「8.6ヒロシマ平和の夕べ」を開催する私たちについて
もうすぐ被爆80年の8月6日です。これまでのブログでお分かりでしょうが、私たちは2007年から「8.6ヒロシマ平和の夕べ」を開催いたします。毎年8月6日当日に開催。コロナの時は本当に迷いましたが、それまでのYMCA広島の国際ホールからRCC文化センターに場所を変えて開催し続けました。今年も開催するRCC文化センターの7階の会場は、京橋川の川沿いにあり、もちろんエアコンは効きますが、窓を開けると川風が入ってきます。密封された部屋でなく、風通しの良い会場です。もし、新型コロナのクラスターでも発症すれば、私は医者を辞めなければ、と覚悟をして窓から大型の扇風機でがんがん風を入れながらの開催でした。幸い、何事もなくこれまで来ています。
この会は今年で19回を迎えようとしています。毎年多くの方々が全国から(いえ、世界からといってもいいかもしれません。イタリヤやドイツから参加して下さった方もおありでしたので)多くの方がいらっして下さっています。その会を開催し続ける私たちは何者なのか、とてもおかしなことを言う人もいると耳に入ってきますので、明らかにしておきます。
ここに、2022年に沖縄から平和講演に来て下さった三宅弁護士にあてて私が書いたお手紙があります。それをここに転載いたしますね。写真は、2011年、平和の夕べの平和講演に来ていただいて、お話して下さった中沢啓治さんです。ちなみに、中沢啓治さんのことをこのブログでもいろいろと書いていますが、ヒロシマの平和ノートからはだしのゲンが消えた時のブログ、ここに中沢さんの写真も沢山載せています。読んで下さるとうれしいです。
http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2023/02/index.html
それでは、三宅さんにあてたお手紙を掲載しますね。
三宅俊司弁護士様
突然にぶしつけなお便りする失礼をお許し下さいませ。
私は、広島で産婦人科医をしています河野美代子と申します。フェイスブックでは、お友達として、いつも共感しながら記事を読ませて頂いております。先日、メッセンジャーにてメッセージを送らせていただいたのですが、既読にならなくて、お目に留まることがなかったのか、または、メッセンジャーなどでお願いしたことをお怒りになったかと、心配しております。大変失礼をして申し訳ございませんでした。
ここに、改めてお手紙を書かせていただきます。
私は、1947年生まれの74才です。今、私は、広島の地で産婦人科の町医者をする一方で、「8.6.ヒロシマ平和の夕べ」の実行委員、呼びかけ人の一人として毎年8月6日に集会を、また、それ以外にも講演会、研修会、学習会などを随時行なってまいりました。8.6ヒロシマ平和の夕べは、被爆者や被爆二世が中心となって行っている市民集会です。
今年の8.6にはぜひとも三宅様に広島に来て講演をしていただきたく、その思いをお伝えすべく、この手紙を書いております。
私たちは、ヒロシマの地において、被爆者の悲願である核廃絶の思いをなんとか実現したいと、今の社会情勢、憲法も危機迫る中、何かをしようと集まった者が中心となっています。
幼児期に原爆孤児となり、その後生きることに精一杯だったという者もいます。お兄さんが当時広島二中の生徒で、その日のうちに亡くなったものの、焼け焦げた真っ黒な弁当箱が残り、それを原爆資料館に寄付した人もいます。爆心地近くの電車の中で被爆し、奇跡的に生き残った、今ではただ一人の電車内被爆者の者もいます。東京から実家に引き上げ、一緒に帰った障がい者の妻を介護しながらこの会の実行委員に加わっている者もいます。年老いた母親を介護している一人暮らしの被爆二世もいます。さらに、元日大全共闘の議長をしていた秋田明大さんは、今故郷に帰り自動車修理工をしながら高校生の息子さんを育てています。彼も私たちの大切な実行委員の仲間です。実行委員は政党色もセクト色も全くなく、完全に市民として日常生活を送りながら、この会だけのために緩やかにつながっている仲間たちであります。
被爆から時を経る中で、みなそれぞれの人生を生きて来ました。私は産婦人科医ですが、かつて被爆二世として、何らかの被爆者の医療に携わりたい、小児科で白血病の研究、治療をしようか、それとも被爆者の遺伝の問題に携わろうかと悩んだ末に、広島大学の医学部を卒業して、産科婦人科の染色体研究室に入りました。そこでは、様々な近距離被爆者の方とその子どもたち、さらにその子や孫たちの染色体分析を行いました。当時、ABCCが多くの被爆者の染色体の分析も行い、さまざまなデータを出していましたが、それらはすべて英文の論文で、国内向けには発表されていませんでした。それらの論文を読むうちに、明らかに被爆者の子、または孫に (クラインフェルターなどの)染色体の異常が多いという論文も確かにありました。
