8.6ヒロシマ平和の夕べの会議と養子縁組の講演準備

今日は午後から「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のスタッフ会議でした。

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当日お話して頂く方もすべて決まり、フライヤーもほとんど出来上がり着々と進んでいます。今年もリアルの会とZOOMによるハイブリッドで行います。

準備万端なのですが、心配なのは、コロナ。今日の広島は又、感染者がうんと増えて1400人越えと。沖縄は2000人越え、北海道は3000人越えと。うーん、ゴールデンウィークによる人の移動により、もっと増えるかもしれません・・。

場合によっては、リアルを考え直さなければならないかもしれません。でも、一昨年から開催している会場は、川沿いの7階、とても風通しが良くって、窓全開、大型の扇風機で川風がどんどん吹き抜けるようにしていますので、かなり危険は回避出来ると思っています。これにマスクと演者以外会話を控えて頂くこと。何とか無事開催できます様に。

会議終了後、来週の日曜日の講演の準備が出来上がって、配布資料を送りました。これでひと段落です。ただ、当日が午前中講演。午後、岡山で参加したい学会があって、それに間に合うためには、岡山のホテルから講演するしかなくなって、今日ホテルの予約もしました。リモートの講演だから出来ることです。

講演は、こんなの。参加される方は全国からの様です。

特別養子縁組に関わる方たちには、今の日本における女性医療行政、性暴力に対しての日本の法律などの状況、そして性教育の貧しさなど知っていてほしいと思います。そのような背景があって、産んでも育てられない出産があるのだと。それらも含めてこれまで私が取り組んできたこと、私見などのお話をします。

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「写真展1976-1978基町」に行きました。

1976-1978基町写真展に昨日今日と二日間行って来ました。いろいろと懐かしかったり、思う所があったりして。受付簿を見ると思いの他沢山の方たちが来られてます。

会場の日銀跡。

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入口に立ててある案内。

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会場は、原則撮影禁止ですが、写真の接写ではなく会場の雰囲気をということで許可して頂きました。

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広島大学を初め、いろいろな大学の写真部の人たちが写した広島の写真がネガで1000本もあって、それがぐしゃぐしゃになっていたと。それを整理するために「一般社団法人 もう一つの写真記録」を作ったと。写真の整理するのに6年間かかったのだそうです。今回、その中にあった基町の写真の中から選んで写真展を開いたと。

又、絵が何枚も描かれていて、どこの写真を撮ったがそれに書き込まれていました。ずいぶん上手な絵、それもそのはず美大の学生さんが書かれたのだそうです。この絵も見ごたえがありました。見ていると、懐かしくて。相生通りと広島市民球場の間に青少年センタ―が描いてありました。そこで高校時代、大学時代、何度も演劇の舞台を踏んだものです。それは今でもあります。先日、修学旅行生が被爆証言を聴く会場がそこで、先生に用があって訪ねていきました。何十年ぶりでしょうか。ずいぶん古くなっていますが、健在なのに感無量でした。中央図書館や子ども図書館が変なことになるように、ここも近いうちに潰されるのでしょうが。

私が小学4年生の時にできた市民球場もなくなって、中央公園もなくなるし、この辺りもすっかり様相が変わりますね。

そんな、私だけでなく、それぞれの人にそれぞれの思いがある様で、主催の方に話しこんでている人が何人もいらっしゃいました。

皆様もぜひ。天井が高い日銀跡の会場も見ごたえがあります。
 

 

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「写真展1976-1978基町」

明日3月16日から、旧日銀にて一つの写真展が行われます。

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今は姿をを消した基町の写真です。


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基町とは。

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今は高層マンションが並んでいます。私が学生時代、まだ「原爆スラム」と呼ばれた一帯がありました。被爆者青年同盟の活動をしていた私たちの所に、東京から来た雑誌記者が、「君たちの中で、ケロイドのある人いない?」と。私達は「二世」ですからというと、アッそうか、二世はケロイドないんだ。じゃ、お母さんだ。お母さんのケロイドがある人は?とぬかしましたね。その人達は私にこの基町に連れて行ってほしいと案内させて、了解もしていないのに、歩いている私の写真を撮りました・・。そんなことを思い出します。

 



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私は、広島大学の演劇研究会でしたが、なぜか仲良くしていた写真部のみなさん、その活動は、それは活発でした。それをずっとずっと何十年も続けているという、これは本当にすごいものです。

