早志百合子さんと基町高校の生徒たちが描いた絵

2020年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」でも証言していただき、その後も精力的に証言活動をしていらっしゃる早志百合子さん。証言して戴く前にここに早志さんについて書いています。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2020/04/post-524ac9.html

その早志さんとその体験を絵に描いた基町高校の生徒たちとの交流を描いたTSSの番組がYoutubeで見られます。アドレスは、次のごとく
です。

https://www.youtube.com/watch?v=239HeCrK2dU


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基町高校の創造表現コースの生徒さんたちは、被爆者の証言を絵にしてきました。今回、早志さんの体験を描く二人の生徒さん、1年生から3年生になるまでかかって一枚の絵を完成させました。

早志さんのお母さんが残された鉛筆書きの絵、それと早志さんの証言とで、生徒さんは描こうとしますが、なかなか思うように描けません。何度も早志さんのお話しを聴き、下絵も見てもらいながら・・。

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完成した絵を見て、早志さんは涙ぐみます。

ぜひ、動画を見てくださいませ。残されたこの絵は、これから世界に向けて核兵器は三度使ってはならないと強く訴え続けることでしょう。そして、86歳になられる早志さん、どうぞこれからもますますお元気で、若い人たちに証言を続けていただきたいと、そう願います。


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劇団民芸「泰山木の木の下で」に怒っています。②

私は今、三次にいます。診療を済ませて、午後7時からリモートで今度の日曜日の沖縄CAPの講演の打ち合わせ、というか、リモートがうまくいくかどうかの予行演習でした。特に、動画がちゃんと動いて、発信できるか。これが一番の心配なことだったのですが。すべてO.K.で安心でした。もう350人も参加の申し込みがあるそうです。頑張らなければ。それが済んでいったん家に帰って、それから車で三次にきました。

 明日の朝早くから、三次の中学生に話をします。それについて、今朝、教育委員会の担当の方から電話がありました。「先生、雪です。」と。「大丈夫。私は今晩三次に行って泊まるから、もし朝行けなかったりしたら大変だから、前夜から行くことにしているから」と言って安心していただきました。

 ところが、うちを出る時は全然その気配もなかったのに、西風新都に入ると、雪が舞いはじめました。そして、ずっとずっと雪。その中を突っ切るようにして走りました。高速でも、雪のために50キロ制限だと。(誰も守りませんが)それに、ラッキーなことに、中国道の途中から山口方面に行くのは、チェーンがないとダメ、千代田から浜田方面への浜田道もすぐからチェーンが必要、三次を過ぎてすぐ、庄原からもチェーンが必要と。私が行く三次インターまでは、スビート制限のみでよかったです。朝だと、きっと凍結で来るのが難しかったでしょう。

 今、ホテルの部屋ですが、暖房が入っているのに、窓から冷気が直撃します。ダウンのチョッキを着ていても、寒さで鼻水が出てきます。外は、雪が止まることなく舞っています。明日の講演は体育館だそうで、寒いかも。

 ということで、さて。昨日の続きです。多くの皆さんが一緒に怒ってくださって、少しほっとしました。

「被爆者から奇形児が生まれる」という偏見について。特に、劇にあるような「無能児」について。これは、母親の胎内で、期間形成期、それも大脳が作られる16週までに強い放射線を浴びた場合に起こる可能性があります。しかし、木下刑事のように被爆者が後に妊娠した場合は、胎児が被爆したわけではないので、その頻度が上がることはないのです。胎内被爆児の中には、頭が小さくて知的障害のあるいわゆる「原爆小頭症」の子たちが生まれたことは知られています。しかし、それも、母親が妊娠中に原爆による被爆をした場合であって、被爆者がのちに妊娠して同じような障害のある子が生まれる頻度が上がるという証明はありません。それを混同して、まさに小山氏が書いたようなことをするから、それが被爆者差別につながっているのではないでしょうか。ちなみに、無能児は、被爆のためだけに起こる障害ではありません。その頻度は、日本では1500の妊娠に一人の割合で起こるとされています。

