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小林多喜二の「母」の演劇を見ました。

天皇陛下が広島に来られた今日、私は小林多喜二の「母」の演劇を見てきました。

 平和公園に背を向けて、アストラムラインで安佐南区民文化センターへ。劇団文化座、三浦綾子さん原作の「母」。特攻警察に虐待されて殺された共産党員の小林多喜二と母親の物語です。クリスチャンの三浦綾子さんとは、結び付かない感じがしましたが、演劇の中でわかりました。多喜二が殺されたのち、お母さんは教会に行き、クリスチャンになられたのですね。

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上演中の写真は撮れないので、上演前の舞台を。

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 秋田の貧しい村に生まれたセキは、学校にも行かれず13歳で結婚、小樽へ。6人の子を産み育てました。多喜二は次男。伯父の世話で小樽商高を卒業し、銀行に勤めるようになります。多喜二は、貧しい中で子どもたちをもやさしく懸命に育てる母の姿を見て、貧しい人の味方となっていきます。そして、小説を書きます。「武器を作るお金で皆に白いコメのごはんを」と反戦を訴え続けました。そんな彼の小説は危険思想とみなされます。蟹工船は大ヒットしましたが、それゆえ、彼は特攻に追われ、ついには虐殺されてしまいます。それまでたくさんの小説を残しましたし、彼の通夜、葬儀に集まった人たちも全員拘束されたと。

 多喜二の母セキは、彼が何をしてもすべて味方。娼婦を身受けしたいといった時でも、賛成し、背中を押します。ついに殺されても、警察に出向き、彼の遺体を目にします。そして、「ほれっ、多喜二!もう一度立ってみせねか
!みんなのために、もう一度立ってみせねか!」と呼びかけます。

 演劇の中では、「闇があるから光がある」などと、たくさんの大切な言葉がありました。「とぼとぼと歩いて行く道。死への道も、キリストに導かれていくのだから、寂しくはない」とのセリフの時、私は、クリスチャンの兄が自分が死ぬと悟ったとき、牧師さんに助けて下さいといったその兄は、どうだったのだろうか、キリストと一緒だから寂しくないと思ったのか。そして、先日亡くなった友人はどうだったのだろうか、などと頭に浮かんでしまいました。テーマとは違うのに。

 主役の佐々木愛さん、演技は素晴らしかったですよ。多くの人が見るべきお芝居だと思いました。

 今、クリニックに帰ってきています。これから学会まで少し時間があって、テレビを見ると、やっぱり小学生が天皇を迎えるのに動員されたそうです。32度、熱中症に注意と言われる中、子どもたちはどこに立たされたのでしょうか。


 


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