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カープ、今年3回目

昨日は、午前中はNPOの総会。それが済んで有志の皆さんとメルパルクでお昼ご飯。牛筋の石鍋カレー御膳と食彩御膳と二手に分かれて。私はカレー。隣の席の食彩御膳も写真に撮らせていただいて。どちらも1700円。

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カレーは、まずバターを載せて混ぜてからカレーをかけて下さいとのことで、そうしました。途中から温泉卵ものっけて。ジャージャーといい音がしてにおいをまき散らすので、食彩御膳の人たちも皆さん次はカレーにしようと。それは美味で、全部平らげました。いろいろとお話をしながら。

 そして、その後は内藤先生と二人でカープに行きました。私がこの前に行ったのは、5月15日。小坪さんの肩の手術の日。あの日、手術日でも会わせてもらえなくって、待合室で4時間待ってやっと手術室に行く時に一緒に歩いて行ったのが、それが会えた最後です。もう会えなくなるなんて、夢にも思わず、手術室から歩いて帰って、夕方からカープに行ったのでした。その日、小園が満塁ホームランを打った放物線を描くのを目の当たりにしたのです。その日、私は膝を痛めて、それから今日まで痛みが続いています。

 小坪に次に会えたのは、強力な睡眠薬と麻薬で眠らせてあって話もできず、話しかけながら手と足をさすっただけ。それも身内ではないので合わせてもらえないので、部屋番号をお父さんに聞いて、黙ってすっと入ったのでした。そして、午後の3時からの診療のためにクリニックに帰った直後、3時15分に小坪さんは亡くなったのでした。

 そんなことを思いながら、球場に。席はカープのダッグアウトの上。試合に出ていない選手がよく見えます。野間(37)秋山(9)石原(32)堂林(7)曾澤(27)田中(2)。

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でも、秋山さんも観れたし、栗林も観れた。入場曲のトランペットのナルコもしっかり聞いたし。

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雨もそう降らなかったし。宮島さん一杯歌ったし。

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勝った後、吉川晃司と奥田民生の歌もしっかり聞いた。

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もう今度のチケットは、8月の終りしかありません。それまでテレビやラジオで応援です。

 今日の午後7時からテレビ朝日で、午前0時30分からNHKで吉川晃司と奥田民生が広島を案内するそうですよ。


 


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小坪家に行きました。

 あれからもう一週間。何をしていても、小坪さんのことが頭から離れません。今日の診療後、広島そごうでうまいもの展をしているので、そこに行って、北海道の海鮮弁当を買ってきました。それと、和牛のすき焼き弁当と、京都の漬物とミンチかつ。それをもって、小坪家のお父さん(お連れ合いのことだけど、小坪則子さんも私もみんなお父さんお父さんと呼んでいたので)に会いに行きました。数日前に行った友人から、お父さんがすっかり落ち込んでいるし、ごはんもあまり食べていないようだとの知らせがあって、ますます気になっていました。事前に行きたいんだけどと言ったら、とても喜んでくださっていたので。

 お仏壇にお参りをして。いい写真があって良かったですねえと。どなたが撮られたのでしょう。お父さんは分からないといわれます。

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 いっしよにお弁当を食べました。いつも、ここにいろいろなものを持って行って、一緒に食べたものです。カニやフグや加賀屋や芸州のお弁当など・・。お父さんは、ちゃんと食べる用意をして待っていて下さいました。

 食べながらいろいろなお話をしました。則子さんは、本当に完璧な人であったと。お姑さんもお舅さんもちゃんと看取って。家事はそれこそ完璧でした。亡くなるまでのこともいろいろと話しました。お父さんは、妻が先に死んではいけん、と言われます。女性は夫が死んでも友だちが沢山いて、力になってもらえると。男は、退職したら、さっぱり友だちがいなくなると。お父さん、麻雀は?まだ行く気
にならないん?というと、その気になれないと。今行っても、きっと大負けすると思うと。河野さんと一緒にハワイに行くと言ってたのに、と涙ぐまれます。そう、小坪が抗がん剤で元気になって、私が退職して、一緒にひと月ハワイに行こうと言ってたのですね。わたしは、一緒にハワイに行くんだから、治療を受けて元気になって、というと、そうじゃねえ、じゃ、頑張ろうかと。ナースに、こんな病院食では元気が出ん。かつ丼とか、差し入れをもってきてもらってもいい?と尋ねたら、いいって。だからお父さんに持ってきてもらうよ、と言ったのが、亡くなる一週間前なのですよ。

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お父さんは、おいしいおいしいといいながら、ミンチかつも海鮮弁当もすっかり平らげられたので、ホッとしました。一人で食べるとおいしくないんだ、味がしなくて、ついいい加減になってしまうと。すき焼き弁当は冷蔵庫に入れて、明日の朝チンして食べてもらうことにしました。

 広い家にお一人で、本当に寂しそうなので。でも、息子さんや娘さんがよく来てくれるといわれます。しばらく、一人の生活に慣れるまで、私もまた訪ねようと思います。何か一緒に食べる物をもって。お父さん、また来ますから。どうぞお元気でね。