劇中の歌は、これです。「泰山木の木の下で・主題歌  わたしたちの明日は」と書かれいます。

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 明日には何があるのでしょう。これだと、何もない。絶望しかないということでしょうか。

宇野重吉さんが書かれたものを読むと、この歌は、宇野重吉さんがまず忘年会で歌うと。そして、小山祐士さんも加わって二人で歌うと。転写します。

『「小さな汽船のなかで—」という劇中の歌は斎藤一郎さんの作曲だが、この曲も小山さんの気に入ったらしい。毎年忘年会のたびに私たちはこの歌を歌う。先ず私がおだてられて真ん中へ出て歌い出す。みんなが唱和する。その中に小山さんの白髪が見える。私は寄って行って小山さんを引っぱり出す。「小さな町でも、大きな町でもー」のあたりからは、したがって私と小山さんとのデュエットになる。これを歌わないと忘年会の感じにならないのである。』

 その昔、私が大学生の時。被爆者や被爆二世の会の一員で、みんなといろいろと考えたり、議論しました。まだまだ結婚や出産に社会の差別も厳しかった頃。その中で、「私たちは産もう」という結論を出して、すっきりしたことがあります。

 それについては、ここに書いています。福島の若い女性たちが、かつての私たちと同じような悩みで苦しんでいることを聞いて、ああ、広島と同じような差別が繰り返されていると、胸が痛みました。そして、私たちのかつてのことをお話ししたのです。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-01e8.html


そして、その後もっとたくさんの若い人が福島から来て、8月6日を中心に広島で過ごしました。その中で、みんなに向けて私が話をしました。そして、そのことを密着取材したNHKの番組になりました。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-99aa.html

私は福島で起こったことは、隠すのではなく、きちんと情報を開示して、何より当事者が自分のことを自分で決めていけるようにすべきと思っています。差別があるなら、それこそ冷静にその差別に向かっていかなければ、と。

作者の小山氏は泣き虫で、これも宇野さんも演劇評論家の尾崎宏次さんも書かれていますが、芝居の練習の時も、演劇が上演される時も、ずっと泣いていたと。誰のための涙か知らないけれど。自分がかってに作り出した「売春をして生きるしかなかった顔にケロイドのある女性」が可哀そうだったから?「奇形児」が生まれた警察官が気の毒だったから?被爆者を憐れんでいるのですか?

それにしても、その女性から「奥さんのところに帰るように」説得されて、彼はその気になるのですが、それでもその説得の後、わざわざ敷いてある布団に抱き合って倒れこんでという場面、売春婦と悩める男のそのような恋愛や情事があってはいけないとは言わないけれど、それを広島の地でする?観客の中には被爆者も、なかでも、人知れず背中のケロイドを隠して生きている人もいたかもしれません。

 この演劇が作られた当時はまだ分からなかったから、そんな劇を作ったのかもしれない、でも、今はもういろいろと分かっているし、まだ差別がなくなっていない今、それを強調して、差別されている人たちの傷口をひろげるようなことは、もうしないでほしいと思うのですよ。すなわち、この演劇はもう封印してほしい、そう強く願います。

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劇団民芸「泰山木の木の下で」に怒っています。①

11月27日、日曜日の午後、「広島文学資料保存の会」主催の朗読劇「神戸ハナという女の一生」を観たと、その日のブログに書きました。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2022/11/post-e0818b.html

そのブログの最後に、「ちょうど時を同じくして、この「神戸ハナという女の一生」を発展させた「泰山木の木の下で」の劇団民芸公演が市民劇場で上演されます。私は、3日の土曜日に観に行きます。」と書いています。小山祐士作のこの演劇。私の好きな劇団民芸。主演の日色ともゑさんは、若い時の「アンネの日記」でその演技を見ています。「神戸ハナという女の一生」がとてもよかったので、私は期待して観に行きました。

