吉舎の慰霊碑

吉舎中学校を辞し、教育委員会の担当の方に慰霊碑に連れて行って頂きました。原爆慰霊碑があるはずと。ところが、行ってみると、碑が二つ並んでありました。

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よく見ると、「原爆慰霊碑」と「慰霊碑」。後者は戦争慰霊碑でした。原爆慰霊碑の書は、森滝市郎さんです。戦争慰霊碑の書は、どなたなのか、読めませんでした。

そして、気づくと、もう一つ変わった碑がありました。この碑の向こうに戦争と原爆の慰霊碑が見えます。

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この碑の前に埋めてある説明文です。「吉舎の平和祈念像」「和の目門」だそうです。

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『このモニュメントは戦後50周年にあたり太古からの石50個と黒の石核20個で平和への願いと21世紀への飛躍を祈念して制作した。地の「輪」と人の」「和」を刻み、組み合わせ、積み上げていくと、静かに石は囁いた。「もう、戦争などすることはないよな。」と。製作者空充秋 平成8年吉舎町』と記されています。

しばらくこの静寂の地でのひと時を過ごさせて頂きました。生徒さんの「NO MORE HIROSHIMA NO MORE OOKUNOJIMA」もよかったし。慰霊碑も見させていただいたし。

吉舎中の保護者の方に頂いたきれいなお花と何と、アップルパイです。

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お花は、車の中がいい香りでうれしかったし。横長の大きなアップルパイは、4分の1のリンゴがずらりと並んでいます。びっくり。パイ皮もリンゴも猛烈美味で。吉舎の後藤ベーカリーの作だそうです。やしゃれ!!大変ありがとうございました。

私は、行きはおむすびを作って持って行って、途中車の中で食べました。帰りは教委の方がパンとコーヒーを下さって、かじりながら帰りました。途中、千代田の道の駅に寄って、そうめんうりとワサビ菜を買いました。充実した一日でした!!一週間前の倉敷に続いて、やはり講演に出ていけるといいなあと思いましたよ~。

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森達也さんの記事のご紹介です。

生活クラブ生協連合会が発行する月刊誌「生活と自治」10月号に、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の平和講演をしてていただきました森達也さんの原稿が掲載されています。クリックして大きくして読んで下さいませ。

8月6日の翌7日、スタッフの一人の竹田雅博氏は、平和の夕べに参加された方々の内の何人かを資料館にご案内し、広島二中の生徒で、学徒動員されて爆死したお兄さんのお弁当箱を見て頂き、お兄さんやお父様のことをお話することを続けています。今年は、森達也さんも一緒に来て下さって、そのルポをして下さっています。



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やはり読みにくい様ですので、一段ずつに分けて大きくしますね。

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ブログに掲載させて頂きたいと「生活と自治」の編集部にお願いした所、先週一杯は待ってほしい、そしたらすべての地域に配り終えるからということでしたので、週明けの今日、掲載させて頂きます。

竹田さんの今年のツアーは、中国新聞にも掲載されました。

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皆様にも読んで頂きたくご紹介しますね。

 

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修学旅行生が戻って来た!

今日お昼休みに、ちょっと用があって自宅に帰りました。平和公園を通っていると、修学旅行生がいました。コロナ以来、全く訪れる人がない平和公園で、もちろん修学旅行生もいなくなっていました。最近、ボツボツ子どもたちの姿が見られるようになったなあと思っていましたが。

黄色い帽子と白い帽子の子どもたち。違う小学校の子どもたちですね。

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そこに中学生たち。(多分高校生ではないみたい)

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資料館の下には、グレーの帽子の子どもたち。

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バスの駐車場も、いろいなバスが停まっていて。

修学旅行生が戻ってくるというのは、やはりうれしいですね。

新型コロナで失う物はとても多いけれど。中でも教育。学力だけでなく、友達関係をどう作っていくか(結局は人権教育なのですが)、性教育、そして平和教育。これらが授業時間の減少と共に削られがちな今、こうして子どもたちを広島に連れてきて下さる先生方かせいらっしゃるということが、ありがたいですね。きっと、いろいろと悩み、議論し、保護者とも話しあい、やっとの思いで広島行きを決められたことと思います。広島の代表でもなんでもないけれど、ありがとうございますと思いながら自転車を走らせましたよ。