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小林多喜二の「母」の演劇を見ました。

天皇陛下が広島に来られた今日、私は小林多喜二の「母」の演劇を見てきました。

 平和公園に背を向けて、アストラムラインで安佐南区民文化センターへ。劇団文化座、三浦綾子さん原作の「母」。特攻警察に虐待されて殺された共産党員の小林多喜二と母親の物語です。クリスチャンの三浦綾子さんとは、結び付かない感じがしましたが、演劇の中でわかりました。多喜二が殺されたのち、お母さんは教会に行き、クリスチャンになられたのですね。

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上演中の写真は撮れないので、上演前の舞台を。

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 秋田の貧しい村に生まれたセキは、学校にも行かれず13歳で結婚、小樽へ。6人の子を産み育てました。多喜二は次男。伯父の世話で小樽商高を卒業し、銀行に勤めるようになります。多喜二は、貧しい中で子どもたちをもやさしく懸命に育てる母の姿を見て、貧しい人の味方となっていきます。そして、小説を書きます。「武器を作るお金で皆に白いコメのごはんを」と反戦を訴え続けました。そんな彼の小説は危険思想とみなされます。蟹工船は大ヒットしましたが、それゆえ、彼は特攻に追われ、ついには虐殺されてしまいます。それまでたくさんの小説を残しましたし、彼の通夜、葬儀に集まった人たちも全員拘束されたと。

 多喜二の母セキは、彼が何をしてもすべて味方。娼婦を身受けしたいといった時でも、賛成し、背中を押します。ついに殺されても、警察に出向き、彼の遺体を目にします。そして、「ほれっ、多喜二!もう一度立ってみせねか
!みんなのために、もう一度立ってみせねか!」と呼びかけます。

 演劇の中では、「闇があるから光がある」などと、たくさんの大切な言葉がありました。「とぼとぼと歩いて行く道。死への道も、キリストに導かれていくのだから、寂しくはない」とのセリフの時、私は、クリスチャンの兄が自分が死ぬと悟ったとき、牧師さんに助けて下さいといったその兄は、どうだったのだろうか、キリストと一緒だから寂しくないと思ったのか。そして、先日亡くなった友人はどうだったのだろうか、などと頭に浮かんでしまいました。テーマとは違うのに。

 主役の佐々木愛さん、演技は素晴らしかったですよ。多くの人が見るべきお芝居だと思いました。

 今、クリニックに帰ってきています。これから学会まで少し時間があって、テレビを見ると、やっぱり小学生が天皇を迎えるのに動員されたそうです。32度、熱中症に注意と言われる中、子どもたちはどこに立たされたのでしょうか。


 


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比治山大学で講義をしました。

  一週間前の木曜日、夕方から比治山大学の「子ども発達教育学科」の一年生への授業に行きました。この学科の学生さんのほとんどは教師になる希望を持っています。教師になる学生さんに性教育について知っていただくことはとてもうれしいことなので、張り切って資料を作りました。が、90分の授業にやはり盛りすぎて、時間が足りなくなって、終わりの頃は飛ばしながらになってしまいました。ただ、それも想定して、資料として役に立つように配布しましたので、それを見ていただければわかってもらえると思います。

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毎年一年生に話しに行くのですが、いつも私が話す前に緒方教授が私の紹介をして下さいます。今年は、緒方先生が出張でいらっしゃらないので、授業担当の村上先生にお手紙を託されていました。それを授業の前に村上先生が学生さんに向けて読まれました。ただ、短くしてくださいとお願いして半分だけ読んで頂きました。

その手紙をPDFで送って頂きました。少し恥ずかしいのですが、ここにアップしますね。


河野美代子先生の紹介


今から河野先生の講話を聞く1年生へ


河野先生の講話を今から聞く1年生に、緒方からも河野先生についてどうしてもひとこと紹介をしたくて、村上先生に伝言を頼みました。


河野先生の講話を緒方が初めて聞かせていただいたのは、25歳、教師1年目の新任研修のときです。とても心を強く打たれたのを今でもはっきり覚えています。その後の40年の教師生活は、つまり教え子に何を伝えてきたかは、先生の講話が土台にあります。また、家庭生活でも、自分自身の生き方についても、我が子2人に何かを語るときにも、河野先生の講話を常に土台にしてきました。緒方が、今、幸せに暮らせているのは、ひょっとしたら河野先生のお話を聞くことができたからかもしれないと緒方は思っています。


さて、河野先生はとことん弱い者の味方です。すべての弱い者の味方です。弱い者とは、女性です。子どもです。少数者です。今からのお話しは、このことに貫かれていると思います。どうか、しっかり聞いて、考えて、自分の生き方のヒントを見つけてほしいと思います。


最後に、河野先生のお人柄がわかるエピソードを紹介します。緒方の次女が里帰り出産で実家に帰ってきた頃、4年前です。日本はコロナ禍のまっただなかでした。娘は、実家から通える産婦人科を探しても探しても、なかなか見つからなくて、困っていました。どこも「新規の患者さんはお断りです」と言われていたのです。日本はそういう状況だったのです。でも、やがて、「お父さん、みつかった。紙屋町の河野クリニックが診てくれるって!」とうれしそうに言いました。「えっ、父さん、その先生知っとるよ」。そして、河野先生が、緒方のおなかにいる孫を「ふたごですね」と見つけてくれたのです。


