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兄の文章から⑦

兄の文章を続けます。「陶芸閑話」からです。


4.公募展出品


私のグループのメンバーには、年に一回は公募展に出品するように勧めている。数ある公募展のどれでも良い。必ずプラスになるものがある。自分の足跡を残すことが出来る。経歴書に載せるとよい。


以前「新宮文化」に「何のために出品するのか」と言う一文を書いたことがある。要約するとつぎのようなことだ。


芸術は人があってこそ成立する。どんな音楽も聞く人がいなければ成立しない。陶芸も自分が良いと思っても他人がどう見るかが問われる。自己満足では成長しない。


私が初心者の頃先輩から、「人目に晒して恥をかけ」と言われた。


良い恰好するためではない。恥をかいてこそ成長する、そのために出品せよというのである。他人の作品と並べてみると己の非力が思い知らされる。


以前私の所属するグループの研究会で先輩が、指導者である高名な大先生と議論になった。私はその人に厚かましくも、自分の考えを貫くべきではないか、評価されるために己の信念を捨てるのか、人生観の問題でしょうと言った。


自分の作品に確信が持てるようになったら、評価されようがされまいが自分の作風を貫けばよい。大家と呼ばれる人も、ピカソのような大げさな例を上げるまでも無く、なかなか人から受け入れられなかった例が多い。


最近、日展にまつわる不明朗な審査が大きく報道されている。事前にグループごとに入選点数が割り振りされているというのである。


何を今さらという感じである。


私の作品と同じようなものが日展に入選しているといわれたことがある。


誰でも出品出来、知らない人は、優れた作品が評価されると思っている。それは建前であって実態ではない。


私に言わせれば日展は派閥の集合体である。政治の世界とよく似ている。


他の公募展では、有名な先生が事前に審査員を呼びつけ、弟子の作品を見せておくという例もある。  


書をしている友人が日展の候補に上がっているので300万円用意するように言われたという。権威ある洋画展で同様の誘いで150万円要求されたという。どちらも断ったそうだ。


伝統工芸にとり組む審査員がオブジェなど現代工芸の作品を全て落選させて問題になったこともある。 


私が審査を担当した公募展では偏らないように注意した。


以前ある陶芸グループを訪ねた時、県展はコネでしょうと言われた。私は県展に入賞1回入選10数回しているがコネらしきものは何もない。


飯のために看板が必要な人もいるだろうし、名誉を生きがいにしている人もいるだろう。


それは人様様で人生観の問題だからそれを非難するつもりはない。


自分自身のために出品するように勧めるが、賞にはこだわらないほうが良い。審査結果を過大視してはいけない。目標をもって努力することに意味がある。


5.新宮焼


展示会などで「何焼きですか」と聞かれることがある。それは生産地ですから新宮焼ですかね、と答えることになる。昔は土地土地によって固有の粘土が産出され、釉薬と焼成法は藩財政を支える門外不出の重要な企業秘密であった。その土地ならではの作品が製造され名産品、特産品の地位が確立されていた。だから何々焼きの意味が大きかった。萩焼と言えばだれでも御本手の茶碗を思い浮かべ、備前と言えば焼き締めの花器を思い浮かべる。


今では専門業者によって全国の粘土が流通し、釉薬の成分製法は学者等によって明らかにされている。専門書を開けば一般的な釉薬はミル機等の設備さえあれば誰でも作ることが出来る。


私は以前、ある陶芸の町を訪ねた時30分くらいで気分が悪くなった。どの店もどの店も同じようなつまらない食器が所狭しと並べられていた。


以後その町には行かないようにしている。健康に悪い。


ところが、萩焼で高名な第12代三輪休雪氏は大学で彫刻を学んだあと院で陶芸を専攻し、その卒業制作はハイヒールであった。豊かさや美しさと言った人間の欲望の象徴として陶のハイヒールを床に散乱させた。


今や若い人たちが従来の何々焼きの範疇に属さない、個性あふれる作品を発表するようになって面白くなった。


初心者は他人の作品を見てこれは何で、何に使うのかにこだわる人が少なくない。


私は使い道を考える必要はないと言う。それは使う人の自由である。


そもそも歴史的にみると抹茶茶碗は朝鮮の飯茶わんであり、水差しは骨壷であったと言われる。骨壷と水差しは良く似ている。


戦後京都で前衛的芸術集団の鈴木治氏(後に京都市立芸大教授)等5人の若手陶芸家が、古典や伝統にとらわれない新しい陶芸の制作集団「走泥社」を結成した。鈴木は馬等 動物や雲、風、太陽等の自然現象を表現した。いわゆるオブジェの世界である。


用にとらわれない制作は絵画や彫刻では普通のことである。


私は約束事の多い茶道具から、用にとらわれないオブジェまで様々あって良いと思っている。


美しいとか、すごいとか、面白いとか、何かを問いかけるとか、癒されるとか、感動を与えられる作品に価値があると思う。

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