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片付けも終わりました。

 遺作展が日曜日に終わって、それから夜な夜な残りの梱包等をし、昨夜本格的に全部の梱包を終え、家に運べるものは運び、そして今日、すべての荷物を搬送しました。がらんとしたギャラリーです。夕方には、拭き掃除をして、今日、大家さんに鍵をお返ししました。

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 荷物は、またまた河口さんにお願いしてトラックを出してもらって、小坪邸の倉庫に置かせてもらいました。後は、遠方の方への配達を残すだけになりました。小物は黒猫に来て頂いてあちこちに宅配し、大物は、私が運ぶことにしました。大手の運送会社に頼んだのですが、美術品になるため、かなり大がかりな梱包と、保険等もかけるため、バカにならない金額になるし、それに今はとても忙しくて見積もりもしに来ることはできないと断られました。県外三か所に連休を利用しながら、運びます。

 宅配で送った長兄の妻、義姉からラインがきました。大き目の花瓶。兄の遺影に飾ったと。長兄が亡くなった時には、弟の康行さんが、牧師として葬儀をしたものです。

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 長兄は遺体を大分大学の医学部に献体したので、その感謝状が後ろにあります。また、アマチュア野球の審判でしたので、その置物が遺影の前にあります。あとは、孫ちゃんのピアノ演奏の写真。長兄は、遺骨は東京湾に散骨し、お墓もありません。その遺影の前に長兄の弟の作品が置いてあるのを見て、さすがに涙ぐんでしまいました。みんないなくなる・・。姉は認知症で、たぶん兄の死の報せも分からないと思います。こんなことを話せる身内がいなくなって、やはり寂しいものです。と、こんなことを言ったって、もしかして、今度は私が「あの時は元気に兄の遺作展をしていたのに」と言われるようなことになるかも・・ですね。人生、まったく何があるかわかりませんもの。


 


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広島県の行政がおかしいことについて・続き

広島県と市の両方が、今年の6月から7月にかけて、「広島県子供の生活に関する実態調査」を行いました。小学5年生と中学2年生とその保護者に対するアンケート調査です。県立の特別支援学校についても同じくです。調査内容等については、ここにあります。

https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki/248/r5seikatsujittai.html

中国新聞に書いてあったので、多くの方がもう知っていることとと思いますが。私は、改めて、小学生向け、中学生向け、保護者に向けてのすべてを読みました。小学生へと中学生の質問は、ほぼ同じです。問題は、このアンケートの問18です。

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このaからhまでを拡大します。

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私の個人的なことなのですが、今年の3月に亡くなり、先日来遺作展をした兄は離婚をしていて、相続の関係で、遺児三人に会い、いろいろと話を聞きました。子ども三人と母親だけの母子家庭がどれだけ厳しい生活であったか、それは胸が詰まる思いで聞きました。

e、両親の離婚を聞いています。この質問は、当事者にとって、容赦なく迫ってきます。人には知られたくない事もあるでしょう。または、知ってもらうのも、その人間関係がしつかりできていて、信頼できる人にであれば、話すことができるかもしれません。でも、こんな聞き方では、この質問の向こうに誰がいるのかわからない所で、子どもがこの質問と向き合わなけばなりません。親が離婚した子どもには、なにも触れるなというのではありません。とてもデリケートなことなのですから、熟練したカウンセラーなどが触れることはあり得ます。(離婚した子どもに向けての絵本などもあります。)

g、お酒と麻薬。子どもたちに、それも5年生に、麻薬の授業をしていますか?どんなものかわかっているのでしょうか。

h、うつ病も5年生でわかりますか?もし、親が自殺した子どもがいたら、その子がどんな気持ちになるのか、想像するだけで恐ろしいです。

私は、長い間性教育に関わってきました。それについては、学校の先生に、ずいぶん多くの事を学びました。もう、ずっと前、性教育に真摯に取り組んできた先生が、言われたことがあります。「もしも、この授業で一人でも傷ついたりつらい子が出たら、そんな授業はしてはいけないのです。」と。


 以来、私もそれを見習っています。講演の前に、子どもたちの中に、親が自殺した子はいませんか?とあらかじめ教師に尋ねます。自殺の問題を話す時に必要です。それから、一人親家庭についても、尋ねます。中には、虐待されている子もいるかもしれません。その当事者がつらくなるような話をしてはなりません。その子たちにも、しっかり受け入れられるような話をしなければ。それは、学校という場で最も必要な事だからです。

中国新聞の記事によると、この質問は、国、内閣府が作ったと言います。

https://news.yahoo.co.jp/articles/01a3ae6ef40d6183081cc160f96ce811b03dc19e

そして、その国、子ども家庭庁はこんなことを言っています。わざわざ子どもの心を犠牲にするような質問をした結果が、たったこんなことなのですか?あったり前ではありませんか。これまで子どもたちの何を見てきているのでしょう。

「心理的負担を伴う質問もあるが、得られる結果も大きい」と同庁家庭福祉課。内閣府が20年度に進めた共通調査項目案による全国調査では、中学2年と保護者の2715組が答え、低収入の世帯で逆境体験の割合が高く、生活満足度が低くなる関連性が浮かんだ。

学校現場を通してということですが、先生方からこれに対する意見は出なかったのでしょうか。以前だったら、人権感覚を磨いている先生から、これはまずいという意見が必ず出ていたと思うのですが・・。情けない話です。

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広島県の行政がおかしいことについて。

しばらく遺作展の事ばかりで、お話しすべきことが溜まっております。皆様はもうご存じで何をいまさらと思われるかもしれませんが、自分の忘備録としても、書いておきたいと思います。行政について。

 足元の広島県で、情けないことが続きました。一つには、尾道市の妊婦へのチラシ、「先輩パパからあなたへ」。もう一つは、広島県、市も一緒にした子どもたちへのアンケート調査です。

 まず、尾道市。こんなチラシを妊婦に配っておりました。

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これがSNSで炎上して、市長が謝罪、配布は取りやめになっています。炎上も当然。私はこのチラシを見て、唖然としました。「妻のこういう態度が嫌だった」はむかつきます。「わけもわからずいらいらしている」・・三時間ごとの授乳等、寝不足だと、いらいらもしますよ。「赤ちゃんの世話で忙しく、家事ができていない」・・なんと、それなら自分で家事をすればいい。
 してもらってうれしかったことの中の「マッサージ」・・これ、何ですか。お乳が張って痛くて、肩が凝ってつらい妻にマッサージをしてあげるのではないの?してもらうの?

 何より一番唖然としたこと。これは、あまり炎上の中になかったのですが、「男女で感じ方や考え方に違いがあります」の所。なんと、なんとです。あえてここに書きますね。『男女で感じ方や考え方に違いがあります。「なんでわかってくれないの?」など相手が自分の気持ちをわかってくれないと感じたことはありませんか?この理由の一つに、男女の脳の構造上の違いがあげられており、男性は理論、女性は感情に基づいて行動するという違いがあることが分かっています。大切なことは、お互いの違いを理解し、うまく役割分担をすることです。お互いに協力しあう気持ちを持つことが、子育てを楽しむコツです。』

 ひえーっですよ。ほんと?私は男こそ感情の生き物だと思っているので。だって、カーっとなって怒鳴ったり、人を殴ったりするのって、圧倒的に男性ではありませんか?計画的でない殺人だって犯人は多くが男です。と、あえて言ったけれど、それは冗談ですね。あくまでも個人差。

 許せないのは、あたかもこれを作った行政の人が科学的エビデンスに基づいているかのように書いている事です。男は理論、女は感情なんて、こんなのは俗説に過ぎないし。科学では否定されています。

色々な記事がありますが、日経ウーマンのこれから。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOLM276XJ0X20C22A5000000/

この、性差による構造の違いは、わずか14人の調査に基づいて言われたことであって、とっくに科学の世界では否定されているものです。それなのに、行政の人がそのことも知らず、古い俗説で、住民に説いているというのが、本当に嫌です。ジェンダーの視点から、これはおかしいと指摘する人がいなかったのでしょうか。

 このチラシの中でも、一番気になったことがここの部分でした。

 県と市の子どもへの調査は、相手が子どもだけあって、とても深刻です。明日お話ししますね。

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遺作展、ありがとうございました。

兄、長谷川康行遺作展、おかげ様で無事終了しました。芳名帳によると、計139名の方におい出いただきました。

 そもそも最後の個展をして工房を閉じようとした兄が、その個展をしないままにアッという間に亡くなってしまって、膨大な作品が残りました。兄のお見舞いに行ったとき、死を意識した兄は苦しい息の中で、私たちにいろいろと遺言を残しました。それをスマホで動画をとったのですが、私が作品はどうするの?と聞いたら、ふっと笑って、持って帰ってと言いました。