河野先生は、そういうお人柄です。では、講話を聞いてください。 


緒方

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学生の皆さんから、しっかりと書かれたレポートを頂きました。また、ここにいくつかアップしますね。

緒方先生、村上先生、スタッフの皆様、ありがとうございました。そして、私の話をしっかりと聞いて皆さん素晴らしいレポートを書いてくださった学生の皆様、ありがとうございました。素敵な教師になってくださいね。


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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」竹本信也さん

 被爆80周年の今年の8.6ヒロシマ平和の夕べ」は、お伝えしたように被爆体験は自らの被爆体験の語りのみならず、在外被爆者の支援活動も続けてこられた豊永恵三郎さんに、平和講演は「核の抑止力、核政策を問う」青木理さんへの小山美砂さんのインタビューと、東京都立第五福竜丸展示館・学芸員市田真理さんの二つのお話をお願いしています。

 以前会場をYMCA文化ホールや本願寺別院「京命ホール」にしていたころは、プログラムに必ず音楽を一つは入れていました。被爆ピアノの演奏だったり、盲目のピアニストの方の平和の音楽の演奏だったり、オペラはだしのゲンからお母さんの歌だったり、おじいさんが被爆直後真っ先に焼けたドラム缶で風呂を焚いて入ったという三代目春駒さんだったり、関西を中心に活動している川口真由美さん、沖縄からYASUさんの歌だったり、今や弁当作家として名が広がっているナンシーさんだったり・・。

 でも、コロナの関係で会場を今のRCC文化センターに移してからは、音響設備もピアノもないし、隣とは薄い仕切りだったりで、音楽は見合わせてきました。でも、今年は音楽が入ります。重い話ばかりですので、何か間で歌って下さる方を、と探すまでもなく、この方です。竹本信也さん。ギター一本で歌って下さいます。竹本さんはこれまでも「8.6ヒロシマ平和の夕べ」には一参加者として毎年来て下さっていましたし、2023年の平和講演をして下さって原爆小頭症の親子の会「きのこ会」の事務局長、平尾直政さんの高校・大学時代の同級生。お互いにリスペクトされています。ご本人に頂いたプロフィールです。写真はネットから頂きました。

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竹本信也(たけもとのぶや)
1963
年生まれ
フォークデュオ「おとぎぞうし」や「LIVES(ライブズ)」のボーカルとして、反戦・半核・反差別の楽曲を歌う。主に福山市のコミュニティーセンターや公民館などで、人権尊重と平和学習の講師としてトーク&ライブを行っている。最近では高齢者のサロン活動での音楽ボランティアとしても活動している。

ネットでたくさんの竹本さんの歌を聞きました。甘く優しい歌声は、きっと皆さんの胸を揺さぶることでしょう。どうぞ楽しみにして下さいね。

多くの方にフライヤーは送付しましたが、届かず帰って来る封書もたくさんありますし、送付しなかった方のために、以前この場に提示しましたフライヤーをもう一度ここにアップしますね。

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多くの方にお会いできますように。


 


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クリニックのお花です。

今まだあんまり物を考えることができないので。小坪さんへの追悼も込めて、お花の写真をアップします。

クリニックの青野さんのお花の最近のものです。深紅のばらが美しい。逆光で、ちょっと残念。

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ひまわり。夏っぽいけど、まだ梅雨の最中です。

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これが今飾られているお花です。ピンクのつりがね草。かわいいです。

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ベランダに白い胡蝶蘭が加わりました。実は、クリニックのそばの小さなお花屋さんで、これが500円で出ていたのです。500円!!即買いました。お花は長持ちしないかもですが、これを生きかせて来年にまた咲かせようという意欲を掻き立てられました。

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その時に、ミニトマトとシソの苗が出ていたので、これも一つずつ買いました。お弁当に時に食べられるように。

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待合室の部屋から眺めて、少し華やかな所を。

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小坪則子さんのお通夜、お葬式

 一昨日小坪則子さんが亡くなって、昨日お通夜で今日がお葬式で、三日間斎場に通いました。小坪さんはとても面倒見のいい人だったので、たくさんの方がお通夜にもお葬式にもいらっして下さいました。皆さん、とても驚いて、残念がって、悲しんでいらっしゃいました。私も泣きすぎて、頭がボーとしています。私でさえこうなのだから、お連れ合いやお子さんたちはさぞお辛いと思います。

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実は、亡くなった日、斎場でご家族といろいろと準備や打ち合わせをしていた時、葬儀は家族葬だと聞いて、びっくり。他にも来ていた方たちもみんな、小坪さんのお世話になった人たちが後で知ったら、皆さんびっくりして、残念がって、どうして教えてくれなかったのかと悲しむよ、と言いました。で、急遽葬儀場に電話をして、家族葬でなくって、普通の葬儀にして頂きたい旨をお話ししました。お通夜も100人を超える方たちが来られていて、ああ、よかったと思いました。