しかし、その演劇を見終わったとき、いえ、その上演途中から、私には何とも言えない不快感、もやもやが残りました。最後には、怒りともいえる気持ちにもなりました。以来、「泰山木の木の下で」について書かれたものを読みあさりました。もちろん、当日のパンフレットも買って読みました。

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「神戸ハナという女の一生」の時に第二部で講演して下さった岩崎文人広島大学名誉教授が「小山祐士戯曲集をぜひ読んでみて」と言われたのを覚えていましたので、その全集も買いました。アマゾンでの中古ですが、それでも高価でした。それは、泰山木の木の下でについて、私が間違えた思い込みをもってはいけないという思いもありました。全集の第四巻に「泰山木の木の下で」が収録されています。その台本を読みました。

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「神戸ハナという女の一生」は、元はラジオドラマとして書かれたものです。それをこの度、朗読劇として上演されました。それと泰山木との違い。それは、なんといっても、木下刑事の描き方の違いです。泰山木では、その刑事は、被爆者で、両親が爆死し、彼は施設で育ち、しかも子どもが「奇形児」であると。その奇形児を彼は育てることから逃れ、江田島で妻一人が育てています。私は、まず「奇形児」に引っ掛かりました。奇形児は、せめて障害児に言い換えはできないものかと思いました。劇の中で、何度も何度も「奇形児」と言われ続けました。さらに彼は、妻にその子を押し付けておいて、売春婦の元に通います。その売春婦は、顔にケロイドを負っています。その設定も、私はすごくいやでした。

 もやもやした私は、板倉勝久さんに電話をして尋ねました。板倉さんは、高校の演劇部の先輩で、RCCドラマグルーブでもご一緒していました。そして、この度の朗読劇では木下刑事の役を演じられました。

板倉さんは、泰山木は見なかったと言われました。私が尋ねたのは、朗読劇には、木下刑事が被爆者でかつ「奇形児」の父親であることは書かれていたのかということです。それを、あえて削られたのか、又ははじめっから書かれていなかったのかと。そしたら、はじめから書かれていなかったそうです。それに、演出かつハナの役をされた土屋時子さんが「木下も被爆者としたらいいのではないか」と考えられたと、でも、それは岩崎先生が強く反対されて、結局それは採用されなかったと。それで、小山祐士さんが、ラジオドラマをたたき台にして戯曲を書く時に木下刑事の役をそう設定されてのだとわかりました。

さらに、私が観劇中にはきっと聞き逃していたのでしょう。台本を読んで、木下刑事の「奇形児」は、実は無能児であると知りました。であるのなら、なおさらです。劇中では、その子は「5歳」でした。その時代に無能児がそこまで生きていたら、それは世界中の奇跡です。私は大学病院時代に何人もの無能児の赤ちゃんを見てきました。が、その子たちはみんな数日以内に亡くなりました。今、無能児の子をなんとか生かして、臓器移植のドナーとしたらどうかという論議もありますが。

そして、被爆直後には、無能児があちらこちらで生まれたという話も聞きます。でも、その子を育て続けることは不可能です。台本には、その育てている子のことを「サル顔」という言葉も出てきます。

 わかっていただけるでしょうか。被爆者がなぜ社会から差別され続けてきたか。被爆者と結婚すると「奇形児がうまれる」というこの偏見にどれだけ被爆者やその子たちが苦しめられてきたか。

 せっかく「岩崎夫人」が、中絶を思いとどまって元気な赤ちゃんを産んだという、暖かい設定もあるというのに。

 被爆者や二世が、とたんの苦しみの中で産む選択をしてきた、私も含めた多くの人の歴史があります。今、この現代に、この演劇を全国でして回って、それがいまだに続く被爆者差別を扇動することにならないでしょうか。

