点滴の続きです。

やっとブログが書けるようになって、でも、まだ四苦八苦です。大体、写真がこれまでのように大きくなりません。どうしてなのか。どうしたらいいのか、あれこれするのですが、さっぱりです。

暫く試行錯誤、時間がかかります。さて、変わらず私の闘病記ですが。ずっこけはまだ続きます。点滴の初日、一人でベットに横になって、終わると自分で抜いて帰ろうとしていたのですが。一人でベットに寝ているのに、誰かが来られると対応できません。ので、スタッフが帰る時にエレベーター切っておいてと頼みました。私のクリニックはエレベーターが開いた所がもうクリニックの中です。だから、エレベーターが鍵になるのですね。そしたら、いつもの習性でしょう。最後に出る人は、エレベータ―のキーを切って、セコムをセットします。それもしてしまったのですね。だから、全てを済ませて帰ろうとキーを開けてエレベータ―を呼んだら、ピーピー大きな音がしています。下に降りたら、それはすさまじい音です。もう、夜も10時過ぎているのに。一体、何だろうと思ったら、私にクリニックの音でした。セコムの人が飛んで来る!それまでに止めなければ。慌ててしまいました。まあ、慣れないことをする時にはいろいろとあるものです。

点滴の二日目は、お昼時間のみんながいる時にしてもらいました。今度は、手です。でも、ここ。左手の小指の付け根の外側。一度漏れて、二度目にに成功したので、もうじっと動かさず。ピクリともせずに過ごしました。

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そして、三日目はここ。左手の人差し指の付け根。

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スタッフが懸命に針が入る所を探してさしてくれます。まだこれが一週間以上も続くなんて、一体どうなることか。

 症状は少しずつ少しずつ、薄紙をはぐように良くなっているのでは、と思います。正直、これほどまでに時間がかかることだとは思いませんでした。足を上げて冷やすようにと言われても。痛いので冷やすのは気持ちいいけど、なかなか診療中は冷やすのが難しくて。熱はすっかり下がりました。その分、体は楽です。今週末は東京です。新幹線の中で足をどうやって過ごそうかと思います。


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毎日点滴しています。

昨日は、一日中ココログがメンテナンス中という事で、ブログを書くことができませんでした。メンテナンスの時間もどんどん伸びて、今朝もまだ書けず、いい加減、イラつきました。

フェイスブックではあらましをお伝えしていたのですが、体調が不良という事を書いたままブログの更新ができなかったので、心配をおかけした方もあると思います。すみませんでした。

私は、蜂窩織炎で治療をしています。勿論、仕事もしております。

18日月曜日に皮膚科のドクターを再受診した時、16日の採血の結果を見せて頂きました。びっくり。白血球が1万7000.炎症反応のCRPが15.9!!。わあ、これでは熱も出るはずだわというと、ドクターも、僕も久しぶりにこういう数値を見ました、と言われましたよ。そして、どこか他の病院に行って、点滴の治療を受けて下さいと。でも先生、私は診療がありますので、受診は無理です。自分で点滴をしますからと言いました。それでは、毎日点滴を一週間して下さい。とりあえず、二日後の水曜日に見せて下さいと。

で、その日の診療後、スタッフに点滴を刺してもらいました。抜くのは自分でできるから、刺して帰ってもらっていいからと。ところが、私、血管がほとんどありません。針を抜くのにも両手を使いたいし、で、結局左足の外反母趾の山になっている付け根にさしてもらいました。皮膚が厚くなっている所なので、その痛いこと!!

