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旭川に向かっています。

おはようございます。札幌から旭川に向かう特急ライラックの中です。昨夜0時15分に札幌のホテルに無事つきました。雨の中、傘もなく、スマホの道案内を見ながら、とぼとぼと歩いて到着した時には、本当にホッとしました。

朝、6時29
分の列車に乗るために、5時半に目覚ましをかけたのですが、無事起きられるだろうかと緊張すると眠れないものです。3時半、4時半と目が覚めて、結局それで起きて、シャワーを浴びて、昨晩羽田で買った焼き鯖寿司(一切れ食べたら、搭乗の案内で、飛行機の中でもう一切れ食べた切りでした)を朝ごはんに食べたし、余裕でライラックに乗りまた。

 飛行機の中でも、この列車のなかでも文章をけずりながら発表の練習をして、結局先ほど6分丁度で終えたので、よしとしました。緊張して言い間違えなどをすると、アウトです。

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これからは列車から景色を楽しみます。残念ながら雨。ホテルから札幌駅に向かう時、涼しくて、さぶっと思いました。こんな感覚、久しぶりです。

旭川につくと、すぐにタクシーで会場のホテルに向かいます。それでは。


 


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思春季学会の発表の練習

明後日30日と31日、思春期学会学術集会が旭川であります。演題を出したので、参加します。明日の夕方広島を立って羽田経由新千歳へ。そこから札幌のホテルへ。翌日朝6時29分の特急ライラックで旭川へ。7時56分着。急いで会場のホテルへ。学会は8時40分始まり。私は二番目の発表です。早すぎる~と思っても、仕方がないことです。飛行機も特急も絶対に遅刻しないようにしなければ。演題を申し込んだことをどれだけ後悔したことでしょう。でも、おそらくこれが最後になるでしょうから、心して発表します。

 しかし、大学病院時代は医局で予行演習があったし、勤務医の頃は、同じ病院の人たちに聞いてもらっていましたが、今は全く一人です。以前は、ブログで「練習しますので、聞いて下さる方は○○時にクリニックに来て下さい」なんて呼びかけたら、結構皆さん、来て下さったりして。今回は、ちょうど今日ワンストップセンターのスタッフ会議があるので、その時に聞いていただくことをお願いしました。15分早く会議をスタートして下さいました。

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 割り当てられた性は女性でも、自分は男性だと思っている人またはその逆は、以前は性同一性障害と言っていましたが、今は性別不合と言われるようになりました。この方たちが思春期を迎えた時、乳房のふくらみと月経がとてもつらいものになります。大人の場合は、ホルモン療法での治療が可能ですが、まだ子どもの場合どうするか。11歳から19歳までの15人に治療した結果を発表します。

スライドを操作しながら、ひたすら原稿を読みました。操作をもたもたしたり、読み間違えて言い直したり。6分の制限の所、6分30秒かかってしまいました。まだ何回か読み直して、すらすら読むようにすれば、何とかなるでしょう。頑張りましょう。

土曜日の診療は、保谷先生と仕方先生にお願いしました。よろしくお願いします。


 


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美容師の患者さんにカットしてもらいました。

 少し前のことです。患者さんのお一人から電話がかかってきました。「先生、髪を切りに来て」と。彼女は美容師さんです。店がね、立ち退きになりそうなんよ。その前に、どうしても先生に来てほしいんよ、と。これまでも度々そんな誘いを受けていたのですが、家が離れていることもあって、一度も行くことは出来ないままでした。立ち退きになるかもしれないということなら、それなら一度は行かないとと思って、休みの木曜日に思い切って行ってきました。自転車で行くには少し遠くて、車で。

 とても喜んで下さって、彼女が髪をカット、若い方が洗ってくれて、また彼女がブローをして下さいました。手際よく。私が美容院に行くのは、何年ぶりでしょうか。いつも、家で自分でカットしているので。シャンプーしてもらうのも、気持ちのいいこと。おかげで、すっかりくつろぎました。

 そうこうしているうちに、彼女のお嬢さんがお店にやってきました。挨拶などをして、そして、本当に先生のおかげで、となりました。本当にねえ、よくできたよねえ。奇跡よね。いやいや、先生のおかげよと。

 実は、40数年前、彼女は私が勤務医をしている時、子宮外妊娠で手術をしなければなりませんでした。片方の卵管を切除しました。そして、その後、今度はまたまた残っている卵管の子宮外妊娠となってしまったのです。それも、卵管采と言われる太い出口の所ではなく、卵管の途中がぷっくりと膨れています。まだ破裂はしていません。それを見て、私は激しく迷いました。この卵管を取るのが原則だけれど、でも取ってしまったらもう彼女の妊娠はない。迷った挙句、私は思い切って卵管に縦にそっとメスを入れました。中から妊娠したもの、胎嚢が出て来ました。それをそっと取り除いて、看護師さんに一番細い糸をもってきてもらいました。それで細い一ミリほどの卵管を丁寧に縫ったのです。ダメでもともと。一応、卵管はのこしたけれど、妊娠は難しいと思う、妊娠してもまたまた子宮外妊娠になることも、ということを話していました。その彼女が妊娠、それもちゃんと子宮に胎嚢があるということを知った時、彼女はもちろんですが、私は信じられない思いと、喜びでいっぱいでした。

 まだ体外受精による妊娠なんて夢物語の頃のことです。

 お店に会いに来てくれたお嬢さんは、その時の子です。お嬢さんには、今はもう小学校高学年の息子ちゃんもいます。

 あの時の、あの卵管の姿、切った時に出てきた胎嚢、細い細い所を縫い合わせる所作、しっかりと覚えています。

 これまで医者を続けて来て、つらい思いは山ほどあるけれど、こんなほこっとしたことはごくわずかです。その少ない中で、最高にうれしかったことの一つです。彼女はいつか先生の髪を切りたいと思ってた、それがかなったと喜んでくれました。私もうれしかったですよ。

暑い毎日、先日コオリヤ・ユキボウシに行きました。すいかアンニンというのを頼みました。体が、特に足がむくんでいるので、スイカを食べましょうと。スイカのシロップだけでなく、実も入っています。アンニンのクリーム、初めて食べました。おいりのトッピングも別に購入。おいりと練乳は途中、アンニンのクリームがなくなってからかけました。とっても美味しいけど、なんか多すぎて。でも頑張って完食しましたよ。

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萩で息子一家と③

萩旅行の最期です。一泊目は民泊でしたが、二泊目は海辺のホテル。温泉の大浴場がありました。海が見える食堂で食事。夕景が美しい。

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とっても美味なのだけれど、とても食べきれないので、おむすびにして、夜食べました。

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朝風呂にも入って、バイキングでない、正統派の朝ごはん。

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そして、チェックアウトしてすぐ近くの明神池へ。岩から海水が入り、海の魚が泳いでいます。

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ぐるっと回って対岸へ。ここの神社はなんと厳島神社だそう。

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神社の横をもっと奥に行くと、風穴がありました。小さな岩の間から冷たい風が吹いてきて、池の周りは35度なのに、ここは17度と。しばらく椅子に座って涼みました。

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そこから今度は萩焼の窯元に行き、広いお店を見せていただいて、私はピンクのお皿を7枚、スタッフへのお土産に買いました。息子たちは、あれこれ普段使いの食器を購入しました。窯元では比較的お安く購入できました。

 この後、しーまーとにもう一度行って、みんなで夏みかんのソフトクリームを食べた後、息子たちとバイバイし、広島に向かいました。

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 萩の松下村塾は私たちが来る前に息子たちは行っていたし、あと、元乃隅神社、青海島や角島は私たちが帰った後、息子たちはさらに民泊に二泊して楽しんだそうです。

 ほんの束の間でしたが、若い家族と一緒に過ごすことができて幸せでした。暑かったけど。以上、駆け足でご報告でした。


 


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小坪家に行ってきました。

6月13日に小坪さんか亡くなって、時が経っています。初盆も過ぎてしまって、すつかりご無沙汰していたので、昨日、お弁当をもっていってきました。お父さん(お連れ合いのことです。小坪さんがいつもお父さんと呼んでいたので、私たちもそう呼んでいます)が毎日に泣いているという情報が入っていました。共通の友人のNさんにも声をかけて、一緒に行きました。

 お父さんは大分元気でホッとしました。ご近所の方が内に閉じこもってばかりではダメだと言われて、散歩にも行くようになったと。近所の方がおかずをもってきてくださったり、子どもたちも電話を良くかけてきたり、家を訪ねてくれるとも。