今日のお昼は家でチキンラーメンです。

東京の孫ちゃんからお手紙が来ました。敬老の日のプレゼント、手作りのノートです。表紙や中紙やリングなどを私に似合うのを選んでくれて、私だけのノートを作ったのだと。素敵なノート。きれいに折れた鶴も一緒です。もう長い間会えてないけれど、元気にしていてこうしてプレゼントまで贈ってくれて、ありがたいことです。それから、手紙に漢字が増えたのがびっくりです。「楽しみ」までチャンと感じで書いてくれてました。どんどん成長しますねえ。また、いつか近い内に会えます様に。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」「私が大飯原発を止めた理由」樋口英明さん②

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」、樋口英明さんの講演「私が大飯原発を止めた理由」の続きです。


 つまり原発は、ずっと電気と水が必要だ。去年亡くなった中曽根元首相の最大の影響は、1955年原子力基本法を作ったことだとされる。「原子力はかつて猛獣だったが、今は家畜になっておる。日本国民は、まだこれを猛獣だと誤解している」と。猛獣というような可愛いいものではない。核兵器、原爆はウラン、プルトニュウム燃料を10万、100万分の1秒という一瞬にエネルギーを解放する。原発はそのエネルギーを水と電気でコントロールしながら1年余をかけ、ゆっくりと解放する。水と電気を与え続けなければ、原爆と同じ。核兵器は倫理にも、理性にも反する。しかし最後はボタンを押すか押さないか、人間性に期待できなくもない。原発は、水か電気どちらかが断たれれば「爆発」する。水、電気が断たれる原因は戦争、地震、災害、疫病いくらでもある。


 核の平和利用と言われるが、「核の平和時」利用に過ぎない。水と電気が安定的に供給されれば、という話、自国に向けられた核兵器である。そんな危険なものなら、それなりに安全に造られていると思われるかもしれないが、そうではない。事故発生確率と被害の大きさは一般的に反比例する。新幹線と広島の路面電車では、発生確率では路面の方が高い。新幹線が車と衝突する確率はゼロ。だけど被害の大きさが違うから、新幹線は発生確率を抑える設計、運行になっている。

 自然界にM9の地震はめったにないが、M5程度はよくある。推進勢力は、「原発の敷地に限っては、将来にわたって震度6、7の地震はこない」と言う。信用できますか。地震学者は、地震学の3重苦として「観察不可、実験不可、資料なし」と言っている。全国に地震計を配置したのは、阪神淡路の後から。せいぜい20年くらいの資料しかない。地下30キロの震源の観察はできない。それでなぜ、多くの裁判長が原発を止めないのか。700ガルが震度6なのか7なのか、裁判官は知らない。過去に何回起きたかも知らない。実際に起きている地震に比べ、原発の耐震性が高いか低いか重視していない。


 止めるべき理由は簡単だ。事故のもたらす被害は甚大、地震大国日本では高度の安全性ということは、高度の耐震性ということ。54基もつくり、しかも耐震性は極めて低い。3・11を経験した私たちは、どうするべきか。死の灰は科学的に処理できないことが明確になった。原発事故はめったに起きない、起きても30キロ範囲の影響というのも違った。原発は、それなりに丈夫。しかし阪神淡路の後の資料で見ても、見当はずれの低い耐震性で造られている。私たちの世代で解決しなければならない。私たちは、知ってしまったのだから。(要旨)


講演の要旨は以上です。最後の「知った者が解決しなければならない」と。そして、「ここにいる皆さんはもう知ってしまったのだから、原発を止める義務がある」と言われました。

これは、昨年、樋口さんが広島の「福島と広島をつなぐ、もみのきの会」で講演された時の講演録です。8.6の当日に販売させて頂きました。アッという間の完売でした。

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この冊子には、私たちが時間がなくてできなかった聴衆との質疑応答が載せてあります。そのしょっぱなに興味深い問答がありますので、それを引用させて頂きます。

問  質問は2点あります。1点は、昭和30年に制定された「原子力基本法」という法律について、貴殿はどのような認識でおられるかということ。もう1点は、原子力規制委員会ですが、これは国会で承認されたもので、要するに原子力を止めるか止めないかの権限は、この規制委員会に委託したわけです。にもかかわらずなぜ原子力を止めるという訴訟を裁判所が受けるに至ったのか、と。これは、日本国憲法の立法・行政・司法の領域のなかで言えば、司法が行政の領域に入り込んでいるのではないか。だから、それは日本国憲法に違反しており、止めるとか稼働するとかいう判断も、本来は、司法でなくて行政がやるべきことだと思います。しかも国会で承認した原子力規制委員会というものがあるわけで、この委員会の5人に、国会は委託したのだから、裁判所はむしろ「そういう訴訟はうちではない、原子力規制委員会に行って話をしなさい」と振り分けるのが筋ではなかろうかと思いますが、いかがでしょうか、以上です。

