原民喜展

昨日は、午前中は電話当番をしながら書き物。午後はクリニックにこもって続きの書き物。この二日で、来週と再来週の講演の準備も全て済ませました。難しかったけど・・。お歳暮のお礼のはがきの印刷も、これには尾関山の紅葉の写真を使いました。着々と済ませても、まだ残っています。大きな書き物が。

そして、ギリギリの最終日になってやっと行きました。原民喜展。その後は、姉や甥の一家の甥の奥さんの誕生日のお祝いに一緒に行かせてもらいました。

という一日で。原民喜展。ほんとうに行けて良かったです。

1


ほとんど無機質の白と黒の空間で。沢山の著書や詩や文章が展示してありました。

2


12

優しくも透明で悲しい詩、文。

4


9


恩師柿手春三先生の絵もありました。

3

彼の自殺の後の追悼の文。佐藤春夫氏と埴谷雄高氏のを読んでいると、不覚にも涙が出てきました。

5


6


遺書の中の「貞恵と死別れて六年あまりも生きてまいりました。もう後に思い残すことか何もありません」というのを知って、ああそうなのかとかってに納得しました。


この純粋な方が被爆後6年間、ひたすら絞り切るように書き、そして自ら命を絶ったことは、やっぱり必然なのだろうと。ただただ生きて書いて下さってありがとうとしか言えませんね。

私の感想、これだけしか書かなくてすみません。

展示会、ありがとうございました。

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

CD「夏の花」②

原民喜の「夏の花」のCDに収載されている三分作、4枚のCD。それぞれについて私の解説より、CDケースに書かれている説明の方がうんといいと思いましたので。

2


「夏の花」(49分)
当初「原子爆弾」という題名で1945年に書かれた。夏の花を妻の墓前に供えたその翌々日、原子爆弾が落とされる。広島の凄惨な光景が原民喜の澄みきった眼を通して語られる。


「廃墟から」(53分)
1947年発表。原爆が投下された後、次兄の疎開地である八幡村に移った作者の体験が引き続き描かれる。壊滅した広島、荒廃した戦後の人々の暮らしには、原爆で命を奪われた人々の無数の嘆きが横たわっている。


「壊滅の序曲」(104分)
1040年発表。広島に原爆が落とされる前の数か月間を描く。広島に戻った正三(原民喜がモデル)は、故郷の痛ましい末期をどこか予感しながらも、戦争末期の日々を過ごしているのだった・・・・


はじめの「夏の花」が被爆の直前からその時、その後。爆心地近くで被爆しても、奇跡的に助かった著者の周辺に起こっていること。崩れる家家、迫る炎。次々と近所や身内や出会った人々の亡くなる状況。それらがこれでもか、これでもかと描かれます。運転していて、息苦しくなるほどでした。


原爆の直撃では助かった人でも、その後に髪が抜け、斑点が出て、血を吐いてなくなって行く、その姿がまた詳細に描かれます。

だから、三番目の「壊滅の序曲」は、これから原爆が落ちることが分かってはいていても、聞いていて、どこかその日常生活にホッとするのでした。


そして改めて思います。よくこれを残して下さったと。原民喜が命を削るようにして、これらを書いてくれて本当にありがたいことだと思うのです。それまでも沢山文学を書いていた著者が、あろうことか、こんな状況に放り込まれたこと。これは、天が「書きなさい」と彼に告げたのだろうと思います。そして、書いた挙句に自死。なぜ?


