甲状腺がんの青年の退院祝い

 お早うございます。東京、品川の朝です。空はどんより。曇っているのか、霞んでいるのかわかりません。

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昨日、診療後最終の新幹線に乗る前に食事会に参加しました。甲状腺がんの二度目の手術が済んだ青年が、無事退院したお祝いです。今日、手術をして下さったドクターの受診をした後、広島から地元に帰られます。今日、アッシー君をすることになっていたのに、急に東京に来ることになって、申し訳ないことになりました。

彼は、すっかり元気になっています。瀬戸内の新鮮な魚介のおいしい居酒屋で、よく食べました。もちろん、お酒は飲みませんが。長時間の手術で、術後はとてもしんどかったと。でも、若さですね。今はすっかり元気だと、笑顔も見られました。

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急きょ集まったみなさんとも話が弾みましたが。それにしても。甲状腺がんの子どもたちが徐々に増え、他のがん、肺がんで亡くなった方がある一角に8人もいるという、怖い話も聴きました。

これから先、将来、この事態が疫学などで明らかになった時、彼らはどのように言い訳するのでしょうか。 青年のお父様は、東京オリンピックが済むまでは、とにかくない物にしなければならないのでしょうと言われます。

彼は、私が脱いだコートをハンガーにかけてくれたり、私が新幹線に乗るために中座した時には、タクシーまで荷物を持ってずっとついて来てくれました。親切な好青年です。彼の将来に幸あれ!!

ご支援下さった皆様、ヒガミ様、小坪さま、Kさま、ありがとうございました。彼はひとまず、学生に戻ります。また広島には何回も来ることになるでしょう。一度、ご支援下さった方々との食事会も考えています。お名前、連絡先が書かれていない方、ぜひお知らせくださいませ。皆様に感謝します。

今日は、性教育についてのディスカッションです。いろいろな方たちと同席します。うまく話せるか否か。ああ、いい番組になるかもと思ったら、皆様にお知らせしますね。

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福島の青年の甲状腺がんの手術のご報告です。

先日皆さまに再度お願いした(http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/post-4af4.html)甲状腺がんの福島の青年へのカンパ、皆様ありがとうございました。中島さま、今城さま、久保田さま、ますださま、数名の匿名の方、それから、お名前の所に、「フクシマ子ども支援の会」と書かれました方(もしかして、宛先と間違えて書かれたのかもしれません)、本当にありがとうございます。よろしければ、匿名の方、名前を間違われたかもしれない方、ご支援を戴いたことをお電話かメールでお知らせくださいませ。

平木の電話は080-2893-5502
メールは、kaor_h@yahoo.co.jp (rとhの間に下の線_があります。)

とりあえず、今日まで皆さまに頂いたご支援を、平木からお父様にお渡しいたします。心から感謝申し上げます。

その青年ですが。昨日、二回目の手術が行われました。なんと、4時間半を超える大手術でした。残りの甲状腺すべてと、周りに拡がっているリンパ節をすべて丁寧に取って頂いたそうです。

術後、麻酔がさめる時の彼の苦しみ様が大変で、可愛そうで、と、お父様が涙ながらに話して下さいました。

彼は、これから一生甲状腺の全くない生活になります。その上にがんの再発におびえながら。どうぞ、これ以上広がることがありませんように。元気に彼の人生を全うされますように。祈るような気持ちです。

そもそも、原発事故の時中学生だった彼は福島県の甲状腺の検査を二回受けています。その二回とも、全く異常なしと判定されていました。ところが、彼の妹の二順目の検査で沢山ののう胞があると判定されたのです。驚いた両親は、どこか他でも検査をしてほしいと全国探し回りました。でも、甲状腺学会の山下俊一氏の名で、「福島の子どもの甲状腺の検査は福島でするので、検査の依頼があっても、それを受けないように」という通達が全国の甲状腺学会に入っているドクターに回っていました。そのためか、なかなか検査をしてくれるところはなく、それでも、やっと北海道に検査をしてくれる医師がいるとの情報で、家族みんなで北海道に行き、検査をしてもらいました。その時、お兄ちゃんも診ておきましょうかと言われ、それで「これは、大変だ」ということになったのです。

新ためて、東京の、福島県立医大と提携している大きな甲状腺専門の病院で検査を受けると、なんと、その時には、もう「リンパ線に転移している」甲状腺がんであると診断されました。その半年前には、福島県の検査で異常なしと言われていたのにもかかわらず、です。では、その病院で手術、治療をしてほしいと頼むも、それはできない、福島県立医大で受けるようにと拒否をされたと。