 私は、観劇から10日経った今もなお、怒りがふつふつと沸き上がるのを抑えられません。まだまだ言いたいことがたくさんあります。それは、パンフの中にもあるような、この演劇をほめそやす人たちについても。「広島の人々が背負った「罪」」というタイトルで、劇評を書いた人。顔一面にケロイドのある女性が「売春してしか生きていくことができない女性」と書いています。それを何十回も顔の手術を受けながら、強く生き抜いてきた女性たちに向かって言えることでしょうか。また、彼はこうも書いています。「人々は、原爆の呪いにかかった時から、白黒つけることができないグレーの世界を生きていかなければならなくなる。それが原爆の十字架を背負いながら、戦後を生きるということなのだ。」「原爆と関わった人々は、罪を背負ってグレーの世界を悶えるように生きていかなければならない。社会はその生き方に黒白をつけるより先に、抱えているものの重さを知れ。」何が罪を背負ってですか。大きなお世話、あなたに言われたくないわ。下品だけど、私はそう思いました。

劇中にうたわれた「救いのない歌」についても。

また、明日に続きます。

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高校生が描いた原爆の絵画展

昨日は、とても忙しかったのですが、昨日が最終日なので時間を作っていきました。「聞き、描く。共に、描く。高校生が描いた ヒロシマ原爆の絵画展」です。実物の絵を見たくて。

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これまでも、いろいろ被爆証言の方の絵をスライドで見てきました。どれも、基町高校の生徒さんが描いたものです。残念なことに今年亡くなってしまった李鐘根さんの証言の時の、馬が死んでいた絵、お母さんがアイゴーアゴーと泣きながら、鐘根さんの首のやけどに沸いた蛆を箸で取ってくれている絵等、強烈な印象でした。鐘根さんは、今また高校生に絵を描いてもらっている、それは原爆が落とされた瞬間のあの光を描いてもらいたいのだが、その色がなかなか出せないのだと、お話しなさっていました。描く高校生はさぞ大変だったことでしょう。亡くなるまでに無事出来上がったでしょうか。

 今年の被爆証言の小倉桂子さんの、被爆者の遺体や苦しむ人がたくさん描かれた絵は、息をのみました。

 被爆者の証言をしっかり聞いて、場を定め、描き、何度も証言者の訂正を受けながら、さらに描き加えていく。それは大変な作業でしょう、それを基町高校の生徒さんたちは描き続けています。

 証言をする方たちが、これらの絵をスライドにして写しながら話をされる時、その絵が証言する方の場面をそのまま再現したように、迫力をもって迫ってきます。

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小倉桂子さんは、やはり、アメリカで証言をしたときにこれらの絵をスライドにして映したと。ある小学校で、生徒が「こんなひどいことをしたのは、どこの国なのですか?」と質問をしたのだと。で、小倉さんは、「ごめんなさいね、アメリカなの」と答えたら、その少女は「オオ、ノー」と首を振ったと。

これらの絵は、核兵器の残酷さを何よりも実感をもって人々に迫ります。

身に来てよかったです。それに、写真撮影禁止となっていなかったので、うれしかったです。基町高校生の皆様、本当にありがとうございました。これからもご活躍を期待しています。

 

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ああ、米澤鐵志さん・・。

訃報が届きました。米澤鐵志さん。

電車内被爆者。満員電車で被爆し、奇跡的に生き延びて‥。一昨年まで毎年「8.6ヒロシマ平和の夕べ」に参加して下さって、最近ではまとめの役をしてくださっていました。ここの所、コロナのことがあるし、そして今年は少し体調が悪くて、と、お目にかかることができないままでした。悲しい・・。

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2011年8月、被爆電車に乗って証言をしてくださいました。その時のことを私のブログに書いていますので、転写します。

被爆電車・平和学習



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昨日は、平和の夕べの最後の企画、被爆電車・平和学習を行いました。

 広島駅から、被爆電車に乗りました。被爆した電車は今二台だけ現役で動いています。その一台を貸し切りしました。駅前から原爆ドーム前までの約20分運転して頂きました。沢山の皆様に集まっていただきました。

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中では、電車内被爆者の、今、おそらくただ一人の生存者といわれている米澤鐵志さんの説明を受けました。

