「弧闘 三浦瑠璃裁判1345日」
私は、権力にすり寄ることで自らや自らの仕事のステータスを引き上げようともくろむ人が嫌いです。男でも、女でも。
そんな私は、この本「弧闘 三浦瑠璃裁判1345日」というタイトルだけで引かれました。すぐに申し込んで、届くと即取り掛かって、半分徹夜で読みました。
読み終えた今、よくぞここまでやり切りましたねえと、著者に拍手を送りました。
帯の裏には、「この裁判を起こすきっかけとなった三浦瑠璃氏のツイートは、私の心を深く刺し、蹂躙していった。痛みを感じないふりをして、身をすくめて、すべてが通り過ぎるのを待つこともできた。その方が楽だっただろう。その方が賢かったのかもしれない。でも自分の心の奥底は「それは違う」と言っていた。心無い発信の先に、生身の人間の痛みがある。」と書かれています。
しんどい裁判を弁護人なしでやり切って。一審で勝訴、相手が控訴して、高裁へ。それも勝訴。そして最高裁で上告棄却、勝訴が確定した彼がしたことは、孤独な裁判でひたすら書類を作る時に聞き続け、励ましてくれた「エレファントントカシマシ」のコンサートに行くこと。そこで、宮本浩次の「悲しみの果て」を聞き、一人涙を流します。
彼は控訴審の書類を作りながら、自分は幸せになってはいけないと思い詰めました。すべてを捨ててこの裁判に取り組むのだと。「自分にはもう本当に何もない。悲しみの感情さえ、麻痺してなくなろうとしていた。この闘いの果てがどこに繋がっているのかもわからない。できることはただ独りで進むことだけだった。私は、現世の幸せは諦めている。」
三浦瑠璃氏の弁護人の代表は橋下徹氏、意見書は木村草太氏。三浦瑠璃氏の陳述書には、「津田大介さん」「古市憲寿さんも」「池上彰さんは」などと、そうそうたる人達の名前が沢山出て来ます。そして、三浦瑠璃さんの問題となったツイートは、「女性差別の不当性を訴えたもの」と言っています。私は、あんたに言われたくないわ、と苦笑しました。
裁判というのは、孤独なもの。私は訴えられた裁判も、訴えた裁判も両方経験しています。そして、裁判とはならなくとも、ある政党から謝罪をしないと法的措置を取るとの通告を受けたこともあります。それらに反論のための文書を作るのは、本当にしんどいことですし、なんといっても孤独です。自分しかこれを書くことはできないと、自分を励まし励まし、立ち向かわなければなりません。
そんな孤独な裁判をやり切って最後に彼はこんなことを言っています。
自分自身を失ってまでしがみつくものなんて、きっとこの世にはない。今振り返ってみて、この裁判で失ったものはあっても得たものはない。でも全く後悔はしていない。「自分」が壊れないために、「自分」が「自分」のままであるために、この裁判をやるしかなかった。そして、まだ「自分」は生き残っている。私は自分の人生に、それ以上のものは求めていない。
本当にお疲れさまでした。これからは、「現世の幸せは諦めている。」などと寂しいことは言わないで、どうぞ、楽になって、そして幸せになって下さいと、私は著者に言いたいですね。
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