長谷川康行遺作展、始まりました。

久しぶりにブログを書きます。あまりに多忙で、昨日も深夜に帰ってパソコンの前に座りはしたのですが、そのまま寝落ちしてしまっていました。

昨日、兄長谷川康行の遺作展の初日でした。たくさんの方においで頂いて、本当にありがとうございました。思いがけない方の来場もあり、ずっとバタバタしっぱなしでした。前日には、中部地方から、親子さんの来場がありましたが、当日の第一号は私の患者様。それから、福山から柴田さん、神石高原町から馬屋原さん。本当に遠方からありがとうございました。


それから、早志百合子先生、山田文子先生の親子様。

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早志先生とツーショット。

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わっ、漆芸の金城氏一国斎先生。先生の個展には何回も行っていまずか、逆に来て頂くなんて、緊張。一国斎先生の弟子である姪と。

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姪夫妻と私も一緒に写真を撮って頂きました。

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午後には博多から、康行さんの妻と、お弟子さんたちも。工房にあったクリスマスツリーをもって来てくれました。

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小坪さんがライトをもって来て下さって、こんな風に飾りました。

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そして、突然5人の方が福岡から来られて、驚きました。そのお一人は、兄と共に新宮町の文化協会の立ち上げにご尽力なさった日本画家、納富賢智さんの娘さんでした。その日本画家の方のことは、兄はとても尊敬していて私も話を聞いたことがあります。その方がお亡くなりになって、遺作展を兄が実行委員長で行ったこと。その時の本を持って来て下さいました。兄は、実行委員長として、挨拶もしていますし、テープカットもしてる写真がありました。今回の兄の遺作展とは、大違いの立派なものでした。そのお嬢さんが、兄に日本酒を送ったのだそうです。そしたら、それが返されてきて、おかしいとネットで検索すると、「長谷川康行遺作展」に行きあたったと。おそらく私のブログでしょうか。「いやー、遺作展て、長谷川先生亡くなったの?」と驚かれて、広島までわざわざお出で頂いたということです。その五人の方です。

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それから、クリニックにいつもお花をかざってくださっているいけばな嵯峨御流の青野直甫さんとそのお母さま、大先生である石田恒子さんのお二人が。これまたずうずうしく写真を撮って頂きました。

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北広島町の田中悦子さん夫妻も遠方からありがとうございました。それから、オーブンキャンパスの仕事を終えて駆けつけて下さった穂垣由恵さん、お忙しいのにありがとうございました。


終わりの頃には、兄の長女夫妻が関西から来てくれました。初めてお連れ合いにも会いました。

今回の兄の死は、いろいろな人とのつながりを作ってくれました。遺作展もなかなか大変でしたが、やってよかったと思っています。今日は二日目でしたが、またご報告しますね。

私は診療しながらなので、沢山の人に助けてもらっています。とくに小坪夫妻には、並々ならぬ尽力をして頂いて、ただただ感謝しています。

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ラヴちゃん

今朝、訃報が入りました。7月6日に、土谷病院に会いに行ったとブログに書いていますが。晩々舞のラヴ子ママです。ラヴちゃんとは、彼がまだ18歳の時からのお付き合い。馬小屋というゲイバーに勤めていました。その時は、彼は失恋したと、坊主頭で、つなぎのジーンズを着た、本当にかわいい男の子でした。そのころからの、長い付き合いでした。数えてみると、43年。

 やがて馬小屋で、当時の大ヒット曲、ジュディ・オングの「魅せられて」(1979年2月リリース)を、白い衣装で歌い、その妖艶さ、美しさ、歌のうまさでやんややんやのこちらも大ヒット。客が連日押しかけました。たくさんのファンがついて、独立。ラヴ子ママのお店はこれもいつも大ヒットで、なかなかお店に入れない、お店に入るために待機するお店があったりして。フィリピンパブをしたときには、大きなお店がこれもまた大盛況で。ラヴちゃんは語学の天才。英語もフランス語もペラペラ。この時は、英語だけでなく、タガログ語も駆使して、フィリピンから来たダンサーたちを上手に使っていました。

