「8.6ヒロシマ平和の夕べ」これまでの経過③福島の青年たち

 これまでの8.6ヒロシマ平和の夕べをもう少し振り返ります。2013年、第6回目からです。やはり敬称略でごめんなさい。

2013

平和講演     今中哲二(京都大学原子炉実験所助教)

コーディネーター 河野美代子

被爆ピアノ

トーク      矢川光則(ピアノ調律師 ヒロシマ被爆二世)

演奏       三浦裕美(エリザベト音大ピアノコース卒業 1988年、第38回全日本盲学生音楽コン

クール第2位入賞)

紙芝居      宮崎謙一(長崎被爆者)
福島から          佐藤健太、日塔マキなど福島の青年たち


201386

 

2014

平和講演     落合恵子(作家)

コーディネーター 河野美代子

被爆ピアノ演奏  三浦裕美

リレートーク   朴 南珠(パク ナムジュ 在日韓国人被爆者)

         水戸喜世子(『原発は滅びゆく恐竜である』
                            ~水戸巌著作・講演集~編著者
)

福島から     日塔マキ(「女子の暮らしの研究所」代表)

2014862

 

2015(被爆70)

開会あいさつ   秋田明大(自動車整備工 広島被爆二世 呉市在住)

平和講演     秋葉忠利(前広島市長)

          「核廃絶は、実現できない夢ではない。生きることすら絶望的だった被爆者が3度目の使用を防ぐ力になった。ヒバクシャの抑止力を劣化させない」

広島から     河野美代子

沖縄から     川崎盛徳(元沖縄県読谷中学校校長)

リレートーク   米澤鐵志

         小林圭二

被爆ピアノ演奏&歌

広島から     藤田真弓(「オペラはだしのゲン」より)

         松本寛美(ピアニスト)

沖縄から     津波勇雄(ピアニスト 読谷村在住)

         仲間直美(ピアニスト 那覇市在住)

         川崎盛徳

         松田忠 (三線演奏 読谷村在住)

福島から     山本さとし(「ヒロシマの有る国で」作詞作曲                                     シンガーソングライター)

 井戸川克隆(元双葉町長)

2016

開会あいさつ   久保田圭二 (広島被爆者・元レストラン「リゾート」オーナー・両親爆死の様子、戦後生き抜いた大変な状況などをあいさつで )

来賓あいさつ       松本正 (広島被爆者・弟は広島二中一年生。
                            身内の計
10人が広島で被爆死)
平和講演     那須正幹 (児童文学作家 広島被爆者)

コーディネーター 河野美代子

リレートーク   池田精子 (戦後の被爆者運動・ヒバクシャ同士話しあうのが生きる支えだった。 夜行列車で東京へ。東京駅で顔を洗い、国会や首相官邸へ)

         森松明希子(原発賠償関西訴訟原告団代表)

          「福島の現実と向き合う。広島、長崎の被爆者の存在と運動は大き                       な支え」

         中村周六 (浄土真宗本願寺派僧侶・釈尊正)

ピアノ演奏    古川悦子 

2013年の福島からの青年たち、2014年の日塔マキさん、悩みながらも力強く立ち上がりつつある姿は感動でした。2014年はすべての発言者を女性で行いました。落合恵子さんのお話には、女性たちがたくさんで、会場は人であふれてしまいました。明日、もう少しこれらの会についてお話しますね。
 

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」これまでの経過②2011.12年の会

昨日の一覧表でもお分かりいただけたかと思いますが、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」では、第一回から、「ヒロシマの継承と連帯を考える」ことと共に、必ず「原発」を取り上げてまいりました。京都大学原子炉実験所の今中先生、小林先生などが協力してくださいました。

そして、とうとう2011年、福島第一原発の事故が起こりました。その年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」では、ハダシのゲンの中沢啓治さんにお出でいただいて、私のインタビューという形でのトークをしていただきました。中沢さんは、チェルノブイリに行き、進行した甲状腺がんでもう余命いくばくもないという少女にも会われていました。