 福岡の作家の作品展を広島でするという、なんとも無茶な事でしたが、多くの方のご尽力で無事終えることができました。

 何よりも、沢山の作品を一つ一つ包んで、小物はビールケース10箱と大物をたくさん、持って帰りやすいように用意して下さっていた何人ものお弟子さんたち。この用意がなければ、とてもあんなに沢山持って帰ることはできませんでした。その作品をトラックを出して一緒に取りに行って下さった河口さん(知る人ぞ知る、コスプレ、亀仙人の河口さんです)その河口さんに頼んで下さり、闘病中にも関わらず一緒に博多まで行って下さった、小坪さん。さらにお宅の倉庫に保管して下さり、会場の設営も、また期間中、ずっと夫妻で受付と来られた皆様に説明を引き受けて下さいました。小坪邸から会場までトラックで作品を運んでくださった、廿日市市議の山田武豊様。また、私のクリニックと同じビルのギャラリーを気持ち良く貸してくださったオーナーの大野様。「長谷川康行遺作展」の書を書いて下さった益田洋子様。

 これらの方々のお一人でもいらっしゃらなければ、この展示会はできませんでした。

 そして、何より会場まで足を運んでくださった多くの方々。広島市内だけでなく、遠くは岐阜県、兵庫県、福岡、鹿児島から。県内も福山や北広島町、三原市、大野町などから。会期の後半においで頂いた方には、多くの食器等が売り切れてしまっていて、申し訳ないことでした。

人気があったのは、これらの青がきれいと。

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焼き締めの特にビールジョッキ。早速にこれで飲んだ方が泡がきめ細かくておいしいと。

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このミニダックスフンドの箸置き、可愛いと、あっという間になくなりました。中には、家のワンちゃんとそっくりという方も。私は、兄が工房ではなく、家で座って手先でもみもみと作っているのを見ました。

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きれいな色のお皿たち。私は、この真ん中がガラスのように緑のが欲しいと思いましたが、私の手には入りませんでした。

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このピンクのコーヒーカップが10客あったのですが、アッともう三客となった時点で自分用に二客押さえたのですが。後からそれが欲しいという方がいらっして。「自分よりやお客様を大事にしろよ」という人がいて、泣く泣く手放しました。後で喧嘩です。「外面ばっかり良くって、身内に冷たい。兄の形見を私が欲しくって、どうしていけないの」と。「もう作品が少なくなって、来た人が気の毒でしょう。」と譲りません。もう、兄には二度と作ってもらえないのだからと、今も悔しい思いでいます。

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 それにしても、兄は大した人だと改めと思いました。形だけでなく、その豊富な色をどうやって出したのか、この模様は、どうやって作ったのか、すごいと感嘆しました。土も全国を尋ねて回り、集め、備前や萩、信楽、白磁風など、自在に使いこなしていました。ある陶芸をなさっている方が、わずか30年で、これだけの作品を作ったのは、この人はきっと前世でも陶芸をしていたとしか考えられないとおっしゃって下さいました。ありがとうございます。

さて、多くの作品が引き取られて行きましたが、残念なのは、睡蓮鉢、メダカ鉢の類が残ったことです。

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こんど、来月の福岡での花器の遺作展に行きます。その時に工房にまだのこっているのがあれば、持って帰って、第二弾をしたいと思っているのですが。

 皆様、本当にありがとうございました。


 

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遺作展いろいろ

遺作展6日目が終わりました。生活小物は全部売り切れてしまいまし下。後は、花器と大物のみになってしまいました。これから来られる方には申し訳ないことをしました。忙しさにブログを書く時間がなくって、ここのところさぼり勝ちですみません。

 今日は、いろいろのお話を。

 遺作展に兄長谷川康行の、幼いころに分かれた長女も二女も遠方から来てくれて、なによりうれしいことでした。それから、もう何十年?会っていなかったいとこの子が来て、いとこの消息を教えて頂いたり、昔私の選挙を担って下さった方たちが打ち合わせもなく、同時間に来られて、いろいろと話が弾んでまるで同窓会のようになったり。

 その一人、河口さん。ご自分の蓮の花の写真前で。耕三寺の蓮ということでしたが、これは耕三寺で蓮の種を購入して、その種から、このような見事に花を咲かせたのだと。花は人の顔ほどもある大きなものだそうです。器は、兄作の壺です。

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ついでに私のクリニックのベランダの、種をまいて育てている朝顔。遅ればせながら、こんなにつるが伸びてきました。ちゃんと咲いてくれるかしら。

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遺作展をしながらも、毎日の水遣りは欠かせません。昨年から年越しをして生きているハイビスカスのKブルーが、またひっそりと咲いていました。けなげでかわいくて。

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これは別のハイビスカスの株です。これにはまだたくさんのつぼみがついています。楽しみ。

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 遺作展に戻ります。こんな大物も引き取られて行きました。この三作は全部それぞれ引き取られました。

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右から「旅立ち」「氷壁」「波 3.11を忘れない」。

他にもこんな大物たちが。ご購入ありがとうございます。

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こんなに大物を引き受けて下さる方がおありだとは思っていませんでしたので、本当にありがたくて。感謝感謝。感謝しかありません。

さあ、後2日です。頑張ります。

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長谷川康行遺作展、今日4日目です。

兄長谷川康行の遺作展三日目まで無事終了しています。ブログを書く時間が全くなくって、失礼していますが。

 初日の大切な事をまだお知らせしていませんでした。福岡からわざわざ新幹線で来て下さいました大嶋由紀圃先生。成和御流の家元であり、西日本華道連盟の事務局長でいらっしゃいます。

大嶋先生は、このような企画をなさっていらっしゃいます。ありがたいことです。私も行かせて頂きます。

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ごめんなさい。正面からの写真を取り損ねました。この時、あの陶器のクリスマスツリーに高校生の男性のお弟子さんが花を活けている写真を見せて下さいました。ああ、こんな使い方もあるんだと感激しました。画像を頂ければよかったと悔やんでいます。

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お世話になっている河村病院の河村先生ご夫妻もいらっしてくださいました。お具合がお悪かった先生は、車いすを奥様が押して来て下さいました。

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左に写っている壺(焼締深鉢)をお買い上げ下さいました。本当にありがとうございます。先生はお元気で、1996年と1998年に広島本通りのギャラリーてんぐで康行の個展をしたときに買って下さった、まあるい筒状の酒器の事をよく覚えていて下さいました。

20日日曜日から始めた遺作展ですが、今日は中日。初日、こんな状態でしたが、

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どんどん買って頂いてもうこんなになってしまいました。好評だったミニダックスフンドの箸置きも一匹もいなくなりました。

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 皆様、本当にありがとうございます。もう少し、会期があります。明日の木曜日は、ずっと私は会場にいます。よろしくお願いします。

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長谷川康行遺作展、始まりました。

久しぶりにブログを書きます。あまりに多忙で、昨日も深夜に帰ってパソコンの前に座りはしたのですが、そのまま寝落ちしてしまっていました。

昨日、兄長谷川康行の遺作展の初日でした。たくさんの方においで頂いて、本当にありがとうございました。思いがけない方の来場もあり、ずっとバタバタしっぱなしでした。前日には、中部地方から、親子さんの来場がありましたが、当日の第一号は私の患者様。それから、福山から柴田さん、神石高原町から馬屋原さん。本当に遠方からありがとうございました。


それから、早志百合子先生、山田文子先生の親子様。

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早志先生とツーショット。

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わっ、漆芸の金城氏一国斎先生。先生の個展には何回も行っていまずか、逆に来て頂くなんて、緊張。一国斎先生の弟子である姪と。

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姪夫妻と私も一緒に写真を撮って頂きました。

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午後には博多から、康行さんの妻と、お弟子さんたちも。工房にあったクリスマスツリーをもって来てくれました。

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小坪さんがライトをもって来て下さって、こんな風に飾りました。

