8.6ヒロシマ平和の夕べのチラシを発送しました。
昨日の広仁会の総会で、来年度の事業計画で、広島大学の医学部の80周年記念の行事についてのお話がありました。広島大学全体としては、明治7年の白島学校、これは広島師範学校の前身で、明治20年に広島高等女学校、明治35年に広島高等師範学校の創設、大正9年に広島高等工業学校、昭和4年に広島文理大学の創設などなどいろいろな学校を前身としています。
そんなことはぼんやりと知っていたのですが。改めてびっくりしたのは、医学部の前身、広島県立医学専門学校(後に広島県立医科大学へ昇格)の開校が、昭和20(1945)年の8月5日だと。
8月6日の原爆投下により、広島大学の前身校全体では教職員、学生、生徒・児童(付属校の)のうち少なくとも682名が昭和20年12月末までに死去しています。
ところが、前日の8月5日に開校した医学専門学校は開校からそのまま今の安芸高田市のお寺、高林坊に丸ごと疎開をしたのだそうです。だから、翌日の原爆から逃れて、その年の末までお寺で(でも、空腹をしのいで)勉強をしたのだと。本当に一日の差で、皆さんは助かったのだと。で、来年は80周年なので、高林坊にお礼の記念碑を建てるということでした。これまで数々の原爆の被害をお聞きする中で、偶然による命の生死を沢山実感しています。が、私の学校の先輩たちがこういう運命にあったということは初めて知りました。中でも、まだご存命の一期生の方が数名いらっしゃるそうで、ぜひ来年の記念碑の建立の際にはご招待したいと会長の小林先生がおっしゃっていました。安芸高田市の高林坊です。歴史のあるものすごく立派なお寺です。
今日の日曜日は、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のチラシの発送をしました。スタッフ5名で、織りたたんだチラシと振込用紙を封筒に入れ、宛名を貼り、封をして切手を貼って出来上がりを、流れ作業で実施。二時間弱で終了です。そのまま郵便局にも持って行ったので、明日か明後日には多くの全国の方に届くでしょう。
私は、その後はまたクリニックにこもってスライドを作っています。一つ作って送りました。今週の教師になる予定の大学の学生さんへの講演の資料です。後二つ。今日中になんとかしたいのですが・・。せめて一つは・・。子ども家庭庁からの指示で、来週特別養子縁組のあっせん事業所の方たちへ。子どもを手放した実母の立ち直りの支援について。すスライド提出の締め切りは12日。もう一つは、二週間後の東京での講演の資料です。頑張りましょう。
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