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懐かしいお顔に会えるかもしれません。毎日会場に行こうと思います。

 

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私の3.11

昨日は2011.3.11から11年。様々な所で、多くの供養やイベントが行われたとの報道に接しました。私は、帰宅が夜中になってしまったので、なんにもできませんでしたが。それでも、この11年つらつらと思い出しました。11年間私は何をしたのだろうかと。

 私にとっては、東京の娘からものすごい地震があったとクリニックに連絡があってから始まりました。それから、仕事の合間合間に見るテレビでの、これはすごい津波。震えあがりました。今ここでどれだけの人が命の危機にさらされているのだろうかと。

 その後、たくさんの東北の方たちに接しました。特に、原発の事故による放射線に逃れて広島に保養に来られたり、私自身が東北に行ったり。8.6ヒロシマ平和の夕べにも毎年来て戴きました。本も沢山読みました。その一部、手元にある本を。

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多くのブログも書きました。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-29ec.html
神田山荘で。福島人たちと。
http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-3ee0.html
福島からの親子たちと宮島へ。
http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-01e8.html
福島の女性たち

2011年の後半からの福島・原爆・原発・8.6関連です。


 



2012年の同じく


 



2013年です。


 




この後、中学生で原発の事故による被曝をし、大学生で甲状腺がんになった男性の支援など、いろいろとありましたが。


私達は何をしているのだろうと。こんなむごい原爆の被害に二度も遭い、福島の原発の事故にも逢い、それでもなお地上の核兵器はなくすこともできず、原発すら、止めることもできず。ましてや、こんな状況なのに、今だに新しくそれも瀬戸内海に原発を作ろうとしていることも止められず・・。

いつぞや、「ヒロシマの運動には原発がなかった」と言ってのけた人がいました。冗談ではない。それはあなたが反原発の運動をした来なかっただけであり、または知らないだけなのだと、偉そうに、と怒って反論したこともありました。ずっと昔から、被爆者運動の師、森滝市郎さんのころから、反原発の運動に駆け回っていられたものだし、2013.01.20のブログ、三村昴先生の涙の大演説を見ても分かるように、核の平和利用などあり得ないのが、原則なのに、まだ止められないでいる。私は、島根原発や伊方原発や、大分の地熱発電や愛媛の風力発電などの見学にもせっせと行ったし伊方原発阻止の訴訟の原告にもなっています。それでも、私達の運動は弱いものです。強大な権力とお金のある人達に負け続けています。

一緒に始めた原君や中村周六さんも亡くなってしまったし、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」に来て下さった小林圭二先生も、中沢啓治さんも、那須正幹さんも亡くなったし。

ころからどうしたらいいのだろうかと、あれこれ考えていて、結局朝を迎えてしまいました。それが、私の3.11でした。


 


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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」2021のご報告・田井中雅人さんの平和講演

2021年「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の平和講演は朝日新聞記者の田井中雅人さんでした。田井中さんについては、8月4日の私のブログ、ここにご紹介しています。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2021/08/post-dccf27.html

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「核の時代を終わらせるために」というテーマで、それは素晴らしい講演をして戴きました。丁度12月29日、NHKBS1スペシャルにて、「原爆初動調査隠された真実」が放映されました。アメリカが原爆投下後広島と長崎に調査に入り、黒い雨被害を初め、被爆の影響をつかんでいながら、隠蔽していたことを、丁寧な資料・証拠発掘して報道しました。これは見ごたえがありました。やっぱりね、なのですが、それの証拠は大スクープですね。

 この報道は、この度の田井中さんの講演「「核禁条約の発効と『黒い雨』判決は、ヒバクの過小評価の歴史と論理を転換する」という内容と、ぴたりと一致しました。

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実は田井中さんの講演のテープ起こしを何度も読み、検討したのですが、どこも一つとして削除できない、誠に充実した濃厚なお話だったのです。そこで。申し訳ないことではありますが、田井中さんの講演のテープ起こしそのままここに再現します。私があれこれ手を入れるべきではないのです・・。長文になりますが、了解くださいませ。