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そして、突然5人の方が福岡から来られて、驚きました。そのお一人は、兄と共に新宮町の文化協会の立ち上げにご尽力なさった日本画家、納富賢智さんの娘さんでした。その日本画家の方のことは、兄はとても尊敬していて私も話を聞いたことがあります。その方がお亡くなりになって、遺作展を兄が実行委員長で行ったこと。その時の本を持って来て下さいました。兄は、実行委員長として、挨拶もしていますし、テープカットもしてる写真がありました。今回の兄の遺作展とは、大違いの立派なものでした。そのお嬢さんが、兄に日本酒を送ったのだそうです。そしたら、それが返されてきて、おかしいとネットで検索すると、「長谷川康行遺作展」に行きあたったと。おそらく私のブログでしょうか。「いやー、遺作展て、長谷川先生亡くなったの?」と驚かれて、広島までわざわざお出で頂いたということです。その五人の方です。

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それから、クリニックにいつもお花をかざってくださっているいけばな嵯峨御流の青野直甫さんとそのお母さま、大先生である石田恒子さんのお二人が。これまたずうずうしく写真を撮って頂きました。

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北広島町の田中悦子さん夫妻も遠方からありがとうございました。それから、オーブンキャンパスの仕事を終えて駆けつけて下さった穂垣由恵さん、お忙しいのにありがとうございました。


終わりの頃には、兄の長女夫妻が関西から来てくれました。初めてお連れ合いにも会いました。

今回の兄の死は、いろいろな人とのつながりを作ってくれました。遺作展もなかなか大変でしたが、やってよかったと思っています。今日は二日目でしたが、またご報告しますね。

私は診療しながらなので、沢山の人に助けてもらっています。とくに小坪夫妻には、並々ならぬ尽力をして頂いて、ただただ感謝しています。

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明日20日から開催です。準備できました。

うちに残していた大物も昨夜運び込んで、すべての準備が整いました。とは言っても、もう少し作業は残っていますが、それは明日早めに行って仕上げるつもりです。右から「旅立ち」「氷壁」「3.11を忘れない」大きくて重いです。

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陶芸や漆芸をしている姪の意見もあって、ディスプレイも少し変えました。

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 今日は、遠方からのお客様が来られて、一足早めに作品展をご覧になりました。明日の初日は、かなりたくさんの方が来られるとご連絡頂いています。博多からは兄のお弟子さん達も何人かが来られると。緊張します。


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来場いただいた方に配るパンフレットです。全6ページ。

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最後のページに、今年の兄からの年賀状を入れました。兄は、まだ大作を作っている写真と共に、「近く窯を終える事にしました。生きてるだけで良いと言われる年になりました」と書いています。その三か月後に死んでしまうとは、まったく思わなかったでしょうに。しかし、この一文は、私の友人に来た年賀状なのです。私に来た賀状には、その一文がないのです。同じ写真で、その他は同じ文章なのに。どうして?と尋ねたいのですが、今はもうそれもできません。それから、子どもたちの陶芸教室。クリスマスのろうそくカバーをみんなで作っています。一麦窯全景の写真も。


 これは、トラックで兄の作品を福岡に取りに行って下さった河口さんの写真です。兄の壺に耕三寺の蓮が咲いています。

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明日20日から27日までの開催です。どうぞ多くの方に見て頂きますように。明日は、私は一日中会場にいます。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」がYouTubeでアップされました。

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」は、IWJのおかげで、全国に配信され、さらにその映像が二回に分けてアップされておりました。この度、これがYouTubeでアップされています。今回は、二回に分けず、一回で長時間の会がすべてアップされています。アドレスはこちらです。

https://www.youtube.com/watch?v=Ovrp0p8bXkc

また、映像にはすべて広島県手話通訳問題研究会の皆様による手話通訳がともにアップされています。聞こえの不自由な方もどうぞ、YouTubeでご覧ください。

その一部です。

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是非、動画でご覧くださいませ。

今日、eテレで福島の甲状腺がんの当事者の話を聞きました。

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もう、こんなにたくさんの人が甲状腺がんの手術を受けているというのに。

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広島であったのと同じような差別、誹謗、中傷。政府や東電や、それに加担する医学会が責任を取らない今の状況の中で、当事者の方たちに声を上げることを強いることはできません。それを私たち自身がどうするのかが問われていると思います。eテレ、いい番組を作りますね。

 

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待合室の木馬

 患者様で俳句の先生が、また作って来て下さいました。

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この汚れていてというのは、汚いという意味でなく、年月が経っているということですからね、と。

この木馬です。お母さんについて来た小さな子がゆらゆら乗って遊んでいます。

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この木馬と、その奥に見えるおもちゃ箱。それから小さな机や車のついた動物等の何点かの木工製品は、32年前、開業が間近なとき、講演で北海道の津別に行ったときに、町内の木工製品の展示会場で購入したものです。津別はこんな所。この頃は、北海道の小さな町に結構行っていました。

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 開業したら、待合室を図書館と子どもの遊び場にしたいとの思いをもっていました。ちょうどその時に、津別の町に行くまではそんなことは知らなかったのですが、木工の町だと聞いて、展示場に連れて行ってもらったものです。魅力的な木工製品がいっぱいでいろいろと迷いましたが、何点も購入したことはしっかり覚えています。図書は、壁一面を本棚にし、そして子ども用のおもちゃをあれこれ置きました。製品は、木製とぬいぐるみです。

 木馬の歴史は私の開業の歴史です。すっかり古くなりましたが、健在で頑張ってくれています。開業も32年です。いつまで続けるのでしょうね。今日会ったご夫妻は、来週から三週間、車で北海道に旅行に行くと言われました。三週間!!夢ですね。

 先日教えて頂きました。津別は、今、全国のアイスの棒を作っているのだそうです。アイスは、膨大な消費だから、いい産業になっているでしょう。

 さ、明日からまた診療開始です。

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留守の間の花の水遣り・大成功でした。

ベランダの花たちが気になってクリニックに行ったら、花たちは元気でした。ハイビスカスは、見てくれる人がいないのに、花を咲かせていました。

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朝顔も元気にツルを伸ばしています。

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実は、何日か分からないけれど、水を上げることができないので、出かける朝にたっぷり水を上げて、そして、その前日に買っておいた水切りに小さい鉢をまとめて入れて、水切りに水を入れておきました。鉢受けのお皿に水を入れたのも。プランターや大きい鉢には、ペットボトルに水やりの帽子かぶせて、さしておきました。百均で買ったこのとんがり帽子が威力を発揮してくれていました。

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大成功で、うれしかったです。これで、これからも留守の間の水遣りの自信がつきました。

 今日、兄の遺作展に来ていただく方へお渡しするパンフレットの印刷を終え、閉じるところまですべてできました。それを手伝って下さった友人が持って帰って、マスキングテープで製本をして下さると。後は、福岡から持って帰ったアルバムと作品を比べてキャプションを付けるだけです。これがちっょと大変かもしれませんが・・。はがきが届いた方から何日に行くからと連絡も頂いてうれしいことです。


 


 


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映画「ひろしま」について

台風ですね。私は墓参りのために別府にいました。今日15日に広島に帰るつもりでしたが、どうにも15日に台風が近づきそうだとの報道で、急に昨夜に帰ることにしました。夜の高速は嫌なのですが、しかたなく。午前1時に帰り着きました。家に近づいてきた時、突然覆面パトがサイレンを鳴らして私を追い抜いていきました。びっくり。私の前を走っていた車もブレーキを踏んで、肝をつぶしたようです。そしたら、すぐにまた後ろから今度は覆面ではないパトがサイレンを鳴らして追い抜いていきました。なにがあったんだろうと思うと、事故でした。車とバイク。あのバイクの転び方からは、死亡事故かも。まだ交通規制もされない、事故ったばかりの生々しい所です。すくに反対車線からもパトがサイレンを鳴らして駆け付けていました。急に怖くなりました。実は、廿日市インター出てバイパスに乗るのを間違えて、もたもたして結局時間をかけてバイパスに乗りました。あれをスムーズに乗っていたら、もしかしてバイクとぶつかったのは、私かもしれません。急に怖くなりました。無事に帰り着いてよかったです。できるだけ夜の高速等は乗りたくありません。夜ゆーぽっぽに行くのもやめたいのですが。

