広島高裁、伊方原発運転差し止め仮処分命令

 昨夜は診療後ワンストップセンターの会議、その後最終の新幹線で京都まで来ました。京都も寒いです。明日は早いので早く寝なければと思うのですが・・・。まだ尾を引いていて
、やれやれです。

気分が沈みがちのところに、素晴らしい知らせが来ましたね。広島高裁の伊方原発三号機の運転差し止めの仮処分命令。いっぺんに元気が出ましたねえ。思わず涙がこぼれました。

2012年、伊方原発稼働阻止!!の集会に行きました。その集会の前に行った伊方原発です。山の上から見ただけですが。瀬戸内海に張り出しています。もしここで事故が起きたなら、瀬戸内海が死んでしまうと本気で思いました。


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それに、伊方原発は、中国電力が作ろうとしている上関の真向かいにあります。事故はなくとも、原発が出す温水などで、本当に瀬戸内海が死んでしまいます。


その時の集会です。

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暑い中、全国から沢山の人が集まりましたが、その集会は、どこも報道しませんでしたね。集会の演題はトラックの荷台。そこで立って発言しているのが私です。広島から被爆二世の代表として。


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その後で、広瀬隆さんの緊急講演が開かれました。その集会と講演については次の所から三日間について書いています。なぜ伊方原発が危険なのか、いえ、地震と火山の列島の日本にすべての原発が如何に危険であるか、集中的に書いています。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-4355.html


高裁の画期的な決定、それも原告の方々、弁護団の方々の血のにじむような努力によるものと思います。本当にご苦労様でした。でも、まだまだ厳して闘いが続きますね。この決定で元気を一杯もらって、頑張られますように。私もできる限りの応援をしようと思います。

私は今日は朝早くに出発して講演です。

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ノーベル平和賞について

東京、息子宅二日目です。昨日は、息子夫妻の10周年の結婚記念日でした。

家族と共に上の動物園に行きました。大変な人出で、お目当てのパンダはチラリとしか見えませんでした。孫は、トラもライオンもたくさんの人の後ろから息子に肩車をしてもらったり、または潜り込んだりしてそれでもチラリと見ました。写真はパンダ舎の前です。もちろん、お母さんパンダと赤ちゃんはいません。オスだけですが。パンダの写真を撮ることなんてできませんでした。

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夜は娘も合流してイタリアンのお店でワインと共にお祝いをしました。素晴らしくおいしいお料理。それはまた。

息子はもう出勤しました。私は午前10時から午後4時までびっしり研修です。そして夜はみんなと合流して食事をして帰ります。

さて、気の重いことを書かなければなりません。ノーベル平和賞についてです。この度の「ICAN」の受賞です。ICANがしてきた核兵器廃絶の国際キャンペーンの活動は素晴らしいと思っています。私自身も8.6ヒロシマ平和の夕べで国際署名をたくさん集めましたし、本をたくさん売ったりしましたが。でも、全く喜ぶ気になれませんでした。

ICANの人たちは「広島・長崎の被爆者の活動があってこそ」とメッセージへを送られていますが。

それなら、被爆者にこの平和賞は送られるべきだと思いました。日本被団協への平和賞の受賞はこれでなくなったと思います。

被爆者は広島に来る人達に、または命掛けで世界中に出かけていき、証言し、核兵器廃絶を訴え続けました。そして核兵器廃絶の実現を見ることなく、次々と亡くなって行き、証言できる方も少なくなってしまっています。

被爆後のまだ間もないうちから、夜行列車に乗り、東京駅で顔を洗い、国会や厚生省に陳情に行き、座り込みをし人々に訴え続けた、そのころのことを聴くたびに涙ぐんでしまいます。核実験が行われる度に平和公園の冷たい石畳の上に座り込んで核兵器廃絶を訴え続けてもいます。

実は、日本被団協の経済状況も大変なのです。今、寄付もとても少なくなりましたし。広島ではもうすぐ活動するお金が尽きてしまいそうな、そんな状況にあります。もしも平和賞が被団協に与えられたなら、しばらくはお金の心配もなくなるでしょうに、なんて切実に思います。

