首枕

 ずっと前、めまいがおこったことがあります。目が覚めてトイレに行くときも、這って行かないと危なかったり。そんな時、テレビ枕、背中から斜めになっているので寝初めました。耳石が動くのを防ぐためです。結局はそれでめまいは治ったのですが。テレビ枕だけだと、どうにも寝心地が悪くて、首が難しくて。で、首に小さい首枕をして寝ると、とても快適でした。それ以来、首枕が離せなくなりました。講演等で外泊する時にも持って行って、ホテルの枕とその首枕で寝ます。それがないとすっかり寝にくいのです。

 所が、先日、枕を動かそうとしたら、それがべりっと破れてしまったのです。中からそばがらがどっと出て。縫い目ではなく、布そのものが破れました。もう何十年も使っていて、布が弱って、寿命なのでしょう。さて、これは困った!!これがないと寝られません。困った困った。ちょうど翌日岡山に講演に行く日です。確かこれを買ったのは、ずいぶん前だけれど、岡山のサンロード吉備路の売店でした。それを思い出して、よし、まだそんなのを売っているかもしれない、行ってみようと調べたら、なんと休館中でした。再開は6月だと。あれえ、ダメだ。では、世羅のラベンター園はどうでしょう。そばがらと一緒にラベンダーの花が入っていて、ラベンダー枕と名付けられていたような。で、調べたら、なんとそこも休園中で、再開はその二日後だったのです。だめだあ。運の悪い時はこんなものなのだわあ。本当にがっかりで。何か代わるものがないかと、うろうろしたけれど、ぴったりのがありません。で、眠れないままに寝転んでアマゾンで「ラベンター枕」とか「首枕」などと検索してみていたら、なんと、ありました!!そっくりなのが。それも、ラベンター入りの。前のと同じなのかどうか分かりません。何しろはじめのを買ってから何十年も経っているのですから。即、頼みました。

 そしたら、なんと翌日に届きました。それは、前のと一緒でしたよ。生地の模様もリボンまでも同じ。すごい、時を経て、同じものが手に入るなんて。北海道物語と書いてあります。ずっと同じのを作り続けているのでしょうか、それとも売れ残っているのでしょうか。どっちにしてもありがたいことです。

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早速使っています。まだ新しいので硬いのですが、その内なじむでしょう。ラベンターの香りが心地よくって、眠れます。ありがたいことでした。探してみるものです。


 


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「神部ハナという女の一生」初日でした。

「神部ハナという女の一生」初日、無事終わりました。沢山のお客さんが来られて大盛況。本当にありがとうございました。集客には、なんといっても板倉さん、青野さんをはじめとして演劇部OBのみんながよく頑張ったと思います。後から見ると、500の座席がほぼ満席に見えて、嬉しくて。写真が撮れないのが残念。東京や九州や関西、全国からも懐かしい方たちが来て下さり、受付周辺で歓声が上がりました。

 崇徳高校新聞部の皆さんが取材に来て、開演前には板倉さんに、後には伊藤さんに取材をして下さいました。

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舟入高校演劇部の皆さんが観劇に来てくださいました。高校生、嬉しかったです。

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中国放送のRCCドラマグループで大変お世話になり、今も94歳の年齢を押して、被爆の語り部として活躍して下さっています新井俊一郎さんと往年の名アナウンサー、井尾義信さん。本当によくきてくださいました。うれしくて。

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脇田さんの奥様も、涙涙で。脇田さんの写真の前で。

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伊藤さんと握手!!

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演劇は素晴らしかったです。さすが。ああ、これは全国に持って回って頂きたいと思いました。上演中は写真が撮れないので、
カーテンコールだけ。

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客席の伊藤さんの紹介がありましたよ。いとうさん、突然で戸惑われたみたいですが、大拍手でした。

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昨日は、合唱「いしぶみ」は、DVDの上演で。益田遥先生の指揮で、DVD迫力がでも迫力があって、とてもよかったです。歌詞は皆さんの配られています。今日は、全国から駆け付けて来られた方たちの上演です。