 終戦記念日です。

 映画「ひろしま」は、広島では8月4日から10日まで上映されました。広島の人だけでなく、世界中の人に見て頂きたい映画です。2019年にNHKeテレで放送された映画ひろしまについての番組がここにあります。

https://www.dailymotion.com/video/x8li1gp

多少コマーシャルがうるさいですが、スキップしながら観ます。この映画が作られたいきさつ、当時の助監督だった熊井啓さんが残した膨大な資料、早志百合子さんなど出演した方たちの当時とその後、この映画を上映中止にした大手映画会社の理由。その後、この映画の上映活動をしている方たち。アメリカのハリウッドの方が、この映画のデジタル化の資金を出して下さったこと。今年もした八丁座の蔵本純子さんがこの映画は継続して上映をするという決意のお話し、などなど。

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この映画のラストシーンは、何度見ても涙が溢れます。

また、先日、8月4日にテレビ朝日、大下容子のワイドスクランブルでも、早志さんに焦点を当てながら、この映画の紹介をしています。

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その動画がユーチューブで観られます。ここにあります。

https://youtube.com/watch?v=WXJuF3WSwZl&feature=share

なお、映画は、作成から70年経って著作権の問題が消滅して、だれでも見られるようになりました。
前編はここに。

https://www.dailymotion.com/video/x7gpz0p 

後半はここにあります。

https://www.dailymotion.com/video/x7gda45

終戦記念日にふさわしい番組と映画と思います。
 

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鳥栖で映画「教育と愛国」を観る・続き

映画「教育と愛国」について、今更私があれこれ言うことではないですね。遅いです。沢山の人が見られている映画です。私はドキュメント映画が好きで、これまでも「主戦場」「新聞記者ドキュメント」「パンケーキを毒見する」「妖怪の孫」等を見てきました。中でも、この「教育と愛国」は、腹が立って、心の底から怒りましたね。そして、おんなじだと思いました。道徳や歴史の教科書の書き換えと、私が関わっている性教育のバッシングも。彼等は、嘘やでっちあげで人を攻撃するということも、おんなじだと思いました。

チラシから頂きます。MBSの斉加尚代記者の20年にわたる丁寧な取材で、この映画は作られました。

ひとりの記者が見続けた“教育現場”に迫る危機
教科書で”いま”何が起きているのか?

いま、政治と教育の距離がどんどん近くなっている。

軍国主義へと流れた戦前の反省から、戦後の教育は政治と常に一線を画してきたが、昨今この流れは大きく変わりつつある。2006年に第一次安倍政権下で教育基本法が改変され、「愛国心」条項が戦後初めて盛り込まれた。

2014年。その基準が見直されて以降、「教育改革」「教育再生」の名の下、目に見えない力を増していく教科書検定制度。政治介入ともいえる状況の中で繰り広げられる出版社と執筆者の攻防はいま現在も続く。

本作は、歴史の記述をきっかけに倒産に追い込まれた大手教科書出版社の元編集者や、保守系の政治家が薦める教科書の執筆者などへのインタビュー、新しく採用が始まった教科書を使う学校や、慰安婦問題など加害の歴史を教える教師・研究する大学教授へのバッシング、さらには日本学術会議任命拒否問題など、⼤阪・毎⽇放送(MBS)で20年以上にわたって教育現場を取材してきた斉加尚代ディレクターが、「教育と政治」の関係を見つめながら最新の教育事情を記録した。

教科書は、教育はいったい誰のものなのか……。

引用は以上です。

映画の前に、実行委員長が「この映画を見て、気分が悪くなる人がいるかもしれません。吐き気がする人もいるかも。今のうちに酔い止めを飲んでいた方がいいかもしれません。」と言われましたが、正にそうでした。

映画が済んで会が終わろうとしたときに、急に「広島から来られた方があるので、何か一言」と言われて、急なのでびっくり。でも、とてもいい機会ですので、少しだけ語らせて頂きました。性教育の事、平和の夕べの事。教育でいうと、はだしのゲンの平和教材からの削除の事なども。オスプレイ、自衛隊の基地化の裁判、大変でしょうが、応援しますということも。そして、このような会を開いて頂いて、映画を観ることができて、本当にうれしかったことのお礼も言いました。

 そしたら、後で、「この前東京で私の講演を聞いた」という方に声をかけられました。「あっ、日教組で?」とその私とわずか10日後にここで会うことになるなんて。それから、他の方で、私の著書を何冊も読んだと言う方も。本当にびっくりでした。そして、何より今度の会の実行委員長の牧師様が、私の兄と人を通じて接点がありました。お互いびっくりです。ああ、もう少し早くこの牧師様の事を知っていたら。きっと兄ととてもとても気が合っていたでしょうにと心から残念だと思いました。野中牧師様は、その前日、お嬢様たちと一緒に広島に来られたと。資料館をじっくり見られたそうです。

 資料館、佐賀に行く前にクリニックに花の水遣りに行って帰り、ものすごい人が資料館に入場するために並んでいるのを見てびっくりしました。入場の入口である東館から並んで、ずっと資料館の端まで来て、折れ曲がってまた資料館の反対の端までの人です。

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こんな行列、私が見たのは、東方神起のグッズを買うために並んでいた人達に匹敵するほどでした。ありがたいことです。資料館を見て、そして核兵器も戦争も、そして今の政権も駄目だと実感してもらえれば、と思います。この度の映画会の関係者の皆様に深く感謝申し上げます。

 

 

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鳥栖で映画「教育と愛国」を観る

今日、と言ってももう日が変わっているので、昨日ですね。映画「教育と愛国」を観に行きました。この映画は、観なくてはと思っているうちに、広島での上映は終わり、どこかでやっていないかと思っていてもなかなかかないませんでした。そんな時、昨年11月ですが、大阪隆祥館書店主催で、有田芳生さんの緊急出版「統一教会とは何か」の出版記念のイベントがあり、それに私も少し出演させていただいたのです。その時、イベントを手伝っていらっしゃった杉山さんに、「教育と愛国」は観ましたか?と聞かれ、いえ、見たいけれどまだと答えました。「これは、ぜひ観るべきです」と言われたのが、ずっと引っかかっていました。

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 上映場所をいろいろと探して、やっとみつけたのが、北海道の釧路での上映。飛行機で釧路に行こうかと、本気で考えていた時に、佐賀県の鳥栖で8月12日に上映すると見つけました。うれしかったですねえ。よし、行くぞと決めて電話で問い合わせると、佐賀飛行場へのオスプレイ導入に反対する人たちのお話もありますと。映画は午後2時からと5時からの二回と。会場は鳥栖キリスト教会ですと。

 ネットで調べると、バプテストの教会で、これまでもいろいろとイベントもされているみたい。これも運命的なものを感じました。3月に亡くなって、この度遺作展をする兄もバプテストの牧師でした。

 2時のに間に合うように行きましょうと、10時過ぎに出発したら、なんと、お盆というのを甘く見てました。広島でも九州に入ってからも、渋滞に次ぐ渋滞。広島では、高速に入ってすぐ廿日市から玖珂まで20キロの渋滞と、まったく、シャレになりません。途中で2時はあきらめましたが、5時も間に合わなくなるのでは、と、怖くなりました。結局6時間かかって4時過ぎに到着しました。で、結局5時からの会に参加させてもらいました。

 会場は、なんとも楽しい教会でした。

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玄関です。

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会が始まって、司会は、後で知ったのですが鳥栖市会議員のまきせあきこさん。

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今日の会の実行委員長のあいさつ。実行委委員長は、この教会の野中宏樹牧師さん。やはり後で知ったのですが、玄海原発の反対運動もずっとしていらっしゃると。

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そして、佐賀空港へのオスプレイ配備、自衛隊基地の建設に反対する住民の会会長の古賀初次さんのお話しがありました。初次さんは、有明の海で海苔の養殖をしている方です。自衛隊基地の建設予定地には、古賀さんの土地も入っていて、地権者として裁判での闘いもしていらっしゃいます。古賀さんの訥々と話される姿は、誠実そのもの。有明の海を守りたいという思いが溢れています。

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そして、動画「オスプレイ佐賀空港配備反対の闘い」~はっちゃんのオスプレイ反対日記~が上映されました。もう闘いは9年目となるそうです。ここにきて、防衛省が駐屯地予定地取得を急いでいると、警察に守られて、人の土地に許可もなくトラックで強引に土砂を運び込んでいる姿に本当にびっくりしました。そんなこと、私は全く知りませんでした。今、「佐賀空港オスプレイ等配備に反対する裁判を支援し、地権者とともにたたかう市民の会」設立の呼びかけがなされています。

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私は、映画を観ようと思った来たのですが、思わぬことで、貴重な集会に参加させていただくことになりました。この後、映画「教育と愛国」が上映されます。映画の後でも、びっくりのことがありました。また、明日にご報告しますね。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」・福島から「被曝の安全量はない」