それでも、被爆者の方々は、今回の受賞に拍手を送られています。なんと寛容なことかと思います。

そんな思いで、素直におめでとうとは言えないままでいます。私はあまのじゃくかと何度も自問しながら、それでもその思いは消えず、ここに喜べないと書かざるを得ませんでした。拍手を送られたヒバクシャの皆様、すみません。

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山代巴さんの「この世界の片隅で」の点訳本

私のフェイスブックのお友達にK.I.さんと言われる方がいらっしゃいます。K.I.さんは、沖縄在住ですが、広島に来て大橋和子さんに会ってお話を聞き、その時に頂いた大橋さんの手記をご本人の許可を得て、時間をかけてフェイスブックに紹介されました。それを読んで、被爆者の語りをそうして広めて頂くことに感動したものです。

そして、この度私のブログを読んだのがきっかけで山代巴さんの「この世界の片隅で」について書かれました。ご本人に、それを私のブログに転載させて頂きたいとお願いし、許可を得ましたので、ここに転載させて頂きます。フェイスブックだと、シェアという方法があるのですが、私のブログを読んで下さる方は、フェイスブックをされない方の方がうんと多いので、そうお願いしたのです。ただ、ご本人の希望で、フルネームを出さないでということでしたので、それが残念ではありますが。では、以下、転載させて頂きます。

「この世界の片隅で」(山代巴 著、岩波書店)をサピエにリクエストしていたのですが、昨日届きました。

この本は、河野美代子先生のブログで紹介されていた本で、河野先生のブログを読んで、私もこの本を読んでみたいと思ったのです。

1965年7月二十日出版の本。サピエに載っているかな、点訳されているのかなと思いながら検索したらありました。
広島の点字図書館にありました。すごい!

しかも本が届いてさらにびっくり!...
この点字本は、点訳完了が昭和40年11月一日でした。
かなり旧い本です。しかも、たぶん手書きで、点訳されてある。
たしか20年ちょっと前ぐらいからパソコン点訳と点字プリンターによる印刷になって、点訳を始めてから完了するまでのスピードが格段に速くなったし、プリントアウトもすごく早くなりました。

だけど、私が中学生(高校生ぐらいかな?)までは、盲学校の図書館にある本もほとんど手書きで、表紙も今のようなファイルじゃなくて、製本も手作りだったと思うんです。
でも、それが点訳してくださった方の暖かさが伝わってきて、私は好きでした。

久しぶりに昔の点訳、製本の本に出会って、とても懐かしく、嬉しく思いました。

「この世界の片隅で」(山代巴 著)は、1965年7月発行と書いてあります。
点字本は、4巻あって、4巻目の点訳終了年月日が昭和40年(1965年)11月一日とあったので、出版されてから3ヶ月と十日ぐらいで点訳が完成したことになるんです。
手書きでこれだけの日数で点訳したなんて、すごいです!
それを考えただけでも、どんなに一生懸命、いや、ひっしに点訳してくださったか伝わってきます。

点訳してくださった方は、視覚障害者の人たちにも原爆のことをもっと詳しく知ってほしい、早く伝えたいという思いで点訳してくださったんだろうなあと思いました。

たぶん、視覚障害者の中にも被爆の後遺症で苦しんでおられる方がいたかもしれない。今よりももっと情報が少なかった時代、原爆についても今よりも知られていなかったかもしれない。
そのような状況で、視覚障害者の人たちに点字で伝えたいと思って、こんなに短い日数で点訳が完了したのかな。

今から読み始めますが、読む前から本に触れてこのようなことを思いめぐらしました。
「この世界の片隅で」の内容ですが、河野先生のブログには次のような説明があります。
引用させていただきます。
 