そして、全国の病院探しをされたということです。そんないきさつがありました。以上、お父様から書いていいと言われた範囲でのお知らせです。

そもそも、異常なしと言われた半年後にもうリンパ節に転移までしており、その上、初めっから「原発の放射線のせいではない」と言い続けている福島県立医大で治療をしたくないと思われる気持ちは全くよくわかります。何とか少しでも彼とご家族を支えたいと思います。

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それにしても。今の国会の状況を見て、あまりのひどさに愕然とします。いつから、日本はこんな情けない国になったのでしょう。あの、オリンピック誘致のプレゼンで、福島の放射線は全く心配ない「アンダー コントロール」と言った安倍首相の顔は忘れません。よくもまあ、こうぬけぬけと嘘を言って。首相からしてこうなのですから。国会でその首相が任命した稲田氏が嘘を言っても平気であるというのも、当然かという気がします。

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再度福島の甲状腺がんの青年への支援のお願い

2016年8月30日付のブログでこのようなお願いを皆様に行いました。ブログはこのアドレスにあります。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-0b0e.html

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このチラシは、前回のままですが、平木さんのメールアドレスが変わりましたので、消しています。新たなアドレスは、次のごとくです。

kaor_h@yahoo.co.jp   (rとhの間に下に線_があります。)

この青年は、広島において無事手術を終え、元気に大学生活を送っていました。これまでも術後の診察を受けるために広島には何度も来ていましたが、しかし、ここに来て、がんが再発、広がっていることが分かり、再び大がかりな手術を受けなければならなくなりました。3月15日に再手術が行われます。

前回のお願いで皆様に頂いた金額は

総計 360390円。

 福島子ども支援の会に親子の保養兼甲状腺がんの検査のために頂いたお金も少し回して、これまでに

総計 490000円お渡ししています。ほとんどが本人とご家族の交通費になっています。とても足りない金額ですが、少しは足しになっているのでは、と思います。

今回再手術が必要になって、お父様は、いっそ、もう福島県立医大で手術を受けようかとも考えられたそうです。しかし、ここまで治療をして下さったドクターへの青年の信頼を考えると、それはできない、頑張ってこれからも広島のドクターの元で治療を続けたいと考えられています。

皆さまにお願いがあります。

あの震災、原発事故からちょうど6年。中学生だった彼ももう20歳になりました。一回目の手術の後の病理の検査ではっきりと「放射線の障がいによる甲状腺がんである」と書かれています。

今まで福島で甲状腺がんで手術を受けた子どもたちは186人にもなると発表されています。それでも、まだ福島県も国も原発の事故のためであるとは認めません。

すべての人たちに何かができるわけではありませんが、それでも、目の前にこうして苦しんでいる人がいる、ささやかでも、何とかサポートしたいと思います。

再び、カンパのお願いをします。3月5日の「ひろしま・ふくしまを結ぶ ワンコインシンポ」の場で、平木さんがかんぱのお願いをし、60004円頂いています。これはもちろんの事、まだまだ何とか集めて、親子さんに渡したいと思います。どうぞよろしくお願いします。

振り込み先を再掲します。

ゆうちょ銀行 記号 15160 番号 59741081 フクシマコドモシエンノカイ

フクシマ子ども支援の会の代表は平木薫さんです。

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日塔マキさんと赤ちゃん

 「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の私たちは、例年と同じペースで、淡々と計画を進めています。今の社会情勢を見つめ、その根底に、決してヒロシマ、沖縄、福島を忘れない、8月6日を意義あるものにしたいと思っています。

昨年の池田精子さんのお話は、火傷と放射能の障がいで傷つき打ちのめされながらも、生き抜き、かつ早くから被爆者運動を闘ってこられた、そのお話に多くの参加者が心打たれました。

被爆者のお話を直接聞くことが難しくなってきた今、それでも頑張って話して下さる方たちがいらっしゃいます。今回も、素晴らしいお話をして下さる方に内諾を得ています。ありがたいことです。

今、この日本が向かおうとしているこの社会をどうとらえて、これからどう行動して行けばいいのか、それらをきちんと分析、語って下さる方にもお願いしています。

改めてここでもご紹介させて頂きますので、お待ち下さいね。

私は元気です。私の体調が悪いとか、認知症になったとか、そんなことは全くありません。「イベントありき」でことを作って行くのではなく、原則を忘れないできちんと取り組んできましたし、これからもそうし続けますね。

