伊方原発広島高裁異議審不当決定。

 今日の木曜日、休診日でしたが、濃い一日でした。裁判所、弁護士会館でほとんどを過ごしました。今日の広島高裁、伊方原発意議審の決定日、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の山下氏、山本氏も参加します。私も行くよと言ったら、では写真係をしてと言われました。あれ?写真は山下氏撮らないの?と言ったら、今日は山口の人達の裁判で、山下氏等は広島の裁判の原告なので、いろいろと裏方でお手伝い、消毒係をするのだと。午前中クリニックで必死で仕事して自転車で裁判所に駆け付けると、そろそろ人々が集まっていました。しばし待って、皆さん行進をして、弁護士さんたちが中に入って、出てこられるのを待ちました。今日は、法廷ではなく、ただ決定書が渡されるだけなのです。


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沢山のマスコミの人たち。地元だけでなく、テレビ東京、愛媛新聞、大分合同新聞、他・・。

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やがて弁護士さんたちが出てこられたのは、しずしずと歩いて。ああ、負けたのだなあと思いました。

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そして。シーンとして、言葉も出ませんでした。

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この後、弁護士会館で報告集会並びに記者会見が行われました。弁護団の見解がまとめられるのを待っていた時、何と、東海第二原発の再稼働を認めないという水戸地裁の判決が出たとの知らせが。歓声と拍手で、少し元気が出ました。

この後、上関原発建設に反対している祝島の方、水戸もZOOMで結んでの報告会でした。素晴らしい発言が続きました。これらは、また追って報告しますね。

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私は、記者会見の途中で抜けて、三階のホールから四階の会議室へ。今日は、そこで5時半から自立援助ホームで生活する男性たちに性教育の講演をしました。同じ会場でよかったです。それについてもまたご報告しますね。


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「災害からの命の守り方」森松明希子さん

樋口さんの本を読んで、今日やっとお礼のお手紙を書いて、ブログに書いた感想文と、福島の甲状腺がんの青年のことを書いたプリント等送りました。ホッとしました。

そして、次の本はこれです。4センチもある分厚い本です。福島から関西に避難している森松明希子さん著。

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タイトルがいいですねえ。「災害からの命の守り方-私が避難できたわけ-」です。福島の放射能からの避難だけでなく日本中に発生している災害。それらを通して、すべての被害者に共通の課題と、要するにこの国の為政者たちの国民の命に対しての考えが透けて見えるような。まだ全部読んでいませんが、あの日、激しい地震、でも、福島の中通りに暮らしていたご一家が、原発の事故で追われるようになるなんて夢にも思わなかったこと。高濃度の放射線から逃れて、当時3歳とまだ5か月の二人の子を連れて関西へ。お連れ合いはそのまま福島でお仕事。以来、ずっと家族が離れ離れの生活が続いています。その間、訴訟もあるし、国連でのスピーチ。そして、なにより多くの方々に福島の被害、原発の非人間性を訴え続けています。子どもたちは、もう13歳と10歳になりました。お父さんとはずっと離れ離れで成長しています。

 「8.6ヒロシマ平和の夕べ」には、二回来て戴きました。

2016年の講演。この時、まだ名前は出せない、東京に避難している中学生を連れて来て下さって、その彼のスピーチも聞きました。東京で福島から来たというだけでいじめられて、という話に聞いているみんなが涙しました。その中学生は、昨年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」に来て、スピーチをしてくれた鴨下全生さんだったのですね。


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その後出された「母子避難、心の軌跡」のご本。

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国連スピーチの後。2018年です。お子さんと一緒に。

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その時の交換会でイマジンを歌うナンシーさんの後ろで、横断幕を掲げる森松さん。その前には小出先生の姿です。

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今回のご本は、これまでの森松さんの生活、活動の集大成といってもいいものと思います。これだけのものを書きあげた森松さん、ただただ尊敬します。早くご家族みんなで暮らせる日が来ます様に。

これからじっくり完読しますね。

 

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樋口英明さん「私が原発を止めた理由」

目の前のせねばならないことだけをしている内に、読まなければならない本が一杯溜まりまってしまいました。何より真っ先に読んだのがこれ。

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昨年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」に来て頂いた樋口英明さんが書かれた本です。平和の夕べではとてもやさしく、だれでもわかるように原発の危険性を話して下さいました。いえ、其れだけでなく、樋口さんは確固とした人権意識をお持ちで、やさしさにあふれていて。こんな裁判官ばかりなら日本はどれだけ素晴らしい国になることかと思います。