また、これらを読むのでなく、CDで聞くという事。ぴったりの声と演技力で淡々と読む岡崎弥保さんの朗読。それはインパクトがありました。原民喜と共に、岡崎さんにも感謝です。

今、ちょうど広島で「原民喜展」が開かれています。12月9日までとのこと。どうしても行かなくては。

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

CD「夏の花」①

ここの所、遠方への車の運転が続いています。夜だと、カープを聞きながら運転するのですが、カープの試合もないし、音楽やラジオを聞きながらになります。考え事がある時には、何にも音はなしでひたすら走ります。考え事をするには、一人で車にいることはいい環境です。

が、ここ最近は、ずっとこれを聞きながら走りました。

1

原民喜の三部作。「夏の花」「廃墟から」「壊滅の序曲」。それを岡崎弥保さんが朗読したCDです。先日の広島であった「原爆の図 丸木美術館企画 いのちを観るいのちを歌う」の司会をされた岡崎さんから、このCDを頂きました。

岡崎美保さんには、丸木俊さん作の絵本、「ひろしまのピカ」の朗読のCDを以前頂いています。


Photo
夏の花のCDケースの裏から。

著者 原民喜  1905-1951年。広島市生まれ。小説家、詩人。慶應義塾大学文学部に進学。1935年、掌編小説集「焔」を自費出版。(略)以後、三田文学を中心に旺盛に作品を発表していく。1945年、広島市幟町の生家に疎開し、8月6日、爆心地近いこの家で、被爆。広島の惨状を綴った「夏の花」をこの歳のうちに書き上げる。1951年、自死。

朗読 岡崎弥保 俳優、語り手。東京女子大学卒業、同大大学院修了。2010年朗読コンクール優勝。(NPO日本朗読文化協会主催)。東日本大震災後、福島での朗読ボランティアをきっかけに原爆・原発の作品に取り組む。ドラマ・リー゛てぃんぐ「父と暮らせば」(福吉美津江役)のブダイを各地で展開。朗読オーディオブックは、与謝野晶子訳「源氏物語」、「あたらしい憲法のはなし」等多数。

4枚のCDをそれぞれ二回づつ聞きました。それは、また壮絶な被ばく直後の状況があます所なく語られます。続きますね。

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

≪原爆の図≫

現代美術館の「丸木位里・俊≪原爆の図≫をよむ」、どう考えても、昨日のお昼にしか行くことができないので、行ってきました。山路さんにお願いして、迎えに来て頂き、待ってもらって連れて帰って頂いたおかげで、ゆっくり観ることができました。

5

中は撮影禁止なので、入り口です。

6

結論から言えば、本当に行って良かったです。日曜日のイベントで聞いた時に持った疑問なんか吹っ飛びました。あんなこと、どうでもいいのです。芸術論などどうでもいいのです。芸術家があの絵をどう分析しても、どうぞご自由に。私にとっては、それはそれはものすごい芸術であり、胸に迫りくるものがあって、それでいいのです。

そして、お二人に、よくこれらを残して下さったという感謝の気持ちでいっぱいになりました。世界中の人に、今のような状況が作られている今だからこそ、観て頂きたいと思いました。

ゆっくり鑑賞したくて、本も買いました。

8
これも、買ってよかったです。

「幽霊」「火」「水」「虹」「少年少女」の五部作。「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の今年のフライヤーの一番上には、「火」を使うことを許可して頂きました。

Photo
小さな写真でほんとうに申し訳ないことでした。大作を前に、ただ、食い入るように見つめるしかありませんでした。そして、五部の 「少年少女」。これも、胸に迫るものがあります。

10_2

そして、本を買って良かったと思ったのは、丸木夫妻の様々な文章と共に、峠三吉にあてた手紙も沢山掲載してあります。その中には、四国五郎さんの名前も何度かでできました。やはり戦後まもなくの、丸木夫妻の広島での活躍を改めて知らされ、感動でした。

9

関係者の皆様、ありがとうございました。

私は、もうすぐ家を出て、今日は島根に行きます。寒そうです。雪が降りません様に。



『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

原爆の図丸木美術館

一昨日、日曜日の午後は「原爆の図丸木美術館企画いのちを観るいのちを歌う」に参加しました。

1
2
撮影禁止でしたが、これは始まる前に撮った写真です。館内はいっぱい。

2_2   

二階堂和美さんの美しく悲しい歌声。そして、岡崎弥保さんの司会、朗読。若い芸術家お二人の対談。

入場料が当日券3500円(前売り券3000円)と少々お高いなあと思いましたが、」「原爆の図丸木美術館 会館50周年記念誌」等の沢山の資料をいただいて、これならO.K.と思いました。

