「8.6ヒロシマ平和の夕べ」李鍾根さん、水戸喜世子さん。

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」にこれまでかかわって下さった方たちがずいぶんお亡くなりになりました。京都大学原子炉実験所の小林圭二先生、はだしのゲンの中沢啓治さん、ずっこけ三組の那須正幹さん、スタッフでもあり僧侶でもあり、司会もされた中村周六さん、スタッフの長崎の被爆者、のらやの原伸幸さん・・。

 そして、また李鍾根さんが。2018年にお話し下さいました。その時には、舞台への階段を駆け上がられたのでした。

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李さんのスライドから。基町高校生が描いた絵。首にわいた蛆虫をお母さんがアイゴーアイゴーと泣きながら箸で取って下さっている所だと。

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今回の平和の夕べで、2018年の韓国人原爆犠牲者慰霊祭に参加した時に、民団の女性たちが慰霊碑を囲んで歌われた慰霊歌の動画を流させて戴きました。悲しい歌です。慰霊祭には、毎年李鍾根さんが参加されていたのですが、今年はお嬢さんに抱かれて遺影で参加されました。

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李鍾根さんのご冥福お祈りいたします。多くの人に被ばくや差別の実態下さったこと、心からお礼申し上げます。

 今年のプログラムの最後は、大阪から駆け付けて下さった水戸喜世子さんにお話をして戴きました。

水戸さんは、早くから原発の危険性を指摘し、原子力研究所の高木仁三郎さんや小出先生の師匠であった物理学者、水戸巌先生の意思を次ぎ、活躍されています。今会の共同代表をされている「子ども脱被ばく裁判」について語って頂きました。

「子ども脱被ばく裁判」は、福島で子育する人たちが「子どもたちに被ばくの心配のない安全な環境で教育を受ける権利が保障されることの確認と実施」と「原発事故後、子どもたちが被ばくを避ける措置を怠り、無用な被ばくをさせた責任の追及」を求め、2014年6月29日、福島地方裁判所に提訴しました。原告は約200人の福島の親子。

 2021年3月1日、福島地裁はすべての訴えを退ける不当な判決を下しました。この不当判決を受け、2021年3月15日、原告118名は仙台高等裁判所に控訴。子どものいのちを守り、被ばくしない権利を求める裁判が、仙台で繰り広げられています。水戸さんは、その経緯を熱を込めてお話し下さいました。私たちが今出来ることとして、仙台高裁の裁判長に一人一人がハガキを出すことと。

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これが参加者全員に配られました。囲みの中一人ひとり自分の思いを書くこと。もう何人もの人がその場で書きこんでいましたよ。

参加者の皆様、出演者の皆様、そして、陰で支えてくださった多くの皆様に本当に心からお礼申し上げます。ありがとうございました。来年に向けて、みんなでしっかりディスカッションしながら、また歩みたいと思います。


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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」平和講演・三宅俊司さん

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」での、三宅俊司さんの平和講演のご報告をします。

三宅さんの自己紹介を兼ねて、参加者に配られた文章です。

 1951年広島市生まれ、1884年から沖縄弁護士会で弁護士として活動しています。母が被爆者で被爆二世であることから、原爆問題をライフワークとしたいと考え、そのためには、沖縄の実相を知らなければ被爆問題は考えられないとの思いから、3年間の予定で来沖しましたが、帰れないまま、38年を経過してしまいました。

 沖縄では、一坪反戦地主会に係わり、海邦国体での日の丸焼毀事件、辺野古、高江反対運動に対する弾圧事件等にかかわってきました。

 沖縄は、先の戦争では天皇制国家護持のための捨て石とされ、戦後は日本独立のための捨て石として異民族軍事支配下に売り渡されました。日本国憲法下への復帰の願いを踏みにじられ、銃剣とブルドーザーで取り上げられた米軍用地を日本法で米軍に差し出され、復帰50年となった今日また、「台湾有事」を口実に琉球列島の島々にミサイル基地群が構築され、戦場への道を強制され続けています。

