映画「ヒロシマ・モナムール 24時間の情事」
やっと広島の家に帰りつきました。必死で早く帰りたくて。2時間半走って美東で休んでコーヒーを飲んだら、すっごく効いて、頭もスキッと体も楽になって。恐るべきコーヒーパワーで、その一回休んだけでした。パソコンができなくなっていないか心配で。家に帰って、家のWi-Fiでちゃんとつながりました。ああ、よかったです。映画ヒロシマ・モナムールについて、早く書きたかったのです。これで書けます。
1959年作、アラン・レネ監督の日仏合作映画です。10月3日から3回に渡って私のブログに書いた、私も出演した映画「ヒロシマ1966」を調べていて、監督の白井更生さんが、この「ヒロシマ・モナムール・日本の初期の題名は24時間の情事」のチーフ助監督であったと知りました。何しろ、出演した当時は私はまだ18歳の本当に子どもでした。被爆者運動や学生運動に関わっていったのは、それからあとの事ですから。で、24時間の情事について調べていたら、映画「ひろしま」のいろいろな場面が使われていることも知りました。
その時に「ヒロシマ・モナムール」のDVDを買って、観るつもりだったのですが、ずるずると今になってしまいました。ちよっと億劫だったのもあります。こういう原爆の映画を観る時には、やはり覚悟がいります。
そして、この度東京の講演から帰る時に新幹線の中でこれを観ました。観始めて、すぐに「あれっ」で、周りを見渡しました。映画はいきなり濃厚なラブシーンから始まったのです。もしも周りに人がいたら、あのおばさん、何をみてるんだと思われるかもと。幸い、隣には人はいませんでしたし、通路を挟んだ向こうに座っている人からはパソコンの画面は見えないでしょうから。で、安心して観続けました。フランスから来た女優と広島の男性とのラブシーン。すべてフランス語の会話だけで成り立っている、字幕の映画です。まあね、日本の題名は「24時間の情事」なのですから、さもありなんなのですが。あの、「ドライブ・マイ・カー」の時もそうでした。広島や瀬戸内海の美しい景色がふんだんに出てくる映画と思ったらいきなりのラブ・シーンで、これは、気合を入れてみなければと思ったものです。それと似たような感覚でした。
しかし、これは単なる情事でなく、二人がそれぞれ深い戦争の傷を背負っていることが分かってきます。彼女は、フランスで敵兵であるドイツの兵と愛し合います。しかしそれは許されないことで、地下室に閉じ込められたり頭を丸刈りにされたり。それでも、二人で駆け落ちをしようとしたところで、彼は何者かによって撃ち殺されます。彼を失った彼女の苦しみ、それは壮絶でした。再び閉じ込められた地下室で壁をがりがりと搔きむしり、指先から噴き出す血を嘗め回したり。これは、彼の血だと。そんな苦しむ彼女を母親がパリに逃がします。その時に広島の報道がされます。彼女はそこで徐々に立ち直って行きます。
彼女と愛し合う日本の男性と、その殺されたドイツ兵とが彼女の中で重なります。そして、彼女は彼の記憶が消えて行くことを恐れます。
一方、彼の原爆の記憶も壮絶です。その原爆のシーンが、映画「ひろしま」からの映像です。
あ、吉川清さん。背中のケロイド。そうか、吉川さんはこの映画に出演されていて、白井更生さんとここでもうつながっていたのですね。
壮絶な被爆の実相だけでなく、立ち上がるこんな市民の姿も。
当時、日本での上映の実績は全く芳しくなかったそうです。そうでしょうね。まだ被爆からそれほど時間が経っていない時に、「情事」というタイトル、ちょっと見に行けなかったでしょう。
でも、これは世界中の人に観てもらいたい映画です。今からでもおそくはありません。いえ、こんな今だからこそ。
そして、私は、今、白井更生さんに会いたいと、もう亡くなっていてかなわないことなのに、熱望してしまいます。
『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。
| 固定リンク
コメント
2016年に「ヒロシマ・モナムール -トポスとしてのヒロシマ」というシンポジウムがありました。広島大学の平手友彦教授(総合科学部)がこの映画を研究されていて、私はポスターデザインで参加させていただきました。その時この映画を見たのですが、衝撃を受けました。忘れられない映画です。
投稿: nancy | 2023年12月 4日 (月) 18時23分