山代さんの1965年に出版された「この世界の片隅で」には、大田洋子の作品にあるような原爆スラムと呼ばれた地域、福島町の被差別部落に住む被爆者、在日朝鮮人被爆者、胎内被爆による原爆小頭症、原爆により孤児となっ「原爆の子」、まだアメリカの統治下にある沖縄の被爆者などマイノリティーの立場の人たちのルポがこれでもかと出てきます。
 
☆ 私が投稿した記事の中で誤りの部分があったようなので、訂正します。
「私が中学生の頃(今から30年ぐらい前)までは、盲学校の図書室にある本は、ほとんどが手書きだった。」と書きましたが、手書きもあったと思いますが、機械による点訳もあったと思います。
教科書は機械での点訳だったと思うし…。
斯波さんがコメントで書いてくださったのには、「この頃の点訳は、多くがカニタイプという弘誓社ーぐぜいしゃせいの、機械部が横すべりするタイプでした。」とあったので、「ほとんどが手書き」というのは、私の記憶違いかもしれないです。

以上で転載は終わります。

私は、山代さんの「この世界の片隅で」が点字に翻訳されていることは全く知りませんでした。しかも、出版からたった三か月で翻訳が完成しているなんて。

被爆者の中には、もともと視覚障がいの方もいらっしたでしょう。その方たちのその後はどうだったのでしょう。また、被爆のやけどによってケロイドができてしまった人、白血病やがんで命を失った人のことは良く知られていますが、被爆によって視力を失った人もたくさんありました。原爆の爆風で眼球が飛び出してしまった人、また強い光で眼を焼かれてしまった人も。広島二中の「いしぶみ」の中にも出てきます。その方たちのことは、あまり語られていません。

この度のK.I.さんの投稿によって、改めてその方たちのことにも思いをはせました。K.I.さん、貴重な投稿、そして転載の許可、本当にありがとうございました。これからも、フェイスブック読ませて頂きますね。どうぞよろしくお願いします。


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大田洋子「桜の国」

以前、山代巴さんの「この世界の片隅で」大田洋子さんの「夕凪の街と人と」「桜の国」について書きました。次のところなどです。


http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2017/09/post-4a79.html


http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2017/09/post-5e03.html



そこに書いた、中沢啓治さんのところに河野史代さんの編集者の方が来て「はだしのゲン」を参考にさせて頂きましたとご挨拶なさったのは、「夕凪の街 桜の国」の時だったと。「この世界の片隅に」の時ではありませんでした。ごめんなさい。

ここに大田洋子の「桜の国」はどうしても見つけられなかったと書きました。そしたら、いろいろと教えて下さる方がありました。広島市の中央図書館に一冊だけ「持ち出し禁」としてあると。そこに行けば、借りるのではなく、そこで読むことができると。それは私にはとても無理です。

そしたら、角本さんが広島女学院大学の図書館にありましたと借りて下さったのです。

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1940年、朝日新聞の懸賞小説の一等になり、新聞に連載された小説です。近代女性作家精選周の一冊として収録されている、とても分厚い本です。


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まだ戦争が始まったばかりの、満州に進出していった日本の新聞社の男性と彼をめぐる若い女性たちの話。と単純に言ってはいけません。それは、一ページ目から引き込まれるとても面白い話なのですが、残念ながら返却期限までにすべて読み切ることはできませんでした。

大田洋子は、広島で被爆した後は、まるで反戦作家そのものでしたが、戦前は戦中は、その時代に沿った小説を書いています。人々は生き生きと楽しく。

またいつか、全部を読み切れるように何とかしたいとは思っています。とりあえず、角本さんのおかげで、大田洋子の「桜の国」が今もなお存在するということがわかりました。感謝します。

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朝鮮民主主義人民共和国の核・小出裕章先生のメッセージ

もたもたしているうちに、あれよあれよと国会衆議院解散になりそうです。安倍首相の会見、とくに各局を回っての質疑、ひどかったですねえ。森友学園については、何度も何度も、森友氏は詐欺で逮捕されている人、そんな人間としか言わず。加計学園については、「李下に冠を正さず」としか言わない。さんざんすももを採りまくった挙句、そういうのだから、何をかいわんや。さらに、「国難突破解散」だそうです。