 「黒い雨」訴訟など、なぜ国は被爆と被爆者の範囲に「線引き」をするのか。広島・長崎原爆投下後、米軍とマンハッタン計画の学者らによる合同調査委員会が広島、長崎に入り、放射線の被害、影響を調査、ABCC(原爆被害調査委員会)に引継いだ。生き残った被爆者に脱毛、紫斑、下痢、倦怠感、発熱などさまざまな急性症状が現れた。爆心に近いほど多く、2キロくらいから減少していく。ABCCは脱毛と紫斑の2症状だけを「被爆による急性症状」と定義づけた。3キロ、5キロ離れた多くの被爆者にも、下痢、出血、倦怠感などの症状が出ている。しかし、2症状がその後の基準づくりにされた。

これらの問題について中川保雄さん(神戸大・科学史研究者、故人)の研究がある。「放射線被曝、防護の基準は、核・原子力を開発する側がヒバクを強制される側に、やむを得ない、がまん受忍するものと思わせる科学的装いを凝らした社会的基準である」(要旨、注:『放射線被曝の歴史』中川保雄著/2011年増補版、旧版1991年)。アメリカ、米軍は原爆の被害、残留放射能の影響をできるだけ低く見積もりたかった。

ヒバクを強制する側の基準

戦後、国際放射線防護委員会(ICRP)が作られ、核開発や原水爆実験による放射線被曝を強制する側から、「平均的な人は耐えられる」「何キロ以内、何ミリシーベルト以下を基準」としてきた。

福島原発事故の後、年間1ミリシーベルトだった一般の人の基準がICRPの勧告を受け20ミリとされた。行政が数字を出し、専門家とされる人が論文に、また行政が取り入れる。それが目安とされ、「帰還政策」になっていく。

福島原発事故の際、放出された放射性物質は大気中、海中に拡散し太平洋全域、アメリカにも届いた。

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事故直後に、東北沖に展開した空母などから救援物資を運んだ米軍の「トモダチ作戦」では、多くの兵士がヒバクした。甲板作業の兵士はもちろん、多くの乗組員が強い外部、内部被曝を受け、何カ月もたって体調を崩した。少なくとも9人が亡くなっているが、ほとんど報道されない。米軍は14年に報告書を出し、「黒い雨」と同じ論法で「相当する線量ではない」と線引き、切り捨てている。

「栄光の歴史」 ハンフォード

福島ではアメリカのハンフォードをモデルにした「浜通り復興計画」が持ち上がっている。米西海岸のハンフォードには、長崎に投下した原爆のプルトニウムを作った原子炉があった。80年代まで使われ、長崎原爆7千発分のプルトニウムを量産した。いまは博物館になっている。

周辺は緑ゆたか、ブドウ畑が広がりワインも作られる。研究機関、原子力産業、廃炉ビジネスが集結し、観光客が集まる。一見、すごくきれいな町起こし。博物館のガイドが、きのこ雲をあしらったポロシャツを着ていたり、レストランにはアトミックエールというビール、高校のスポーツチームがボマーズ(爆撃隊)とか。

「ここで作った原爆を長崎に投下し、戦争が終わってよかったね」。科学者も人々にも、栄光の歴史になっている。しかし、「黒い雨」「トモダチ作戦」のように、線引きの外に多くのヒバクシャがいる。

プルトニウム生産による高濃度廃棄物もまったく処理できていない。タンクに入れ地中に埋めているが、漏れ出している。川、農地も汚染された。先住民族の人たちは野草やコロンビア川のサーモン、川魚を食べて生活してきた。戦後生まれ、お父さんが技術者だった女性は、子どものころコロンビア川で遊び泳いだ。10代後半から甲状腺ガンや流産を経験する。30年余り「病気だらけの人生」と、裁判に訴えてきた。

裁判所は、「あなたたちは、広島・長崎の被爆者が受けた線量よりもはるかに少ない。因果関係は認められない」と退ける。政府や核産業は、「自然界にも放射能はある」「ガンは多発していない」という対抗研究を行ない、「あなたのガンはタバコのせいでは。家系由来かも」など自己責任論を持ち出してくる。

禁止条約不参加は保有への担保

「核は毒じゃない。大げさなものではないよ」という歴史と状況に対抗できる内容を、核兵器禁止条約は持つ。「ヒバクシャと核被害者の受け入れ難い苦痛を心に留める」と前文に書いた。「核は悪、毒、非合法、非人道」と規定した。軍縮の枠を越えた人道、人権条約である。

