広島二中1年生の全滅の記録「いしぶみ」の合唱を聴きに行きました。
昨日の午後、広島県立広島観音高等学校音楽部OB合唱団の第21回記念コンサート「レクイエム碑」を聴きに行きました。
時間に間にあうように行ったのですが、なかなか座れる席がなくって前から二番目に座ると、ピアノに隠れて皆さんの顔が見えないので、休憩時間に後に移りました。第一部は、二中と観音高校の校歌、オランダ民謡「サリマライズ」、アンパンマンのやなせたかしさん作詞の「さびしいカシの木」、坂本九さんの遺作「心の瞳」、嵐の「カイト」、そして原発事故でバラバラになった福島県南相馬市立小高中学校の生徒さんたちの手記から作詞された「群青」が演奏されました。そして、うれしいことに、群青の前に会場の人と一緒に「故郷」を歌いましょうと、その指揮を、一昨年で「レクイエム碑」の指揮を山本康之さんにバトンタッチされた、それまでずっと指揮をなさっていた益田遥先生がなさったのです。万来の拍手でした。
益田遥先生は、私の高校時代の恩師です。もう90才になられるはず。この後の「群青」も指揮されました。本当にうれしくて来たかいがあったと思いました。
そして第二部。観音高校の前身の広島二中の一年生の全滅の記録の混声合唱「レクイエム碑」です。
合掌が始まる前に、演劇部の後輩、里博康さんの朗読がありました。当時の広島二中の生徒たちの事、素晴らしい朗読でした。
合掌は、何回聴いても駄目ですね。すぐから涙涙で。マスクの中がぐちょぐちょになりました。一部だけ歌詞を転載します。
1序章 広島の川のほとり/少年の名を刻む/いしぶみの建つ/明日を思い/勉強にいそしみ/校庭をかけ回りし子ら/戦いありて/夢も果たせず/原子の業火に焼かる/石の肌つめたく/深く刻まれし/子らの名三百余/いまも変わらぬ/清い流れみつめ/子らは叫ぶ/広島の悲しみ/はてしなき怒り/警鐘を聞けと
2点呼3爆発 千の太陽を/一瞬にあつめて/それは現れ/光と化してふいた/巨大な火の球が/空と大地をおおい/風と火が走って/広島を焼いた/音の消えた/しじまの中を/火だけがたけり狂い/風だけが走り荒れる/生けるもの/すべてを焼き/業火は地中すら/深くえぐる/子らは焼け/もえる砂をかきわけ/たぎる川に/追いたてられる
4川の中で 光にめしいた/友達が手を組んで/子らの丸き輪が/地獄の川に浮ぶ/浅瀬にとりつき/石垣をよじのぼる/生徒に手をさしのべる/傷ついた先生/きみは傷が軽い/元気を出して/がんばって/家に帰るんだ/わたしはもう/歩けない/だがきみは元気だ/さあ握手して/焼かれた広島の業火が炎が/川面に吹き付け/流れはわきたつ/傷重く力尽き/疲れた子がひとり/友の手をはなれて/叫びながら流れる/狂気の荒れる/地獄の川で/子らはけなげに/せいいっぱい歌う/日本ばんざい/お母ちゃんばんざい/もう一度あいたいよ/お母ちゃんあいたいよ
5時間割6まさちゃんお母さんよ
7船のなかで
8全滅 渋江君は/がん木の石段で/二日目の朝/涙の顔で/朝日を拝んで死んだ/手をとりあって/励ましあって/逃げた羽白君は/南くんと道ばたで/並んで息絶えた/お寺の救護所で/坪木くんはいじらしく/夢で親にあうから/いいよと/静かに息をひきとった/ほかの1年生たちは/家路の途中でたどりついた家で/つぎつぎに死んだ/日がのぼり 落ち/五日目の朝/最後の一人が/桜美くんが死んだ/8月6日が彼の誕生日/13才と5日を/せいいっぱい生きて/桜美くんは死んだ/父の歌う/好きな軍歌を/ききながら/父を見上げて死んだ/三百二十二の/1年生はみんな/原爆の中に死んだ/悲しみと/怒りに母は/身をふるわせて/はげしくうたう/烈し日の/真上にありて八月は/腹の底より/泣き叫びたき
9終章泣きながら合唱を聴きながら、そして、思いました。よくもよくもこんなひどいことをしてくれたものだと。中学一年生、まだ12才か13才の子どもたち。すべての子を焼き尽くして。それが戦争というものかと。
「4川の中で」に出てくる傷ついた教師、山本先生の遺児が存命だと分かって、2017年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」に来て頂いてお話しいただきました。小野瑛子さん。(当時は英子さんと使い分けをされていました)それについては、ここから二日間にわたって書いています。
http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/86-2237.html
この時、小野瑛子さんは肺がんの治療中でした。お父様が亡くなる前の幸せな生活からはじまり、瑛子さんとお母さまはつぶれた家の下敷きになり、何とか這い出して助かったこと。お父様とお姉さまが亡くなった後のお母様との厳しい二人暮らしについて、つぶさに語って頂きました。その後、小野瑛子さんも亡くなりました。
こんなものすごくひどい目に遭い、そして、何とか生き延びた方たちが「もう三度核兵器は使ってはならない」と本当に命を懸けて訴え続けてこられた、被団協の方々の闘いにも思いを馳せます。昨日のブログの続きは必ず書きます。
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