江田島でした。
今日は、とっても久しぶりに海に。宇品の港から。正面は安芸の小富士、似島。沢山の被爆者がここに流れ着きました。
このフェリーで江田島へ。
出発してすぐに宇品島、私たちは元宇品と呼んでましたが、プリンスホテルが見えます。このホテルが出来上がってすぐ2002年の夏に借り切って性教協全国大会を開きました。全国から1600人の人が集まって、大盛況でした。バッシングの嵐がそろそろ吹き始めていた時です。後に、2023年G7サミットが開かれたホテルです。
程なく江田島、切串港に到着。直前には牡蠣いかだが沢山。もう今は、沢山の牡蠣がどんどん成長しているそうです。上からとっていないのでちょっと分かりにくいでしょうか。
着くと、桟橋に陸路組が車で二台待っていて下さって。みんなで「海上挺身隊戦没者慰霊碑」に行きました。
広報江田島から。『昭和19年、当時の陸軍が「海上挺身隊」を考案。ベニヤ製の小型艇に自動車のエンジンを積み、敵船に近づいて爆雷を投下するというものでした。船は秘密名称の「連絡邸」の頭文字を符号にして「マルレ」と呼ばれ、隊員の主体は15~19歳の若者(船舶特幹第一期生 第1~第19戦隊・第23戦隊の一部)と一般兵科より選抜された下士官(第20~第30戦隊)。江田島町幸ノ浦のヒミツ基地で訓練を重ね戦隊を編成し、沖縄やフィリピン、台湾へ出陣していきました。戦地に向かった第1から第30戦隊系3125人の内、1793人が戦死。その多くは輸送船で没したと伝えられています。昭和42年12月、秘密基地のあった幸ノ浦で慰霊祭を営むとともに慰霊碑が建立されました。』
今も残る突堤。ここに秘密基地があったことを今に伝える唯一の証です。
広報から証言の一部を。
『また、夜に敷地内の兵舎から軍歌を歌う声やどんちゃん騒ぎをしている声が聞こえてくることがありました。すると、その翌日にマルレの船が出て行き、他の訓練兵の皆さんが海岸で旗や手を振って見送っていました。大騒ぎする音や声は自分の家まで聞こえてくるので、その度に「ああ、明日また出撃するんだろうな」と思ったことを、今でもよく覚えています。(取ヴ氏11歳・男性)』
その後、みんなで「ひらの」に行きました。恒例「牡蠣を食べる会」です。

トマトのサラダ、中にはカニが入っています。江田島産のトマトのおいしいこと!!

持ち帰りのはっさくは、一袋100円。大小いろいろだけど、これだけで300円。ヒエーッやっすい。
牡蠣も格安で持ち帰り。
帰りの船から。海がキラキラしていました。夕焼けの少し前です。
本当に楽しく、おいしく、お腹いっぱいで、持ち帰りが重ーい。のは、皆さんが持ってくださいました。山下さん、皆様、ありがとうございました。
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