核兵器禁止条約は「核の語られ方」との、たたかい。第1条に、核兵器の開発、実験、製造、保有、配備などを禁止した。使用の威嚇、支援、奨励は、アメリカの核の傘に依拠し、開発を放棄していない日本に関係する条項でもある。条約は、それらを禁じている。第6条、被害者支援と環境改善は、広島・長崎・福島の被害者の救済、汚染された太平洋の環境改善という、まさに日本の役割となる。一方、化学兵器、毒ガスなどのように検証が、まだ規定されていない。日本は、今後開かれる締約国会議にオブザーバーでも参加するべき。

アメリカの核被害者も、禁止条約の成立に熱心に活動した。ハンフォードもそうだが、じつはアメリカは「ヒバク大国」。マンハッタン計画の核施設は全米に広がり、1950年代はネバダ砂漠で核実験が繰り返された。アメリカ政府は、「核実験は危なくないよ。きのこ雲を見よう」とプロパガンダを展開した。

多くの「風下のヒバクシャ」がいる。ユタ州セントジョージに住む女性は、お母さんのお腹にいたときにヒバク。西部劇のロケ地も汚染され、多くの映画関係者がガンで亡くなっている。「高齢化により被爆者、被曝者がいなくなっていく」と言われるが、なくならない。「風下の町」では子どもや孫、3世、4世に甲状腺ガンや流産が多発する。足もとのヒバクシャは、「自分たちよりも、次の世代に影響が大きい」と国際会議で証言している。

日本は、何をしてきたか。17年、核兵器禁止条約の交渉会議をボイコットした。その前の、交渉会議に向けた会議でも、アメリカに言われるままに反対に投票した。

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「核の論理」に終止符を打つ

アメリカ、ABCCが、「爆心から2キロ以内の急性症状以外は被害を認めない」とするのは、なぜか。原爆・核兵器が、「無差別、残虐な兵器を禁止する」ハーグ陸戦条約違反とされては困る。「内部被曝とか、遺伝的影響はない」、単に「熱線や爆風で死ぬ」としないと戦争犯罪になってしまう。「2キロ以内にいた人にしか起きない被害」という基準、論理にしたかった。

核兵器禁止条約は、それを崩してしまう条約である。

日本は、「必要最小限であれば、(保有は)必ずしも憲法の禁止するところでない」(16年、閣議決定)としている。

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原発は、原爆の材料を作る装置。プルトニウムを保有し、ミサイルに転用するロケット技術もある。表向きは、もちろん平和目的。しかし、条約に参加すると核兵器を作れなくなる。「潜在能力は保持しておきたい」。

アメリカのヒバクシャ、ハンフォード、トモダチ作戦も、黒い雨と同じように「広島・長崎ほど被爆していない」と切り捨てられ、「毒、悪い」と言わせないようにされてきた。「黒い雨」判決に、菅首相は「受け入れ難い部分もある」とコメントした。「科学的、合理的知見がない。個人差がある」とか、同じ理屈である。

この論理、基準の押しつけが、「放射線ヒバクの歴史」だった。しかし、核兵器禁止条約、「黒い雨」判決の確定は、科学的とされてきたことが、じつはヒバクの過少評価、押しつける側の論理だと明らかにした。「核の語られ方」を変える、転換点になる。

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以上で今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のご報告を終わります。これまでの皆様のご支持、ご協力に深く感謝申し上げます。私たちは、すでに、来年の平和の夕べについて動き出しています。これからも、これまでに負けない会の提供をいたします。そして、この世界からの核廃絶、戦争のない社会作るために少しでも貢献できれば幸いです。どうぞ、今後ともよろしくお願いします。

なお、今回、ご報告が大変遅くなりましたこと、心からお詫び申し上げます。


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遅ればせながら「8.6ヒロシマ平和の夕べ」2021のご報告を

今年の終わりに、2021年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のご報告をします。遅ればせながらですみません。

 コロナ禍がまだ続いている中、川沿いのRCC文化センターの七階、風通しの良いところで川風に吹かれながら行いました。入場される方は満席の半分の人数に制限し、同時にオンラインによる全国配信もと、ハイブリット方式で行い、両方で毎年の参加数を上回る参加でした。もちろん、会場ではすべての方にマスクをしていただき、検温も行って。

