松本正さんの被爆証言と絵本「ひろしまのピカ」②
7月21日の江古田のギャラリー古藤でのイベントの続きです。岡崎弥保さんの絵本「ひろしまのピカ」の朗読と松本正さんの被爆証言の後、皆さんでのトークがありました。
その前に、松本さんの証言の時の写真が少し残っていますので、それもアップしますね。
10人のお身内を原爆の為に亡くされた松本さんが、その10人のお名前を記した灯篭を広島の川に流された後、今度は広島二中の後進、広島観音高等学校音楽部OBによる「広島二中一年生の全滅の記録ーいしぶみ」(ポプラ社)から作られた混声合唱曲「いしぶみ」の合唱の会場でのお写真と思います。松本さんは、この弟さんのお写真をもって参加されました。合唱曲「いしぶみ」は、毎年広島で公演されます。
それから、松本さんがみられた被爆直後にもくもくと沸き上がるキノコ雲。松本さんは、自らが掘っていた防空壕に飛びこんで、だからやけどもしなくてすんだのですが、そこから見た雲が、光が七色にきらきらと輝いて、とても美しかったといわれます。もちろん、この時には原爆というものが落とされたこと等、なんにも知らないで見たと。
お分かりと思いますが。雲の下は広島市です。7つの川が流れている、その広島市全体を覆うように雲が。この下には、無数の人がいます。一発の原爆で、その年までに14万人の人が亡くなったといわれます。
四人の方でのトーク、司会の永田さんが、被爆前の松本さんのお宅の生活などを上手に引き出されます。海産物を販売、輸出なさっていた松本さんのお宅はお金持ちで、家の中に弓道場があるほど大きなお家だったと。だから、それを建物疎開で壊すことになったと。空襲で火事になった時に延焼を防ぐ意味です。広島二中を含む多くの生徒たちが建物疎開に駆り出されていました。松本さんのお宅が壊されることになって、お家は転居されることになり、だから、いろいろなものを引っ越すために、家族のお写真などが助かったのだそうです。
観音から転居先まで線路伝いに炎を避けながら、被災した人たちの姿を見ながら、延々と歩いて帰宅される様子も。やけどに苦しむ多くの人々のことも。

講演に加えて、永田さんのおかげで、とても貴重なリアルなお話を聞かせていただきました。
ごめんなさい。私のクリニックのWi-Fiがなぜか壊れてしまっていますので、家でこれを書くしかなくって。もう出勤しなければならない時間になりました。また続きを書きますね。私が喋ったことなどを。一気に書けなくてすみません。
『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。
| 固定リンク





コメント