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「若人よ いのちと愛のメッセージ」最終上映です。

もう何度もお知らせしていますが。映画「若人よ いのちと愛のメッセージ」がいよいよ来週の木曜日、5月28日に最終上映されます。

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朝、昼、夜の3回の上映です。このうちのお昼の上映の後、30分ほど私のトークイベントがあります。4月8日の上映を40年ぶりに観た時、本当にびっくりして。とってもいい映画だったのです。今ではとても作られない映画、あの時だったからこそ、こんな映画が作られたのだと思います。この後で始まった長期にわたる性教育バッシングは、今も性教育界に深い影を落とし、世界でも例を見ないほど、性がおかしな日本になってしまっています。

 性教育を殆ど受けていない教師に寄って、あろうことか、学校の生徒が被害に遭うことさえも。

 映画の中では、高校生が沢山出演し、生き生きと若者たちの意見が飛びかいます。

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上の本の写真のページの右下は、40年前にこの映画の上映会場で講演している私です。その隣は、その上映会場での、この映画の音楽を担当された小室等さんとおすぎさんのトーク。それは、楽しいトークでした。

 今日は、ウィペディアからこの映画監督、槙坪夛鶴子さんの記事を載せますね。

槙坪 夛鶴子(まきつぼ たづこ、新字体:多鶴子、本名:光永 夛鶴子、1940年〈昭和15年〉5月28日[1] - 2011年〈平成23年〉9月24日)は、日本映画監督スクリプター

略歴

1940年、日野夛鶴子として広島県呉市に生まれる。1945年広島市への原子爆弾投下の際には、爆心地から25キロ離れた、当時の安佐郡久地村(現在の広島市安佐北区)の父親の実家で被爆する[2]1950年に大阪へ転居し、後に大阪府立北野高等学校に進む。この間、両親が離婚し、高校の頃から母の槙坪姓を名乗るようになる[3]

早稲田大学第一文学部演劇科卒業[4]。在学中に最初の結婚をし、出産する(後に離婚)[5]。24歳ころに関節リウマチを発症するが、27歳ころに俳優の米倉斉加年に紹介され、スクリプター(記録係)として民芸映画社で働くことになり、映画界に入る[5][6]。スクリプターとしては、テレビドラマ『黒部の太陽』(1969年)などに関わる[6]

1986年(昭和61年)、長野県養護教諭による性教育の取り組みをテーマに取り上げた『子どもたちへ いのちと愛のメッセージ』で監督デビュー[7]。以降、高校生の妊娠をテーマとした『若人よ いのちと愛のメッセージ』(1987年)、後天性免疫不全症候群(エイズ)を取り上げた『地球っ子 いのちと愛のメッセージ』(1993年)、『わたしがSuki』(1998年)、老人介護を取り上げた『老親 ろうしん』(2000年)、『母のいる場所』(2003年)、自閉症をテーマとした『星の国から孫ふたり』(2009年)と、身近な問題を劇映画として発表し続けた[8]

2011年9月24日、リウマチに伴う合併症のため死去[1]。71歳没。

ぜひ多くの皆様に観て頂きたく、再再度ご案内しますね。皆様にお会いできること、お待ちします。

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