「入市被爆した13歳の少年の被爆証言」と「映画・誰がために憲法はある」

広島でのイベント、次々と沢山有ります。ああ、あれも行きたいなあ、これも聴きたい!そう思うのですが、なかなかです。その一つ。

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被爆証言と医学的解説シリーズの第一回目はお話を聴きに行きました。その時は、まだ土曜日のお昼は午後1時から3時までだったので、被爆証言のお話を聴くことだけはできました。今回は、午後3時までの診療なので、とても無理なのですが。せめて医学的解説だけでも聞きたいと思っています。

新井俊一郎さんは、昔、私がRCCのドラマグループに参加していた時にお世話になった方です。それに、被爆証言をなさりながら、被爆体験伝承者の講師として活躍していらっしゃるドキュメントを観ました。厳しくも暖かく指導をされ、最後は涙を流して伝承者を目指す若い人を称えていらっしゃる姿にこちらも感動してついもらい泣きをしました。4つもの癌と闘いながら活躍していらっしゃるとの事。ぜひお話を伺いたいと切望して。何とか、駆け付けたいと思っています。入市被爆の医学的解説にもとても興味があります。

もう一つのイベントのご紹介です。映画ですね。いろいろと評判になっている映画の広島バージョンのチラシができたからと友人がもってきて下さいました。

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渡辺美佐子さんをはじめとするベテラン女優さんたちの「夏の会」の原爆朗読劇も見ました。憲法前文の、あのすばらしさに感動し、胸を熱くしたのは、私が中学生の時です。社会科の教師をしていた父は、「憲法は、決して変えられることがないように高いハードルが決められている」と言っていましたが、それも今、風前の灯となっています。それらを一つにしたドキュメント、とても楽しみです。「わたしたちは、世界でいちばん、強くて素晴らしい武器を持っている。誰がために憲法はある」。ぜひ多くの方と共に鑑賞したいと思います。

 

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「八月を憶う」・「父と暮らせば」プレイベント

7月7日、蒔村三枝子さ岡崎弥保さんなどの桂月企画の「父と暮らせば」について、これまでもお知らせしてきました。ここから二日間に渡って書いています。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/post-1684.html

その父と暮らせばのプレイベントが行われます。

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蒔村三枝子さんは、何度も言って来たように、観音高校演劇部のOBで私の後輩です。一人東京で頑張っています。毎年の東京での「いしぶみコンサート」では、朗読を担当していますし、この度の「父と暮らせば」は、演出と語りを担当されます。

 そして、岡崎弥保さん。ここに、岡崎さんの朗読「ひろしまのピカ」や「夏の花三部作」の朗読CDについて書いています。俳優さんですが、朗読も素晴らしい!!

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2018/12/cd-ebef.html


そして。「空が、赤く、焼けて」。私が読んで大泣きしたこの本については、ここに書いています。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2018/03/index.html

この「原爆で死にゆく子たちとの8日間」を記した「空が、赤く、焼けて」。この朗読が広島の地で行われることに感動と期待を寄せています。どうぞ、多くの方に聞いていただけますように。土曜日の午後3時半から。私も診療を終えて、一生懸命自転車をこいで駆け付けるつもりです。

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今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」について⑤

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」では、毎年福島からの発言もして頂いています。福島在住の方、避難している方、裁判を闘っている方などなど。そして今年は、「子ども脱被ばく裁判の会・共同代表、同支える会西日本代表」の水戸喜世子さんと「福島わかもの国際交流」のメンバーである阿部ゆりかさんのお二人に発言して頂きます。

水戸喜世子さん!!私は、2012年に次のようなブログを書いています。水戸さんのことを知った時にはとっても衝撃でした。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-2d61.html

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/1979-6b51.html


今もなお水戸巌先生が生きていて下さっていたらと、胸が潰れる思いがします。

そして、2014年には、喜世子さんに「8.6ヒロシマ平和の夕べ」に来て発言して頂いたのです。

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それに関連して、2014年には次のようなブログを書いています。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-21e3.html


http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-d28b.html

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-258d.html


あらためて読み返してみて、また胸を熱くしています。水戸巌先生。あの頃、物理学者として原発の危険性を訴え続け、であるが故に様々な妨害や脅迫を受け、家族がまるで今の福島の被害者のように関西に避難をせざるを得なくなり・・・。やっと同居できるようになった冬、やはり物理の道を歩み始めた二人のご子息たちと槍ヶ岳で遭難。三人も大切なご家族を失われた喜世子さんには、よくぞ生き抜いて下さったと思います。

