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小坪家に行ってきました。

6月13日に小坪さんか亡くなって、時が経っています。初盆も過ぎてしまって、すつかりご無沙汰していたので、昨日、お弁当をもっていってきました。お父さん(お連れ合いのことです。小坪さんがいつもお父さんと呼んでいたので、私たちもそう呼んでいます)が毎日に泣いているという情報が入っていました。共通の友人のNさんにも声をかけて、一緒に行きました。

 お父さんは大分元気でホッとしました。ご近所の方が内に閉じこもってばかりではダメだと言われて、散歩にも行くようになったと。近所の方がおかずをもってきてくださったり、子どもたちも電話を良くかけてきたり、家を訪ねてくれるとも。

 私は、いつも何かあったら、必ず電話をかけて、長電話をしていた人が急にいなくなって、その喪失感はかなりなのです。話をする人がいなくなるというのは、心底寂しいものです。私でさえそうなのだから、ましてや、いつも家にいた人がいなくなるというのは、どんなにか、と思います。

みんなでお弁当を食べて、お父さんが買ってくださっていたケーキも、別に買って行ったスイカとブドウも。

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良く食べられたので、安心しました。

 実は、小坪さんが肩を怪我して手術を受けたのが、5月15日。この日に私はひざを痛めました。それからずっと右足がつらいのです。その日、手術を受けるというので、会いに行っても部屋に入らせてもらえず、待って下さいがずっと続いて延々と4時間待ちました。そして小坪が手術室に入るという時、一緒に手術室の入り口まで歩いて行って、じゃ、頑張ってね、と別れたのが、それがお別れになるなんて、思いもよりませんでした。行っても会わせてもらえず。次に強引に部屋に入ったときには、もう意識なくというか、薬で眠っていて話はできず。むくんだ足をさすっただけです。肩の手術からひと月も持たず、6月13日に亡くなったのでした。

 私の足が痛くなったのは、小坪と最後に会った5月15日。いつかはよくなるかね、小坪さん、などと、仏壇で話をしました。小坪のお父さんや友人のNさんは、私に、もういい加減仕事をやめて、ゆっくりしたらと言われました。小坪が生きてた時も彼女はそう言ってました。そしたら、一緒にハワイに行こうと。

 まあ、そんなことで、帰ってきました。またいつか来ますね、お父さん、元気でねと言って。


 


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