同時に、伊方原発の運転差し止め訴訟の原告団の草薙弁護士にもお話して頂きました。また、京都大学の小林先生にも、起きたばかりの福島原発についてお話して頂きました。


そして、2012年。小出裕章先生にお出で頂きました。 この年の平和の夕べは、歴史に残るといってもいいほど私たちの心に深く残りました。

小出先生のスライドから。広島の原発で燃えたウランの重量800グラム。その核分裂で生成した核分裂生成物の重量と、原発一基が一年間に燃やすウランの重量は1トン。その生成する核分裂生成物の重量の比較。このスライドは視覚的にはっきりわかる衝撃的なものでした。


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さらに、IAEAに対して日本政府が報告した、福島原発で大気中に放出されたセシウム137の量の広島の原爆との比較です。


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セシウム137は、半減期30.1年。水に溶けやすく、体内に入ると甲状腺や筋肉に住み着いて、内部被ばくを起こします。
これらの話をデータを示しながら、丁寧にやさしく話てくださいました。

また、この時にはドイツの緑の党のベーベル・ヘーンさんが飛び入りで参加し、発言してくださいました。これは、会の後の交流会での写真です。


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被爆者の話は、広島の被爆者、アメリカではもっとも有名なヒバクシャとされる谷本清牧師の長女の近藤紘子さんにお話し頂きましたし、講談師の神田香織さんに講談「はだしのゲン」を語っていただきました。それを聞きに来た下さった中沢啓治さんです。

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中沢さんは、肺がんと闘っていらして、この4か月後に亡くなりました。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」これまでの経過①

今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」は、今年の初めから、そして決定的には3月から、大変な状況がありました。一時呆然としましたが、それでも実行委員一同必死必死に取り組みました。皆様にも混乱の中、ご迷惑をおかけして、大変申し訳ございませんでした。会を開くまで、どれだけの方におい出頂けるものかわからず、とても不安でした。

幸い、登壇してお話し頂いた方々が皆さんとても素晴らしいお話で、会場いっぱいの参加の皆さんが聞き入っていただきました。皆様、本当にありがとうございました。

参加者の皆様には当日お配りしたのですが、今年の会が10回目。これまでの「8.6ヒロシマ平和の夕べ」がどんなものであったのか、簡単ですが、振り返ろうと思います。始めたのは、2008年です。今日は、はじめの5回のプログラムのご報告です。登壇頂いた方々の敬称は失礼ながら略させていただきます。


8・6ヒロシマ平和の夕べ
                (2008年~2016年の概要)

 

 

2008年    (反戦平和研究集会として出発)

平和講演     米澤鐵志(広島・電車内被爆者)

「百雷のような轟音。電車の窓ガラスはすべて壊れ、辺りは真っ暗。地獄のような惨状だった」と話し、朝鮮人被爆者、日本の戦争責任に言及、核兵器廃絶へ民衆の運動を広げようと訴えた。

今中哲二(京都大学熊取原子炉実験所)

立山紘毅(山口大学)ほか  

 

2009

平和講演     河野美代子(産婦人科医 広島被爆二世)

司会       上原 公子(前 国立市長)

ピアノ演奏    池辺 幸恵

映像       ヒロシマを忘れないために

空襲の地より   青木 忠(「瀬戸内の太平洋戦争 因島空襲」著者)

リレートーク   米澤鐵志(広島 電車内被爆者)

         三浦 翠(原発いらん!山口ネットワーク)

         小林圭二(元京都大学原子炉研究所講師)

 

2010(被爆65)

平和講演     高 史明(コ サミョン 作家)

          「ヒロシマ、ナガサキに至るおびただしい犠牲の歴史。近代合理主義は原爆に行きついた。日本人民がこれにどう向き合ってきたか、これからどういう態度をとるのか」

司会       河野美代子

リレートーク   池田精子(広島県被団協副理事長)