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それに血管が細くて。みんなが帰った後、落ちが悪くなって、足をそっとあちこち回転させたりして、やっと何とか落ちる所を見つけて。それに、スタッフが帰る時に、全部の暖房を切って帰ったものだから、右は冷やした方がいいし、左は針が刺してあるしで、両足を布団から出していたので寒くて。ガタガタとまた熱が出ているのではと思うほど、震えました。右足は布団の中に引っ込めて、できるだけ布団を体に密着させて耐えました。点滴液は500ミリリトルのしかなかったので、その内300を捨てて、200CCに抗生物質を入れていました。まあ、30分もすれば済むだろうと思ったのに、何の何の。落ちるのがゆっくりなので、2時間かかっても残っています。

そしたら、トイレに行きたくなりました。これは困った。手なのならまだしも、足だから、歩くのが難しいなあ、とにかく我慢我慢、でも、どうにもならなくなりました。これは、もう行くしかない、右足に靴を履いて、針がさしてある左足ははだしで、点滴の袋を手に持ってトイレへ。そしたら、点滴の袋をかける所がない!!ない、ないどうしよう、どうにも切羽詰まって、エイっと袋を口にくわえました。そして、やっとできました。点滴を口にくわえておしっこをした人なんていないでしょうよ。おかげで、点滴はストップしてしまいました。足にさしてあるのですもの、歩けば針がずれるのは当たり前でした。で、仕方ない、もったいないけど、点滴の液を残したまま針を抜きました。

翌日、火曜日、スタッフにその話をしたら、大いに沸きましたよ。そして、これからはできるだけお昼時間のみんながいる時にしてもらうことにしました。もう少し明日に続きます。まあ、私のずっこけ闘病記です。お付き合いくださいませ。

ココログがリニューアルして初めての投稿です。画面も写真の入れ方も、全く異なって、四苦八苦です。うまくいくかどうか。うまく行ったら、お慰みです。それにしても、前の方がうんとやさしかったです。


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藤原篤先生のお葬式でした。

ご心配おかけした右足も、痛みと発赤は相変わらずですが、熱は下がりましたので、体は楽です。ひたすら冷やしていますが、足に何か巻き付ける物がないか、柔らかいタイプの細いアイスノンでもないかとウォンツに行きました。そしたら、アイスノンは置いてないと。びっくり。今は、シート型になっているのですね。それだと、直ぐに温かくなってしまうし。握ると、急速に冷えるという、袋状の物を買いましたが、それもあまり持ちません。結局シートタイプのを5枚も、貼っては取り換えるを繰り返しています。

今日皮膚科のドクターの診察で、どう言われるか、ドキドキです。

昨日は、産科婦人科学教室の恩師、藤原篤教授のお葬式でした。

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藤原先生が同門会にも出席されなくなって、お会いできなくなってどれくらい経ちますでしょうか。でも、季節のご挨拶をお送りすると、必ず直筆の一筆が加わったはがきを送って下さっていました。昨夏まで。昨年暮れのお歳暮のお返事がなく、ご子息から「父は闘病中です」とのお葉書を頂いて心配していました。


御経を聞きながら、いろいろな事が駆け巡りました。

私は、藤原教授が教授になられて初めて入局した弟子です。それまでの教授が大変力のある方で、その教授の弟子ばかりの中でいろいろとやりにくいこともおありだったことと思います。が、根がとてもやさしいかたでしたので、私たちは、大切に育てて頂きました。


私が第一子を出産してほどなく第二子を妊娠した時、先生はアメリカに留学していらっしゃいました。そこにお手紙を書いた所、「できる時にぽろぽろ産んでおけば、直ぐに大きくなるものです」と背中を押して戴きました。上と下が一歳一か月しか離れておらず、二人おむつで、当時紙おむつなんてなく、それは大変でしたが、教授の言われた様に、二人一緒に大きくなってくれました。


子どもが二歳と三歳の時、夫が癌になりました。その時には、外来だけの勤務にして下さいました。


私が当時の鉄道病院、今のJR病院に勤務が決まり、送別会も開いてもらった後、私が学生運動をしていたことで、就職が取り消しになりました。面接では、学生運動をしていたかと聞かれ、正直に答えていましたが、私に逮捕歴が無いという事でO.K.だったのですが。教授は苦慮されて、私に助手になれと言われました。


学生たちが医学展で「性教育」を取り上げたいと相談があった時、私に学生たちの世話をするようにと仰せつかりました。それが、私の今に至る性教育の取り組みにつながりました。

やはりとても大切に育てて頂いたのだと思います。


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遺影は私が知っている教授よりずいぶん痩せておられました。拝見したお顔もとても小さくなられて。そう言えば、退官後、太っていることを気になさっていましたが、「先生、美味しく食べられるという事は、それだけ健康という事でもありますよ。」と申し上げると、「わしもそう思う」とおっしゃいました。