 私は、いつも何かあったら、必ず電話をかけて、長電話をしていた人が急にいなくなって、その喪失感はかなりなのです。話をする人がいなくなるというのは、心底寂しいものです。私でさえそうなのだから、ましてや、いつも家にいた人がいなくなるというのは、どんなにか、と思います。

みんなでお弁当を食べて、お父さんが買ってくださっていたケーキも、別に買って行ったスイカとブドウも。

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良く食べられたので、安心しました。

 実は、小坪さんが肩を怪我して手術を受けたのが、5月15日。この日に私はひざを痛めました。それからずっと右足がつらいのです。その日、手術を受けるというので、会いに行っても部屋に入らせてもらえず、待って下さいがずっと続いて延々と4時間待ちました。そして小坪が手術室に入るという時、一緒に手術室の入り口まで歩いて行って、じゃ、頑張ってね、と別れたのが、それがお別れになるなんて、思いもよりませんでした。行っても会わせてもらえず。次に強引に部屋に入ったときには、もう意識なくというか、薬で眠っていて話はできず。むくんだ足をさすっただけです。肩の手術からひと月も持たず、6月13日に亡くなったのでした。

 私の足が痛くなったのは、小坪と最後に会った5月15日。いつかはよくなるかね、小坪さん、などと、仏壇で話をしました。小坪のお父さんや友人のNさんは、私に、もういい加減仕事をやめて、ゆっくりしたらと言われました。小坪が生きてた時も彼女はそう言ってました。そしたら、一緒にハワイに行こうと。

 まあ、そんなことで、帰ってきました。またいつか来ますね、お父さん、元気でねと言って。


 


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萩で息子一家と。②

 昨日は、カープ。さえない試合になることは覚悟していましたが、何しろ暑い。せめて風でもあれば過ごせるものを、瀬戸内独特の凪なのか、蒸し風呂に入り続けているような。水分をどんどん採ってもまったくトイレにも行きたくならず、汗に化けていたようです。ずっと暑さの中にいると、それだけで疲れます。ただ、一緒に行った姪の連れ合いが、凍ったイチゴを削って練乳をかけたの(なんとよ呼ぶの?)を買ってきてくれて。それはうれしかったです。暑い間はもう行かない方が、と思います。

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さて、萩旅行です。民泊を10時にチェックアウトして向かったのは、萩八景遊覧船。船で川や海から萩の町を巡ります。一艘の船に私たちと呉からの親子さんの二組で。戦争で焼けていない石垣など古い町並みを観ます。船頭さんが船を操縦しながら、解説をして下さいます。

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海では、箱眼鏡で海の中を観ましたが、石の川底にウニが見えただけで、魚は見えませんでした。水はとてもきれいです。

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海から上がった後は、萩焼のお店や古い街、城下町を歩いて、江戸時代の豪商菊屋の建物を見学したり。

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菊屋の建物から見た庭。真ん中の石の上にお客様の籠を置いたのだそう。

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それから、さらに歩いて円政寺へ。高杉晋作、伊藤博文が勉強をしたというお寺です。

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神社とお寺が同居しています。

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初めて知ったのが、これ。お寺から出てきた方(住職さん?)が説明して下さいました。唐獅子牡丹。高倉健の歌で知っているのが、ここに。上が唐獅子、下に牡丹。百獣の王と百花の王、最強の組み合わせの魔除け、厄除けです。

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その後、萩の道の駅しーまーとに行ってあれこれシーフードを見て、ホテルへ。ホテルは海沿いの温泉です。また、明日か明後日ご報告しますね。


 


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萩で息子一家と。①

大分から帰り、山口の萩で息子一家と合流しました。一家は、東京から新幹線できて、レンタカーを借りていました。一緒にスーパーマーケットに寄って、朝ごはんなどの買い物。そして、宿に。二泊しましたが、一泊目は、私には初体験の民泊です。ママがすべての宿の手配をしてくれていました。民泊は、漁港の前にあり、海がホッとします。見ている内に、一艘の船、たぶんライトをつるしてあるので、イカ漁でしょうか、出航していきました。ワイワイと声がしているので、釣り船かも。ちょっとうらやましい。海も空も真っ青。暑いけれど、家の中に入ると、エアコンがよく聞いているし、お部屋はとてもきれいです。二階建ての一軒丸ごと借ります。

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家の中。一階がダイニングキッチンと居間。大きなテレビも。二階が寝室二部屋です。もうお布団が敷いてありました。

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そして漫画がどっさり。孫は、毀滅を完読すると張り切っていました。私は、はだしのゲンがあるのに、ほっこりです。

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お風呂で歌を歌わないでって。よほど大声で歌う人がいたのでしょうか。

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きれいで、お安くって、民泊はなかなかだと思いました。この後、息子が予約している「地域で人気のある居酒屋」に行き、晩御飯でした。

萩は、見学する所が沢山あります。でも、歩くのが、ほんとうに暑くて。また、お知らせしますね。

 

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夏野菜

所要で病院に行っている時に待合室のテレビで放送していた料理がおいしそうだったので、さっそく真似しました。夏野菜を切って漬けるだけ。

ナス、キュウリ、枝豆、大葉(クリニックのベランダで育てています)、みょうが、それに出汁用の昆布を細かく切って入れてみました。おつゆは麵つゆに醤油、みりん、少しずつ。冷蔵庫で冷やして出汁ごとバリバリ食べました。おいしー。二日で食べてしまって。

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 次にまた作るとき、今度は頂いたトウモロコシも入れてみました。出汁たっぷりにして、半分は姪におすそ分け。

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姪はおそうめんを入れて食べたら、とても美味だったと。

大葉を沢山頂いて、スタッフみんなで分けた後、クリニックの大葉も入れて佃煮を作りました。まずサッと煮て冷水で冷やして千切りにして。

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少しの油で炒めて、お醤油、みりん、砂糖に鰹節を入れて炒め煮にしました。うーん美味。

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作った次の日はおむすびの中に入れて、海苔をまいてお弁当に。次の日はごはんに乗せて食べて、最後はお茶漬けにしてみました。シソの風味がいいです。

 昨日、大分の家で沢山出来ていたみょうがの佃煮を作ろうと思って冷蔵庫から出してみたら、残念、傷んでいました。ああ、残念。少しだけ酢の物にして食べた残りをもって帰ろうとしたのですが、帰りは山口、萩に行ったので。みょうがに申し訳ない。大分で佃煮にして持って帰るべきでした。
 夏野菜、無駄にしないで食べつくさなくては、です。


 


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2025年「8.6ヒロシマへ平和の夕べ」⑥平和講演Ⅱ青木理さん・インタビュー小山美砂さん・続き

 昨日に続いて、青木理さんのお話の要約です。インタビューは小山美砂さんです。

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青木 日本(政府)は、「アメリカに依存する」態度をとる。「核問題」「自衛隊“別班”」問題を追及している記者がいる。記者としては、難しいテーマだ。最近、いわゆる台湾海峡問題をめぐる自衛隊と米軍の合同机上演習があったとき、自衛隊幹部が米軍に「核の脅しを使ってくれ」と迫ったという報道があった。「核抑止力」に強く拘泥しているのは、核被爆国である日本ではないか。

プラハで「核なき世界をめざす」と演説したオバマ大統領は、ノーベル平和賞を受けた。オバマ政権下で「核なき世界」がどこまで進んだのかは大いに疑問があるが、彼は政権末期に「核の先制不使用宣言を出せないか」と、ホワイトハウスで真剣に検討したという。「相手が使えば使うぞ」という核のあり方からは、「先制不使用」は当たり前。政権の最後のレガシーにしたかったのかも知れない。しかし、それは頓挫した。

頓挫した大きな理由の一つは、日本の「反対」だったという。「唯一の戦争被爆国」と言いながら、いかに日本が「核抑止力」ということに依拠しているのか。残念に思わざるを得ない。

小山 日本政府の責任の重さを思う。広島は、核兵器禁止条約に関心が高い人が多い。だけど、やっぱり少数派というのは否めないだろう…。

青木 今回の参院選、いわゆる某新興政党に多くの票が集まった。30代から50代の「若い世代」の支持が大きかったと言われる。いわゆる氷河期世代、派遣法など非常に不安定な働き方を強いられ、景気も低迷した時代の人たち。将来が見えない。世界最大も言われる財政赤字、社会保障の持続も疑われる。地球温暖化など、環境の先も危うい。将来も、現在の生活にも不安、不満、憤り…。

小山 「日本人ファースト」は、「軍備増強」にもつながっていく。「外国、外国人の脅威」ということをエスカレートしていけば、「国を守れ。だから安全保障だ」と危うい状況がすすむ。