          「ケロイドが酷く心にも深い傷を負った。死んだ方がよかったと親に当り散らしたが、父親の愛を受け生きた。生きている間に核廃絶を」

知花昌一(沖縄読谷村議会議員 反戦地主)

 

2011

平和講演     中沢啓治(広島被爆者 漫画「はだしのゲン」作者)

インタビュアー  河野美代子

司会       中村周六(浄土真宗本願寺派僧侶 釈尊正)

リレートーク   草薙順一(伊方原発訴訟・弁護士)

         小林圭二

          「原子力はアラモゴード、広島・長崎の3発の原爆から始まった。平和利用はその側面に過ぎない。(福島事故は)化けの皮がはがれ、ヒロシマ・ナガサキに戻った」

歌        早苗 ねね(「サヨナラ戦争」~憲法9条を歌う)

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2012年     

平和講演     小出裕章(京都大学原子炉実験所助教)

司会       河野美代子

歌        三代目春駒(ミュージシャン「その男ヨシオ」を歌う)

トーク      近藤紘子(広島被爆者)

講談       神田香織(講談師 いわき市出身「講談 はだしのゲン」を公演)

          「中沢さんは、『いまでも、原爆で死んだ弟を思い出し、夜中に飛び起きるんだ』といわれました。血みどろの体験を踏み台に、『みんなに生きてほしい』と。それにしても福島事故への対応、日本という国に、ぞっとします」(談)
肺がん闘病中の中沢さんも車いすで参加、神田さんの講談を聞かれました。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」⑩米澤鐵志さんのお話

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の最終の発言は米澤鐵志さんでした。

米澤さんは、電車内ヒバクシャの数少ないサバイバーです。著書に「僕は満員電車で原爆を浴びた:11歳の少年が生き抜いたヒロシマ」があります。

 この「8.6ヒロシマー平和の夕べ」の第一回の講演者であり、以後毎年この会に参加してくださっています。

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米澤さんは、今京都在住。いつも多くの所から求められて証言活動をなさっています。

先日も、ある専門学校で証言したと。その時に、原爆の被災だけでなく、日本の加害の話もしたと。そしたら、学生さんたちから、日本がそんなひどいことをしたなんて、全く知らなかったと。拉致よりもひどいことをしていたのですね、と。戦争への道を突っ走ろうとしている今、この歴史をちゃんと伝えていかないといけない。

それらをちゃんと伝え続けたこの会を今後も続けてほしいと言われました。
私は、ありがたくてありがたくて。いろいろとあった今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」、この会に今年も米澤さんが参加してくださったこと、そして私たちを励ましてくださったこと。つい涙ぐんでしまって、最後の言葉も皆様ありがとうございましたとしか言えませんでした。

米澤さんは、翌8月7日、83歳のお誕生日を迎えられました。米澤さんと共にヒロシマで8月6日を送ることができたのは、本当に大きな喜びです。ありがとうございました。どうぞ、これからもますますお元気で、若い人たちに語ってあげてくださいませ。

 来年も、いい企画をして米澤さんをお待ちしますね。私の大切なツーショットです。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」⑨川口真由美さん・Yasuさん

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」では、毎回音楽の演奏、歌もお願いしています。今年は、川口真由美さんにお願いしました。川口さんは、沖縄のMakoto Yasuと共にきてくださいました。

川口さんは、関西を中心に、沖縄や韓国でも大活躍の方です。これまでにもこの8.6ヒロシマ平和の夕べに参加し、交流会で歌ってくださっていました。

広島に来て、灯篭流しを見た後で作ったといわれる「悲しみから生まれた平和への道」など、それは素晴らしい歌を歌ってくださいました。

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そのステージは、You Tubeのここでアップされています。



