ボリショイサーカスの司会をしたこと(3)

 京都のホテルにいます。明日から、斎藤洋さんのお母様の絵の遺作展が開かれます。それに行くのに、朝早くに出発するのはしんどいので、診療を終えて今日の内に来ました。京都に到着すると、西宮にいる姪と一緒に食事をしました。そして、ホテルに入っています。明日は、個展の他にも、特別養子縁組の養親と赤ちゃんに会う予定もあります。そして、その後、明日じゅうに広島に帰る予定です。次の日も休みなのですが。

 斎藤さんのお母様の遺作展はこれです。

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私が何度か見せて頂いたお母さまの絵の中で、何より好きなのはこれですが。これはきっとどなたも好きになる絵だと思いますし、斎藤洋さんがずっと手元に置いておきたいそうです。当然です。もちろん、これ以外から、どれかを選ばせて頂こうと思います。本当にすごいですよねえ。生前にお会いして、拝顔させていただきたかった!!

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ところで、ボリショイサーカスのキオの魔術の続きです。前回の続きから。

 ボリショイサーカスの幕が開いて4日目の7月4日8時10分、第二部キオの魔術が始まったこの時、正面最前列に6人の男女が居並んでいた。
 推理小説家の松本清張、東大教授で東京マジシャンズクラブ会員の上野景福、推理作家の戸板康二、特殊撮影監督の円谷英二、漫画家の西川辰美、シャンソン歌手の石井好子の面々である。
 6人はキオが演じる20のマジックのうち、三大魔術といわれている「空中での男女のすりかえ」、「ライオンになった美女」、「美女の火あぶり」の謎ときに挑戦、その回答に対して、翌日キオが答えることになっていた。

 「ソ連の世界的魔術師がなげかける謎に、日本の文化人が頭脳をしぼって立ち向かう一代推理ゲームが展開」することになったわけである。
 30年以上も前の話だが、いまでもワクワクしてくるような企画ではないか。この企画を思いたった編集部のアイディアにも脱帽させられるが、これを堂々と受け入れた神、そしてキオの潔さにも驚かされる。のるかそるか、一丁やってやろうという、気合が感じられる。サーカスのPRとして、これほど話題を呼ぶ企画はないだろう。受け入れる側からすれば、もしも三つとも簡単にトリックの秘密が見破られたら、動員にも影響するリスクを背負わされている。それでもこれが話題になることを見通して、バクチに乗るところに、この興行に賭ける切羽詰まった神たちの思いが込められている。

 海外のサーカスの日本公演の宣伝で、売れっ子のタレントをつかって「○○に連れていって」というのがあったが、サーカスそのものを宣伝するのではなく、タレントの力に依存するこの宣伝方法の安易さから比べれば、サーカスそのものの力に勝負を託そうというこの意気込みから、興行に賭けるまさに真剣勝負の迫力がヒタヒタと伝わってくる。

 この日ソ推理合戦の一部を、「空中での美女の取り替え」を例にとり、どんな結果になったのかを紹介しておこう。
 このマジックは、10メートルの間隔をおいて二つの四面素通しの鳥カゴがあらわれ、右に男性、左に女性がのって空中に浮かび上がり、幕が上がって人間が隠れた次の瞬間、サッと幕が下りると、男女が逆になっているというもの。時間はわずか10秒というスピードだ。
 このマジックを見たふたりの文化人の推理はというと・・・

 戸板康二「髪と衣装を籠の中でとりかえるのだ。日本人にはロシア人の顔はよく判らないから、見破れない。
 まず、男が女に扮し、女は男になって登場する。幕がおりると、籠の中で歌舞伎の早変わりを演じるわけだ」

 松本清張「三面鏡がカゴのなかに仕掛けられていて、それぞれの背後に、ウリふたつの男女がかくれてすり替わる」

 これに対してキオは、翌日記者の前に姿を現し、それぞれの推理への回答を出している。「空中での美女の取り替え」については、こう回答している。

 「みんな零点です。早変わりも鏡も不可能です。また、カゴは空中に浮いています。下から見上げれば天井は見えるし、三階から見下ろせば、底も見とおしでしょう。替え玉が天井にへばりつくことも、底にかくれることも出来ないはずです。みんな見当ちがい。タネのヒントはもっと実に簡単なことですよ」

