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兄の文章から⑤

とぎれとぎれですが、兄のパソコンに残っていた文章の紹介を続けます。
「陶芸閑話」の中からです。


2.人を育てる


後輩の作業を見ていて変なことをしていると、ひとこと言いたくなる。私の手で直したくなる。そこでぐっと我慢をするか、見ないようにする。今この人にはこれが必要だと判断して、大事なことを教えても返事はするが実行しない人もいる。



本人が問題意識を持って聞いてこない限り、どれほど重要なことを言っても馬の耳に念仏である。


耳に聞こえても頭にもハートにも入っていない。体験して初めてわかる。だから「先生の言われることは、後からわかる」と言われる。


何を聞いて何を聞かないかが問題である。この釉薬の主成分は何かというようなことは、初心者が考えて分かることではない。聞けばよい。


よくある「この釉薬はどんな色ですか」という質問。答えてもしばらくするとまた同じことを聞く。これは聞くことではない。とくに灰釉(草木の灰を主成分とする釉薬)では言葉では表現できない微妙な雰囲気の発色が多い。それも何時も同じではない。陶芸材料店で焼き見本を見て釉薬を購入して焼いてみると大抵違っている。粘土によって、あるいは厚さによって、窯の雰囲気によって変わってくる。銅は酸化焼成すると緑色になり還元焼成では赤く発色する。


自分の作品に施釉して焼いてみることだ。一つの釉薬を理解するには相当な時間がかかる。聞いて分かることではない。


 


賢い人は自分の作品の問題点を聞いてくる。指摘すると次は改善される。前よりも良くなる。何度やってもうまくいかないときは聞いたほうがよい。何処が間違っているか自分では分からない。


失敗を体験すると身に着く。失敗が財産である。


 


以前なんでもすぐに教えていた。その結果なんと「考えない集団」が出来てしまった。考えるより聞いたほうが早い。


そこではどこかで見たことのあるような作品、金を出せば買えるような作品ばかり。本人だけの独創的な作品が出てこない。


自由にのびのび作りたいものを作る子供の作品のほうが面白い。


手前味噌になるが私の作品を見せて、このような作品を見たことがあるか問うてみるとまず、見たことがないと答える。


基礎的な段階では、学びはまねから始まるので大切だが、いつまでもそれではつまらない。目指すは創作の世界である。 


 


陶芸を始める時、器用不器用を気にする人が少なくない。私は陶芸は手でするものではないので気にしなくて良いと言っている。それは訓練と時間が解決する。経験を積むと同じことになる。早いか遅いかだけである。


陶芸は頭とハートでするもので、器用不器用があるとすればそれは知的なもので、新しい事を受け入れるあるいは挑戦する頭の柔軟性が必要である。


一度の指導で済む人と100回でも出来ない人との違いは、そこにあるような気がする。


話はそれるが、かってもう40年前になるか、私が師事した人が(陶芸ではない)、佐賀県に原発を作る動きに先頭に立って反対運動をしていたが、諸問題を理解しない人を評して「砂頭」と言ったことがある。


石頭というのは頑固一徹で、それなりの信念を持っているから評価できる面がある。


あいつの頭には砂が詰まっているというのである。ひどい表現だが言いえて妙。


 


これを拝借して美術館で、空いている駐車場を使わせないので、担当者に貴方の頭には砂が詰まっていると言った。たまの搬出入の邪魔になるというのである。せいぜい週に一回のために常時遊ばせているのである。そのほうが楽だからだろう。


お役所仕事とはこういうことを言う。私は大学卒業後公務員をしていたのでこういう馬鹿な公務員には特別腹が立つ。


エライ人を罵倒したので、もうその美術館は使えないかも知れない。


 


脱線ついでにもう一件。私はある団体でインターネットの活用を提唱したところ頭から否定された。それでパソコンとは何かインターネットとは何かという講習会から始めて、少しずつ理解者を増やした。実現するまで3年かかった。


よくも辛抱したものだと思う。初歩的なレベルのパソコンアレルギーは怠慢と不勉強でしかないと思う。


知って反対するのは良いが、知らずして反対する人が少なくない。


 


私は数名の友人にパソコンを一から教えた。その中で、一番早く成長した人は90歳の御婦人である。大学学長をしておられた亡き御主人の資料整理という目的がはっきりあったからだろう。年齢ではなく前向きの生き方の問題だと思う。


 


ありがたいことに、今日まで数名の人生の師匠が与えられた。陶芸に関しては、教育大名誉教授の中野忠先生、教職を退職後日本画家として制作と後進の指導に尽くされた納富賢智先生との交流が大きかった。また私の歩みにとって大きな存在は九州大学教授から福岡女学院大学の学長を努められた岩橋文吉先生である。


私が出品している美術展を案内すると、必ず観に行かれた。晩年、体力的に無理だろうと思ってわざわざ、案内でなく御報告ですよと断っても足を運ばれた。


後日、婦人に感想を語っておられたことを知る。私には良いとも悪いとも一言も言われなかった。


観ても何も言わない。何も言わないが必ず観に行く。


自分の目で確認し、暖かく見守る。


人を育てるとはこういうことなのだと教えられた。

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孟宗釉壺(40Φ×38cm)1993,1 第27回福岡市美術展

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