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私は、前打ち上げの準備で、一足早く会場「樹と鯉」に。総勢30人分の準備です。お弁当、オードブル、果物。それに広島と言えば、お好み焼きと牡蠣。すべてを限られた料金で。

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全体の写真は無理。劇団員の方たち。このカメラの後ろに観音のOB達がいます。

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伊藤さんと青野さん。

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RCCのドラマグループの指導者故岩崎徹先生のお嬢さん、岩崎有子さんが、東京からお手伝いに来て下さいました。岩崎先生の奥様谷信子さんは、97歳で健在でよく行っていたお宅でまだ一人暮らしをしていらっしゃると。素晴らしい!!有子さんが打ち上げにはアルバムを持って来て下さって、昔の写真が沢山。昔話で遅くまで花が咲きました。私の写真、いくつかいただいて帰りました。

 楽しい時間をすごすことができましたが、まだ今日があります。今日は、昨日よりも沢山のお客さんが来られるそうです。もう一息。頑張りましょう。伊藤さん、劇団の皆様、どうぞよろしくお願いします。


 


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いよいよ本日からです。よろしくお願いします。

いよいよ本日から始まります。

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その後変更があって、と言うか、観音高校演劇部OB会と音楽部OB会の主催ということもあって、やはり高校生にも沢山観て頂きたいと。で、高校生以下は皆さん無料で観ていただくことになりました。受付で高校生ですと言って頂ければ大丈夫です。また、まとまって来られる場合は、引率の先生も無料となります。

昨日は、東京から来られた伊藤さんはじめ劇団世代の方たちの舞台の準備、私たちOB会による受付等の準備をしました。準備の音楽を聴いただけで、もう、ジーンと胸に来ました。

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昔通りの伊藤さんの声、懐かしい!!受付のシュミレーション。

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当日配布のパンフレット、それにスタッフ一人ひとりの役割や時間割り、影アナウンサーのセリフ等すべてが網羅されたマニュアル。板倉さん、素晴らしいです。緊急事態のマニュアルまで作られています。すごい。

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家に帰ってからは、本日夜の前打ち上げの、買い出ししたリンゴをむいたりネギや蜜柑を切ったり。準備万端です。

 本日朝9時集合。二日間頑張ります。どうぞ皆さまよろしくお願いします。


 


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二つの会議でした。

 今日は、会議が二つでした。朝10時から「樹と鯉」でいよいよ今週末になった演劇「神部ハナという女の人生」の会議。スタッフの細かい打ち合わせです。事務局長の板倉さんが、ものすごい働きで、すごい。

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全体と一人ひとりの動きがマニュアルにびっしりと書かれています。私も大切な役が振られていて、これは大変。3日間頑張らなくては。昔を思い出して、楽しめそうです。

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大きなこんなボードも立てられると。脇田さんの活躍の写真。みんな若い!!こんなのも作って、すごいなあ、板倉さん。

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明日は、板倉さん、青野さん等4人が広島テレビに
出演。私は診療でとても無理。頑張って下さい。一人でも多くの方が観劇に来て下さいますように。

 午後からは、今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の会議。新しいスタッフも加わって、さて。今一つ決まり切らないこともあって、さあ。これからいろいろと考え続けなければなりません。

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 それから、お知らせですが。

5月9日土曜日午後7時から、「ハチドリ舎」で先日の講演の続きをします。今回は「特別養子縁組で学んだこと」を中心に話します。詳しくは、ハチドリ舎のホームページをご覧下さいませ。ここにあります。

https://www.facebook.com/events/963564876108590?locale=ja_JP

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いろいろですが、一つ一つ丁寧にこなしていこうと思います。まずは、18.19の演劇を!成功しますように、頑張りましょう。よろしくお願いします。


 


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70代最後の誕生日でした。

今日の早い夜、娘から電話。「今ね、仕事から帰りだけど。今日ね、満月なんよ。4月の満月はピンクムーンというんだって。ちょっとピンクではないけど、大きなくっきりしたきれいな月が出てるから。誕生日に満月って素敵じゃない?」と。一か月前はレッドムーンを撮ったんだけどと言いながら、スマホをもって飛び出しました。自転車で平和公園に向かう途中、ビルの谷間に大きなオレンジの月が見えました。なるほど、これは感動じゃね、と思いながら。平和公園に行っても、月が低くてビルに邪魔されて見えません。原爆ドームに行っても見えません。きょろきょろ探して。

