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教育委員会との対話(にならない対話)

23日の資料を作りながら、改めてしんどかった時を思い出し、今更ながら涙ぐんだりしています。いろいろなエピソードもお話しますが、中でもこのひとつ、ここでお話しますね。

 私たちの性教協広島サークルの活動は、研修、例会、コツコツと続けて参りました。2002年に全国大会を出来立てのプリンスホテルを借り切って行いました。1600人の人が全国から参加され、それは盛況でした。特別講演は映画監督の大林宣彦氏。舟入高校の演劇もお願いしたりして。その時の大変だったこと、その後に右翼のビラが大量にまかれたりしたことは今度のセミナーでお話します。今日お話するのは、その内容ではなく、それまでは県教育委員会も市教育委員会も後援について下さっていました。いつからそれらの講演がダメになったか。やはり全国的なバッシングの中でなのでしょう。

 私がとても悔しかったこと。ある時、例会で「障がい児の性教育」をすることになりました。東京から長年取り組まれて来た永野佑子先生に来て頂いてお話していたただくことにしました。

 その時に県教育委員会に後援の申請に行きました。その対応があまりにひどくて。けんもほろろ!!情けなくって、涙したことは、ついこの間のように思います。

その時のことをここに書いています。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-2f22.html

広島市の教育委員会に後援の申請をした時のことをここに書いています。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-2e86.html

これらを読んでいていて、ほんとうにつらくなります。悔しいので、ここにリンクだけでなく、県教委の人とのやり取りを再掲しますね。2009年12月27日のブログです。

今年の活動から。①県教委の人との会話。

 「まずお伺いします。17年(2005年)に同じ申請をされて、お断りしたことがあるのですが、その後何か活動を改められましたか?」

 「ええっ?私たちは突然17年に申請を出したのではありません。それまでずっと。16年(2004年)まで申請を受けて戴いて、後援を戴いていました。17年に突然、後援できないとのお返事を戴きました。でも、その理由は何も教えて頂けませんでした。その後も、申請しても、申請しても、ずっとお断りされましたが、いつも何の理由も教えていただけませんでした。私たちはなぜそうなのか、理由が分かりません。分からないものは直しようがありません。」

 「もう、申請をしなくなっていたのに、どうしてまた、後援申請をされるのですか。」

 「申請してもずっとお断りされますので、もう申請はやめましょうということで、20年(2008年)は申請していません。でも、今回は、「障がい者、障がい児の性教育」です。手をつなぐ育成会など、すべての障がい者の支援団体からは、後援の内諾を戴いています。それから、県内のすべての障がい者の作業所等の施設、自立支援学校にはご案内をしております。でも、学校現場の先生方にも是非来ていただきたいのです。そのためには教育委員会の後援が必要だと、ぜひ後援をお願いしたいと、そう話し合った末、お願いに参りました。」

 「別に、教育委員会の後援がなくても、講演会はしたらいいではないですか。」

 「でも、現実には教育現場の先生方は、教委の後援がない研修には、とても出にくい状況になっています。たとえ、休日であっても出てはいけないとする管理職の方がいらっしゃいます。そのような現実がありますから、ぜひ後援をお願いしたいのです。」

 「あなたはいったい何者ですか。どうしてあなたがここに来ているのですか。」

 「ここに役員の名簿がございます。ここに私の名前も出ています。私は役員のメンバーの一人ですが、他のメンバーはほとんどの者が教師です。勤務をしていますので、ここまででかける時間がございません。私でしたら、お昼休みがございますのでその時間を使って、使いとしてきています。本来なら、申請書は郵送でも良かったはずです。でも、今回は、キチンと教委の方にお会いして、お話して、お願いをしたほうが良いと考えて、こまでやって参りました。」

 「代表は誰ですか。」

 「この申請書にありますように、Jです。〇〇の教師をしております。」

 「その人と話しをしないと、こんな誰か分からない人と話しをしてもよく分かりません。」

 「では、Jの電話番号をお知らせします。Jは私がここに来ることを知っていますし、電話番号をお伝えすることも了解してくれます。」

 「いいえ、そんな個人情報を他人から聞くわけには行きません、まず、本人から、ここに連絡方法を連絡するように伝えて下さい。しかし、学校の電話を使ってはいけません。かける方も、学校の電話にかけてはいけません。個人の電話にして下さい。それから、その人の勤務時間中に電話をしてはいけません。時間外に連絡をして、そのことを伝えて下さい。それから、その人がここに電話をしてくるのは、個人の電話で。それも、ここの勤務時間内に。そして、向こうの勤務時間外にかけてくるように。ここの勤務時間は、何時から何時まで。この内の何時から何時は、昼休みですので、時間外です。」