さて、ガタロさんと永田浩三さんの公開対談の会場で、うれしい人に会いました。

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福島の「女子の暮らしの研究所」の日塔マキさんです。2013年、広島へ保養に来た母子のお手伝いで、彼女も広島に来られました。その縁で知り合い、その年の夏、福島の多くの若い女性たちを連れて広島に来られました。その彼女たちに私がお話をしました。赤ちゃんを産むということ、命を繋ぐということ・・・。


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福島の女性たちが、「18歳以下には検査されていても、それ以上だと何もないし、不安だと。私たちは子どもを生んでもいいのだろうか」と。そしてみんなでヒロシマに来て資料館を見たりいろいろと勉強する、その一つとして私の話がありました。

それらの様子が、NHKのドキュメントで放映されました。

その後も、日塔さんとは、福島や広島で時々会い続けています。その彼女が、この度、赤ちゃんを連れてやってきたのです。この間おめでただと聞いて喜んだのに、もう赤ちゃんは一才です。会えてうれしくて。また、いつか会えるかな?その時はどれだけ大きくなっているかな?本当にありがとう!!

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四国五郎さん、ガタロさん②

四国五郎さんの沢山の話を聞きました。いろいろな活動をされた四国さん、中でも、被爆者に絵を描くことを勧めらる活動をされました。絵に加えてその時の状況を字で書いてもいいからと。

沢山の被爆者が絵をかきました。赤ちゃんを抱いたまま黒焦げになったお母さん。水水とみんなが言いながら亡くなった事とか。四国五郎さんとNHK広島の共同で行った被爆者から募集した絵は、今、8000枚を超えて保存されていると。

四国五郎さんを師と仰ぐガタロさんの最新の絵です。若い人たちに声を上げて欲しいとの思いを込めて書いたと。広島にシールズのような動きが起こらないかと。

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 後から撮った絵なので、はっきりしませんが、広島の川岸に沢山の人が訴えを書いたのぼりやプラカードを掲げています。「オキナワ」とか、「ヒロシマ忘れません」とか、そして、真ん中の方に「サギ師アベ」と書いた物も。笑いました。でも、ガタロさんにとっては、今の社会、真剣な怒りなのですね。

大変胸に響く対談、本当にありがとうございました。

講演会が終わって外に展示されていました。

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四国さんの絵で作られた「平和カレンダー」。かって、広島の学校ではほとんどの教室に平和カレンダーがかけられていました。今、すっかり姿を消しています。平和カレンダーをかけていると、教育委員会の人が視察に来て「まだこんなカレンダーをかけているのですね」と言われて、管理職は真っ青になったと。それは、性教育バッシングと時を同じくしてのことでした。

ああ、今でもこのカレンダーがあれば購入したいですね。昔のでいいから。四国さんの絵のカレンダー、貴重です。ほしいと思いました。

ところで、全く話は異なるのですが。この会の後、一人の方とお話しました。その方に

「先生、お体、大丈夫ですか?」と言われました。「うん? 私は元気ですよ。元気に診療もしているし、講演に走り回っているし。」でも、

「先生は、体調が悪くて、もう今年の8.6ヒロシマ平和の夕べから外れた、もう河野先生はしないからと言われました」と。

「ええっ?誰に言われましたか?」

「○○さんから」

「私は元気だし、今年も8.6ヒロシマ平和の夕べはちゃんとしますよ。今、着々と準備しているし。今年は、またYMCAでするからね。」

このお話、明日に続きます。

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四国五郎さん、ガタロさん①

昨日は、午前中はWeフォーラム、午後は私の講演、昼は8.6ヒロシマ平和の夕べの仲間たちと食事、夜は講演会のスタッフの方たちと食事、充実した一日でした。

まずWeフォーラム。ガタロさんと永田浩三さんの公開対談。四国五郎さんを師と仰ぐ画家のガタロさんの情熱一杯、怒りに満ちたお話と、大変静かで適格な語りの永田さんのコンビが絶妙でしばしば胸を打ちました。

撮影禁止と言われなかったのが、うれしくて。後ろの方からの撮影なので、十分ではありませんが、思いが伝わればと。まずガタロさんの一人芝居から始まりました。満員、補助いすを出すほどの参加者の緊張をほぐし、期待を引き付けるのに十分なパフォーマンスでした。