目次です。

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ご覧のように、この本では、黒い雨裁判の判決や伊方原発の判決等にも言及されています。そして、司法の責任や、裁判官の姿勢についても。原発裁判の判決を漫然とだしている様々な裁判官への厳しい弾劾も歯切れ良く書かれています。

そして、判決文。

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「はじめに」を読んでつい涙ぐんでしまいました。私が中学生のとき日本国憲法の前文を読んで感激したのと同じような感動でした。この後は、福島原発事故について、そして原発の安全性や地震等について、科学的に延々と述べてあります。よくこれだけの理解をされたこと、すごいことと思います。そして、最後にまた感動の文章が。そこを転載させていただきますね。一文字づつキーを打つことで、よりその感動を味わいたいと思います。

「被告は、本件原発の稼働が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、きわめて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを比べて論じるような議論に加わったりその議論の当否を判断すること自体、法的に許されないことであると考えている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきでなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことが出来なくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。」

ね、すごいでしょう。太字は私がしたものですが。もう少し続きます。

「また、被告は、原子力発電所の稼働がCO2排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである」

多くの皆様に読んでいただきたい本です。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のスタッフ会議、Zoomのハイブリッド形式で。

今日は、午後から「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のスタッフ会議でした。今のようなコロナの状況なので全国いろいろな所から集まってもらっての会議はできないので、広島の一部の方はクリニックに来てもらって、あとの方はズームでハイブリッド方式でしました。私はこれまでさんざんZoomでの参加をしてきましたが、今回は私がホストなので、いろいろ準備して張り切っていたのですが。ミス。それもどうしてかわからないことになって。焦りましたが、最後は何とかつながって、やれやれでした。クリニックでは、パソコンをプロジェクターにつなげて、スクリーンでみんなで見ました。

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初めがトラブったので、共有とかがうまくいかなくって・・。でも、一つ賢くなりました。次はもう大丈夫。まったくもう、新しいことに一つ一つの挑戦ですが、疲れる~。初めがもたもたしたけれど、話し合いは絶品。熱い思いを持っている人ばかりが集まっているので、丁々発止で話が弾みました。今年は夏にコロナがどうなっているのかわからない所で、プログラムはちゃんと作ります。やる気一杯です。

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」では、これまでずっとヒロシマ、沖縄、福島、の三本柱を守り続けてきました。今年は核兵器禁止条約がついに発効された年。一番のメインの平和講演をどうするか、それにいつも盛沢山で、時間に追われている状況を見直そうかとも考えています。

話し合いの末、いろいろと基本の路線が決まって、後は走ります。お願いする方々がどうぞ受けて下さいます様に。また正式に決まったら、ご案内しますね。

それが終わって、一人クリニックの机に座ってまたパソコンに向かいました。一つスライドを作って送りました。すぐに次の原稿に取り掛かりました。今日中に終えたいけれどまだ半分。家に帰ってごはんを食べて、性教育のユーチューブを見て、またパソコンに向かっています。明日は楽しいブログをアップしますね。


 


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核兵器禁止条約発効

昨日、核兵器禁止条約が発効されました。広島では被爆者を中心として様々な会が催されテレビでは多くの番組が流されました。私はどれにも参加はできないけれど、ひっそりと喜びました。

この条約は、私が中学生の時、日本国憲法の前文を読んで感動したのと、同じような響きがあります。共同通信発の要旨を転載します。

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それは「全廃こそが核兵器が二度と使われないことを保障する唯一の方法である。」とし、


「核兵器の使用による被爆者と核実験によって影響を受けた人々にもたらされた受け入れ難い苦しみと危害に留意する」ちゃんと被爆者や核実験による被害を受けた方たちへの配慮もしているし。

「平和と軍縮教育、核兵器の危険性への意識高めることは重要」とちゃんと「教育」にも言及しているし。

「被爆者による(核兵器廃絶の)目標達成への努力認識する」と、被爆者の血のにじむような、命をかけた闘いを評価し、ねぎらっているし。

「核兵器の開発や実験、製造、保有、貯蔵、移譲、使用、使用するとの威嚇を禁止する」と全ての核兵器を巡る行為を禁止することだけでなく、

「本条約が禁じている活動をするため、誰かに援助を求めたり、援助を受けたりすることを禁止する」と、核の傘に守られることをも禁じているし。

さらに、「核兵器の使用や実験により影響を受けた個人に、差別なく医療、リハビリ、精神的サポート適切に提供する」と、とても暖かいのです。

そして。「非締約国も締約国会議にオブザーバーとして参加できる」呼び掛けています。

 せめて日本はオブザーバとしてでも参加できないかと、多くのマスコミも論じています。核の傘の下にいる日本も条約を締結することはできるとの論も見受けられます。

 昨日にもカンボジアが締結し、また一か国増えました。じわじわと締結国が増えていくことも期待できます。まだまだ厳しい状況であると分かっていても、それが核兵器保有国の包囲網となるように、希望を持ち続けます。