答え(樋口さん)  お答えします。「原子力規制法」は法律の問題、「安全な原発しか動かしてはいけない」というのが、法律の規定です。原子力規制委員会に一定の権限を与えていますが、「ひの審査がおかしければ、裁判所が判断できる」、ということについては、全く争いがありません。法的には問題ない。ですから、「規制委員会に権限を任せているんだから、裁判所は口出しするな」という考えは、ごく一部の評論家が言っているだけで、司法の世界(裁判所、弁護士、検察官)では、そういう説をとっている人は、ほとんどいないと思っています。私は、おかしければおかしいと判断できることが、憲法から来る「裁判所に対する当然の要請」であると理解しています。以上です。

それから、この度の講演の中で、なぜ裁判官は(最高裁判所の裁判官も)、こんな危ないものを止めろと言わないのかというお話で、「原告の弁護士がちゃんと裁判官を説得しないからだ」と言われました。裁判官というのは、自ら調べたり考えたりするのでなく、法廷に出された資料や弁論から判断するので、その裁判官をいかに説得するかが、勝負なのですね。私は、このところ、性暴力の法廷に立ちことが多くて、検事さんや裁判官が、いかに物事を知らないのか、特に女性の体や心理をほんとうにわかっていないというのを痛感しています。原発の難しい仕組みを知らなくとも、単純に「こんなにアブない」ということを説得すればいいと思うのですが。ですから、樋口さんの「あぶないものは止める」という言葉が、大変力強くて、頼もしく思いました。

 それから、「原発は自国に向けた核兵器である」という言葉も重いです。政治家の中には、将来日本も核兵器を作るために、原発を続けなければならない」と堂々という人もいます。将来の核兵器の話でなく、今、ここにある原発が、水と電気が供給されなければ、即核兵器となるのだと、ゾッとする、鋭いお話でありました。


 


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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」「私が大飯原発を止めた理由」樋口英明さん①

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」での、樋口英明さんの講演「私が大飯原発を止めた理由」の要旨を掲載いたします。遅くなりましたが、講演を録音をしたのを、スタッフの一人の竹田雅博がテープ起こしをし、要旨をまとめました。それを少し私が短くしています。樋口さんのお話は、とても分かりやすく、明快でした。

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私が大飯原発を止めた理由
               


 私が大飯原発3、4号機差し止め判決を出したのは14年5月。裁判というのは、判決内容を事前に知っている者は3人の裁判官と書記官1人だけ。私は、訴訟の当初から原告・住民にも被告の関西電力にも厳しい態度で臨んでいた。判決当日、原告側も「勝つか、どうか」わからない。それでも代理人・原告、傍聴者は詰めかけた。他方、関電側は1人も法廷に来なかった。彼らは負けるとわかっていた。 


 私は当初から、「大飯原発が危険だと思ったら止める、危険じゃないのなら止めない」と宣言し、訴訟を進めてきた。関電側は「危険か危険でないかで決められたら、勝てない」と思っていた。みなさんは、原発裁判は、原発が危険かどうかで判断されると思っている。ところが実際、多くはそれで決めていない。私は、「危険であれば止める」とした。止めた、止めない裁判官の違いは、そこにある。


 危険とは何か。お母さんが子どもに、「そこの交差点は見通しが悪く危ないから気をつけてね」と言う。見通しが悪く事故発生率が高いから、危ない。「自転車に乗るとき、危ないからヘルメットを被ってね」。被っても被らなくても、事故発生確率は変わらない。お母さんは、頭を打って大けがをすることを心配している。ここでの危ないは、被害の大きさ。一般的に、危険というのは事故発生確率と被害の大きさ。両方を言うこともあるし、一方だけの場合もある。原発の危険を聞くと、9割以上の人が危険と答える。しかし、それは発生確率のことか被害の大きさのことか、分析してみなければわからない。被害の大きさだけ考えている人が案外に多い。


 大方の人が、被害の大きさは福島事故でわかったと思っている。福島事故はどういう事故だったのか。11年3月11日、午後2時46分に三陸沖約130キロでM9の地震が発生した。M9は地震の強さではなく、大きさの単位。大きな地震でも、離れていれば震度は弱くなる。福島第1原発は150キロ離れており、震度6強だった。それにより外部電源が、津波により非常用電源が断たれ、事故になった。それは原発の仕組みと関係する。原発は非常に単純な構造ですね。ウラン燃料の熱で水から蒸気をつくり、タービンを回し発電する。自転車の発電機も回すのは同じ。蒸気は、水(海水)で冷やし水に戻し、それをモーターで回す繰り返し。石炭、石油を燃やすか核燃料か、仕組みは火力発電と同じ。違いは燃料の毒性である。核燃料がある圧力容器には、広島型原爆の約千発分の「死の灰」が溜まる。