 以上で引用は終わります。これらの文章があんまり面白かったので引用させていただきました。私、これらの謎解き、舞台のそでから何度も何度も見ているうちに、この三つとも、わかったのです。美女とライオンに、黒柳徹子さんが美女役で出演なさったことがあると。でも、このからくりはぜったいにだれにも口外しないとキオさんと約束なさっていたそうです。私には、そんな約束なんてありませんでした。きっと、学生風情の私に、からくりがわかる訳がないと、キオさんやサーカス団の人たちの意識にも乗らなかったのだと思います。

 私、ロシア語の会話の本を買って、にわか勉強ですが一生懸命勉強したものですし、サーカスの団員さんたち、ピエロや通訳の姉弟さんや楽団の方たちとも仲良くなって、とても楽しいアルバイトでした。来週初めには、注文した本二冊が届くはずです。読んで、またお伝えしたいことがあったら、またお話ししますね。読んで戴いてありがとうございました。

 

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ボリショイサーカスの司会をしたこと(2)

 私が司会をした時のボリショイサーカスの何よりの呼び物は「キオの魔法使い」でした。しかし、キオは、初めて日本に来た時は「キオの魔術師」と呼ばれ、それはボリショイサーカスの来日二回目昭和36年のことです。この時はボリショイサーカスは広島には来ていません。そして、広島に来た時のキオさんは、二代目、初代のキオの息子さんでした。彼は、国立の工科大学(モスクワだったか、サンクトベテルブルクだったか)を卒業した、若くて工学、科学を駆使したさらに驚くようなマジックを展開しました。

 今回、このことがあって、いろいろと調べると、とても面白い記事に突き当たりました。一つは、ボリショイサーカスを日本に呼んだ、興行師の神彰氏について書いた「神彰―幻を追った男」であり、もう一つは、「手塚マンガあの日あの時」でした。そして、古い二つの本を知り、中古ですが、アマゾンで注文しました。早く届かないかとワクワクして待っています。本来なら、この原稿もそれらの本が来て読んでから書いたほうがよかったかもしれません。

キオについて、これは手塚まんがについて書かれたのが分かりやすいのでこれから。

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注文している二つの本はこれらです。

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手塚マンガから。


雑誌『少年』昭和3610月号から連載が始まった「第三の魔術師の巻(原題:三人の魔術師)」では、ゲストキャラクターとしてロボット魔術師キノオが登場し、華やかなマジックショーを披露している。(中略)


 キノオというのは何とも奇妙な名前だが、これは実在する"キオ"というマジシャンの名前をもじったものだ。
 レナルド・キオはソビエト連邦(当時)の国立サーカス団ボリショイサーカスに所属するマジシャンだった。昭和36年6月、ボリショイサーカスの二度目の日本公演の際に初来日し、東京、福岡、大阪など5都市でショーを開催した。東京公演は7月から8月にかけて東京体育館で行なわれ、連日大入り満員の大盛況だったという。

 キオの大魔法と名付けられたそのショーは、周囲を客席に囲まれたサーカスの舞台で、オリの中に入れられた美女がライオンに変身する「美女とライオン」や、高い台の上に立つ美女にカゴをかぶせて火を放ち、カゴが焼け落ちると中の美女が消えているという「美女の火あぶり」など、20のイリュージョンが展開された。

 手塚が当時このキオのショーを見たことはまず間違いない。というのは、この時のボリショイサーカスのパンフレットには手塚もマンガを寄稿しているからだ。キオのスマートで現代的なステージを見た手塚は、そこから未来のロボット魔術師・キノオのアイデアを思いついたのだろう。(引用ここまで)

そっか。手塚さんも観たのか。ライオンが美女に代わるのが、漫画では男の子が豚に代わったりするのですが。そして、豚に代わると名指しされた男の子はいやだいやだと大泣きするのですが。