自分たちのような目に合う人が三度出ないようにと、核兵器廃絶のため、体験を語り被爆者署名を集め続けた被爆者の皆様の努力に敬意を表します。



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男性合唱のためのレクイエム「碑」

昨日の夜、エリザベート音大のセシリアホールで行われた「被爆75周年 平和と希望のコンサートⅢ」に行きました。平和の夕べのスタッフと待ち合わせたのは、エリザベート音大の校舎に入った所のホール。私は、これまで外からしか見ていなかったのですが、中に入るととても美しい環境でした。中庭に向かって並べられた椅子。ちょうどクリスマスツリーもかざってありました。

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セシリアホールも素晴らしい。正面には、ピアノだけでなく、パイプオルガンも設置されています。

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パンフレットを戴きました。これには、とても大切な資料が満載でした。

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何より、私は「Ⅲ」の意味が分かりませんでした。平和と希望のコンサートは、これまで2014年にニューヨークの国連本部で、2015年には国連合唱部を迎えて開催されたそうです。今回「被爆75周年」に「Ⅲ」を開催されるということでした。第一部が県内のいろいろな男性合唱団による「男性合唱団のためのレクイエム「碑」」でした。指揮をして下さったのは、何と40年前、広島メンネルコールの代表で、この曲の制作を依頼をされ、初演で指揮をされた山本定男さん。作詞も作曲も、そして、山本さんも広島二中の卒業生です。すでに89歳の山本さんの指揮、合唱は素晴らしく、最初から、始まってすぐから涙涙でした。(それにしても、89歳という高齢の方が45分も立ちっぱなしで指揮をされる、その大変さ、段に上がるのも、降りるのも大変だということを主催者は配慮しておかなければならなかったと思います。)

 改めて知ったことがあります。第6章「まさちゃん、お母さんよ」は、昨日書いた西村利信さんの弟さんのことでした。当時二中2年生西村さんの手記には、1年生正照さんを探し、瀕死の弟を連れて帰った様子が書かれています。歌詞は次のごとくです。

「朝から昼へ/昼から夜へ/燃えつきる広島の/道を母は走る/土手を走り/名を呼ぶ母/まさちゃん わかる/お母さんがきたのよ/助けにきたのよ/兄ちゃんもきたのよ/助けにきたのよ/家に帰ろうね/家に帰るのよ わかる」

これら、歌詞に出て来る人の碑に書かれた名前の写真もプログラムと共に配って戴きました。

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第8章「全滅」これは、もうたまりません。こんなひどい目に遭った、まだ幼い中学1年生たち。

「渋江くんは/がん木の石段で/二日目の朝/涙の顔で/朝火をおがんで死んだ/手をとりあって/励ましあって/逃げた羽白君は/南くんと道ばたで/並んで息絶えた/お寺の救護所で/坪木くんはいじらしく/夢で親にあうから/いいよと/静かに息をひきとった/ほかの1年生たちは/家路の途中で/たどりついた家で/つぎつぎに死んだ/日がのぼり 落ち/五日目の朝/最後の一人が/桜美くんが死んだ/8月6日が彼の誕生日/13歳と5日を/せいいっぱい生きて/桜美くんは死んだ/父の歌う/好きな軍歌を/ききながら/父を見上げて死んだ/三百二十二の/広島二中の/1年生はみんな/原爆の中に死んだ」

よくもよくもこんなひどいことを!!いくら戦争中とは言え・・。

そういえば、パンフレットには、たくさんの方の挨拶が載っています。この中の広島県合唱連盟会長、今回のコンサートの実行委員長の谷千鶴子さんと、エリザベート音楽大学のの理事長・学長の川野裕二さんのお二人とも、「核兵器禁止条約が来年1月22日に発行する」ということに言及されています。でも、広島県知事も広島市長も全くこのことには触れていません・・。ああ。

この後、小学生、中学生、高校生たちのそれぞれの合唱、一般女性合唱団、一般混声合唱団の合唱があり、それから混声合唱のためのレクイエム「碑」英語版の最終章の合唱がありました。

それから、とてもうれしかったのは、毎年広島二中の後輩、県立広島観音高等学校音楽部OB会の「レクイエム碑」の合唱の指揮をされる益田遙先生も来られていたこと。全てが終わった後、先生は合唱をした人にも観客のたくさんの人にも囲まれていらっしゃいました。先生の温かさでしょうか。