 沖縄は、文化でも差別と収奪の歴史でした。決して過去の歴史ではありません。明治時代に、本土研究者が琉球奄美の墓地から盗骨した遺骨は、今も京大に学術資料として保管され続け、その変換を拒否し続けています。

 沖縄とどう向き合うべきか。沖縄に強いて来た歴史の検証は、私たちに不可欠の問題だと考えます。

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  • 1951年 広島市生まれ、高校時代は、ベトナム戦争、沖縄闘争の時代。

  • 母は、被爆者・的場町の銀行で被爆。手のひらにガラスの破片が残っていた。父は、「満州」に出稼ぎに行って徴兵され、シベリアに抑留。


1984年から沖縄で弁護士登録 現在在沖38年。


(関与した事件等)


一坪反戦地主会共同代表世話人


これまで


 米軍用地強制使用に反対する訴訟


 日の丸焼毀事件


 靖国合祀反対訴訟


 辺野古・高江の住民訴訟等。


 山城刑事弾圧裁判


現在は、


 高江、派遣機動隊員の活動費負担に関する住民訴訟


 千葉国賠請求事件・・・辺野古海上保安庁のボートによる身体傷害を糾弾する国賠請求


 宮城秋乃刑事弾圧事件・・やんばるに放置された米軍廃棄物を巡る抗議行動に対する不当起訴


 辺野古埋立取消・住民訴訟


 ★明治時代に京大研究者によって沖縄の墓から持ち去られた遺骨の返還請求・・「学の植民地主義」に抵抗する事件。


  京都地裁での遺骨返還請求に連動して、台湾から沖縄に引き渡された遺骨をもとの墓に返すようにとの裁判。

辺野古等の沖縄の工事は本土の企業がそのほとんど請け負っていると。それは富の植民地であると。

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 まさに闘う弁護士さんの、沖縄からの鋭い問いかけに私たちは、うなだれるしかないと思いました。訴え、闘い続けている沖縄の方たちの写真、三宅さんのスライドの一部からです。

大阪から来た機動隊員が沖縄の抗議する人に「ボケ、土人が」と言っている動画、静止の写真にしました。

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私の下手な文章で三宅さんの思い訴えまとめることは不可能ですが。その一部でも伝われば幸いです。三宅さんほんとうにありがとうございました。
 


 


 


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熱い8月6日が終わりました。

熱い一日が終わりました。皆様、本当にありがとうございました。

朝早く、広島二中の慰霊祭に行きました。父が生前はいつも一緒に来ていました。父は広島ニ中の教師として。私は二中の後身の観音高校のO.Bとして。「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のスタッフの竹田氏も山下氏も一緒です。竹田氏のお兄さんは広島二中の一年生。「碑」の一人です。本川の川岸で原爆の直撃で焼かれ、それでも舟入のお寺まで逃げて、そこで力尽きたと。そのお兄さんのお弁当箱を資料館で見せてもらったことがあります。今はそれが展示されているのだそうです。


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この生徒会長のあいさつが素晴らしくて感動しました。私達は広島に生まれ、広島で平和学習で学んで来たと。今日も生徒の多くがここに来たかったけれど、コロナの脅威で、断念さざる得なかったと。先日この慰霊碑を掃除してきれいにしました。裏の沢山の亡くなった方たちの名前を見たと。戦争のない社会、核兵器廃絶に向けて、若い私たちが何が出来るのかと。SNSや様々な手段で世界に向けてそれらを発信していくことが出来るという、決意の表明でもありました。

 その後「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の会場へ。みんなで準備をしました。何と言っても、コロナの感染対策。三人掛けの机は二人掛けにして。冷房が入っていても川側の窓も、反対側の窓も開けて、かつ大きな業務用の扇風機をガンガン回して、とにかく換気です。体温チェックマスクも必ず・・。