 もう一つの違いは、火力発電は大地震があると火を止める。すると沸騰が止まる。ところが原発は制御棒を入れ核反応を止めても、エネルギー量が大き過ぎ沸騰が続く。冷やすために水を循環させなければならない。送電鉄塔が倒れるなど電源が断たれると、モーターが回せない。福島の場合、非常用電源も津波に襲われた。


 原発には「止める、冷やす、閉じ込める」という安全3原則がある。制御棒を入れ止めることはできたが、冷やし続けることができなかった。そして閉じ込められなかった。冷やし続けるためには電気と水が必要だ。火力発電所、普通の工場、みなさんの家でも火を止めれば、断水してもかまわない。原発は停電しても断水してもだめ、電気が遮断されただけで、あの大事故になった。


 格納容器内に水蒸気と水素ガスが溜まり、爆発の危険があった。当時の吉田所長は水蒸気と水素ガスを抜くベントを人力でやろうとした。ベントを行なえば放射能が大気中に出る。格納容器が爆発して全部出るよりまし。しかし、強い放射線のため作業することができなかった。15日になり、2号機の圧力が限度になってきたが、なぜか抜けた。4号機は運転休止中で燃料が抜かれ、プールに貯蔵されていた。プールの水が減ってきたが隣のプールの隔壁がずれ、水が入ってきた。2号機が爆発しても4号機のプールの核燃料がメルトダウンしても、東京圏を含む東日本壊滅だった。それは、まさに奇蹟と言っていいのではないか。


 明日に続きますね。

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森達也さんの「平和講演」についての私見です。

昨日の続きなのですが。私が学生時代に被爆者や被爆二世で被爆者青年同盟を作り、その一員として、そのころからずっと引っ掛かっているのは。何しろ、当時何もお手本があるわけでなく、私たち自身が議論し、考え、決め、行動していくしかなかったのです。そして、私たちは子ども時代の被爆、または被爆二世であり、先の侵略戦争の責任はどこにあるのかと言われても。また、私たちは親の苦労を散々見てきているわけです。そんな時、自ら被爆したわけでもなく、親が被爆したわけでもなく、戦争の被害もさほど受けなかった人達から、「被爆者だって、戦争をした責任があるだろう」と言われると、それなら、あなたはどうなのか」と言いたくなるわけです。

ここで森達也さんが言われる「僕たちは」というのは、森さんはどこに立ち位置があるのだろうと思うのですね。森さんは「被害者でもあり、加害者でもある」のですか?「どう被害者なのですか?」と聞きたくなるのです。「日本人」というくくりの中で自らを被爆者と同じ立ち位置にして「僕たちは」と言われているのでしょうか。

以前、あるアメリカ人から、「広島の運動には原発がなかった」と言われたことがあります。広島では、反原発の運動を命をかけて闘い、そして実際過労で亡くなった方、ガンに倒れ亡くなった人もいます。そして、森滝市郎さんも高齢の病んだ体を押して、青森の六ケ所村や伊方原発の現地や訴訟にも出かけていき・・・。そんなことをしっかり見ていますし、私たちも伊方原発、島根原発など現地にも行き、反核は反核兵器だけでなく、反原発も当然のこととして、福島よりずっと以前から闘ってきました。しかし、私たちの力が弱いからこそ、今だに原発をゼロにすることはできないままでいます。彼が知らないだけです。そしたら彼はなんと、「原発の廃炉になった炉を原爆ドームの後ろの旧市民球場の跡に置くといい。そしたら、初めて広島は反核の運動の場になりうる」と言いました。私は怒りましたね。こんな場でどうしてそんなジョークをいうのかと、そしたら「これはジョークではない。真面目な考えだ」と彼は言いました。

その時、彼は自分のことを原爆を落としたアメリカの人ではなく、「広島市民として受け入れもらっていると思っている」と言いました。だから、広島市民としての反省のつもりなのでしょう。

 これまで被爆者は語るだけではありませんでした。全て焼かれて、食ことも十分でなく、寝る所もないような状況で、ケロイドの顔をさらし、予行列車で東京に行き、東京駅で顔を洗い、国会へ、厚生省へ、首相官邸へと訴えに行き、座りりこみをしたと。それはすさまじい体・命を懸けての闘いでありました。その闘いを経て、やっと被爆者への様々な補償が少しずつなされてきたのです。いまだに被爆者と認められず、裁判に勝っても、また控訴審を闘わなければならない老いた「黒い雨」の地域の人もあります。