青木 そうですね。ヨーロッパもそう。アメリカも中間層が没落し、「アメリカファースト」のトランプ人気が高まった。どこでも、排外主義が広まる。ヨーロッパ、EUやメルケルに象徴された「ある種の寛容さ」~それにバックラッシュが始まる。「(移民のせいで)職を奪われる。賃金が下がる」などなどが跋扈し、蔓延し始める。それを極右が受けとめるという構図になる。今回の参院選、そうなっていくのかと思った人も多いだろう。

さらに、それが「軍備増強」にも結びつく。この国は広島、長崎があり、さきほど聞いたビキニ・第五福竜丸があり、フクシマがあった。原爆が投下された国、核実験の被害に遭った国、最悪の原発事故を経験しつつある国。世界最悪の事故かどうかはともかく、少なくとも複数の原子炉が同時にメルトダウンを起こした。こんな国は世界中をみても、ない。日本は「前進していないのに」バックラッシュが起きる国でもある。

「広島、長崎、ビキニ、フクシマ」~「平和利用」という原発も含め、「核廃絶」へ声をあげていきたい。
(「世界の核兵器数」はヤフーニュースから(2024年))。

お話が終わって、そう、すぐに結論が出る問題ではないけれど、やはり声を上げることを続けなければならないと思いました。

語って下さった皆様、暑い中、参加して下さった多くの皆様、本当にありがとうございました。感謝しか有りません。わたしたちスタッフは、今後どうするか、私たちも高齢化していますし、いつまでこの会を続けることができるのか、今のところは不透明です。が、ヒロシマにいる者の使命として、核の廃絶を訴え続けなければ、と考えています。さらに、いまだに

ウクライナ、ガザなど、悲惨な戦争が続いています。わたしたちは、それらを止めることもできないまま、胸の痛みを抱えています。それでも、世界の片隅の小さなこのような会を続けることの意味も少しはあるのかも、と思っています。


 いったん、ここで、被爆80年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のご報告を終えさせていただきます。ありがとうございました。皆様から頂いたアンケートの集計、また反省会の様子など、少しずつご報告をさせていただきます。

 

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2025年「8.6ヒロシマ平和の夕べ」⑤平和講演Ⅱ青木理さん・インタビュー小山美砂さん

 今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の平和講演、二つ目は青木理さん。以前、青木さんが朝鮮民主主義人民共和国の核について書かれているのを読んで、青木さんのお話を聴きたいと思ったのでした。いつ核戦争になってもおかしくないような今の世界情勢の下で、本気で核兵器廃絶の道筋をつけたいと強く願う時、いわゆる大国の陰での核をどうする?その論義を深めたいと思いました。青木さんに講演をお願いしたら、なんと、講演は苦手だと。まさか。どなたかに質問、インタビューをしてもらって、それに答えるということであればできると。本当にびっくりしましたが、それならそれで。その態勢を整えましょう。そこで考えたのが、インタビュアーを小山美砂さんにして頂くということでした。

小山美砂さんは、元毎日新聞の記者、ジャーナリストとして、「黒い雨訴訟」を上梓されています。ジャーナリスト同士、がっちり組み合った議論になるのでは、と思ったのです。

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結果、かなり骨太のお話になったと思います。皆さん、じっと、目を凝らすようにして、お話に聞き入っていらっしゃいました。スタッフがまとめたものをここに再現します。長いので、これも二回に分けて再録しますね。

まず、小山さんの「青木さんとヒロシマの繋がりは?」から始まりました。


青木 初めて広島を訪れたのは、高校の修学旅行だった。その後、通信社の仕事にかかわるようになり、「ヒロシマ、被爆」を追ってはいたが。


90年代の後半から、朝鮮半島の問題を取材した。北の核問題を取材するために、安保・核政策などに少しは知識を得たが、「ヒロシマ、ナガサキ」をどれほど知ってきたかは、覚つかない。


2000年代に韓国に駐在した。今も朝鮮半島は、分断が続いている。当然ながら北朝鮮の核実験、保有などの問題は取材の課題になった。最近、「核兵器は安上がり」と言った政治家がいる。じつは核兵器は「貧者の兵器」とも言われる。あの国にとっては自分たちの体制を守るため、アメリカという世界最大の超軍事国家から受ける圧迫に対抗するために、「核兵器を持つしかない」というのは“一理ある”のかもしれない…。


小山 いまの日本、「核武装も」という声も出ている…。そこには北朝鮮、共和国に対する意識があると思う。それに、どう対するのか。広島には朝鮮人被爆者協議会があり、いわゆる北支持の人たちもいる。彼らは「共和国の核は、アメリカの核による威嚇に対するためだ」と…。私たちは、そういう核にどう向き合うのか。


青木 アメリカであれ北であれ、「体制を守る」とか、どんな理由があろうと、核兵器とその保有は認めてはならない。国際情勢のなか、広島、長崎以降、例えばキューバ危機などかあった。いまはロシアのウクライナ侵攻など、もっと危険な状況にある…。「核による脅し」が、ある意味「有効化」してしまった。


これまでは一応、核拡散防止、NPT条約があった。それは別言すると「不平等な体制」でもある。つまり「米英仏ロシア中国の5カ国は「核をもってよいが、その他の加盟国は持ってはならない」というもの。しかも、国連安保理常任理事国である。


最大の保有国であるロシアがウクライナに侵攻し、「使う」と脅した。ロシアだけではない。アメリカは(イスラエルの意図を汲み)イランの核施設を攻撃した。イランは「核保有」に意欲を見せていた。同時にイランは、NPT加盟国でもある。イスラエルは事実上の核保有国でありながら、加入していない。


本来なら、最大の保有国である米ロこそ核軍軍縮に努力するべき。それが逆に「核による威嚇」を行なう。「やっぱり核を持たなければ」という北朝鮮の理屈に、むしろ力を与えている。米ロの行為は、「核拡散」という方向に向かうに等しいのでは。NPT体制は、非常に不平等、不完全であり問題があるが、さらに骨抜きにされるという危うい状況が懸念される。それが「被爆80年」の世界の現状ではないか。


日本が「核抑止」を言う、より危うい時代に向かおうとしているのではないか。世論調査でも「核保有」「核武装」論は、かなり上がってきている。


小山 きょうの広島市平和宣言にも「自国のことのみに専念する安全保障政策そのものが、国と国との争いのもとになっていないか。核兵器を含む軍事力の強化を進める国こそ、核兵器に依存しない建設的な議論をする責任がある」(要旨)としている。とても大事なことだ。しかし、アメリカによるイラン核施設への攻撃にも、日本政府は追随しているばかり。

(明日に続きます。)


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2025年「8.6ヒロシマ平和の夕べ」④竹本信也さんの歌

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」が今の会場に移って、前の会場でいつも提供していた音楽がとてもやりにくくなっていました。部屋が密閉されているわけではなく、他の部屋との関係で困難だし、音響的にもいい部屋でないし。でも、今回は、重い三つの話だけでなく、間にホッとするひと時として音楽が欲しいと思いました。先述のような事情があるために、大がかりなのはだめだけど、と考えたときに、そうだ、竹本さんだと思いました。ギター一本で弾き語りをして頂けるのでは?


 竹本信也さんは、お仕事の傍らさまざまな所、要請された所に行き、歌ってこられました。「8.6ヒロシマ平和の夕べ」には、一参加者として毎年来て頂いています。そのような思いでお話をしたところ、気持ちよく引き受けて下さいました。素晴らしい!!スタッフはみんな喜びました。で、当日、市田真理さんの後に歌っていただきました。

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この写真は、竹本さんのフェイスブックから頂きました。

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一曲目は「おりづる」。そして二曲目が「どうして歌わずにいられようか」。この素晴らしい歌を皆さんにも聞いていただきたくて。写真だけでなく、歌を。これは二曲目の動画です。

https://www.facebook.com/100011952367928/videos/789109350439188

そして、竹本さんの8月12日のフェイスブックには、一曲目の「折り鶴」の動画もあります。ぜひお聞きくださいませ。竹本さん、勝ってに載させていただきます。ごめんなさい。

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=pfbid0a6mKaB2A567fVTYSQHuJp6sfzCHEGBkxn1TcEE2SHUvVWcZJ1RGTZWYjV4w7ThUel&id=100011952367928

ホットするひと時をと思ってお願いしたのですが、とんでもない。竹本さんの歌は、ますます会場の皆さんに力を与えて下さったと思います。失礼なことだったと。歌が与える力はたしかにあると感動しました。すみません。

竹本さんのますますのご活躍をお祈りします。ありがとうございました。


 


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2025年「8.6ヒロシマ平和の夕べ」③平和講演1市田真理さん(続き)

