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「神部ハナという女の一生」の背景

 今度の演劇「神部ハナという女の一生」について。ちょっと私の思いをお話しておきたい思います。戦後、広島で赤ちゃんを産むかどうかと悩む女性は、他の地域の女性たちとはまた違った意味もありました。被爆という事実から。そのような女性の悩みにハナは向き合っています。そしてまた、異なる意味でのこの演劇の背景、日本の背景を見ておかなければと思います。

 そもそも、妊娠中絶というのは、許されないものとされてきました。それは、日本だけでなく、世界でもキリスト教等の宗教にに裏打ちされた物でもありました。アメリカのマーガレットサンガー氏が(1879ー1966)子どもをいつ何人産むか女性自身が決定する権利があると
唱えましたが、彼女は何度も投獄されています。

 そのサンガーさんの影響を受けて、日本でも、山本宣治氏(1989ー1929衆議院議員)が産児調節・なんと性教育という言葉も使って訴えましたが、結局彼は右翼に刺殺されてしまいました。

 日本では、1869年(明治2年)堕胎禁止法が制定されました。その旧刑法に制定された堕胎罪は、今も現刑法第2
編第29章(刑法212条-216条)に生き続けています。

 しかし、戦後の引き上げ者の急増、貧しい、食べ物もあまりない中でのベビーブーム、1948年に優生保護法が作られ、条件に当てはまる場合のみ、医師による人工中絶が合法化されました。1949年、さらに経済的理由で母体の健康を損なう恐れがある場合も中絶が可能とされました。しかし、それには、地域の民生委員を通しての地区優生保護審査会の認定が必要だったのです。


そしてさらに、1952年、中絶についてその地区審査会の認定が不要になりました。これによって、一挙に中絶数が増えました。ここにその数値をアップしますね。優生保護法ができても、1949年はまだ中絶は約10万件。1953年から1961年、中絶数は年間100万件を超えています。

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これをグラフにすると、こうなります。

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神部ハナは、9人ものこどもをすべて戦争や原爆で失い、みずからも原爆症を患います。彼女の所を尋ねてくる女たち。それは、出産をためらい、悩んで相談に来る、または中絶を頼みに来る女性たちでした。

 この舞台となった時は、このような、まだ戦後中絶が許されない時代。さらに、様々な差別の中で産むことをためらう被爆した女性たち。そのような背景があってのこの演劇が成り立っているということです。

 ちなみに、私は学生時代、被爆二世の女性たちと語り合いました。私たちは子どもをどうする?と。みんなと語りつくした後、私たちは産もうという結論を出しました。被爆者である親が私たちを産み、育ててくれた。まず感謝してその話を聴こう。そして、私たちは被爆者の血を絶やさない。産んで育てようよ。もしも障がいがあったらあったでいいじゃない。私たちの子だもの、頑張って育てようよ。子どもたちとともに核兵器廃絶を闘おうよ、と。そんな結論を出したのでした。そして、その思いは現代の福島の悩める女性たちとの話し合いにもつながりました。

 私はそんな思いで、被爆者である伊藤さんの演出のこの演劇を推薦し、一人でも多くの皆さんに観て頂きたいと、そう思って取り組んでいます。


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