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野樹かずみさんのコラム「別れを告げない」

歌人の野樹かずみさんが、彼女の文章を送ってくださいました。

詩の本「みらいらん」(2025、冬)のコラムに書かれたと。私のブログに載せることを許してくださいましたので。

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元稿も送ってくださいましたので、読みやすく。


【 別れを告げない  野樹かずみ


「我々は正義派だ そうだ そうだ


生きるも一緒 死ぬのも一緒(略)」


七十年代韓国の民主化闘争のなかで歌われた歌。光州事件(一九八〇年)を描いたハン・ガンの小説『少年が来る』でも歌われる。その詩を「われらは正義派だ、いいのよ、いいの」と私は覚えていた。高校生のときに読んだT・K生『韓国からの通信』(続、第三、第四とつづく)には、そう書かれていたから。T・K生の本で、はじめて韓国の詩に出会い、金芝河や尹東柱の名も知ったのだった。
 高校三年、私はソウルの大学生と文通していた。二週間ごとに届いていた手紙が、光州事件のあと、届かなくて心配した。数か月後に来た手紙には「光州の事件は北朝鮮の陰謀です。ぼくたちは政治の話はやめましょう」とあり、韓国は軍政下にあるのだと、意識させられた。


ハン・ガンの『別れを告げない』は、一九四八年の済州島四・三事件に向き合う。国家が国民に対して行なった虐殺は、軍政下で隠ぺいされ続けた。生き延びた母親の、死者への思い、真実を求めた情熱を、娘たちが知ってゆく、痛みを繋ぐ物語。痛みは悼みに通じる。痛まなければ生命を失う。読み終えたとき、原民喜が被爆後に書いた小説のフレーズが耳に蘇った。「嘆きよ、嘆きよ、ぼくをつらぬけ……」(『鎮魂歌』)


 詩人の金時鐘さんが済州島四・三事件を逃れて渡日したことも思い出された。十数年前、朗読会で話してくださった。


 夏に読んだばかりの作家が、秋にノーベル文学賞受賞で、嬉しく驚いていたら、翌日、平和賞を日本被団協が受賞した。私も広島にいて、被爆体験を聞かせてもらった人たち(多くは故人)の姿が浮かぶから、こみあげるものがあった。文学賞も平和賞も、「別れを告げない」人たちに与えられたのだな、と思った。


夏嵐荒れすさぶ街に濡れて立ち「助けて」と叫ぶ死者の声聴く


切明千枝子『ひろしまを想う』


金時鐘さんの朗読会で、切明千枝子さんとお話したとき、切明さんも金時鐘さんも、私の死んだ母も、同じ昭和四年生まれと気づいて慕わしかった。


切明さんは被団協の「被爆を語り継ぐ会」で証言の活動をされている。あの日広島で、八千数百人の十代の生徒たちが、市内の建物疎開や工場作業に従事して被爆、六千人以上が命を奪われた。十五歳の女学生、切明さんも被爆し、やっと学校に帰り着き、救護活動をし、亡くなった同級生や下級生を校庭で焼いた。


この夏、被爆七十九年の八月に、切明千枝子歌集『ひろしまを想う』(編者・佐藤優、解説・福島泰樹)が出版された。切明さんは佐藤さんに「悲しい記憶は、私の武器ともいえる短歌にぶつけてきたの」と語った。短歌。記憶を耐えるための、別れを告げないための──


この手もて友の亡骸焼きし日よその桜色した骨を拾へり


『ひろしまを想う』


虚空に、永遠に在りつづけると思う。あの日の少年少女の桜色の骨たち。】


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昨年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」にできたばかりの切明さんの歌集をもって、佐藤優さんがお話に来て下さいました。どのページを開いても、胸が痛くなる歌集です。

 野樹かずみさん、ありがとうございました。

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