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「塀の中のおばあさん」

 今日も午前中は電話当番でした。当番をしながら、本を読みました。読売新聞編集委員の猪熊律子著「塀の中のおばあさん 女性刑務所、刑罰とケアの狭間で」。

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 ずっと昔、女性刑務所のルポを読んで、とても興味深かったのを覚えています。中でも、ひどい意地悪をされた姑を殺した広島県の女性の事は、何十年たった今でも忘れられません。妊娠していても、十分に食事を摂らせてもらえなかったこと。隠れてパンを買って食べているのを見つかって、ひどく叱られたこと。そんな話をしている女性の後にいた刑務官も鼻をすすって泣いていたことなど。

 それから、今、個人的に女性刑務所に収容されている性同一性障害の人への関わりがあって、その必要もあって読み始めたのです。

 でも、今回のこの本は、ルポというより、統計中心の社会学の本と言っていいでしょう。読み物を楽しむというよりも、お勉強をしている感じでした。

 新規受刑者は、どんどん減っているものの、女性は高止まり。それも65歳以上の高齢者が増え続け、いまや女性受刑者の2割が高齢者だと。

 受刑者は再犯が多く、その罪名は、男女とも窃盗と覚せい剤がトップ2であるけれど、男性はこの二つで6割、女性は8割と。しかも、高齢男性は窃盗が5割だが、女性は9割。さらに窃盗でも、高齢女性は圧倒的に万引きであると。金額は3000円未満が約7割、その内1000円未満が約4割になると。

 しかも、刑務所の中では、認知症や筋力が衰えたり咀嚼できない受刑者が増え、食事も刻み食やおかゆなど、こまかに対応していると。また、入浴やトイレの介助やおむつのケアも必要な受刑者も。介護は、収容者の中でできるように訓練した人が配置されています。外部講師による筋肉のトレーニングや口腔ケアの指導も刑務所の中でされています。

 それから、万引き犯の中には摂食障害の者も多く、それらの医療刑務所での治療にも及んでいます。ダイエットから過食嘔吐。それを何十年も続けていると、治療は本当に大変です。

 さらに、覚せい剤。なぜ薬にはまっていったか、ここでは、何人もの女性たちの話が出て来ます。いずれも、いじめや虐待やDVなどでくるしみ、自己肯定感が低い女性たちが、薬に逃れて行く姿が描かれます。

 職業訓練と、出所後の生活について。再犯、再収用がとても多い現状をどうすれば再犯を防いでいけるか、様々な考察と実践がルポされています。訓練は、介護、フォークリフト、美容、パソコンなどに加え、今ではホテル清掃やエスティシャンやネイルなどの訓練もなされているそうです。

 ただ、刑務所から帰って来た人を受け入れる所もまだなかなかありません。彼女たちが自力で生活できるように社会が変わっていかないと、再犯は増え続けるでしょう。

 夢中で読み切った本ですが、では、あなたはどうするか、と突き付けられると、さて、私にできることは何なんだろうと戸惑わずにはいられません。今のように物価がドンドン上がって行くと、万引きする人も増え、塀の中に収容される人も増え続けるでしょうねと、これだけははっきり言えます。国民が幸せに生活できるように、やはり政治の問題であるということでしょうか。

 さて、そろそろ次の講演の準備にかからなければなりません・・。それから、養子縁組の動きがバタバタと急に出て来たので、家庭訪問にも急ぎ出かけなければならなくなりました。ぐずぐずしてはおれません。

 

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「弧闘 三浦瑠璃裁判1345日」

 私は、権力にすり寄ることで自らや自らの仕事のステータスを引き上げようともくろむ人が嫌いです。男でも、女でも。

 そんな私は、この本「弧闘 三浦瑠璃裁判1345日」というタイトルだけで引かれました。すぐに申し込んで、届くと即取り掛かって、半分徹夜で読みました。

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 読み終えた今、よくぞここまでやり切りましたねえと、著者に拍手を送りました。

 帯の裏には、「この裁判を起こすきっかけとなった三浦瑠璃氏のツイートは、私の心を深く刺し、蹂躙していった。痛みを感じないふりをして、身をすくめて、すべてが通り過ぎるのを待つこともできた。その方が楽だっただろう。その方が賢かったのかもしれない。でも自分の心の奥底は「それは違う」と言っていた。心無い発信の先に、生身の人間の痛みがある。」と書かれています。

 しんどい裁判を弁護人なしでやり切って。一審で勝訴、相手が控訴して、高裁へ。それも勝訴。そして最高裁で上告棄却、勝訴が確定した彼がしたことは、孤独な裁判でひたすら書類を作る時に聞き続け、励ましてくれた「エレファントントカシマシ」のコンサートに行くこと。そこで、宮本浩次の「悲しみの果て」を聞き、一人涙を流します。

  彼は控訴審の書類を作りながら、自分は幸せになってはいけないと思い詰めました。すべてを捨ててこの裁判に取り組むのだと。「自分にはもう本当に何もない。悲しみの感情さえ、麻痺してなくなろうとしていた。この闘いの果てがどこに繋がっているのかもわからない。できることはただ独りで進むことだけだった。私は、現世の幸せは諦めている。」

 三浦瑠璃氏の弁護人の代表は橋下徹氏、意見書は木村草太氏。三浦瑠璃氏の陳述書には、「津田大介さん」「古市憲寿さんも」「池上彰さんは」などと、そうそうたる人達の名前が沢山出て来ます。そして、三浦瑠璃さんの問題となったツイートは、「女性差別の不当性を訴えたもの」と言っています。私は、あんたに言われたくないわ、と苦笑しました。


 裁判というのは、孤独なもの。私は訴えられた裁判も、訴えた裁判も両方経験しています。そして、裁判とはならなくとも、ある政党から謝罪をしないと法的措置を取るとの通告を受けたこともあります。それらに反論のための文書を作るのは、本当にしんどいことですし、なんといっても孤独です。自分しかこれを書くことはできないと、自分を励まし励まし、立ち向かわなければなりません。

 そんな孤独な裁判をやり切って最後に彼はこんなことを言っています。

 自分自身を失ってまでしがみつくものなんて、きっとこの世にはない。今振り返ってみて、この裁判で失ったものはあっても得たものはない。でも全く後悔はしていない。「自分」が壊れないために、「自分」が「自分」のままであるために、この裁判をやるしかなかった。そして、まだ「自分」は生き残っている。私は自分の人生に、それ以上のものは求めていない。

 本当にお疲れさまでした。これからは、「現世の幸せは諦めている。」などと寂しいことは言わないで、どうぞ、楽になって、そして幸せになって下さいと、私は著者に言いたいですね。

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ダイエット・ラーメン

 先日来からの左の変形性股関節症の治療で、ドクターからダイエットをと言われています。その前のドックでも肥満、ダイエットの指示。いよいよ本気にならないといけません。そう食べてないはずなのに、でも、いつもこれは患者さんにも言っていることなのですが。年を取ると、基礎代謝が落ちるから、あまり食べてなくってもカロリーを使わないから太るのよ。・・それはよく分かっているのですが。

 お昼、日頃は私は小さなお弁当を持って来るのですが、ない時には外で食べたり、ローソンでカップ麺か何かを買ってきます。

 先日、そごうの北海道の物産と観光展で、旭川ラーメンの麺屋あさひが来ていました。北海道展のラーメンは必ず行きます。ラーメン大好き人間だから。私は、普通の味噌ラーメン。

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隣のご夫婦は、特製味噌ラーメンと特製醤油ラーメンのどちらも大盛り!途中で交換して食べてました。反対の向かい側の母子さんは、二人とも特製味噌ラーメン。特製は、卵もチャーシューも沢山です。そうなんだ、みんなこんなのを食べるんだ。私の味噌ラーメン、とってもおいしくて、スープが特に美味しくて。でも、必ず麺を残します。普通サイズのを全部食べると、太ります。おいしくて、全部食べたかったけれど、我慢。

 日頃は、職場のすぐそばの一蘭に行きますが、これも必ずスープも麺も残します。

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昨日は、久しぶりに「ちから」に行って、中華そばミニを食べました。ミニだから、全部たべても大丈夫。ミニは麺が3分の2で、ちゃーしゅーも一枚だけです。

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隣のお兄さんが、チャーシュー麺を頼んでいて、チャーシューが丼に沿って、お花のようにぐるりと張り付けてありました。あんなにチャーシューがと、びっくりしました。

 男性がバクバク食べる姿は恰好いいですね。

 久しぶりに来られた私の患者さん。以前糖尿の治療をしていらっしたので、気になって尋ねました。「糖尿は?」と。そしたら、「治りました。私、33キロもやせたのよ。そしたら、何にも悪い所がなくなったよ。」と。びっくり。33キロ、良く痩せたねえと感心したら、「そう。でも、まだ140キロあるから。」「わー、それなら、まだもう少し痩せないとね」と、言いましたよ。私はその半分もないけど。でも、やせれば健康になる、それは確かな事実です。頑張らなければ。


 