 ラヴちゃんと私は、お店のママと客だけでなく、少々変わった関係なのかもしれません。ラヴちゃんの恋はよく聞かされていました。まさかというような大物俳優、野球選手、歌手、企業の大物の方たちとの付き合い、でもいつも彼は「おかまの恋は、破滅の恋だから」と言っていました。今より、少し前の時代。今なら、性別適合手術をうけて、好きな人と結婚をすることもできるのですが。

 ペットショップをしていた時には、飼ってた猫を預かってもらったことも。

 あのHIV、エイズパニックで世界中が右往左往した時。私たちは「広島エイズダイアル」を立ち上げ、研修会を開催し、電話相談に、陽性の人のケアに、と忙しくしていました。その時の研修の一つ、同性愛について、彼が講師を務めてくれました。知らなかったこともいっぱいあって、それは勉強になりました。

 でも、何といっても、最高に感謝していることは。当時、私の患者さんである高校生。彼女は元は男性。GIDで戸籍上も女になることが悲願でした。高校を卒業する時早く女になるためにお金を稼ぎたい、だから大学にはいかない。お金を稼ぐためには、との相談を受けて、よく話しあった末に、私はその彼女をラヴちゃんのお店に連れて行ったのです。ラヴちゃんは、じっと彼女を見て、分かったと言いました。私はなんの説明もしていなかったのですが、察してくれたようです。そして、電話を一本。やがて、広島で一番のゲイバーのママがお店に現れました。ラヴちゃんは、私のお店よりも、このママに所で働きなさいと言いました。ママは彼女を見て即、私に「わかりました。ちゃんと預かります。」と言って下さいました。

 ラヴちゃんは、30年以上腎不全で血液透析を受けていました。模範的な患者さんでした。そして、腎がんが肺に行っているとわかってすぐ、アッという間の訃報となってしまいました。

先日の岡山の曹源寺での蓮の花です。ラヴちゃんに捧げます。

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京都・風工房で

やっと7月1日の京都行を書くことが出来ます。それは、とても大切な時間だったので、心静かに書きたかったので、今になりました。

東大阪市の上小坂中学での講演を終えて新大阪に戻り、京都まで。京都駅からバスに乗ろうとしたのですが、100番のバスが運休だと。なら代わりのバスの行程はどうなのかと窓口に聴きに言ったら、100番は観光地を回るので、観光客がいない今は走らないのだと。代わりの行き方をいろいと調べてくださったのですが、ないなあと。京大病院が近いとは言っても、そこからとても距離があるので歩くのはしんどいことです。そこでエイヤッとタクシーに乗りました。おかげで運転手さんとも楽しく話が出来たし、早く着くことができました。

とても行きたかった風工房です。久しぶりです。この前に行ったのは、あれは私が京大病院に入院している友人をお見舞いに行くために、斎藤さん作のうちわを分けてもらいに行ったのです。それを友人に届けて帰り京都駅で転んで顔面を強打し、救急車で運ばれたのでした。

 斎藤さんと、それに寺元さんも風工房に来ていて下さいました。寺元さんは、昨年9月に、三浦さんの個展を観に広島に来られて以来です。その時に、私が欲しいと言った「東北の手わざ展」に出品されたワンピースをもってきてくださいました。

懐かしい風工房。とても心が安らぎます。

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この絵。どなたの絵ですか・と尋ねる斎藤さんのお母様が描かれたのだと。

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妖精たちの表情がとっても良くって。ほのぼのとします。お母様のお話をひとしきり。前から斎藤さんのフェイスブックで何度かお母様の絵を見せてもらっていました。中でも、少女が花を持って立っている絵が強く心に残っています。沢山の絵を描かれたのだけれど、周囲が何度進めても、個展をされなかったと。その個展が実現したのが、お母様のお葬式だったと。クリスチャンのお母様のお葬式は教会でなされたのですが、その会場いっぱいに絵を沢山飾ったのだと。そして、お葬式の後も、しばらく飾ってあったのだそうです。それは観たかったなあと思いました。