そして、神さんのことについて書かれていたのが、もっと面白くて。神さんは、それまでの興行で赤字になって大変な思いをしたこともあって、このボリショイサーカスの宣伝にあれこれ知恵を絞っていました。横浜港に着いた動物たちと東京まで延々とパレードをしたり。そして、事前にマスコミの方たちを招いて、キオの魔術を見せています。記者たちはびっくりして。

その部を転載します。

「そして6月23日会場となる千駄ヶ谷の東京体育館で記者会見とデモンストレーションが行われた。


 これは神にとっても、AFAにとっても大きな賭けだったのだ。
 通常マジックは、さまざまなトリックが仕掛けられている舞台で演じられることが多い。背景や袖は黒い幕で被われ、死角がいくつもつくられ、天井にはバトンも吊るされている。それに対してキオのマジックは、サーカス場の四方から観客に取り囲まれる円いリング上で演じられている。ここが通常のマジックと大きく異なるところである。しかしそこにはひとつ、トリックが隠されている。つまりソ連のサーカスは、常設のサーカス場で演じられているため、マジシャンのために床に穴を開けることは簡単だったのである。床に穴をあけることで、信じられないような早替わり、消失が可能となっていた。

 前年交渉のためにモスクワを訪れた工藤は、床に穴をあけなければできないようなマジックは番組から外してくれと注文をつけていた。円いリンクでも床に穴を開けているのではないかと思われては、謎ときの興味がうすれてしまうことを恐れてのことだった。これは賢明な判断だった。謎ときで夢中にさせること、それが日本公演の成功の鍵を握っていたのだ。

 それを最初に試す場が、この記者発表であった。裸舞台にちかい状態、しかもまだ舞台はできておらず、床に仕切りの箱枠が円形にただ並べられているだけである。何の仕掛けもないところで、デモンストレーションをしようというのだ。
 しかし神たちには勝算があった。何の仕掛けもないところだかこそ、キオのスケールの大きなマジック、しかもなぞときが難しいマジックの魅力を存分に見せつけることができるはずだという読みだった。


 神たちは、この日「美女とライオン」と「炎に消える美女」というふたつの番組をデモンストレーションとして見せることを決めていた。
 前評判も高く、各社への案内も徹底していたこともあって、当日は大勢のマスコミ関係者がつめかけた。マジックのデモンストレーションにも関わらず、大がかりなセットもなく、床に箱枠が並べられただけのステージを見て、取材陣は一様に驚きの表情を浮かべる。神たちが仕掛けた罠に、彼らはひっかかってきたのである。主催者の挨拶と簡単な説明のあと、キオがいよいよマジックを披露する。

 まず人間の腰ほどの高さの脚に車輪のついた、空っぽの大きな鉄の檻がステージ中央に運び込まれた。続いて助手が箱型の踏み階段を押してくる。そして美女の手をとったキオが登場。美女は踏み階段を昇ってゆっくりと檻の中に入る。ポーズをとり、笑顔をふりまいたあと、すばやく助手たちが、大きな被いを檻にかけた。キオが檻をたたきながらゆっくりと一周したあと、踏み階段が運び去られる。キオの合図とともに被いが取り去られると、檻の中では美女が消え、ライオンがあたりをにらみながらゆっくりと歩いていた。
 この場に居合わせた外国部の工藤は、この瞬間のことをこう回想している。


「みんな呆気にとられて、声もない。そしてわずかの間をおいて大きなどよめきと万雷の拍手が起こった。これは主催者のぼくらも同じで、何がどうなったのかわからず、ただ首をひねるばかりだった。
 その場でインタビュー取材の予約申し込みが殺到し、処理しきれないほど、首都の話題をさらうことは確実になった」

 さらに、週刊文春のアイデアだったそうですが、こんなことをしています。

「これは、日本を代表する文化人を集めて、実際にキオのマジックを見て、その謎ときをしてもらおうというものだった。
 デモンストレーションの時は、取材陣をけむに巻けることは十分に予想できていたが、この取材はさらにリスクが多い。神たちが仕掛けたものではなく、マスコミが仕掛けた取材で、もしもトリックが簡単に見破られてしまったら、せっかくの盛り上がりに水をかけることになるかもしれない。それでも神はあえて、この取材要請を受けたのである。


