ボリショイサーカスの司会をしたこと(1)
先日、私と同年配の患者様が、診療を終えた時のことです。
「先生、先生は昔ボリショイサーカスの司会をされましたか?」
と言われたのです。私は、びっくりして。「はい。司会、しました。」と答えましたが。そんな昔の事を知っている人がいるのかとびっくりしたのです。それは、私が大学3年の時ですから、今から56年も前の事です。当時、私は観音高校の演劇部の先輩たちと一緒に中国放送、RCCのドラマグループに入っていました。まだ芸能事務所なんてない時代、そこにはいろいろなテレビ局などから、出演の話が来ていました。私たちにとってはアルバイト感覚でそれらをこなしていました。
その中の一つ、当時日本中で大人気の国立ボリショイサーカスを広島ではRCCが請け負っていました。その司会をするようにとのことでした。それもぶっ続けで。でも、私には授業があるので、全部はとても無理。もう一人の方と二人ですることになりました。が、その内、なんだか事情があってか、途中からは私一人ですることになりました。
その患者さんは、その時私とは別の大学の学生で、何人かと一緒にサーカスのアルバイトをしていたのだそうです。切符のもぎりとか、会場の整備とか・・。その時に司会をしていたのが私だと、よくもまあご存じで・・。その方の思いがけない問かけで、私には昔の事が鮮やかによみがえってきました・・。
開場は県立体育館。それは、華やかで大そうなサーカスでした。馬が舞台を駆け回って、その上で人が逆立ちしたり、何人もが上に立ったり。
熊が玉乗りしたり、自転車やバイクに乗ったり。私は、司会をしながら、それらの演目を舞台の端で座って観ていました。ある時、バイクの熊が軌道を外れて、私の方に向かって来て、危険を感じて飛びのいた所、私が座っていた椅子に熊が突っ込んで来て、椅子がぺちゃんこになって冷や汗だったことも。生バンドの方たちが驚いている私を観て、良かったよかったと笑っていたこと。その笑顔まで浮かんできました。
ある時、どうしてもさぼれない授業があって、RCCの人に相談したところ、これを持っていくようにと招待券二枚を下さって、それを教授のところに持って行って、頭を下げて欠席を許してもらったこともありました。
それから、当時付き合っていた彼は束縛の厳しい人で、何をしようにも反対する人でした。このバイトをするのも猛反対で、それは苦しかったです。今のようにDVの知識があったなら、きちんと反論できた物を。(殴られたことも、それは怒らせたお前が悪いという彼の言葉を真に受けたりしていました。)
そんなことをいろいろと思い出しました。でも、なんと言っても、記憶が強烈なのは、ボリショイサーカスの一番の人気もの、「キオの魔法使い」を舞台の横からなん度も観たこと。はじめは私も観客の皆さんと同じで、うわーっ、すごいなあと驚いていたのですが、何度も観ることによって、魔術の多くのからくりが分かったこと。
このキオの魔法使いについて、明日また楽しいお話をしますね。
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