川口さんとYasuさんの力強い歌は、参加者の胸を揺さぶり、力を与えてくださいました。

心から感謝します。ぜひ皆様も聴いてくださいませ。

なお、フェイスブックでは「悲しみから生まれた平和への道」と、Yasuさんと共に歌われた「沖縄いまこそ立ち上がろう」をそれぞれアップしますね。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」⑧大塚愛さんのお話・続き

 大塚愛さんのお話は、福島の現状、今も避難している人達、子どもの甲状腺がんのことなどに続きました。その場でのお話の細かいデータなどはメモできなかったので、以下のデータは、私がネットで調べたものです。

今も避難している人達。10万人を超えています。これは福島県が発表し、NHKが取り上げたデータですが、ここにもあるように、避難指示が続いている浪江町、富岡町、大熊町、双葉町、飯館村の5つの町と村から県内に避難している住民、あわせて2万4000人以上が含まれていないそうです。福島県では、仮設住宅などの狩りの住まいを出て、災害公営住宅に入居したり、避難先で住宅を再建したりした住民は「安定した住まいがあるむとして避難とみなされないのだそうです。

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そのうえ、自主避難者の公務員宿舎などへの住宅の無償提供や家賃補助などが今年の4月から打ち切られています。母子避難などの世帯分離している人達も多く、生活が成り立たなくて悲鳴を上げていると。

また、子どもの甲状腺がんも増え続けています。これは、今年の6月5日に公表された福島県民調査報告です。

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 報道も少なくなった今、ともすれば人々は福島の人々のことを忘れそうになっています。私たちは、これからもずっとずっと福島の方々のことを見守りたいし、支援し続けたいと思います。

ところで、平和の夕べの後の交流会では、大塚愛さんが歌ってくださいました。彼女の県議の選挙の時に作ったという「一歩」。子どもたちもそれを覚えて歌ってくれたと。ここに素敵な歌声をアップできないのが残念ですが。フェイスブックでアップしますね。

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大塚愛さん、その日の朝福島を発って広島に駆けつけるという、大変お忙しくお疲れのところ、お話してくださって、本当にありがとうございました。これからも「8.6ヒロシマ平和の夕べ」では、必ず福島の人々からの発言も続けます。

どうぞ、ますますのご活躍を。応援しますね。

 

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」⑦大塚愛さんのお話

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」福島から故郷の岡山に家族で避難していらっしゃる大塚愛さんにもお話をしていただきました。

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大塚さんは、岡山大学教育学部卒後、農業研修のために福島に。そこで大工さんの修行もして、家を自分で建てたと。その時の写真をたくさん見せてくださいました。田んぼで鋤をしているところ、木を切っているところなどなど。でも、一番素敵と思ったのは、自分でスコップで一週間かけて井戸を掘っている写真です。その写真を皆さんにも見て頂きたいなあと思いましたが私の手元にはなくて残念。電気も自家発電で。

そして、あの大地震。ご自分で建てた家は大揺れしたけれど、びくともせず、普通に生活できていたと。そのあとの原発の事故。家族で岡山に避難されました。

福島での生活について、7月27日のこのブログで皆様にお伝えしているのですが、ここに記述してある、福島での幸せな生活について、もう一度ここに掲載しますね。福島原発岡山裁判での陳述書からです。

『1 私のこと

私は広島県福山市で出生して,1歳から25歳までこの岡山で過ごしました。

私が福島で生活を始めるようになったのは大学を卒業した3年後の1999年のことです。大学では教育学部で幼児教育を専攻しました。大学卒業後,自分の夢を模索する中で自給自足と大工を目指すようになり,福島県川俣町にある農場で農業研修を受けることになりました。

半年間の農業研修ののち,私が生活をしていたのは福島県双葉郡川内村というところです。川内村は浜通りの中部に位置し,福島第一原子力発電所からは30キロ圏内にあります。川内村の当時の人口は3000人くらいでした。

