私の子ども時代のこと(2)
私の小学校1・2年生の続きです。私は、担任の嫌われっこでした。数々のいじめとしか思えないような罰を与えられました。それを知った母からまた叱られて、私はいつも泣いていました。
なぜ私が嫌われっこだったのか。わからないけれど、そうかもしれないというエピソードはあります。
ある日、こくごの時間に「田」という漢字の書き順を問うテストがありました。「|」「」「+」「ー」このよっつの順番を問うものです。わたしは、「|」「」「+」「ー」の順番にしました。そしたら、×がついていました。おかしいなと思った私は、先生に問いに行ったのです。そしたら、先生は、「+」の先に「ー」だと言われたのですね。すなわち、先に国構え「口」を書いて、その後で中に+を書くのだと。そう教えられても、おかしいおかしいと思った私は、家に帰って、父にこれ、とテストを見せたのです。そしたら、父もおかしい、これは先生が間違いだと。で、お父さんが手紙を書こうと書いてくれました。「田と言う字の書き順を教えて下さい」と。次の日、先生にそれをもっていきました。
そしたら、先生の顔がガラリと変わったのですね。なんか、罵倒されて、そして、そこに書いてみなさいと言われたので、黒板に書きました。そしたら、そうよ、それでいいのよ、何がいけないの?と。私は、「先生は、これ「ー」を先に書くようにおっしゃいました。」もう、泣きながら答えました。そしたら、そんなことないでしょ。そんなこと言わないわよ。テスト、持ってらっしゃいっととてもとても怖い声言われたので、机に置いていたテストを持っていきました。そしたら先生は、「あら、ほんと」と言って、後はなんにも言わず、赤のペンを出して、×のところに〇を書いて、そして100と書かれたのですね。とても乱暴に。そして、そのテストを床に投げてよこしたのです。それを拾って席に帰りましたが、私はそれからずっと泣いていました。私は100点にしてほしかったから言ったのではないのに。正しい事を教えて欲しかっただけなのに。それなのに、どうしてこんなに怒られないといけないのかと。ほんとうに情けなかったですね。私は先生にとって生意気な子だったのかもしれません。
その日家に帰って、父に「どうだったか、先生は違ってたと言われたか?」と聞かれたので、私は、うん、私ので良かったと、と答えましたが、先生がものすごくきげんが悪かったとは言えませんでした。私は、まあ、先生が間違ってたわ、ごめんなさいね。ぐらい言われるとばかり思っていたのです。とんでもないことでした。
ある日、これもまた何故だかわからないけど、教室の後ろに立っていなさいと言われたことがあります。本当に何もしていなかったのです。ただただお勉強をしていただけです。そう言った先生は、私を見て、「ニヤッ」と笑ったのですね。「ああ、先生は、私を立たせるのがうれしいんだ」と思いました。そして立っていた私は大変な事を思い出しました。その日、母が何気なく、今日、学校に行ってみようかねと言っていたのです。あっ、もしかしたら母がくるかも。私が立たされている時に母がきたらどうしようと。気が気ではありませんでした。そして、やっと先生が座ってよろしいと言われて、ホッとして座ったとたんに母が妹を連れて現れたのです。セーフ!でした。もしかすると、先生から母が来る姿がみえたのかもしれません。それも、その、すぐ自分の親に言う友だちから母にばれたのですが。
まだまだ同じようなことは沢山あります。先生は、保護者の前では、本当にこれがそういうのだと言えるほど、ネコナデ声で優しい先生でした。でも、保護者がいない時は、機嫌が悪くてもう大変。その落差が激しくて。はっきり言えるのは、いい先生かどうかと言うのは、いくら子どもでも分かります。いえ、子どもだからこそ、その感覚で分かります。そして、小さい時でも、先生に傷つけられたことは、ずっと残り続けるということ。もう70年経った今でも私の中では鮮明に残っています。その先生の顔つきまで。私が幼くして死にたかった原因はその先生にあるとはっきり言えます。
以上、面白くもない話ですみませんでした。気晴らしに。宍道湖の夕陽です。
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コメント
小学校5.6年生の時、私は河野先生とは逆に担任教師のお気に入りでした。今思えば男性教師はロリコンで、抱きしめられたりキスをされたり。私は1学年250人の中で運動も勉強もトップ、かわいい服を着せられていたので、クラス女子全員の妬みを買い、イジメられました。
登校拒否という言葉さえない1950年代。死にたいと思いましたが、親の苦労を思えばそれも出来ず、誰にも言えずに苦しみました。結局カトリック教会に通って別の価値体系を知ることで、自分を救いました。
子供は自分の苦しみをうまく伝える術を持っていません。学校の教室という密室で圧倒的権力を持つ教師、団結して弱いものイジメをする子供。
今もある構図からいかにして脱出克服するか。河野先生のブログを読んではるか65年前のことが今も私の生き方を規定していることに氣づずかされます。
いつもこのブロブを読んでたくさんのことを教えられ、元気をもらっています。頑張ってくださいね!
投稿: ひろちゃn | 2024年7月26日 (金) 07時57分
河野様
初めまして
「私の子ども時代のこと」を読ませて頂きました。
私も同じ国民学校2年生の時、担任の女子の先生から無視された経験があります。思い当たることは、先生の何かに私が違和感を覚えた事を父に伝えたところ、父が先生に正しに来てくれたのでした。
それからずっと疎外されました。
その頃のこと、私がクジで当てたゴムボールを投げて渡されました。
そして3年生には優しい女子の先生に受け持ってもらい解放されました。
苦い経験は今なお残っております。
私は昭和8年生まれ91歳です。
投稿: すみえ | 2024年7月27日 (土) 14時26分