「神戸ハナという女の一生」近づいてまいりました。
すでにお知らせしていますが、観音高校演劇部O.B会主催、脇田義信没後20年追悼祈念、劇団世代による演劇「神戸ハナという女の一生」の公演が迫ってまいりました。もう一度ここでお知らせいたしますね。
第一部は演劇、第二部に、観音高校音楽部O.B会による混声合唱「レクイエム碑」があります。碑は、観音高校の前身広島二中一年生全滅の記録を合唱曲にしたもの。18日土曜日は碑の合唱のDVの上演になりますが、19日日曜日は、皆さんで歌われます。
この演劇の演出は、私たちと一緒に高校時代に演劇をした私の二級先輩、伊藤勝昭さん。高校、広島大学、RCCドラマグループと一緒に過ごし、その後東京へ行かれ、はじめは役者さんで、その後演出家になられました。
全く別のことを言うようですが。広島には被爆建物の陸軍被服支廠の保存、有効活用を望んでの活動が活発にされていますが、そこから毎月二回被服支廠ラジオがインターネットで放送されています。
このラジオで、先日3月15日に、広島の演劇界の土屋時子さんが、伊藤勝昭さんにインタビューされました。それが、とてもいいインタビューで。お二人の昔からの広島での演劇や、その後が淡々とかたられたのですが、なんとも味があって、深いトークになっていて静かな感動がありました。いろいろとここに至るまでの経過やまさか、思う様な因縁もあったり。
伊藤さんは生後4か月の時の被爆者で、お父様は小学校の校長先生。たまたま本当に偶然爆死を逃れられ、でも、教え子も同僚たちも皆さん亡くなった中で、生きるのもつらい時。駅のそばの市に食べ物を探しに行ったと。そしたら、ネギしかなかった。そのネギを一把買って、ふと見上げたら、比治山の向こうに虹がかかっていたと。その虹を見上げて、生きる希望が少し沸いてきたそうです。そして「ネギさげて、焦土の果ての虹あふぐ」という俳句を詠まれ、それが三滝寺に句碑となって建っています。お父様は、1946年、被爆の翌年、夕凪社という句会を立ち上げられました。この句碑は、15周年記念に建てられたそうです。それが、また、このラジオで語られていたのですが、土屋時子さんのお連れ合い、広島の演劇界で決して忘れられない「河」の作者であり演出家である土屋清さんのお墓の裏にあって、この句がいいなあと思っていたら、それが伊藤さんのお父様の句碑であると知って、驚いたと語られていました。
また、伊藤さんは、学生時代に広島テレビの脇田さんのたのみで広島テレビでドキュメント「碑」を作る時の裏方のアルバイトをしたと。今回、「碑」の合唱と一緒にすることを何より喜んでいらっしゃるようすでした。
まだまだ高校の演劇での脇田さんの指導についてとか、東京に行ってから、高校に演劇の売り込みに回ったとかそんな話がいろいろと語られました。ぜひ聴いてみてほしいと思います。
https://youtu.be/kysg58lLnnQ?si=wltgeQAH2P484du-
なお、チケットは、私のクリニックにも置いています。私は、久しぶりの演劇の裏方を務めます、楽しみです。
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