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劇団民芸に手紙を書きました。続き

 今日は、電話当番でした。朝から午後2時までの予定で、その後は、県民文化センターでの観音高校音楽部OBによる「レクイエム碑」を聴きに行く予定でした。「ひろしま二中一年生の全滅の記録」の混声合唱です。でも、終わり近くにかかって来た電話がとても長引いてしまって、遅くなってしまいました。結局碑にはいくことができませんでした。とても残念です。

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その電話の事もあって、今日はひどく疲れています。好きな「ぽつんと一軒家」を観ながら、座ったまま居眠りをしていました。居眠りは私は珍しいです。

 では、昨日の劇団民芸への手紙の続きです。私の昨年12月のこの演劇についてのブログの二日目です。これには、はじめに私の講演の事を書いていますので、その部分は省きますね。それでは、ブログを再現します。

 (略)
ということで、さて。昨日の続きです。多くの皆さんが一緒に怒ってくださって、少しほっとしました。

「被爆者から奇形児が生まれる」という偏見について。特に、劇にあるような「無能児」について。これは、母親の胎内で、期間形成期、それも大脳が作られる16週までに強い放射線を浴びた場合に起こる可能性があります。しかし、木下刑事のように被爆者が後に妊娠した場合は、胎児が被爆したわけではないので、その頻度が上がることはないのです。胎内被爆児の中には、頭が小さくて知的障害のあるいわゆる「原爆小頭症」の子たちが生まれたことは知られています。しかし、それも、母親が妊娠中に原爆による被爆をした場合であって、被爆者がのちに妊娠して同じような障害のある子が生まれる頻度が上がるという証明はありません。それを混同して、まさに小山氏が書いたようなことをするから、それが被爆者差別につながっているのではないでしょうか。ちなみに、無能児は、被爆のためだけに起こる障害ではありません。その頻度は、日本では1500の妊娠に一人の割合で起こるとされています。

劇中の歌は、これです。「泰山木の木の下で・主題歌  わたしたちの明日は」と書かれいます。

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 明日には何があるのでしょう。これだと、何もない。絶望しかないということでしょうか。

宇野重吉さんが書かれたものを読むと、この歌は、宇野重吉さんがまず忘年会で歌うと。そして、小山祐士さんも加わって二人で歌うと。転写します。

『「小さな汽船のなかで—」という劇中の歌は斎藤一郎さんの作曲だが、この曲も小山さんの気に入ったらしい。毎年忘年会のたびに私たちはこの歌を歌う。先ず私がおだてられて真ん中へ出て歌い出す。みんなが唱和する。その中に小山さんの白髪が見える。私は寄って行って小山さんを引っぱり出す。「小さな町でも、大きな町でもー」のあたりからは、したがって私と小山さんとのデュエットになる。これを歌わないと忘年会の感じにならないのである。』

 その昔、私が大学生の時。被爆者や被爆二世の会の一員で、みんなといろいろと考えたり、議論しました。まだまだ結婚や出産に社会の差別も厳しかった頃。その中で、「私たちは産もう」という結論を出して、すっきりしたことがあります。

 それについては、ここに書いています。福島の若い女性たちが、かつての私たちと同じような悩みで苦しんでいることを聞いて、ああ、広島と同じような差別が繰り返されていると、胸が痛みました。そして、私たちのかつてのことをお話ししたのです。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-01e8.html

そして、その後もっとたくさんの若い人が福島から来て、8月6日を中心に広島で過ごしました。その中で、みんなに向けて私が話をしました。そして、そのことを密着取材したNHKの番組になりました。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-99aa.html

私は福島で起こったことは、隠すのではなく、きちんと情報を開示して、何より当事者が自分のことを自分で決めていけるようにすべきと思っています。差別があるなら、それこそ冷静にその差別に向かっていかなければ、と。

作者の小山氏は泣き虫で、これも宇野さんも演劇評論家の尾崎宏次さんも書かれていますが、芝居の練習の時も、演劇が上演される時も、ずっと泣いていたと。誰のための涙か知らないけれど。自分がかってに作り出した「売春をして生きるしかなかった顔にケロイドのある女性」が可哀そうだったから?「奇形児」が生まれた警察官が気の毒だったから?被爆者を憐れんでいるのですか?

それにしても、その女性から「奥さんのところに帰るように」説得されて、彼はその気になるのですが、それでもその説得の後、わざわざ敷いてある布団に抱き合って倒れこんでという場面、売春婦と悩める男のそのような恋愛や情事があってはいけないとは言わないけれど、それを広島の地でする?観客の中には被爆者も、なかでも、人知れず背中のケロイドを隠して生きている人もいたかもしれません。

 この演劇が作られた当時はまだ分からなかったから、そんな劇を作ったのかもしれない、でも、今はもういろいろと分かっているし、まだ差別がなくなっていない今、それを強調して、差別されている人たちの傷口をひろげるようなことは、もうしないでほしいと思うのですよ。すなわち、この演劇はもう封印してほしい、そう強く願います。

昨年12月のブログは以上です。

このブログは、フェイスブックにも同じものを載せています。昨日のフェイスブックに早志百合子先生がコメントを寄せて下さいました。フェイスブックをされない方は、読むことができませんので、ここにそりコメントを転載させて頂きます。なお、早志先生については、やはり昨年の12月にブログを書いています。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2022/12/post-31873d.html

早志さんのコメントです。

早志 百合子



私も劇団民藝のファンですし、長く市民劇場に入って2ヶ月に一度、色んな劇団の演劇を観ていました。
でも この演劇は観ていません。
が、先生のお手紙から私も悲しさ、怒りが込み上げてきました‼️
このシナリオを書かれるにあたって、何人の被爆者に会われ、その生き方を聞かれたのでしょうか?
私も長女を出産する時いわれなき差別に苦しみました。私はそれらと闘い難産の末出産し、その子は立派な人間として今は私にとって居なくてはならない存在になっています(先生もご存知のように)
しかし、その娘が初めての妊娠の時、産婦人科の医師に言われた言葉は今も鮮明に覚えています😡
まだまだ、そんな無知から来る誤解が存在することに憤りを超えて
虚しさを感じています😰
先生の実行力に感謝致します🙇‍♀️

早志先生、本当にありがとうございます。

 

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劇団民芸に手紙を書きました。

劇団民芸に手紙を書きました。

 昨年12月に民芸の「泰山木の木の下で」を見て、怒りに震えて、そのことを二日にわたってブログに書きました。でも、そのブログをそのままにしていたことを深く後悔しました。私は、その古い演劇を市民劇場で全国に持って回って、広島がほぼ最後でしたので、これで終わりだろう思ってしまったのでした。でも、民芸は、これを今もなお地方に持って回っている事を知りました。これは被爆者差別の演劇です。もうこれ以上差別を広げないでほしい、この演劇はもう古いものとして封印してほしいと思います。

 この手紙は郵送と共に公開します。もしも、返事が来れば、それも公開します。ごまめの歯ぎしりかもしれませんが、このようなことをこのまま放置することはできません。以下、郵送した手紙です。

劇団民芸の皆様へ

 突然のお手紙失礼いたします。私は、広島で産婦人科医をしています河野美代子と申します。かつて、演劇少女だったこともあって、ずっと観劇しておりますし、劇団民芸のファンでもあります。中でも、市民劇場では、二か月に一回の観劇を欠かしていません。

 昨年12月、劇団民芸の「泰山木の木の下で」も観ました。そして、そのことを私がここ16年以上続けているブログに書きました。そして、そのブログをそのままにしていたことをこの度深く後悔しました。私は、このブログを民芸の方たちに見て頂くべきでした。というのも、こんな古い劇は、もう昨年の一連の市民劇場で終わったもの、もうされないことだろうと勝手に思ってしまったからです。でも、それを持って今も地方回りをしていらっしゃることを初めて知りました。まさか。

 この演劇は、被爆者差別です。全国に被爆者差別を振りまいています。私は、観劇して、たとえようのない怒りでいっぱいでした。その後、小山祐士氏の台本も読み、さまざまなこの演劇について書かれている文章も読みました。その上で、差別であると確信をもっています。その理由を、ブログに書いていますので、ぜひお読みください。ここにプリントして同封します。

 私は、被爆二世の医師としてどのような医師となるか、さんざん考えたあげく、大学病院時代、染色体研究室に入り、沢山の被爆者や被爆二世の染色体分析をしました。以後も一貫して、被爆者医療や反戦、反核の市民運動を続けています。私のブログを載せたフェイスブックにコメントをしてくださった方は、被爆者で今も証言活動をしていらっしゃる方です。また市民運動を通じて、顔にケロイドを負い、なんども手術をしながら、多くのことに迷いながら、それでも強く立ち上がって生き抜いている被爆者の方たちにもたくさん出会っています。

 そのような立場から、この演劇はもう過去のものとして封印してほしいと思っています。
 どうぞ、御健闘下さいますように。劇団民芸のどなたにこの手紙が渡るのかわかりませんが、ぜひお返事を頂きたいと思います。この手紙は、郵送すると共に、私のブログに公開するつもりでいます。お返事も公開したいと考えています。
 どうぞよろしくお願いします。

