性教育は教師がするものと思います。②
統一教会を中心に、学者も含めた右派の集合による性教育バッシングは、でっち上げがほとんどで、それは激しいものでした。票と金のある彼等は、政治を動かしました。当然、行政をも。文科省は、指導要領を改訂し、よって、教科書をも。中学校でさえ、教科書から「性交」という言葉が消え、避妊どころか、性交をも教えないことと。それが延々と続き、長い間、つらい思いをしました。性交という言葉が使えないで、性教育をどうすればいいのか?
そして、安倍首相が亡くなって、その狙撃犯は統一教会の被害者である青年とわかった時。統一教会や統一教会と癒着した政治家たちの問題が一気に吹き出しました。ああ、これでせ性教育にも風穴があくかもしれないと私は正直期待しました。
そんな最中に、性教協の全国夏季セミナー、中国大会が、広島で開かれました。私は、現地実行委員長を務めました。まだコロナ禍にある時です。感染対策などいろいろと気をつかわなければなりませんでした。全国からの参加者をお迎えし、かつハイブリッドで、ウェブによる参加者への送信など、技術的なことも含めてなかなか大変でした。
その時に、文科省の「生命の安全教育」について性教協の幹事の方が講演をされました。文科省によると性暴力の被害者にも加害者にもならない教育をということのようですが、それはあくまでも性教育のごく一部でしかありません。まだまだ文科省は、性教育に関しては後ろ向きです。幹事の方の講演では、どうせするならいいものをとの、いいお話しでした。その後の質疑応答で、私は、いまだに存在する「歯止め規定」。歯止め規定があるままに、すなわち「性交」も使えない状況で安全教育をするのは無理がある。これだけ統一教会の問題が一気に噴き出した今、「歯止め規定」を中止するようにという行動ははしないのでしょうかと、問うたのです。
そしたら、その方は「興味ないですね。」と言われました。私は、びっくりして。「興味ないのですか。本当ですか?」と問い返しました。「はい、興味ありません。それに、外部講師は性交って言えているでしょう。助産師さんに聞きましたよ。」と。それはそうなのです。外部講師は私だって言えるのです。そもそも、性交という言葉を使わないようにという所には、行きませんから。でも、それは、全体から見ると、ごく一部。そのような外部講師の講演を聴くことができるのは、ごく一部の恵まれた子どもたちです。管理職が教育委員会の方を向いていない。または足立区の教育委員会のように地方の教育委員会が文科省を向いていない。管理職や教育委員会が子どもの実態から、その様な外部講師を呼んで話をしてもらうことに理解を示す場合。
でも、包括的性教育は「すべての子どもに」のはず。すべての子どもに豊かな性教育をするからには、指導要領にのっとらなければ。あのバッシング以前の様に。教師たちが外部講師をも交えながら、目の前にいる子どもたちに取り組んでいくというのが原則ではないでしょうか。
そもそも、外部講師が言ってもいいのに、なぜ教師が言ってはいけないのでしょうか。先生たちが言えないから、私たちが言いましょう、というのは、本末転倒であるし、私たちの思い上がりだと思います。
性教協のメンバーでも、とてもやりにくい中で、懸命に子どもたちと向き合い、実践している先生方はあちらこちらにいらっしゃいます。その人たちの事をそっちに置いて、外部の人は言えるではないかというのは、本部の幹事として不適切だと思います。
私が呼ばれた学校で話す時、「私は、ここまで話しましたよ、後は先生方に託しますね」という思いを持っていきます。たまたま私が話をしたその学年、生徒はラッキー、後の人は残念とならないためにも、先生方こそが主役ですよねと。
もう少し、その地域のすべての子どもたちが足並みをそろえて性を学ぶために、先生方が力を合わせて実践している事例、教師になるために大学で学んでいる学生たちが、性教育をも学んでいる事例などをお話ししたいと思います。
奈良で買って来たスタッフの皆さんなどへのお土産です。吉野の葛が好きなので。

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