3

会全体については、私が今行われている「広島市現代美術館」での「丸木位里・俊≪原爆の図≫をよむ」を観に行ってからにします。なんとしても見に行かなければ。でも、5時閉館だから、厳しいのです。何とか。いつかは埼玉の「原爆の図丸木美術館」に行きたい、行きたいと思いながら果たせないでいます。せっかく、広島に来ているのだから。行かなければ。


会の後、司会、朗読の岡崎弥保さんと、8.6ヒロシマ平和の夕べのスタッフで食事会をしました。楽しい会でした。願わくば、あの会は、対談をもっと短くして、岡崎さんの丸木夫妻の文の朗読が沢山あった方が良かった。という話だけご紹介しますね。

4

すみません。今日のブログは、写真の紹介だけになってしまいました。

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

小野瑛子さんと西村利信さんの原爆体験記

昨日のブログの続きです。岡崎弥保さんから小野瑛子さんと西村利信さんの手記が送られてきました。

1_2
2

炎のメモワールは、同名の小野瑛子さんの著書に収載されている、お母様山本信子さんが原爆投下2年後に英文で書かれ、アメリカの「TIME」に送り、それがGHQの検閲に引っかかり、没収されて厳しく叱られたというものです。  1978年にお母様が亡くなった後、遺品を整理してそいた瑛子さんが、その手記を発見し、英文を和訳して小冊子にまとめられました。小野瑛子さんのご好意で、この手記は、昨年の8.6ヒロシマ平和の夕べでも、参加者の皆様にお配りいたしました。

その手記の朗読のことを知った西村さんの息子さんの妻から、義父が書いた手記がありますと連絡が入ったのだそうです。西村さんは、小野瑛子さんのお父様、広島二中の教師をしていた山本信夫先生の教え子でもあります。当時、広島二中の二年生であった西村さんは、「いしぶみ」に記録されているように、一年生の弟さん正照さんを原爆で亡くしています。


西村さんがその手記を書かれたのは、1949年。まだGHQの検閲が厳しい時。でも、発表されたのがその後転校された千葉の高校の文芸誌であったために、奇跡的に残ったものでありました。


3

その手記があることを聞いて、小野瑛子さんと岡崎弥保さんが西村さんを訪ねて行き、それを見せて頂き、この貴重な手記を世に出して多くの人に読んで戴きたいとお願いされました。

この手記の「はじめに」に小野さんが書かれています。


「B5版の機関紙はガリ版印刷で、ふれればバラバラになるほど劣化し、茶色に変色していましたが、被爆当日のことや、その後の十日余りのことが、十六ページにわたって克明に書かれています。ことに正照さんを探して歩いた当日の爆心地の惨状は目を覆うばかり。私も多くの被爆手記を読んで来ましたが、ここまで詳細に書かれたものは少ないのではないかと思います。」

そして、「はじめに」の最後に書かれています。

「西村さんは八十六歳、私は七十九歳。
被爆者が高齢になり、原爆の悲惨さを語り継ぐ者が減少の一途をたどっている今、西村利信さんの手記をこうして世にだすことができることを心から嬉しく思っています。
        二〇一八年五月  小野瑛子  」

その小野瑛子さんがこの10月30日に、そして西村利信さんが翌31日にお亡くなりになったのです。これらの手記を残して下さって本当にありがとうございました。


西村さんの手記の発行人は小野瑛子さんと岡崎弥保さんです。私の手元には岡崎さんから送って頂いた小野瑛子さんと西村利信さんの手記があります。ご希望の方はどうぞ声をかけて下さいませ。