「国難を突破する」ための解散が、なぜせめて一日でも国会内で審議をしてでなく、冒頭解散なのでしょう。あくまでも自分が追及されることを恐れ、それを封じての解散であるとしか思えません。

「国難」。北朝鮮とアメリカの状況につき、小出先生のメッセージ、遅くなりましたがアップします。ネットから頂きました。今こそ、小出先生のお話をじっくり聞きたいです。


小出裕章さんからのメッセージ
先にお送りしたメールの内容をあちこちでお使い下さるとのこと、ありがとうございます。ご自由にお使いください。 
小出裕章                   
2017/9/5 
 
朝鮮民主主義人民共和国の核の件、皆さん冷静にならなければいけません。
朝鮮には熱出力で25メガワットのごく小さな原子炉しかありません。
京大原子炉実験所の原子炉は熱出力で5メガワットでした。
日本でも世界でも標準的な原子力発電所は100万キロワットです。
これは電気出力で、熱出力は300万キロワット、メガワット単位で示せば3000メガワットです。

つまり、朝鮮が持っている原子炉は、日本の原発の原子炉の100分の1以下という小さなものです。その原子炉を動かしてどれだけのプルトニウムができるかについては、昔計算して書いたことがあります。もう20年以上前のものですが添付します(注「核兵器に反対する物理学会の会準備会通信」第2号、1994年6月26日)
 
仮に朝鮮が原爆を作れたとしても、その数は知れています。
朝鮮戦争は1953年の休戦協定が結ばれただけで、未だに終戦していません。
その一方の当事国である米国は気に入らない国があれば、地球の裏側までも攻め込んで政権を転覆させる国であり、米国を相手に戦争中である国はハリネズミのようになるしかありません。俺は強いんだぞ、攻撃してくるならやっつけてやるぞと言うしかありません。
 
朝鮮が原爆を作ったということすら、私はいまだに懐疑的です。でも、マグニチュード6.1の地震をもし爆弾で引き起こすとすれば、通常の爆弾では無理です。本当に、先日の地震が自然のものではなく、人工的なものだとすれば、原爆だろうと思います。水爆を作るためには重水素が必要ですし、起爆剤としての原爆も必要です。そうした材料や技術を朝鮮が持っているとは、私は思いません。
 
ただ、問題は、そんなことではなく、朝鮮半島の分断を終わらせ、平和を回復することです。お互いに敵を威嚇することなどやってはいけません。朝鮮の分断に誰よりも責任のある日本は、まずそのためにこそ力を払うべきです。それなのに、米国の尻馬に乗り、「あらゆる選択肢がある」などと安倍さんは言うのですから気が狂っています。

また、本当に危機だというなら、日本国内の原発をまず停止すべきなのに、地下鉄をとめてみたり、迎撃ミサイルを配備してみたり、警戒警報を出して見たり、ひたすら危機を煽ることだけやっています。ひどい国ですし、ひどいマスコミだと思います。

昨日は、なんと夜9時から会議。みんなの時間を突き合せたら、そんな時間になりました。「広島ゲストハウス縁」で。そこでの、政治状況の話などから、早くアップしなければと思いました。紅君が初めた「縁」、たくさんの人が来ていて、良かったです。

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北朝鮮のミサイル、核実験。

先日、私の友人が平和公園で、幼稚園の子どもに「Jアラートは鳴っていませんか」と聞かれたと。ああ、こんな子どもたちにも恐怖を植え付けていると愕然としました。

私は、戦争は望みません。どの国の、どんな国民も戦争によって殺されてはならないと思っています。 私は、トランプ氏と安倍氏の暴走で、まさかが現実となって、本当に戦争が起こされるのではないかと危惧しています。外交の基本、話し合いが全くなされず、ただただ圧力を強めよばかり言われ、国防と称して膨大なお金が使われています。

その後にも分かったことですが、安倍氏などは、前日からミサイルの発射の情報は得ていること、それに菅官房長官は日本から2000キロも先に落ちているにもかかわらず、「我が国に向けて発射」などと、発表しました。