 私は、今、被爆者はしっかりその被害を語ったらいいと思います。被爆者に被害と同時に加害の謝罪もさせようとしないで下さい。加害については、また別の人が謝罪をすればいい。被害がわからないからこそ、アメリカ人はいつまでもその加害性に気づかないのだと森さんも言っています。私たちだって、朝鮮半島の人達からの告発を受けて、初めて日本人がどんなにひどいことをしてきたかを知って来たのですね。(勿論、戦後の教育の中で、特に私は中学校で、侵略や差別の歴史や人権について、しっかり教えてもらいました。その教育の下地があったからこそと思っています。)

その意味で、私は語って下さる被爆者が存命の内に、たくさん話を聞いておきたいのです。

取り留めのないことを言いました。私の中では「加害と被害」が混とんとしていたのが、今回の森さんの講演で、少しだけ整理されたような気がします。とりあえずみんなで加害も被害もしっかり語れと言うことでしょうか。

今日、そごうで開かれている「私の針仕事展」に行きました。売っていたこれが、どうしても欲しくて買いました。小さいころにおんぶしたり抱っこしたりしてボロボロになるまで遊んでいた私の人形とそっくりなので。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」平和講演「核を持ってしまった世界へ 広島・長崎から、核廃絶を問う」森達也さん②

昨日の森達也さんの講演の続きです。


映像を見ながら、昔話なのか遠い国のことなのか考える。4年前か、北朝鮮が実験ミサイルを発射したとき。実験だから火薬も、もちろん核兵器も積んでいない。日本の上空450キロ、国際宇宙ステーションよりも高い高度を飛んだ。日本は政府がアラートを発し、電車や地下鉄を止め、「物陰に隠れろ、破片が落ちてくる」などの騒ぎになり、そういう訓練すら行なわれた。


東日本大震災、福島原発の事故のとき家を流され家族を失い、多くの人がとんでもない理不尽に苦しみ逃げまどっているとき、私たちは家で暖房を使い冷蔵庫を開ければ食べ物もある、電気も使っていた。これは何だとテレビを見ながら思った。その不条理。それは広島、長崎、沖縄、東京や各地の大空襲についても同じ。その後ろめたさ、サバイバル・ギルティ(生き残ったことの罪悪感)、その罪責感が大事だ。だけど後ろめたさというのは、持つのがつらい。だから、振り返りたくない。


別言すれば加害性。ぼくらも加害者だ。

 百田尚樹氏が広島で講演し、「過ちは繰り返しませぬから」という慰霊碑の言葉に、違和感を持つか否かで日本人としての民度がわかると話したという。つまり「碑文はおかしい。過ち、原爆を落としたのはアメリカだ。悪いのはアメリカなのに、なぜ私たち日本人がそう言うのか」ということだろう。

 ぼくは、この碑文は好きだ。私たちは繰り返さないという意味は大きい。呉、広島は軍都だったこと。広島、長崎も一人ひとりは加害者ではなかったが、だけど戦争に加担していた。被害者でもあるが、加害者でもあった。どちらかだけではない。どちらも大切だ。被害も加害も、どちらもしっかり刻み、残していく。後ろめたさは、うっとうしい。忘れたくなる。そう言うと自虐史観と言われる。最近、その傾向が強まっているのではないか。


そういう位置で被害と加害、その責任をどう考えるか。福島原発の大事故のときに気がついた。被爆国であり、狭く地震の多い日本に原発が54基も造られた。米仏に続き世界第3位の原発大国だ。ぼくも、それは福島事故の前から、知っていた。同じ映画の友人、鎌仲ひとみの映画も見ていた。だけど、なにか他人事だった。放射能の知識も、一応あった。突き詰めて考えていなかったのか。原爆とアメリカも、それは同じでは。いまだ加害の意識をきちんと持ち得ていない。だからこそアメリカは、戦後もずっと戦争の歴史を続けてきた。


ぼくたちは被害者であり、同時に加害者でもある。そう思いながら、あの碑を見つめる。いま、この国は歴史、自分たちの加害に目を背けようとしている。被害を伝えることは大切、声を大に言い続けなければならない。同時に、自分たちも加害の側にいる、その後ろめたさを持つ。しんどいけど、それは広島、長崎を体験した、この国のぼくたちの責務ではないか。他の国、人々に原爆とは何か、放射能を浴びどうなるか伝え続けながら、もうそろそろ違う展開にしていきたい。(これは、森達也さんの講演の要旨です。文責は、8.6ヒロシマ平和の夕べにあります。)