会でお話し頂いた方たち、どれも素晴らしくて。小倉桂子さんの被爆証言。ご自分や家族の被爆の話。だけでなく小倉さんにどうしても話して頂きたかったこと。小倉さんは世界に出かけていき、証言活動をしています。特にアメリカで「原爆を落としたから、多くの日本人が救われたのだ」という、そんな意識をしっかり埋め込まれている人達時には帰れ帰れと合唱され石を投げられたことも。それでも、根気強く話していくことで、徐々に賛同して下さる方たちも増えてきたと。それはとてもありがたいことなのです。一昨日小倉さんは85歳になられました。今年もアメリカに話しに行く予定が入っているとのこと。どうぞ、お体にお気をつけてこれからも証言活動をよろしくお願いします。

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 広島・沖縄・福島つないでのこの会の今年は、福島から福島敦子さんにお話頂きました。福島から避難して11年。自然豊かな福島での生活が一変して、これまでの厳しい闘いを語って下さいました。今、京都に居住しながら、大飯原発京都訴訟、原発賠償京都訴訟、伊方原発広島裁判などの原告として頑張っていらっしゃいます。これだけ頑張っている方に、これからも頑張って下さい等とはとても言えず・・。

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 私は今、福岡にいます。平和の夕べを終えた後、新幹線に乗ってきました。いま、日本産科婦人科学会が開かれています。5・6日は参加できなかったのでせめて最終日の7日だけでも参加したいとやって来ました。一日中暑くて、ふらふらで食欲もありませんでしたが、ホテルの冷房をガンガン効かせて、ジュースばっかり飲んでたら、結構元気になりました。明日は早くから学会の会場に行きます。そろそろお風呂に入って寝なくては。

又、改めて「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の第二弾、沖縄の三宅俊司さんと水戸喜世子さんのお話について報告しますね。

 そうそう、パワポがなかなかうまく作動しなくて、すみませんでした。今度、その原因等について反省会をします。来年はこんなことがないように・・。

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明日、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」にお集まりください。

明日、広島は被爆77周忌を迎えます。すでに、広島では原水禁世界大会を初めとして、様々な会合や行事が行われています。

私たち「8.6ヒロシマ平和の夕べ」も15回目を迎えます。すでに多くの方々の賛同と出席の申し込みが来ています。ありがとうございます。無事に会を行えるように、後少し、頑張りたいと思います。チラシを再掲しますね。

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呼びかけを転写しますね。

 核兵器禁止条約の成立し、苦難のなかで「核なき世界」をめざしてきた被爆者の大きな喜びでした。しかし、広島出身の首相に変わっても、日本は参加しようともしません。

 ロシアのウクライナへの侵攻、その残酷さに息をのみました。戦争は、常に市民を犠牲にします。世界最多の核保有国大統領が、核の使用を示唆しました。核兵器禁止条約は製造、使用はもちろん保有、威嚇も禁じています。核戦争になれば、世界の、人間の破滅です。憲法9条を持つ私たちこそ、戦争と核の威嚇にノーの声をあげましょう。

 沖縄戦・被爆77年、復帰50年の今年。いま一度、沖縄戦と広島・長崎を考えようと、三宅俊司さん(沖縄弁護士会)に平和講演をお願いしました。三宅さんは広島出身、被爆二世。沖縄に移住し40年近く、辺野古をはじめ沖縄の人たちと運動を共にしてきました。被爆証言は「平和のためのヒロシマ通訳者グループ(HIP)」代表、小倉桂子さんです。福島からは、避難11年目の福島敦子さんが訴えます。

 新型コロナウィルス感染収束がなかなか見通せません。8月の予想がどうなるのか、悩ましい思いです。会場は感染対策を状十分に行い、オンラインを併用、ハイブリッド方式で開催いたします。