  20231021日           
                〒730-0031 広島市中区紙屋町二丁目2-25
                               
医療法人河野産婦人科クリニック
                             河野美代子

今日、ここに書いているブログの二日の内、一日目のを、明日二日目のをここに転送します。ダブって読まれる方には申し訳ございません。

劇団民芸「泰山木の木の下で」に怒っています。①

11月27日、日曜日の午後、「広島文学資料保存の会」主催の朗読劇「神戸ハナという女の一生」を観たと、その日のブログに書きました。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2022/11/post-e0818b.html

そのブログの最後に、「ちょうど時を同じくして、この「神戸ハナという女の一生」を発展させた「泰山木の木の下で」の劇団民芸公演が市民劇場で上演されます。私は、3日の土曜日に観に行きます。」と書いています。小山祐士作のこの演劇。私の好きな劇団民芸。主演の日色ともゑさんは、若い時の「アンネの日記」でその演技を見ています。「神戸ハナという女の一生」がとてもよかったので、私は期待して観に行きました。

しかし、その演劇を見終わったとき、いえ、その上演途中から、私には何とも言えない不快感、もやもやが残りました。最後には、怒りともいえる気持ちにもなりました。以来、「泰山木の木の下で」について書かれたものを読みあさりました。もちろん、当日のパンフレットも買って読みました。

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「神戸ハナという女の一生」の時に第二部で講演して下さった岩崎文人広島大学名誉教授が「小山祐士戯曲集をぜひ読んでみて」と言われたのを覚えていましたので、その全集も買いました。アマゾンでの中古ですが、それでも高価でした。それは、泰山木の木の下でについて、私が間違えた思い込みをもってはいけないという思いもありました。全集の第四巻に「泰山木の木の下で」が収録されています。その台本を読みました。

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「神戸ハナという女の一生」は、元はラジオドラマとして書かれたものです。それをこの度、朗読劇として上演されました。それと泰山木との違い。それは、なんといっても、木下刑事の描き方の違いです。泰山木では、その刑事は、被爆者で、両親が爆死し、彼は施設で育ち、しかも子どもが「奇形児」であると。その奇形児を彼は育てることから逃れ、江田島で妻一人が育てています。私は、まず「奇形児」に引っ掛かりました。奇形児は、せめて障害児に言い換えはできないものかと思いました。劇の中で、何度も何度も「奇形児」と言われ続けました。さらに彼は、妻にその子を押し付けておいて、売春婦の元に通います。その売春婦は、顔にケロイドを負っています。その設定も、私はすごくいやでした。

 もやもやした私は、板倉勝久さんに電話をして尋ねました。板倉さんは、高校の演劇部の先輩で、RCCドラマグルーブでもご一緒していました。そして、この度の朗読劇では木下刑事の役を演じられました。

板倉さんは、泰山木は見なかったと言われました。私が尋ねたのは、朗読劇には、木下刑事が被爆者でかつ「奇形児」の父親であることは書かれていたのかということです。それを、あえて削られたのか、又ははじめっから書かれていなかったのかと。そしたら、はじめから書かれていなかったそうです。それに、演出かつハナの役をされた土屋時子さんが「木下も被爆者としたらいいのではないか」と考えられたと、でも、それは岩崎先生が強く反対されて、結局それは採用されなかったと。それで、小山祐士さんが、ラジオドラマをたたき台にして戯曲を書く時に木下刑事の役をそう設定されてのだとわかりました。

さらに、私が観劇中にはきっと聞き逃していたのでしょう。台本を読んで、木下刑事の「奇形児」は、実は無能児であると知りました。であるのなら、なおさらです。劇中では、その子は「5歳」でした。その時代に無能児がそこまで生きていたら、それは世界中の奇跡です。私は大学病院時代に何人もの無能児の赤ちゃんを見てきました。が、その子たちはみんな数日以内に亡くなりました。今、無能児の子をなんとか生かして、臓器移植のドナーとしたらどうかという論議もありますが。

そして、被爆直後には、無能児があちらこちらで生まれたという話も聞きます。でも、その子を育て続けることは不可能です。台本には、その育てている子のことを「サル顔」という言葉も出てきます。

 わかっていただけるでしょうか。被爆者がなぜ社会から差別され続けてきたか。被爆者と結婚すると「奇形児がうまれる」というこの偏見にどれだけ被爆者やその子たちが苦しめられてきたか。

 せっかく「岩崎夫人」が、中絶を思いとどまって元気な赤ちゃんを産んだという、暖かい設定もあるというのに。

 被爆者や二世が、とたんの苦しみの中で産む選択をしてきた、私も含めた多くの人の歴史があります。今、この現代に、この演劇を全国でして回って、それがいまだに続く被爆者差別を扇動することにならないでしょうか。

 私は、観劇から10日経った今もなお、怒りがふつふつと沸き上がるのを抑えられません。まだまだ言いたいことがたくさんあります。それは、パンフの中にもあるような、この演劇をほめそやす人たちについても。「広島の人々が背負った「罪」」というタイトルで、劇評を書いた人。顔一面にケロイドのある女性が「売春してしか生きていくことができない女性」と書いています。それを何十回も顔の手術を受けながら、強く生き抜いてきた女性たちに向かって言えることでしょうか。また、彼はこうも書いています。「人々は、原爆の呪いにかかった時から、白黒つけることができないグレーの世界を生きていかなければならなくなる。それが原爆の十字架を背負いながら、戦後を生きるということなのだ。」「原爆と関わった人々は、罪を背負ってグレーの世界を悶えるように生きていかなければならない。社会はその生き方に黒白をつけるより先に、抱えているものの重さを知れ。」何が罪を背負ってですか。大きなお世話、あなたに言われたくないわ。下品だけど、私はそう思いました。

劇中にうたわれた「救いのない歌」についても。

また、明日に続きます。

 

 

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兄の文章から②

兄の文章を続けます。小さいころから、私にとって兄は怖い人でした。それなのに花や小鳥が好きで、それが不思議でした。これらの文章を読んで、やっぱりするどく怖い人だと思います。その一方、子どもやお年寄り、障害のある人などには、とことん優しい人でした。その根底には、幼い頃に分かれたままの三人のわが子の存在があると私は思います。パソコンの中に、子どもと孫の写真のぺージがひっそりとありました。どうやって手に入れたのでしょう。


論理のすり替え         香住ケ丘バプテスト教会壮年会


                      2010.4.18 長谷川康行


. 論理のすり替え


1.    49日、日米密約訴訟の判決で東京地裁は、外務省の対応を「国民に対する裏切り行為」と断罪し原告全面勝訴の判決を下した。


1971年毎日新聞記者の西山太吉氏が日米間の密約の存在を示唆する記事を掲載。


「知る権利の侵害」に対して世論が噴出した。


当時東京地検特捜部で起訴を担当した佐藤道夫氏(のちに参議)は[空気を変える方法はないか考えた]と証言した。


国民に対する裏切りである国家的謀略を、男女関係のスキャンダルにすり替えることによってうやむやにしたのである。


2.  よくある話。交通違反で検挙された者が、違反の事実でなく「取り締まりのやり方が悪い」と抗議をする。いわゆる「逆切れ」であり、「すり替え」である。


.  私は最近2度この体験をした。


    委員会に疑問を呈したところ、委員は一所懸命にやっている。批判は間違っているとの異議であった。一所懸命にやっているかいないかの問題提起をしているわけではない。まさにすり替えである。


  また、転入会希望者に対する対応に疑問を感じて、問いただしたところ「物の言い方が悪い」とのおしかりをうけた。質疑の内容に関し         てではない。これもすり替えである。


.  このような論法は問題の本質を見えなくする。論点が2つになってしまう。だからそのような指摘は時を改めて別途検証すべきである。


.  何のために話し合いをするのか。


 「現時点の結論は正しいか。もしかして間違えていないか。もっと良い考えがありはしないか。人間は間違える存在であるから、確認が必要ではないか。」


   他人は自分の気付かなかったことを教てくれるありがたい存在であると思って、他人の意見を聴いているか。


   自分と異なる考えを吟味しないなら話し合いの意味もないし、進歩も無い。別紙、新宮文化に掲載した「全会一致は良いことか」は、そのよ   うな問題提起である。

次の文章です。

 私が生まれたのは1941年で
ある。


 序  


先の戦争は全国民を総動員したものであった。兵士とか戦場だけの話ではない。


女も子供も一般国民の多数の命が失われた。日本人では死亡した兵士は230万人、一般市民も80万人が死亡している。一例を上げると1945年3月10日の東京大空襲では27万戸の家が焼かれ8万4千人が死んだ。沖縄では兵士と同数の9万4千人の住民が死んでいる。