 小坪さんは、かつて衆議院議員時代の秋葉さんの秘書でした。有能で、やさしくて、気も強くて、秋葉さんとはぶつかる時もありましたが、その姿勢は一貫して、秋葉さんを守ることに徹していました。時には、むずかしい交渉をしなければならないこともあって。陰で泣いていたことも。

 お母さんは、今でいう助産師さん。両親とも被爆者で、則子さんの一番上のお姉さんを原爆で亡くしています。そのお母さまの毅然とした姿勢のことはよく話してもらいました。被爆からしばらくして、いろいろと病気があって、生きられない赤ちゃんがよく生まれたと。そのたびに、家で白い布で、その赤ちゃんに着せる着物を縫っていたと。赤ちゃんを取り上げても、お金がない家からはお金を頂かなかったら、家の前にたくさんの薪が積んであったとか。取り上げた子が暴力団員になって殺されたら、みんなに止められても、毅然として、私が取り上げた子だからと、暴力団の葬儀に参加したとか。そんなお母さまに育てられた彼女の正義感は半端なものではありませんでした。

 それは,住んでいた
廿日市市の市長選や市議選にも力を発揮し、皆さんに頼りにされていました。なかかな思うようにいかず、情けないこともありましたが。市議選は、ほんの二か月前のことでした。いまから思えば、体がしんどかったでしょうに。いろいろと支持する候補者の支援をされていましたよ。

 やはり三月の終わり、安塚かのんさんのコンサートのために、ものすごい尽力をしていました。舞台一面にLEDのろうそくを置くと。その数をそろえるのに、あっちこっちのお店を探し回って、とうとうそろえたと。あとで写真を見ると、それは素敵な舞台でした。

 無茶苦茶明るい人でもありました。済州島に行ったとき、大きなイ・ビョンホンの前で写真を撮ったら、ちょうど小坪とイ・ビョンホンとがキスをしているように写っていて、大爆笑で。その写真を年賀状に使うと言って、お連れ合いに止められたとか。クリニックのみんなと一緒にバリにも行きました。その時、小坪の前にとびっきり大きなロブスターがおかれて、これも大爆笑でした。

 というような楽しい思い出も思い出されて。

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息子さんやお孫さんに運ばれて。ピンクのかわいいお棺で似合ってました。

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私は、これで相談相手を失いました。一緒にどこかに行く人もいなくなりました・・。

葬儀が朝早かったので、午後から「8.6ヒロシマ平和の夕べ」
のチラシの発送をしました。つらい時には、こういう単純作業がありがたいのです。

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大量にダンボールに
入れて自転車で中央郵便局にもっていって発送完了しました!!
 


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ああ、小坪則子さん

昨日は、悲しい日でした。無二の親友小坪則子さんが亡くなりました。長い闘病生活でした。それでも、面倒見の良い彼女は、病んでいる事を見せず、多くの人の力になり、多くの人から慕われました。

 私は、彼女が秋葉忠利さんの衆議院議員時代の有能な秘書、私が後援会みこし連の代表として1990年に知り合いとなって以来の35年の友人でした。

 小坪さんは、2011年1月、左乳がんの手術。2019年6月右乳がんの手術。7月大腸がんの手術。2021年3月左肩骨折の手術。21年11月左大腿骨骨折手術。2022年4月右乳房全摘手術。2023年4月左乳房全摘手術。7月から抗がん剤エンハーツつの点滴を3週間に一回、計24回通う。2024年12月エンハーツの副作用による間質性肺炎で点滴を終了。ほとんど同時に胸部から腹部に乳がんの皮膚転移。2025年1月からトロデビルの点滴。副作用による白血球減少であまり打てず。皮膚転移はどんどん広がる。5月、自宅前の階段で転倒。右肩骨折。15日手術。右肺に水が溜まっているも、退院。退院するも、あまりの息苦しさに緊急受診から即入院。ここからが早く。本当にあっという間に亡くなってしまいました。体は、本当に傷だらけでも、いつも明るく回りの人たちを励ましていました。


 私は、昨日のお昼時間に病室に行きました。もう睡眠薬で眠っていてお話はできませんでしたが、話しかけながらむくんだ手や足をマッサージして、3時からの診療に間に合うように帰りました。また夕方来るね、といったのですが、その直後3時15分に亡くなったと連絡が入りました。

 夜、お顔は穏やかでした。長い闘病にもかかわらず、本当に安らかに眠っていらっしゃいました。抗がん剤で頭髪が亡くなっていたので、息子さんのお嫁さんと一緒に家探しをして、ピンクのベレー帽と白地に小さな模様の夏の単衣の着物を持ってきて、帽子をかぶせ、体の上から着物をかけてあげました。寝巻ではかわいそうなので。

 今日の午後6時から、廿日市市宮内の葬儀場葵でお通夜。明日、15
日午前9時から同葬儀場でお葬式です。

 少し、思い出の写真を。一緒にいろいろな所に行きました。いつもお連れ合いと一緒で、手を繋いで歩いていました。2020年2月プサンでゴンドラに乗って。

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2023年の兄の遺作展では、一緒に作品を取りに福岡まで行ってもらいました。その遺作展で、小坪さんのお友達と。


