映画「ヒロシマ1966」④
「ヒロシマ1966」の監督、白井更生さんが、アラン・レネ監督の「ヒロシマ・モナムール(24時間の情事)」のチーフ助監督だったというのを知って、「ヒロシマ・モナムール」を観なければと思いました。昔の映画ですが、沢山の賞を取っています。実は、韓国の映画「四月の雪」の監督、ホ・ジノさんとソウルで会った時に、ジノさんが、「ヒロシマ・モナムール」の事を話していらっしゃいました。ちょうど広島で「ヒロシマ・モナムール」の女優さんが広島で撮影した時、個人的に撮った写真の展示会が開かれていたのを知っていたので、その話をしました。しかし、私はその映画を見ていなかったので、ちょっと後悔しました。
余り関係ないけれど、ホ・ジノさんの奥様とその姉妹と、私の家族が一緒に食事をしたので、その写真を貼っておきます。一番右がホ・ジノさんで隣がその奥様、そして私です。
しかも、その映画「ヒロシマ・モナムール」には、映画「ひろしま」のシーンが沢山挿入されていると知りました。で、DVDを調べてみたら、ありました。即、新品を買いました。
二週間後に東京に行きますので、その新幹線の中で観ることにします。とっても楽しみです。それにしても、「ひろしま」がこの映画に挿入されて、全世界に発信されたこと、素晴らしいです。いろいろな経緯があったのでしょうね。
「ヒロシマ1966」には、何度も言うように、加藤剛さんと松本典子さんが演じている二人の医師が出てきます。樺美智子さんが亡くなったあの60年安保のデモで、彼が瀕死の重症を負ったのを彼女が引っ張り出して助けた、それが縁で二人は恋人同士になります。佐世保でベトナム戦争で傷ついた米兵を治療している彼と、広島で被爆者を診ている彼女は、これからも決して結ばれないのでしょうが。二人の安保闘争での挫折の評価と、悲しいけれど熱い会話をシナリオで読んで、これは、やっぱり観なければと思うのです。が、この映画はDVDにはなっていないし、観る手段も分かりません。とても残念です。
これで、映画「ヒロシマ1966」については終わります。ふとしたことから調べてみたのですが、いろいろと知れてよかったと思います。あ、白井更生さんも吉川清さんもずいぶん前に亡くなられていますが、広島大学の映画研究会の方たちはどうしていらっしゃるでしょうか。青春の一時期をかなり濃密にご一緒したのも懐かしいです。それから、これは思い上がりですが、その役、絶対私がやった方がよかったと思いました。だって、就職試験がうまくいかないその頃、彼女は猛烈に、後輩が音を上げるほどバスケットに打ち込むのですが、スクリーン上の彼女は、まるで幼い子どものまりつきでしたもの。それくらい、練習をすればよいのにとあの頃私は思ったものです。もちろん、撮影の間、私はずっと彼女と仲良くしていたし、旅館に行って一緒に演技の練習をしたり、方言の指導もして過ごしましたよ。望月優子さんには、ご挨拶をしても、じろりとにらまれて、一言もお声をかけて頂けませんでしたけれど。
読んで戴いてありがとうございました。
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コメント
こんにちは。初めてメールします。久保田修司と申します。サミット直前にアステールプラザで朗読劇「蛍火」を作・演出しました。その際には、河野さんにはブログで取り上げていただき、とても感謝しています。
先ほど、「ヒロシマ1966」の河野さんのブログを拝見しました。確認したところ、広島市映像文化ライブラリーがフィルムで持っているとのでした。ビデオ化されていないので、個人視聴は難しいようです。それなら、ぜひ、上映してもらえないかと要望しておきました。もしかしたら、来年の8月6日前後で取り上げてくれるかもしれません。河野さんの方からも、ぜひ、プッシュしてみてください。
今、蛍火の続編を書いています。「蛍火」は「和解」がテーマでしたが、続編は、2025年、孫の花梨が、今は被爆三世の家族写真を撮るカメラマンになっていて、故河本一郎さんの足跡をたどりながら、私達が「今、何をしたらよいか」を模索する内容です。「実践」がテーマです。河本一郎さんは、吉川清さんととても縁の深い方です。今回の戯曲でも大きな役所です。それで、お時間の取れる時があれば、吉川さんのお話をぜひお聞かせいただけないでしょうか?「次世代が幸せに暮らせるような世の中にしたい」をテーマに、目下、奮闘中です。ご検討、よろしくお願いします。
久保田 修司 080-3898-1837
投稿: 久保田 修司 | 2023年10月 7日 (土) 12時06分