2021年、被爆76年目、1月に核兵器禁止条約が発効。7月、「黒い雨訴訟」の勝訴が確定し、被爆者にやっとやっと手帳が交付されることになりました。そんな中、被爆の継承、核廃絶をどう進めるか、問いながらの開催となりました。本会としては14回目。これまでの被爆証言者・小野瑛子さん、平和講演の中沢啓治さん、小林圭二さん、那須正幹さんも亡くなりました。


全体のプログラムは、「黒い雨」訴訟の高東征二さん、「10年目の福島から」は、いわき市の伊東達也さん。平和講演は「核兵器禁止条約の発効と核廃絶」について田井中雅人さん。世代を越えて被爆の実相をどうつなぐか、若い世代から高橋悠太さんら3人が参加、KNOW NUKES TOKYOの活動や国会議員に面談し核禁条約への意見、日本政府の参加について質問し、まとめていることを紹介されました。


高東さんは、「7月29日に判決が確定。8月3日に、私もやっと被爆者健康手帳を受けました。」と、交付されたばかりの手帳をかざして下さいました。ほんとうに長いあいだ、判決待たず亡くなった原告たち、さまざまの事情で裁判に参加できなかった被爆者もいます。もう、1日も待てません。国はすべての黒い雨被爆者に、一刻も早く手帳を出してほしい。内部被ばくの危険に、真剣に向き合うべきです。」と話されました。この内部被曝という問題、単に黒い雨の被爆者だけでなく福島の、そして世界の被曝者にも通ずる問題です。田井中さんのお話もこれに繋がることでした。

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しかし今ここに来て国は、黒い雨の被爆者の方々の被爆者認定をするためには、がんや白内障などの疾病に罹っていなければならないという条件を付けてきています。高裁判決は、疾病のあるなしの条件を付けてはいません。76年も経って、いまだに被爆者と認められない方々のこと、本当にいいかげんにしてほしいと思います。広島出身の総理になってもこれまでとおんなじ!!なのです。


 福島からは、伊東達也さん。ビデオで参加して下さいました。伊東さんたち「非核の火をともす会」は、今年の3.11に、楢葉町に広島、長崎で採火したの原爆の火、「非核の灯」をともしました。「福島原発被害から10年目。避難指示区域の12市町村を見ると、住民登録の半数が戻れていません。小中学校の通学者数は事故前の1割弱。営農再開は30%余。福島の難事は続いています。そもそも“廃炉”が30年、40年で終わるなど、あり得ません。」非核の火をともしたことに触れ、「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマが『核と共存できない』ことを示している」と結ばれました。

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今年は3人の大学生たち、KNOW NUKES TOKYO のメンバーが来て活動の報告をして下さいました。若者たちは、「それぞれ広島、長崎出身です。」「東京で核兵器の問題を考え訴えています。東京にも多くの被爆者がお住まいです。」「核兵器禁止条約に日本が加わるために、どうすればいいのか考え議論しました。政治へのアプローチは重要ということで、アンケートを取っています。その結果。

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国会議員一人ひとりに、あなたはどう考えますかと聞くために面会求めました。その目的です。

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その為の手順は。
1.情報収集
2.仲間を集める
3.手紙書く
4.面会の交渉・調整
5.面会実現
このような段取りを経ての質問の内容です。

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どなたに会ったら、どう言われたという報告がありましたよ。面会して下さらなかったのはどなたかという具体名も。

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聞いていてとても楽しく、私達にもためになる報告でした。

「ノー・ニュークスのKNOWは、反対のノーと知るノーです」と、核廃絶と被爆の継承への新しいとりくみを説明されました。若い人達の具体的な行動、報告は参加者の皆さんに大好評でした。

やはり来年の平和の夕べにも何らかの形で若い人の参加を求めたいと思います。

そして、いよいよ平和講演。田井中さんの「核の時代を終わらせるために」。

明日その講演の報告をしますね。


 


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平和公園の紅葉

昨日の木曜日、広島なぎさ中学・高等学校の中学三年生に話しに行きました。生徒さんの質問などについて、またお話しますね。

その後帰宅してから自転車でクリニックに行きました。昼明るいうちの平和公園です。修学旅行生が戻って来て久しくなりました。資料館の前にまるで電車のようなバスが並んでいます。近づいてみると、黒いバスは神戸の小学生を、ブルーのバスは、大阪吹田の小学生を載せて来ていました。広島への修学旅行、ありがとうございます。