素晴らしい合唱をして下さった方も、この会を準備して下さった方も、皆様、ほんとうにありがとうございました。それから、チケットを手配して下さった穂垣さん、おかげ様で素晴らしい時を過ごすことができました。ありがとうございました。

 

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平和と希望のコンサート・「レクイエム碑」

今日のことで、誠に申し訳ないのですが。本日11月28日(土)午後5時半から、エリザベート音楽大学セシリアホールにて、「平和と希望のコンサートⅢ」が開かれます。今年の6月に開かれる予定でしたが、新型コロナの影響で延期になったそうです。

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ここでは、広島県の男性合唱団の方々により、レクイエム「碑」が歌われます。広島二中一年生、全滅の記録、その男声合唱と最後には、混声合唱で、レクイエム碑の最終章が初めて英語で披露されます。

行かなくては。毎年、広島二中の後輩、県立広島観音高等学校の音楽部OB会が、益田遙先生の指揮で合唱されます。それは、混声合唱です。男性合唱を聴くのは私は初めてです。

そして、今日、小野瑛子さんの炎のメモワールと、西村利信さんの「原爆体験記」を出演される男性合唱団の方々へ渡して下さいとことづけました。もっと早くに渡せればよかったのですが。

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合唱曲「レクイエム碑」の第4章「川の中で」の、「浅瀬に取りつき石垣をよじのぼる生徒に/手を差し伸べる傷ついた先生/君は傷が軽い/頑張って家に帰るんだ/私はもう歩けない/だが君は元気だ/さあ握手して」との歌詞があります。それは、のちに生徒さんの証言から山本信雄先生だと分かりました。小野瑛子さんは、その山本先生の次女です。

あの歌詞の山本先生の遺児が千葉に住んでいらっしゃる、健在だとの情報がもたらされた時、私たちは驚き、そして喜びました。ぜひ来て頂こう。[8.6ヒロシマ平和の夕べ」で話して頂こうと。そして、連絡を取り付けて。2017年の平和の夕べに来て頂いたのです。

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この時、肺がんで闘病中の小野さんは、懇親会の席でウィグを取られました。そのおぐしも素敵ですよと言うと、それからはそのままで、一緒に写真を撮って戴きました。

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夫と長女を原爆で亡くしたお母様は、原爆の惨状を英文で書き、「Time」誌に送ったそうです。そしたら、GHQに見つかり没収。そしてひどく叱られたそうです。その英文の手記は、お母様が亡くなって遺品を整理していた時に瑛子さんが見つけられ、それを翻訳して、「炎のメモワール」として出版されました。その一部、原爆の惨状の部を別刷りして、私たちに寄付して下さったのです。

また、山本信雄先生の教え子の西村利信さんは、小野さんと同じ千葉在住でした。一年生の弟を亡くし、ご自分はやはり二中の二年生で、ひどい被爆をしながらも、生き延びられました。小野瑛子さんの炎のメモワールを朗読した方があり、それを聴いた方から教え子の方がいるとの情報が入りました。しかもその方、西村利信さんは、被爆後二年して千葉に転居、そこの高校で原爆の手記を書き、文学クラブの機関誌にそれを掲載されたのです。厳しいプレスコードをかいくぐるようにして残ったその手記が、小野瑛子さんと俳優の岡崎弥保さんのお二人の手で、改めて冊子として発行されました。書かれている原爆の惨状はそれは生々しく、あまりに過酷な状況でした。

それが発行されたのが2018年5月31日。そして、小野瑛子さんは、肺がんが悪化してその年の10月30日にお亡くなりになりました。そして。何とその翌日、10月31日に西村利信さんも亡くなったのです。

この二つの手記は、合唱をされる皆さんが読まれると、きっと歌われる上での思いもさらに違ってくるでしょう。そう思ってお渡ししたのですが。遅すぎると思いながら・・。今日、聴きに行きます。

 

 

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神田山荘にて「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の会議でした。

昨日、から今朝まで一泊で、被爆者保養施設神田山荘にて「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のスタッフ会議をしました。牛田の神田山の上にある神田山荘。被爆者の保養の目的に作られましだか、今では一般に開放されています。きれいで広いお風呂やジムがあり、宿泊も日帰りもあります。

 私は、以前福島からの保養に来られた母子と共にここに宿泊したことがあります。以来、約10年ぶりです。変わらずきれいないい施設でした。

見晴らし。正面の少し左にある瀬戸内海の島は宮島です。

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会議を済ませて(会議の写真は撮りませんでした)食事。ソーシャルディスタンスで。