 「こちらの時間内で、彼の時間外で、その時間がありますでしょうか。」

 「そんなことは分かりません。向こうに聞きなさい。」

 「これだけを伝えて、後はその人と話しをします。」

 「分かりました。そう伝えます。ここに、私たちの20年間の歩みを冊子にしています。どんな活動をしてきたのか、見ていただいたら、お分かりいただけるかと思います。どうぞ、お目通し下さいませ。私たちは、永年、こつこつと、大切な活動をしてきているつもりでいます。私たちの何がいけないのか、それだけでも、どうぞ、ご指摘下さいませ。」

 「ああ、コレが教育の現場を仕切っている人の対応なのか」

 私が出かけて行って説明をしようと思ったのだが、結果は、Jへの連絡をするようにとの伝言を言付かっただけのことであった。

 今思い出しても、涙が出るほど、とてもひどい対応をされて、そして挙句の果てが何の理由も伝えて頂けないまま、お断りであった。一筋縄ではいかないと覚悟はしていた。だから、突然でなく、ある県議の方を通して教委につないでいただいたのだが。能面のような、表情一つ崩すことのない、まことに暖かさのかけらもない教委の方の対応であった。こう話す彼の横で、女性の職員が、ずっと筆記をしていたので、以上の会話は、彼女の筆記にもそのまま記されているはずだ。

 以上は県教委。次回、市教委の方との話を出します。

次は、市の教育委員会との会話です。2009年12月28日の私のブログです。

今年の活動から②市教委の人との会話から。

 広島県教委の後援申請が理由が分からないままに断られた後、いつまでたっても広島市教委の返事が来ません。だめなのならだめで、返事が頂きたい旨、これもつないで戴いた市会議員の方にお願いをしました。そしたら、電話がかかってきました。

 当然、お断りなのですが、その理由にびっくりしました。 

 「内容に『生涯を通じてヒューマンな性を育くむためには、家庭、学校、地域でどのように協力し合えばよいかということを学びあうために開催する』となっています。この生涯を通じてということは、学校教育にはなじみません。学校教育の範疇を超えています。ですから、教育委員会の後援はできません。」

 「ええっ?障害児の学校教育は、その子の生涯を見据えてするものではないのですか?ただ、学生でいる間だけのことを教育するのですか?将来のことを考えて、職業訓練などもするのではないのですか?内容に『生涯を通じて』と書いてあることが、後援が出来ない理由になるのですか?」

 「障害児の学校教育を担当していらっしゃるのなら、その子が障害があるがゆえに、性的な被害者なることがあるということはご存知ですよね。彼ら、彼女らに、ちゃんと力をつけてあげる、そんな性教育にこれまで取り組んでこられましたか?私の現場で、どれだけ残酷な目にあった子がつれて来られているか、お教えしましょうか?そもそも、学校や教育委員会が障がい時の性教育にしっかり取り組んでこられているのなら、何も私たちが手を出すこともないのです。そんな研修会も今までなさっているのでしょうか?」

 結局これ以上の理由は聞けないままでした。何もいえないはずです。県教委がイエスであれば、市教委もイエス、県教委がノーであれば、市教委も理由はなしにノーなのですから。市教委の独自性なんてないのですから。

 理由が分からないままに、県も市も教育委員会の後援はいただけず、でも、結果的には多くの形が来てくださってセミナーは盛況でした。当日の様子です。

 永野先生は本当にすばらしい方でした。中でも、感動したのは、障がいを持っている中学生、知的には小学一年生もない子たちに、自分が生まれ来たときのことを親に尋ねたりして調べてもらい、その学習をしたことでした。子ども達は感動を持って事実を受け止めます。その中の一人が、学校に見学に来た人のところに行って、挨拶をしたのだそうです。

「こんにちわあ。僕は〇年〇組の〇〇です。僕は、お母さんから生まれるときに、頭が出たりひっこんだり、出たり引っ込んだりして、なかなかうまれませんでした。頭の半分が死んでしまいました。だから、急に倒れることがあります。その時には、どうぞ、よろしくお願いします。」

 そんなことがちゃんと言える、そして自分自身が障害を持って生まれたことをしっかりと受け止める、そんな能力を引き出していました。永野先生のこの話には、涙がこぼれそうでした。

 それにしても、永野先生は、その少し後、お隣の県で、教育委員会の研修会の講師として招かれていました。一方では、そうして、教育委員会の主催の研修会が開かれ、同じ講師でも、一方ではけんもほろろに扱われる。これは一体何なのでしょうね。

 政権交代して、私が一番興味があるのが、文科省です。文科省の教育方針がどうなるのか、今では、まだ予算のことばかりで、教育理念というところが見えて来ません。文科省と国会議員、教育委員会と地方議員、この関係の中で、教育の方針も決まってきている以上、何とか変って戴きたいのですが・・・。

以上、私のブログを再掲しました。バッシングとは、このようにきわめて具体的に行われるものなのですね。現場にいて、歯を食いしばってでも性教育の活動を続けてきているものの現状がこうなのです。

 この件、明日に続けようと思います。写真は青野さんのお花です。情けないブログなので、せめてきれいなお花で気分を取り戻しましょう。

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