被爆者にさまざまな結婚差別などがあった状況で、誰に向けてそれらの情報を開示するかという難しい問題もあったでしょうが、ただひたすら「何も異常はない」とする発表に強い違和感を持ったこともあります。今、福島では広島と同じような状況が繰り返されようとしています。
(その後、私は、全く個人的にですが、診療の場からのメッセージとして、若い人や大人に向けて、性教育の講演や執筆活動をもしております。沖縄にも何度か講演でお伺いしております。)
14年前から私たちが「何かできないか」と集まり、そろそろと始めた会ですが、年々集会に参加する方も増え、市民の方に期待される会になっており、かつ全国からも多くの方々が参加して下さるようになりました。毎回、高齢化してだんだんとお話して下さる方が少なくなっている今、必ず被爆者のお話を聞くこと。沖縄、福島も忘れない事をモットーに会を続けてまいりました。
私たちは、「平和の夕べ」のプログラムとして、高齢化する被爆者の問題、被爆の原体験の継承をはかりながら反核に取り組んできたつもりでいます。それは単に核兵器のみならず、常に必ず原発と沖縄の問題も欠かしませんでした。京都の熊取六人衆、小林先生、小出先生や今中先生たちに来て頂いてお話を伺ってまいりました。小林圭二先生には二回もこの会に来て頂きましたが、残念ながら癌で亡くなられました。関連企画としては、被爆電車に乗って電車内被爆者の実行委員の一人、米沢さんに話を聴く平和学習、さらに山口原水禁の企画に同調して、前日に上関原発予定地、祝島に行き、原発反対を頑張っている漁師さんたちとの交流もして来ました。沖縄では、被爆ピアノを持って行って、平和の夕べin沖縄の集会もしたこともあります。
漫画「はだしのゲン」の作者の中沢啓治さんにも2011年に平和の夕べに来て戴いて、お話を伺いました。中沢さんは、チェルノブイリの被害者で甲状腺がんでもう直ぐ亡くなるという少女たちにも会っていらっしゃいました。中沢さんは、その次の年にも聴衆として参加して下さいましたが、その年の暮れに肺がんで亡くなってしまいました。
憲法や原発の問題にも必死で取り組んでいらっしゃる落合恵子さんにもお出で頂きました。
被爆者の方たちの語り部も毎年して戴いていますし、沖縄や福島からも毎年会に来て戴いてお話しして戴いています。沖縄からは、これまで知花昌一さん、安次富浩さん、高里鈴代さん、川崎盛徳さん等にお出で頂いています。
そんな活動を続けている今、今年の8.6.には、どうしても三宅さんのお話を伺いたいと、実行委員一同、強く熱望しています。今、辺野古の強引な埋立など、沖縄がおかれている状況、本土への思いなど、三宅様が思われることを、存分にお話頂けたらと思います。
そして、憲法が危なく、戦争への道をひた走っている今のような日本、世界の情勢の中で、広島・長崎、沖縄、福島をつなぎながら、どうすれば平和な社会、核兵器廃絶への道を歩んで行けるのかを考えたいと思います。
これまでの私たちの会の2020年から遡って2008年までの歩みをまとめたものと、それぞれの年のチラシ(コピーもあります)を同封いたします。
ただ、新型コロナの状況は厳しく、昨年は悩んだ末に、会場に来られる方の制限をし、後はZOOMで全国に配信いたしました。今年もそのような状況になることと思います。
どうぞ、私たちの熱い思いを汲んで戴きますよう、心からお願い申し上げます。
なお、連日、激務の毎日でいらっしゃることと存じます。お返事は、できるだけお手間を取られなくて済みますように。僭越ながら、私のメールアドレス、携帯電話の番号も記載しておきます。何とぞ、いいお返事、朗報を頂けますように。お待ちしております。お出でいただけるなら、すでに広島での前泊、後泊のホテルは確保しています。沖縄、広島間の飛行機代、そして少しばかりの講演料をご用意しております。
まだまだ新型コロナの、それもオミクロン株という厄介なウイルスの脅威が猛威を振るいそうな今日、どうぞお忙しいお体、おいといくださいます様に。お元気でご活躍のこと、お祈り申し上げます。
2021年12月24日
皆様、どうぞよろしくお願いします。
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