晩年は、お孫さんたちと楽しく穏やかに過ごされたとご子息がおっしゃっていました。

懐かしい方たちとも、沢山お会いしました。もう、こういうことでもなければあまりお会いしない方たちです。当時の産科婦人科病棟の婦長(今の師長)副婦長にも。皆さんお元気そうでした。


享年90歳。藤原先生、私も24歳で入局して、もう71歳です。本当にありがとうございました。どうぞ、ゆっくりお休み下さいませ。ご冥福をお祈りします。

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下肢蜂窩織炎でした。

高熱が出て、てっきりインフルエンザだと思って。だって、これまでの何年も、熱が出るなんて、インフルに罹った時しかなかったものですから。でも、発熱の翌日検査をすると、インフルはマイナスなのですね。おっかしいなあと思っていたら、右足がとっても痛くなって。膝から下が真っ赤になってパンパンに張れています。そして、足の付け根、鼠径部がぐりぐりとイタッ!!症状は、急でした。アッという間に広がりました。


ああ、これは、ここからの熱なんだと気づきました。蜂窩織炎だろうと思って。お昼時間に皮膚科に急ぎました。やはりそう。蜂窩織炎で、抗生剤を処方されましたが、これで良くならなければどこかに紹介して点滴が必要になりますと。あれえ、そんなにしないとダメですか、と、ガッカリです。とりあえずお薬を飲んで月曜日にまた行くことになりました。

お薬を飲んでも、さっばり良くなりません。足を一生懸命冷やすのですが、赤味が広がってきて。歩くのもヨチヨチです。

まあ、一体、どうしてこんなことになったのでしょうねえ。どこから菌が入ったのでしょうか。

開業医の悲しさ、どこかに紹介と言われても、私の診療を休む訳にはいかないし。どうすればいいのか。とにかく、今頂いてている薬が効くのを祈りながら、過ごすしかありません。情けないことです。

今日は、宇部の金子先生の50周年記念のパーティーに行く予定でしたが、インフルでなくとも、これではとても行くことはできません。ご迷惑をかけてしまったけれど、キャンセルさせていただきました。

でも、私の産婦人科の恩師の藤原教授の訃報が入りました。今日、お葬式です。何とか、出席したいと思います。

それだけで、後は寝て過ごします。食欲がなくって。果物くらいしか食べられません。ダイエットに丁度いいわあと思うことにします。ああ、しんど。真っ赤な足の写真も撮ったけれど、見苦しいのでアップはしないことにしました。

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昨日の一日。

昨日は、午前中広島市の女性相談。様々なかなり問題を抱えている方たちの相談に乗って。でも、診察や検査なしのお話だけの相談には限界があります。やはり医療機関を受診して欲しいことになってしまいます。受診への背中を押す事ですね。

一旦家に帰ってマツエクへ。優しい音楽を聴きながら、ウトウトしたひと時。

その後沢山のやり残していたことを。

この春、孫が入学します。その入学祝いののし袋を買いに。歩いていると、桜井花店にきれいな春の花が並んでいました。その横で、おっきな桜がいけられていました。

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久しぶりの法善寺で宇治金時。食べていて、ふと気づいてミルクをかけてもらいました。だから、少しへこんでいます。

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すっかり冷えて、サブサブ!と体をこすっていたら、温かいお茶を入れて下さいました。熱いお雑煮を食べたいと思ったけど、我慢。

その後はそごうで孫の入学祝いのお洋服を買いました。子ども服、かわいいですねえ。いろいろと選ぶ幸せを味わわせてもらいました。

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ついこの間生まれたのが、もうすっかりレディになって、一年生です。


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そして、この後、廿日市市の職員の研修に行きました。また明日ご報告します。

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少女の虐待死についての声明

野田市の小学4年生の虐待死。またまた、子どもの命が・・・。どんな思いで亡くなって行ったのか、それを考えると、胸が痛くて。私だけでなく、全ての人が胸を痛めていることでしょう。