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平和公園は大分紅葉が進んできました。真っ青な空に映えてきれいです。

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コロナ、まだしぶとく生き抜いているようです。なかなか完全にゼロになりません・・。今くらいのが続いてくれるといいのですが。

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伊方原発広島訴訟の原告陳述

昨日に続いて伊方原発広島訴訟の、昨日の原告意見陳述を、許可を得てアップさせていただきます。陳述をした山本幸造さんは、我らが「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の大切なスタッフです。陳述の中ではお父様の名前は出していませんが、関西では知る人ぞ知る市民運動のカリスマの山本善偉さんです。善偉さんは90才を過ぎても、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」にも来て下さり、熱心に話を聴いて下さっていました。その姿を司会していた私は参加の皆さんにご紹介しました。それは、昨日のことのように覚えています。善偉さんについては、またいろいろなエピソードが報道されてもいます。機会があれば、ここにもご紹介したいと思います。幸造さんの陳述は、つい伊方原発というと海のことを考えがちですが、大切な「家畜の飼育」について思い知らされる大切な陳述であったと思います。

広島地方裁判所 御中

意見陳述要旨

山口県周防大島在住

原告 山本 幸造

私は山口県周防大島に住む山本幸造と申します。本日は意見陳述の貴重な機会を与えて頂きまして、まことにありがとうございます。

 私がなぜ原発を、特に私が住んでいる周防大島から直線約42kmの地点にある四国電力伊方原発を止めなければいけない、と考えるに至ったかをご説明します。

 私は大学を卒業後、東北大学大学院の博士課程を修了して、一般社団法人・家畜改良事業団に就職しました。ですから就職したときにはすでに30歳近くになっておりました。事業団では、黒毛和種(肉用牛)の産肉能力検定事業として種雄牛(種牛)造成を担当し、東広島市にある事業団の、広島産肉能力検定場の場長として定年退職するまで、種牛を育てる仕事に携わって参りました。ですから私は根っからの畜産業界の人間として、日本の畜産業の発展、畜産農家の繁栄のために働いて参りました。

 私の人生観、社会観が一変するほど衝撃を受けた事件が2011年の福島原発事故でした。事故の放射能に肉牛・乳牛が汚染され出荷できなくなったのです。生乳は毎日搾乳しなければなりません。牛が死んでしまうからです。毎日乳を搾って近くの川に捨てる酪農家の無念はとうてい言葉にできません。ある酪農家は、将来に絶望して自殺しました。この話は全国の畜産業界関係者にすぐ伝わりました。その酪農家は牛舎の壁面にチョークで、「原発さえなければと思います。残った酪農家は原発にまけないで願(ママ)張って下さい。」と書き残していたそうです。

 畜産業は地道で根気のいる仕事です。永年の営々たる汗と努力と辛抱が必要です。その営みが、たった1回の原発事故でふっとんでしまうのです。そして場合によれば絶望から人を死に追いやってしまうのです。「原発さえなければ」と書き残したその男性の気持ちが、私には痛いほどわかります。

 当然、福島事故で福島を中心に畜産業界も大変な被害、影響を受けました。皮肉なことに、東広島にある私の(産肉能力)検定場から出荷する肥育牛の競り値は上がりました。当時年間約500頭の肥育牛を、東京・品川にある東京食肉市場に上場(出荷)していましたが、事故前は「広島県産・検定牛」と言うだけで競り値は叩かれていました。東北地方の米沢牛、仙台牛、福島牛といった名だたるブランド牛にはかないませんでした。事故後は、逆に「広島県産」というだけで競り値があがったのです。というのは競りに強い東北地方のブランド牛は、放射能汚染の懸念から競り値が暴落したからです。人は風評被害といいますが、根も葉もなければ風評被害です。しかしこの場合、確かに肉牛や乳牛の放射能汚染はあったのです。これは風評被害ではなく実害です。結局のところ、価格の暴落、生乳の出荷停止などで最大の被害を受けたのは、畜産農家・酪農農家です。自然災害ならまだ気持の整理もできますが、聞くところによると、福島原発事故を調査した国会事故調報告は、「福島原発事故は人災である」と断じているそうです。人災で一方的に畜産農家・酪農農家が泣きを見る、こんな不条理はあってはなりません。