そして、この福島の事故の後の喜世子さんの投書。そこから喜世子さんの目覚ましい活躍が再開されます。

今年の平和の夕べでは、今子ども脱被ばく裁判などの闘いを語っていただけると思います。安部ゆりかさんは、関西に避難して来られています。水戸さんと共に韓国に行き、若者と交流したりソウル市長に面接したり、国際的に活躍している若者です。このお二人のお話、ことしもきっと胸が痛くなることでしょう。

昨日の、水戸喜世子さんのフェイスブックに書かれた記事、ここに転記させていただきます。水戸様、今年も暑いヒロシマです。どうぞ、お身体にお気をつけていらっして下さいませ。みんな心から楽しみにお待ちしています。

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今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」について③

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」では、毎年沖縄から発言をして頂いています。昨年は、安次富浩さんに、強硬されている辺野古の埋め立て、それに対しての沖縄の人たちの途切れることのない、身を挺しての抗議行動などについてお話頂きました。それは沖縄の問題ではなく、本土にいる私たちに突き付けられる問題でもありました。


そして、今年は高里鈴代さんにお出で戴きます。高里さんにお願いして、行きましょうとお返事を頂いた時には、本当に飛び上がるほどうれしかったのです。

高里さんのお話を伺ったのは、もうずいぶん前、おそらく20年も前になるでしょうか。性教協広島で講演していだたきました。当時、強姦救援センター・沖縄の代表をなさっていました。今もですが。それはそれは、大変なお話で。沖縄の女性たちが、主に米兵によりどんな仕打ちを受けているか、聴いていて、胸が猛烈に痛くなりました。その後も、沖縄の女性たちの状況は変わることがありません。どれだけの女性が性暴力の被害に遭い、または命を奪われているか。

高里さんは、1989年から2004年まで4期15年那覇市会議員を務められました。現在、「強姦救援センター・沖縄」代表。「基地・軍隊を許さない女たちの会」共同代表、「軍事主義を許さない国際女性ネットワーク」沖縄代表。島ぐるみ会議共同代表等、日々、大変忙しく、沖縄と女性たちのために活躍されています。いえ、それは沖縄のためというより、私たちのために働いて下さっているといってもいいでしょう。

写真は、昨年11月の東京で「止めよう、改憲発議・・国会前行動」で発言していらっしゃる所です。

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その発言は、ここにあります。ユーチューブの動画です。
 
https://www.youtube.com/watch?v=xgSCxZaTrH4

昔から変わらぬ歯切れのいい、力強いお話です。この高里さんのお話がまた広島で聴ける事、本当にうれしく思います。

どうぞ、皆さん、聴きに来てくださいませ。8月6日の広島で、お話を聴きましょう。そして考えましょう。行動しましょう。

 

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今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」について②

8.6ヒロシマ平和の夕べの今年の被爆体験は、切明千枝子さんにお願いしました。

 切明さんは、1929年生まれ、県立高等女学校4年生の時に被爆、ようやくたどり着いた学校で、次々と死んで行った下級生たちを、校庭で火葬にしたという壮絶な体験をされました。その体験の基づいてのお話は重いものです。

被爆屍体 井桁に組みて 焼き棄てし 広島に七十たびの 夏めぐりくる~切明千枝子『現代万葉集』2016年版


以前、切明さんのお話をお聞きした時には、今の社会について、強く警告をされました。このままでいくと、またあの惨劇が繰り返されるようになると。

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この証言を聞いた時の記事はここにあります。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2018/03/post-8399.html

①から一日置いて全部で4回に渡って書きました。この貴重な証言をぜひ全国から来られる方たちに聞いて頂かなければとの思いで、今年の平和の夕べでの被爆証言をお願いしました。

今、広島では証言をして下さる方たちが少なくなり、体験の伝承者の育成に力を入れています。いつかは、その方たちに証言をお願いしなければならなくなると考えています。だからこそ、今のうちに、直にしっかりお話を聞いておきたいと思うのです。

今年も、素晴らしい方の証言を聴くことができることをうれしく思います。ぜひ、聴きに来てくださいね。

 