謎ときに挑戦


 ボリショイサーカスの幕が開いて4日目の7月4日8時10分、第二部キオの魔術が始まったこの時、正面最前列に6人の男女が居並んでいた。
 推理小説家の松本清張、東大教授で東京マジシャンズクラブ会員の上野景福、推理作家の戸板康二、特殊撮影監督の円谷英二、漫画家の西川辰美、シャンソン歌手の石井好子の面々である。」

うわあ、松本清張!戸板康二!石井好子!この人たちがキオのマジックの謎解きをしようと待ち構えていたなんて。

 すみません。長くなったので、次に続きます。ちょっと忙しくなりますので、いつ書けるかわかりませんが、必ず書きます。



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ボリショイサーカスの司会をしたこと(1)

先日、私と同年配の患者様が、診療を終えた時のことです。

「先生、先生は昔ボリショイサーカスの司会をされましたか?」

と言われたのです。私は、びっくりして。「はい。司会、しました。」と答えましたが。そんな昔の事を知っている人がいるのかとびっくりしたのです。それは、私が大学3年の時ですから、今から56年も前の事です。当時、私は観音高校の演劇部の先輩たちと一緒に中国放送、RCCのドラマグループに入っていました。まだ芸能事務所なんてない時代、そこにはいろいろなテレビ局などから、出演の話が来ていました。私たちにとってはアルバイト感覚でそれらをこなしていました。

 その中の一つ、当時日本中で大人気の国立ボリショイサーカスを広島ではRCCが請け負っていました。その司会をするようにとのことでした。それもぶっ続けで。でも、私には授業があるので、全部はとても無理。もう一人の方と二人ですることになりました。が、その内、なんだか事情があってか、途中からは私一人ですることになりました。

 その患者さんは、その時私とは別の大学の学生で、何人かと一緒にサーカスのアルバイトをしていたのだそうです。切符のもぎりとか、会場の整備とか・・。その時に司会をしていたのが私だと、よくもまあご存じで・・。その方の思いがけない問かけで、私には昔の事が鮮やかによみがえってきました・・。

 開場は県立体育館。それは、華やかで大そうなサーカスでした。馬が舞台を駆け回って、その上で人が逆立ちしたり、何人もが上に立ったり。

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熊が玉乗りしたり、自転車やバイクに乗ったり。私は、司会をしながら、それらの演目を舞台の端で座って観ていました。ある時、バイクの熊が軌道を外れて、私の方に向かって来て、危険を感じて飛びのいた所、私が座っていた椅子に熊が突っ込んで来て、椅子がぺちゃんこになって冷や汗だったことも。生バンドの方たちが驚いている私を観て、良かったよかったと笑っていたこと。その笑顔まで浮かんできました。

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ある時、どうしてもさぼれない授業があって、RCCの人に相談したところ、これを持っていくようにと招待券二枚を下さって、それを教授のところに持って行って、頭を下げて欠席を許してもらったこともありました。

 それから、当時付き合っていた彼は束縛の厳しい人で、何をしようにも反対する人でした。このバイトをするのも猛反対で、それは苦しかったです。今のようにDVの知識があったなら、きちんと反論できた物を。(殴られたことも、それは怒らせたお前が悪いという彼の言葉を真に受けたりしていました。)

 そんなことをいろいろと思い出しました。でも、なんと言っても、記憶が強烈なのは、ボリショイサーカスの一番の人気もの、「キオの魔法使い」を舞台の横からなん度も観たこと。はじめは私も観客の皆さんと同じで、うわーっ、すごいなあと驚いていたのですが、何度も観ることによって、魔術の多くのからくりが分かったこと。

 このキオの魔法使いについて、明日また楽しいお話をしますね。

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自転車用ヘルメット買いました。

買いましたよ、自転車用のヘルメット。やんじさんが、ドン・キホーテでも売ってますよと教えて下さったので、昨夜ドンキへ。

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早速頭周りやあごヒモをちょうどに調整して、自撮りです。カッコイイでしょう!!磁石でワンタッチで取り付けたり外せるサングラスもついているし。とても軽いし、すっかり気に入ったのでので、もう毎回これをかぶります。ただ、娘が、自分で転んで首をやられることがあるので気を付けてと。そして、こんなカッコいいのをかぶって、スポーツ自転車でなく電動のママチャリなのが、少し恥ずかしいです。

