兄の文章から③
しばらくうろうろしていましたが、以前パソコンに残っていた兄の文章を二回だけ転載しました。まだまだ皆様に読んで頂きたいのが沢山あります。陶芸に関してだけれど、一般の社会に通ずる、興味深いものがいくつもあります。それを転載したいと思います。
しかし、これらを読んで、私は、兄が陶芸について、本当に深く研究し、取り組んでいたのだと今になって知りました。粘土一つ、そして釉薬についても。あまりにもったいないので、今度兄の遺作展その2をする時に、これらを印刷して皆様に配ったらどうかと思っています。陶芸をなさる方には、お役に立つかもしれません。自作の釉薬の作り方の配合の仕方なども、このままではもう兄も亡くなった今、秘密にしておくことではありませんので。
なお、各タイトルの前の番号は、兄が「陶芸閑話」とのタイトルを付けてまとめていたものの中の順番の番号です。途中からですがはじめのジャガイモの実の話など面白いので、ここからの転載にします。
9.指導者の責任
近年失敗学が評判になっている。
かってロクロの一から私が教え、今では後輩の指導をしている窯元が、弟子から「先生も失敗するのですか」と言われて、「失敗ばっかりですよ」と答えたと話していた。新しい世界を切り開くため、試行錯誤の連続であり、失敗から学ぶことがあってこそ進歩成長する。いつも私は「失敗が財産ですよ」と言っている。
ここでまたまた話が大きく脱線してすみません。
私が小学生の頃、父が庭に作っていたジャガイモに花が咲き実がついた。
大事に学校に持っていき、担任の教師に見せた。「ジャガイモに実はならない、これはトマトであってジャガイモではない」と言われた。大学の農学部か農業試験場に電話一本すれば、ジャガイモに実がなるのは珍しいことではないと分かったはずだ。その時の暗い気持ちは60年経った今でもよみがえる。
後に県立高校の校長をしていた父に、かって世話になった先生に言いたいことがあると言ったが、父は沈黙していた。
自分の失敗は良いとして後輩に対して間違った指導をしていないか。
私が指導を受けた第13代中里太郎衛門氏は相手の人格を傷つけるほどに極めて厳しい指導をされていた。
褒めて育てるとよく言われるが、それによって間違った方向に進めてはいけない。悪いものは悪いと言ったほうが良いと思っている。
言い方が不十分で正しく伝わらなかったという反省は多々ある。
10.気力 体力
長年制作をしていると、自分の限界も見えてくる。
陶芸に必要な創造力も、そのベースになるのは気力体力。
テレビで89歳の現役パイロットを紹介していた。秘訣は腹八分と異性との付き合いだと言っていた。歳とともに世の諸現象に対する好奇心も弱くなる。
制作意欲の持続とそれらは密接につながっているような気がする。私は相田みつをの「一生勉強一生青春」と書かれた色紙のコピーを飾っている。
数年前五十肩になり2年間苦しんだ。15年前大作を窯に入れる時壊したのが右肩で、今度は左肩であった。24時間激痛で作陶どころか夜も眠られず、横になると痛くて腕の置きどころがない。天井から紐を吊るし腕を支え、ソファーで夜明けを待つ日が続いた。
相談した内科医は痛みの治療に対する理解が少ないように感じられた。
地元の整形外科ではリハビリに通いなさいと言われ、電気で温めるだけで何もしなかった。
近所の整骨院、温泉に毎日通うのが日課となった。少しばかり気が紛れた。
歯の治療で医師から、歯ブラシで磨きすぎて傷だらけになっている、加減するようにと言われた。交代した衛生士はもっと汚れが落ちるようにごしごし磨けと言った。
医師の人柄にもピンからキリまであって、医師が神様に見えることもあれば、なんだこの人はと思うこともある。
これまで二度いわゆる大病をした。人が生きるためには希望が必要だと実感している。
同じ公募展に出品してきた知人友人が、今年は出品していない。もう大作はしんどくなった、小物で遊ぶという。
10キロ以上ある作品は体力がいる。腕、肩、腰に負担が大きくなる。大作は作陶、焼成等にハードルが高くなる。小さなミスが命取りになる。最初から最後まで緊張の連続である。
数多く作って良いものを選ぶというわけにいかない。私は半年一年先を見据えて準備にかかる。行き当たりばったりで作るわけではない。出品直前にバタバタ作って良いものは出来ない。
注ぎ込んだエネルギーに比例する。それが観る人に伝わる。
11.形あるものは
2005年3月20日朝、福岡西方沖地震。 自宅の洗面所で出かける準備をしていた。
突然、道路工事の重機のような轟音から始まった。
何だこれは、地震か、福岡には地震は来ないのではないかと思った。
本立てが倒れるとか電気温水器がずれて水が出ているくらいで大した被害はなかった。
愛犬ハッピーを連れて工房に向かった。棚の壺などが落ちて大作を直撃、大鉢等の口が破損していた。一番大切な作品が無事でよかったと思ったが、梱包をほどいてみるとやはり破損していた。
ちょうど窯の中にあった教室メンバーの労作も壊れていた。気の毒なことをした。
久々の落ち込みであった。
このショックから立ち直るのに相当時間がかかった。
東日本大震災では1万5千人もの人がなくなり、いまだに行方の分からない人が3千人以上。それぞれ大切にしていた宝である家族の命や物が失われた。陶芸を楽しみ作品を大切にしていた人もあったに違いない。
人間を長くやっていると様々な経験をする。人生相談で、何を聞いても驚かないようになった。人間とはそういう物だと思っている。
今が永遠ではないということを、心の奥において生きなければならないと思う。
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