 核と人類は共存できません。みなさま。8月6日、「核と戦争の廃絶」に向け、ヒロシマの地に集い、考え、共に行動しましょう。 


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映画「スープとイデオロギー」

今日で上映が終了と分かったので、何が何でも行きたいと思いました。で、それこそ何とか駆け付けてみることが出来ました。

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済州島での1948年の大虐殺。そこからかろうじて逃げ延び生き抜いた人のドキュメント。撮ったのはこの人の一人娘ヤン・ヨンヒ監督。一人三歳の妹を背負い、弟の手を引いて30キロも歩いて港へ。そこから密航船に乗って日本へ。その母親は息子三人と娘を産んだ。でも、韓国の国家がした残虐な行為を目撃、忘れられない母は、南の国家が信じられず、三人の息子を北へ「帰国」させた。北出身でもないのに、北へ。

高齢でアルツハイマーとなった母の記憶が消える前に。娘は手繰り寄せるように記録します。


母は娘が連れて来た婚約者にスープを作りふるまいます。鶏のお腹にニンニクやナツメや高麗人参を入れて。そう、あの私も大好きなサムケタン。大きな鍋でぐつぐつと煮て本当においしそう。このスープは何度も映画に登場します。最後は、娘のパートナーが自らそのスープを作り、ふるまいます。

済州島には、その1948年の大虐殺の犠牲者の名簿が展示され、お墓も累々と並びます。又その事件を聴き書きするプロジェクトもあり、お母さんのところにも訪ねてきて具体的に細かいことも尋ねます。こんなところが、韓国の民主化は、はるかに日本よりも進んでいると思いました。国家がやったことをきちんと検証しようとする人々。国家と国民とは何なのか。

今、福島での出来事、子どもの甲状腺がんをもひたすら隠そうとする国を考えると、本当に日本は情けない国になったものだと、余計に涙が溢れました。

 8.6を前にいい映画を観ました。

映画から帰ると、原水禁世界大会へ。

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外は暑いけれど、中は涼しくてホッとしました。アメリカの代表の挨拶には感動しました。またいつかこのことをお話することもできると思います。終わると会場から出て来る人達に「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のチラシを配りました。一人で奮闘していると、会場から出て来た夫が手伝って一緒に配ってくれました。まだもう少し残っているので、明日の朝、診療前に分科会の会場の前で配ります。いよいよです。


 


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「ヒロシマの黒い太陽」

ご案内が遅くなりましたが。「8.6ヒロシマ平和の夕べ」として、8月6日の前にこのようなイベントを行います。

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これは2011年に日本とフランスの共同で制作され、2011年8月15日、終戦記念日にNHKで放映されました。

徹底して秘密裡に開発され使用された原爆。それを検証したドキュメントです。イギリスからアメリカへ引き継がれたという開発の道のりだけでなく、その放射能による人体への影響調べる為に、広島や長崎の被爆者がどう利用されたかも。

 福島原発の事故が深刻であった2011年の8月に放映された時、私はこの番組を見ました。震えあがるような怖さと、身震いするほどの怒りを持ったことを強烈に覚えています。

その一シーンです。

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 核兵器禁止条約が批准された一方、ウクライナへのロシアの侵攻、核兵器の所持と使用を威嚇に使うという許せない恐怖と危機感を持つ今、このドキュメントの上映のみならず、ドキュメント作った監督が広島に来て、語って下さいます。

 この日にはもう参議院選挙も終わり憲法のいくすえが見え始めていることでしょう。私達はあくまでも、どんな政治下に置いても核兵器廃絶を求め運動してまいります。

ぜひ多くの皆様にお集まりいただきたくご案内いたします。ともに作品を見、監督のお話を聴き、語り合いましょう。

 

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のご案内

 参議院議員選挙が始まりました。悪夢のような安倍政権から岸田政権に変わっての選挙。この選挙の結果によって、憲法が変えられてしまう可能性が大きくなっています。ロシアのウクライナ侵攻、その陰で核兵器廃絶どころか、日本も核兵器をという論議さえされています。