北朝鮮が目指すものはこれだけの力があるのだと見せつけ、それらを背景としてアメリカとの交渉権を確立することであると。日本が標的ではないことは分かっているはずです。


そんな今、石破茂氏のブログと、小出裕章先生のメッセージが出ていますので、それを紹介、転載させて頂きます。今日は、石破氏のブログからです。

画像はネットから頂きました。


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抑止力の向上など

 石破 茂 です。
 本日7時前に北朝鮮がミサイルを発射した際の報道の混乱ぶりはよく理解が出来ません。
 NHKニュースは政府の発表として「ミサイルが午前7時4分頃、日本の領域に侵入し、午前7時6分頃、領域から出て、午前7時16分頃、襟裳岬の東およそ2000キロに落下した」と伝えました。

 「領域」とは領土・領海・領空の総称であるため、高度500キロ以下を飛翔したのかと思っていたら、その後の発表ではこれをはるかに上回る高度であったようで、我が国の国家主権の及ぶ「領域」も「領空」も侵犯はされていないはずです。

 細かいことのようですが、国家主権が侵犯されたか否かでその意味は全く異なるのであり、どうしてこのように基本的なことがあやふやのまま発表がなされたのでしょうか。本日の自民党の会議で政府はその誤りを認めましたが、何故、情報を伝えた防衛省も、受け取った内閣官房も、「領域」ではないことに全く気付かないままに発信してしまったのか。南スーダンの「戦闘」という日報の表現を巡って大混乱に陥ったことに対する反省が活かされていないのではないでしょうか。
 
 政府は午前7時にJアラートを通じて北海道、青森、岩手、宮城、秋田、山形、福島、茨城、栃木、群馬、新潟、長野の道県に警報を伝え、当該道県では「北朝鮮からミサイルが発射された模様です。建物の中、又は地下に避難してください」というアナウンスが流れたとのことですが、この時点ではすでに着弾地点は把握できているはずです。「着弾はしないが、デブリ(破片)が落ちる可能性がある」ということだったのでしょうか。それはどのような根拠によってその範囲を特定したのでしょうか。

 せっかく警報を発するのであれば、同時に国民にどのような状況であるかも可能な限り正確に伝えなければ、避難すべきか否かの判断がつきません。このようなことを繰り返していると、やがて国民の政府に対する信頼が失われることになるのではないかと強く危惧します。(以下略)



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チビチリガマの破壊

昨日からの知らせに本当に悲しく、憤っています。


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ちチビチリガマには、2015年、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」で読谷村で「被爆ピアノコンサート」を行なったときにスタッフみんなで行き、知花昌一さんに案内していただきました。その時のブログは次のところにあります。ここから何日か、被爆ピアノのコンサートも含めて書いています。


http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/1-0819.html


ここにも書いていますが、知花さんがここで言ってくださったこと。

チビチリガマは、1945年4月1日、米軍が上陸したとき、ここに隠れていた人達が集団自決をしたところです。

「明らかになったのは二つ。一つは軍は住民を守らないということ。もう一つは、教育の大切さ」

シムクガマでは、アメリカに住んだことのある人たちの説得で約千人の人たちが助かりました。チビチリガマでは「国家のために命をささげよ」「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ」といった教育のために命を失いました。その多くは、女性と14歳以下の子どもたちでした。

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知花さんは、その自決の時の様子も語ってくださいました。それは凄惨を極めるものでした。真っ暗な穴の中には、当時の遺骨などがそのままに保存されています。

そのチビチリガマを破壊するなどと。なんというひどいことを。こんなことをする人を作り出しているのも、今の日本なのですね。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」実行委員会

8.6ヒロシマ平和の夕べ実行委員会、ぴっちり話し合いをしました。みんな自由に意見を言えて、楽しい会になりました。今年の平和の夕べの総括、そして来年へ向けての検討。アイデアはいっぱいです。次から次、希望が出ます。それらをじっくり検討して来年の骨格ができます。今、ほんとうにワクワクしています。