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会議では、それぞれが今年の会についてどうだったか、その反省を踏まえて、来年をどうしたいと思うか等を自由に語り合いました。この会をすることの意義、意味等の本質に迫る会話も。

今年は、コロナの心配もありながらでしたが、それは75周年ということもあり、換気が十分な会場が見つかったことで実行したものです。結果的には、皆さんに良く開いて頂きました、分かりやすくて良かったとか、言って頂きましたが。でも、思いのほか沢山の方が来られて、席も空けていたのが、段々埋まってしまって・・。心配された方もおありでした。消毒、検温だけでなく、一番気をつけたのは、窓を両側すべてしっかり開けること、大型の扇風機でガンガン空気を回したこと、結果、コロナの発症もなくってホントうに心底ほっとしました。

さて、来年はどうする?いろいろとアンや心配が出ましたが、やはり何とかやりたい。しかし、コロナの状況で中止になることはあり得て、でも、それは仕方がないこと。一応開催に向けて準備に入りましょうということにしました。いろいな方の候補も具体的に上がりました。

これから会にむけてがんばりましょう。

ご飯の後、一室で雑談。それも窓とドアを開けて。マスクをしながら。

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部屋からの夜景です。

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私が朝いちばんにお風呂に入った時にはどなたもいなくて、ずっと一人。露天は朝のピリリとした空気、熱めのお湯にのんびりしました。

朝ごはんも豪華。追加の会話をしながら。

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気の置けない仲間と充実した楽しいひと時を過ごしました。皆様、そのうち、来年の8月6日についてご案内しますね。中止になったらその時はごめんなさい。

今から、昨日の議事録を作ります。

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吉舎の慰霊碑

吉舎中学校を辞し、教育委員会の担当の方に慰霊碑に連れて行って頂きました。原爆慰霊碑があるはずと。ところが、行ってみると、碑が二つ並んでありました。

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よく見ると、「原爆慰霊碑」と「慰霊碑」。後者は戦争慰霊碑でした。原爆慰霊碑の書は、森滝市郎さんです。戦争慰霊碑の書は、どなたなのか、読めませんでした。

そして、気づくと、もう一つ変わった碑がありました。この碑の向こうに戦争と原爆の慰霊碑が見えます。

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この碑の前に埋めてある説明文です。「吉舎の平和祈念像」「和の目門」だそうです。

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『このモニュメントは戦後50周年にあたり太古からの石50個と黒の石核20個で平和への願いと21世紀への飛躍を祈念して制作した。地の「輪」と人の」「和」を刻み、組み合わせ、積み上げていくと、静かに石は囁いた。「もう、戦争などすることはないよな。」と。製作者空充秋 平成8年吉舎町』と記されています。

しばらくこの静寂の地でのひと時を過ごさせて頂きました。生徒さんの「NO MORE HIROSHIMA NO MORE OOKUNOJIMA」もよかったし。慰霊碑も見させていただいたし。

吉舎中の保護者の方に頂いたきれいなお花と何と、アップルパイです。

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お花は、車の中がいい香りでうれしかったし。横長の大きなアップルパイは、4分の1のリンゴがずらりと並んでいます。びっくり。パイ皮もリンゴも猛烈美味で。吉舎の後藤ベーカリーの作だそうです。やしゃれ!!大変ありがとうございました。

私は、行きはおむすびを作って持って行って、途中車の中で食べました。帰りは教委の方がパンとコーヒーを下さって、かじりながら帰りました。途中、千代田の道の駅に寄って、そうめんうりとワサビ菜を買いました。充実した一日でした!!一週間前の倉敷に続いて、やはり講演に出ていけるといいなあと思いましたよ~。

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森達也さんの記事のご紹介です。

生活クラブ生協連合会が発行する月刊誌「生活と自治」10月号に、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の平和講演をしてていただきました森達也さんの原稿が掲載されています。クリックして大きくして読んで下さいませ。

8月6日の翌7日、スタッフの一人の竹田雅博氏は、平和の夕べに参加された方々の内の何人かを資料館にご案内し、広島二中の生徒で、学徒動員されて爆死したお兄さんのお弁当箱を見て頂き、お兄さんやお父様のことをお話することを続けています。今年は、森達也さんも一緒に来て下さって、そのルポをして下さっています。



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やはり読みにくい様ですので、一段ずつに分けて大きくしますね。

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ブログに掲載させて頂きたいと「生活と自治」の編集部にお願いした所、先週一杯は待ってほしい、そしたらすべての地域に配り終えるからということでしたので、週明けの今日、掲載させて頂きます。

竹田さんの今年のツアーは、中国新聞にも掲載されました。

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皆様にも読んで頂きたくご紹介しますね。

 

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