 やがて、見つけた時には、月は大分小さくなっていました。が、ドームと離れていて、一緒は無理。いろいろとうろうろして、結局こんなの。桜と月です。

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もう一つ。原爆ドームは無理だけど、慰霊碑と。

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全然ピンクではないし、下に二重になる
のはどうしてかな?まあ、スマホの限界でしょう。レッドムーンの時はとてもきれいだったけど、あれは明るさが制限されたからかも。こっちの方が月はきれいかも。やっぱり下に二重が出てるけど。

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 もっと上がるのを待てば、ドームと撮れたかもしれませんが、寒くて限界でした。

 今日は、70代最後の誕生日。皆様、沢山のメッセージをありがとうございました。これから少しずつお返事をいたします。まあ、日々の積み重ねが一年経つと誕生日になるので、別にめでたくもないのですが。でも、やっぱりこの年まで元気に過ごさせていただいている、健康な心身を授けてくれた両親に感謝でしょうか。母はもう、とっくに76歳で亡くなっているのですから。80歳の誕生日を無事迎えられるかどうか分かりませんが、何とか倒産しないように、クリニックを維持、いつ閉めるか、それも視野に入れながら暮らしましょう。

 ただね、私が大学病院時代からもう50年近くずっと見ている患者さんが、退職後大きな船で世界一周して、その後は短いの、桜を巡って日本一周とか、韓国への旅とか、度々楽しんでいると。持病があってしんどいので、船の旅なら、しんどくなれば部屋で横になれるので、と。そんな話を聞くと、いいなあとうずうずします。そんなの仕事をしてたら、絶対だめですものね。

 若い患者さんが、下さいました。開くとこんなの。節目節目にいろいろと作って渡してくださいます。丁寧に一枚一枚作って貼り付けて・・。ありがとうございます。

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スタッフから。ウフフ。キャンデーとカップ麺・飯。当分お昼の心配をしなくて済みます。感謝です。

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  今日は、木曜日で休診なので。プリンスホテルにランチに行きました。

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その後、温泉。海を見ながら露天風呂。お湯はぬるぬるして気持ち良かったですよ。家に帰って、マッサージに行ってというまずまずの日を過ごしました。

これは、お風呂からではなく、食事の時の瀬戸内海です。美しいけれど、青空でなくって残念。

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久しぶりのプリンスホテル入口。やっぱりきれいです。

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 マッサージに自転車で行く時。やっと青空の桜が撮れました。先ほど、NHKの気象予報士の方が言っていました。ピンクムーンというのは、ピンクの桜の季節の満月のことを言うので、月がピンクになるのではないんですって。何だ。これをアップする前に聞いて良かったです。

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お花見でした。

 今日はクリニックのお花見でした。が、あいにくの小雨。長い間コロナでお弁当を平和公園で食べるのは中止していましたが、今年は、久しぶりにと思っていました。ので雨は残念。それぞれがお部屋でお弁当を食べることにしました。今朝、少し早めに家を出たので、途中平和公園のお花を撮りました。

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この場写真を撮った所は、いつも気の合った人たちとお花見をしていた所です。多くの皆さんが亡くなって寂しいことです。お花は満開です。

過去のお花見の写真です。正面が中沢啓二さん。左に二人目がRCCの佐々木典明さん。グランパの名前で平和大通りのブログ、フェイスブックに投稿されていました。

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正面の椅子に座っているのが北西允先生。右に小坪則子さん、その隣が車いすダンスの仲井サカエさん。左端が李実根さん。その右がRCCの浅井昭秋さん。みんな亡くなりました。年一回のこの集まりを本当に皆さん楽しみにされていました。ここでも私はいろいろな人にとても貴重な話を聴いています。

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サクラのアップです。ぎっしり満開。

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これも恒例の川向うからの原爆ドームです。

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今日のお花見弁当です。私は事務所で一人寂しく食べました。半分だけ。後は夜食べます。