 昨日の内にすべきことを全部やっつけて、今日は、どこか山や川のあるところにでも行きたいなあと思っていたけれど、全然仕事がははかどらなかったので、今日も職場に来ています。

 カープのテレビをつけながら仕事をします。この暑いのに、またデーゲームですって。移動をしながらの7連戦。本当に選手の皆さんお疲れでしょう。昨日は気持ち良く勝ったけれど、負けても、何位になっても変わらず応援しますよ。だって、うんと昔、まだカープができて間がないころ、観音の球場で試合をしていた頃、観音の私の家の前の道路をみんな下駄をはいて、ぞろぞろ歩いて行き帰りしていたのです。その頃は、負けるのが当たり前。でも、負けても負けてもみんな応援していたのですから。その頃に比べれば夢みたいに強くなっています。ありがたいことです。

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ついてなくて、つかれた日。

今日、長い間行ってない循環器内科に大決心をして行きました。先週のドックで循環器を受診するように、分厚い紹介状を頂いたので、しぶしぶです。以前やった、冠動脈造影CTや、もしかすると、心カテーテル検査をするようにと、言われるのではないかと。ところが、行ってびっくり。そこは臨時休診をしていました。まあ、どうしたのでしょう。先生の具合が悪い?でも、どうしようもなく、帰りました。ちょっと寿命が延びたように気分で。

 そして、それならと、自転車用のヘルメットを買いにまたまた自転車で行きました。行った内科のクリニックからは少々距離がありますが、ヘルメットの販売店を調べていましたので。そしたら、なんとそのお店も閉まっていました・・。ネットでは、店休日など、なんにもなかったのですが・・。

 この前の月曜日、韓国語の教室にYMCAに行った時、自転車を停めようとしたら、中から出て来たおじさんが「いっぱいの荷物じゃねえ」と話しかけてこられました。はい、仕事の荷物が多くて。と答えたのですが、そしたら、おじさんが「ヘルメットをかぶりんさいよ。こけたら、もう最後よ。」と言ったのですね。妙にその優しい口調が胸に響きました。そうだなあ、と。一度、自転車用のヘルメットのカッコイイのをネットで買ったのですが、それは頭に合わなくって、使えませんでした。小さかったのです。かぶってみて買わないといけないと悟りました。でも、どうも、普通の自転車用のは好きでなくって・・。で、ふと思いつきました。普通のを買って、それに編み物で好きな色のを編んでかぶせたらいいのでは?と。せっかくそう思って買いに行ったのに、お店が閉まっていたのでは、どうしようもありません。

 まったく、内科クリニックといい、自転車やさんといい、ついてない時はこんなものなのでしょう。そして、これもふと思いついて、カフェパセに行きました。久しぶりです。これは、大丈夫。ちゃんとお店はしていました。ちょっと月末の会のことで、ここの店主さんにお願いがあったので、ちょうどよかったです。

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 私の好きなフルーツサラダは夏の間はストップしていて、でも、秋からそろそろまた始めると。で、シュリンプのサラダにしました。それに枝豆のスープ、クロワッサン、レモンスカッシュ。すべて、それはそれは美味でした。ママは、高校生の時から知っている人です。念願かなってお店を開いて、それが予想以上に大好評で、私が行った時にもいっぱいの人でした。朝、ティーンの子たちのアサイーボウルを求めて行列ができるのだと。大変と言っていました。良かったよかった。

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月末のことも無事お願いできて、クリニックへ。今度は、大仕事。クリニックを開業した時から置いていた、公衆電話。電話ボックス事撤去します。もう、皆さん携帯を持っていて、電話器を置いているだけで結構な赤字だし、でも、中には携帯でボックスの中に入って電話する子もいるので置いたままにしていました。ですが、今回撤去の一番の理由は空間が欲しいから。ある機器を買って置きたいのですが、その場所がなくって。

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電話は、NTTに言ってもう止めてもらいました。電話器の撤去、ボックスの撤去。これ、結構大変で。