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今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」について①

8.6ヒロシマ平和の夕べについて。すでにフェイスブックでは、多くの仲間たちからその出来上がったチラシのアップがなされていますが、このブログでも丁寧にお話したいと思います。

何より、今年もこの会を開くことができることをしみじみうれしく思います。この会については、ご存知の方も多いでしょうが、続けて行くことができないような危機もありました。が、やはり多くの仲間たちの想いが強く、何とか続けることができています。

そして、その内 容も。今年もこれまでと変わらず、充実した内容で行うことができます。参加し、お話しましょうと承知して下さった皆様、本当にありがとうございます。

それでは、今年のフライヤー、チラシをご覧ください。今年も、力を入れて作ることができました。

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このチラシを読んで戴くだけでも、なんらかのお役に立てるように。そんな思いで作ったものです。

チラシには沢山の写真も掲載しています。8.6ヒロシマ平和の夕べの表題の右側の写真は、昨年李鐘根さんが被爆体験で話して下さったように、毎年基町高校の生徒さんが描いている絵の中の一枚です。「橋のたもとで」と題する一枚は、資料館に使用の許可をいただいています。

今年の平和講演は、弁護士の河合弘之さんです。弁護士さんでもありますが、ドキュメント映画「日本と原発」のシリーズの監督さんでもあります。そして、「被爆地ヒロシマが被曝を拒否する-過去は変えられないが,未来は変えられる-」とした、伊方原発運転差し止め広島裁判の弁護団長でもあります。

この写真は、伊方原発広島裁判応援団の冊子の表紙から頂きました。

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3.11以降も全国で次々と起こる地震。にもかかわらず、地震列島日本で次々と再稼働される原発。そんな今、広島・長崎などの被爆と、原発においての被曝についてお話し頂くのに、最もふさわしい方だとお願いしました。講演のタイトルは「ヒロシマ、フクシマ、原発再稼働」~核と自然エネルギーの過去・未来・現在~。お忙しいお体にも関わらず、気持ちよく引き受けて下さいました。心からありがたく、うれしく思います。お話を聞けること、とても楽しみです。

明日も続きをお話しますね。

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「アイたちの学校」

お墓掃除は鶯やひばりの鳴き声を聞きながら1時間かけてきれいにしました。買って行った沢山のお花たちもきれいに飾りました。そのほか、夫はひたすら庭の草取りや樹の剪定。私はレセプトもしたし、スライドは一つの講演分だけ作りました。もう一つは、帰ってからにします。

私たちは今日広島に帰ります。福岡経由で次兄の所に寄るつもりです。多分、高速道はもう混んでいないでしょうね。

さて、5月3日の憲法記念日。横川シネマに「アイたちの学校」を観に行きました。アイは「子ども」の意味。「子どもたちの学校」です。

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北海道朝鮮学校の記録映画、「ウリハッキョ」は観ましたが、今回のアイたちの学校は、日本の朝鮮学校の100年間にわたる差別と闘いの歴史と現在の学校の姿を丁寧に描く長編ドキュメンタリー映画でした。

戦後、帰国事業の打ち切りなどで日本に残った朝鮮民族の方たち約60万人。その子弟たちの教育のために学校を作り、民族教育を行おうとします。これは、外国にいる日本人が子どもたちの教育のために日本語学校を作り、そこに通わせていることと何ら異なりません。日本人でも、現地の学校に通えとその国が言うことは、国際条約に反する事。しかし、朝鮮学校に対する弾圧はすさまじい物でした。1948年、GHQと日本政府は、朝鮮人学校閉鎖命令を出し、強硬しました。

それは、警察官を大量動員し、武力でもっての強硬。抗議する子どもたちへ発砲し、わずか16才の金太一少年少年が頭に銃弾を受け、死亡します。そのほかにも胸を撃たれた子など、多くの死傷者を出しました。日本政府はここまでひどい弾圧をしたのかと、改めて戦慄しました。その差別政策は、今もなお続きます。

2010年、政府は高校無償化制度から朝鮮学校のみを排除し(インターナショナルスクールや台湾の指定の学校など他の外国人学校は無償化の対象とされています)地方自治体も次々と補助を打ち切りました。それに対し、多くの学校の子どもたちや保護者が裁判に立ち上がっています。