以下、河野の私見です。

森さんの講演をこうして振り返ってみて、確かにそうなんだと。加害と被害について、明確に論じてもらったと思います。そして、さらに思います。だから、これからどうする?と。誰が誰に対して、何を言いどう行動するのか、それが問われていると。あるマスコミの方で、その方の父親が沖縄のひめゆり部隊の教師であったと。その子として私はどうすればいいのか、宿命を背負いながら、私は私の番組を通して、その贖罪をし続けていると。その方は、地を這うようにして、重い課題の番組を作り続けられました。

 そうすると、私とて似たようなものかもしれません。父は、広島二中の教師として、多くの教え子を失いました。戦時中、軍隊に入るという卒業生に「死ぬなよ。生きて帰れ」と言い続けたという父が、何と、一発の原爆により、若い命を全滅させました。「教師にとって、教え子は、自分の子と同じように大切だった」と父は言いました。戦後、父は180度考えが変わったといいます。その後の教育の中で、また子育ての中で、もう、決して戦争はおこしてはならない。核兵器は三度使ってはならないということをしっかり教えてくれました。私が小さい時、寝ていて、父のうめき声で何度も起こされました。夢の中で、何を苦しんでいるのだろう、そう父の心情を幼いながらに、感じ取っていました。喉を締め付けるようなうめきは、私が高校生になっても、続いていました。その父の心の深い闇は、私には理解できないままでした。

私の私見、明日にも少し述べさせてください。クリニックの、青野さんの花。白が基調ですが、オレンジのグラジオラスの花が少しだけ開いています。これが一杯開くと、ガラッと鮮やかな花たちになるでしょう。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」平和講演「核を持ってしまった世界へ  広島・長崎から、核廃絶を問う」森達也さん①

大型台風10号が広島にも暴風雨をもたらすと、でも、実際は風が強いくらいで、それほど大変ではありませんでした。九州方面の方、土砂くずれで行方不明の方かが出たそうで、心配です。それに、暴風雨だけでなく、大停電で大変なご様子。それに、釜山大変そうです。どうぞ、しっかり生き抜いてほしいと思います。

今日は、朝から公共交通機関がストップしているので、スタッフは出てこられませんでした。私は自転車なので、お昼前に出勤。一人なのですが、結構患者さんが来られて、とても忙しくしています。お薬を出したり、注射をしたり。でも、検査などはスタッフがいないと無理なので、お断りせざるを得ません。電話も半端なくかかってきて一人でキリキリ舞いしています。

その隙間を縫うようにですが。ブログを書きます。今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の平和講演。森達也さんのお話を今日と明日で掲載します。なお、講演の録音をしたのをスタッフの一人の竹田雅博がテープ起こしをし、要旨をまとめました。さらにそれを河野が少し縮めております。

講演の初めに、まず森さんは、その前夜のことを話し、聴衆を笑わせました。前夜、スタッフの一部と、他の発言者の方々と、お好み焼き屋さんに行ったと。そこで「うにほーれん」を食べますか?と言われたと。何ですか、うにほうれんなんて、皆さん知ってますか?私は知らなかった。そこで、ホウレンソウにウニを混ぜたのが出てきたと。で、人に会う時には、みんなマスク。話す時にも、マスク。そして、うにほうれんをじか箸で食べた。それって、おかしくないですか?とそんなことから、講演が始まりました。ちなみに森さんは、マスクをされていませんが、写真ではわかりにくいのですが、前にシールド板を置いています。

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核を持ってしまった世界へ 広島・長崎から、核廃絶を問う
                       


映画の仕事で海外に行くことも多く、広島、長崎を知らない人はほとんどいない。しかし、そこでどのようなことが起こったのか、原爆とは何か伝わっているかどうか。とくに核兵器を投下した国アメリカでは、いまも「戦争を終わらせる正当な行為だった」という人が多くいる。


オバマ広島訪問の際、謝罪に言及しなかったのも、そうした意識を持つアメリカ国民を強く意識したからという。どう考えても、原爆投下は明らかな国際法に違反し、「正当な戦争行為の延長」でもない。二つの都市と数10万市民を犠牲にして戦争を終わらせようとしたのか、そうではないだろう。都市、市民への実験をしたかった、世界へ示威など理由はいろいろあるだろうが、とても納得できることではない。でも、それがアメリカではなかなか伝わらない。とくに50代以上の人々は、「あれは正当な行為である」と答える人が多いようだ。


ぼくは、以前『アトミック・カフェ』という映画をみたとき、そういうことかと少しわかった。新たな撮影ではなく既存のフィルム、音声資料を使ったアーカイブ・ドキュメンタリーだ。多くの印象的なシーンがある。使われている素材は、戦争中や冷戦期にアメリカという国家が国民に啓発の資料、あるいは米軍内での教育用資料として作った映画やテレビ番組、当時のヒットソング、アニメなども使われている。