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ガタロさんの絵と四国五郎さんの絵の写真がものすごい迫力で、迫って来ます。

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そして、この絵。四国さんが沢山書かれた母子の絵の内、この絵を見る度にガタロさんの妻は涙ぐむと、ガタロさんも涙ぐながら話されました。

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ああ、こういうケロイドを持った女性を沢山見て来たなあ、私が小さい頃行っていたお好み焼き屋さんのお姉さんも、お菓子やさんのおばさんも・・・。大学生になってからも、先輩の首に、とか。四国さんの絵のこの女性がどんな思いで赤ちゃんを産み、抱いているか、私の胸にも迫るものがありました。

この項、まだ続きます。

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Weフォーラムin広島

本日の午前中は、「Weフォーラム2017in広島」に行きます。その分科会でのシンポジウムに参加します。ガタロさんと永田浩三さんの話を聞きたいと思って。

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「We」は、家庭科の先生たちを中心に読まれている年6回定期的に発行されている雑誌です。




毎年、全国でフォーラムが開かれています。もう10年以上前にも広島で開かれました。私も、その中の一つの分科会で講演をしました。

当時、性教育バッシングの嵐が吹き荒れていました。そのシンポジウム直前に、主催者のお一人から「先生、○○さんが来ています」と報告がありました。「ええっ、だってあの人は・・・」私は絶句しました。だって、彼女は関東の音楽の教師、家庭科とは何の縁もないし、当時、あちらこちらの性教育の会に参加しては、こっそり写真を撮り、録音し、全く話を捻じ曲げて、○○協会系の新聞などに提供する有名な人でした。

当時の広島のPTAの会にも何回も呼ばれ、またまたでっち上げのひどい講演をしていました。

その彼女が私が参加する会に来ている、激しく頭を巡らせて、私は準備してきたすべての配布物を配布しないことにしました。そして、スライドもしない、口だけでの講演にしました。内容もガラリと変えました。

彼女は一番前の真ん中に座っていました。

即座に変えた講演でしたが、もちろん参加して頂いた満員の方々には、満足して頂いた講演ができたと思います。

そして、講演を終えて彼女が部屋を出て行ったあと、部屋に残っている大勢の方々に、事情を説明し、頭を下げ、そして用意していた配布物を配って、持って帰って戴きました。

その後、私は日本会議系のPTA会長を相手に長い間名誉棄損の裁判を闘いました。

そんな思い出深い「Weフォーラム」が再び広島で開かれると。今日の午前中しか参加できませんが、それに行ってきます。午後は場所を変えて私の講演です。

永田さんのNHK前での演説、You Tubeをぜひ覗いてみて下さいね。

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江田島の碑

昨日は、8.6平和の夕べのスタッフたちと江田島に行ってきました。久しぶりの海。ゆったりとしたフェリーに乗ると、心が弾みましたよ。空は青く、海も青く、波は穏やかで暖かです。

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江田島切串港には、在住の山下氏が出迎えて下さっていました。総計7人で、まず海上挺進戦隊戦没者慰霊碑へ。江田島というと、海上自衛隊術科学校とその資料館ですが。そうでない慰霊碑二か所に行きました。

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第二次世界大戦の戦局が危うくなった頃、ここ江田島に陸軍の秘密基地が作られました。船舶特別幹部候補生の少年たちを集め、ベニヤ板で作ったモーターボートに爆薬を載せ、一艇で一船に体当たりしするという任務の訓練をしたと。ここで訓練をしたのち、沖縄、フィリピン、台湾などに送り出されたと。計2288名がここから出陣し、1636名が命を落としたと。

この基地の存在は、長く秘密にされていましたが、この元教育隊長の斉藤義雄さんが尽力してこの慰霊碑を建てられたとの事。この文を読むと、あまりのむごさに、胸が痛くなります。
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慰霊碑のすぐそばに今も残る突堤。これが秘密基地を伝える唯一の証であるそうです。先端に立っているのは、私です。今も当時と変わらないであろう穏やかな海です。

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次に行った慰霊碑です。

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慰霊碑の裏の碑文に書かれているのは、次のような文章です。

「昭和20年8月6日、世界で初めて原爆が投下されて多数の犠牲者を出しました。その一部の遺体がその後間もなく来襲した枕崎台風により鷹の巣の砂浜に漂着し、その幾多の人々の現状は想像に絶する過酷な物であった・・・それらの無縁仏のご冥福をお祈りしたい・・・」