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2023年尾道でフランス料理。

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2024年2月防府天満宮でおみくじを釣りました。

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2024年10月、世羅のコスモス園で。

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今年のゴールデンウィークには世羅のチューリップ園で、この後尾道で食事をして帰りました。最後まで食欲は衰えませんでしたね。

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 最後の入院の時、わたしは、もう疲れた。これが私の運命と思っとるよ。でも、お父さんがかわいそうと、お連れ合いの心配をしていました。最後のメールでも、「ただただ、夫のことが心配」と言っています。息子さんも、娘さんも、しっかりした家庭を築いていらっしゃるし、お連れ合いのことは、ご家族で考えられることでしょうが・・。わたしも心配です。

小坪則子さん、ありがとうございました。ご一緒できて、本当に楽しく有意義でしたよ。今度ハワイに行こうと言ってたのが叶わなくって残念。どうぞゆっくり休んで下さいね。

合掌

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」市田真理さん

大変遅くなりました。今年の被爆80周年「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の平和講演はお二人の方にお願いします。お一人はすでにお話しましたように青木理さん、そして、もうお一人は市田真理さんです。フライヤーから。

平和講演Ⅱ市田真理さん「記憶を開く第五福竜丸」

東京都立第五福竜丸展示館・学芸員。同館の企画展示、教育普及などに尽力。第五福竜丸平和協会事務局長。札幌生まれ。1954年3月1日、アメリカが初の水爆実験(広島原爆の1000倍、15メガトン)。マーシャル諸島の島々、住民、操業中の多数の漁船、漁民に『死の灰』が降り注いだ。第五福竜丸は乗組員23人が被ばく、久保山愛吉さんらが亡くなった。「船は記憶を開き共有させ、核廃絶の想いを新たにさせる」

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以下中国新聞平和メディアセンターから一部頂きます。全文はこちらです。

https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=142345

(略)第五福竜丸展示館のある夢の島公園は1960年代後半まで、ごみ捨て場だった。廃船となった船の墓場とも呼ばれ、東京水産大(現東京海洋大)の演習船「はやぶさ丸」に改修されたかつての「第五福竜丸」も、その一隅に捨てられていた。そのまま放置されていれば木造船はやがて朽ちて解体され、沈んでいったはずだ。

 しかし「被曝(ひばく)船」と気付いた市民によって10年に及ぶ保存運動が取り組まれ、東京都が保存することになる。76年6月10日に都立第五福竜丸展示館が開館した。保存運動が東京・江東区から全国に広がるきっかけの一つは、武藤宏一という青年の「沈めてよいか第五福竜丸」という新聞投書だった。(略)

 展示館の中央には、54年に米国がマーシャル諸島で行った水爆実験で被災した第五福竜丸が展示されている。建物に入ると目の前に船底があり、真上に船が迫ってくるため、多くの来館者が「うわああ」と声を上げる。(以下略、ぜひ全文を読んで下さい)

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これだけの展示館を維持するには、市田さんには、さまざまなご苦労がおありと思います。しっかりとお話を聞きたいと思います。ぜひ多くの方がいらっして下さいますように。
 

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日本性科学会学術集会について

性教協全国養護施設サークル全国春季セミナーの写真をサークル副代表の山口修平さんが送って下さいました。自分がしゃべっている所は自分では撮れないので、残念でしたが、私もちゃんと喋っている写真です。

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ありがとうございます。そして、サークルの役員の皆さんと。

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後ろをすっ飛ばして話たのが気になっていたのですが、アンケートを読むと、それなりに皆さんが受け止めて下さっていたようで、ありがたいことでした。重ねてありがとうございました。

 今週の木曜日は、大学の授業に行きます。これは90分ですので、また時間不足にならないように気を付けて話さなければ。

 そして、10月の下関での日本性科学会の学術集会の一般演題に申し込むことにして、昨夜ほとんど徹夜で抄録を書きました。今日仕上げて送ります。この学会では、村瀬先生と私の対談をします。その上で、一般演題も申し込もうとしています。「特別養子縁組で児を手放した女性のケア」について発表するつもりです。学会長は、山口の金子法子先生です。
学会全体もなかなか面白いmenuですので、学会のホームページから転載させていただきますね。

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第44回 日本性科学会学術集会



テーマ:多様な性と生を謳歌する
会期:2025年10月4日(土) 17:30~20:30 市民公開講座および懇親会
  10月5日(日) 8:30~16:30 学術集会
会場:海峡メッセ下関 9F 海峡ホール
大会長:金子法子(医療法人いぶき会 針間産婦人科院長)

大会ホームページ:https://orbit-cs.net/jsss44/index.html ※現在、演題募集中です(~ 5 月16 日)
プログラム:
理事長講演「性同一性障害者特例法の現状と課題」
針間 克己(日本性科学会理事長・はりまメンタルクリニック院長)
大会長講演「目に見えない生き辛さを抱える当事者へ寄り添う。~診療・支援・社会活動を続けてきて~」
金子 法子(医療法人いぶき会 針間産婦人科院長)
シンポジウム「過去から未来への性教育 ~大人にこそ聞いて欲しい大切な話~」
       