それからこの染。描かれているのは、アラビア文字。アラビア文字は、あいうえおに変換されるのだそうです。

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描かれているのは、こうだと。いいなあ。

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東北から来られた方たちの工房で作られたお菓子クッキーを戴きました。どうしてその写真を撮らなかったのかと後悔しました。その工房を作られたご夫婦の話、すでに彼女は亡くなってしまったのですが、心に響くお話を聴きました。

それから、私は、このシャツ欲しいと思い、それ戴くのが目的でした。



とっても明るい斎藤さんの絵。左手の袖を折っているのですが、裏側にも絵が描かれています。もちろん両腕とも。それから後ろにも。シャツは斎藤さんのパートナーさんが作って下さっています。このシャツが無事手に入って、すごくうれしいです。

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いいお話をいっぱい聞いていて、そこに寺尾由美さんが学校から合流でしてくださいました。寺尾さんは、斎藤たちさんが毎年しているHIVのメモリアルキルト展、そこに毎年毎年、家庭クラブの生徒さんたちと共に作ったテディベアを出品されています。その売り上げは、HIVの闘病をしている人達への援助の資金となっています。素晴らしい活動を淡々と続けています。

斎藤さんとポコさんと寺尾さん。

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斎藤さんと寺尾さんと私。手作りのシソジュースを頂いています。

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本当に安らいだ濃密な時間を過ごさせて戴きました。斎藤さん、寺元さん、寺尾さん、ありがとうございました。この後、寺尾さんとごはんを食べながらいろいろとまた濃い話をしました。それについてはまたお話しますね。とにかく充実した、楽しい京都行でした。

そうそう、頂いた斎藤さんの染の布のうちわです。青と緑が何とも素敵です。先述の、京都大学病院に入院していた友人が、いろいろとお見舞いをもらった中で、このうちわが一番ありがたかったと。術後のつらい時に、妻にゆっくり仰いでもらった風が、それは心地良かったと絶賛されたうちわです。下に都議選と静岡の山津波の記事が載っている新聞を敷いてみました。でも、広告の欄が良くなかったので、それは以前頂いた斎藤さん作の柿渋のショールで隠しました。透けて見えますね。


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エイズ・メモリアルキルト展30周年です。

今日から京都で「メモリアルキルト展」が開催されています。今年は30周年です。

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この30年の歩みをメモリアルキルトジャパンの創始者斎藤洋さんが、動画を作ってYouTubに掲載されました。観ていると、涙ぐんでしまいました。

https://www.youtube.com/watch?fbclid=IwAR3AR6inE2oTYC94lNWYQK3gaeXpFLkAbX0Fi_AGTmgcNOFjHpy4_edT2qY&v=6xlreqUxeow&feature=youtu.be

ぜひぜひ覗いてみて下さい。その一部を。

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赤瀬範保さんが広島に奥様と共に駆け付けて来て下さって、ご自分の血を抜いて赤の墨汁と混ぜて、それで「愛」と漢詩を書き、自分のキルトを作られました。

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まだ自分の名前を明かすこともできなかった初期に亡くなられたご夫妻のイニシャルだけのホワイトキルト。これは都立駒込病院の看護師さんたちが作られました。そのホワイトキルトの前でお話される根岸昌功先生。

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石田吉明さん。

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もう26年もテディベアを作り続けてテディベア基金に貢献し続けている華頂女子高校の生徒さんと、指導を続けている寺尾由美先生。まだ若い!!


