AYさんのエッセイです。
日韓首脳会談は「未来志向で」としきりに言ってました。未来志向という言葉で、過去のことはもう振り返らないで、と言っているようです。日本が何をしてきたのか、ここの所、「笹の墓標強制労働博物館」のこと、「長生炭鉱の遺骨」のこと等、改めて知ることで、本当にひどいことをしてきたものだと、今更ながら痛感しています。
こんな時、福岡在住の友人、AYさんが以前書いたというエッセイを送って下さいました。AYさんは両親とも広島の被爆者で、彼は二世です。「8.6ヒロシマ平和の夕べ」には毎年参加して下さいます。彼の文章が、今日の日にちょうどふさわしいと思ったので、許可を得てここに転載させて頂きます。
「友達」
私にとって「友達」とは、迷うことなく「記憶に残る人」です。
私の少し悲しいお話、でもそこから生まれた一つの希望のお話を、したいと思います。
1960年(昭和35年)私が小学校6年生の暑い夏の日の事でした。
「おはよう!」と教室の扉を開けると白い花が机の上に置かれて、「どうしたんやろう?」と思いながらその机の傍を通り私は席につきました。
室内は少し騒いでいる者も居ましたが、
普段より静かな空気が漂っていました。
N先生が教室に入るや私に、「ちょっとこっちへ来い、今から葬式がある、一緒にいくぞ。」と。窓際の机に呼び私の全身を見まわしながら「その恰好でよか。」と、数珠を渡してくれました。
60年代、皆さんの記憶にも残っていると思いますが、三池闘争「総資本対総労働」。
エネルギー革命による石炭から石油の時代へ、
そして炭鉱での労働災害(炭塵爆発に寄る落盤事故等)、坑内で働く人達にとっては、正に、非道な時代でした。
しかしながら、その様な暗い時代の中でも、私達子供達は、「明るく強く逞しく」をモットーに、運命共同体の中で学校生活を送っていました。
N先生は、机の上の献花の訳を、先日起きた落盤事故で多くの死傷者が出たこと、クラスの仲間にも被害者がいることを、私達に話してくれました。「死んだんか、あいつの父ちゃんも」、みんな献花を見ながら黙りこくると、「今から葬式に行ってくる、静かにしとけよ、午前中は自習や。」と、大きな声で先生が話すと、みんな少し明るくなり、先生は私の眼を見て廊下に出るよう、促しました。
葬儀場に着き私は、クラスの仲間を目で追いながら探すも沢山の参列者で見つからず、
先生と一緒に席に座っていました。すると、私がよく遊んでいるM君と、彼のお母さんが寄ってこられました。
私は、数珠をぐっと握りしめ、先生から教えてもらった「南無阿弥陀仏」を唱え、頭を上げた時でした。
M君のギョロっとした眼と私の何かしら申し訳なさそうな眼が、一瞬出会い、私の心臓が張り裂けそうになりました。「なんやろ、
これは。」このドキドキした鼓動は。
あれから数か月経ち、冬休みに入る終業式の日、ギョロ眼のM君が私の所にやって来て、「俺、今度、北海道に行くけ!」と。
「北海道?寒かろう、大雪の降る所や。何で?」。彼は「有難う、元気でな!」と、突然声をかけてきました。
N先生が、「今日は、お別れ会をやるから席につけ。M含め5人北海道の夕張という所へ転校する。」先生の声は、少し沈んでいました。
「転校するんか、本当か。」、
私は、M君や去っていく仲間たちとの「炭住街」での思い出が蘇ってきました。
ボタ山に登り、ボタの中から石炭の屑をかき集め、それらを背負ってトロッコで降りたこと。水飴やするめイカを口にほおばり、紙芝居に夢中になった事。アケビやザクロを採りに山へ入り、時間を忘れて家に帰ると、
「何しよったんや!こげな時間に。」と、おばちゃんから拳骨を貰った事など。
そして、転校していくM君達が教壇に上がり、一言ずつお別れの挨拶をしましたが、彼は、ギョロ眼を伏せて握りこぶしを作り、
ただ下を向いて涙をこらえているようでした。
その時「北海道に行ったら、大きな雪だるま、雪合戦、スキーもできるぞ!」と、N先生の大きな声が教室に響きわたりました。
私は、「卒業式」を迎えました。
「おーいちょっと来い。」何時ものぶっきらぼうな声で、日差しの当たった先生の机に呼ばれ、一通の手紙を渡されました。「お前、Mの事、覚えとるやろ、今どこにおるか知っとうか。」渡された手紙を開けてみると、シミのたくさんついた用紙に、ギョロ眼のM君が、書いたと思われる下手な文字が目に入りました。先生へのお母さんからの礼状に始まり、私宛の彼の言葉が最後に、書かれていました。
「元気にしとうぞ、寒いけどな。同じ長男やけ、妹や弟の面倒をみらんといけん・・。」
お父さんを亡くし、お母さんと妹弟のためにあのギョロ眼を更に開けて頑張っている姿が眼に浮かびました。私は身震いすると同時に「負けんなよ。」とポツリ、先生の顔をじっと見つめていました。 (明日に続きます)
世羅のコスモスのアップしていない写真です。摘み取りコーナー、白いコスモスがある場所です。
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