この碑の向こうに、広島市が見えます。まっすぐに遺体が流れ着いたのも納得できます。

穏やかな瀬戸内海の島々にも、こうして戦争や原爆の爪痕が残り続けています。
この項、続きます。

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中村周六さん・続

全身をがんに侵されながらも福島のフィールドワークに行った中村周六さんに「死ぬのは怖くないか」と尋ねたのは、宗教者の方々が、自らの死をどのように受け止めるのかを知りたかったからです。先日お伝えした中川健作さんは、末期の大腸がんと分かってから、キリスト教の洗礼を受けられました。仏教者の中村さんはどうなのでしょうか。中村さんは、

「まったく怖くない。もう、楽しみで楽しみで。あの仏に会うことが出来ると思うと、本当に楽しみなんよ」と言い切ったのです。

周六さんは、学生時代から、人を受け入れる方でした。どんな人の言うことでも「それはいいのう」と。まず受け入れて、話を聞く。その姿勢は大人になってからも、まったく変わらないままでした。そんな方ですから、お坊さんになられたことは必然だったのかもしれません。

広島大学に入学して寮に入って。そしたら、毎日毎日ラジオで「今日、被爆者の○○さんが亡くなりました」と放送するんよ。参ってのう。寮のすぐそばに原爆病院がありました。その頃は、被爆者がそこで亡くなる度に放送されていたのですね。そこに周六さんの原点があると言われていました。

私たち、8.6ヒロシマ平和の夕べの実行委員会では、周六さんは私たちの要でありました。

2013年には、沖縄から知花さんをお迎えしてお二人の対談を行いました。

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そのイベントの前後のブログはここにあります。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-dc4c.html

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-8469.html

おそらく死を覚悟して、福島にフィールドワークに行った時、案内をして下さった地元のお坊さまとの写真です。ひとしお穏やかなお顔です。

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周六さんを失っても、私たちはなお進まなければなりません。私たちの模索は続いています。

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中村周六さん

 昨日中川健作さんのことを書きました。今日は、もうお一人私たちの仲間が亡くなったことをお知らせせねばなりません。昨年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」で登壇した中村周六さんです。

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この時、すでに大腸がんに全身が侵されていました。中村さんは、プログラムでは、その年の3月に行った福島のことを報告する予定でした。しかし、いきなり参加者に向けて合掌し、「なまんだぶなまんだぶ」から始まり、親鸞の話、仏教のお説教を話出したのです。いつ、福島の話になるのかと思っていたら、結局最後までお説法で終わったのです。司会の私は、どういったらいいのか、ほんとうに戸惑いました。

中村さんは、浄土真宗のお坊様です。御坊様が仏教の話をする、それはまったく違和感のないことかもしれません。しかし、本当にびっくりして。

昔、中村さんは広島大学の学生でした。それから私たちは長い間どこにいらっしゃるのかも分からなかったのですが、滋賀県で生活されていました。その内、高齢のお母様と同居するためにお一人で作木に帰って来られました。作木では、農業と牛飼いをしながら、仏教の勉強をし、お坊様になられました。「牛が可愛うて、可愛うて」と何度も聞きました。

8.6平和の夕べには初めから参加しておられます。何十年振りでお会いした時、くしゃくしゃの笑顔で握手しました。

私たちの大切な仲間、原伸幸さんが大腸がんに倒れ、亡くなった時にも、その前に病床に行き、しっかり時間をかけて話をし、最後に握手をして別れたと。全く悔いはないと言われました。後で考えると、その時には、すでにご自分も大腸がんに罹っておられたのですね。

そして。昨年三月に福島にフィールドワークに行った時、私は別行動で「聞かせて福島のこと」を開催し、お話を聞いていたのですが、夜福島での懇親会に合流しました。そして、中村さんの隣に座ってお話をしました。一番手前が中村さんです。中村さんは、がんの体を押して、福島に行かれたのです。

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 その時、中村さんは話して下さいました。医者に写真を見せられた時、がんが腸や腹にいっぱいだったと。その一つ一つのがんがすべて仏に見えたのだと。仏がいっぱいでこちらを見ていて、感動したのだと。

 私は、「六さん、死ぬのが怖くないですか?」と尋ねました。

この話、明日に続きますね。

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