したがって兵士だけではなく当時生きていた全ての国民が戦争体験者である。


 
私が生まれたのは1941年である。


島根県松江市に生まれ、まもなく広島市に移り高校まで過ごした。


 1931年、日本軍の謀略によって端を発した満州事変以来、中国との長い戦争で国が疲弊し、遂に太平洋戦争に突入した年である。


したがって記憶にあるのは、物心ついた終戦間近以降である。


各地がアメリカの無差別爆撃に更されるに至って、山奥の親戚に避難していた。


爆撃から身を守るために、庭に掘られた穴(防空壕)の記憶があるくらいで、緑豊かで平穏な日々であった。


私の原風景であり、植物と土が好きな田舎志向はこの時期に刷り込まれたものだと思う。


  骨        


 戦争が終わって山奥の疎開地から広島市内に戻った。


当時遊び道具などは何もない。サッカーボールなどあるわけもなく、テレビも無ければゲームも無い。縄跳びや鬼ごっこ、唯一の道具と言えば空き缶くらいのものであった。


庭のあちこちに瓦礫の小山。そこらに転がっている真っ白い骨。それを蹴飛ばして遊んでいた。街なかゆえ大動物は考えられず、人間の骨であったに違いない。


 子供は土いじりと穴掘りが好きだ。小学校の校庭を5センチも掘れば小さな骨が無数に出てきた。それを両手にいっぱい乗せて遊んでいた。人間の指の骨であっただろう。それが何であり、何故そこにあるのか等考えたことも無い。ごく日常的な行動であった。


   同級生や教師で首から上半分がケロイド状になっている人が複数いた。耳はふさがっている。首から下は衣服で見えない。それが被爆によるものだということは皆分かっている。


  誰もことさら話題にしない。からかったりいじめたりすることも無い。


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父の遺品の中から被爆直後の焼け野原に立たずむ写真が出てきた。広島市中心部で右後ろはキリスト教会と思われる。


当時父は旧制中学の教師をしていたが当日はたまたま伝令を持って観音の三菱軍需工場に行っていたので助かった。


教え子は全滅した。


原子爆弾爆心地の地上温度は3000度から4000度。


1㎡当たり19トンの圧力、


風速毎秒280メートル。


年末までの死者14万人。


太き骨は先生ならむ   


  そのそばに小さきあたまの骨あつまれり       正田 篠枝


2001.8 第6回アジア工芸展  「暁光Ⅱ」 小坪亭の玄関にあります。

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兄の文章から

 福岡の兄が亡くなってほどなく、兄が作っていたホームページ「一麦窯」が開けなくなりました。いろいろ大切な文章や写真が載っていたのを後ほどじっくりと読んだり、遺作展に来る方へのパンフを作るのに利用しようと思っていたのに、それがどうしても見られなくなったのです。何とか、あり合わせでポスターやパンフを作りましたが、ホームページが開けないのが、とても残念で。ただ、兄のパソコンにはそれらの文章や写真が残っているのではないかと思ったので、義姉に頼んで、そのパソコンを送って頂きました。そして、私のパソコンの先生に明けることをお願いしました。

 そしたら、開けました。文章も、写真も出てきました。まだすべてではありませんが、多くは出てきました。それらから、一部をここに転載したいと思います。このまま埋もれさせるにはもったいないと思うので。陶芸について語ったものが多いのですが、いろいろな社会に通じると思いますので。先ずは、これから。


6. 全会一致は良いことか

 新聞、テレビ等で株主総会の様子が報じられる。いかに短時間でスムーズに会議を終わらせられるかが、担当者の腕の見せ所とされるという。

 新宮町文化協会本年度総会が4月8日に行われ、全ての議題が満場一致で可決され、極めてスムーズに最短時間で終わることができた。

 一方、7月1日に行われた芸術祭反省会では予定時間をオーバーするほどに多数の発言があり、それに対する反論もあった。

 これだけ多くの会員の発言が見られたのは、両会議の性格が全く異なるにしても特筆に値する。

 ところで、いささか古い話になるが、かつて「日本人とユダヤ人」という本がベストセラーになった。内容もさることながら著者のイザヤ・ベンダサンとは一体何者かが随分騒がれたので、覚えておられる方も多いと思う。

 この著書の第6章に「全会一致の審判は無効」-サンへドリンの規定と[法外の法」-という記述がある。

 全会一致は偏見か興奮の結果、または外部からの圧力以外にはありえないから、その決定は無効だというのである。

 たとえわずかでも異論を唱えるものがあるならその異論との対比の上で、比較的、絶対的正義に近いことが証明されるわけで、少数の異論もある多数者の意見は比較的正しいと信じてよい、ということなのである。

 諸会議において形の上では全会一致で決められたことが、非公式の場で否定的意見を出されるケースが珍しくない。問うてみると、圧力の前で自由に発言できないというのが大方である。

 諸問題で根強い少数意見に苦慮することが多いが、千人もの会員からなる任意団体では、種々様々な考え、意見があるのは当然であり法的権限等無縁で、ボランティアで構成される役員会は、最終的な一致を見るための作業が実に重く、しんどい思いを余儀なくなくされる。

 少数意見あってこその多数意見である。同等に耳を傾け吟味する必要がある。それを踏まえて、最終的に一致に至るのが理想でありその決定には、全員一致で誠実に対応することが求められるのである。

10.機械は故障する 人間は間違える

 人間の愚かさの象徴とされる古代文書に記された「バベルの塔」の物語を読み返してみた。(註1)

人間の英知の結晶として天まで届く塔を建設しようとした。途中で言葉の問題で混乱が生じ頓挫した。

 もう一つ、一世紀後半に書かれたと思われる文書に、このようなたとえ話がある。(註2) ある大規模農業経営者が想定外の大豊作に恵まれた。保管場所に困るほどであった。悩んだ挙句、「今の倉庫を壊して新しく大貯蔵庫をつくって収穫物や全財産をしまおう。これでもう先行き困ることはない。飲み食いして楽しくやろう。」と言い聞かせた。

その時「お前の命は今夜で終わる。それらの宝物は誰のものになると思うか。」という天の声が聞こえた。

上記二つの物語は、人間の愚かさと傲慢を象徴する話として興味深い。人間は間違える存在であり、機械は故障することがあるという大原則を無視し、その誤りを指摘する声を吟味することをせず、絶対安全などと言う神話を捏造する人間の傲慢と愚かさ。

 権威ある学説が後にその誤りが指摘されることは珍しいことではない。原子炉が暴走すると手がつけられなくなるということは以前から指摘されてきた。科学が万能であるかのごとく錯覚しあるいはさせられ、目先の利益を追い求める時人間の愚かさが証明される。

 今日もテレビでは原発を推進してきた御用学者たちの解説を放送している。

註1.2の原典はへブル語、ギリシャ語であり難儀なので日本語訳に寄った。

2000.7月大5回アジア工芸展・バベルの塔

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ベランダの花

 東京です。診療が済んで新幹線でやってきました。明日は、中学校の保護者に性教育の講演をします。…なんちゃって。そういうつもりでした。が、実は広島の家にいます。前日に、突然のキャンセルで・・。あり得ないことで、呆然。ホテルも新幹線もキャンセルしました。ま、長い人生、そんなこともあるでしょう。新幹線の中で、楽しみにしていた「ヒロシマモナムール、24時間の情事」を見るつもりだったのですが。それもまた今度に延期です。

 おかげで、どうしても予定が入らなかった病院でのリハビリ、明日の午前中に入れていただくことができました。教えてもらって、後は自分でできるかな?


 そして、それなら明日甲子園に行けるわ!!と思ったのですが、今日のカープを見てると、ますます私が行くと負けるような気がして。家でおとなしくテレビで観戦します。

 そんなことで、今日は、久しぶりにベランダの花を。

 沢山咲いてくれた朝顔も、これが最後の花になるでしょう。咲いた後は、沢山種ができています。来年は、早くに撒きましょう。

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6月のフラワーフェスティバルの花の塔の鉢、沢山いただいた中で、これが最後の鉢。ずっと咲き続けてくれました。一個の鉢から花が横に拡がっています。

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それから、黄色のコスモス。ぽつぽつとさいています。ピンクでなくって本当に残念。でも、これも大切に育てています。

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 毎年開かれていた「広島いけばな代表作家展」。今年が最後だそうです。どうして?わからないけれど、中国新聞社がもうしないそうです。招待券、青野先生から沢山いただきました。クリニックにあります。来られればお渡しします。

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クリニックの青野先生のお花。紅葉を彷彿とさせる秋のお花ですね。オレンジの鶏頭と鳥の頭のようなストレリチア。

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ついでに、いつも残った花でトイレを飾って下さいますのでそれも。

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東京では、地下鉄がほとんど階段で、重い荷物を持って上り下りするのが、足がつらいかもと思っていたので良かったと思うことにします。

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整形外科を受診しました。

 ここ数週間、左鼠径部が痛くて。そこからずっと後ろも前の大腿も痛かったり。歩くとガクッと来たり。どうにも変形性股関節症に違いないと思っていました。マッサージに行ったり、シップを貼ったりいろいろとしたけれど、さっぱり改善しないので、いよいよどこか医療機関に行って診てもらおうとしました。お昼時間に診てくれる所を条件にいろいろとさがしましたが、なかなかなくって。やっと午後の診療が2時からという所を見つけました。あらかじめ連絡をして、自転車で行きました。一時間あれば何とかなるかと。(それは甘かったのですが)