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」は毎年「福島を忘れません。」いえ、3.11の震災、原発事故が起こる前から、原発の問題は、必ず取り上げてきています。今年は、鴨下美和さんにお願いしました。鴨下さんは、これまでの平和の夕べで語って頂いた鴨下全生さん、ローマ法王に会いに行き、抱きしめられたあの彼のお母さんです。鴨下さんのお話しは、あまりに胸を打つので、どうか私のこのつたない報告ではなく、ぜひ動画を見て下さいませ。

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「なぜ、男性は悲しい時笑うのでしょう。幼い時から男は泣くなと言われ続け、本当に悲しい時、自虐的に笑いながら話すのだということを知りました。」お連れ合いは、厳しい差別の中で家族と離れ離れになって暮らすそのつらさで、だんだんと壊れていったと。ああ、広島に避難している、平和の夕べで証言をして頂いた渡辺さんも、そう語っていらっしゃいました。それから、ローマ法王に会いに行った長男の全生さんの心からの叫びも、動画の中で再現されています。ぜひぜひ見て下さいませ。

https://iwj.co.jp/wj/open/archives/517863

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小林憲明さんが描かれた「ダキシメルオモイ」の複製をもってきて下さいました。左の鴨下さんの絵を見た下の子が、これは嘘だといったと。お母さんは、こんなに笑っていないものと。原発事故の前のお母さんを描いてくれたのだと、夫が言ってくれたと。ローマ法王と全生さん。そして、右は、やはりこの会でも証言して下さり、「災害からの命の守り方」の著者でもある森松明希子さん。今年の会にも参加して下さいました。そして子ども脱被爆裁判を中心になって闘って下さっている水戸喜世子さんもいらっして下さいました。

ここに、鴨下さんが原告である伊方原発運転差し止め等裁判の意見陳述要旨をここに再現させて頂きます。

本日は意見陳述の貴重な機会を与えていただき御礼を申し上げます。私は原告の鴨下美和と申します。現在東京に住んでいます。先月、私は、ふるさとの福島県いわき市の共同墓地にいました。墓地の中央には、大きな、白い石の十字架。やっと、訪れることができた懐かしい風景に、自然と涙が溢れました。しかしその足元の土には、今でも数千Bq/kg 注 1 の放射性物質が含まれているのです。

11年前の原発事故当時は、その数十倍から数百倍の汚染があったにも関わらず、私たちの住んでいた福島県いわき市注2 には、一度も避難指示が出されませんでした。私は、放射線被曝を逃れるために子どもたちを連れて避難した、いわゆる自主避難者です。家があった場所は、爆発した原発から南に40km。事故当時、長男は8歳、次男は3歳。彼らを放射線被曝から守るためには、無理をしてでも、避難するしかなかったのです。放射性物質を扱う施設で実験を行う私と夫は、大学の研究室で出会いました。そこでは遺伝子を扱う実験のために、放射性物質を使用することもありました。その際は、研究棟とは別棟の放射線管理区域注3 に指定された建物の中で、細心の注意を払って実験を行いました。今でいうガラスバッジ注 4を付け、自分が被曝しないための操作はもちろん、間違っても管理区域の外へ放射性物質を持ち出さないために、厳
しく管理された中で実験を行っていました。

 あの事故が起きるまで、研究室はもちろん、病院や、原発の敷地内であっても、放射性物質はそのように厳密に管理されてきました。(現在でも、この原則は、全国の放射性物質を扱う施設では厳密に守られている。もちろん飲食厳禁である。) だから福島県いわき市内にある共同墓地。水石山という、市街地に近い山の中腹にある。

私たち夫婦にとって、自分の家や、子どもたちが遊ぶ場所に、大量の放射性物質が降り注いだこと、そしてそれが全く管理されないまま、風雨で移動し、子どもたちが吸い込んだり、素手で触れられるようになってしまったことは、心が壊れる程の恐怖でした。

過酷な避難生活

避難生活は困難を極めました。始めは私の実家のある横浜へ。次は夫の親が暮らす東京へ。親族とは言え、そう長く居候もできませんから、その後はアパートやホテルを転々とし、4月の末にやっと避難所に入り、夏には古い官舎の避難住宅へ。賠償金の出ない私たちには、避難の継続のためのお金が必要なので、夫は4月には福島へ戻って業務を再開しました。週末には、車で250km の道のりを飛ばして、私たちに会いに来てくれましたが、日曜の夜、別れのたびに、4歳の次男が布団にもぐって、声を殺して泣くので、胸がつぶれる想いでした。当時、夫が電話越しに、シンチレーションディテクター注5 の音を聞かせてくれたことがあります。チチチチという検出音が、やがてチ―――という鳴りっぱなしの甲高い音に変わります。生活空間にあってはならないものがそこにある。その危険を知る夫にとって、そこで働くことがどれだけのストレスであったか、想像に余りあります。

誤解と無理解に起因するバッシング

放射能は目に見えません。仮に測定機器があっても、知識と事故前の数値を知らなければ、その危険性はわかりません。国の避難指示が無かったこともあり、いわきは汚染などしていない、全く問題がない、と信じている周囲の人たちの中で、除染や被曝防護を訴え続けた、唯一その危険を知る夫は、罵声を浴び、差別を受け、次第に孤立し、頭のおかしい人と、思われるようになっていきました。更に、身近な若者の突然死が二度続き、それに関わってしまったこともあって、夫は心身共に壊れていきました。会うたびに髪が減り、皮膚が年寄りのようになり、やがてろれつがまわらなくなりました。見るに見かねた私は、夫に仕事を辞めて一緒に暮らすことを提案し、事故から2年後に、夫も避難者となりました。

否定しがたい放射線被曝被害

避難所や避難住宅では、うちの子に限らず、鼻血を出す子が多くいました。それも、見たことのない程、酷い鼻血です。吹くような、吐くような勢いで、鼻血が両鼻から出たり、それが喉をまわって口からも出る。綿やティッシュでは追い付かず、洗面器やレジ袋で、流れ出る血を受ける子どもたち。それが30分経っても治まらない。深夜に、若い母親から、どうやったら娘の鼻血を止められるのかと相談を受けたこともあります。結局、息子は手術で鼻血を止めました。テレビでは環境大臣までが、原発事故と鼻血の関係を否定しましたが、科学は現実に起きていたことを否定できるものではありません。実際に、岡山大・熊本学園大・広島大らのプロジェクトチームによる疫学的調査でも、当時の鼻血には有意差があることが認められています。中通りで暮らす友人からは、息子の学校には紫斑病の子が多く、入院してしまった子もいる、という話も聞きました。小児甲状腺がんを患った子どもたちが原告となった裁判注6 も起きています。政府に選ばれた学者たちが、事故との因果関係を否定したとしても、現実に小児甲状腺がんに罹患している子どもたちが、福島県内だけで300人を超えていることは、動かしようのない事実です。

放射線被曝に安全量はない

安全な放射線被曝などありません。電離放射線注7 の人体への影響は、確率的です。少しの追加被曝なら大丈夫なのではなく、低い確率ではあっても、確実に放射線被曝被害は起きている。でも、そのような被害が起こりうることを、政府は完全に無視してきました。殆どの人は、11年前の原発事故によって、今も東日本の広い範囲が、100Bq/kg 注 8 以上の汚染土壌となってしまっていることを知りません。事
故前であれば、黄色いドラム缶に入れて、厳重に管理しなければならないレベルの汚染が、今も東北と関東に広がっているのに、その危険をきちんと伝えず、被曝させ放題。こんな無責任極まりないこの国に、原発を動かす資格などあるでしょうか。
 今、私たちは、低線量被曝注9 によって病気を発症しても、原因は不明のまま。おそらくは生活習慣のせいと片付けられます。そんな『運の悪い人』が、静かにじわじわと増えている。セシウム137の半減期注 1 0 は30年。今ここにいる全ての人が亡くなったあとも、福島原発からばらまかれた放射能は、静かに生命を蝕み続けるのです。



