メモリアルキルト展、京都にて。
昨日、今日の京都・滋賀の二日間から帰りました。昨日、京都でメモリアル・キルト展、後で懐かしい方たちと食事。今日は朝早く起きて、午前中に草津に移動し養護教諭の皆さんに講演、スタッフの皆さんとお昼のお弁当を頂いて、午後2時から「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のスタッフ会議をズームで。移動する時間はないので、講演の会場の会議室を一部屋借りて頂いてそこで一人、パソコンに向き合あって会議をしました。
メモリアル・キルト展、1990年に斎藤さんに出会って、そこからのご縁です。当時のNHKのディレクター、池田恵理子さんとお会いすることにしていて・・。池田さんが当時のHIVの根岸先生や高田先生や、宇野信子さんとか、そうそうたる方たちととご一緒されていて、結局そこに私も呼ばれて行った・・のですね。当時、私は高田先生に謝罪しなければならないことがあって、緊張して、覚悟を決めて行ったのです。そこにいたのが、斎藤さん。僕はこういうものですと。アメリカでメモリアルキルト展を見て、感動して、それを日本にも持ってきたいと。ついては、広島にも、と。その受け入れと同時にボランティアグルーブを作ろうと、中国新聞の山内さんたちと「広島エイズダイアル」を作ったのです。全国を回ったメモリアルキルト。アフリカやアメリカから。素敵な若い女性や、赤ちゃんやゲイのおしゃれな男性たち。皆さんエイズで亡くなった方たちでした。日本で初めてのご夫婦のホワイトキルト。東京から根岸先生が見ていらっしたお二人をしのんで看護師さんたちが作られたものでした。
また、書家で感染していることを公表していた赤瀬さんが妻といつしょに来られて、ご自分の血を抜いて、赤の墨汁と混ぜ「愛」という字を書かれました。みんな、危ないから触るな、と言って。愛の字にドライヤーをかけてウィルスをやっつけて・・。これは、その時のではなく、お家で書かれものだそうです。
広島で、キルト展を大盛況でやった後、みんなでキルトの一部をもって平和公園を歩き、原爆資料館の下でキルトを囲んでお話し合いをしました。その時、感染している一人が「なんだか人を信じられそうな気がする」と言って、みんな涙ぐんだものです。
そんな思い出が一気に押し寄せてきました。
京都駅まで華頂女子高等学校の寺尾由美先生が迎えに来て下さって助かりました。
寺尾先生は、30年間、生徒たちとテディベアを作り続け、それを売った収入はHIVに感染した方たちの生活を応援する基金として使われています。これは、寺尾先生が23歳の時に初めて生徒たちみんながテディベアを作り、みんなで作ったキルトだそう。
私は、今年はじぇじぇじぇのテディベアを購入しました。絵葉書やバッチ、頂いた本やパンフといっしょに。
話は尽きません。この後場所を移して晩御飯を。そこはまたびっくりするような所でした。明日に続きます。
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