これを元文科事務次官の前川喜平さんは「官製ヘイト」と表現されました。

これらの仕打ちにもめげず、子どもたちは学校で生き生きと学び、そして粘り強く闘い続けています。「この世に差別されるべき人間は一人もいません」これは、大阪朝鮮高級学校の生徒の言葉です。

日本による弾圧の歴史をあらためて見て、本当に恥ずかしく、怒りがわいてきました。全ての日本人は、この映画を見るべきだと思います。特に、政治家は見なければ。

このような映画を作って下さってありがとうございます。

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憲法記念日

私は今、大分別府にいます。我が家の草取り、掃除をしなければという事でやってきました。義母が亡くなってから、あまり帰ることがなくなっていましたので。昨日朝フラワーフェスティバルの日韓親善協会に行ってご挨拶をし、キムチチャーハンとチヂミを分けて頂いて出発しました。ほとんど渋滞もなく、明るい内に到着できました。

さて、一昨日、5月3日の憲法記念日、朝から毎年恒例の、出来上がったばかりの「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のチラシを配りに行きました。アステールプラザでの「許すな!安倍改憲発議2019平和といのちと人権を!5.3ヒロシマ憲法集会」と、午後の県民文化センターでの「2019広島憲法集会「マイライフ・マイ憲法」」の入口で配りました。

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午前中の集会には、ギリギリまでチラシ配りをして、会場に入りました。大ホールはいっぱいの人。私は遅かったので、二階に行くようにといわれ、二階席の一番前に座ることができました。全体がよく見え、よく聞こえる席でした。

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これだけの人が参加されていることに、感動しました。オープニングは創立60年にもなる劇団月曜会の太鼓構成詩「太田川」。戦争をさせないヒロシマ1000人委員会共同代表の佐古さんの挨拶、そして記念講演はTBS報道特集キャスターの金平茂紀さんによる「抗うニュースキャスターが語る崖っぷちの民主主義」でした。

上の写真にあるスライドは、金平さんが影響を受けて来た人・モノなどです。筑紫哲也さん、忌野清志郎さん、ロシヤ語通訳の米原万里さん、ジョン・レノン、井上ひさしさん、原子力資料情報室を作られた高木仁三郎さんなどなど。どなたも、権力におもねることなく、意思を貫いた方たち。それに憲法ができてまもなく文部省が作った「あたらしい憲法の話」。筑紫哲也さん、今も生きて下さってたら、どれだけの発言をされていただろうかと思います。

今回の改元についての報道、テレビ・新聞の報道、延々と報道し続けることの異常さについて。そもそも元号というのは、中国の皇帝が起源であって、絶対権力者が空間と時間を支配するための表象であると。ああ、そうかと思った事。それは、平成の天皇・皇后が国民に寄り添ういい人のイメージについて。天皇制とその人がいい人であるか否かはまた別の物だと。そして、平成の天皇がなさった、被災地や沖縄に何度も行き、避難した人へ暖かくお言葉をかけられたという事。確かにいい方だったと。でも、その行為は、「天皇が非道な政治の「補完」機能を
果たしていないか。」被災者に寄り添いお言葉をかけられても、避難した人達の状況は変わらない。政治がその方たちに手を差し伸べるべき事をしていないまま。天皇が何度も沖縄へ行かれても、辺野古は変わらない。「非道な政治の補完をしている」という事に、ほんとうにハッとさせられました。

メディアついて、高市発言、「いう事を聞かない社の電波を止めることができる様にしたい」というのは、まさに民主主義の破壊であると。でも、メディアには、着々と圧力がかけられ続けていると。圧力によりNHKのクローズアップ現代の国谷裕子さん、テレビ朝日の岸井さんや古舘さんなどを一斉に降板させた事も。東京新聞の望月記者に対しての圧力も。

しかし、現場では、そのような圧力に何とか耐えながら、素晴らしい番組を作る人たちもいるという事。その人達を支えるのは、私たち視聴者であり、国民であるという事。

最後にメディアの役割は

〇事実の正確かつ迅速な伝達、「知る権利」への奉仕
〇Agenda Setting 議題設定
〇Watch Dog 権力を監視する
〇少数者Minority の視点
〇多様な意見の確保Diversity