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の市田真理さんの平和講演録、昨日に続きます。

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「第五福竜丸事件」ではない


だから、私たちは「第五福竜丸事件ではない」こと、少なくとも「ビキニ事件」というか、さらに他の海域でも実験が行われたことも忘れてはならない。「第五福竜丸」について話しましたが、第五福竜丸事件ではないことをわかってほしい。


焼津に戻った船からは、マグロなどが市場に出され流通した。当時の新聞記事に「邦人漁夫、ビキニ原爆実験に遭遇」とある。それまでアメリカも、日本政府も「実験に巻き込まれた」ということを認知していなかった。さらに誰よりも驚いたのは、第五福竜丸の乗組員たちだった。映画『第五福竜丸』(新藤兼人監督)には、そのシーンがある。


マグロは市場に出され、東京築地市場では全頭検査を行ない、「放射線を確認」し、処分している。広島の人たちは、いつ知ったのだろうと、調べると中国新聞に出ている。その後、全国の市場で全頭検査が行われることになった。「原子マグロ、原爆マグロ」と呼ばれ始めた。


魚が貴重な蛋白源だった時代、魚が危ないと言われ、延べ約900隻もの漁船が、魚を廃棄することになった。こうしたことからも、「第五福竜丸事件」ではないことを知ってほしい。魚だけではなく、こんどは普通に降る雨からも放射能が検出される。日本では各地の雨を計測しているが、じつは世界中の雨が汚染されていただろう。雨は田んぼに、川に、湖に降り流れる。それは食べ物にもということになる。


全国から起こった「原水禁」署名


教科書には、「原水禁運動が杉並の女性たちから」とあるが、これも杉並だけではなく、全国各地で始まっている。展示館で保管している、いくつもの署名簿は、表題も大きさもばらばら。「原水爆禁止要求署名」「請願署名」「原水爆戦争反対」もある。市民が、やむにやまれぬ気持ちで始めたことがわかる。


当時、日本の人口は約8000万人。3200万筆の署名が集まった。そのうち広島県民は、110万筆だった。杉並の場合は区議会に請願、決議。そして「原水爆禁止」のワンイッシューで多団体共闘、集計に至っている。いわゆる杉並モデルになった。「発祥の地」と言われる所以は、そこにある。


広島の場合は、少し違った。「ビキニの人たちだけが言われるのはおかしい」「広島の被爆者は10年後も、こんなに苦しい思いをしている」「国際社会に広島の現状を伝えたい」という趣旨になっていた。「百万署名」という目標を掲げ、それを達成したのも、広島も女性たちが中心になった。当時8月5日に89万筆だったのが、20日には100万を突破した。3000万筆を超える署名が、国連総会に提出される。


「私を最後にしてほしい」


1955年8月、広島で第1回原水爆禁止世界大会が、翌年には長崎で開かれた。それまで「プレス・コード」で知られなかった「原爆の実相」「被爆者の苦しみ」も、世界に届くようになった。1956年8月には、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の結成に至る。それを後押ししたのは、原水爆禁止を願う市民の力でもあった。


ビキニ環礁でアメリカの水爆実験に遭い、半年後に東京の病院で死去した久保山愛吉さんが、「原水爆の被害者は、私を最後にしてほしい」と言い残し亡くなったことを忘れないでおきたい。私たちは、展示館を訪れる子どもたちに、この言葉をかならず伝えるようにしている。願いは、まだ叶っていない。


最初に書いたように、市場さんの講演を聴いて、「ヒロシマ・ナガサキ」だけではない、世界中に被爆者はいるということが改めてよくわかりました。さらに、福島県の原発事故による被ばく者も。核兵器だけではない、核兵器に容易に繋がる原発も含めて。これから「核」による被ばくをなくすためには、再度森滝市郎さんの「核と人類は共存できない」という言葉の実現を目指すことが必要なのだと、決意を新たにさせられたとの思いでいます。

なお、当日市田さんの著書、二冊を販売しましたが、どちらも速攻売り切れたことをご報告しますね。

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市田さんは、次の予定があって講演が終わると、すぐに会場を後にされました。ほんとうにお忙しい中をわざわざ広島に来ていただいてお話し下さってありがとうございました。会場のみんなに勇気を与えて下さいました。ひたすら感謝します。まだまだ若い方たちにお話を続けて下さいね。


 


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2025年「8.6ヒロシマ平和の夕べ」②平和講演1市田真理さん

今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の平和講演はお二人にお願いしました。市田真理さんと青木理さん。今日は、そのおひとり、市田真理さんについてお話します。わたしたちのフライヤーに書いていたのは、次の文章です。

平和講演Ⅱ市田真理さん「記憶を開く第五福竜丸」

東京都立第五福竜丸展示館・学芸員。同館の企画展示、教育普及などに尽力。第五福竜丸平和協会事務局長。札幌生まれ。1954年3月1日、アメリカが初の水爆実験(広島原爆の1000倍、15メガトン)。マーシャル諸島の島々、住民、操業中の多数の漁船、漁民に『死の灰』が降り注いだ。第五福竜丸は乗組員23人が被ばく、久保山愛吉さんらが亡くなった。「船は記憶を開き共有させ、核廃絶の想いを新たにさせる」

若き市田さんのお話は、素晴らしいものでした。良く勉強していらっしゃるし、正確な資料を提示し、会場とのやり取りをしながらの話術もすごい。みんなうなったと思います。

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当日市田さんが配って下さった資料から。第五福竜丸や久保山愛吉さんのことは漠然と知っていましたが、今回初めてしっかりと教えていただきました。

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第五福竜丸の被爆とその後の署名運動の高まり。そして、学芸員をなさっている第五福竜丸展示館に配備されている船。その保存のきっかけについても。夢の島のごみの中に埋もれていた第五福竜丸を「沈めてよいか第五福竜丸」と朝日新聞に載った投書がきっかけに保存運動がおこりました。その投書主はその後40歳の若さで亡くなっています。訃報の中にその投書のほぼ全文が載っています。


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以下、市田さんの講演録をスタッフがまとめたものです。長いので、二回に分けて。短くしようと思いましたが、どこも削られない。どれも必要なものばかりなのです。

◇平和講演Ⅰ 市田真理さん

「西から太陽が昇った」

第五福竜丸展示館(東京)には、全国から年間10万人ほどの訪問者がある。遠洋マグロ漁の木造船だった福竜丸は、1954年3月1日、南太平洋ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験(原爆の数百倍の威力)により、160キロの海域で放射性降下物「黒い雨」「白い粉塵」を浴び、乗組員23人が被爆した。

乗組員は「西から太陽が昇った」と驚いたという。マーシャル諸島は、戦前は日本が「委任統治」という支配をしていたところ。アメリカは、「世界と人類の平和のために、ここは核実験場になる。みなさんは避難してください」と住民に告げた。

その後、船は東京水産大の練習船に使われ、廃船となり東京湾に係留されていたが、「再び原水爆による惨事が起こらないよう」祈念し、展示館が建設された。市民が声をあげ、「1967年に原爆ドームの保存が決まったように、水爆実験による被害を記憶し、二度と起こさないために」と、保存されることになった。募金や署名も集められた。来年、50年になる。

2000回もの核実験

1945年7月に原爆を製造・実験し、8月6日、9日に広島、長崎に投下した。その時点では、核兵器はアメリカの独占物だった。ところが、すぐに旧ソ連が開発、製造し追いついた。さらにイギリスもつくった。その後、フランス、中国、朝鮮ほかが実験、保有するに至る。

世界は、2000回もの核実験を行なってきた。その「実験」の1回、1回は、ただの実験ではなく「核兵器を使用した」ということだ。

カツオ、マグロは、当時は高値がついた。アメリカの実験を知らずに、第五福竜丸は南太平洋の漁場に出かける。「延縄漁」~長い縄に針をたくさんつけ、何十キロも流していく。流すのも、引き上げるのも何時間もかかる。その漁のために、マーシャル諸島周辺まで出かけていった。

1954年3月1日の未明、まだ薄暗く水平線が見えるか見えないかのころ、乗組員の大石又七さんらが長い時間をかけ縄を入れ終わり、ひと休みしていたとき。突然、周りが光った。まるで「西から太陽が昇った」ようだった。「なんだ!西から太陽が昇るか!」と、みんな不思議に思った。大石さんは、何度も中高校生たちに証言してきた。生徒たちが「何色でしたか」と聞くと、「空が真っ赤に染まり、大きな夕焼けのようだった」と話していた。