私はこの村に自分で小屋を建てて住み,村の大工の親方に弟子入りし,平日は大工仕事を,土日は農作業をしながら生活していました。

川内村に移ってから4年後,仕事の関係で福島に来た夫と出会って結婚し,川内村に夫婦で新居を建てました。子どもが2人生まれて家族4人になり,大工と建築設計の仕事を営みつつ,春には山菜を採り,夏には渓流で泳いでヤマメを釣って食べ,秋にはキノコやクリを採り,冬には薪で暖をとる,そのような暮らしをして,四季のめぐりや自然の恵みに何より生きる豊かさを感じていました。』

そのような生活から逃れなければならなくなって、2011年3月に避難され、その年の5月に、福島にいる子どもたちの保養受け入れや、避難している人達のサポートのために「子ども未来・愛ネットワーク」を立ち上げ活動されています。さらに、岡山県議の横田悦子さんが亡くなった後の補選に立候補し、見事当選され、いま、県議としても活躍されています。

福島から避難されている人、子どもの甲状腺がんのお話など。明日に続きますね。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」⑥小野英子さんのお話・続き

 小野英子さんのお母様の信子さんが英文で書かれ、英子さんが翻訳、編集された「炎のメモワール」については、ここに書いています。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-ded6.html

小野さんから頂いたコピーをさらにコピーして、参加者全員に配りました。

体験の語りではサラリと話されましたが、「炎のメモワール」を読んで、もう、涙を禁じえませんでした。被爆直前の平和な一家の朝の様子、そして夫は学徒動員の現場へ、上のお嬢さんの洋子さん8歳は、学校へと出て行った直後の原爆投下。お母様と英子さんは、倒壊した家の下敷きになるも、なんとか脱出。その直後はもう火の海となり、洋子さんを探しに行こうとするも、かなわなかったこと。それを何度後悔なさったことか。火の中に飛び込んででも行けばよかったと。

その後、避難先から洋子さんを探し求めて。やっとやっと見つけた時には、亡くなっていた遺体と化していました。その直前まで「お水を頂戴」と言い続けていたと。もう少し早く見つけていたら、と、これも幾度後悔されたことでしょう。

夫の山本先生が亡くなったことは学校で知ったと。時計などのわずかの遺品があるのみで、遺骨もどっては来ませんでした。

こんな思いをどれだけの人がしたことでしょう。まったく、原爆を開発した人、落とした人、落とせと命令した人、それよりも戦争を始めた人たち。この人達は人間の命をどう考えていたのか。戦争のための一つの駒でしかなかったと。駒にも一人一人命があり、思いがあり、家族がいて、 ということなどは全く頭にないのでしょう。それは、今の日本の安倍首相をはじめとする政治家の多くの頭にも。

この手記は、被爆の2年後に書かれ、アメリカの「TIME」に送付するも、GHQの検閲にかかり、没収されました。信子さんが亡くなった後の遺品の中から英子さんが見つけ、翻訳、編集されたものです。信子さんが、生前にこのことを知られたなら、どんなにかホッとされたことかとそれは残念です。

小野さんには、関東地方を中心に証言活動をされていますが、広島で話すのは初めてとのことです。重い、大切なお話をして頂きました。

Img_1286 小野英子さんは、いま重い肺がんの治療中です。抗がん剤で髪がすっかり抜け落ちて、今やっとここまで生えて来たと。それはそれで素敵ですよ、白髪がとても上品ですと申し上げました。

私から言うまでもないのですが、どうぞ、どうぞお体を大切になさって、そして、貴重な体験のお話を多くの方にしてあげてくださいませ。戦争や被爆がどんなことなのかを知らないまま、知ろうともしないまま、戦争への道を突き進もうとしている今だからこそ、小野さんの活動はとてもとても大切なものだと思います。

この度は、本当に来て頂いて、お話し頂いてありがとうございました。参加者みんなの胸を打ちました。私たちは、この小野さんのお話を大切にこれからも活動していきたいと思います。心から深く深く感謝申し上げます。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」⑤小野英子さんのお話