あんなひどい虐待が行われているのに、その命を助けられなかった、それに、ここに来て母親まで逮捕されるていう事態に違うでしょう!!でした。

子どもの命がけのアンケートのコピーを父親に渡した教育委員会の対応がひどい・児相がなぜ一時保護を解いたのか・学校は、長期欠席していても、家庭訪問はしないのか、など、いろいろと言われます。私は、それはそれぞれそうだけれど、個々の問題だけではない。それらの責任は問わなければならないけれど、それだけではないと思います。

全てをひっくるめて、この社会が人の命を大切にしていない、現場では、人の命を大切にするだけの余裕もない、そんな政治が行われていることに、絶望観さえ抱きます。

昨秋、札幌であったシェルターネット全国大会に私も参加しました。その NPO全国女性シェルターネットが声明文を発表しましたので、それを転載させていただきます。

千葉県野田市DV・虐待事件についての声明                         2018年2 月13 日                 特定非営利活動法人全国女性シェルターネット


全国女性シェルターネットは、1998 年、サポートシェルター等の運営を活動の柱と する DV 被害当事者の支援に関わる民間団体の全国ネットワークとして設立されまし た。現在67団体がネットワークをつないでいます。団体設立当初より、年1回の全国 シンポジウムを開催し、 「配偶者からの暴力の防止および被害者の保護等に関する法律」 の制定および3次にわたる法改正と関連諸法の運用改善に取り組んでまいりました。  女性と子どもに対するあらゆる暴力の根絶を目指す立場から、千葉県野田市の少女が虐 待死させられた事件について、以下の通り表明いたします。

一、この事件は典型的なDV犯罪です。   DVという暴力支配のある家庭では、直接・間接を問わず、家族の構成員すべてが暴
力支配にさらされます。とくに、子どもの被害影響には深刻なものがあります。 「DV
家庭には虐待あり、虐待の陰にはDVあり」。DVと虐待をひとつながりのものととら え、女性と子どもを連動して守る支援システムが必要です。

一、DV被害の渦中にある当事者が、どのような心身の状況にあるかを理解する必要があ ります。   DV被害は、別居や離婚など、支配の関係が変化するときに、最も過酷で危険な状況
になることが知られています。容疑者と妻は、一度離婚した後、再婚しています。以前
にも増して、DV支配が過酷になっていたことが容易に推察されます。DV加害者は、
妻が最も大切にする子どもを痛めつけることで、支配と拘束を強めていきます。こうし て、妻は子どもの虐待を止めるどころか、加害者の手足となって子どもを監視せざるを 得ない状況におかれるのです。 母親なのだから命に代えても子どもを守るべきだという神話は通用しません。暴力支 配下にある母親が子どもを守ることは至難の業なのです。

一、糸満市、野田市の関係機関は、DV虐待事案としての緊急対応を含む連携をとるべき でした。   糸満市と野田市双方の関係機関、学校、教育委員会、児童相談所、警察、市役所、医
療機関等は、DV被害に気がついていたにも関わらず、それぞれの立場からばらばらの
対応をしたことによって、母親と子ども双方の支援を実現することができませんでし
た。連携の欠如が、子どもの命を奪ったのです。これらの機関が、必死に助けを求める
子どもや女性の声を封じてしまいました。その責任は重大です。暴力の現場から、ま
ず、被害当事者を安全な場所に保護することが何をさておいても命を守るための優先課 題です。 親族からの訴えがあったとき、糸満市はDV被害者としての母親に対して、迅速に支 援を開始すべきでした。同時に、子どもたちの安全を確保すべきだったのです。 国は、DV虐待事案への連携対応マニュアルを作成し、周知・徹底するとともに、継 続的な職員研修を実施する義務があります。

一、 少女の母親は、まず、保護されるべきDV被害当事者であり、決して逮捕されるべき 容疑者などではありません。加害者による全人格的な支配の下で服従するしかなかった 被害者が、一方的に批難されることがあってはなりません。

一、 私たちは、今こそ国が、DV・虐待の根絶に向けて、DVと虐待を一体のものとして 対応する支援システムの整備と、DV防止法の改正を含む抜本的な制度改善への着手を 強く求めます。