巨大なきのこ雲、黒い雨、白い粉

「なんだ、なんだ」と言っている間に、空は黄色になり、また白く戻っていった。次に「ドドドドッ」という地鳴りのような音が来た。光を見てから音まで8分くらい。ピカッ、ドーンという距離感ではなかった。それを計算してみると、約180キロ、ほぼ東京~静岡間になる。広島からだと岡山くらいの距離、相当離れている。だから熱線を浴びる、爆風で吹き飛ばされることはなかった。

ところが、きのこ雲が崩れそれが「ワーッ」と追いかけてくる。雲が、空いち面に拡がり、雨が降ってきた。「黒い雨」と同じ現象だが、この時は「白いもの」が降った。やがて雨はあがったが、「白いもの」がパラパラと振ってきた。目に入るとチクチクし、はちまきをしている人は耳のところに溜まる。みんな「あー、仕事しづらいな」と言いながら、延縄を揚げた。

「怖かったですか」という質問に、大石さんらは「なんだ、これは。仕事がしづらいな~」と思い、口の周りに付くと舐めたりしたそうだ。熱くもない、味もない。みんな怖がることはなかった。3時間も「白いもの」を浴び続けた。もし危険とわかっていたら、逃げたり救助を呼んだりしただろう。

現在、展示館には船から回収した白い粉が、小さな瓶に入れて保管してある。その「白いもの」はサンゴのかけら。ビキニ環礁は29の島がある。環礁はサンゴ礁のこと。遠浅に環礁が幾重にも輪になっている。広島型原爆の1000倍という水爆の爆発により、海といっしょにサンゴ礁が砕かれ巻き上がり、それが降ってきた。それは、後に「死の灰」と言われた。ただのかけらではなく、放射性物質を含んだ欠片、粉塵だった。

乗組員に起こった異変

たまたまサンゴのかけらに付いたから視認できたけど、もっと細かい塵状のものは知らないうちに吸ったり、食べ物や水に含まれ食べ飲んだだろう。福島で講演をさせてもらったとき、どうしてもこのことを言えなかった。「被害はない」という専門家の見解もあるが、「では安全」とは誰も言えない。何世代にもわたって影響があるかも知れない。

焼津に帰ってきた乗組員たちに、異変が起こる。「なんか、ご飯がまずい」とか、「頭が痛い」とか。何日か過ぎると、「白いもの」が付いたところが黒ずんできた。1週間、10日すると髪の毛が抜ける。2000~3000mSVを受けたであろう人たち。広島に置き換えると、爆心800メートルくらいに相当するのではないか。

光を見て死の灰を浴びたのは、第五福竜丸の人たち、日本人のことだけではなかった。ビキニ環礁の人たちは「強制移住」させられた。ところが、第五福竜丸と同じくらいの距離にあったロンゲラップという環礁の人たちも、そうだった。子どもたちは「白い粉」が珍しく、競って集めたりした。そして「目が痛い、ピリピリする、黒ずんでくる」同じことが起きた。

明日に続きます。

 

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2025年「8.6ヒロシマ平和の夕べ」①豊永恵三郎さんの被爆証言

被爆80年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の被爆証言は、豊永恵三郎さんにお願いしました。だんだんと証言して下さる方が少なくなっていますが、これまでこの会では、証言して頂いたすべての方が、被爆の惨状と共に、その後の厳しい闘いを語って下さいました。そして、豊永さんもそうでした。ご自分の被爆と、その後の在外被爆者の支援とその両方を語って下さいました。

ご自分とご家族の被爆。被災地図を指さしながらお話して下さいました。

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豊永さんは、沸き上がるキノコ雲の中に、ルーズベルトとチャーチルの顔が見えたと言われます。

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中でも傷ついたお母さん、やけどで顔がパンパンにはれ上がって、目も見えないように。幼い弟が、つぶれた家から、母親に火事が来る、火事が来るといっても、お母さんは見えない。そこに近所の方が、ここも焼けるから、ここにいてはだめだと言って下さって。弟が母親の手を引いて広場に逃げたと。そこへ、お爺さんと豊永さんが二人を探しに行って、大声で呼ぶ声に、弟がここよーと言ったと。お母さんはどこにいるのかと聞くと、これがお母さんだと弟が指さしたと。そのシーンを基町高校の生徒が書いた絵です。

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 その後の貧しくて厳しい生活も、本当に大変で。高校卒業時、母子家庭の子になかなか就職が決まりません。そこで、お母さんの進めで大学に行くことにして、広島大学に合格したと。大学卒業後は、高校の教師になります。そして、韓国に行った時に知ったのが、韓国人被爆者の姿でした。そこから、豊永さんの在外被爆者、特に韓国人被爆者の支援が始まります。

豊永さんは、在外被爆者の特に裁判支援をずっと続けてこられました。その裁判の数々を、ここに乗せています。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2025/05/post-22876e.html

当日は、これらの中から孫振斗さんの三回の裁判など、いくつかの裁判について、具体的にお話し下さいました。

よくこれだけの裁判の支援を!!と頭が下がります。そのほとんどが勝訴です。でも、言ってみれば、これだけ裁判をしなければ、外国にいる被爆者には何の支援もされなかったということですね。豊永さんに頂いて、当時参加の皆さんにお配りした資料をここに載せますね。

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これらの中に、日本と私たちが行ってきた差別がつぶさに語られています。

豊永さんは、私たちが無自覚であったことをしっかりと知らせて下さいました。

 もう、豊永さんは90歳。前立腺がんと胃がんを患いながらも、まだまだ精力的に修学旅行生や要請された数々の場で語り続けて下さっています。深く感謝いたします。


 


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大分です。ヘロヘロです。

 昨日連絡があり、今日一家族に会ってきました。今日は午後に大分に帰る予定にしていたので、午前中に。私のお世話で特別養子縁組で家族になった三人です。アンデルセンでモーニングを食べましょうと言ったのですが、アンデルセンのモーニングは、土日祝日だけですって。今日は平日でした。それぞれの料理にしてパンは食べ放題でした。

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子どもの成長は早いものです。この前会った時は、まだおむつの赤ちゃんでした。ご両親はいろいろと苦労しながらも、子育てを楽しんでいらっしゃるし、本人ものびのび。ママとパパが大好き。このまますくすく育ちますように。四人で記念撮影。

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あっという間で、さようならでした。ご連絡ありがとうございました。今度はいつ会えるかな?

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 そして、午後2時15分出発で大分へ。本当に大変でした。出る時は雨も上がって調子良かったのに、山口に入ってからスコールのように激しい雨。それに、中国道が、災害の復旧の工事で11キロの渋滞と。これはたまらん。で、宇部の方に迂回をしたのです。そしたら、そっちに回ってくる車も多いし、そのうえ、下関で大きな事故があったとかで、こっちも大大渋滞。雨と雷も激しいし。トイレに行きたくても・・。のろのろ行ってたら、ユメタウンがありました。天の助け!!でそこに入って、トイレへ。次いでにどうせ渋滞なので、そこで晩ご飯。カレーを食べました。

 結局到着したのは、午後10時10分。一回の休憩も入れて、8時間。運転しっばなしで、ああ、くたびれた。それにまたまた右足が・・。学会の準備をしこたま持って来ました。明日からできるかな?無理かも・・。


 


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8月6日についてもう少し

 広島もひどい雨が続いています。鹿児島・熊本の方たち、どうぞ被害が大きくなりませんように。地震だけでなく、大雨が降る度に大きな被害が出ることが続きます。何とかならないものかと思います。私は、大分に行かないといけないのですが、行かれないでいます。大雨の中、車で行くことに躊躇があります。もう少しお天気を見ながらにしようと思いますが、ちょっと憂鬱です。

 明日から、8.6ヒロシマ平和の夕べでお話いただいた方のこと等を書きますが、今日はその周辺のことをもう少し。

 広島二中原爆死没者慰霊祭に行くために、止められて中央の関所を荷物検査をして通らされ、腕に輪をつけられた話を書きました。みんなが広島市の式典に出るわけでもないのに。

 その前に、たぶんボーイスカウトの少年だと思います。祈念式典の、市長や知事や子どもの平和宣言を印刷したものを配っていましたので、受け取りました。

 家に帰って、見ていると、その中にこんなのが入っていました。

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広島市が、原爆ドームの元で毎年行っている集会などに嫌がらせをしている事は知っていましたし、必ず何人かの逮捕者を出しているのも知っています。8月6日に様々な式典などをするのは、広島市だけではないし、広島二中もそうであるように、さまざまな団体が様々な慰霊を行います。慰霊ではなく、反戦争や反核の怒りを表明するための集会を開く人もいるでしょう。様々あっていいと思うのですが、機動隊が取り囲んだり、デモコースの先の中国電力にも機動隊が大勢取り囲んでいて、座り込みをさせなかったと。