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この頃は、毎日桜の下を通って通勤します。晴れていたら、これからは花吹雪の中を通れるのですが。どうでしょう。

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無名塾「等伯-反骨の画聖」

 今日は夜、市民劇場で、故仲代達矢氏演出の無名塾、「等伯-反骨の画聖ー」を観てきました。仲代氏が亡くなって4か月。劇団員の皆様はさぞつらいことでしょうが、舞台は素晴らしいもので、これなら全然心配いらないと思いました。

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 画家長谷川等伯の物語です。時は安土桃山時代。戦乱と下剋上の世界で、織田信長、豊臣秀吉、千利休等時の人が現れます。能登で生まれ、画に優れた等伯は、やがて当時の都、京都に居を移します。が、画の世界は当時の狩野派の勢いの中、様々な苦難が訪れます。そんな彼が、やがて現在も国宝として国立東京博物館所蔵の「松林図屏風」をどのようにして描いたか、そんな舞台でした。最後は圧巻の迫力で観る者に迫ってきます。勿論、私にも。

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セリフだけで、これほど感動するものかと思わせられました。いい舞台を観せて頂きました。

実は、年度末の日、職場で年間の会計の締めなどせねばならないことを放っぽり出して会場に駆け付けたので、明日の朝(日がもう変わっていますが)早くに行って片づけなければなりません・・。


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医師会のブロック会でした。

3月28日の土曜日は、医師会のブロック会でした。35年前開業したときに、医師会の地域のブロック会は、皆さんやさしくて、なかなか面白いいい会だから、ぜひ出席してと何人かのドクターに言われました。恐る恐る出席するとその通りでした。それから延々と続いているのですが、メンバーはすっかり変わりました。尊敬していたドクターたちの二世の先生も増えました。お顔もそっくりで。私と井原先生だけは以前のママです。


会場はリーガロイヤルホテルの最上階。

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コロナの間役5年間、この会も開かれないままでしたので、会費がずいぶんたまっているはず。他に使う予定もないのだから、ちょっとおいしい物を頂きたいですと、前の会の時に私も意見を言っておきました。今回はフランス料理ということで、大変においしく頂きました。ワインは私はさっぱりしらないのですが、これもいい物だったようです。

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何より目で頂くというか、どのお皿も美しくて。もう、こんなごちそうを食べる機会はめったにないでしょう。

 それに、お一人ずつの近況報告が、また、蘊蓄があって、楽しいものでした。ある先生は、AIについて。今では、AIがスライドも作ってくれるのですって。学会で時々あ、これはAIが作ったのだ、と分かる時があるのだそうです。良くできているようでも、やはり間違いやら、機械的で、人の目と知識で作ったほうがハートがあるというのかな?ある先生は、高校の部活の指導をしているのだそうです。もう何人もスポーツで結構な大学に入学させていると。そこまで指導できれば、大したものと思いました。ある先生は、世界のカジノ論を話されましたよ。私は、近況というよりも、今の医療界の厚労省のおかしさ、それに対して、医師会がきちんと向き合っていないのではないかという疑問の話をしました。厚労省は、私のクリニックのような超零細企業は、いずれ消えていく方向での方針をなのだと思います。それが国民の為となるとは思わないのです。まあ、近々消えて行く私にはもうあまり関係のないことですが。

 科の異なる先生たちと話す機会はあまりないのですが、それぞれにみんな大変な中、頑張っていらっしゃるようすがよく分かりました。そんなひと時でした。


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「神部ハナという女の一生」の取材の続きです。

 昨日の続きです。今度の「神部ハナという女の一生」の中国新聞のインタビューの場に板倉さんが持ってきて下さった文章。一つは、私が書いています。まだ脇田さんが健在の時だから、少なくとも、20年以上前に書いた物です。それと、脇田さんが書かれた文章。昨日の亘先生の文章とも、同じ時に書かれたものなのかどうかも分かりません。