 レントゲンを撮ってもらい、いろいろな診察を受けて、やっぱりそうでした。

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 子どもの頃から、なんか左がおかしいと思ってきました。左足でゴム飛びができなかったし、左足で立つのがなんかふらつくし、左ばかり坐骨神経痛みたいになるし。なんかおかしいと思いながら、これまでずーっとレントゲンを撮る機会がありませんでした。なんと、やっぱり臼蓋形成不全でした。よくもまあこれでこの年迄。ソフトボールやテニスをしたり。子どもを二人も産んだりしたものだわ、と感心しましたね。知らない者の強みでしょうか。

 先生は、とても丁寧に説明して下さいました。これからは、できるだけ長持ちさせるために、リハビリと鎮痛剤で対処しましょうと。それとダイエットと。最終的にはどうなりますか?と尋ねたら、手術という方法があると。それで安心しました。その方法があるのなら。何も方法がなくって、歩けなくなるというのでないのだから。

 そして、リハビリをして下さいと言われたので、いつからするのですか?と尋ねました。今からです、と。「あ、それは駄目です。私は時間がありません。三時から、また仕事です」と言ったら、「えっ、お仕事をされているのですか?」とびっくりされました。そうですよね、76歳でまだ仕事をしている人は少数なのでしょう。もうその時には三時を過ぎていました。クリニックには遅れると連絡を入れておきましたが。仕方がないので、「はい、私は産婦人科の医師をしています。」と言ったら、またまたびっくりされて。「ドクターなのですか?」と。「それは失礼しました。ダイエットをなどと言って」といわれたので、「いえいえ、それは本当の事ですから。」とこちらが恐縮しました。

 その後、リハの予約に行き、それが合う時がなくって、また改めて連絡をすることにして、会計に行くと、まだ当分待つようで。仕方がなく、時間がありません。他の人に会計に来てもらいますから、とお断りをして。飛んで帰りました。

 これから、お昼時間のリハビリをというのは、今日の様子を考えると、とても無理なので。どうしましょう。木曜日の講演が入っていないときにするしかないですが。それが当分ないのですよね。何かを見ながら、自分でするしかないでしょうかねえ。困った困った。これだから、一人開業医は病気もできないのですよねえ。よくこれまで続けてきたものです。どこか、出張リハビリとか、夜間のリハとか、日曜のリハとか、そんなのがないかなあと。またどなたかに相談してみます。

 今日の午後の患者様には、ご迷惑をおかけして本当にすみませんでした。

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モーベギャルソンに娘と。

 昨夜は、娘が大阪でライブだというので、食事をするために大阪へ行きました。二人で食事をしてその日の内にうちに帰ってきましたよ。以前、娘が「お口直しのソルベ」があるような正当なフランス料理が食べたいなあと言っていたのを覚えていたので。

 ずっと前、大阪の養護教諭、性教育の仲間の多田直子先生が連れて行って下さり、その後も何回か友人と行っていた「モーベギャルソン」。そこを予約しておきました。東京と違い大阪なら、土曜日の診療を三時に終えて新幹線に乗れば、十分に夕飯に間に合います。

 以前は、そのレストランは心斎橋(道頓堀?)のグリコの看板の向かいにあったので、そこを予約したつもりでいたのですが、前日にお知らせが来て、全然知らない場所だったのでびっくり。調べてみたら、転居していました。行くのを間違える所でした。でも、お料理は、やはり変わらず素敵で美味でした。

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これに、お土産がいろいろな種類のスコーンが五個ずつ。それから、生ハムがあんまりおいしかったので、お願いしてテイクアウトにしていただきました。娘はメンバーと食べると、私は家に持ち帰りです。スコーンは、メンバーとの朝ごはんにするように私のも渡して。

娘が私の写真をかわいく撮ってくれて、これは私の遺影にしてと言ったら、いくら何でも詐欺かねと二人で大笑いでした。ちょっとはずかしいけど面白いので小さく。

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 新幹線で広島駅に、そこからクリニックに行き、自転車に乗って普通通りに帰りました。大阪だと、こんなことがどうってことなくできるとわかりました・・。とちょっと贅沢をしましたが・・。

 

 

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コスモスを堪能しました。

吉舎から高速、尾道道に乗って世羅インターへ。そこから出てすぐの世羅道の駅へ。さらにそこからナビを頼りに8キロ、暗い山道を急げ急げで香山ラベンターの丘に到着。4時を大分過ぎていましたが、入場は5時まで。係の女性はとても親切に案内して下さいました。そして、コスモスの摘み取りをしています。ご希望なら、会場の中のお店ではさみをお貸ししています。5時までですと。ありがたいことでした。会場に入るとすぐに、色とりどりのコスモスが満開でした。

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畑の中を分け入るように入っていくと、埋もれるようにブランコがありました。でも、残念、若い女性がふたり、ブランコに乗っていました。

10本切っていいということでしたので、あれこれ選んで戴いたコスモスと一緒に自撮りです。

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車の後部座席に置いて家に帰ると、持って帰ったコスモスは、すっかりしおれていました。急いで水切をして花瓶にさして外に置いていたら、夜が明けてみると、とっても元気になっていました。つぼみが沢山あるのを選んだので、当分楽しめるでしょう。

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コスモス、堪能しました。クリニックのベランダのコスモスがうまく咲かなかったので、がっかりしていましたが、ちょっと元気が出ました・・。

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三次市吉舎中学で講演でした。

今日の一日。秋。山の木々がほんのりと色づいてきました。4日前に通ったのと同じ道を走って、三次市吉舎中学に行きました。

 行きの話。中国道、私の前をゆっくり行くトラックがいて、でも右側に遠くから猛烈に追いかけて来るブルーの乗用車がいて、間に合うと判断してトラックを追い越し、すぐに走行車線に戻りました。その私の右をすごいスピードでブルーが追い抜いてい行き、そしたら、すぐに白い車が私を抜きました。あれ?上に赤が。ドキッとして。以前、ひまちゃんを後部座席に挟んで、のりたまさんと音♪さんでたかのの道の駅に行っていて、白い覆面パトカーにつかまったことがあります。またか、と思ったら、私の横を過ぎて、そのブルーの車の横をしばらく走り、前に出て。可哀そうに、つかまりましたね。えんえんと走って、次のPAに入っていきましたよ。危ない危ない。あのブルーがいなかったら、私がつかまっていたかもしれません。
 
 三次東インターから尾道道に入って、吉舎へ。中学ではこうでした。

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全校生徒56人と保護者の皆様。PTA教育講演として。

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 みなさんよく聞いてくれました。しんどい時には、一人で悩まないで。誰か一人、話を聞いてくれる人を見つけてほしい。そこから、必ず世界は広がってくるから。もし周りにいなかったら、私のブログにコメントで書いてくれてもいい。アドレスを書いてくれたら、返事を書くからね、と最後に言っておきました。校長室で校長先生と三次市の行政さんと話をして、教えていだたきました。尾道道に入ると、二つ目のインターがもう世羅だと。世羅の花園でコスモスをしていると。そそくさと失礼して、世羅に急ぎました。

 世羅のインターを出て、道の駅へ。そこのインフォメーションに行くと、こんなチラシが。

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ラベンターの丘でコスモス?なので、尋ねました。ここに行くとコスモスが見られるのですね?と。そしたら、ここが一番近いですと。しかも、そう答えて下さった方が外に出てきて、「河野先生?」ですって。はい、というと、「どうして河野先生がここにいるのですか?びっくりしたあ」と。患者さんでした。私、ここで働いているの、と。まあびっくり。時間が遅いですよと言われたけれど、少しでも見られたらと急ぎました。

で、コスモス、素晴らしかったです。

昨年の春、姉と甥の二女と三人で一緒に花を観に来た所でした。その時は、ポピーがいっぱいでした。姉は、認知症ではあっても、その頃はまだ出かけることができていました。今日は、一人ボッチでお花を観に来ました。思い出して、胸が痛くなりました。

 明日、コスモスの写真をいっぱいアップしますね。

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豪華お昼ご飯。

今日のお昼のお弁当です。

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いただき物の焼き芋、ヨモギの柏餅、出雲で買って帰ったあごの野焼き、そしてアケビ。それと、トマトのインスタントスープ。美味で豪華!!でした。

今晩は、アケビの皮できんぴらを作るつもりです。これも楽しみです。

 やはり疲れが出てているのか、特に寝不足が応えたのか、昨日の診察中に強烈な片頭痛の発作が起きました。何年ぶりかです。目が見えなくなって、困りました。カルテはナースに読んでもらって。すぐに飲んだ鎮痛剤もあまり効かなくってつらかったです。ぐったりでしたが、今日は、もう元気になりました。

 明日の木曜日は三次市吉舎の中学校で講演。土曜日の夕は大阪、最終の新幹線で帰って、日曜日はエイズ日曜検査。来週の木曜日は千葉で講演。まだまだ忙しさが続きます。元気でいなくては。