何より今年参加して下さった方々が、しっかり支えて下さっていると実感しています。アンケートに話を聞きたい方のお名前を書いて下さった方々、お一人ずつ検討もしています。

今、こんな社会だからこそ、しっかりと私たちの意志を確認、表明し、勉強になり、思いを共有でき、さらに意欲を高められるように、そんな会にしたいと思います。そのうちにできた骨格をお話しますね。

実行委員会の写真を。みんなのびのびしているのを感じ取って頂ければと思います。

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その前の朝ごはん。

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二次会。ゲートインにて。

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キャー!!

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その会で話しあった、今の情勢について、それは来年の骨格にもなることなのですが。次回お話しますね。


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もう一度、大田洋子さん、山代巴さん。

昨夜から、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の実行委員会でした。昨夜は、私のマンションで泊まり込みで。今日の午後からはクリニックに場所を移動してずっと話し合いでした。いつも朝書くブログも、みんなと話しながらの朝ごはん、片付け、移動と、フル回転で書くこともできませんでした。

先ほど、すべて終わって、近くの喫茶「ゲートイン」で二次会をして、みんなとお別れをして、そしていま一人になって、パソコンと向き合っています。


昨日私が書いたブログに、主ににフェイスブックでたくさんのコメントをいただきました。ありがとうございました。 人の批判を書くのは、勇気がいるものです。まして、あれだけの大ヒットしている漫画、映画なのですもの。

私は、ずっとこのことに疑問を持っていました。やっぱりこれを書こうと思ったのは、8.6の後にはだしのゲンの中沢啓治さんの奥様との食事会の時です。中沢さんが健在の時、何か月かに一回は私たち夫婦と中沢さんご夫妻とで食事会をしていました。亡くなった後は、奥様と、元原爆資料館の館長だったMさんご夫妻の5人で食事会は続いています。

その時に、こうの史代さんの漫画の話になったのです。「夕凪の街  桜の国」。中沢さんが、マスコミにこの漫画の感想を聞かれてコメントしていらっしゃるのを読んだことがあります。

中沢さんは、この漫画のタイトルを聞いたとき、「夕凪の街」言うたら、大田洋子じゃろう。大田洋子の小説を漫画にしたんかの? と疑問を持たれたと。そして、その漫画を買って読んだと。そしたら、全然違う。違うのにおんなじタイトルにしたんかと。

この度の「この世界の片隅に」は、山代巴さんの「この世界の片隅で」というタイトルの本があります、と私は言いました。そしたら、その漫画を書かれるときに、原爆の参考にしたいからとこうのさん自身ではなく、編集者の方から連絡があったと。そして、中沢さんも山代さんの本を読みたいとおっしゃるので、その場で、アイパッドで、中沢さんのとMさん夫妻のと私たちのと三冊すぐにアマゾンで申し込みました。

そのほかの本も、次々に読み、そして、最後はもう一度、今年の平和講演の演者、永田浩三さんの本です。

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この本には、被爆後、広島の表現者たちがどんな辛苦の中で、それこそ命を懸けて表現することをしたか、詳細に書かれています。峠三吉の、川手健の、原民喜の、そして大田洋子、山代巴、それぞれの死に様も詳しく書かれています。川手健さん、原民喜さんの自殺の様子、大田洋子さんが人々から攻められた様子、改めて、涙がこぼれました。本当にこの方たちは、命掛けで生き、闘ったのだと。


永田浩三さんは、昨年、私に「言葉と勇気」と書いて下さいました。ああ、そうだったと。ありがたくて。

今日の実行委員会でもいろいろと話が出たのですが、今、日本中に「原爆文学」は、全く知られていないと思います。大田洋子も山代巴も。山代巴は、「荷車の歌」で少しは知っている人がいるかもしれないけれど。まして、大田洋子の「夕凪の街と人と」「桜の国」という小説や、山代巴の「この世界の片隅で」を知っている人は少ないでしょう。今回、こんな本があるのですよとお知らせしただけでも良かったかも、と、自分で慰めています。