蹂躙される基本的人権

 そんな福島の放射能汚染が、全く元通りにならないままなのに、政府の勝手な判断によって、避難住宅の提供も打ち切られました。私たちは署名を集め、内閣府や各省庁と話し合いをし、無用な被曝を避ける権利を求めて訴え続けましたが、官僚たちは壊れたレコードのように、全く答えにならない文言を繰り返すばかりでした。国が聞こうとしないのなら、と、国連や、ローマ教皇にも直接訴え注 1 1 ました。しかしこの国は、国連の勧告注 1 2 にも正面から向き合わず、ローマ教皇の説教注13 も聞き流してしまいました。そして6月の最高裁判決注 1 4 では、国にはこの事故に対して責任はないという、無責任極まりない判決が出されました。正義は、私たちの人権は、一体どこに
あるのでしょう。『原発事故の避難者は、十分な賠償金をもらって、新しい家に住んで贅沢な暮らしをしている』というような、事実とは全く異なる風評によって、私たちは、いじめや差別に遭いました。息子は当時受けた過酷ないじめによって、今も心を病んでいます。仮に多額の賠償金がもらえていたとしても、それで奪われた人生を取り戻せるものでも無いのに、ただひとこと、『辛い』と言葉をもらす自由さえも奪われるのです。原発によって歪められたお金は、人に幸せをもたらすことはありません。

被害者の声は未来への警告

私たち被害者は、その属性を知られるだけで、差別に晒されます。被害を訴えれば、復興を妨げる風評加害者だと攻撃されます。ましてや顔と名前を出して訴訟など起こせば、隣人や親せき、時には家族からも攻撃され、それまでの生活を失います。それでも、被害者が声を上げるのは、あまりの不正義と理不尽があるから。そして同じ苦しみを持つ人がたくさんいるからです。黒い雨を浴びた方々や、小児甲状腺がんに罹患した子どもたちが裁判を起こしたのも、同じ苦しみにある人たちがいたから。私たち被害者の声は、未来への警告です。この陳述の冒頭に述べた共同墓地には、まだ墓石の無い草地があります。そこが、いつか私が眠る場所です。死んだら福島に帰れる。そう決めた日から、少しだけ心が楽になりました。帰りたい、という言葉をずっと封印してきた11年。生まれた場所ではないけれど、夫と結婚し、初めて家を建て、子どもたちが生まれ、たくさんの幸せを育んできた福島が、今でも私のふるさとです。願わくは、私たちのような思いをする人が、二度と出ないように。これ以上、原発によって国土が汚染され、人々の暮らしが歪められないように。祈りを込めて、私は、伊方原発の再稼働に反対します。
ご清聴ありがとうございました。

 鴨下さん、心のこもった訴えを本当にありがとうございました。参加の皆さん、心打たれたことと思います。まだまだ苦しい闘いの日々が続くことと思います。どうぞ、お子様たち、お連れ合い、ご家族の皆様と共に安らかな日々が来ることを願っています。応援しますね。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」・次世代が伝える平和と広島

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」では、若い人たちにも発言をして頂いています。活動を若者たちにつないでいくことも私たちの課題であります。

 今年は、大学生の横山栞央さんに「次世代が伝える平和と広島」とのタイトルで話して戴きました。横山さんは、現在20歳。「戦争を知らない、生まれていない私たちの世代がどのように原爆や戦争やそして平和を伝えていくかということをお話ししたい」と、話し始められました。

 横山さんは、基町高校普通科創造表現コース出身。その高校時代に被爆者の方の証言を聞いて、絵を描きました。そして、大学生になっていま、小倉桂子さんの証言から、「ケイコの8月6日」という紙芝居を作りました。


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 基町高校は、平成19年(2007年)から、生徒たちが原爆の絵を描いています。横山さんは、原爆の絵を描くのは、怖い、見たくない、つらいという思いもあったけれど、先輩たちが描いているのを見て、自分たちは伝える立場なんだという意識が芽生えたと言われます。証言者の方と話し合いながら、半年かけて一枚の絵を完成させるのですが、実際、原爆の実態を聞き描くことは、精神的にも体力的にもつらくて、体調を崩したり眠れなくなったりした人もいたと。でも、これまで一人も脱落者が出なかったのは、一人で描いているのではない、被爆者、証言者の方たちと二人三脚で一緒に描いているのだという思いで乗り越えられたからと言われます。これまで、約200枚の絵が出来上がっているそうです。展示会だけでなく、マスコミにもたびたび取り上げられていますが、そうして観て頂いてこその絵なのだと。


何枚もの絵、「死んだ子を背負う母親」「炎の中で助けを求める女のコ」等の作品をスライドで見せて頂きました。この写真は、IWJの動画から取らせて頂きました。「炎の中で・・」は一番目の写真にあります。

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 私たちのチラシには、許可を得て、広島平和記念資料館所蔵の基町高校の生徒さんの絵を何枚かのせています。今年は、①「これが人間なのか。幽霊の姿そのままに」証言者・新井俊一郎:絵・西家奈津(2010年)、②「川を埋めつくし、流れていく人々」証言者・池田精子:絵・原望美(2007年)、③「原爆後遺症、毎日枕が鼻血で血だらけに」証言者・清水弘士:絵・多賀心音(2019年)、④「馬も死んだ、爆風爆圧で目が飛び出していた」証言者・李鐘根:絵・桂木晋作(2017年)、

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そして、横山さんは、小倉桂子さんの体験を、幼い子供たちでも見て頂けるようにいろいろに配慮、工夫をしながら、紙芝居にしました。この写真もIWJの動画からです。黒い雨が降ってきて、白いブラウスに黒いシミができている所です。

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 若い横山さんたちが、こうして証言を発信する立場で活動して下さることが、本当にありがたくて。基町高校の生徒さんたちが毎年している事、とても大きな意義があることと思います。証言して下さる被爆者がいらっしゃる限り、どうぞこれからも貴重な発信をし続けて頂きたいとお願いしたいと思います。横山栞央さん、貴重なお話、本当にありがとうございました。

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兄長谷川康行の遺作展をします。

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」について、私は司会やいろいろしていて、全部は聞いていない事もあって、動画を一生懸命見ています。ここに報告を書くのに、もう少し時間がかかりそうです。ごめんなさい。少し待って下さいませ。

クリニックは今日から夏休みです。8月20日(日)から27日(日)まで兄・長谷川康行の遺作展をします。8日に大急ぎではがきを作りました。9日には宛名を印刷してすべて発送しました。兄が亡くなったことをあまりお知らせしていないので、きっと驚かれる方もあると思います。作ったはがきです。

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今日は、朝から小坪夫妻が来て下って、ディスプレイを正式にしました。机には白の模造紙を貼って、大物を置く床は一段と高くして。

一応並べましたが、また開催する迄に、いろいろと並べ変えをするかもしれません。

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私は、その後、ポスターを印刷して、当日お客様に渡すパンフレットづくりです。

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大きな賞をいくつももらっているのに、賞について何にも書いてないのが、兄らしいと思います。

これらと、兄が書いた陶芸についての文章、新聞記事等を冊子にしてお渡しするつもりです。作るのに、もう少し時間がかかります。夏休みは、子どもたちに会いに行く予定もないし、これにかかることができます。これを終えると、やっと一息でしょうか。なんか、これが終わると一息、またすぐにこれが終わると一息とばかり言っているような気がします・・。次々と課題があるものです。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」IWJが動画配信を。

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」を同時配信して下さったツイキャス、IWJが記事化してくださいました。

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https://iwj.co.jp/wj/open/archives/517863

ここには、アーカイブで当日のすべての映像が動画で配信されています。本当にありがとうございます。その中の記事の部分をここに転写させて頂きます。写真は、93歳という年齢で証言して下さった森下弘先生です。

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 2023年8月6日(日)午後1時30分より、広島県広島市の広島RCC文化センター7階大会議室にて、8・6ヒロシマ平和の夕べの主催による「8・6ヒロシマ平和の夕べ2023」が開催された。

 主催者の始めの言葉と今回のプログラム紹介に続き、当時の貴重な証言者である森下弘氏が語った被爆体験談は、次のように極めて生々しくも凄まじいものだった。

(14:31~)
 「(前略)その瞬間8時15分、原爆が炸裂するわけです。その瞬間なんですが、その日はもちろん朝からギラギラ太陽が輝いてました。(ご自身の描かれた絵を示して)ちょうどこういう感じで、みんな整列してたんですね。

 原爆が炸裂した瞬間、私たちが感じたのは、もう巨大な大きな溶鉱炉の中へね、何千・何万度と燃えたぎっている、その巨大な溶鉱炉の中へスポーッと投げ込まれた、そういう感じだった。