村瀬 幸浩(元一橋大学講師・元津田塾大学講師・“人間と生”教育研究協議会元代表幹事)
       河野 美代子(医療法人 河野産婦人科クリニック院長)
特別講演「哲学者たちは性と人生をどう説いたか」

小川 仁志(山口大学国際総合科学部 教授)
教育講演「LGBTQ の生殖医療」

中塚 幹也(岡山大学大学院保健学研究科 教授)
指定講演「多様な性と家族が尊重される地域社会のために」

鈴木 朋絵(弁護士・レインボー山口代表)


 


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性教協全国児童養護施設サークル全国春季セミナー

 昨日6月8日は、性教協児童養護施設サークル主催の春季全国セミナーでした。全国、北海道から(私が知っている限り)熊本まで多くの養護施設から、会場一杯の方が勉強に来られていました。ぎゅーぎゅー詰めです。定員120名の所、たった5時間で定員に達してしまって、あとはキャンセル待ちだったと。毎回、年に二回のこの全国セミナーは大人気です。昔、京都で講演をしたことがありましたが、それ以来ひさし振りですが、変わらぬメンバーの方たちの熱意を感じ取りました。

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私が話している所は、写真に撮れませんので、話す前に撮りました。わたしは、あれも話したい、これも話したいで、結局時間が足らなくなって、最後はすっ飛ばしてしまいました。ごめんなさい。悪い癖です。

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初日のプログラムと二日目の分科会のブロググラムです。

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私の話が済んだ後も、理論講座の①と②を聞かせていただきました。

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様々な事情で施設で暮らすことになった子どもたちの中には、愛着の課題を持つ子や様々な分離体験(たとえば親の離婚など)を持つ
子が少なくありません。そのような子たちへの向き合い方、児童虐待への介入、背景へのアプローチなどたくさんのことを教えていただきました。理論講座の②、塩田さんの性的課題。

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私も、診察室で、またはワンストップセンターで、このような事故に出会うことは多々あります。これらを、塩田さんはきちんと整理して語ってくださいました。原因、施設内で受け継がれる性的虐待の連鎖など。また、施設は子どもたちの生活を提供する場であり、施設内環境を安全な場として整えておくことが速やかに対処すべきことであると。加害をした子、被害を受けた子を作りださない環境づくりを施設全体で共有すべきことであると。性的虐待を受けた子どもや、家庭から持ち込まれた性モラルに対するフォローアップの必要性。また、被害を受けた子が強い信頼を職員に感じることができなければ、それを語ることは難しいこと、自己肯定感を高める取り組み、などと。

理論講座③、「今改めてカラダを学ぼう」を聞くことができなくって、とても残念でした。鈴木さんが手作りの人形をもっていらっして、それにも大いに興味があったのですが。

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そして、今日、皆さんは各分科会に分かれて、学びを深めていらっしゃいます。そして、スタッフの方たち本当にお疲れ様です。性教協の中もでも、これだけ現場に強い支持をされているサークルはすごいことです。どうぞこれからも貴重な機会の提供を続けられますように。ありがとうございました。


 


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福山です。

 福山に来ています。明日の講演は朝からなので、もしも高速道路が事故でストップなどということにでもなったら大変なので、前泊することにしました。診療後車を運転して、途中小谷のSAに停まってちょっと食事をして外に出たら、赤いユニフォームの人がいっぱいでびっくり。カープ帰りの人たちですね。そうなんだ。皆さん車で高速道を通ってカープの観戦に来られるんだとちょっと感激。勝って良かったですね。

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福山について、ホテルの近くの駐車場がみんな満杯で、困りました。ぐるぐるうろうろ約一時間。やっと空いている所を見つけて駐車。やれやれでちょっと遠いのを歩いてホテルに行くと、私が駐車
した所は、一泊するととても高くなるといわれて。ホテルが特別に契約しているところに泊めて結構ですと。で、また車を出して入れ直しです。それから、知り合いのお家に行きました。あらかじめ連絡していたのですが、ちょうど土曜夜市の始まりで、にぎやかでしたよ。

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久しぶりに積る話をしました。歩いて行って歩いて帰って、足がよろよろです。それから明日の予行演習。時間ちょうどにできるように、ここは飛ばすとか、ここはしっかり話そうとか。

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皆様のお役に立てるように、頑張りましょう。


 


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映画「声よ集まれ」

6月6日金曜日6時半から、弁護士会館でこの映画を観に行きました。

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北海道の朝鮮学校を取材したドキュメント「ウリハッキョ」は見ましたが、今回のこの映画は、朝鮮学校を支援する人たち、全国にたくさんの方たちがいますが、その方たちに焦点を当てたドキュメントでした。在日朝鮮人差別に反対し、共に歩んできた数多くの人々を描くドキュメントです。

 歴史上だけでなく、いまだに日本では、朝鮮人差別が横行し、それは「朝鮮学校の高校無償化の排除」など、日本の政治や司法まで及んでいます。その中で、「なぜ支援するのか」という問いは「なぜ差別するのか」という問いの裏返しです。

