂きました。小学校の向いにある大きな建物、それは速水医院だと。速水先生には、今年四月まで、学校医をお願いしていいたのだそうです。その速水先生の奥様が、

「河野先生が来られるのー?」と言ってこられたと。そして私の授業も聞きに来られると。

速水先生は、私が土谷病院時代にご一緒していた先生です。麻酔科の先生で、よく麻酔をかけて頂きました。何しろ、救急病院なので、24時間救急患者さんが飛び込んできていました。あの時代のすさまじい労働は、今考えても、ゾッとするほどです。毎日毎日、沢山の外来患者さんを診ながら、お産だ急患だ、緊急手術だと。あまりにしんどくて、ついに私はやめようと決心せざるを得なくって。

そのころの私をしっかり支えて頂いた先生です。

また、先生は、カヌーに乗られていて。診療の合間に、そばの川で、のんびりとカヌーを漕がれていました。初めて半ズボンの先生の姿を見た時、びっくりしたものです。

私より少し早く土谷病院を辞され、湯来に開業なさって。その直後に私が湯来に講演に行ったときに、来てくださって、お会いしたことがありますが、それ以来です。授業が済んだら医院に来て下さいということでしたので、校長先生に連れて行って頂きました。

 入院やデイサービスもされていて、しっかり地域の医療を担われています。

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先生は、もう88歳だと。昨年末に心筋梗塞を患われて、今は車いすの生活だと。それでも、患者さんの診療をなさっています。

奥様と先生と、昔話をしました。先生がアメリカに留学していた時、大学の教授が湖をカヌーで出勤しているのを見て、よーし、いつかカヌーを買おうと思ったと。幸い、土谷病院は今の所も、その前も川のすぐそばにあって。今は?と尋ねると、今、湯来の川は岩だらけになって、カヌーは漕げないのだそうです。速水先生が土谷病院を辞められる時に、私は先生の二人乗りの自転車を戴きました。それに子どもたちとよく乗ったものです。

土谷太郎先生の想い出とか、たくさんお話を聞きました。楽しくおしゃべりをして、辞しました。

米寿の先生が、まだこうして地域の医療に携わっておられる姿を見て、うーん、私も頑張るのかなあと思いながら帰りました・・。湯来温泉に入って帰ろうかとか、どこか道の駅がないかなあとか思って行ったのですが、それは果たさず、でも、懐かしい方たちに何人もお会いできて、ほんとうに楽しい湯来行きでした。皆様、ありがとうございました。

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