 このアンケートは、それにお墨付きをもらいたいのでしょう。大勢の人が市の対応は適切であると言っているとしたいのでしょう。とても不愉快でした。これに記入はしましたが、式典の会場に持って行かないと入れられないので、提出はできませんでした。残念。

 それから、8月6日の当日に、広島の地で「核武装は安上がり」と言った政治家の党の党主が講演会をしました。広島でそれも8月6日に核武装論者が講演会をするなどと、ひと昔前には考えられないことが平然となされるようになりました。その時、たまたま帰り道でその会場の前を通ったのですが、若者たちが会場の下で「参政党は恥をしれーっ」と声を上げていました。拍手。そこで何が話されたのか知りたいと思って、翌日の新聞各社の紙面やネットを観ましたが、どこにも出てきません。それに参政党のホームページにもでていません。各新聞社は参政党の講演を聞きにいかなかったのか、それとも無視したのかわかりませんが、そうして報道しないのも、いいことなのかもしれません。安上がりと言ったことを批判されると、「核兵器を廃絶するために核兵器を持つことが必要なのだ」などと、まったく訳のわからないことを言ったりするいい加減な人たちなのですから。

 本文に書こうと思っていたのに失念してしまったので、ここに追加で書きます。二中の慰霊祭の時、きみの悪い一団が通りました。全員白のシャツに黒のズボン。しかし、全員何も持たず、バッグもお水も、帽子も紀章もなく、何者か全くわかりません。みんなガタイが良く色黒で。ざっざっと足並みそろえて、ただ、前方を見て歩くだけ。警察は
POLISとつけているし、機動隊は一目でわかるし、市の職員はみんな腕に広島市とつけているし、私たちのように青い腕輪もつけていないし。何だろうと思ってみていて、通り過ぎて行って、しばらくするとまた同じように帰ってきました。ただ歩いているだけです。一団で。自衛隊かな?なんにしても、何者か正体がわかってはまずいからなのでしょうね。どういう役目なのでしょうね。

翌日の朝、空港に向かって高速を走っていると、香川県警や愛媛県警など沢山の警察車両が西に向かって走っていました。役目を終えてお帰りなのですね。お疲れ様でした。

 広島市民主体の慰霊祭とは、まったく様相が変わってしまった式典でした。


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ビデオニュース・ドットコムでお話しました。

今日は8月9日。11時2分。どこかで長いサイレンが鳴りました。私も診療の手を休め、立って黙とうをしました。

さて、一昨日東京に日帰りで行ったこと、つい先ほど解禁になったのでお知らせします。「ビデオニュース・ドットコム」でお話してきました。ビデオニュース・ドットコムは1996年に設立、一切のスポンサーをつけないニュース専門のインターネット放送局です。

 そこで、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」などで私が出会ってきた被爆者のお話をしました。迫田朋子さんと宮台真司と三人でのトークです。8.6のほんの少し前、迫田さんから電話がかかってきました。迫田さんは、ずっと以前、私が度々NHKの朝の番組で性教育の話などをしていた時のアナウンサーでした。久しぶりの電話でびっくり。実は・・ということで、7日の収録、9日からアップということ。ちょうど私は木曜日で休診、8.6平和の夕べで疲れているかもしれないけれど、まるまる一日大丈夫ということで、急遽決まったお話でした。

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これは、ドットコムの方で、私のブログをチェックして作って下さった、86ヒロシマ平和の夕べでお話を聞いた方々のリストです。

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これらから、被爆による火傷でお顔を17回も手術しながら、初期の被爆者運動を闘って来られた池田精子さん、はだしのゲンの中沢啓治さん、原爆の子の本に作文を書いて、のちに原爆の子その後の集まり、本の出版などをなさった早志百合子さん、被爆教師の会の初期のメンバーで、平和教育に取り組み、副教材などを作られた森下弘さん、そして、今年の、自らの被爆、がんを患いながらも、韓国人など在外被爆者の裁判などの支援をしてきた豊永恵三郎さんなど、出会った被爆者の方々のお話をしました。

 どなたでも見られるダイジェスト版はここにあります。会員になると、全編が見られます。ぜひ多くの方にすべてを見ていただきたいのですが・・。

https://youtu.be/OGa5xw9A4SU

なかなか被爆者の方たちのお話を直接に聞くことが困難になってきた今、できるだけ多くの方の話を聞いておきたいということと、私たちがこの会をしているのは、沖縄も福島も忘れないということと、核廃絶への道をどうやってつけていくのか、その目標をしっかり持って続けてきました。それらのお話もしています。あとになると、しまったなあ、あの話もしておけばよかったというようなことが沢山ありましたが、でも、なんの規制もなく、十分に話をさせて下さってありがたいことでした。

 迫田さん、相変わらず、本当に美しくて聡明で。お話しできてとても楽しかったです。ありがとうございました。


 


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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」へ参加の皆様ありがとうございました。

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」には、多くの方がいらっして下さいました。本当にありがとうございました。発言していただいたそれぞれの方のお話は、ゆっくりまとめてアップさせて頂きます。どなたも、本当に素晴らしいお話でした。そして、会場の方は、皆さん、真剣にお話を聞き取ろうとしていらっして、その姿を見て、ついほろっとなりました。


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当日、来てくださった一部の方を皆様にはお知らせしたのですが、本当はすべての皆さんのことを皆さんにお話ししたいところでした。

はだしのゲンの中国語の翻訳者の坂東弘美さんが一番前に来て下さっていました。坂東さんについては、8月10日に再放送があります。NHK心の時代ですが、早朝です。

https://www.nhk.jp/p/ts/X83KJR6973/schedule/?area=130

はだしのゲン』と父 翻訳者・坂東弘美


初回放送日:2023年8月20日


「はだしのゲン」連載開始から50年目の2023年。それは広島市教委が小学生の平和教材から「はだしのゲン」を削除した年となった。一方「はだしのゲン」は24言語で翻訳され世界で読み継がれている。中国語翻訳を手がけた坂東弘美さんは、日中戦争に出征した自分の父親が中国大陸で行ってきたことを知って衝撃を受け、葛藤を繰り返しながら「はだしのゲン」のメッセージを中国の人々に伝えようとしてきた。その思いを伺う。

それから、毎年青森から遠方なのに参加して下さっていた方。昨年も、そして、今年も。そしたら、今年は衆議院議員になっていらっしゃいましたよ!!佐原若子さん。れいわ新鮮組の東北ブロックで見事当選されました。佐原さんは、子どもたちには「火垂るの墓」と「はだしのゲン」を読まそう!!みんな、闘おう!!と檄を飛ばされました。写真は昨年のもの。この度の檄を飛ばされているところの写真は取れていません。


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それから、のちにお話ししますが、青木理さんのお話の中に、福島の原発や能登の震災のことがでました。青木さんは、どちらにも通われているそうです。幅広くお話して下さって良かったです。当日は、福島原発の被害者の方も参加していらっしゃいました。森松明希子さん、出番がなくってすみません。それから、福島の子ども裁判の支援をしていらっしゃる水戸喜世子さんも今年も来て下さいました。もう90歳だそう。暑さの中、遠方からよく来て下さいました。

 そして、能登ですが、皆様に佐渡君の案内をしました。佐渡忠和さんは、広島のお好み焼き屋さんでした。それも、とても繁盛していました。彼は、東北震災とか、熊本震災の後、車にお好み焼きの鉄板などを積んで現地に行き、被災者にお好み焼きを焼いてふるまうというボランティアをしてきました。この度、能登にも駆け付けましたが、とうとう広島のお店を引き払って、能登に住み着いて、ボランティアをすることにしたのです。

https://www.nhk.jp/p/okonomi-hiroshima/ts/N582XX6G98/blog/bl/pG6rxqgeJG/bp/pvJ3MAo85Z/


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その彼が、泥に埋もれた輪島塗を掘り起こしたものをもって広島まできました。会場で能登支援のために販売をしたいと。赤の美しい輪島塗を透明の袋に詰めて、一袋500円と。さらに、買ってくれた人にはこれも美しいお箸をプレゼントと。

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穂垣さんが買った写真です。私も購入したのですが、写真を撮り忘れているので。ぴかぴかで本当に美しい、こんなのを格安で購入できるなんて、なんとラッキーと思いました。

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彼は、売上は、すべて輪島市に渡しますと言って、能登に向けて帰って行きましたが・・。車にはクーラーがないのだそう。到着した時も汗びっしょりでした。そして、今、能登が豪雨だとの報道です。無事に到着しましたか?とメールをしたのですが、返事がないので、とても心配です。