 父親は、1943年11月19日に神戸・三宮の東遊園地で開かれた学徒出陣壮行会の時、答辞を読んだほどの軍国青年でした。結局前線に行かずに済みましたが、戦後自分が軍国主義になんの疑問もたなかったことを痛烈に反省し、それが父親の戦後の原点だったように思います。西宮の、関西学院高等部の教師でしたが、同時に理不尽な権力と闘う市民運動の闘士でもありました。3年前に97歳で亡くなりましたが、8月6日広島原爆の日には広島にやってきていろいろな平和集会に参加しておりました。

 私自身はそうした父親の生き方にどこか反発も感じつつ、市民運動には全く無縁でしたが、父親が90歳になった時、ちょうど2011年、福島原発事故の年、猛暑に耐えられないので私に代わりに行ってくれというのです。私は引き受け、「8・6ヒロシマ平和の夕べ」という市民集会に参加しました。

 その集会が、2008年に被爆2世や被爆者を中心に平和を求めてヒロシマの継承と連帯を考え、反核・反原発を基軸に訴えている市民運動団体主催であることもはじめて知りました。私は大いにその趣旨に賛同して入会し、呼びかけ人の一人にもなりました。福島原発事故を目の当たりにして、自分もなにかしなければ、という思いがあったのかもしれません。反発を感じながらも父親の考え方にどこか共鳴していたのかもしれません。

2016年3月に「8・6ヒロシマ平和の夕べ」有志で福島第一原子力発電所事故5年後に、福島現地に視察に行きました。帰還困難区域の寺の住職さん、元小学校校長の方などに案内して頂いて、グランドに雑草が一面生い茂っている無人の学校、延々と続く汚染土壌の入った真っ黒なフレコンバックの山、津波対策の広範囲の湾岸整備工事、城壁の様な防波堤などを見せて頂き、衝撃を受けました。放射能について福島現地の人は、「本来は危ない」といっておられました。覚悟を決め居住を続けておられるように見えました。人が、特に子どもを連れた若い人たちが戻ってこないのは当然のことです。

 復興のかけ声とは裏腹に、事故から10年たった今でも、根本は何も変わっていません、後何年かかるかもわかりません。原発は、一度事故を起こすと取り返しが付かない事がはっきりわかりました。

2019年4月に、Iターンというんでしょうか、周防大島に越してきて、「終の棲家」と定めました。仕事の関係で田舎暮らしが長く、都会がどうしてもなじめません。瀬戸内海も好きです。そのころ、広島で四国電力伊方原発を止めようということで、裁判を起こしている市民グループがあることを知り、躊躇なく原告になりました。私は70歳になりましたが、残る人生を、この社会を少しでもよくするために使おうと決めました。原発をとめ、放射能のない安心して暮らせる環境、きれいな瀬戸内海を守るために使おうと決めました。

大量の「死の灰」(核分裂生成物)を環境にまき散らし、人びとを内部被曝させ、健康を奪い、死に至らしめるという点では原爆も原発も同じです。先日の「黒い雨」訴訟広島高裁判決も、ちょうどその一年前の地裁判決も「内部被爆は外部被曝と異なる危険性がある」と事実認定してくれました。

伊方原発は運転を続ける限り、いつかは重大事故を起こす可能性があります。南海トラフ震源域と中央構造線断層帯の真上に建っているというではありませんか。その時大量の「死の灰」を私たちの頭上にばらまくことでしょう。

裁判官のみなさまには、私たちの命を守るため、二度と福島原発事故のような残虐な事故を起こさせないため、伊方原発運転差止を命じていただきたい、と御願いする次第です。

ご清聴まことにありがとうございました。

私が買った時にはつぼみが一杯ついていたのに、全部落ちてしまい、全く花が咲かなかったハイビスカスが、ネットであれこれ調べて、鉢を大きいのに植え替え、肥料を週二回上げ続けてやっと咲きました。清楚なピンクです。


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次々と咲き続けてくれています。今やお花の世話が楽しみで・・。

 

 