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

丸木美術館の「いのちを語るいのちを歌う」

11月18日(日)、広島市平和祈念館で、丸木美術館主催の会が開かれます。丸木美術館のお知らせをこに転載したいのですが、無断転載は禁止と出ていますので、残念です。以下のアドレスをクリックして下さいませ。

http://www.aya.or.jp/~marukimsn/kikaku/2018/hiroshima.html

二階堂和美さんのフェイスブックから。これは、禁止されていませんでしたので。

Photo

丸木さんご夫妻の原爆の図についての対談も、二階堂さんの歌も、とても楽しみです。そして、司会、朗読、岡崎弥保さんです。俳優であり、「ひろしまのピカ」「夏の花」「新しい憲法のはなし」などの朗読をもなさっています。

ここに岡崎さんの公式サイトがあります。

http://ohimikazako.wixsite.com/kotonoha

ここでは、10月30日に亡くなった小野瑛子さんと、31日に亡くなった西村利信さんの「原爆体験記」、追悼の朗読が聞かれます。

小野瑛子さんについては、もう、言うまでもありません。何回かこのブログでも、書かせて頂きました。昨年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」で体験を語ってをいただきました。お父様は、当時広島二中の教師、山本先生、あの合唱曲「いしぶみ」で、「君は頑張って家に帰るんだ、先生はもう歩けない、さあ、握手して」と生徒に語り、そこで亡くなった方。その遺児が小野瑛子さん。

あの合唱曲の先生の遺児が生きていらっしゃる!!それを聞いて、直ぐに8.6ヒロシマ平和の夕べで語って頂こうと思いました。

私の父は同じ二中の教師で、偶然にも助かりました。小野さんのお父様は亡くなって。あの原爆で、亡くなった人、偶然生き延びた人、それぞれの家族のその後は何と異なることでしょう。写真では、とても幸せだったご家庭がうかがえます。

Img_1338

Img_1335

Img_1286

当時、小野さんは、もう肺がんと闘っていらっしゃいました。抗がん剤でいったん抜けた髪がまた生えて来て、今、こうなのよとウィッグを取られました。あら、その髪も素敵です!!と申し上げました。その後も、ギリギリまで語り部を続けられました。福島の子どもたちへ被曝者手帳を交付するようにという運動も続けられました・・・。小野瑛子さん、本当にありがとうございました。

18日は、私も会に参加して、皆さんをしのびたいと思います。


『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (1) | トラックバック (0)

原発、ホントはどうなの?展

昨日夜、私のクリニックの真ん前で開催されている「原発、ホントはどうなの?展」に行きました。伊方原発原告団の方たちも皆さん参加して、来訪者に説明をしていらっしゃいました。

4

沢山の資料を集められて、準備、さぞ大変だったことでしょう。見ごたえがありました。

そこで聞いたのですが。原子力でどうやって電気を作るのか?という説明。原子力でお湯を沸かして、その蒸気でタービンを回すだけ。お湯を沸かすだけのために、こんなに大規模の危険な物を作らないといけないのかと、多くの方が愕然とされるのだと。

伊方原発の三号機の模型が置いてあります。

3

何と、それには福島原発のような「建屋」がありません。炉がむき出しです。本物の写真です。

2

それに、気になっていた九州電力。私も別府の我が家に太陽光発電のパネルを張っているのですが。大分は、太陽光発電だけでなく、温泉による地熱発電や、風力発電や、動物の排泄物による発電等、自然エネルギーの発電がとても盛んな所なのですね。電気が余るから、原発はそのままに太陽光発電を抑えるのだと。

6

私も、地熱発電所の見学に行ったことがありますが、そこだけで22万世帯が必要な電気を発電していましたよ。

会場では、映画「日本と原発4年後」の法廷版、裁判官に見てもらうために30分に編集したものが繰り返し上映されています。

8

ぜひ、寄って見て下さいませ。県民文化センター、鯉城会館の地下です。

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「四国五郎・ガタロの仕事展」

昨日、お昼時間、自転車を飛ばして、ここに行きました。昨日が最終日。行かなければとあせっていたのが、やっと行くことができました。昨年、永田浩三さんとガタロさんのトークを聞きに行ったことがあります。四国五郎さんを師と仰ぎ、絵を描き続けたガタロさんです。今回は、そのお二人の作品展でした。多くの方がこの「仕事展」について書かれていますので、私は私の思いを書きますね。

