遺作展、ありがとうございました。
兄、長谷川康行遺作展、おかげ様で無事終了しました。芳名帳によると、計139名の方におい出いただきました。
そもそも最後の個展をして工房を閉じようとした兄が、その個展をしないままにアッという間に亡くなってしまって、膨大な作品が残りました。兄のお見舞いに行ったとき、死を意識した兄は苦しい息の中で、私たちにいろいろと遺言を残しました。それをスマホで動画をとったのですが、私が作品はどうするの?と聞いたら、ふっと笑って、持って帰ってと言いました。
福岡の作家の作品展を広島でするという、なんとも無茶な事でしたが、多くの方のご尽力で無事終えることができました。
何よりも、沢山の作品を一つ一つ包んで、小物はビールケース10箱と大物をたくさん、持って帰りやすいように用意して下さっていた何人ものお弟子さんたち。この用意がなければ、とてもあんなに沢山持って帰ることはできませんでした。その作品をトラックを出して一緒に取りに行って下さった河口さん(知る人ぞ知る、コスプレ、亀仙人の河口さんです)その河口さんに頼んで下さり、闘病中にも関わらず一緒に博多まで行って下さった、小坪さん。さらにお宅の倉庫に保管して下さり、会場の設営も、また期間中、ずっと夫妻で受付と来られた皆様に説明を引き受けて下さいました。小坪邸から会場までトラックで作品を運んでくださった、廿日市市議の山田武豊様。また、私のクリニックと同じビルのギャラリーを気持ち良く貸してくださったオーナーの大野様。「長谷川康行遺作展」の書を書いて下さった益田洋子様。
これらの方々のお一人でもいらっしゃらなければ、この展示会はできませんでした。
そして、何より会場まで足を運んでくださった多くの方々。広島市内だけでなく、遠くは岐阜県、兵庫県、福岡、鹿児島から。県内も福山や北広島町、三原市、大野町などから。会期の後半においで頂いた方には、多くの食器等が売り切れてしまっていて、申し訳ないことでした。
人気があったのは、これらの青がきれいと。
焼き締めの特にビールジョッキ。早速にこれで飲んだ方が泡がきめ細かくておいしいと。
このミニダックスフンドの箸置き、可愛いと、あっという間になくなりました。中には、家のワンちゃんとそっくりという方も。私は、兄が工房ではなく、家で座って手先でもみもみと作っているのを見ました。
きれいな色のお皿たち。私は、この真ん中がガラスのように緑のが欲しいと思いましたが、私の手には入りませんでした。
このピンクのコーヒーカップが10客あったのですが、アッともう三客となった時点で自分用に二客押さえたのですが。後からそれが欲しいという方がいらっして。「自分よりやお客様を大事にしろよ」という人がいて、泣く泣く手放しました。後で喧嘩です。「外面ばっかり良くって、身内に冷たい。兄の形見を私が欲しくって、どうしていけないの」と。「もう作品が少なくなって、来た人が気の毒でしょう。」と譲りません。もう、兄には二度と作ってもらえないのだからと、今も悔しい思いでいます。
それにしても、兄は大した人だと改めと思いました。形だけでなく、その豊富な色をどうやって出したのか、この模様は、どうやって作ったのか、すごいと感嘆しました。土も全国を尋ねて回り、集め、備前や萩、信楽、白磁風など、自在に使いこなしていました。ある陶芸をなさっている方が、わずか30年で、これだけの作品を作ったのは、この人はきっと前世でも陶芸をしていたとしか考えられないとおっしゃって下さいました。ありがとうございます。
さて、多くの作品が引き取られて行きましたが、残念なのは、睡蓮鉢、メダカ鉢の類が残ったことです。
こんど、来月の福岡での花器の遺作展に行きます。その時に工房にまだのこっているのがあれば、持って帰って、第二弾をしたいと思っているのですが。
皆様、本当にありがとうございました。
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