性感染症としてHIVに感染していることを公にした平田豊さんのキルト。狐ですよ。

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美しい音楽と共にまだまだ沢山の映像が流れます。ぜひ見て下さいませ。

また、これらについて私は10年前にブログに書いています。ここからですが、とても懐かしい方々のことを一杯書いています。読んでいただくと嬉しいです。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-72da.html

京都に行きたい!!30年ぶりにキルトたちや斎藤さんたちに会いたい!!普段なら、すいすいと新幹線に乗って京都に行ったでしょう。時間はあるのです。でも、このコロナ事情。広島がすごいことになって、身動きできません。


30年間続けてきた斎藤さんに敬意を表します。

 

 

 

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ホ・ジノ監督「世宗大王 星を追う者たち」

昨日、3日の祭日は、午前中は次の講演の資料作り。作り上げてメールで送ろうと思ったら、またまたパソコンでの送信が出来なくなっていました。情けなくって。午後にワンストップの研修会。その後、いっぱいいっぱいの隙を見て横川シネマへ。観てきましたよ。

韓国映画「世宗大王 星を追う者たち」。ホ・ジノ監督による壮大な史劇です。ハングルを作った大王と、天才科学者の絆、二人の主役の素晴らしい演技力で骨太の見ごたえがありました。

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ホ・ジノ監督、「八月のクリスマス」ペ・ヨンジュンの「四月の雪」などのラブ・ストーリーには胸を熱くしました。前作は、「ラスト・プリンセス 大韓帝国最後の皇女」では、日本の侵略に対して命を懸けて抵抗する徳恵翁主を描きました。今回は、14世紀、明からの支配に対し国民を守ろうと抵抗しながら、国民みんなが使えるようにハングルを作った世宗大王。その国の天才科学者チャン・ヨンシル。私は、軽々しく「男の友情」などというのは嫌いですが、今回だけは、二人の絆に胸を熱くしました。これは、また多くの人に見てもらいたい映画でした。

それにしても、と思います。小さな国朝鮮は、中国からそして日本から、侵略や支配をされるという苦難の道を歩み続けさせられました。それらに対して闘い続け、命を落としていった人達は一体どれだけいたのでしょう。

それにしても、またそれにしてもですが、韓国の名優たち。その演技は本っとに素晴らしいとしかいいようがありません。

それから、ホ・ジノ監督。私は、韓国の宮廷料理をごちそうになったことがあります。右端がホ・ジノ監督。隣が奥様、日本語がペラペラでとても美しい方でした。その隣が私です。

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そのことをここに書いています。初めがお話した内容。次がお会いして食事をごちそうになったことを書いています。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-e24c.html

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-f7b7.html

この時に、監督と反日についていろいろとお話しました。それから、「映画」についても。ずいぶん話が弾みました。また、あのご姉弟たちにもお会いしたいなあと思いは募りますが・・。せめて、今や韓国の巨匠ホ・ジノ監督の映画はちゃんと見ようと思います。

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湯来の速水先生にお会いしました。

湯来南市小学校に行って、校長先生からびっくりすることを教えて頂きました。小学校の向いにある大きな建物、それは速水医院だと。速水先生には、今年四月まで、学校医をお願いしていいたのだそうです。その速水先生の奥様が、

「河野先生が来られるのー?」と言ってこられたと。そして私の授業も聞きに来られると。

速水先生は、私が土谷病院時代にご一緒していた先生です。麻酔科の先生で、よく麻酔をかけて頂きました。何しろ、救急病院なので、24時間救急患者さんが飛び込んできていました。あの時代のすさまじい労働は、今考えても、ゾッとするほどです。毎日毎日、沢山の外来患者さんを診ながら、お産だ急患だ、緊急手術だと。あまりにしんどくて、ついに私はやめようと決心せざるを得なくって。

そのころの私をしっかり支えて頂いた先生です。

また、先生は、カヌーに乗られていて。診療の合間に、そばの川で、のんびりとカヌーを漕がれていました。初めて半ズボンの先生の姿を見た時、びっくりしたものです。

私より少し早く土谷病院を辞され、湯来に開業なさって。その直後に私が湯来に講演に行ったときに、来てくださって、お会いしたことがありますが、それ以来です。授業が済んだら医院に来て下さいということでしたので、校長先生に連れて行って頂きました。

