観音高校演劇部OB会・続き
昨日の観音高校演劇部OB会の続きです。
出席者の中に、先日迄母校の観音高校の教師をしていらっした方がいらっしゃいました。しかも、はじめに観音の教師をしていた時に、土橋先生と一年だけ一緒だったと。その何年か後安芸府中高校に移ったら、土橋先生が校長だったと。そして、土橋先生に演劇部を作れ作れと言われて、作ったと。その後また観音高校に移って演劇部の顧問をと思ったけれど、もう舟入高校出身の立派な顧問の先生がいらっしたと。観音高校演劇部は、今、中国大会にも行くようなかなり頑張っているとの事でした。また、観音高校創立100周年の記念のイベント対応をなさったと。それも、コロナの真っ盛りで大変だったそうです。
気になっていた、ポプラの事を聞きました。以前から、そして私たちが在籍していた時も観音高校のシンボルであったポプラが切られたと聞いていました。まさか、と思っていたのですが、それは事実で、テニスコートの所の6本だけ残して全部切ったのだと。その残った6本の内5本は枯れたり倒れたりして、一本だけ残ったと。そして同窓会が5本植えて、今、大分成長しているということでした。先生は、定年後再任用が5年会って、それも終わったのだと。後は、非常勤とか時間講師等の口があれば、だけれど、観音高校以外には行きたくないので、とおっしゃってました。演劇部OBの中から、このような母校の教師が出ている事、うれしかったです。
板倉さんのスライドの中にあった写真の接写からいくつか。たぶん、私たちの卒業式だと思います。私たちが一番前に座っています。こんな写真、私は持っていません。
いつのOB会でしょうか。土橋先生もお元気なので。私が胸にバッチを付けています。アクセサリーのブローチではなく、明らかにバッチなのですが多分、レッドリボン、エイズボランティアのだと思います。だから、1990年の少し後でしょう。
また、板倉さんですが、先日、東京で小山祐士作「神部ハナという女の一生」の上演をされたばかりです。その時に、永田浩三さんの「小山祐士について」の講演があるので、聞きに行きたかったのですが、かなわず。それで、永田さんのお話しの中に「泰山木の木の下で」も話されましたか?と板倉さんに尋ねました。そしたら板倉さんが、私が話しましたと。「木下刑事が、あの中では奇形児を産んだ、それもサル顔とまで書いている、それはひろしまの人たちが怒っていると。被爆二世たちがさまざまな差別の中で苦しみながらも、自分たちは産もうという結論を出して行った、その人たちが怒っている」と。永田さんも、妊娠・中絶というのは、男性の責任もあるのに、女性たちばかりに背負わせて来たという話をされたと。それを聞いて、すっきりしました。私は、もしかして、永田さんが神戸ハナという女の一生を進化させた形の「泰山木の木の下で」をほめるようなことを言われたらどうしようと思っていたのです。私は、このことについて、ここから二日間にわたって書いています。
http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2022/12/post-593363.html
楽しい皆さんとの語り合いもアッという間に時間が来てしまいました。その後、有志の皆さんで脇田さんのお墓参りに行かれました。私は、その後急いで府中町に行かなければならなかったので、残念ながら行くことはできませんでした。板倉さんをはじめとして、お世話になった皆様ありがとうございました。いつかまた、皆さんにお会いできますように。
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