 米澤さんは、広島駅前で乗った電車が八丁堀の福屋デパートの前に差し掛かったところで、被爆。 米澤さんが被爆した辺りの風速は約220メートル。ほとんどの木造家屋は、吹き飛ばされ、約30メートルも舞い上げられ落とされたこと。当然電車のガラスは吹っ飛んで窓際にいた乗客にびっしり刺さったこと。電車を運転していた女性は一瞬にして真っ黒に焼かれて即死したこと、などなど・・・・。

 そこから白島に向かって逃げたこと。その途中で見た人々の姿。さらにそこから迫ってくる火に追われるように逃げますが、途中から米澤さんもお母様も激しい頭痛と嘔吐に襲われひどく吐いたこと。

 20分はアッという間でしたが、それでも、ここで被爆して、この道をこっちに逃げたなどとてもリアルに実感できました。


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その後は原爆資料館東館の研修室に場所を移し、そこで二時間のお話をして頂きました。そこから新たに加わった人たちもいて、超満員。通訳のいらっしゃる外国人の方も含めて、後ろには追加の椅子を出し、さらに立ち席も出てしまって、申し訳ないことでした。

 米澤さんは、お母様と命からがら当時疎開していた田舎に戻り、戻ってからのひどい急性症状。それによりお母様は亡くなり、被爆はしていなかったのに、お母様の母乳を10日飲んだだけの一才の妹がやがて髪が抜け、紫斑が出て亡くなってしまったこと。ご本人もひどい状況から奇跡的に立ち直り、元気になったことも語られました。

 すでに何回もお伝えしていますが、このようなことをリアルに語ってくださる方たちはもう少なくなっています。今回の米澤さんのお話を聞くことができて、とてもありがたいことだと思いました。

 これですべての企画が終わりました。無事に終えることが出来たこと、参加してくださった皆様に感謝申し上げます。それから、広島ブログの方たちも多く参加してくださり、それぞれに記事を書いて下さってありがとうございました。(以下略)

もう一つ、2013年10月2日、米澤さんの二冊目の出版記念会に私が寄せたメッセージについて書いています。それも転写します。

「米澤さんの出版を祝う会」

 9月29日、京都で米澤さんの「出版を祝う会」が開かれました。私は広島での講演があって行くことができませんでしたが、出席した関西の仲間が写真と共に報告を送ってくれました。沢山の方が駆けつけて、お祝いをしたと。本は大変な反響を呼び、ひと月ですべて売り切れて、今、増刷をしていると。

 以下、私がその会に送ったメッセージです。

 米澤鐵志さんは、私たちが行っている「8.6.ヒロシマ平和の夕べに」毎年参加し、そして被爆電車に乗り、その時の体験を話して下さいました。毎年、この関連企画「被爆電車と平和教育」は大好評で、被爆電車はいつも満員です。

 11才の少年が満員電車に乗っていて被爆し、その後も過酷な人生を生き抜いたというお話しは、何回聞いても涙なしでは聴くことができません。一緒に電車に乗っていたお母様もその母乳を飲んだ妹も亡くなってしまって。被爆の地獄を見た11才の少年の心中は如何ばかりだったかと思います。

 私は、米澤さんと川一つ隔てた町で育ちました。原爆の廃墟の中で、落とし穴を掘っていると、ぞろぞろと骨が出てきました。被爆直後に生まれた私は、そんな廃墟は知っていても、現実に被爆した現場を知りません。

 米澤さんが体験した、そのお話しはとっても貴重であり、聴く人の胸を打ちます。もう、三度核は使ってはならないとの思いを強くします。でも、その体験を証言して下さる被爆者は、次々と癌にかかり亡くなってしまっています。米澤さんと同じ町に生まれ育ったはだしのゲンの中沢啓治さんも亡くなってしまいました。