であると言った上で筑紫哲也さんが亡くなる前に最後の多事総論で語られた動画を流されました。それは、ここにあります。

https://www.youtube.com/watch?v=u7LtaYdnGMo


最後行った集会アピールは次のごとくです。

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午後の集会の入口でチラシを配った後、自転車で急いで横川シネマに「アイたちの学校」を観に行きました。待合の椅子に座ってパンを食べていると、びっくり。その金平さんが入って来られたのです。金平さんは、「アイたちの学校」の前に上映されている「眠る村」の後にトークをなさるために来られたのでした。急遽、8.6ヒロシマ平和の夕べのチラシをお渡ししました。金平さんは、平和の夕べに来られる高里鈴代さんと近々本を出されるのだと。トークも、中に入れて頂いて聞きました。「眠る村」は、「人生フルーツ」などのドキュメントを次々と作っている東海テレビ作の映画です。金平さんがゃおっしゃった「現場」で権力におもねることなく、番組を作り続ける人達が確かにいる。まさにその作品の一つです。今度はいつか、観に来なくっては。「アイたちの学校」には、号泣しました。これについてはまたお話しますね。

その後に行ったカープも巨人に勝って、私にとってとても有意義な「憲法記念日」でした。

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「被爆者はどこにいても被爆者だ」③

朝鮮半島出身の方たち被爆者は一体何人なのか、これはいまだにわかっていません。あくまでも推測ですが、当時強制連行や徴兵で広島にいた方たちが約5万人、長崎が約2万人、合わせて約7万人。広島と長崎を合わせた被爆者が約70万人とされ、ですから、10人に1人が朝鮮半島出身の方たちと推測されます。

今、韓国に在住で、韓国人被爆者協会に登録されている人は、約2300人ですが、その全ての方が被爆者手帳を持っているわけではありません。以前、日本に来れば被爆者手帳が交付されるとされていましたが、今では韓国の大使館で交付されるようになりました。しかし、それでも条件が厳しく、二人以上の被爆者の証人が必要とされています。いくらその時の状況を話しても、証人が一番とされており、今、会員の中でも67人のかたに手帳は交付されてないそうです。手帳が在れば、今は韓国内の病院での治療も治療費が出るようになりました。いったん支払っておいて、後で日本政府からそのお金が返されるというシステムでしたが、それもだいぶ改善されて、今では28の病院で日本と同じように、個人のたて替えはしなくとも良くなっています。それには、韓国赤十字が粘り強く、全国の病院を説得して下さっていると。

このように徐々に改善されてはいても、それは手帳の有るひとに限られているし、それに、金子さんがおっしゃっていました。それらは、すべて、裁判で頑張って勝っていく中で日本政府が徐々に認めざるを得なくなったものなのだと。

 これらの闘いを、市場さんなど、韓国の原爆被害者を救援する市民の会の方たちがずっと支援されてきました。市場さんのお話は、とても明快でした。これまで、1965年の日韓条約で、話してこられなかったのは、サハリン在住の韓国人、従軍慰安婦、そして在韓被爆者のことだと。そして、在韓被爆者については、やっと医療の面で、国内と同じように支援する体制が作られてきましたが、後なされていないのが、謝罪と賠償であると。

1990年に日本は40億円払うから、これで終わりにとしましたが、それらは、使い道が決められており、医療体制の充実などに使われ、個人に賠償されるものではありませんでした。

そして、さらに悲惨なのは、北朝鮮の在住被爆者です。北朝鮮については、国交がない事を理由として、世界中で唯一この国に在住の方のみ、「被爆者としての支援」がなされていません。それどころか、実態すら調査されていません。金子さんの話によると、朝鮮被爆者協会が2008年に調被爆者実態調査をした1911人の被爆者の内、382人が生存しており、2018年にその382人の調査をしました。うち111人の調査が終了しており、生存が60名。死亡が51人。死亡率は45.95%。厚労省が把握するこの10年間の被爆者手帳取得者の死亡率は、この10年で約38%くらいと。比較すると、8%も高いと。在朝の多くの被爆者が十分な医療を受けることも無く、亡くなって行っています。

今年の4月22日、「北朝鮮に在住する原子爆弾被爆者に対する支援について」厚労省と交渉したそうです。が、厚労省は、2001年に調査したデータしか持っておらず、後なんにもしていなくて驚いたと。本来なら、北朝鮮に居住している被爆者であっても、被爆者援護法が適用される事になっているのです。