 北海道長沼の平和田の人たちは、50年間も朝鮮学校にお米を寄付し続けています。滋賀の小さな朝鮮学校は、毎年8月の終わりの日曜日に「ウリハッキョマダン」というお祭りをし、千人もの人が集まります。その実行委員は20代30代の日本の若者もいます。それだけでなく、大津高校の吹奏楽部やブラジル学校の人たちや沖縄の舞踊や、障害のある人達もきます。大阪の毎週行われる火曜日行動では、長崎由美子さんのお顔とインタビューが見れてうれしかったり。

 そのような支援の輪と共に、朝鮮学校の生徒さんが涙ながらに語る差別の経験、特に小学2年の時に在特会に襲撃されて、大変怖い思いをしたことは、トラウマとなって彼女の胸に残り続けています。いまだに朝鮮高校は各種専門学校とみなされるため、入学試験を受けられない大学がほとんどです。。

 また、韓国やアメリカ、ドイツなどの朝鮮人の方たちが、日本の朝鮮学校の置かれている状況をどうとらえているかということも。

 映画の後のシンポジウムでは、この映画の監督である朴英二さん、映画にも出演されていた広島無償化弁護団の事務局長の平田かおり弁護士、日朝友好広島県民の会協同代表・広島県平和運動センターの高橋克浩さんたちのお話がありました。立っているのが朴監督です。

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今日の映画とシンポジウムは、私自身にどうするのか問いかけるものでもありました。朝鮮学校の子どもたちや先生たちに、どんな支援をするのか、具体的に。

 明日も上映会があります。ぜひ多くの方に見ていただきたい映画です。映画館で上映されれば多くの方が見る機会がありうるでしょうが、今はまだ実行委員会形式で全国を回られるようです。

 朴監督、感動の映画を作って頂いてありがとうございました。制作委員会広島の皆様、ありがとうございました。観て、本当に良かったです。

 

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日韓親善協会会員の夕べでした。

昨夜は、広島県日韓親善協会の会員の夕べでした。朝からそれまでに、クリニックに行って、レセプトを仕上げ、今度の大学の講義のパワポと配布資料を作り、すべてを済ませ、美容院まで行って気分すっきりで参加しました。

 会には、駐広島大韓民国総領館姜鍋曾総領事も出席されて。カンパーイ。

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 韓国は新しい大統領も選ばれて、これから日本とどのような関係が作られていくのか、期待したいと思います。たとえ政治をつかさどる方がどのように変わろうとも、1967年の設立以来、民間レベルでの日韓親善協会は変わらず親善の道を歩むでしょう。

 会場のANAクラウンプラザホテルでの食事と共に、李菊枝先生を中心にボランティアの人たちが作られた韓国料理が並びます。韓国からの留学生たちはオモニの料理がうれしかったと思います。

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そのうち、在日のお母さんたちの伝統舞踊が始まりました。美しい。途中、何度も拍手が起こりました。

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 参加の皆さんと写真。楽しい会でした。今度は、また冬にお会いしましょう。

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スタッフの皆様、ありがとうございました。


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「ぱっぷす」の方を迎えてワンストップの研修

昨日午後6時からは「ぱっぷす」の内田さんを迎えてワンストップセンターの研修でした。「ぱっぷす」は2017年11月に設立されたデジタル性暴力や性的搾取による被害の相談に対応している団体です。例えば・・児童ポルノ・リベンジポルノ・性的な盗撮のほか、アダルトビデオ出演被害・性産業での困りごとなど。「性的同意」の自由がなくなって自分の身体のことなのに、自分の医師による写真や動画のコントロールができなくなる状態・・デジタル性暴力。例えば亡くなってからの八代亜紀さんのヌード写真がCことともに販売されるということもそうです。

 以下のすべてが性暴力となります。
とる・・性的な写真や動画を撮ること
もつ・・その写真を持ち続けること
みせる・・誰かに見せたりネットにアップすること
みる・・撮った写真を見ること・ネットにアップされた写真を見ること

児童ポルノ撲滅に国際協力強化月間に今年初めて日本も参加しました。以下は、警察庁がオープンにしているネットから。

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ぱっぷすでは、性的画像記録の被害者からの要請で、削除の要請をしています。2021年には21876件の削除の要請をしたと。その結果です。(2021年から2022年 意に反して拡散した性的画像記録の削除要請事業報告書/NPO法人ぱっぷす)

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 その後いろいろな事例とその対処を挙げてくださいました。東京だけでなく、広島などの地方でも、いわゆるリベンジポルノ、彼氏とともに撮った写真が分かれた後に元彼によって拡散されたというような被害や、わいせつな写真を希望されて彼に送ってしまったとか、そんな被害が増えています。そんなサイテーな人も決して少なくないことを考えると、今は仲よくってもそれがずっと続くとは限らないのですが、仲良しの最中には、そんな警戒心も薄れてしまうのでしょうね。

 それから、ぱっぷすでは、アウトリーチ、夜少女たちが集まっている場所に行き、声をかけたり、居場所に連れて来てあげたりという活動もしています。全国様々なところに、広島でもそのような場所があって、少女たちが危険な目に遭っています。これらの活動を地道にされていることに頭が下がります。

 対応法など、とても勉強になりました。内田さん、ありがとうございました。この後、内田さんを囲んで食事会をしてごちそうを食べました。それは、またの機会に。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」青木理さん