最後に私のブログにフェイスブックでコメントを下さった「Kazumi I」さんのコメントを転載させていただきます。Kazumiさん、皆様、ありがとうございました。

『タイトルの問題もあると思います。私のとまどいは、原爆について、こんなに漂白されたものを受け取っていいのだろうか、ということだったような気がします。何と比べての漂白感かというと、やはり大田洋子さんや山代巴さんの本の世界と比べての漂白感ということになると思います。もちろん、史代さんなりの漂白あって、この時代に広く読まれて映画にもなったわけですけど、これでいいとも思えない、ようなこの感じは、何でしょうね。山代巴さんの本の復刊につながったことはよかったと思います。』


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「夕凪の街と人と」「桜の国」「この世界の片隅で」

広島の人ならきっとご存知でしょうが、大田洋子は、広島の被爆者です。原爆直後まだGHQの統制が厳しく、原爆を語ることが禁じられていた時から、命をかけて書いています。1948年に「屍の街」で、被爆直後の人々を描きました。

そして、1953年10月に、「夕凪の街と人と」を講談社のミリオンフックスの一冊として出版され、以後絶版となっていました。1978年、大田洋子の文学碑が建設されるのをきっかけに、復刻版が三一書房から出版されました。それをこのたび私は入手することができました。これもアマゾンでとても高価でしたが。

当時、原爆スラムと呼ばれた地域に住んでいる人々のこと、それだけでなく、被爆者の実態調査する学生や被爆者医療や検診ににたずさわる医師、さらに非道な原爆を投下したアメリカを訴えるという原爆訴訟に立ち向かう人々、さらに原爆の悲惨さを金儲けに利用する人々などをも描き切っています。重く、息苦しく、しばしば読むのをストップせざるを得ませんでした。その渾身の作品が、本文中にしばしば出てくる「夕凪」のムッとする暑さをタイトルにした「夕凪の街と人と」なのですね。

さらに、大田洋子は、1940年に朝日新聞の懸賞小説に一等に入選しています。そのタイトルが「桜の国」です。これは、どうさがしても読むことができませんでした。

「夕凪の街と人と」「桜の国」。これらは紛れもなく大田洋子の作品です。

こうの史代さんの漫画「夕凪の街 桜の国」と太田洋子の作品のタイトルの近似はどうなっているのかと思います。でも、こうのさんの漫画は、数々の賞をもらっているのですから、それは出版界ではクリアされているのでしょう。きっと。

でも。山代巴さん編著の「この世界の片隅で」。こうの史代さんの漫画「この世界の片隅に」のタイトルの近似。二冊続くと、首をかしげてしまうのです。

山代さんの1965年に出版された「この世界の片隅で」には、大田洋子の作品にあるような原爆スラムと呼ばれた地域、福島町の被差別部落に住む被爆者、在日朝鮮人被爆者、胎内被爆による原爆小頭症、原爆により孤児となっ「原爆の子」、まだアメリカの統治下にある沖縄の被爆者などマイノリティーの立場の人たちのルポがこれでもかと出てきます。

そして、山代さんはこの本の前書きで言っています。「この本の名を、『この世界の片隅で』ときめました。それは福島町の人々の、長年にわたる片隅での闘いの積み重ねや、被爆者たちの間でひそやかに培われている同じような闘いの芽生えが、この小篇をまとめさせてくれたという感動によるものであります。現地の片隅での闘いが私どもを変化させた力は大きく、「広島研究の会」は、どこまでも現地に密着して、中断することのない研究を進めなければならないと思われます。・・・。」

こうのさんの「この世界の片隅に」も、賞ももらっているし、映画も大ヒットしているし、やっぱり出版会ではタイトルの近似はクリアされているのでしょうね。大田さんも山代さんもなくなっているし、ご遺族の間ではどうなっているのかも何にも知りませんが。でも、私の中でのもやもやは、続いているのです。


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