「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の今年の平和講演、きのこ会の事務局長、平尾直政さんの講演は、参加の皆さんの胸をうちました。アンケートに、多くの方が知らなかった!!と書かれています。ここには、平尾さんに頂いたレジュメを転載させて頂きます。
写真は講演される平尾さんです。
【原爆小頭症とは】
原爆小頭症とは、母親の胎内で被爆し強力な放射線を浴びたことが原因で発症する原爆後障害のひとつです。「小頭症」の症名のとおり頭が小さいことなどが特徴で、多くが脳と身体に障害を負っています。胎内被爆者は、被爆後に誕生したことから被爆二世と誤解される事が少なくありませんが、原爆小頭症の障害は遺伝によるものではなく、胎児のときに被爆したことが原因です。
ABCC(原爆傷害調査委員会)が 1972 年に発表した調査によると「原爆小頭症の子どもは、広島で 48 人、長崎で 15 人の 合計 63 人いた」とされています。厚生労働省によると、2023 年 3 月末現在で原爆小頭症の被爆者は全国で 13 人です。(※2023 年4 月 1 日に 1 人 他界しました)
【きのこ会とは】
きのこ会は、原爆小頭症の被爆者と家族の会です。原爆小頭症の当事者となる会員数は 2023 年6 月末現在で 11 人です。(内訳:広島市 5 人、広島市以外の広島県 2 人、北海道 1 人、神奈川県1 人、大阪府 1 人、山口県 1 人)
妊娠早期の胎児が強力な放射線を浴びると小頭症の子どもが生まれるということは、専門家の間では知られていましたが、一般に公表されることはありませんでした。アメリカが広島と長崎に設置した ABCC(原爆傷害調査委員会)では、原爆投下 6 年後の 1951 年から胎内被爆児について追跡調査を行い、早くから小頭児の存在について把握していました。しかし親たちには「この子の障害の原因は栄養失調だ」と偽りを伝え、その存在を隠し続けていました。
原爆小頭児の存在が市民に明らかになったのは、広島のジャーナリストの調査からです。秋信利彦氏が胎内被爆児の取材を始め、広島研究の会のメンバーたちの手によって、ひとり、またひとりと探し出していきました。当時、研究者たちから家族に対して正しい情報を与えられること
はなく、原爆小頭児の親のほとんどは「子どもの障害は自分たちの家族だけのもの」と思っていました。しかも被爆の翌年に生まれた胎内被爆小頭児たちの障害は、原爆によるものと認められていませんでした。
広島研究の会の呼びかけで 1965 年 6 月 27 日、6 家族が集まって原爆小頭児の親たちの集まりが結成。会員の発案で名前を「きのこ会」と決めました。その後、明らかとなった原爆小頭児と家族たちは、次々ときのこ会の仲間となりました。「きのこ会」という会の名前には、『きのこ雲の下で生まれた小さな命ではあるが、木の葉を押しのけて成長するきのこのように元気に育ってほしい』という親たちの強い願いが込められています。
1967 年 9 月、きのこ会の原爆小頭児 6 人が「近距離早期胎内被爆症候群」として原爆症認定を受けました。(その後 2 年以内にすべての会員が原爆症認定を取得)きのこ会にはこれまで 25 人の原爆小頭児が在籍しましたが、うち 14 人が他界しました。
レジュメは以上です。
きのこ会のメンバーの一人、のぶ子さんは、お母さんやお姉さんとは、幼い時に離れ離れ、お兄さんも家を出て、父親と二人で暮らしていました。父親も亡くなって一人ボッチ、やがて彼女も一人で死を迎えます。亡くなった彼女の棺に、お兄さんはピンクのスニーカーを入れてあげました。これを履いて、思いっきり天国で走りんさいと。
でも、会の後のささやかな反省会で、きのこ会の会長の長岡さんは、のぶちゃんの棺に、赤いはなおの下駄を入れてあげたかったと言われます。のぶこさんは生まれつき、右足の指がありませんでした。指の形らしきものはありますが、骨がなくってぷよぷよしているだけです。だから、のぶこさんは下駄が履けませんでした。そのころ、女の子はお祭りやお正月などには、赤いはなおの下駄をはいたものです。赤いはなおの下駄で天国で思いっきり歩いてね、と入れてあげたかったと。
きのこ会のホームぺージから、昭和40年、きのこ会が発足したその時の趣意書を転載させて頂きます。
なお、ホームページはここにあります。
https://sites.google.com/view/kinokokai/%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8
この「趣意書」は、きのこ会が発足した翌月の1965年7月24日、2回目の会合で発表したものです。支援者や報道関係者らに対し「きのこ会」と「原爆小頭症」について理解を求めるために作成し、配布されました。
この趣意書には、原爆小頭症の子を持つ親たちの切実な思いが込められています。
趣意書の本文は以下の通りです。
(注:原文のままであり、私書箱は現在使用しておりません)
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きのこ会趣意書
わたしたちの子供は、原子爆弾の放射能により、母の胎内で取り返しのつかない被害を受けました。しかし、その事実をしらないまま、どうしてこういう子供が生まれたのだろうかと、ひとりで悩み苦しんできました。
生まれた時から虚弱なからだで、その上精神薄弱をともなう小頭症という、治療法のない不幸な子供たちです。その原因が原爆のせいだと聞かされた時、今更のように原爆の恐ろしさと、戦争の悲惨さを感じました。
来年はこの子たちも成人式を迎へ、一人前の大人になります。しかし、この子たちは一生独立して生計を営むことができません。わたしたちがいつまでも面倒を見てやれるか考えますと、将来のことが不安でなりません。今までわたしたちは一人の親として、できるだけのことをしてきました。それには限りのあることです。
二十年目の今日、同じ悩みを持つ親たちが集まり、ここに「きのこ会」というささやかな会を発足させることができました。原子雲の下より生まれた不幸なこの子たちに、少しでも希望と勇気が得られますように、みなさま方のお力ぞえをお願いいたします。
また、わたしたちも二度とこうした不幸のおこらないよう、平和を守るために精一杯の努力をつくす決心でいます。なにとぞよろしくお願いいたします。
昭和四十年七月二十四日
広島中局私書箱一一九号 きのこ会
みなさま
今回、貴重な講演をして下さった平尾様に深く感謝申し上げます。
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