 私の文章から。

観音高校演劇部時代の思い出
      広島県立広島観音高校卒業 河野美代子

 私が観音高校に入学したのは1963年。その前年、「花火」で演劇部が地区大会、県大会て最優秀賞を取っていたことを知っていた。中学時代に少しだけ演劇をかじって、その魅力をすでに知っていた私は、ほとんどためらうことなく、演劇部に入部した。
 新入部員の前に現れたのが、観音高校演劇部4年生(?)の現広島テレビの脇田義信氏
と板倉氏である。土橋先生、中洌先生、それに脇田氏と板倉氏、まるで4人の顧問とも言える強力な指導の元で活動した。
 「花火」に続く戦争物「象の死」はやはり地区大会、県大会を制覇。翌年は「黄色い土地」で同じく県大会で最優秀賞となった。中国大会で徳島へ。そこで徳島県立板野高校の「藍染めのころ」に負けてしまった。審査員の「出来合いの台本ではなく、これからは創作劇を」の言葉が身に滲みたものだ。
 「象の死」で福山に行った時、衣装の一つの風呂敷包みを広島に忘れてしまった。軍人の履く長靴は余っていた短靴にするとして、私の履くもんぺ、白衣はどうしよう。あてもなく外に飛びだした。当時、福山駅周辺には小屋のような店が並んでおり、そこでもんぺがぶら下げてあるのを見つけて、ほんとうにうれしかった。それを買い、今度は薬局に飛びこんで、白衣を貸して欲しいと必死の思いで頼んだ。おやじさんが、渋い顔で貸して下さって、一段落。その白衣をドーランで汚してしまい、返す時に縮こまる思いで謝った。今だったらクリーニング代を払うのだろうが、ひたすら謝ったことしか覚えていないので、そんな時代ではなかったのだと思う。今から思うと、まだ当時は戦後間もない国中が貧しい時代だったのだろう。
 そんな中で、出来合いとはいえ、ひたすら戦争物に取り組んだことは、今日の自分の思考の基礎となったと思う。激論を交わしながら培った、今も続く得難い友人たち。青春時代に演劇にひたすら取り組んだことは何より私の血と肉と、財産となっている。
 今の高校生たちも、みんなこんな場を持つことができたらなあ、と、日々診察室で若者たちに向かい合いながら考えている。         (河野産婦人科クリ
ニック院長)