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 電話器のコードを外したり。棚もボックスも、しっかりした木材でとても頑丈に作ってあるので、棚一つ撤去するのも重くて。十字ドライバーで、しゃがんで上を向いてねじを外すだけでも、それはしんどいことで。疲れはてました。結局、全部撤去ではなく、一枚壁を外しただけで。今度機器が入って一部ボックスが使えないか、デモ機が来たときに検討することにして・・。

 それは疲れましたよ。業者さんに頼んだ方がよかったかも。

 結局裁判所の書類は書けないままでした。今日はカープに行くことにしているのですが、どうも気が乗りません・・。今から、遅刻ですが、行ってきます。頑張ってもらわないと・・。わたしも頑張って応援しないと・・。

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ドック終わりました。

今日は、ドックでした。淡々と滞りなく済みましたが。やはり昨年に続いて分厚い紹介状をもらいました。今度は心臓だと。ひと月前から、やけに不整脈が起こるなあと気にはなっていましたが。心雑音があると言われました。何でしょうねえ。やれやれです。まあ、ちょっと時間がないので、その内に受診をしましょう。

昨日だけ、ドックの前日の食事でひもじかったので、無事すんでご褒美。ゲートインで桃のパフェを食べに行ったら、今日は限定10人だったそうで、私の前に売り切れだと。まあ、残念。仕方なく・・イチジクとアールグレイのパフェにしました。

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一番上のチョコは蝶々です。中はとても凝っていて、アールグレイのパンナコッタとか、ラムレーズンアイス、イチジクの赤ワイン煮、白ワインのジュレとか、段々に入っています。すごくおいしい贅沢なお昼ご飯でした。

 その後は、特別養子縁組の研修です。90分の研修を三つと、60分の一つを次の日曜日までに見ておかなければなりません。そして、日曜日には、10時から16時までリモートで研修・演習です。義務なのでいやでも受けないと。じっと見ていると、本当につらくなります。日曜日のは、8.6の会議と重なって、もう、しんどいことです。

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先発医薬品は、薬価以上に支払うようになります。

先日、当クリニックのスタッフが、薬局でお薬をもらったら、これ。こんなのをもらいました。10月から、ジェネリックでないお薬をもらうには、ジェネリックとの差額を払わないといけないんだって、と。

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ええっ?そんなこと知らない。私も初めて知りました。医療費が高騰するのを押さえるために、ジェネリックを推奨しているのは知っています。でも、ジェネリックではないお薬はそもそも薬価が高くて、高いお値段を払うのだから、それでいいように思うのですが。さらに、薬価以上に高い薬代を払わないといけないとは。それも、はじめは少ない金額からの方が抵抗がないでしょうとありました。だから、差額の4分の1だけ高くしてと。消費税と同じように、その内2分の1、全額と吊り上がっていくのでしょう。

 皆さん、知ってましたか?国会でもなく、どこがこんなことを決めるのでしょう。そして、多くの人に知らしめているのでしようか?薬局でしか知らされていないのでは?こっそりと。本当にびっくりしました。

 家では、もっと大きいのを使っているのですが。そして、職場に置いておきたくて、もう少し小さくて、中国製の安いのを買ったら、なんとすぐに壊れてしまいました。で、旅先にも持って行けるようにこれ。やはり本物をと思って、エディオンで買いました。ドクターエア。

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 こんな小さい箱に収まってて。開けると、こんな風に備品が箱に入っていて、きっちりと詰めてあります。

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シンプルですが、とっても強力なマッサージ器です。福岡に持って行きました。重い荷物を持って歩くのがしんどくて、でも、ホテルでこれを使って、ものすごい威力で、すっかり楽になりました。これは欠かせないお供になります。

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今日は、一年に一回のドック入りです。この日のために少しダイエットをしなければと思いながら、結局しないままで、失敗しました・・。昨年は精密検査が必要でちょっと冷えましたが、今年はどうなのでしょう。

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新大久保でアニマルカフェ

 第三者評価、無事終了しました。ああ、疲れました!!あとは、評価されるのを待つだけです。が、多分、そう悪くはないはずです。起用は、この後カープに行く予定ですが・・。なんか疲れたので・・でも、頑張って行きましょう。私のこれまでは10勝1敗。私が行けば勝のではないかと・・。大切な試合だから、行って応援しないと・・。