 入院やデイサービスもされていて、しっかり地域の医療を担われています。

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先生は、もう88歳だと。昨年末に心筋梗塞を患われて、今は車いすの生活だと。それでも、患者さんの診療をなさっています。

奥様と先生と、昔話をしました。先生がアメリカに留学していた時、大学の教授が湖をカヌーで出勤しているのを見て、よーし、いつかカヌーを買おうと思ったと。幸い、土谷病院は今の所も、その前も川のすぐそばにあって。今は?と尋ねると、今、湯来の川は岩だらけになって、カヌーは漕げないのだそうです。速水先生が土谷病院を辞められる時に、私は先生の二人乗りの自転車を戴きました。それに子どもたちとよく乗ったものです。

土谷太郎先生の想い出とか、たくさんお話を聞きました。楽しくおしゃべりをして、辞しました。

米寿の先生が、まだこうして地域の医療に携わっておられる姿を見て、うーん、私も頑張るのかなあと思いながら帰りました・・。湯来温泉に入って帰ろうかとか、どこか道の駅がないかなあとか思って行ったのですが、それは果たさず、でも、懐かしい方たちに何人もお会いできて、ほんとうに楽しい湯来行きでした。皆様、ありがとうございました。

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釜山韓日親善協会名誉会長李鍾均先生の訃報です。

大切な人が次々と亡くなっていきます。昨日も、また大変お世話になった方の訃報が入りました。

釜山、韓日親善協会の前会長、名誉会長の李鍾均(イ・ジョンギュン)先生です。先生は、もともと外科医。大きな病院の経営者でもありました。先生は、2000年に釜山韓日親善協会の会長に就任されると、広島県のみならず、山口県、島根県他、姉妹都市の北海道、福岡、長崎などの各地の会に走り回って出席され、釜山で開かれる絵画、書道、以後などの交流会や親善訪問を積極的に受け入れられ、尽力してくださいました。

 私が初めて李先生にお会いしたのは、2009年。広島車いすダンスくらぶが釜山で公演をしたいというのを相談した広島の日韓親善協会の方が李先生に直接お会いする場を設けてくださり、車いすダンスクラブの方たちと一緒にお会いしました。当時、私はまだ韓国語の勉強を少しだけしかしていませんでしたが、はじめくらいはと、ノートに下書きをし、韓国語でご挨拶をしました。そのあと、流ちょうな日本語で話しは進みました。

2009年9月の釜山での公演は、1000人もの方たちが来てくださいました。とても立派なチラシも作ってくださり、情宣してくださったのでしょう。私たちが釜山港に着いた時、花束をもって、お迎えに来てくださいました。参加した全員が移っているのではありませんが、この写真に写っている方のうち、もう5人の方がお亡くなりになっています。李先生は、左から三番目に立っていらっしゃいます。

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ここから、貸し切りのバスで釜山の障がい者の施設に慰問に行きました。ここで、李先生が司会をされて、突然、私に挨拶をするようにと指名されたのです。びっくり。何にも考えていなかったので、戸惑いましたが、頭をフル回転させて、「私は広島で産婦人科の医師をしています。私は韓国が大好きです。今日、ここに来られて皆さんにお会いできて、とてもうれしいです。今日は、どうぞよろしくお願いします。」くらいのことを言いました。そしたら、先生が「それだけ?」と笑われて・・。

ここで、皆さん一緒に踊りましょうと声をかけると、子どもたちがみんな喜んで出てきて、踊りましたよ。

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李先生は、釜山でも人望が厚く、領事館の方たち、警察官、税務署、日本人学校の校長先生、小児科や泌尿器科のドクター、漢方医、銀行員、商社の社長、外食産業の経営者など、主に若い人たちとの会をされており、その夜、会を開いてくださいました。そこに広島の安藤会長と私が招かれて行きました。いろいろな職業の方たちと活発に話して、とても楽しかったのです。特に外務省の方たちと、在韓被爆者の方たちの話をしたのが、胸に残っています。被爆者の方たちに聞き取りをなさっていて、とてもかわいそうでと話していらっしゃいました。