今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の平和講演はお二人の方にお願いしました。お一人は青木理さん。もうお一人は市田真理さんです。本日は、青木さんのご紹介から。

 もう今更ご紹介するまでもなく、よく知られたジャーナリストでいらっしゃいます。フライヤーから。

「核の抑止力、核政策を問う」。ジャーナリスト、元共同通信記者。「核の抑止力とは・・・。ウクライナやパレスチナを巡る情勢に、「だから、核が必要、核の共有」が言われる。今核を巡る状況は、ヒロシマ・ナガサキの体験から、人類がかろうじて積み上げてきた努力を覆そうとする事態に直面している。「核に対し、核で対抗する」とは、「どちらが先に使うか」という矛盾、限りなく危うい思想と政治に核を委ねことになる。被爆地広島で行われたG'広島サミットは、その一端を見せた・・・。

写真は、ネットの沖縄タイムスから頂きました。

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沢山の著書があります。

私が必要に迫られて購入、夢中で読んだのは、これです。まさに、反骨のジャーナリスト、渾身の作でした。

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他の著書です。「日本の公安警察」「北朝鮮に潜入せよ」「国策捜査ー暴走する特捜検察と餌食にされた人たち」「絞首刑」「ルポ拉致と人々 救う会、公安警察、朝鮮総連」「トラオ徳田虎雄 不随の病院王」「誘蛾灯 鳥取県連続不審死事件」「青木理の抵抗の視線」「抵抗の拠点から 朝日新聞 「慰安婦報道」の核心」「ルポ国家権力」「日本会議の正体」「安倍三代」「情報隠蔽国家」「暗黒のスキャンダル国家」「カルト権力-公安、軍事、宗教浸食の果てに」

私がこの会で青木さんのお話を聞きたいと思ったのは、北朝鮮の核の問題の発言を聞いた時からです。青木さんは、韓国延世大学に留学し、2002年から2006年共同通信ソウル特派員を務めていらっしゃいます。わたしたちは、すべての国の核兵器に反対し、地球上から核兵器を廃絶したいと、そのためにはどうするのがよいのか、それをテーマにこの会も続けています。青木さんにこれについてのお話をぜひ聴きたいと考えています。

 なお、青木さんには、お一人の講演ではなく、「黒い雨訴訟」の著者である小山美砂さんによるインタビュー兼対談の形をとっていただきます。小山さんは、元毎日新聞記者。広島支局員を経て、今、ヒロシマ在住です。

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青木さんのインタビュアーを小山さんにして頂こうと考え、そして、O.K.して頂いた時、これは最高の組み合わせだと自画自賛しましたよ。

どうぞ皆様お楽しみにして下さいませ。そして、核廃絶について、共に考えましょう!!


 


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資料作りが終わってホッ。

 ああ、やっと仕上げました。一週間後の大きな講演のパワポと配布資料。資料をデータ便で送って、ホッと力が抜けた所です。今日は、カープに行く予定でしたが、足も痛いし、資料の送付が明日の締め切りだし、で、友達にあげました。資料で手間取ったのは、古いデータを新しいデータに変えようと、悪戦苦闘したからです。

このデータです。

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これまでも、何度かデータを新しくしたいとしたのですが、なかなかデータが出てこなくて、苦労しました。この度新しくしたのをこうしてサラリと書いていますが、データを探して、計算したり、結構苦労して作りました。データによっては、平成15年の1次からでなく、5次からしかないのもあったりして。

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しかし、望まない妊娠であった率とか、家族が妊娠に気づいていたかとか、最近はデータがとってありませんでした。虐待によって子どもがこんなにたくさん亡くなっているとか、心中による死もこんなに多いとか、改めて深刻だと思います。こんなデータを出すと、自分が生んだ子を、畜生にも悖るという人がいました。わたしは、孤立出産、あのつらい痛みを一人で耐え産んで結局その子を殺めてしまった女性の悲しさを見ます。実父はどこにいるの?結局は性教育の問題だと思います。

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資料も送ったし‥すぐに次の準備があるのですが、ちょっとお休み。足のマッサージに行こうか、それとも九州展に行こうか。一昨日は、九州展で食べましたよ。でも、ほんと、力がなくなったというか・・前は大きいのをたいらげていたのですが。ベビー白熊でも、全部食べ切れませんでした。食べてたら寒くなったし。

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そうそう、お知らせがあります。昨日、エディオンに電動歯ブラシの替えのヘッドを買いに行ったら、抽選券を一枚くれました。で、抽選をしたら、紫の玉がポトリと。何だろうな、と思ったら、お兄さんがカランカランと鐘を鳴らします。それも、ながーくいつまでも。恥ずかしいのでやめて下さい。と言ったら、「紫はエディオン賞です。サンフレッチェのペア観戦チケットです」と。へえ、カープのチケットなら大喜びするのですが。ピースウィングって行ったこともないし。それでも、ネットで見たら、ものすごくいい席です。招待券ですものね。いい席は結構高価そう。このブログを読んで下さっている方、どなたか差し上げます。クリニックまで取りに来て下さる方。どうぞお電話下さいませ。

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お知らせまで。

 

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