 東京の続きです。新大久保のアニマルカフェ。1300円で飲み物一杯と30分好きな動物を抱っこできます。ずいぶんいろいろな動物がいます。イグアナやエリマキトカゲなどの爬虫類も、フクロウや、ドーベルマンなどの犬も・・。

https://hanimaru-cafe.com/74912/

私はおっかなびっくり。娘は二度目なので、慣れたものです。

私は、ミーアキャット。娘はジャコウネコ。ニンジンを下さって、食べさせてあげて下さいと。ポリポリとかわいいものです。そのうち、私の腕の中でうとうとし始めました。

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娘のジャコウネコ、こんなに大きいとは思いませんでした。これでも、コーヒー豆を食べて・・という話は知っていますが、まだ子どもだそうで、もっともっと大きくなるのだそう。これが、暴れん坊で、娘ははじめは面白がっていましたが、その内、ギブアップ。

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今度は、おとなしいふわふわをと、チンチラを頼んでいました。これは可愛い。ふわふわと触感がいいと。

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ひとしきり、癒されて・・。

新大久保で、少し買い物。いろいろと楽しませてもらって、息子たち家族と会うために荻窪に向かいました。

 またご報告します。いまから球場に向かいます。。

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お通夜とお見舞い

 昨日は、お通夜に行きました。姉、南島洋子の義妹、すなわち洋子の連れ合いの妹さんが亡くなったので。姉洋子の長女夫妻を車に乗せて一緒に行きました。洋子の長男はすでに来ていました。洋子さんの連れ合い成守さんは、もう20年も前にアスベストによる肺の悪性中皮腫で亡くなっています。その時もとても悲しくて、みんな泣きました。妹さんも。今度は、その妹さんのお通夜です。時の流れを感じます。でも、洋子さんは施設にいて、出席できません。亡くなった妹さんの長兄さんも施設に入っていらっして、出席できません。

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 亡くなったお顔は、とても安らかで、成守さんとそっくりで、びっくりしました。

 こうして次々とみんな亡くなっていきます。実は、この葬儀場は、私も会員になっているのですが、帰る前に葬儀場の人に「私もここの会員です。私の時もよろしくお願いしますね」と言ったら、「はい、こちらこそよろしくお願いします。」と言われて、何かねえ。ここは、つい先日、私宛に封書が来ていて、何だろうと開けてみると、割引券が綴じられたのが入っていました。「霊柩車1000円引き」「お棺1000円引き」などと。ふうん、この頃は、こんなの?と、いい気持ちはしないのでした。一枚ずつ閉じてあるのをちぎって渡して、はい、これで1000円まけて下さい、なんてするのでしょうかねえ。それはもちろん私の役ではないけれど。

 この頃、悲しい事が続きます。

 その前の日には、大切な方が緩和ケア病棟に入院なさっていて、お見舞いに行きました。もうお話しもできません。でも手を握ると、しっかり握り返してくださいました。そもそも、私が初めてマスコミに登場したのは、この方の番組でした。最近まで、いつも私のブログを読んで下さって、励ましてくださったり、適切なコメントを下さったり。以前、その方を中心とした方たちと毎年お花見をしていました。一年に一回のその集まりは、皆さんがとても楽しみにしていらっして。ある時期からは、私たちが、お弁当の手配や場所取りをしていました。楽しい会でしたが、そのメンバーの多くももう亡くなっています。はだしのゲンの中沢啓治さん、RCCの佐々木典明さん、朝鮮人被爆者教会の李実根さん、広島大学の北西充先生、車いすダンスくらぶの仲井さかえさん・・。

 緩和ケア病棟でのその方の姿が悲しくて。もう一度、何とか元気になって頂きたくて。足をマッサージしたり(とても細くなっていました)、手の掌をもみもみしてあげたり。帰る前に、また来ますね、と言ったら、うんうんとうなづいて下さいました。お話しはできなくても、分かって下さっている!!ちょっとうれしかったです。分かって頂ける間にまた行きましょう。

