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私の子ども時代のこと(1)。

 この頃、子どもの自殺の報せに接することが度々あります。ただ、ほとんどは報道はされません。遺族が子どもの自殺はいじめによるものだとの訴えを起こし、遺族から報道に報せた場合のみ報道されています。広島でも、あちらの学校、こちらの学校で子どもの自殺があったと教えられることはよくあるのですが、まったく報道はされません。生徒に対してもちゃんとその件についての説明がされず、ただひたすら隠蔽し、生徒たちの動揺は見て見ぬふりの様です。でも、友だちの死を知った生徒たちはそれぞれひどく動揺していますし、何より、どうして?という思いを自分一人の胸の中で反芻しています。そして、教師に対しての不信感を持ちます。

 でも、事が公になった学校で、その後「繰り返さないために」先生方が必死でその最も不幸なことで子どもを失ったことに真正面から向き合っている姿にも接しています。それは、友だちを自殺で失った生徒たちにも伝わっていると思います。逃げたらだめ、隠蔽しようとすればする程、今そこにいる子どもたちを傷つけることになる、と、思います。

 そんなことを言うのは、この頃なぜか私自身の事を思い出すからです。私は、なぜ死ななかったのだろうかと。いつもいつも死ぬことばっかり考えていたのに、死ななかった。何が抑止力になっていたのだろうかと。

 私が、もっとも死にたいと考えていたのは、小学校の1・2年生の時でした。学校が辛くてつらくてたまらなかったのです。その頃、担任の教師に私はいじめられていました。もっとも、大人になって、あれはいじめだったのだと気づいたのですが、当時は分かるはずもなく。ただ、先生に嫌われている事は分かっていました。えこひいきの激しい先生でした。露骨でしたから、どんな子どもが可愛がられているか、よく分かっていました。私は、嫌われっこでした。よく教室の後ろに立たされたり、廊下に立たされたり、運動場を走って来なさいと言われたり。それが、自分で、どうしてなのかわからないのです。自分で悪い事をしたとの自覚があれば、それを直すこともできたのだけれど、さっぱり分からないままの罰ですから、直しようがない。ただ、ひたすら怒られないようにとびくびくするしかありませんでした。

 立たされたり、運動場を走って来る(その学校の運動場は、とても広くて、結構な距離がありました。)のは、体的にはどうってことはないのですが、心が辛いのです。

 私の近所に、同級生がいました。彼女とその母親は、なぜか私に敵愾心をもっていたように思います。私が、先生に立たされると、必ず彼女が母親に告げます。そして、その母親が私の母に言うのです。「〇〇さん(私の旧姓)が先生に立たされたんだってね」と。そしたら、母が私を問い詰めます。「なんで先生に怒られたのか」と。そして、もっと。「お母ちゃんに恥をかかせた」と。なんで怒られたのかと言われても、自分でわからないのだから、分からんとしか言いようがありません。そして、ちゃんと答えない私に母がさらに怒ります。私はただ、泣くしかなくって。

 そんな繰り返しでした。だから、先生になぜかわからないままに罰を与えられて、その後が嫌だったのです。母に怒られる、と。だから、死にたいと思っていました。

 もし、学校と家との距離が離れていたら、なんらかの方法で死ぬことができたかもしれません。何しろ幼いものだから、死ぬ方法が分からなかったこともあります。高い建物はないし、崖もないし。薬を飲むといっても手に入らないし。毎日毎日死ぬ方法を考えていました。一度、回り道をして、川の側に行ったことがあります。川に飛び込んだら死ねるのではないかと。その時、姉が家に帰る方向と違う方に歩く私の姿を見つけたらしく、追いかけてきました。姉は、川の側に立ってじっと川面を見ている私の側に、黙って立っていました。なんにも言わず。結局私はとぼとぼと家に帰りました。

 今考えても、あの頃はつらかったなあと思います。でも、そのつらい事、死にたいということを決して誰にも言いませんでした。今でもその頃の事を思い出すと、子どもの私がかわいそうで、涙が出てくるほどです。

 そんな生活も、三年生になると変わりました。担任は、すべての子どもをかわいがってくれる男の先生になりました。わけが分からないことで叱られることはなくなりました。先生は、作文教育が優れた方だったようです。書くことの楽しさを知りました。書くことで、いろいろと救われたように思います。ただ、私が書いたものを母に読まれるのが嫌で、隠したりしていましたが。

 私が、なぜ1・2年の担任に嫌われていたか、そのきっかけの、思い当たることはあります。また、立たされている時に母に見つかりそうになって冷えたことなど、もう少し続きを書きますね。

今の青野さんのお花。ピンクのユリが後ろにも隠れています。待合室がいい香りに包まれています。

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