「神部ハナという女の一生」の取材でした。
なんかこのところ取材が続いています。
昨夜は、中央の新聞社の本社から性教育、特にバッシングについてのインタビューでした。先日の、性教協中国ブロックの私の50年の講演をリモートで見ていただいた上での取材でした。
そして、今日は、今度の演劇「神部ハナという女の一生」についての、中国新聞の取材でした。観音高校演劇部OB会主催ということで、観音高校演劇部で当時頑張っていた三人が代表で参加しました。今度の講演の事務局をしている板倉さんと、オフィス青野の青野さんと、私。
1962年「花火」1963年「像の死」1964年「広い黄色い土地」で県大会を三連覇したころの話、それには故脇田さんの尽力が大きかったこと、それにその後もOB会がずっと続いている不思議等の話でした。
これに、カメラマンの方も来られて、一杯写真を撮って帰られました。少しでも4月18・19日の集客に繋がれば、と思います。
その時、私の知らない話も沢山出て、すごく楽しかったのです。象の死の時、私は1年生。青野さんは3年生。今度演劇をもって来られる演出の伊藤さんも3年生。脇田さんと板倉さんは高校はもう卒業していて浪人中でも、せっせと観音高校に来て、演劇の指導を続けていたこと。私は顧問が4人もいて、不思議だなあと思ったこと。夜中まで練習をして脇田、板倉、両氏は帰られなくなって、先生の宿直室に泊めてもらったこと。朝、インスタントラーメンに学校に生えている草を入れて食べたこと、そんなことは今まで知りませんでした。青野さんは、よく部室の天井裏に泊まっていたそうですし。
その取材に、板倉さんがプリントを何枚か持ってきていらっしゃいました。高校演劇についての冊子からでしょう。その中に、H13年3月25日発行となっていますが、皆実高校の顧問の亘先生の文章が載っています。ちょっと転載させていただきます。これらに出てくる「おーい助けてくれ」は、今は舞台装置の第一人者堀尾幸男さんが主役、吉田拓郎さんも出演していました。
超高校生の「象の死」 亘勝昭氏
振り返ってみて一つだけ挙げろ!と言われるなら、今でも「象の死」(1963昭38)をと思う。第4回地区大会に、皆実高校はサローヤンの「おーい助けてくれ」で出場したが、観音に敗れて、県大会、中四国と進んでも、結局勝てなかった。この年、早くから皆実は観音をライバル視していた。前年、皆実は一年生ばかりのキャストで県大会まで進んーだが、その時の主役が健在で今度も主役。しかも成長著しい。それに対して観音は、1962(昭37)の「花火」のキャストは卒業して残っていない。今年は皆実のチャンス!そう思っていた。
当時、地区大会の仕込みは無秩序で、大会前の適当な日に各々の学校が会場校(観音)に行き、観音の練習が休憩している合間に吊りこみさせてもらった。待っている間、観音の練習を見る。大井先生(博士)を演じる生徒の声が低い。低音早口でぼそぼそとよく聞き取れない。これなら"勝てる"と思ったのである。地区大会1日目の皆実は好演した。観ていた観音が自信を無くすほどの出来栄え。が、2日目の観音の「象の死」を観て驚く。かの大井先生が登場するや、その迫力、低音ながらビンビン響く声、何よりもその存在感に圧倒された。出演者は見違えるばかりの精彩を放ったのだ。一夜にしてこの変わり様、まるで土橋&中洌のマジックとしか言いようが無い。私は完全に脱帽し、負けた悔しさは無くて、むしろさばさばした気持ちであった。
「象の死」を何度か観た時、・・・大人の劇団を見ている様だと言った生徒あり。多くの人が高校生が演じていると気づかなかったのでは・・・。
演技が抜群であるだけでなく、体付きや声までが高校生離れしていた。女医役の長谷川さんだけが1年生、皆が3年生であった。と知って驚いた。いろいろな意味で超弩級の「象の死」であった。
以上です。この低音の大井を演じたのが、今回の演出の伊藤さんです。 もう少し、私が書いたのと(さっぱり書いたことを覚えていませんが)脇田さんが書かれた文章もありますので、明日に続きますね。
なお、神部ハナという女の一生のチケットの買い方をご案内しますね。私のクリニックにもチケットはあります。よろしくお願いします。
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