 当時、戦時中ですから、もし爆撃受けたらどうしようという訓練は一応受けてたんです。とっさに伏せる・そして目と耳を覆う・息を吐き出す、そういう訓練を受けてたんだけども、それを実行したかどうか分かりませんけど、とにかく巨大な溶鉱炉の中へスポーッと投げ込まれたような感じですね。

 自分はそこへ伏せたつもりだけども、多分ですね、その時のことも後のことも何も覚えてないんです。だから多分まあ、叩きつけられて気を失ってたんだと思います。

 その後ですね、その時どうだった、そして後どうしたか覚えてないで、気がついたら川の中へ入ってました。(爆風で)飛ばされたし、それで熱いからです(中略)」 

(20:48~)
 「しばらくして、我に返って歩き出したんです。そうすると向こうからですね、兵隊の群れがゾロゾロとやってくる。兵隊というのは、同じキャップを被ったみんな若い青年ですね。

 それが腕を幽霊のようにぶら下げて、帽子のキャップの跡が(皮が)ズルッと剥けて、私の方に向かってくるわけですね。

 その時に何か異様なこと、ありえないような異様なことが起こったと思ったんです。しかし、それが何事であるかはわかる由もないですね」

引用は以上です。

この後、森下先生からは、戦後高校の教師になって生徒たちに原爆の話をしたこと、生徒たちは気持ち悪いというものが出て来たこと。一時、話すことを辞めたこと。でも、その後被爆教師の会として副読本を作ったり、海外にも訴えに行ったり、さまざまな活動をしたこと等、貴重な証言をしていただきました。皆様、ぜひ、動画をご覧下さいませ。

森下先生、参加して下さった皆様、そしてIWJの皆様に深く感謝いたします。

 

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平尾さんの平和講演「私たちの声を聴いてください」

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の今年の平和講演、きのこ会の事務局長、平尾直政さんの講演は、参加の皆さんの胸をうちました。アンケートに、多くの方が知らなかった!!と書かれています。ここには、平尾さんに頂いたレジュメを転載させて頂きます。

 写真は講演される平尾さんです。

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【原爆小頭症とは】
原爆小頭症とは、母親の胎内で被爆し強力な放射線を浴びたことが原因で発症する原爆後障害のひとつです。「小頭症」の症名のとおり頭が小さいことなどが特徴で、多くが脳と身体に障害を負っています。胎内被爆者は、被爆後に誕生したことから被爆二世と誤解される事が少なくありませんが、原爆小頭症の障害は遺伝によるものではなく、胎児のときに被爆したことが原因です。

 ABCC(原爆傷害調査委員会)が 1972 年に発表した調査によると「原爆小頭症の子どもは、広島で 48 人、長崎で 15 人の 合計 63 人いた」とされています。厚生労働省によると、2023 年 3 月末現在で原爆小頭症の被爆者は全国で 13 人です。(※2023 年4 月 1 日に 1 人 他界しました)

【きのこ会とは】
きのこ会は、原爆小頭症の被爆者と家族の会です。原爆小頭症の当事者となる会員数は 2023 年6 月末現在で 11 人です。(内訳:広島市 5 人、広島市以外の広島県 2 人、北海道 1 人、神奈川県1 人、大阪府 1 人、山口県 1 人)


 妊娠早期の胎児が強力な放射線を浴びると小頭症の子どもが生まれるということは、専門家の間では知られていましたが、一般に公表されることはありませんでした。アメリカが広島と長崎に設置した ABCC(原爆傷害調査委員会)では、原爆投下 6 年後の 1951 年から胎内被爆児について追跡調査を行い、早くから小頭児の存在について把握していました。しかし親たちには「この子の障害の原因は栄養失調だ」と偽りを伝え、その存在を隠し続けていました。

 原爆小頭児の存在が市民に明らかになったのは、広島のジャーナリストの調査からです。秋信利彦氏が胎内被爆児の取材を始め、広島研究の会のメンバーたちの手によって、ひとり、またひとりと探し出していきました。当時、研究者たちから家族に対して正しい情報を与えられること
はなく、原爆小頭児の親のほとんどは「子どもの障害は自分たちの家族だけのもの」と思っていました。しかも被爆の翌年に生まれた胎内被爆小頭児たちの障害は、原爆によるものと認められていませんでした。

 広島研究の会の呼びかけで 1965 年 6 月 27 日、6 家族が集まって原爆小頭児の親たちの集まりが結成。会員の発案で名前を「きのこ会」と決めました。その後、明らかとなった原爆小頭児と家族たちは、次々ときのこ会の仲間となりました。「きのこ会」という会の名前には、『きのこ雲の下で生まれた小さな命ではあるが、木の葉を押しのけて成長するきのこのように元気に育ってほしい』という親たちの強い願いが込められています。

 1967 年 9 月、きのこ会の原爆小頭児 6 人が「近距離早期胎内被爆症候群」として原爆症認定を受けました。(その後 2 年以内にすべての会員が原爆症認定を取得)きのこ会にはこれまで 25 人の原爆小頭児が在籍しましたが、うち 14 人が他界しました。
        レジュメは以上です。

 きのこ会のメンバーの一人、のぶ子さんは、お母さんやお姉さんとは、幼い時に離れ離れ、お兄さんも家を出て、父親と二人で暮らしていました。父親も亡くなって一人ボッチ、やがて彼女も一人で死を迎えます。亡くなった彼女の棺に、お兄さんはピンクのスニーカーを入れてあげました。これを履いて、思いっきり天国で走りんさいと。

でも、会の後のささやかな反省会で、きのこ会の会長の長岡さんは、のぶちゃんの棺に、赤いはなおの下駄を入れてあげたかったと言われます。のぶこさんは生まれつき、右足の指がありませんでした。指の形らしきものはありますが、骨がなくってぷよぷよしているだけです。だから、のぶこさんは下駄が履けませんでした。そのころ、女の子はお祭りやお正月などには、赤いはなおの下駄をはいたものです。赤いはなおの下駄で天国で思いっきり歩いてね、と入れてあげたかったと。

きのこ会のホームぺージから、昭和40年、きのこ会が発足したその時の趣意書を転載させて頂きます。

なお、ホームページはここにあります。

https://sites.google.com/view/kinokokai/%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8


 この「趣意書」は、きのこ会が発足した翌月の1965年7月24日、2回目の会合で発表したものです。支援者や報道関係者らに対し「きのこ会」と「原爆小頭症」について理解を求めるために作成し、配布されました。
 この趣意書には、原爆小頭症の子を持つ親たちの切実な思いが込められています。



 趣意書の本文は以下の通りです。
(注:原文のままであり、私書箱は現在使用しておりません)


=========
きのこ会趣意書


 わたしたちの子供は、原子爆弾の放射能により、母の胎内で取り返しのつかない被害を受けました。しかし、その事実をしらないまま、どうしてこういう子供が生まれたのだろうかと、ひとりで悩み苦しんできました。


 生まれた時から虚弱なからだで、その上精神薄弱をともなう小頭症という、治療法のない不幸な子供たちです。その原因が原爆のせいだと聞かされた時、今更のように原爆の恐ろしさと、戦争の悲惨さを感じました。


 来年はこの子たちも成人式を迎へ、一人前の大人になります。しかし、この子たちは一生独立して生計を営むことができません。わたしたちがいつまでも面倒を見てやれるか考えますと、将来のことが不安でなりません。今までわたしたちは一人の親として、できるだけのことをしてきました。それには限りのあることです。


 二十年目の今日、同じ悩みを持つ親たちが集まり、ここに「きのこ会」というささやかな会を発足させることができました。原子雲の下より生まれた不幸なこの子たちに、少しでも希望と勇気が得られますように、みなさま方のお力ぞえをお願いいたします。
 また、わたしたちも二度とこうした不幸のおこらないよう、平和を守るために精一杯の努力をつくす決心でいます。なにとぞよろしくお願いいたします。
  昭和四十年七月二十四日


    広島中局私書箱一一九号 きのこ会
みなさま

今回、貴重な講演をして下さった平尾様に深く感謝申し上げます。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」ありがとうございました。

 昨日の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」、無事終わりました。会場いっぱいの参加者。すべての演者の方たちの思いのこもった講演。全体として今の社会の課題を感じ取って頂けたかと思っています。すべての皆様に感謝いたします。本当にありがとうございました。

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 会の後、スタッフや出演者の方々でささやかなお弁当で反省の会をしました。皆様にご紹介しなかったのですが、きのこ会の会長の長岡さんも参加されていました。(長岡さんの参加は、会が済んだ後知ったものですから)。