 この選挙は、憲法を守り、核兵器廃絶を目指す議員を少しでも増やすことが必要と、危機感を持って考えます。

 ささやかながらその協力をしています。選挙チラシへの証紙貼り。膨大なチラシを手分けして貼るからと友人からの電話で、私は1000枚引き受けました。1000枚は楽ではありませんが。これが憲法を守る勢力の一票を増やすことにつながればいいのですが。

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さて、昨日の続きです。「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のチラシの裏面です。この会を開催する8月6日には、参院選の結果も出て、憲法のいくすえが見えていることでしょう。身震いする思いです。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のチラシは、以前から沢山の写真や文章でギッシリです。写真は手分けして撮影したり、許可をお願いしたりします。昨日のブログに出した表面の右上の韓国人被爆者慰霊祭の写真は私が撮ったものです。見えにくいかもしれませんクリックすると大きくなりますので、ぜひ見て、読んでみて下さいませ。
参加費1000円で開催するこの会は、正直経済的に苦しく、ぜひ多くの方の参加を求めますし、賛同のカンパもよろしくお願い致します。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のご案内①

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のチラシの完成版、すでにこれまでご参加下さったかたにはお手元に届いていることと思います。

今年も、とてもいいプログラムが出来たと胸を張って、お知らせできます。
この会は、これまでもずっとヒロシマと沖縄と福島をつなぐことをモットーに続けてまいりました。

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 今年のヒロシマの被爆証言は、小倉桂子さんにお願いします。

私は、小倉さんとは、40年以上前からお付き合いをさせて頂いています。58歳と若くして亡くなった桂子さんの夫、馨さんは、広島平和祈念資料館の館長を務めながら、平和のために奔走されていました。無理がたたったのか、クモ膜下出血で急死なさった後、桂子さんは猛勉強して、1984年、平和のための広島通訳者グループHIPを立ち上げました。今、HIPのメンバーは、広島に来る外国人を通訳をしながら、平和公園の案内をしています。又、桂子さんは、外国人のために自らの被爆体験を英語で語り、ひっきりなしに要請があります。


 小倉さんに平和の夕べで語って頂きたいとずっと願っていたのですが、8月6日は桂子さんにとって、一年でもっともお忙しい日です。なかなか願いがかなわなかったのですが、今年、やっと被爆証言の間に、私達の会の会場にも駆けつけて、語って頂けることになりました。私達の願いが叶いました。自らの被爆証言だけでなく、小倉さんがこれまで接してきた多くの外国人たちとの交流について、又、核兵器禁止条約についてもお話し頂けることと思います。

 沖縄からは、弁護士の三宅俊司さんをお招きしました。

三宅さんは、広島出身の被爆二世。私は、広島大学の学生時代、彼が高校生の時を知っています。弁護士となった三宅さんは、原爆をライフワークとして考え、そのためには沖縄を知らなければと、沖縄へ。一時の滞在のつもりで訪れたのが、そのまま今までずっと沖縄で活躍することになったと言われます。辺野古、高江の反対運動など、沖縄の様々な住民運動を支える弁護士として、活躍されています。それら闘う住民の方々と共に生きてきて、私達の知らない沖縄を、さらに核兵器廃絶についてもその視点で語って下さるのではないかと、期待しています。

福島からは、福島敦子さんに語って戴きます。南相馬市の住民であった敦子さんは、原発事故の翌日、娘さん二人とご両親とともに川俣町、福島市などに避難。しかし、国は「みなし仮設住宅の補助」を打ち切りました。(みなし仮設住宅とは。災害などにより、居住できる住み家を失い、自らの資金では住宅を新たに得ることのできない被災者に対し、地方公共団体が民間賃貸住宅を借り上げて被災者に供与し、仮設住宅に準ずるものとみなす制度)福島さん一家は、その後京都府に居を移しました。そして今、「被爆から逃げる権利」を語り継いでいます。伊方原発広島裁判原告、大飯原発差止京都訴訟の世話人、原発賠償京都訴訟原告団・共同代表など、一貫して反原発の闘いを務めています。