 そして、今、米澤さんの「本」ができました。中沢さんが「はだしのゲン」を残したように。今、米澤さんの体験や思いは、子どもたちに広く伝えることができるようになりました。本ができると聞いた時、思わず、ああ、良かった!!とつぶやきました。
米澤さんには、これからも、命の続く限り、みんなに、特に子どもたちにお話しをして上げて戴きたいのです。戦争とはどんなものなのか、原爆の投下がどんな状況を作り出すのか。「あの本の米澤さんだよ、本物に会って話を聞いたよ」。その体験は、一生残り続けるに違いありません。

 今日は、駆けつけたい思いで一杯なのですが、ほかに予定があり、残念です。広島の地から、想いを馳せますね。

米澤さん、どうぞ、これからもお元気で。そして、これからも「8.6.ヒロシマ平和の夕べ」にはお元気な姿を見せて下さいね。

        「8.6.ヒロシマ平和の夕べ」実行委員 産婦人科医
                         河野美代子


米澤さんの二冊の本です。

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米澤さんは、一緒に電車で被爆したお母さんもその母乳を飲んだ妹さんも被爆からほどなく亡くなりました。11歳だった少年が、奇跡的に生きた後、生き抜くのがそれは大変だったことでしょう。そして、彼は活動家になりました。私が、李実根さんにお話しを聴いた、プレスコードで原爆を語ることができなかったとき、福屋の屋上からビラをまいた話。どうやって逃げたか、ということ等を詳細に話を聞きました。そのビラを持って行ったのが少年だった米澤さんだったと。もっともっと話を聞いておきたかったです。

ご冥福をお祈りします。

 

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小倉桂子さんのドキュメント。

今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」で被爆証言をしてくださった小倉桂子さんが、この度、85歳という高齢を押して、アメリカに証言に行かれました。そのルポが、NHKで放送されました。それは、素晴らしいドキュメントでした。中国地方のローカル放送でしたが、今はNHK+で全国で見ることができます。ぜひ、ご覧下さいませ。広島以外の方たちにこそ、見ていただきたいのです。

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https://plus.nhk.jp/watch/st/340_g1_2022102839602

NHKプラスに登録していない人は、登録からですが、簡単に仮登録ができて、すぐに見られます。私は、テレビでは見ていたのてすが、このブログのためにもう一度見る必要があって「NHK広島コネクト小倉さん」と検索したら、すぐに画面が出てきて、そこでNHK+の手続きをしました。

アメリカの小さな町。広島から16時間かけてたどり着いた小倉さんは、ひどく疲れていました。それでも、頑張って、証言をします。アメリカのその町の人たちは、広島のことは知らないし。原爆は、戦争を終わらせるために必要だったとの意見が圧倒的です。その町で、彼女は話す前に人々の話を聞きます。そして難しい雰囲気の中で語ります。彼女は、40代で被爆者として市政の活動していた夫が亡くなってから、英語を学び、広島通訳ガイドの会を立ち上げた人です。広島でも、世界中から来る人達に英語で証言をしてきました。

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話しを聴いたたあと、400人の人たちがみんなスタンディングで拍手する姿を見ると、涙が溢れました。

こうして高齢でも、頑張っている人たちが広島にはたくさんいます。

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小倉さん、お帰りになってもそうそうゆっくりはできないでしょう。でも、少しは休んでくださいね。疲れが取れたら、また忙しくなさるのでしょうから。小倉さんがまいた種は、世界中で芽を出し、大きく成長することと思います。本当にありがとうございました。

 皆様、ぜひ見てくださいね。

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映画「原発を止めた裁判長」のチラシです。

今日の深夜に書いたブログ、樋口英明さんの映画「原発を止めた裁判長」について。私はこの映画のチラシをクリニックに送ってもらっていたのですが、手元に持っていなかったので載せることができませんでした。

今、ここにアップしますね。実は、パソコンが新しくなって、それもこれまで使っていたウインドーズ10から11にバージョンアップしているので、まあ、さっぱりわからないことだらけで、四苦八苦しています。それでも、何とかチラシをスキャンして、ピクチャーに入れて、ここにアップできるようにまでなりました。