 それから、例の演劇の蛍火、蛍火Ⅱの藤井さんも昨年に続いて、来て下さいました。また、毎回ボランティアで動画を撮影し、DVDを作って下さる風呂さんも、今年も来て撮影して下さいました。

そのほか、参加して下さったすべての皆さまのおかげで、今年の会も無事終えることができました。本当に本当にありがとうございました。


 


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2025年8月6日、長い一日が終わりました。

2025年8月6日、長い一日が終わりました。早朝から夜まで。疲れて、家に帰ってから、アイスばかり食べました。

朝は、広島二中の慰霊式に。父の存命中は一緒に行っていましたが、今は代わりに一人で参加します。でも、行くと、8.6ヒロシマ平和の夕べのスタッフに会います。山下氏は同窓ですし、竹田さんはお兄さんが二中の一年生で全滅した一人。高校の演劇部の国本さんにも会いました。ほかに何人もの方に声をかけられました。

 しかし、疲れました。暑いだけでなく、昨年から、平和公園に入る者は全員ゲートを通って荷物チェックです。と言っても、二中の碑は平和公園の端っこにあって、「どこに行かれますか」そこにテントが見える、その二中の慰霊式に行きます。30メートルくらいでしょうか。あちらに回って、中央から入って下さいと。もう、ぐるっと大回りです。「暑いのに、年よりに大回りさせるの?」

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まるで二中の慰霊式は警察官に守られるかの様です。

こんな腕輪をされて。昨年は黄色でまるで囚人みたい。今年はブルーに。

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首相の車が通った後も。

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警察犬も。

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カンカン照りで日陰もほとんどないし。来年からもう出席はやめましょうかね。

「86ヒロシマ平和の夕べ」の準備物が山ほどあって、荷物を乗せて会場に行くのに、まあ、車がクリニックに近づけません。もうまたこれでもくたびれました。実は、昨夜、準備万端と思っていたのが、大切なのが印刷されていないのに気付いて、クリニックで深夜までせっせと印刷、三種類。A3で一種類250枚なので、これだけでも重くて。始まる前から疲れてどうする?と思いながら、準備です。

会場一杯の参加の皆さん。ありがとうございました。

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内容については、また、ゆっくり書かせていただきますね。明日は朝から東京です。飛行機で日帰りで、少し厳しいです。これについても、またお話しますね。


 


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明日です。会場でお会いしましょうね。

明日、被爆80年、8月6日です。わたしたちの「8.6ヒロシマ平和の夕べ」も準備が整いました。12時30分開場13時30分開会です。チラシ、再掲しますね。

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プログラムですが、平和講演の青木さんと市田さんが入れ替わります。青木さんへのインタビュアーはジャーナリストの小山美砂さんです。また休憩の後に竹本信也さんの歌が入ります。

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 私はいつも前夜には緊張して眠れなくなります。参加の人は沢山来られるだろうか、うまく終えられるかしら、などと頭がぐるぐるします。決して慣れることはありません。何事もなく終えられますように・・。会場でお会いしましょうね。


 


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原水禁世界大会の後、チラシ配りでした。

 原水禁世界大会の開会式に終わりの方だけ参加して、終了後出てくる人たちに「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のビラの手渡しをしました。K氏と二人ですが、もうあまりビラが残っていないので、アッという間でした。さすがに、選挙の時と違って、多くの方が受け取ってくださいますが、中には、拒絶する方もあって、心の中でなんだよ!なんて思いながら。

 世界大会の会場です。私が入ったとき、皆さん立ち上がって、「原爆ゆるすまじ」を歌われ始めたところでした。

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その後は、秋葉忠利さんによる閉会の言葉でした。第一回世界大会で、高橋昭博さんが訴えて、万来の拍手があったように、被爆者がつらい体験を語り、核兵器廃絶を訴え続けたことへの感謝。そして、核兵器排絶への道筋、世界の指導者たちが硬く決意すればできないことではないと。そのためにも、私たち一人ずつが決意をもって、周りの三人ずつに核兵器廃絶をうったえていくこと・・などなど。核兵器について、迷路に入り込んてしまったように思っていたのが、なんか整理されたように思いました。

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ウーン、それにしても、かつては、この広い県立体育館が二階席まで超満員、あふれた人が回りで耳を澄ませていたのが、この間のような気がします。

 8月6日がやってきます。まだなんだかんだ準備をし続けています。明日、もう一度、チラシを載せますね。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」を開催する私たちについて

 もうすぐ被爆80年の8月6日です。これまでのブログでお分かりでしょうが、私たちは2007年から「8.6ヒロシマ平和の夕べ」を開催いたします。毎年8月6日当日に開催。コロナの時は本当に迷いましたが、それまでのYMCA広島の国際ホールからRCC文化センターに場所を変えて開催し続けました。今年も開催するRCC文化センターの7階の会場は、京橋川の川沿いにあり、もちろんエアコンは効きますが、窓を開けると川風が入ってきます。密封された部屋でなく、風通しの良い会場です。もし、新型コロナのクラスターでも発症すれば、私は医者を辞めなければ、と覚悟をして窓から大型の扇風機でがんがん風を入れながらの開催でした。幸い、何事もなくこれまで来ています。

 この会は今年で19回を迎えようとしています。毎年多くの方々が全国から(いえ、世界からと
いってもいいかもしれません。イタリヤやドイツから参加して下さった方もおありでしたので)多くの方がいらっして下さっています。その会を開催し続ける私たちは何者なのか、とてもおかしなことを言う人もいると耳に入ってきますので、明らかにしておきます。

 ここに、2022年に沖縄から平和講演に来て下さった三宅弁護士にあてて私が書いたお手紙があります。それをここに転載いたしますね。写真は、2011年、平和の夕べの平和講演に来ていただいて、お話して下さった中沢啓治さんです。ちなみに、中沢啓治さんのことをこのブログでもいろいろと書いていますが、ヒロシマの平和ノートからはだしのゲンが消えた時のブログ、ここに中沢さんの写真も沢山載せています。読んで下さるとうれしいです。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2023/02/index.html

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それでは、三宅さんにあてたお手紙を掲載しますね。


三宅俊司弁護士様

突然にぶしつけなお便りする失礼をお許し下さいませ。


私は、広島で産婦人科医をしています河野美代子と申します。フェイスブックでは、お友達として、いつも共感しながら記事を読ませて頂いております。先日、メッセンジャーにてメッセージを送らせていただいたのですが、既読にならなくて、お目に留まることがなかったのか、または、メッセンジャーなどでお願いしたことをお怒りになったかと、心配しております。大変失礼をして申し訳ございませんでした。

ここに、改めてお手紙を書かせていただきます。

私は、1947年生まれの74才です。今、私は、広島の地で産婦人科の町医者をする一方で、「8.6.ヒロシマ平和の夕べ」の実行委員、呼びかけ人の一人として毎年8月6日に集会を、また、それ以外にも講演会、研修会、学習会などを随時行なってまいりました。8.6ヒロシマ平和の夕べは、被爆者や被爆二世が中心となって行っている市民集会です。


今年の8.6にはぜひとも三宅様に広島に来て講演をしていただきたく、その思いをお伝えすべく、この手紙を書いております。


 私たちは、ヒロシマの地において、被爆者の悲願である核廃絶の思いをなんとか実現したいと、今の社会情勢、憲法も危機迫る中、何かをしようと集まった者が中心となっています。

幼児期に原爆孤児となり、その後生きることに精一杯だったという者もいます。お兄さんが当時広島二中の生徒で、その日のうちに亡くなったものの、焼け焦げた真っ黒な弁当箱が残り、それを原爆資料館に寄付した人もいます。爆心地近くの電車の中で被爆し、奇跡的に生き残った、今ではただ一人の電車内被爆者の者もいます。東京から実家に引き上げ、一緒に帰った障がい者の妻を介護しながらこの会の実行委員に加わっている者もいます。年老いた母親を介護している一人暮らしの被爆二世もいます。さらに、元日大全共闘の議長をしていた秋田明大さんは、今故郷に帰り自動車修理工をしながら高校生の息子さんを育てています。彼も私たちの大切な実行委員の仲間です。実行委員は政党色もセクト色も全くなく、完全に市民として日常生活を送りながら、この会だけのために緩やかにつながっている仲間たちであります。