ニューメキシコでの原爆実験のとき、周囲の壕に米兵が配置される。爆発後に、きのこ雲に突進させている。当然被爆し、彼らは後にアトミック・ソルジャーと言われた。社会問題にもなり、多くの人がガンなどを発症し早くに亡くなったり、子どもに何らかの異常が出たりした。


冷戦期、原爆・水爆は抑止力とされ、実験が行われた。ぼくは原爆・水爆はリミットを超えており、抑止力というものがあるとしても、使えないと思うけど。いまだに、その抑止力論がはびこる。アメリカ側に「ソ連なんか滅ぼしてしまえ」という人もいた。しかし、それなら当然反撃を受ける。そのとき、どうするのかという啓発の映画、テレビ番組が多く作られ、実際に使われた。


例えば、このようなシーン。「小さな木箱に入って」爆風をやり過ごせ。原爆実験の壕に入るアトミック・ソルジャーに上官が訓示する。「きみたちはガイガー・カウンターを着ける。怯える必要はない。熱線さえ防げばどうってことはない。しかし傷があると、そこから放射能が入るから絆創膏を貼っておけ」。兵士たちは肯き、きのこ子雲に銃を持って突進していく。大真面目、その程度の認識だ。

 アメリカ人の多くは核兵器、原爆とはどんなものかわかっていない。原爆投下後の広島を見た米兵へのインタビューでは「ダブルヘッダー後の球場のようだ」と話し、聞いた人たちは大笑いしている。子ども向けのアニメ、亀のパートくんは「ダック&カバー(Duck  and Cover、さっと隠れ頭を隠せ)」。放射能は怖くない、ピカッと光ったら物陰に隠れろとか。そのレベルだからこそ、投下した。


いま大学で学生たちに映画をみせると、プロパガンダの恐さは実感する。その対象がアメリカ国民だということもわかる。だけど誰が発信しているかというと、考え込んでしまう。大統領か政治家か、軍の上層部なのか、テレビやラジオ局の経営者かプロデューサーか、わからない。マンハッタン計画に参加した科学者たちは、核をわかっていただろうが、アメリカの国民、兵士たちは超巨大な爆弾くらいに思わされた。


つくづく思うのは無知、知らない恐さ。プロパガンダとは普通に考えると独裁者とか、邪な意識を持つ為政者が国民を洗脳するのがプロパガンダと思っている。しかし、ほとんどの場合はする側もされる側もわかっていない。知らないままにお互いに宣伝し刺激をうけ、どんどん高まってしまう。その結果、どんでもないことをやってしまう。


昨日、アメリカの研究者2人が「日本に(戦争終結のため)原爆を投下する理由はなかった」というリポートを発表したというニュースがあった。いまだに、ニュースになるというのがアメリカの現状でもある。悪意はないが無知はある。(明日に続きます)


 

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NHK「ひろしまタイムライン」について

このごろ、加害のことばかり考えています。日本がアジアの国々、とくに朝鮮半島の人達にした加害。特に、これが追及される時に、「被爆者の証言に」加害が語られていないという人達がいます。それを被爆者に求めていいのだろうかと思うのです。ひどい被爆で火傷し、放射能の障害に苦しみ、家もすべて焼かれ、そのような中で、私たち「被爆者の子ども」を必死で育ててくれた両親や祖父母たちに「あなたたちは戦争をしたではないか、アジアの国々に侵略したのを支持し、加担したではないか」なんて、とても言えない。「戦争を先導し、国民をだまし、そのことで大儲けをした人達。その人たちこそ、責められるべきではないのか、批判の矛先が違うのでは?」こんなことを私は学生時代に言いました。その後も、ずっと胸に残り続け、悪戦苦闘し、試行錯誤を繰り返しています。

今日の朝日新聞の社会面一面の大きな記事。ああ、やっと!!と思いました。

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NHKがした「ひろしまタイムライン」のひどいツイッター。「朝鮮人のやつらが・・」その元とされている当時13歳、中学一年生だった新井俊一郎さんの日記。ところが、新井さんの現実の日記にはそのツイッターの日の前後は空白で、書かれていないのです。新井さんの手記などを参考に「想像して書いた」というものなのです。