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伊方原発広島訴訟の原告になりました。

昨日8月30日月曜日は、伊方原発訴訟広島裁判の第24回口頭弁論でした。法廷が開かれる前に、第8陣の原告が提訴しました。実は、私も遅ればせながらこの第8陣の原告として加わらせて戴きました。今回の提訴の原告は39人。しかしコロナの緊急事態宣言下で、なかなか裁判所まで来ることができない方もおありで、私は原告の代表として、民事の受付に提訴に行きました。弁護士さんたちが用意して下さった分厚い書類を提出いたしました。

これまで、口頭弁論の日、時間があれば報告会に参加し、事務局の方たちや弁護士さんたちがとても頑張っていらっしゃる姿に接してきました。同時に被告の四国電力のあまりにいい加減な答弁に怒りを感じていました。いつかは起こると言われている南海トラフ巨大地震が起こると、伊方原発事故により、瀬戸内海全体が死の海となってしまいます。しかし、被告側は原発が立地している所だけは、地震は起きないとしています。

第8陣提訴、原告意見陳述にあたって、裁判所の前で記念撮影をしました。


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提訴の後、意見陳述の傍聴のための傍聴券の交付の部屋に行きました。これまでの原告団やマスコミの人たちを除いて傍聴人は15人。集まったのは、18人で、抽選が行われました。たった3人しか外れないのに、その三人になってしまいましたよ。でも、補欠になって、無事法廷に入ることができました。


原告団は、口頭弁論の度にこんなチラシや解説文を作り、配布や郵送されます。その労力に頭が下がります。

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原発訴訟は、先日長い間闘いの末原告が勝訴した「黒い雨裁判」の「内部被曝」と密接に関連付けされます。


昨日の口頭弁論期日は、私たち「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の貴重なスタッフである山本氏が原告意見陳述を行いました。それは素晴らしい意見陳述で、法廷の中に入って聞けて良かったと思いました。


明日、その陳述の全文をアップしますね。


私は、昼時間に自転車で駆け付けたもので、午後の診療の三時までに帰らなければなりません。法廷が終わると、報告会には出られず、帰りました。

 私達第8陣の原告は、裁判官によりこれまでの原告と併合され、次回から正式に原告となることでしょう。結果、原告団総数は351名となります。内、被爆者は広島・長崎を合わせて47名。そのほか一般市民304名の内、8名は福島原発事故避難者です。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」無事終わりました。

暑い一日が無事終わりました。皆様に感謝いたします。

朝は、早くから広島二中の慰霊祭に参加しました。私の母校でもありますが、毎年お参りしていた父の代理のつもりでもあります。父が亡くなって、私が代わりに参加するようになりました。今年は、コロナの関係で現役の生徒さんの参加は生徒会長の一人のみ。いつもは生徒が広島二中と観音高校の校歌を歌うけど、今年はナシです。CDを流す予定だったそうですが、そのCDもうまく作動しなくて。朝でも、もうカンカン照りの太陽で、参加者も少なくて、現校長の挨拶がやたら長いだけの寂しい会でした。私は、夫と平和の夕べの竹田さんと一緒に参加しました。竹田さんのお兄さんが当時広島二中の生徒さんで爆死されています。献花して帰りました。

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一旦家に帰って、いろいろと荷物を持って今度は自転車で「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の会場へ。会場やZOOMの準備を整えて、11時10ンから予行演習。今年初めてのZOOMで失敗しないように。カメラの動画と、ビデオの切り替えのタイミングなど念入りに練習をしました。機器のセットやタイミングの指示など伊方原発広島裁判の方たちに本当にお世話になりました。

その甲斐あって、本番とてもスムーズにうまくいったと思います。終わった後にズームも画像も音声もクリアだったと連絡が入ってうれしいことでした。今日のブログラムです。


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今日は、とても疲れているし、明日の夜に講演が入っていてこれからスライド作らなければならないのもあって。詳しいご報告は、またゆっくりお一人ずつお話しますね。今日は写真を少しだけ。

黒い雨訴訟の原告団の高東征二さん。

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10年目の福島から、伊藤達也さん。ビデオでお話し下さいました。

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そして、若い人たち。「核廃絶へ行動する学生から。中村涼香さん、高橋悠太さん、徳田悠希さん。

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今年の平和講演、田井中雅人さん。

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どなたのお話も素晴らしいものでした。関係者、演者の方々、会場に参加して下さった方々、ZOOMで参加して下さった方々。カンパをお寄せ下った方々。全ての皆様に心から感謝申し上げます。

 

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