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原爆小頭症被爆者と家族の会「きのこ会」の写真展に行きました。

12日の日曜日、きのこ会の写真展「原爆が残した子ら」に行きました。4日からやっていたのに、終わる前になってやっと行けました。旧日銀跡です。

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会場では、こんなパンフレットを頂きました。

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その一ページ目です。

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文字が小さいので、そこだけアップしますね。

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行って良かったです。とても感動しました。まだ原爆小頭症のことが公にされず、差別厳しいころ、当時学生だった重田雅彦さんが撮った小頭症の方と家族の写真が並びます。会場では、一枚ずつのアップの写真は取らないように。全体を写すのは構いませんということでした。

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経済的にとても厳しい生活がうかがえる中でも、親子の生き生きとしたあたたかな生活が浮かび上がります。これらは、撮影する重田さんと被写体の方たちとの信頼関係がよほどしっかりしていたからこそ、撮れたものと思います。

 私は、お母さんのおなかの中にいて被爆をし、様々な障害をもって生まれてきた原爆小頭症のことについて、主に平尾さんたちが作られた報道やドキュメントを見てのことを度々ブログに書いています。


ここから5回にわたって書いています。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2020/02/post-7f181f.html

性教協の全国大会にも平尾さんに来ていただいて、お話をして頂きましたし、2023年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」にも来て頂きました。

その時のことは、ここに書いています。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2023/08/post-29398b.html

この度の写真展では、写真だけでなく、いろいろと貴重な資料も展示してありました。

「この世界の片隅で」の初版本もありました。

また、秋信記者たちが、とても苦労して原爆小頭症の人を探して歩いていた時、ABCCの職員の山内幹子さんが、ABCCが把握している(
家族には、それは栄養失調でこうなったと嘘の説明をしていたのですが)名簿をひそかに作り、渡して下さったのですが、その山内さんが書かれたリストも展示されていました。几帳面な小さな文字でした。それを見て胸がいっぱいになりました。

ここでも、私はこの本のことを言わざるを得ません。「原爆小頭症被爆者と家族の会」事務局長の平尾直政さんが書かれた「広島のともしび」です。

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秋信記者が小頭症の被爆者にどんな苦労をして向き合ってきたのか、昭和天皇にどうしてあの質問をしなければならなかったか、その実現のためにどんな苦労をされたのか、まるで、ドキュメントが一つの物語として迫ってきます。ぜひ皆さんに読んで頂きたいと思います。広島の貴重な歴史の本でもあります。

 

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