軍国少年であった新井さん。いえ、当時は教育の中で、みんな「軍国少年・軍国少女」に作られました。

事前にNHKに依頼された時、その日記を使って、「番組の中で当時の日記が紹介され、子どもたちが感想などを述べ合う」と考えていたと。

それが4月3日、企画を紹介する番組を見て驚いた新井さんはNHKの担当者に問いただしたと。そしたら、「日記を原作として子どもたちと一緒に創作している」と言われたと。新井さんは、「私は激怒しました。日記の偽造だと」と言っています。

少なくとも、私が学生時代から知っている新井さんは、紳士であり、温厚で、こんな差別発言をする人ではありません。まるで今の新井さんが発言したかのようなツイッターで、本当に驚いて、新井さんは何か反論されないのでしょうか、新井さんがなにも言われない所で、私たちが何か言ってはいけないのでしょうか、こう、何人かの人に相談し、悶々としておりました。


NHKがホームぺージ上で謝罪をしたという文章も、あまりに軽く、「差別された側の人達に対する」謝罪にはなっていません。それに、新聞紙上には出ていませんが、朝日のホームページ上に詳しく掲載されている新井さんとの一問一答。こんなことが書かれています。

 印象的なのは、子どもたち(高校生たち)と昔の話をしていたときに、ヒトラー、ムソリーニが死んだとき、私が日記の中で哀悼の意を述べているという話になった。そしたら担当者が「今でもヒトラーを尊敬していますか」と。そういうふうに思われてるんかなあと思ってがくぜんとした。

そうなのですね。軍国主義で軍国教育を受けた当時の少年たちが、今もその価値観をもちつづけているかのような、そんな想像力しかない担当者や子どもたちに、ツイートをさせる危険性は、謝罪文を見ても、全く分かっていないのではないかと思います。そして、今、そのツイートは、「戦勝国民が」と言い換えてほとんどそのままなのです。

戦争主導者たちに騙され、教育され続けた国民が、被爆という重い事実から、侵略戦争と差別の間違いに気づき、どうその価値観を再形成していったか。そこを見ないままで、当時の差別表現をそのまま今の時代に掲載したという、その間違いをこのままにしていてはいけません。少なくとも、新井さんの言い分をしっかりNHKの場(ホームぺージでもいいので)で掲載してほしいものです。

わたしも参加したこの会の主人公の新井さんです。今四つのがんと闘いながら、生き抜いておられます。どうぞ、これからもお元気で長生きをして、後輩たちに教育し続けて下さいませ。

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ウォーキングで原爆ドームとハノーバー庭園

昨夜のウォーキングは久しぶりに原爆ドームの裏側のそばを通りました。なんか、若い人たち、ほとんどがカップルですが、多く訪れていました。裏から近づくと、結構迫力があります。あら、ここに入口があるんだと初めて気づきました。

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旧産業奨励館の入口なのでしょう。周りには、崩れた建物のコンクリート片がゴロゴロと転がっています。

私が大学に入学してすぐの昭和41年、この時ある映画の撮影が広島で行われていました。それに私も協力していたのですが、その時、ちょうど原爆ドームを保存するのか、取り壊すのか論議されていました。被爆者の中には、見るのも痛々して、早く壊してほしいという人もいたのですね。それに、建物はボロボロと崩れて、とても危ない状況でした。残すのであれば、ちゃんとくずれないように工事をしなければ、でも、それには莫大なお金がかかると。その議論は、全国にひろがり、保存のための募金が沢山寄せられて、それで工事ができるようになりました。広島市も永久保存することを議会が決定しました。

 その後、国やアメリカの反対を押し切る形で運動が盛り上がり、それに押し切られる形で、世界遺産にも1996年に登録されました。これまでにも何回も大規模な工事が行われて、これまで維持されています。しかし、そのための費用もばかにならず、ふと、今残すか否かの運動が行われている陸軍被服支廠も、あの巨大な建物すべてを保存するには、維持がなかなか大変でしょうと、ドームを眺めながら、想いを馳せました。

その後はハノーバー庭園を通りました。そこでは、若者が階段を使って、スケボーに乗っていました。スケボーに乗ったまま階段を上がろうとして、何度も転んだり引っ掛かったり、イテーッとうめいたり。夫が「けがをすることがあるの?」と聞くと、「はい、結構けがします」と。ひどいけがをしないように気を付けてねというと、はい、ありがとうございますと、とてもていねいでした。

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もう少し行って県立体育館の横では、何人もの若者が音楽をかけてダンスをしています。屋外でスケボーやダンス、いいですねえ。籠ってスマホのゲームばかりより、よほど健康的ですね。

私たちも見習ってせっせとウォーキングです。でも、まだまだ暑くて。湿度も高く、橋の上でも風もあまりなくてひどい汗でした。もう少し涼しくならないとつらいです。

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