 このほかに、若い方の活動の報告も予定しています。

コロナがなかなか収束しませんが、私たちは、昨年に続き、しっかりと感染予防の対策を行って、リアルとオンライン併用してのハイブリット方式で行います。皆さんのご参加をお待ちします。

明日に続きますね。

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伊方原発運転差止広島裁判・切明さんの陳述

先日の伊方原発運転差止広島裁判の口頭弁論での切明千枝子さんの陳述書が広島裁判のホームページに公開されましたので、ここにもそれを転載させて頂きます。


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字が小さくなってよみにくいかもしれません。本分の部分だけ写真でなく転載します。

 本日は貴重な意見陳述の機会を与えてくださり、心から御礼申し上げます。私は切 明千枝子と申します。今年93歳になります。

 私が原爆に遭ったのは、広島県立第二高等女学校4年生の時、15歳でした。動員 先の専売局注 1から、先生の許可をいただいて、病院に行く途中、比治山橋(注 2)のたもと でした。ピカッと光って、私は叩きつけられ、気がつくとガレキの下でした。なんと か這い出して、広島市内の方を見るともう一面火の海でした。申し上げたいことは沢 山ありますが、2つのことだけ申し上げます。


 ひとつは雑魚場町(注 3) で建物疎開の作業をしていた一人の下級生のことです。建物疎 開組は爆心地から近いこともあって全滅でした。一人だけ奇跡的に助かったのです。 この人は戦後結婚し、子どもも設けましたが、37歳で亡くなりました。直接には胃 がんでしたが、わかったときには全身にがんが広がっていたそうです。原爆には生き 残ったが、放射能の魔の手からは、逃れられませんでした。

 もう一つは温子(たずこ)ちゃんと澄子(すみこ)ちゃんのことです。2人は母の実 家の、私のいとこです。年も近く仲良しでした。2人の父親は日銀広島支店に勤務し ていましたが、遺体も見つかっていません。母親は建物疎開ででていました。これも どこでなくなったかもわかりません。もう一人長女がいましたが、彼女の遺体もわか りません。たずこちゃんとすみこちゃんの2人だけが舟入(注4)の家の中にいて助かった のです。

 2人は下着姿で宇品(注 5) にあった私の家に逃げてきました。傷一つない綺麗な体でし た。家に着くとすぐ寝込んでしまいました。2日くらいしたら血便を出し始めました。 母は、当時誰も放射能のことは知りませんでしたので、赤痢にかかったと思い、私は 2人に近寄ることさえ許されませんでした。高熱が出て、「水、水」と水を欲しがりま した。体に斑も出てきたそうです。1週間くらいしてでしょうか、2人は亡くなりま した。お棺がないので、桐のタンスの引き出しに遺体をいれて、宇品の翠町(注 6) の桜土 手の、その堤の根元付近で2人を焼きました。

 裁判長、放射能は恐ろしいものです。 福島原発事故が起こったとき、夫(悟【さとる】氏)がすぐ「山田に電話せい!」と いうので電話しました。山田さんというのは元福島大学学長の山田 舜(あきら)(注7)さ んのことです。夫とは「さーちゃん」「しゅんちゃん」の間柄の幼なじみでした。山田 さんは「放射能というのは目にみえんし、ここらにもとんできとるかもわかりゃせん のだけども、おれは原爆のことがいやで福島まできたのに、また放射能にやられるか と思うと腹が立って腹が立って地団駄をふみたくなる。」といっておられました。また 山田さんは、「あちこちにできとるんだろうが、原発は人間が作っちゃいかんものだ。」 ともいっておられました。

 裁判長、私は、やっぱり原子力なんて、ましてや核兵器なんて人間がいじってはい けないものだと思います。生命(いのち)にどんな恐ろしいものをもたらすか。人間が 核や原子力を制御できると思っているのか、事故が起きたらどうするのか。実際ある 資料(「国際原子力事象評価尺度」(注 8))によると、60年あまりの間に7回、チェルノブ イリ原発事故や福島原発事故を含めて、放射能を大量に出す事故が世界のどこかで起 きているというではありませんか。人間が制御できるものではございません。