 被爆から時を経る中で、みなそれぞれの人生を生きて来ました。私は産婦人科医ですが、かつて被爆二世として、何らかの被爆者の医療に携わりたい、小児科で白血病の研究、治療をしようか、それとも被爆者の遺伝の問題に携わろうかと悩んだ末に、広島大学の医学部を卒業して、産科婦人科の染色体研究室に入りました。そこでは、様々な近距離被爆者の方とその子どもたち、さらにその子や孫たちの染色体分析を行いました。当時、ABCCが多くの被爆者の染色体の分析も行い、さまざまなデータを出していましたが、それらはすべて英文の論文で、国内向けには発表されていませんでした。それらの論文を読むうちに、明らかに被爆者の子、または孫に (クラインフェルターなどの)染色体の異常が多いという論文も確かにありました。


  被爆者にさまざまな結婚差別などがあった状況で、誰に向けてそれらの情報を開示するかという難しい問題もあったでしょうが、ただひたすら「何も異常はない」とする発表に強い違和感を持ったこともあります。今、福島では広島と同じような状況が繰り返されようとしています。


(その後、私は、全く個人的にですが、診療の場からのメッセージとして、若い人や大人に向けて、性教育の講演や執筆活動をもしております。沖縄にも何度か講演でお伺いしております。)


 14年前から私たちが「何かできないか」と集まり、そろそろと始めた会ですが、年々集会に参加する方も増え、市民の方に期待される会になっており、かつ全国からも多くの方々が参加して下さるようになりました。毎回、高齢化してだんだんとお話して下さる方が少なくなっている今、必ず被爆者のお話を聞くこと。沖縄、福島も忘れない事をモットーに会を続けてまいりました。



私たちは、「平和の夕べ」のプログラムとして、高齢化する被爆者の問題、被爆の原体験の継承をはかりながら反核に取り組んできたつもりでいます。それは単に核兵器のみならず、常に必ず原発と沖縄の問題も欠かしませんでした。京都の熊取六人衆、小林先生、小出先生や今中先生たちに来て頂いてお話を伺ってまいりました。小林圭二先生には二回もこの会に来て頂きましたが、残念ながら癌で亡くなられました。関連企画としては、被爆電車に乗って電車内被爆者の実行委員の一人、米沢さんに話を聴く平和学習、さらに山口原水禁の企画に同調して、前日に上関原発予定地、祝島に行き、原発反対を頑張っている漁師さんたちとの交流もして来ました。沖縄では、被爆ピアノを持って行って、平和の夕べin沖縄の集会もしたこともあります。

 漫画「はだしのゲン」の作者の中沢啓治さんにも2011年に平和の夕べに来て戴いて、お話を伺いました。中沢さんは、チェルノブイリの被害者で甲状腺がんでもう直ぐ亡くなるという少女たちにも会っていらっしゃいました。中沢さんは、その次の年にも聴衆として参加して下さいましたが、その年の暮れに肺がんで亡くなってしまいました。

憲法や原発の問題にも必死で取り組んでいらっしゃる落合恵子さんにもお出で頂きました。

被爆者の方たちの語り部も毎年して戴いていますし、沖縄や福島からも毎年会に来て戴いてお話しして戴いています。沖縄からは、これまで知花昌一さん、安次富浩さん、高里鈴代さん、川崎盛徳さん等にお出で頂いています。


そんな活動を続けている今、今年の8.6.には、どうしても三宅さんのお話を伺いたいと、実行委員一同、強く熱望しています。今、辺野古の強引な埋立など、沖縄がおかれている状況、本土への思いなど、三宅様が思われることを、存分にお話頂けたらと思います。

そして、憲法が危なく、戦争への道をひた走っている今のような日本、世界の情勢の中で、広島・長崎、沖縄、福島をつなぎながら、どうすれば平和な社会、核兵器廃絶への道を歩んで行けるのかを考えたいと思います。

これまでの私たちの会の2020年から遡って2008年までの歩みをまとめたものと、それぞれの年のチラシ(コピーもあります)を同封いたします。

ただ、新型コロナの状況は厳しく、昨年は悩んだ末に、会場に来られる方の制限をし、後はZOOMで全国に配信いたしました。今年もそのような状況になることと思います。

どうぞ、私たちの熱い思いを汲んで戴きますよう、心からお願い申し上げます。

なお、連日、激務の毎日でいらっしゃることと存じます。お返事は、できるだけお手間を取られなくて済みますように。僭越ながら、私のメールアドレス、携帯電話の番号も記載しておきます。何とぞ、いいお返事、朗報を頂けますように。お待ちしております。お出でいただけるなら、すでに広島での前泊、後泊のホテルは確保しています。沖縄、広島間の飛行機代、そして少しばかりの講演料をご用意しております。


まだまだ新型コロナの、それもオミクロン株という厄介なウイルスの脅威が猛威を振るいそうな今日、どうぞお忙しいお体、おいといくださいます様に。お元気でご活躍のこと、お祈り申し上げます。


 2021年12月24日

皆様、どうぞよろしくお願いします。


 


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8月6日に販売します。

今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」では、いつもの会場の奥に小部屋をお借りして、そこでグッズの販売を行います。

というのも、被爆80周年で、これまで平和の夕べでご発言頂いた方たちの中で、出版される方が何人もおありで、それらを読むと、ぜひ皆様にお伝えしたいと思うものばかりだからです。 また、私たちも以前作ったTシャツがもう古くなったので、作り替えをしますので、それらも希望される方がおありならと。今回のは、速乾性の生地にしました。ナンシーさんご夫妻が尽力してくださいました。

 また、広島でお好み焼きやさんをしていて、東北や熊本など、地震の災害があった時には、いつも車にお好み焼きの台などを持って行って、現地でボランティアをしていた佐渡さんが、能登の地震と豪雨災害の後、広島から転居してボランティアをしていらっしゃいます。その佐渡さんが、埋もれていた輪島塗りを救おうと、持って来られます。それらの販売も行います。
  2025年「8.6ヒロシマ平和の夕べ」で販売するグッズ・書籍

1.パンダハウスのグッズ 8.6ヒロシマ平和の夕べの缶バッジ・被爆電車原爆ドームなど

2.能登支援・埋もれていた輪島塗(500~2000円)

3.8.6ヒロシマ平和の夕べのTシャツ白・黒サイズ中・大各2000円

4.市田真理さん(2025年平和講演)著「ポケットの中の平和」「高校生は学び行動する」

5.早志百合子さん(2020年平和の夕べ被爆体験)著「平和のうぶごえ」

6.永田浩三さん(2017年平和の夕べの平和講演)著「原爆と俳句」

7.平尾直政さん(2023年平和の夕べの平和講演・原爆小頭症きのこ会事務局長)著「広島のともしび」

8.米澤鐵志(第一回平和の夕べの平和講演・電車内被爆者)著「ぼくは満員電車で原爆を浴びた」

9.山本信子著・小野英子訳(2017年平和の夕べ被爆体験)「炎のメモアール」広島二中一年生全滅の記録「いしぶみ」の教師山本先生の妻子です。

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いよいよ明日からは、原水禁世界大会の8月6日関連のイベントが始まります。私はチラシ配りです。多くの方にお会いできますように。

 

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蛍火Ⅱ河本一郎伝

昨日の「蛍火Ⅱ河本一郎伝」、素晴らしかったです。心配していた観客も、550席ほぼ満席でした。公演中は写真は撮れないので、その前に。このように映像を駆使しながら、また、合唱などは沢山の人が舞台いっぱいに並んで、迫力もありました。

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舞台は、ヒロシマの被爆直後からの吉川清さんたちの被爆者運動から原発の危険、ウクライナ情勢、核兵器が使われるかもの危機まで、幅広く描かれました。また、切明千枝子さんの短歌が随所に出てきますし、絵も一見柔らかく、でも、胸を打ちます。また、蛍火Ⅰから続く音楽もすごかったです。よくこれだけの壮大な舞台を作り上げられたと、感動でした。今日、昼夜の二回の上演です。どうぞ、皆さまご覧ください。生の舞台で観る、その価値があります。

頂いたパンフレットの表紙裏です。山田洋次さんのコメントが寄せられています。

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また、「蛍火Ⅰ」がYOU TUBEで公開されています。写真がぼけていますが、私のスマホで写すと、大丈夫、写りました。蛍火Ⅱもそのうち、YOU TUBEで公開されるそうです。

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舞台の最後はナビゲーターの板倉さんがMC役で。板倉さんは、生後7か月の被爆者です。蛍火Ⅰ・Ⅱにかけてきた意気込みの迫力が感じられました。沢山の出演者の方たち。後の河本さん、そっくりです。

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 皆さん、本当にご苦労様です。もう一日、いえ、上演後も大変でしょうが。頑張ってください。久々の骨のある舞台、堪能しました。ありがとうございました。


 


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