最期に脇田さんの文章です。亡くなる何年前なのでしょうか。

第2回大会「花火」・第3回大会「象の死」

 伊藤先生から頂いた゜高等学校総合演劇大会のあゆみ」を見て40年前が一瞬に蘇った。
 第一回の県大会は高校2年生の初冬。顧問の土橋先生が事務局長。連盟の発足にあたって、いろいろお手伝いしたことを覚えている。それだけに第1回の県大会はどうしても出場したかった。
 条件は広島地区大会で3位以内に入ること。しかし、大竹、皆実、進徳に次いで4位。悔し涙を流した。第1回大会は裏方にまわり、大会の準備、運営にあたった。会場は市民球場の裏にあった児童文化会館。いまは青少年センターになった。隙間風が通り抜けるような老朽化した会場だったが、舞台は熱気にあふれていた。各地区代表校の熱演はいまも鮮明に残っている。
 古森先生率いる三次高校の「猿の手」は高校生離れした秀作で第1回の最優秀校に選ばれた。柏村武昭氏がその舞台に立っていたことを知るのは十数年後である。
 当時は高校演劇は既成の脚本が全盛期で、広島地区では創作にはまだどこの学校も取り組んでいなかった。3年生になった私は進学のことも忘れてクラブ活動に没頭することになる。脚本の選定にあたっては自分達が内容に共感し、理解でき、消化出来るものを大前提にした。
 部員の構成、力量から先輩たちがかつて取り組んだ林黒土先生の「花火」と決めた。原爆で失明した姉が手術を受け光を取りもどすが、自分の顔のケロイドを見て死を決意する。その姉を側でかばい励ます弟の姉弟愛を描いたものだ。
 とにかく「よく練習した」という記憶と、舞台装置で泣いた1年前を教訓に徹底的に研究したことを思い出す。町工場群の中にある2階の部屋。僚友板倉と2人でそうした場所を探し、出かけて何枚もスケッチを描いた。より写実を目指し舞台前面に瓦の屋根を作った。
 地区大会は皆実の「おーい・救けて
くれ」と(注・肖像の間違いです・河野)と互角の勝負だったが、私たちが第1位に選ばれ、皆実、進徳とともに県大会にコマを進めた。
 第2回の県大会は呉市民会館。前年最優秀校の三次は三好十郎の「獅子」で参加した。私たちは初日に出場。演じきったという満足感と充実感があった。2日目、各代表校の舞台を観た時、別の感銘を受けたことを思い出す。
 結果は時の運、審査員の好みの問題もある等々、自問自答しながら発表を待つ。「最優秀賞ははなび・・・」ワ―と歓声があがり、大きな拍手の中で第1位を確認した。並んで発表を待っていた裏方を担当した板倉・青野が大きな声を上げて泣いた。強烈な印象として忘れられない思い出だ。
 この時から観音高校演劇部の新たな歴史がはじまった。あまりクラブ活動に積極的でなかった青野、伊藤、安部、という私の中学校の後輩が目の色を変え、新入部員の長谷川(現河野)たちを迎えて取り組んだのが第3回で絶賛を受けた斎藤瑞穂作「象の死」だ。
 私が中学生の時脚本を読み、やりたかった作品だが力量がなく断念した。
 私は卒業していたが、3年生の3学期まで演劇活動をやっていては大学受験は出来ない。「予備校へ行く」と家を出て、パチンコ屋で時間をつぶし、放課後を見計らって演劇部に顔を出して取り組んだ作品だ。
 土橋先生や新しい顧問の中洌先生の寛容さがなければ、あれだけ自由には参加できなかった。
 作品には自信があった。日々の猛練習の中で各部員が成長して行く手ごたえを感じた。わが家の3畳の狭い部屋でOBの板倉と現役の青野・伊藤と徹底的に脚本分析を行った。
 演じる側には絶えず不安が同居するが、一歩引き下がって見る側にまわった私には絶対の自信があった。私が現役の時よりりはるかに高いレベルで素晴らしい作品に仕上げていたからだ。特に1年生で主役を演じた長谷川美代子は出色の出来栄えで日に日に成長した。
 地区大会も、県大会も文句なしに最優秀賞に選ばれた。審査員の先生から絶賛された。観音高校演劇部として一番バランスがとれていた。
 「象の死」の成功はより高いレベルをめざし、木谷茂生作「広い黄色い土地」への挑戦となる。
 私の青春の全てがここに集約され、人生がここで決まったといって過言ではない。私にとって高校演劇は良き思い出ではなく、人生そのものである。高校演劇万歳。
    (広島テレビ編成制作局長)

写真がないのです。象の死も広い黄色い土地も。あるはずなのに、ごっそりどこかに行ってしまいました。これは、板倉さんが持ってきてくださった文章のコピーの中にあった、広い黄色い土地の白黒の写真のコピーのコピーです。かろうじて、人の顔が分かります?前におさげ髪をして座っているのが私です。

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今、亡き脇田さんの文章を一文字ずつキーを叩きながらなぞらせていただいて、何度か涙しました。お葬式の悲しかったことも思い出しました。ああ、もう少し長生きしてほしかった。60歳なんて若すぎます。この伊藤さんの「神部ハナと・・」は脇田義信没後20周年追悼祈念公演でもあります。脇田さんの文章の中に40年前とありますので、59歳?もしかして、これは脇田さんの絶筆かもしれません。

 それにしてもおかしかったのは、私の文、福山に忘れ物をした話。あの頃は、スポーツバックでもスーツケースでもなく、荷物ケースでもなく、「風呂敷」だったのです!!大きな唐草模様の風呂敷に荷物を入れて、それをいくつも持って行ったものでした。あはは、大昔ですね。
 
 明日、もう一度、「神部ハナという女の一生」について話しますね。私の仕事と関係あることですので。

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「神部ハナという女の一生」の取材でした。

なんかこのところ取材が続いています。

昨夜は、中央の新聞社の本社から性教育、特にバッシングについてのインタビューでした。先日の、性教協中国ブロックの私の50年の講演をリモートで見ていただいた上での取材でした。