1

2
いろいろな絵画と共に、四国さんの詩が展示されています。四国さんは、画家でもあり、詩人でもあります。私たちの今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のフライヤーに、四国五郎さんの絵、「影」を掲載させていただきました。

4
その原画も展示されていました。その左横に小さく「みんな忘れたとき、私も小さな影になるの 」と書かれていました。ああっと思いました。「私も影になるの」

5

そして、右には、こんな詩が。分かりにくくてすみません。1980年の原水禁大会において自ら朗読と書かれています。朗読詩「ひろしまの子」。

6

この詩がどこかに掲示されていないかと、ネットでさがしましたが、分かりませんでした。一つだけ動画がありましたが、それはとても「朗読」とは言えない、この詩がかわいそうになるような乱暴な読み方なので、ご案内できません。どなたか、これを朗読してネットに載せて下さらないかと思います。今の時期だからこそ。

そして、四国さん直筆のこんな詩も。

3

四国五郎さんは、激しくも優しい人。今回絵と合わせていくつもの詩も読ませて頂いて、改めて悲しい感動を覚えました。急いで行って急いで観たお二人の仕事展でしたが、やっぱり行って良かったと思いました。本当にありがとうございました。




『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (1) | トラックバック (0)

8.6平和の夕べの反省会・学生たちの朗読劇

昨日は、午前中は今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の反省会。午後は8.6ヒロシマ平和の夕べのスタッフみんなで資料館での武蔵大学の永田浩三ゼミの学生たちの朗読劇「わたしたち朝鮮人がヒロシマで体験したこと」、その後に李鐘根さんの被爆証言を聞きに行きました。

今年の平和の夕べ、おおむね好評でした。沢山の方が時間がないのにアンケートを書いて下さってありがたいことでした。小出先生のお話、だれもが感激されていました。小出先生の話を聴きたくて会に参加された方も多いと思います。李鐘根さんのお話も、広島裁判の渡部さんのお話も、多くの方の胸を打ちました。最後の安次富さんのお話、アンケートでも指摘されました。時間が制限されて申し訳ないことでした。李さんのお話も、今回改めて聞いて、もうちょっと時間を長くすれば、もっとお話しされたかったことでしょうと思いました。

これからの課題は、午後4時までしか会場が使えないのですから、開始時間を早くするか、もう少しメニューを少なくして、お一人ずつじっくり話して頂くという方向に行かなければならないでしょう。

永田さんは、昨年の8.6ヒロシマ平和の夕べで平和講演をしていただきました。元NHKの記者、今は武蔵大学で学生の指導をしていらっしゃいます。素晴らしいですね。NHKに残って番組を作り続けて頂きたい方でしたが、こうして若者の指導をして、しっかり考えられる若者を作って行く仕事もとても素晴らしいことだと思いました。

朗読劇の学生さんたち、さぞ苦労されたことでしょう。沢山の本を読み、考え、ここにまで落ち着くのに、どれだけの時間、労力を費やしたことか、それがよくわかる舞台でした。

「広島の方たちにどう受け止めて頂いたか分かりません。でも、昨日ヒロシマに来て、資料館に行き、今日は昨日よりも広島の心に少し近づけたかもと思います。」と最後に学生さんがあいさつされました。学生さんたち、これから、いろいろと考え、体験してしっかりした大人になって行くことでしょう。

1

李鐘根さんのお話、40分しかなかった、8.6平和の夕べでは省かれた、基町高校の生徒さんの絵の一枚です。お母さんが、泣きながら鐘根さんの首の蛆虫を取っている姿です。李さんの差別体験も含めて、やはり十分に時間をかけて話して頂くべきでした。

Img_7690

この後、みんなでお好み焼き屋さんで打ち上げをしました。良き仲間たちと遠慮のない会話、楽しかったです。また来年に向けて頑張りましょう。

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