 クリニックの青野さんのお花。とてもかわいらしい、秋のお花です。

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もう少ししたら、またシリーズを書きます。

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出雲から帰ってきました。

出雲から無事帰ってきました。ホテルがなかなか取れなかった理由が、今日わかりました。そもそも神無月、出雲は神在月は、ただでさえ観光客が多い上に、今日は、出雲全日本大学駅伝でした。選抜の学生さんたちだけでなく、応援の家族や友人たちも皆さん、ホテルに泊まられるのですね。そんな時に、ホテルに泊まれたのは、ラッキーでした。私が行く平田の金光教の教会は、その駅伝の通り道にあります。午後一時からの時間が重なると、交通規制があるのですが、ちょうどその前に終えることができて、これもラッキーでした。

 ここは、私の祖父母、父母がずっとお世話になった教会です。ここの共同墓地に祖父母、父母とも入って祭られています。お墓参りには、以前は少なくとも、年に一回か二回は行っていたのですが、ここのところ、コロナで少し遠のいていました。

持って行った兄の作品を祭壇の前に置いて頂きました。この四つです。

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大きいのばかりですが、喜んで納めて下さいました。大先生と若先生と、大先生の奥様と兄の事など、いろいろとお話しをしたのち、祭壇で祝詞を上げて頂きました。その後は、お墓の前でもう一度、祝詞を上げて頂きました。

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玄関の横で、出て来て下さった大先生と奥様と。大先生は、明日で92歳になられます。

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 昔から、本当にお世話になっているのですが、もう、お墓参りに来ることができるのは、私だけになってしまいましたし、私も今度は、いつ来られるかわかりません。でも、二月には、松江で講演することになっていますので、その時には来ることができるだろうと思います。父は、永大供養のお願いをしているということですので、安心ではあります。もう、父母の後は、お墓に入れて頂く者はいません。

 上の兄は、亡くなった後は大分大学の医学部に献体をし、一年経って、遺骨が戻ってきました。その時には、兄の奥さんと一緒に康行さんが、火葬場で受け取りをしました。そして、その遺骨は、東京湾に散骨されました。下の兄、康行さんのお墓は、福岡の桜がいっぱいの樹木の下に、「風」という字と、一麦窯の麦の絵が描かれた石の下に入ります。姉や私や妹は、夫の家族のお墓に入るでしょう。できれば、私は両親と一緒のこの共同墓地がいいのですがそうもいかないようです。

 これで、一応兄、長谷川康行の作品ついては、ひと段落です。ちょっとホッとしました。もう一度、残りを持ち帰ったのを遺作展第二弾をするつもりですが、もう少し私の体が楽になってからにします。その節は、よろしくお願いします。

 

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松江です。

松江、宍道湖温泉です。よく泊まっていたホテルは、ギリギリだったのでどっこもとれず、やっとここ、初めてのホテルが奇跡的に取れたので部屋はあまり良くありません。が、泊まれただけましです。

 部屋は宍道湖に面していますが夕焼けの方面は見えず、しかも曇りだから、夕焼けは無理だなあと思っていたのですが、これも何だか奇跡的に、ちょっとの時間夕焼けけが現れました。お風呂にいくために浴衣を着ていたのを、大急ぎで着替えて、宍道湖畔迄走りました。で、これ。真っ赤なのが撮れました。

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夜、部屋から。

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来る途中、高野の道の駅へ寄りました。定番ですが、本当に久しぶりです。レストランがバイキングになっていました。相変わらず、すご人です。

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高野というと、大根とリンゴ。大根がないの?という人がいて、ないんですと答えるお店の人。すると、そこに「大根がきました~」と。そしたら、すごい人が群がって。山積みだったのが、みるみる減っていきました。一人何本も買う人もいて。私は、大根一本と、カラフルなトマトと、あけびを買いました。あけびは、五つ入っていて500円。うれしいです。後、鷹の爪とししとう。

 高野の道の駅も松江のホテルも、前回来たときには、姉と一緒でした。道の駅では、姉が新米を買ったら抽選があって、当たりでまたコメが当たりましたよ。そんなことを思い出しました。明日は、教会に両親のお墓参りと兄が亡くなったことの報告と、兄の製品を納めに行きます。教会も姉なしは初めてです。本当に寂しいことです。明日の午後には帰ります。

 

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子宮頸がん予防ワクチン・キャッチアップは期限があります。

先日、22歳の患者さんが、子宮頸がんの予防ワクチンをうちに来られました。いわゆるギャッチアップです。ワクチンを無料で打てるのは、原則高校一年生まで。ですが、子宮頸がん予防ワクチンの積極的勧奨をしなかった間に打てなかった人たちの救済として無料で打てます。これについては、後述します。

 その彼女にはお母さまがついてこられました。普通、診察室には、お母さまのつきそいは特別な場合だけにしているのですが、ワクチンの接種ですので、これについては、お母さまにも聞いていてもらったほうがいいと思って、そのまま、お二人に聞いてもらいました。子宮頸がん予防ワクチンについては、大々的に副反応が報道されたこともあって、親世代の方が心配されることもかなりあるからです。ワクチンを打つ前に、丁寧に説明をします。一人につき、約15分かかります。

 その説明が終わって、それでは、うちましょうね。お母さま、それでよろしいでしょうか?と尋ねた時、

「はい、あの、ちょっとよろしいでしょうか。」とお母さまが言われます。はい、どうぞと言いました。何か質問だと思ったからです。そしたら、

「私は、この子が生まれるまえからこちらの患者でした。そしてこの子が生まれて、その後第二子をと思ってこちらに来た時に、先生ががん検診を勧めて下さいました。してもらったら、引っ掛かったのです。そして、すぐに大学病院に紹介されて、手術を受けました。あの時に先生に勧めてもらわなければ、私はこの子を育てることもできませんでした。先生のおかげです。先生にお礼をと思いながら、今まで仕損じていました。本当にありがとうございました。」と。お母さまもお嬢さんも涙ぐんでいらっしゃいます。

「それは、それは。良かったですね。でも、それならお嬢さんも、もっと早くワクチンをうちにこられても良かったですね。」というと、
「そうです、そうなのですが、副反応が怖くて、」とおっしゃいました。そして、お礼の気持ちです。使って下さいと、このハンカチを下さいました。ありがたく大切に使わせて頂きます。

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 そこで、キャッチアップについて。これは昨年の3月27日に私のブログに書いています。詳しくはここで。で、気を付けて頂きたいのは、これは無限ではないということ。期限があります。来年の9月までにうち始めないと、3回が無料でうてる事はなくなります。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2022/03/post-56a836.html

このブログの一部の大切な所だけを張り付けておきますね。以下です。

2013年4月からやっと定期接種となって無料で接種できていたのに、アッという間、その年の6月に積極的勧奨が中止となりました。その結果70%を超えた接種率が1%未満となってしまいました。今や、世界の中で日本はこの点については孤立しています。アフリカの国々もどんどん接種され、ルワンダなんてほぼ100%の接種率です。その結果多くの国々で「子宮頸がんは我が国では克服した。これからはごくまれにみる珍しい病気になるであろう」という宣言が次々となされています。

 私がずっとぶれずに接種を続けてきたのは、世界を見て来たからです。世界中でどのように接種されどんな成果上げているか、次々と発表される論文を読んできたこと、WHOの「世界中でもっとも安全なワクチン」との発表もありました。同時に日本において誰によってこのワクチンの反対運動がなされてきたかを初期からずっと見続けてきたことによります。そのうち、名古屋スタディなど、子宮頸がん予防ワクチンの副反応とされたものが、実は思春期特有の症状であるとの証明がなされてきました。

そもそも積極的勧奨を控え、WHOや世界産科婦人科学会などから早く再開するようにと度々日本に対しての勧告があったのに、無視し続けてきた責任が誰にあるのかということです・・。その間、どれだけの若い女性の子宮がなくなり、命さえも亡くなり続けたことか。

(中略)

以下、子宮頸がん予防ワクチンを打ちそびれた方たちの救済接種です。無料で接種できます。

1. 平成9年(1997年)4月2日から平成18年(2006年)4月1日までに生まれた方で子宮頸がん予防ワクチンを打っていない方、または3回接種の途中でストップした方、残りの回数、無料で接種できます。
2. 接種期間:令和4年(2022年)4月1日から令和7年(2025年)3月31日までの3年間。
3. 各医療機関で。あらかじめ電話で予約をして下さい。接種券は、とりあえず、いま接種している人(小6から高1まで)用のを使います。ただし、救済接種の人には保護者の同意のサインは要らなくって、本人の同意のみでいいそうです。

以上です。

 

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映画「ヒロシマ1966」④

「ヒロシマ1966」の監督、白井更生さんが、アラン・レネ監督の「ヒロシマ・モナムール(24時間の情事)」のチーフ助監督だったというのを知って、「ヒロシマ・モナムール」を観なければと思いました。昔の映画ですが、沢山の賞を取っています。実は、韓国の映画「四月の雪」の監督、ホ・ジノさんとソウルで会った時に、ジノさんが、「ヒロシマ・モナムール」の事を話していらっしゃいました。ちょうど広島で「ヒロシマ・モナムール」の女優さんが広島で撮影した時、個人的に撮った写真の展示会が開かれていたのを知っていたので、その話をしました。しかし、私はその映画を見ていなかったので、ちょっと後悔しました。