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そして、在朝被爆者支援全国連絡会議として日本政府に要請書を提出したとのことです。その要求は、次のごとくです。

1、在朝被爆者について、何ら対策が取られてこなかった現状について、率直にお詫び・反省し、朝鮮人被爆者の支援について、基本的な方策を明らかにすること。
2、在朝被爆者支援のため、現状を早急に把握し、被爆者援護法に補償されている権利を実現するための方策を確立すること。
3、在朝被爆者が被爆者健康手帳を取得することが困難な状況にあることを認識し、放射線などによる被害と高齢化のため、健康状態が深刻化している現状に鑑み、人道上の立場から、緊急の対策を講じること。被爆2世、3世への対策も講じること。
4、異常のような対策を実現するため、共和国と公式、非公式の協議を直ちに開始すること。

これに対し、厚労省からは、これまでの在外被爆者に対する対策をなぞっただけの、全く誠意のない、あきれるような返答があっただけです。金子さんは、市民の立場からどんな支援ができるか検討し、幅広く支援を呼びかけるとされました。

以上、不十分ではありますが、「被爆者はどこにいても被爆者だ」の講演会のご報告でした。

 

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「被爆者はどこにいても被爆者だ」の講演会②

「被爆者はどこにいても被爆者だ」の講演会では、郭貴勲先生のビデオによるお話と、40年以上に渡って韓国人被爆者の支援を行って来た「韓国の原爆被害者を支援する市民の会」の会長市場淳子さんのお話、それに在朝被爆者支援連絡会議の役員の金子哲夫さんのお話を聴きました。

郭さんのお話。


郭さんは、1924年生まれ。この歳に生まれた方たちは、20才に達したその年に徴兵令が施行され、自分の民族のためでなく、侵略していた日本の傭兵として召集され、多くの人達が亡くなっていると。郭さんの母校全州師範の同窓会名簿では、1番から10番だけをとってものそ内の8人が死亡しているとのことでした。

会の参加者には、郭さんの手記もいだたきました。この手記にも出てきますが、日本は、朝鮮半島の人たちの言葉と名前を奪ったという、これは、本当に許せないことです。小学校でも、一言でも母国後を使うと罰を与えられたと。そして、郭さんは、師範を卒業して、教師になるという事は、何も知らない子どもたちを皇国臣民に育て上げなければならないという、罪悪の一翼を担うことであるという事に気づき、身震いを感じたそうです。

1944年、朝鮮人徴兵令が施行され、満20才、師範学校5学年の時に召集されました。どこに行くかも聞かされず、着いた所が広島でした。つらい軍隊生活、そして、被爆。全身に火傷を負いながら、生き伸びて帰国、高校教師資格試験に合格し、教師・校長を務められます。

同時に、1959年に被爆体験記を発表、1962年から、韓日会談で原爆被害問題を提起するように韓国外務省に訴えることを始めとし、韓国原爆被害者援護協会設立に尽力されました。

1974年には、三菱重工業本社を訪問し、三菱徴用工未払賃金支払いなどで交渉。被爆者健康手帳を申請するも、拒否されます。
1979年8月に被爆者健康手帳を取得されました。
1998年5月、大阪阪南中央病院に入院治療。健康管理手当の支給を受けるも、出国すると打ち切られます。

1998年10月に、日本政府と大阪府知事を相手に被爆者資格確認訴訟を提起し、在外被爆者に対する差別撤廃を追求されました。
1999年11月には、第8回口頭弁論で、米国原爆被爆者協会名誉会長の倉本寛司産と、ブラジル原爆被害者会長の森田隆さんが在外被爆者差別の不当性を証言。
2001年6月大阪地方裁判所で一審勝訴。
2002年12月大阪高等裁判所で二審勝訴。

2003年、日本政府は在外被爆者に援護法を適用することにしました。

「被爆者はどこにいても被爆者」という、郭さんの訴えがやっとやっとこの時に認められたのです。被爆から58年、本当につい先日のことなのです。

その後も、ピースボートに乗るなどで、世界中で韓国人被爆などの事実を訴え続けられています。また、三菱徴用工の交渉、裁判などでも、粘り強く闘いを続けられました。

市場淳子さんは、韓国人被爆者の様々な支援活動にずっと取り組んで来られました。明日、市場さんのお話と金子さんのお話を報告しますね。

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