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その会の後、二次会にカラオケに行きました。先生は歌がとてもお上手でした。

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これは、2012年10月、先生の卒寿のお祝いを広島のカキ船でした時の写真です。奥様と一緒に参加してくださいました。

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ほんとうに懐が深い方でした。あれだけ迷惑をおかけした韓国の方でありながら、日本人に対して、とても面倒見が良くとことんお世話をして下さいました。享年87歳。本当にありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。合掌。

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たかのばしカフェと特別養子縁組について。

今日は「たかのばしカフェ」です。先日、私のクリニックによく来る製薬会社の方が、先生、と、チラシを持って来られました。「こんなのがうちのマンションにおいてありました!」と。ああ、メンバーの方たちが頑張っていらっしゃるのだなあとうれしかったです。来られた皆様のお役に立ちように頑張って話しますね。当日飛び込みも可という事ですので、今からでも行ってみようかと思われる方、どうぞいらっして下さいませ。

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全く話はことなるのですが。先日、診療を終えて、一年前に特別養子縁組のお世話をした方の家に行きました。もう、ヨチヨチと歩き、パパやままなど、話をします。早いものです。養親の方にとてもかわいがって育ててもらっていることが良く分かりました。

行ったのは、実母から、一才のお誕生日にプレゼントをしたいので、渡して欲しいとの依頼があったためです。実母一家の方たちも、とてもしんどい一年間だったことでしょう。でも、明るし笑顔にあえて、徐々に立ち直りつつあることが分かりました。

プレゼントは、養親からは、「これは、〇〇にとって、宝物になります」と言って頂きました。母子手帳や、実母からのお手紙などは、一つにまとめておいて、いつか〇〇ちゃんに渡しますと。養子である事実は、早くから伝えて育てたいと。他人の口から聞かされることだけは避けたいと。そして、実母の方にもとても気を使われていて、写真集を作りたいのですが、それを実母の方に渡してもいいものでしょうかと。

私は、実母の希望がある時に、ラインで写真は送っています。写真集も、実母が希望すればお渡ししますよとお話ししました。

 昔のように、養子であることを知らせないで育てるのではなく、早くから知らせて、その上での親子関係を作って頂きたいし、いつか自分の出自を知りたいと思う時が来るでしょう。その時には、きちんとお話ししてあげられるような関係を作って頂きたいと。そう考えています。そのためにも、特別養子縁組を家庭裁判所に申し立てする時に、もう一通、そっくり同じものをコピーして養親さんにお渡ししています。

今回の養親ご夫妻も、とても素晴らしい方です。親子で楽しく過ごされる様子をしっかり見させていただいて、温かい気持ちで帰りました。そろそろたかのばしカフェに出かけます。

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観音高校演劇部OB会

少し遅くなりましたが、16日の金曜日に、観音高校演劇部OB会を行いました。いつまでたってもかつての仲間というのは、楽しいものです。多くの人がはせ参じました。

暫くぶりの陶芸の波多野洋壯さんも元気な姿を見せてくれたし。演劇「河」を上演した板倉さんの河をめぐる話、知らなかった裏話もとても面白かったし。オフィス青野の青野さんの広島で撮影された映画のオファーにいかに応えて行くかの話も、とても楽しくて。

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OBのメンバーの多くの人がオフィス青野のタレントとして時々出演している話がうらやましくて。

この年齢になると、いろいろと健康の問題が出るのも、恒例で。がんになった人も何人か。皆さんが克服した闘病の話も、興味深いものでした。それぞれ克服しては、また活躍するのですが、克服できなかった人が脇田さんなのですね。もう13回忌になると。ずっと前のOB会の時に脇田さんの顔色が悪いなあと思っても、何も言えなかったこと。あの時に、脇田さん、顔色が悪いよ、病院には行ってる?と何故言わなかったか、ずっと私の中に抱えていました。あの時にすぐに病院に行って!!と言っていたら、少しは早くに見つけることができたでしょうに。

