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劇団青年座「金閣炎上」

昨日は、診療後大急ぎでアステールプラザへ。市民劇場、劇団青年座の「金閣炎上」を観に行きました。

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水上勉作。昭和25年7月に炎上した国宝の金閣寺。金閣寺の修行僧、大谷大学の学生でもあった林養賢による放火でした。この演劇は、林養賢氏の出生前から死までを描きました。

 若狭の貧しい寺に生まれた彼は、結核で早くに亡くなった父の意思を受け継ぎ、金閣寺で得度をし、修行僧となります。しかし、作者の水上氏によると、彼は仏教の清貧を尊び、一衣一鉢、王城を出た釈迦の思想と異なり、金閣のような宝物が残されている不幸について考え詰めました。彼は医師に「あんなものは禅寺には不要だ。なければ、長老も小僧も苦しまなくてすむ」と言いました。

 金閣は、室町幕府、第3代将軍足利義満に寄って建てられました。養賢は、「金閣は仏教の為ではない。権力を持つものが、酒を飲み、遊びの為に作られたものだ」と。養賢が修行をしている当時も、金閣寺の僧は、もっとも権力の有る僧としてあがめられ、贅沢の極みにありました。

 養賢は、放火の後、自殺を図りましたが、死にきれず、裏山で苦しんでいる所を発見され、逮捕、懲役7年の実刑判決を受けました。そして、囚役を務め、出所した後、父親と同じ結核で亡くなりました。彼の最期の言葉は、再建される金閣寺の写真を見たいかという医師の問いかけに「見たくない」と言ったという、そのことばでした。

 物語として、大変有意義で、楽しませて頂きました。ちょっと吃音のある養賢の役があまりにがなり立て続けるのが、声が割れて、聞き取りがたく、演出をなんとかしてほしいと思いましたが。

 仏教にかかわらず、キリスト教でも、神道でも、宗教者が死を迎える心境はどんなものなのだろうかと、演劇が済んだ直後にそう思いました。特に私は兄を思い浮かべました。牧師になるとそれまでの職業を辞し、大学の神学部に行き、家族を抱えてその生活と学生の勉学に大変な苦労をしたものの、結局は当時の全共闘運動の全国的うねりの中で、神学部のそのものに批判的な目を持たざるを得ず。卒業はしたものの、教会の牧師にはならず、それでもキリスト者であることは辞めないで、かつ陶芸の道を究めようとした・・。その兄のことを思うのです。肺炎で、死が近いと自覚した時に、彼は駆け付けて下さった牧師さんに「助けて下さい」とすがったと。そして、聖書を読んでいただいて、落ち着きを取り戻したと聞きました。

 私も年を取り続けて、様々な人の死を聞く内に、このような演劇でさえも、死を感じざるを得ません。演劇が言いたかったこととは異なるのでしょうし、仏教とは全然異なることですが、私はそんなことを胸に抱えて帰りました。

 

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