余り関係ないけれど、ホ・ジノさんの奥様とその姉妹と、私の家族が一緒に食事をしたので、その写真を貼っておきます。一番右がホ・ジノさんで隣がその奥様、そして私です。

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しかも、その映画「ヒロシマ・モナムール」には、映画「ひろしま」のシーンが沢山挿入されていると知りました。で、DVDを調べてみたら、ありました。即、新品を買いました。

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 二週間後に東京に行きますので、その新幹線の中で観ることにします。とっても楽しみです。それにしても、「ひろしま」がこの映画に挿入されて、全世界に発信されたこと、素晴らしいです。いろいろな経緯があったのでしょうね。

 「ヒロシマ1966」には、何度も言うように、加藤剛さんと松本典子さんが演じている二人の医師が出てきます。樺美智子さんが亡くなったあの60年安保のデモで、彼が瀕死の重症を負ったのを彼女が引っ張り出して助けた、それが縁で二人は恋人同士になります。佐世保でベトナム戦争で傷ついた米兵を治療している彼と、広島で被爆者を診ている彼女は、これからも決して結ばれないのでしょうが。二人の安保闘争での挫折の評価と、悲しいけれど熱い会話をシナリオで読んで、これは、やっぱり観なければと思うのです。が、この映画はDVDにはなっていないし、観る手段も分かりません。とても残念です。

 これで、映画「ヒロシマ1966」については終わります。ふとしたことから調べてみたのですが、いろいろと知れてよかったと思います。あ、白井更生さんも吉川清さんもずいぶん前に亡くなられていますが、広島大学の映画研究会の方たちはどうしていらっしゃるでしょうか。青春の一時期をかなり濃密にご一緒したのも懐かしいです。それから、これは思い上がりですが、その役、絶対私がやった方がよかったと思いました。だって、就職試験がうまくいかないその頃、彼女は猛烈に、後輩が音を上げるほどバスケットに打ち込むのですが、スクリーン上の彼女は、まるで幼い子どものまりつきでしたもの。それくらい、練習をすればよいのにとあの頃私は思ったものです。もちろん、撮影の間、私はずっと彼女と仲良くしていたし、旅館に行って一緒に演技の練習をしたり、方言の指導もして過ごしましたよ。望月優子さんには、ご挨拶をしても、じろりとにらまれて、一言もお声をかけて頂けませんでしたけれど。

 読んで戴いてありがとうございました。

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映画「ヒロシマ1966」③

映画「ヒロシマ1966」のストーリーはこんなの。ネットにいろいろとありましたが、これが一番まともに思えたので。


一九六六年、広島。平和公園で、みやげものの屋台を並べる、被爆者の一人川村しのは、何か落ち着きがなかった。それというのも、娘真弓の入社試験の発表が追っていたからだ。「芸備工業」は、被爆の後遺症で死んだ夫が勤めていた大会社で、この会社に真弓が合格すれば、原爆病の恐怖に戦きながらも、二十年間頑張り通したしのは、安らかに死んでいけると信じていた。

 そして父の悲惨な記憶から逃れようと、上の娘恵子が家出した今、頼るすべは真弓だけだった。矢も盾もたまらなくなったしのは、亡夫の友人、「芸備工業」牧田経理部長を訪ねた。必死なしのの願いも空しく、牧田はしのを冷くあしらった。真弓の担任の松本先生が、大会社は片親の子供は採用しなくて、決して真弓の成績が悪かったのではないと励ますが、しのの気持は閉ざすばかりだった。

 --一方、ベトナム戦で負傷したアメリカ兵を扱う佐世保病院に勤める、青年医師田岡一夫と、広島原爆病院の女医内山淳子が広島の雑踏の中を歩いていた。将来を誓った二人だったが、安保闘争の挫折から二人の愛に亀裂が生じていた。田岡は、時々淳子のもとを訪れ、互いに満たされぬ一夜の交歓にひたり、そそくさと佐世保に帰る、そんな状態がもう長く続いていた。

 --すっかり働く意欲をなくしたしのは、原爆病だから国が面倒みてくれるとふてくされ、床を離れようともしなかった。数日後に漸く床を離れたしのは、真弓と共に亡夫の眠る木次に墓参りにいった。田舎の澄んだ空気は、しのに再び活力を与えた。真弓も零細企業だが、町工場に就職できたし、川村母娘に明るさが蘇った。

 そんなある日、しのは真弓の運転する自転車に乗せてもらった。自転車が平和公園の前を通る時、突然しのの脳裡に原爆の閃光が現れ、自転車から転げ落ちた。しのは、心身ともに限界にきていた。

 驚いた真弓は恵子に援助を頼んだか、恵子は涙を浮かべながらも、かたくなに拒否するのだった。母に代わり、屋台をひいて家路を急ぐ真弓、背後に、電光ニュースが、正月休戦を終え再開したベトナム戦争の激しさを伝えていた。

まあ、言ってみればこれだけのことなのですが。

実は、私はネットをうろうろしていて、こんなのをみつけたのです。すぐに頼みました。映画と同じ58年前の本です。そしたら、今日、書留で届きました。びっくり。頼む時には、この映画の何かがあるらしいということだけだったのですが、開いてみて、本当にびっくり。「ヒロシマ1966」のシナリオが載っていたのです。それと、白井更生監督の文章も。

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 読んでみて、改めて感じ入りました。白井さんも、それから映画の登場人物も、みんな戦争を体験しており、それからこの時代は安保闘争の後、そしてベトナム戦争の真っただ中であるということです。そんな時代の中でこそ、白井さんが言いたかったことがぼんやりとわかってきました。今日でこれについては終えようと思っていたのですが、こんなものが手に入ったので、もう一回、あすにも書きたいと思います。

 明日は、木曜日の休診日。年一回のドックです。胃カメラやマンモグラフィーや、苦痛なのもいろいろ。何もありませんように。

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映画「ヒロシマ1966」②

 当時は、オーデションという言葉なんて知らなかったけれど、後で監督が話してくださいました。エキストラの募集のようにしたけれど、実は、誰か主役がやれるような人がいないかと、その目的があったのだと。結局映画に出るとなって、いろいろと大変でした。監督と吉川清さんと、まだ他にもどなたかが家に来て、両親と長く話していました。父は広島二中の教師をしていました。その被爆の状況、吉川さんの被爆の事など、ずいぶん気があって話をしていました。私はそばで聞いているだけでしたが、吉川さんが、「子どもはできんのです。」と言われたことが強烈に残っています。背中一面の大やけど、そのケロイドは、私も小学校の時に平和公園で見せて頂いたことがあります。そんな大変な火傷と放射能で、子どもを作る能力が失われたということなのでしょう。

 それから、台本を渡されました。まだ完成稿ではないけれど、と。私のする予定の役は、高校のバスケット部でした。私は、バスケ部だった友人にお願いして、卒業したばかりの高校のバスケのコートで、教えてもらいました。パス、ドリブル、シュート、体育の授業でしたバスケットも好きだったのですが、結構早くマスターできました。監督は、準備のために一旦東京に戻るけれど、入学試験の結果を教えるようにと。撮影のスケジュールは、ちゃんと考えるからということでした。

 合格を確認して、当時ですから、丁寧にお手紙を書きました。吉川さんには、ずいぶんと可愛がっていただきました。ごはんを食べたり、奥様がなさっているお店に行ったり。即興で詩を作って、曲も作って、その場で歌って下さりもしました。きっと、娘のような気持ちでいらっしたのだと思います。

 それから、白井監督が帰って来られて、話がありました。私にしてもらいたかった役は、母親役の望月優子さんのお嬢さんがすることになったと。望月さんが強く主張なさって、娘がその役をしないのだったら、自分は降りると。監督は、山田五十鈴さんとか、いろいろと探されたそうです。でも、どなたも急なことでスケジュールが無理で、どうにもならなかったそうです。そのことは、監督さんからではなく、広大の映画研究会の方に聞きました。望月さんは、「こんな大切な役を、素人の女の子ができるわけがない」と言われたそうです。私は、「いい映画を作って頂きたいので、そのために協力をします。」と言いました。監督は、台本の中の、私が改めて演じることになった友人の役の出番をずいぶん増やしてくださいました。


 撮影は、一か所は当時被団協があったビルの地下にある喫茶店で。私は、そこを切り盛りする女性の娘の役でした。高校から帰ると、その喫茶店で働いています。そこで、主役の少女といろいろと話をするというシーンなど。思い出は沢山あります。

 わたしが残念なのは、私はまだそのころは子どもでした。もう一組の主役、加藤剛さんと松本典子さんのカップルについて等、何にも知らなかった。60年安保で挫折した医師同士の事。安保なんて知るのは、私が大学に入ってしばらくしてからです。だから、もう一度見てみたいと思うのです。

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次回、この映画のストーリーなどお話しますね。それで終わります。

 