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私の子ども時代のこと(2)

 私の小学校1・2年生の続きです。私は、担任の嫌われっこでした。数々のいじめとしか思えないような罰を与えられました。それを知った母からまた叱られて、私はいつも泣いていました。

 なぜ私が嫌われっこだったのか。わからないけれど、そうかもしれないというエピソードはあります。

 ある日、こくごの時間に「田」という漢字の書き順を問うテストがありました。「|」「3_20240724231901」「+」「ー」このよっつの順番を問うものです。わたしは、「|」「3_20240724231901」「+」「ー」の順番にしました。そしたら、×がついていました。おかしいなと思った私は、先生に問いに行ったのです。そしたら、先生は、「+」の先に「ー」だと言われたのですね。すなわち、先に国構え「口」を書いて、その後で中に+を書くのだと。そう教えられても、おかしいおかしいと思った私は、家に帰って、父にこれ、とテストを見せたのです。そしたら、父もおかしい、これは先生が間違いだと。で、お父さんが手紙を書こうと書いてくれました。「田と言う字の書き順を教えて下さい」と。次の日、先生にそれをもっていきました。

 そしたら、先生の顔がガラリと変わったのですね。なんか、罵倒されて、そして、そこに書いてみなさいと言われたので、黒板に書きました。そしたら、そうよ、それでいいのよ、何がいけないの?と。私は、「先生は、これ「ー」を先に書くようにおっしゃいました。」もう、泣きながら答えました。そしたら、そんなことないでしょ。そんなこと言わないわよ。テスト、持ってらっしゃいっととてもとても怖い声言われたので、机に置いていたテストを持っていきました。そしたら先生は、「あら、ほんと」と言って、後はなんにも言わず、赤のペンを出して、×のところに〇を書いて、そして100と書かれたのですね。とても乱暴に。そして、そのテストを床に投げてよこしたのです。それを拾って席に帰りましたが、私はそれからずっと泣いていました。私は100点にしてほしかったから言ったのではないのに。正しい事を教えて欲しかっただけなのに。それなのに、どうしてこんなに怒られないといけないのかと。ほんとうに情けなかったですね。私は先生にとって生意気な子だったのかもしれません。

 その日家に帰って、父に「どうだったか、先生は違ってたと言われたか?」と聞かれたので、私は、うん、私ので良かったと、と答えましたが、先生がものすごくきげんが悪かったとは言えませんでした。私は、まあ、先生が間違ってたわ、ごめんなさいね。ぐらい言われるとばかり思っていたのです。とんでもないことでした。

 ある日、これもまた何故だかわからないけど、教室の後ろに立っていなさいと言われたことがあります。本当に何もしていなかったのです。ただただお勉強をしていただけです。そう言った先生は、私を見て、「ニヤッ」と笑ったのですね。「ああ、先生は、私を立たせるのがうれしいんだ」と思いました。そして立っていた私は大変な事を思い出しました。その日、母が何気なく、今日、学校に行ってみようかねと言っていたのです。あっ、もしかしたら母がくるかも。私が立たされている時に母がきたらどうしようと。気が気ではありませんでした。そして、やっと先生が座ってよろしいと言われて、ホッとして座ったとたんに母が妹を連れて現れたのです。セーフ!でした。もしかすると、先生から母が来る姿がみえたのかもしれません。それも、その、すぐ自分の親に言う友だちから母にばれたのですが。

 まだまだ同じようなことは沢山あります。先生は、保護者の前では、本当にこれがそういうのだと言えるほど、ネコナデ声で優しい先生でした。でも、保護者がいない時は、機嫌が悪くてもう大変。その落差が激しくて。はっきり言えるのは、いい先生かどうかと言うのは、いくら子どもでも分かります。いえ、子どもだからこそ、その感覚で分かります。そして、小さい時でも、先生に傷つけられたことは、ずっと残り続けるということ。もう70年経った今でも私の中では鮮明に残っています。その先生の顔つきまで。私が幼くして死にたかった原因はその先生にあるとはっきり言えます。

以上、面白くもない話ですみませんでした。気晴らしに。宍道湖の夕陽です。

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