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今日は私は行けませんでしたが、副題の「そして原発をとめる農家たち」のタイトルにも強く惹かれます。観に行かなくっては。明日は、樋口さんは大阪で舞台挨拶をされます。大忙しですね。どうぞお体を大切になさってご活躍下さいますように。

 私、今日の診療後マッサージに行きました。クリニックの隣のマッサージさんは目の不自由な方たちがされている本格マッサージです。右の肩から首までカチカチになっていたのが、少しほぐれました。五月から五か月振りでした。

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今日、樋口英明さんの舞台挨拶があります。

昨日、帯広から無事広島に帰っています。とても楽しい一日でした。が、今日は緊急のご連絡を。明日から横川シネマで、「原発を止めた裁判長」が上映されます。明日は、樋口英明さんの舞台挨拶があります。

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作夜、診療を終えて駆け付けました。樋口さんを囲んでの歓迎会です。反原発の方たちが集まっています。伊方原発広島裁判の原告や弁護士さん、仏教やキリスト教関係などの方々。話が弾みました。私も伊方原発訴訟広島裁判の原告の一人です。

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樋口さんには、2020年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」で講演していただきました。「危ないものは止める」と、極めて明快なお話でした。

樋口さんの講演については、次のブログに書いています。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2020/06/post-91eb03.html

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2020/09/post-5ac7b4.html

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2020/09/post-8dec5b.html

私は、残念、土曜日なので、診療があって樋口さんの舞台挨拶には行くことができません。映画は必ず観に行きます。全国の多くの方が見てくださいますように。

 

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」李鍾根さん、水戸喜世子さん。

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」にこれまでかかわって下さった方たちがずいぶんお亡くなりになりました。京都大学原子炉実験所の小林圭二先生、はだしのゲンの中沢啓治さん、ずっこけ三組の那須正幹さん、スタッフでもあり僧侶でもあり、司会もされた中村周六さん、スタッフの長崎の被爆者、のらやの原伸幸さん・・。

 そして、また李鍾根さんが。2018年にお話し下さいました。その時には、舞台への階段を駆け上がられたのでした。

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李さんのスライドから。基町高校生が描いた絵。首にわいた蛆虫をお母さんがアイゴーアイゴーと泣きながら箸で取って下さっている所だと。

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今回の平和の夕べで、2018年の韓国人原爆犠牲者慰霊祭に参加した時に、民団の女性たちが慰霊碑を囲んで歌われた慰霊歌の動画を流させて戴きました。悲しい歌です。慰霊祭には、毎年李鍾根さんが参加されていたのですが、今年はお嬢さんに抱かれて遺影で参加されました。

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李鍾根さんのご冥福お祈りいたします。多くの人に被ばくや差別の実態下さったこと、心からお礼申し上げます。

 今年のプログラムの最後は、大阪から駆け付けて下さった水戸喜世子さんにお話をして戴きました。

水戸さんは、早くから原発の危険性を指摘し、原子力研究所の高木仁三郎さんや小出先生の師匠であった物理学者、水戸巌先生の意思を次ぎ、活躍されています。今会の共同代表をされている「子ども脱被ばく裁判」について語って頂きました。

「子ども脱被ばく裁判」は、福島で子育する人たちが「子どもたちに被ばくの心配のない安全な環境で教育を受ける権利が保障されることの確認と実施」と「原発事故後、子どもたちが被ばくを避ける措置を怠り、無用な被ばくをさせた責任の追及」を求め、2014年6月29日、福島地方裁判所に提訴しました。原告は約200人の福島の親子。

 2021年3月1日、福島地裁はすべての訴えを退ける不当な判決を下しました。この不当判決を受け、2021年3月15日、原告118名は仙台高等裁判所に控訴。子どものいのちを守り、被ばくしない権利を求める裁判が、仙台で繰り広げられています。水戸さんは、その経緯を熱を込めてお話し下さいました。私たちが今出来ることとして、仙台高裁の裁判長に一人一人がハガキを出すことと。