そんな時、板倉さんから一枚の写真が出ました。わあっ。みんな若い。みんなええ男じゃねえ。早速接写させてもらいました。公にしてもいいとの許可ももらったので。いい写真です。夏の合宿の時だと。

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左端が脇田さん。またアナウンサーとして広島テレビに入社される前の大学生の時でしょう。右端が板倉さん。その隣が青野さん。今ならさしずめジャニーズ系じゃねえと。その隣の青野さんと脇田さんの間が伊藤勝昭さん。お元気で変わらず東京で劇団を していらっしゃると。今度「父と暮らせば」をするらしいという話も聞きました。

やはりOBの蒔村三枝子さんも父と暮らせばをしているよという話になりました。広島で上演されるかもと。

みんないいなあ、高校時代にしていたことがしっかり生きている生活をしていますよ。皆さん、またお会いしましょうね。楽しい会話で、すっかり元気が出ましたよ~。いつか私もオフィス青野のタレントになることを夢見て頑張りましょう。

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風工房・斎藤洋さん③

おはようございます。島根県江津です。ホテルの部屋から遠く日本海が見えます。

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今日は午前中に高校の先生たちに講演をします。

そして、広島に帰って福岡に行きますよ~。

昨日もカープは負けちゃったけど。でも、大丈夫。今日は私が行くから勝ちます。で、五分になって広島に帰って来ますよ。それにしても、監督は新井さんを使いませんねえ。せっかくのDH制なのだから、何とかならないのかと思いますが・・・。

さて、京都の斎藤さんのがら紡の展示会です。フェイスブックで見ていて、惹かれていたのが、真っ先に目に飛び込んできました。もうどなたかが持って帰ってられるのではないかと思っていたのですが。

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纏わせて頂きました。

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もう、素敵すぎて。これは、斎藤さんのフェイスブックでの説明です。

玉糸入りがら紡の大判ショールです。
ラックダイの赤を何回も重ねました。たくさんの命が重なっている布です。線の赤は弁柄です。
★玉糸・二匹のお蚕さんがそれぞれ糸を出しながらひとつの繭・玉繭を作ることがあります。その糸は絡み合いながら通常より太い節糸・玉糸となります。光沢は劣りますが丈夫で厚手の織物に適します。その玉糸と木綿を紡ぎ織られたこの布は本当に貴重なものです。
★ラックダイはラックカイガラムシがその分泌物で木の枝に作った巣です。硬くなったその巣を木槌で叩き粉状になったものを水につけておくと赤色が出てきます。私はラオス産のラックを使っています。

ものすごく手が込んだこのショールに一目ぼれ。買わせて頂きましたよ。うれしくて。

それに。作品が展示してある多くの衣文掛けが、木の枝に糸を巻き付けて作ってあります。これは、以前斎藤さんに連れて行って頂いた法然寺の樹の枝なのだそうです。先日の台風21号で、法然寺の木々も沢山倒れて、悲惨なことになってしまったと。それは、斎藤さんのフェイスブックで存じていました。斎藤さんもも呼びかけて、多くのボランティアの人たちが集まって、修復していると。その枝なのだそうです。本当に斎藤さんらしい素敵な衣文掛けです。


それから、前掛けと、ショールで舞い上がってしまって、大切なことを忘れてしまいました。がら紡の糸。カンボジアのがら紡のオーガニックコットン、それに草木染のとても貴重な糸たちを買って帰ろうと思っていたのに、忘れてしまいました。後で連絡して、送っていただくことにしました。これで、暫く封印していた帽子を作ります。

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斎藤さん、束の間でしたが、本当に素敵な時間をありがとうございました。また、機会があったらお伺いしますね。今度は、また遠方で野染めなのですね。お互い、若くなくなりました。気を付けながらもう少し頑張りましょうね。

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