 伊方原発は船から見たことがあります。「あれが伊方原発だ」と人から教えられて初 めて気がつきました。海岸にへばりついているような原発で、事故でもおきて倒れて きたら瀬戸内海は全滅すると思いました。なんであんなところに原発なんか建てたん だろう、と腹立たしい思いをしたことを憶えております。

 私は年もとり、もうたいしたこともできません。が、このお話しをいただいた時、 すぐに原告になることを決めました。それが私にできることだったからです。

 裁判長、今回裁判では、賢明なるご判断の上、伊方原発の運転差止を是非とも命じ ていただきたいと思います。 ご静聴ありがとうございました。
(転載ここまでです。)

こうして過酷な人生を生き抜いてこられた被爆者の方たちが、命を振り絞るようにして陳述して下さることに頭が下がります。放射能の怖さを心底体験していらっしゃるからこそですね。もしも原発の事故が起きた時には、その放出される放射能が、どれだけ人体に悪影響を及ぼすことでしょう。その上、もしも原発にミサイルでも飛んで来た時のこと考えると、身震いするほど怖いものがあります。

切明様、本当にありがとうございました。お体のお早い回復を祈念しております。

 

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伊方原発運転差止広島裁判口頭弁論でした。

今日のお昼時間、私も原告になっている「伊方原発運転差止広島裁判」の第28回口頭弁論に行きました。診療を終えて必死で自転車で駆け付けると皆さんが集まっている所に間に合いました。


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皆で行進して正門へ。そこからは傍聴券配布の待合室へ。

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先頭の真ん中右は、黒い雨訴訟で改めて被爆者と認められた高東さんです。昨年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」にはもらったばかりの被爆者手帳を持って駆け付けて下さいました。

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前回私が来た時には、抽選の外れが二人しかいないのにその大当たりになってしまいました。が、原告の方に傍聴券を譲って頂いたものです。今日はもう傍聴席の一つ飛びの制限がなくなって一杯入れるようになって、34席全員が法廷に入れました。

今日の陳述は、切明千枝子さんです。2019年の8.6ヒロシマ平和の夕べに来て被爆証言をして下さいました。

でも、切明さんは、お具合が悪くって、今日の法廷に来ることが出来なくって、事務局の方が陳述を代読されました。「裁判長」と、切々と訴えるその内容は、それは胸を打つものでした。代読の方も涙ぐみながら一生懸命読まれました。近々、広島裁判のホームページにこの陳述が公開されるでしょうから、そしたら私もこのブログに掲載させて頂こうと思います。多くの方に聴いて頂きたい内容でした。切明さんのお具合が心配です。どうぞ、お元気になられて、まだまだ

私たちに多くのことを教えて下さいませ。

裁判長は、今回から変わって女性です。そういえば、四国電力側の弁護団には女性の弁護士さんが一人いましたよ。うーん。

 伊方原発は、2012年に平和の夕べのスタッフと共に愛媛に行き、集会に参加しました。

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私もトラックの演題の上でマイクを持って皆さんに広島から訴えたものです。

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その伊方原発です。もしもここで事故が起きたなら、瀬戸内海は死滅してしまいます。

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 島根原発の再稼働に島根県知事が同意し、近いうちに再稼働される見通しとなりました。避難計画も、現実不可能なずさんなままに。さらにこの後に及んでも、伊方原発の向かい側に中国電力は上関原発を作ろうとしています。長い裁判になっていますが、放射能の怖さを知り尽くしている私たちが反対し続けなければと思いを新たにしました。

 裁判が閉廷すると、報告集会には参加できず、自転車でクリニックに帰りました。午後の診療にぎりぎりセーフでした。

 

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