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のご報告の続きです。永田浩三さんの講演の報告に続いて、小野英子さんのお話の報告をしなければならなくって。でも、なかなかできないで、だらだらと私の日常の報告ばかりしていました。小野さんのお話があまりに大きくて、書きづらかったのが原因です。

でも、いつまでも逃げていてはならないと。いを決して今日のご報告を書きます。当日の会の司会でも私は言えませんでした。


小野さんのお父様は当時、広島二中の教師でした。私の父と同僚です。お父様は全滅した二中一年生とともに、爆心地の本川川岸でなくなりました。生徒に君は頑張って家に帰れ、先生はもう歩けないと、生徒の手を握ってその後亡くなったと。ポプラ社の「いしぶみ」にも書かれています。 私の父は偶然が重なって生きました。

お父様とお姉さまをなくされて、お母様と二人、その人生はいかばかりだったかと。生き残った父から生まれた私は、幸せに育ててもらいました。それが何とも後ろめたかったこともあります。

当日の朝、何年ぶりかで二中の慰霊式に出ました。二中の一年生だったお兄様をなくした竹田さんも一緒です。私は父の存命中は一緒に行っていたのですが、亡くなってからは、6日の夕方一人でお参りしていました。

二中の慰霊碑は一年生が全滅した本川の川沿いにあります。道路を挟んで式典は行われます。その真ん中の道路を安倍首相の車が厳重に警備されて通りました。

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二中の碑の前での小野さんです。背景が警察官だらけですが。

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小野さんの講演は幸せなご一家の写真から始まりました。

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そして、お母様の著、小野英子さんの訳の「炎のメモワール」と「いしぶみ」を手にお話されました。

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広島でお話しされるのは初めてということですが、そのお話は壮絶なものでした。

明日に続きますね。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」④うれしいお電話

昨日、すごく嬉しいお電話をいただきました。8.6ヒロシマ平和の夕べに参加して頂いた方です。もう80歳を超えていらっしゃるでしょうか。とってもいい会をありがとうと。みん素晴らしかったと。特に、永田さんのお話には、知らないこともたくさんあったと。ご夫婦で、四国五郎さんに似顔絵を描いてもらったこともあるのだそうです。

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そして、当日の資料としてお配りした中にある「ヒバクシャ国際署名-被爆者は核兵器廃絶を心から求めます」この署名集めをすると。たくさん集めるからと。なんと,私たちの会にきて、即、このような行動をする決心をされたということが、とっても驚いたし、うれしかったのです。ありがたいことです。頑張って「平和の夕べ」をしたかいもあったというものです。

私にとっても、たくさん学ぶことがありました。そして。私自身、被爆直後から核兵器廃絶のために頑張られた被爆者の方たちとの接点がたくさんあります。私も被爆後の歴史の中に生きてきたのだなあと改めて感じました。その接点を大切にしなければ。


まだ小野さんのお話、大塚さんのお話、川口さんの歌など、報告することがたくさんあります。飛び飛びになるかもしれません。ゆっくりと報告させていただきますね。


今日から私は一周間の休みに入ります。今日のお昼にこんな講演をします。

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職場の組合の方たちに、お昼ご飯を食べながらお話を聞いていただきます。働く方たちに女性の体の話を聞いていただけるのはうれしいです。組合だから、休憩時間しか使えないと。だから短時間になりますが、ギュッと濃縮して話をしようと思います。


すんだらすぐに車で出発して出雲の両親のお墓参りに行きます。これも楽しみなのです。お墓参りの時にいつも泊まる出雲のホテルがいっぱいで泊まれませんでした。で、じゃらんで検索したら、玉造温泉に宿泊できるところが見つかって、万歳です。一泊だけですが、これが私の本当の夏休み。うれしくて。少しのんびりできるかな?

あとは、たくさんたまっているいろいろな用事を済ませて、大分に出発。河野の実家です。母がまだ入院中ですが、退院されるかもしれません。少しでも親孝行をしないとね。

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