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これが参加者全員に配られました。囲みの中一人ひとり自分の思いを書くこと。もう何人もの人がその場で書きこんでいましたよ。

参加者の皆様、出演者の皆様、そして、陰で支えてくださった多くの皆様に本当に心からお礼申し上げます。ありがとうございました。来年に向けて、みんなでしっかりディスカッションしながら、また歩みたいと思います。


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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」平和講演・三宅俊司さん

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」での、三宅俊司さんの平和講演のご報告をします。

三宅さんの自己紹介を兼ねて、参加者に配られた文章です。

 1951年広島市生まれ、1884年から沖縄弁護士会で弁護士として活動しています。母が被爆者で被爆二世であることから、原爆問題をライフワークとしたいと考え、そのためには、沖縄の実相を知らなければ被爆問題は考えられないとの思いから、3年間の予定で来沖しましたが、帰れないまま、38年を経過してしまいました。

 沖縄では、一坪反戦地主会に係わり、海邦国体での日の丸焼毀事件、辺野古、高江反対運動に対する弾圧事件等にかかわってきました。

 沖縄は、先の戦争では天皇制国家護持のための捨て石とされ、戦後は日本独立のための捨て石として異民族軍事支配下に売り渡されました。日本国憲法下への復帰の願いを踏みにじられ、銃剣とブルドーザーで取り上げられた米軍用地を日本法で米軍に差し出され、復帰50年となった今日また、「台湾有事」を口実に琉球列島の島々にミサイル基地群が構築され、戦場への道を強制され続けています。

 沖縄は、文化でも差別と収奪の歴史でした。決して過去の歴史ではありません。明治時代に、本土研究者が琉球奄美の墓地から盗骨した遺骨は、今も京大に学術資料として保管され続け、その変換を拒否し続けています。

 沖縄とどう向き合うべきか。沖縄に強いて来た歴史の検証は、私たちに不可欠の問題だと考えます。

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  • 1951年 広島市生まれ、高校時代は、ベトナム戦争、沖縄闘争の時代。

  • 母は、被爆者・的場町の銀行で被爆。手のひらにガラスの破片が残っていた。父は、「満州」に出稼ぎに行って徴兵され、シベリアに抑留。


1984年から沖縄で弁護士登録 現在在沖38年。


(関与した事件等)


一坪反戦地主会共同代表世話人


これまで


 米軍用地強制使用に反対する訴訟


 日の丸焼毀事件


 靖国合祀反対訴訟


 辺野古・高江の住民訴訟等。


 山城刑事弾圧裁判


現在は、


 高江、派遣機動隊員の活動費負担に関する住民訴訟


 千葉国賠請求事件・・・辺野古海上保安庁のボートによる身体傷害を糾弾する国賠請求


 宮城秋乃刑事弾圧事件・・やんばるに放置された米軍廃棄物を巡る抗議行動に対する不当起訴


 辺野古埋立取消・住民訴訟


 ★明治時代に京大研究者によって沖縄の墓から持ち去られた遺骨の返還請求・・「学の植民地主義」に抵抗する事件。


  京都地裁での遺骨返還請求に連動して、台湾から沖縄に引き渡された遺骨をもとの墓に返すようにとの裁判。

辺野古等の沖縄の工事は本土の企業がそのほとんど請け負っていると。それは富の植民地であると。

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 まさに闘う弁護士さんの、沖縄からの鋭い問いかけに私たちは、うなだれるしかないと思いました。訴え、闘い続けている沖縄の方たちの写真、三宅さんのスライドの一部からです。

大阪から来た機動隊員が沖縄の抗議する人に「ボケ、土人が」と言っている動画、静止の写真にしました。

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私の下手な文章で三宅さんの思い訴えまとめることは不可能ですが。その一部でも伝われば幸いです。三宅さんほんとうにありがとうございました。
 


 


 


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