 そして、今日は、今度の演劇「神部ハナという女の一生」についての、中国新聞の取材でした。観音高校演劇部OB会主催ということで、観音高校演劇部で当時頑張っていた三人が代表で参加しました。今度の講演の事務局をしている板倉さんと、オフィス青野の青野さんと、私。

1962年「花火」1963年「像の死」1964年「広い黄色い土地」で県大会を三連覇したころの話、それには故脇田さんの尽力が大きかったこと、それにその後もOB会がずっと続いている不思議等の話でした。

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これに、カメラマンの方も来られて、一杯写真を撮って帰られました。少しでも4月18・19日の集客に繋がれば、と思います。

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 その時、私の知らない話も沢山出て、すごく楽しかったのです。象の死の時、私は1年生。青野さんは3年生。今度演劇をもって来られる演出の伊藤さんも3年生。脇田さんと板倉さんは高校はもう卒業していて浪人中でも、せっせと観音高校に来て、演劇の指導を続けていたこと。私は顧問が4人もいて、不思議だなあと思ったこと。夜中まで練習をして脇田、板倉、両氏は帰られなくなって、先生の宿直室に泊めてもらったこと。朝、インスタントラーメンに学校に生えている草を入れて食べたこと、そんなことは今まで知りませんでした。青野さんは、よく部室の天井裏に泊まっていたそうですし。

 その取材に、板倉さんがプリントを何枚か持ってきていらっしゃいました。高校演劇についての冊子からでしょう。その中に、H13年3月25日発行となっていますが、皆実高校の顧問の亘先生の文章が載っています。ちょっと転載させていただきます。これらに出てくる「おーい助けてくれ」は、今は舞台装置の第一人者堀尾幸男さんが主役、吉田拓郎さんも出演していました。

超高校生の「象の死」  亘勝昭氏

 振り返ってみて一つだけ挙げろ!と言われるなら、今でも「象の死」(1963昭38)をと思う。第4回地区大会に、皆実高校はサローヤンの「おーい助けてくれ」で出場したが、観音に敗れて、県大会、中四国と進んでも、結局勝てなかった。この年、早くから皆実は観音をライバル視していた。前年、皆実は一年生ばかりのキャストで県大会まで進んーだが、その時の主役が健在で今度も主役。しかも成長著しい。それに対して観音は、1962(昭37)の「花火」のキャストは卒業して残っていない。今年は皆実のチャンス!そう思っていた。
 当時、地区大会の仕込みは無秩序で、大会前の適当な日に各々の学校が会場校(観音)に行き、観音の練習が休憩している合間に吊りこみさせてもらった。待っている間、観音の練習を見る。大井先生(博士)を演じる生徒の声が低い。低音早口でぼそぼそとよく聞き取れない。これなら"勝てる"と思ったのである。地区大会1日目の皆実は好演した。観ていた観音が自信を無くすほどの出来栄え。が、2日目の観音の「象の死」を観て驚く。かの大井先生が登場するや、その迫力、低音ながらビンビン響く声、何よりもその存在感に圧倒された。出演者は見違えるばかりの精彩を放ったのだ。一夜にしてこの変わり様、まるで土橋&中洌のマジックとしか言いようが無い。私は完全に脱帽し、負けた悔しさは無くて、むしろさばさばした気持ちであった。
 「象の死」を何度か観た時、・・・大人の劇団を見ている様だと言った生徒あり。多くの人が高校生が演じていると気づかなかったのでは・・・。
 演技が抜群であるだけでなく、体付きや声までが高校生離れしていた。女医役の長谷川さんだけが1年生、皆が3年生であった。と知って驚いた。いろいろな意味で超弩級の「象の死」であった。

以上です。この低音の大井を演じたのが、今回の演出の伊藤さんです。 もう少し、私が書いたのと(さっぱり書いたことを覚えていませんが)脇田さんが書かれた文章もありますので、明日に続きますね。

なお、神部ハナという女の一生のチケットの買い方をご案内しますね。私のクリニックにもチケットはあります。よろしくお願いします。


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