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文化座「三婆」を観ました。

大分経ってしまいましたが、2月5日の火曜日、広島市民劇場の例会に行きました。市民劇場の私のは、観音高校演劇部OB会の國本さんが世話役で、いつもチケット等を手配して下さいます。全くおんぶにだっこです。この度はOB会の5人が並んで観劇しました。私は、診療を終えて、アステールまで自転車で急げ急げ。

今回は、劇団文化座の「三婆」。有吉佐和子さん原作、脚色小幡欣治さん。

まだ始まる前、上演中の撮影は禁止でしょうが、前なので、失礼して。

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舞台は、何と回り舞台になっています。アステールの大ホールは、回り舞台ではないのだけれど、これは劇団の装置が作った物でしょう。機械で音もなくするすると回り、舞台転換が全く時間なくできて、お話が全然途切れません。

可愛いかった佐々木愛さん、初めて見たのは、昔。当時まだ市民劇場を労演と言っていた頃の山代巴さん原作の「荷車の歌」だったと思います。その佐々木愛さんももう75歳。三婆を演じるのに、ぴったりの実年齢になられたけれど、でも、とってもかわいいお婆さんでした。声にも張りがあり、円熟した演技、楽しく、でも深刻に観ましたよ。

戴いたバンフレット「広島市民劇場」から。

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三人の婆が繰り広げる、喜劇ではあっても、身につまされる話。劇が済んで、ふと、でもこれ、私たちの年齢よね、と言い合って笑いました。笑い事ではないわね。

フェイブックで、「あなたは何歳で亡くなるでしょう」というのに、沢山の質問に答えてみると、何と、私は後三年で死ぬのだと。まあ、どうしましょう。三年しかないのね。だったら、私、もう、やりたいことをやらなければ。何が一番したいかというと、ぜったいに今の仕事ではないのですね。でも、やめると言っても・・・。

そんなことを観劇後うつうつと考えました!!!

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映画「共犯者たち」

17日の木曜日の午後、横川シネマに映画「共犯者たち」を観に行きました。「タクシー運転手」「1987、ある闘いの真実」に続いての韓国映画です。でも、前二作と異なるのは、これがドラマでなく、ドキュメントであるという事。

イ・ミョンバクとパク・クネ政権の役9年間にわたる言論弾圧の実態を告発しています。

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公共放送局KBSや公営放送局MBC等への露骨な介入。社長の解任、自分の側近を社長に。調査報道チームは解散。政権に批判的な番組は中止。記者たちは制作部門から外され、または解雇され・・・。両局は、政府発表だけを行う「広報機関」と成り下がり・・。

それらに対し、職員や労働組合等、懸命に闘います。本物のジャーナリストたちは、非営利独立メディア「ニュース打破」を作り、韓国のジャーナリズムを解体させた「主犯」と、権力に迎合した放送業界内の「共犯者たち」にカメラを向けます。

今の日本とそっくり同じような状況で、如何に彼らが闘ったか、ドキュメントの持つ真実が胸を打ちます。



韓国の人々の、民主主義を求める闘いの姿に胸が熱くなりました。なぜ、韓国は「長期保守政権」を終わらせることができたのか、今の日本と比べて・・・と。

警察に引きずられながらも、多くの者が座り込み続けた職員のストライキ。一人でフェイスブックを通じて「社長は出ていけ」と叫び、それが多くの人を集めて行く姿。

配置転換でアイススケート場の管理の仕事をさせられる記者、アナウンサー、ディレクターたち。

最後に、田舎に引っ込み、がんの闘病をしている元記者が、「子どもに残す書き物をしている」と。そして、「私たちは、あのような状況でも、黙っていなかった。声を上げたということが大切なのだ」と語る姿に、もう、涙涙でした。

ぜひ多くの方たちに見て頂けますように。まだまだ続いている闘いの続編を期待したいですね。

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道の駅「スパ羅漢」

14日のお休みの日の午後、夫と一緒に友人の家に行きました。そこで、お茶をいただきながら、積る話をしていて、こんな風にゆっくり話しをし、ホッとするひと時はどれ位ぶりなのかと思いました。


