「矢川ピアノ工房30周年記念」に参加しました。
被爆ピアノの矢川光則さんの、矢川ピアノ工房が設立されて30年。9月20・21日の二日間、矢川ピアノ工房で30周年記念イベントが行われました。昨日21日に参加して参りました。安佐南区ま西風新都から山道をずっと走ったところに矢川ピアノ工房はあります。川沿いの静かな所に、参加の車がいっぱいです。
矢川さん。
この一角に、被爆ピアノ資料館が作られました。この資料館でイベントが行われました。
被爆ピアノとは、広島・長崎の爆心地から3キロ以内で焼け残ったピアノを言います。現在12台の被爆ピアノが確認されていますが、内、7台を矢川さんの工房の資料館で保管されています。
矢川さんは、ピアノの調律師、修理師として活躍したのち、30年前にここに工房を作られました。その中で、持ち主がいらなくなったピアノの修理をし、さまざまな学校、施設に寄付をするということを続けて来られました。その内、1998年に被爆者から被爆ピアノを託されました。爆風と熱で傷ついたピアノ、それを修理し、そのピアノでコンサートを開いた所、思わぬ反響があったと。そして、2001年から、依頼があったところに被爆ピアノをもっていき、コンサートを続けています。そのために矢川さんは自ら大型トラックの免許を取り、それで全国に運ばれます。被爆ピアノはニューヨークにも行き、多くの方の感動を呼びました。
資料館の中です。
イベントは、矢川さんがモデルの映画「お母さんの被爆ピアノ」の上映と被爆ピアノのコンサート。映画の前に、矢川さんとこの映画の監督と主題歌を歌われた歌手の南壽あさ子さんのトークがありました。

そして、映画の上映。私は二度目ですが、やはりいい映画です。被爆の映画は、この前の「遠い山なみの光」のように、当事者のようにのめりこんでしまってつらくなるのですが、この映画は、ためらうこともなく、すんなりと入ってきて、いつの間にか涙があふれています。矢川さんのトークが楽しかったです。映画の中にはドキュメントの演奏会も盛り込まれているのですが、「初め、他の名前にすることにしていたのに、どこに行っても、矢川とあるのでそれは無理だとそのままにすることにしたのですが。主人公が矢川矢川とよばれるのが恥ずかしくて。」と。そして、南壽さんのコンサート。美しい声の素敵なピアノと歌を聞かせていただきました。
このピアノは、矢川さんが保管している被爆ピアノの中の唯一のグランドピアノです。足が六本あります。とてもふくよかな音色です。
楽しい4時間を過ごさせていただきました。そして、矢川さんのこれまでの活動、努力に心から敬意を払います。これから、大型トラックの運転など、心配なことはあります。どうぞ、お気を付けて「平和の種まき」を続けていただければと思います。ありがとうございました。
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