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映画「ヒロシマ1966」①

この夏、映画「ヒロシマ」が再上映されるという記事を私も書いていて、その時にふと気になったこと。いろいろと探したので、記録のために書いておきたいと思います。

 その昔、私が高校を卒業して大学の受験も済んで、結果を待ちながらのんびりしていた時、新聞で「広島で映画の撮影がある。それに出演する女性を募集している」という記事を見ました。ああ、ちょうどいい、応募してみようと思ったのです。暇でしたから。


 それからほどなく、試験、今でいうオーディションの会場にいました。平和祈念館の一室だったと思います。そこには、たくさんの女性たちがいました。私は、順番を待つ間、持って行っていた本をひたすら読んでいました。その待合室には、何人かの大人の人たちがいて、その中の一人が話しかけてこられました。何をしている人かと。私は、高校を卒業したところです。受験も済んで結果を待っていますと答えました。後で知ったのですが、その人たちは広島大学の映画研究会の人たちでした。広島で映画の撮影がある、そのお手伝いをしようと来ていたのだそうです。そこで、こんな所に応募するのは、どんな女の子なんだろうと思ったら、本を一生懸命読んでいる、変わった子がいると話かけたのだそうです。

 その内、順番が来て、部屋の中に呼ばれました。中には何人かの男性たちがいました。そして、先ほどとおなじようなことを聞かれました。私は高校では演劇部だったことも。どんな劇をしたのかと尋ねられ、一年生の時には「象の死。戦争で殺されて行く動物園の象の話。それでは女性の獣医役」をしたこと。「二年生の時には、広い黄いろい土地。日本に侵略されて行く中国の女の子の役」だったこと。すると、セリフを覚えていますか?ちょっとここでやってみて下さい。と言われました。私は、思い切って、中国の少女役のセリフ、それもしょっぱなの、軍靴の音に耐えられず、頭を抱えながら、「ああああっ!!もう嫌だあ、私の土地が踏みつぶされて行くー!!」というような意味の事を思いっきり叫びました。と、急に恥ずかしくなって、「もういいいですか?」と笑って尋ねました。そしたら、真ん中にいた人が、「あのね、これが終わるまで、帰らないで外で待っていて」と言われたのです。また本を読みながら待っていて、すべての人がいなくなった時に、何人もの男性が来られて、別の建物に連れていかれました。


 そして、一つの部屋に入ると、あのね、あなたのお母さんが倒れて、病院に運ばれた。そして、寝台で運ばれている。この机がお母さん。運ばれている所について行きながら、お母さんに話しかけて。と言われました。私は、


「お母ちゃん、お母ちゃん、しっかりして。目を開けて。死んだらいけん。お母ちゃん!!」などと叫びながら机に沿って移動しました。一人の男性が私の顔を正面から覗き込みながら、ついてきます。覗かれる顔が近くて恥ずかしかったのを覚えています。

 これも後で知ったのですが、その、顔を覗き込んでいた人が映画監督の白井更生さん。そばについていたお一人が、「原爆一号」と言われた吉川清さんでした。白井更生さんは、アラン・レネ監督の「広島モナムール」、日本の上映の題名は「24時間の情事」のチーフ助監督であった人。吉川さんは、現地制作ということでした。


 そうして、私はちょっと暇だからと軽い気持ちでエキストラだと応募したのが、あれよあれよと、主役の娘さんの役をやってもらうということになりました。あれえ?試験に受かったら、大学はどうなるのかなあなどと思いながら。

映画は、「ヒロシマ1966」。

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出演の所に長谷川美代子とあるのが、私です。はい、結局の所、主役ではなく主役のお友だちの役となりました。この話、しばらく続けますね。

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「女性が躊躇なく活躍できる日本に」種部恭子先生の講演から・終わり

 安倍さんがあのような殺され方をして、やっとやっと統一教会の政界汚染が明らかになりました。それでも、いまだに統一教会と仲良しだった人は政界の中枢に居座っています。統一教会が目指したものは、まさにジェンダーギャップを推奨することでした。

 票も金もある彼らが、政治家に近づき、政治を動かしていたということは、早くから明らかであったことなのに、社会的に問題とされませんでした。種部先生もよくご存じのこれら。今日も私が講演で使った私のスライドからですが。

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低用量ピルが日本で認可されたのは、国連加盟国の内びりだし、子宮頸がん予防ワクチンが認可されたのは世界中で100番目の国だし、緊急避妊薬が認可されたのは、世界中のラスト6か国だし。これらに共通だったのは、同じ言われ方でした。「あんなものを認可すると、女性が後で薬を飲んだらいいじゃないとセックスをするようになって、家庭が壊れる、社会が乱れる」という言い方です。まるで女性同士でセックスをするかのように、男性の事にはちっとも触れないで。そして、それに環をかけての性教育バッシング。「避妊なんかを教えるから、若い女が興味をもって、セックスをしたがるようになる。そして、家庭を壊して社会が乱れる」と。これは、正に中京テレビのドキュメント「日本の性教育セックスをどこまで教えるか」の中で、山谷えりこ氏が「避妊を教えることは、あなたは避妊具さえはめればセックスをしてもいのよと教えること。」そしてそれは「家族を壊すと思っています」と言っています。避妊を教えることはセックスを推奨する、過激な性教育であるという言われ方にどれだけ情けない思いをしてきたことでしょう。「学生の間は、ただ、セックスはしてはいけないということだけを教えること」と。統一教会が信者にそう教えることは、それは自由でしょう。しかし、それを日本の政治、行政に押し付けました。そして、彼らは政治家を動かすだけでなく、自ら学校に入り込み、思春期教育という名の元に、生徒たちに講演をし、統一教会の教えを語っています。学校現場が彼らのそういう行動を許しているということです。

 それらが明らかになり、性教育も、統一教会に汚染された政治家たちによりバッシングされたということも明らかになっても、なお、文科省は、性教育に正面から取り組もうとしません。さすがに世論に押されたのか、「命の安全教育」などと、これまた世界に出すのも恥ずかしいことをやれと教育現場に押し付けています。あいも変わらず、指導要領には、中学生にすら「性交」や「避妊」は教えないことになっています。

 そもそも、日本のジェンダーギャップの125位というのは、種部先生は経済の問題と言われましたが、やはりこれは「政治」の問題なのではないでしょうか。この指数が正に表しています。

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そして、この政治のひどいペタンコの状況は、まさに自民党のし女性議員数の少なさが多いに寄与しているということです。自民党にも例えば杉田さんのような女性はいるけれど、女であればいいというものではありません。まったく人権意識のない、権力者にすり寄ってこそ議席を得ているような人、LGBTについてのひどい記述だけでなく、こんどはアイヌ民族侮辱で、法務局から人権侵犯との啓発をされたような、こんな人が女の議員でいることが恥ずかしい。彼女が女性のジェンダーギャップを解消するような働きをするとは到底考えられません。そのほかの女性議員は、ほとんどがいわゆる二世議員です。


そして、このジェンダーギャップは私が前回に挙げたような、さまざまな国民の苦しみと一体であるということです。政治が、それらすべてについての改善を図る方向に行かない限り、ジェンダーギャップだけ、解消することは到底無理です。ジェンダーギャップが解消すれば、経済は上向くと言っても、他の弱者たちが共に救われない限り、この日本の現状はいつまでも続くでしょう。(物価が上がり、税金をたくさん払う以上に給料が上がり、生活が楽になること。貯金の利子が少しは増えること。ブラック企業でなくなること・・・。)

 種部先生が、医療だけでは救われない、政治の分野へと考え、議員となったのは、拍手ではあります。それでも、年期を積んだ年寄りや二世、三世が跋扈する自民党の一員である限り、私は危ういものを感じるのです。自民党でないと仕事ができないと考えるたのかもしれませんが、このような今の日本を作ったのは、正に自民党の権力者たちです。それでも、昔は、自民党の重鎮の中に、包容力のある、野党をも大切にする大物の方がいらっしゃいました。しかし、今の自民党の中には、残念ながらそのような方たちは見当たりません。おそらく、排除されてしまったのでしょう。種部先生が、まさか権力者にすり寄って力を発揮しようとするとは思えませんが、それでも、先日お会いした時に私が言ったことは覚えていらっしゃるでしょうか。包括的性教育について、「立憲が動いたら、せっかく実現しようとしたのがダメになる。」と、先生が言った時です。自民党のみがすべてを動かすことができるという思い上がりが私には見えました。そして、「まあ、共産党が動いたのでなければまだましだけど。」と言われた時に、「先生、あなたは、自民党脳になってしまっている」と言いました。どの政党でもいいし、市民運動でもいいし、PTAでもいいし、いろいろな人が文科省に対して声を上げればいいと思います。山谷氏が文科省を押さえていると言われる時ですから。そして、先生は、例えば自民党の中で山谷氏や杉田氏のような発言があったときに、内部から「それは間違っている」と声をあげて下さるのでしようか。私が、前々回、政治家でない我々の方が、いえるのかな?と書いたのは、そういう意味ではあります。内部から変えていのは、とてもしんどいことでしょう。

少なくとも、他の事はよくわかりませんが、ジェンダーや性教育については、種部先生も私も目的は一緒のはず。ご健闘を祈ります。

今日、我が家のポストにこんなチラシが投げ込まれていました。行動に気を付けようと思います。

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