そして、夕方近く。友人の連れ合いの運転で羅漢温泉に行きました。廿日市から吉和に向けて登って行く佐伯町にある道の駅「スパ羅漢」です。


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なかなか感じいい建物。入口です。

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その横には人形が座っていますよ~。アハハ、なんか疲れてる?というようなお人形です。
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中には、白菜やしいたけ等、魅力的な物が一杯。


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その奥にお風呂があります。

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いつも行くゆーぽっぽよりは規模が小さいですが、なかなかいいお湯です。特に小瀬川の川辺りにある露天風呂が気持ちいいです。サウナも打たせ湯もあります。近所の方たちでしょうか、次々とお客さんが来ます。周りの桜が咲く頃にもう一度行ってみたいですね。

ゆっくりと浸かって、上がるとそこの食堂で食事です。食材は地の物でしょう。田舎の食堂ですが、なかなかです。私は、何とすっぽん鍋。たっぷりのコラーゲンやすっぽんの卵まで入っています。食べた後は、雑炊にします。1500円でたっぷりのすっぽん鍋をいただきましたよ。


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友人夫妻はイワナのから揚げ定食。

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夫は天ぷら定食。

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夫の人参と風呂吹き大根を少し分けてもらいました。材料が新鮮だからでしょう。美味です。ゆっくり食事をしてその後また友人宅でおしゃべり。

すっかりくつろいだひと時を過ごしました。友人夫妻に感謝です。二月から講演が始まります。それまで、もう少しのんびり過ごせます。

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「ぼけますから、よろしくお願いします。」続き

「ぼけますから、よろしくお願いします」の映画を観た後、ずっと頭に残り続けています。感動というのではないけれど、何が一番心に引っかかっているのだろうかと思ったら、いくつかに集約されます。

お父さんは、未だに知識欲一杯で家事の合間に、読書。新聞もなめるように丁寧に読み、切り抜きをしています。お母さんは、かつては書道の大家で、大きな会の全国表彰もされる姿も映画に流れます。料理も裁縫も素晴らしく上手であった母親がだんだんと何にもできなくなってしまった。なによりつらいのは、本人。それを回りがどう支えればいいのか、そのことをよく教えてくれました。

これを観て、やはり私自身の両親を想いました。この映画監督のように、私は両親に優しかっただろうかと。映画の中の彼女、両親の一人娘はとてもやさしい。呆けたことは、何より本人自身が一番苦しいのですね。自分の記憶がおかしくなったことを、「どうしてじゃろう」と嘆く母親に、娘はあくまでも優しく接しています。身内は、時にぼけたことを責めがちです。責めてはいけないのですね。この映画は、それを丁寧に教えてくれます。

それから、もう一つ。私は昨日、子どもへの愛と簡単に言いましたが。具体的には、仕事をやめて帰ろうかと悩む娘に、父親が「介護はわしがする。あんたはあんたの仕事をせい」と言います。それについて、ご本人はこのように書いています。

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義母が心臓を病んだ時、そばに義姉がいるので安心と思ていましたが、それが問題だったのですね。長男である夫夫婦、私たちが実家に帰って、介護をしなければならなかったのです。月に二回は帰ってお世話をしていましたが、それではいけませんでした。時々帰るのではなく、広島を引き上げて同居して義母を看なければならなかった、それをしなかったから、私たちは問題だったのです。


もう少し、映画の公式ホームページから。

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監督が乳がんになった時、抗がん剤で髪が抜ける姿もじっと撮りつづけているのですが。そのお母さんが素晴らしかったです。どっしりと肝を据えて、共に嘆くのでなく、本当にユーモアで娘を支え続けます。

この素晴らしい親子の姿がやはり一番ほのぼのと残りました。

監督はこんな人。呉に育ち、広島大学付属高校から、東大文学部に入学。そっかあ、お父さんには、自分が戦争のために行けなかった大学に娘が行き、仕事を頑張る姿は自分と重ね合わせて喜びであり、応援なさっているのでしょうね。


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今後の彼女の仕事にも注目したいです。

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