 きのこ会について、主に福島からの参加者の方たちからたくさんの質問が出ました。「どうやって厚生省に認めさせたのか」とか、マスコミからの依頼に「どう盾として対処したのか」とか。差別の問題も。立っていらっしやるのが長岡さん。

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 帰り、大荷物を自転車に着んで帰ろうとしたら、交通規制で自転車を押して帰らなければなりませんでした。橋の上はすごい人。灯篭流しです。

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橋からは人に押されてとても見ることはできませんでしたが、横道から。

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 時間が経っているのでしょう。多くの灯篭の灯は消えていますが。両親の灯篭を流したのは、いつだっただろうかと思いました。一回だけです。先に流した母の灯篭に、あとからの父の灯篭が、つつっと走って母の灯篭にピタッとくっついて一緒に流れていきました。そのことを思い出しました。

 また、皆さんのお話しについては、ゆっくり報告させて頂きます。昨夜は、さすがに疲れて、パソコンの前で寝落ちしていました。今日から三日間診療をすると、夏休みに入ります。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」について。

8月6日。今日も暑いです。午後1時半から、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」が始まります。やるべきことはやりました。後は無事に延寿の方々のお話しができることを祈って。今日のプログラムです。参加の皆様にお配りする冊子から。

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それから、ずっとこの会のスタッフで貴重なお話しをしてくださっていた、電車内被爆者の米澤鐵志さんは昨年11月12日に亡くなりました。その追悼集が、この8.6に間に合って発行されました。可愛い顔をした少年。もう、子どもの時から、その闘いは始まりました。その闘いの一生がこの追悼集に詰まっています。

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追悼集のしょっぱなに私が撮った写真が使われています。うれしい。ことです。

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この追悼集も、それから米澤さんの著書、「僕は満員電車で原爆を浴びた 11歳の少年が生き抜いたヒロシマ」も今日の会場で販売します。追悼集は500円です。それから、これまでの8.6平和のべを収録したCDも解消で販売します。小出裕章さんやクレヨンハウスの落合恵子さん、もう亡くなってしまった演者の方々、例えばずっこけ三人組の那須正幹さん、「はだしのゲン」の中沢啓治さん、小野瑛子さん、李鐘根さん等、の貴重な講演が詰まっています。CDは各回千円です。

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どうぞ、多くの方々とお会いできますように。今日は、手話通訳もつきますし、IWJにによる動画配信もあります。よろしくお願いします。

 

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チラシを配る。

 今日は、原水禁世界大会(の外)で「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のチラシを配りました。今日は診療が大変忙しくて、間に合わないかもとひやひやしましたが、終わってすぐに自転車で駆け付けると、どうにか世界大会終了より前に間に合いました。

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 一緒に(少しだけ)配った人が、「こういう会に来る人達だから、素直に受け取ってもらえると思ったら、なんと、本当に受け取ってもらえない」と嘆いていました。私は、選挙の時等のチラシ配りに慣れているので、それらに比べればよく受け取ってもらえる方だと思っていました。でも、若い男性は、本っとに受け取りませんね。顔をそむけたりして。もう少し残っているので、後は、当日の朝の二中の慰霊式典等で配ります。残っても、これは期間限定ですので、今の内にできるだけ配っておかなければ。読み物としても役に立つチラシだと思います。

 8.6が近づくにつれて、新聞やテレビの報道もいろいろとにぎやかになっています。今日の中国新聞には、私たちの大切な仲間、秋田明大さんが出ていました。あのりりしかった「メイダイ」も、すっかり好々爺です。ま、私もそうですが。

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今日のというか、日が変わってですが、午前1時25分から1時間、ドキュメント広島SP「原爆資料館 閉ざされた40分~検証G7広島サミット」が放映されます。観なくては。でも、明日は寝不足になるしなあ、ですね。あの密室中はすべて外務省やアメリカの行政達に仕切られたとのうわさですが、さて、どこまでテレビ局が切り込むことができたか、楽しみではあります。頑張って観ましょうね。

 私は、昨日重い荷物を持って階段を上ったり下りたりした影響でしょう、まあ、腰が痛いこと。背中がコチコチに凝っています。時間が経てばその内良くなるでしょうが。

 

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日教組で話してきました。

 昨日、行ってきました。東京・日教組。まあ、行きが大変で。頂いた案内では、会場の日本教育会館一ツ橋ホールは、神保町駅から歩いてと。その神保町駅にたどり着くのが、ちょっと大変そうなので、これはタクシーで行った方がと思ったのですが、朝の忙しい時、タクシーが全然いなくて。結局電車の乗り継ぎで行ったのですが・・。大井町駅→田町駅→ここで450メートル歩いて三田駅→神保町駅と。この田町駅からの歩きが半端なかった!!450メートルは平面ではなく、一体いくつの階段を上ったり下りたりしたでしょう。重い荷物をもって。エスカレーターなんてなくって。大井町駅からはラッシュで、ギューギュー、後ろから押されて倒れそうになりましたし。最後の神保町駅にたどり着いて、歩こうにも、もう、ハーハーで。自動販売機で冷たいお茶を買って、立ち止まってしばらく過ごさなければなりませんでしたよ。

 まあ、とにかく無事について、お話しをさせて頂きました。

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写真でお話しなさっているのは、参議院議員の古賀千景さん。古賀さんは福岡出身。控室で「私も子宮頸がんワクチンの普及に頑張ります」と言って頂けました。どう話すか悩んでいましたが、頑張って話しました。反響は、まだわかりません・・。きっと感想文に出てくるでしょう。性教育については、理論よりも私自身が経験したことを中心に、データや動画を駆使して私しか話せないことを話しました。

 ちょっとびっくりしたこと。昨日の前日、同じ会場で「母と女教師の会」が開かれ、講演は広島の楾大樹弁護士だったと。憲法の話「おりの中のライオン」だったと。二日続けて広島の方のお話しでしたと。素晴らしい。楾弁護士は、日本中駆け回ってお話ししていらっしゃいます。本当に多くの方に聞いて頂きたいお話しです。一日違いで同じ会場でお話しできました。

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会場では「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のチラシも置いて頂きました。今回は、「被爆教師の会」の初期の立ち上げにご尽力頂いた森下弘先生にも平和教育について語って頂きますし。来れなくっても、チラシを読んで戴くだけどもと思って重いけど持って行きました。

今日は原水禁世界大会の総会の会場の外で、チラシを配ります。これが配る最後のチャンスですので。

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いよいよ日が近づいてきました。多くの方にお会いできますように。

 

 

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東京です。

東京のホテルです。診療後新幹線でやってきました。土曜日の3時までの診療を終えて東京まで来るよりも、6時までの診療を終えて来る方が、何倍も疲れます。

 明日午前中、日教組で話します。両性の自立と平等を目指す研究会です。

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来る時のお弁当です。

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お昼が、インスタントのお味噌汁だけだったので、夜はちょっと贅沢に。美味ですが、食べきれなくて、今冷蔵庫に入れています。明日の朝食にします。

 日教組の先生方500人くらい来られるそうですが、包括的性教育についてということですが、話したいことが沢山あって、今一つまとまりがつかなくて。ここにきてまだスライドをあれこれしています。迷っているのは、「子宮頸がん予防ワクチン」について。日教組の養護部会の方たちは、子宮頸がん予防ワクチンに反対する立場をとっていると聞きました。そんな、と思うけれど、これは事実だそうで。それを明日の話の中でどうするかなのです。本当はしっかり話して、分かってもらいたいのですが、性教育について話す中で、時間的に十分これについて話すのはとても無理なのですね。ずっと悩んでいます。でも、私は信念をもって頸がんワクチンを打つべきと思っているので、短い時間の中で、頑張って話そうと思います。

 また終わって、ご報告しますね。

 一昨日月曜日に住吉神社の夏祭りに行きました。以前性教育指導セミナーでお世話になったあおぞら子ども神楽団が神楽を奉納されるとのことなので、差し入れをもっていきました。熱い中、重い衣装を着けてくるくる舞うのも、それはとても大変だと思います。外なので、冷房などありません。熱中症になりませんようにと祈る思いでした。奉納は「悪狐伝」。太鼓も笛もすべて子どもたちです。

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素晴らしい神楽でした。

 人がすごく多くて。どのお店も長打の列。何か買って帰ろうと思ても、並ぶのが大変で。神社の冷やし飴だけを買いました。綿菓子を買いたかったのに・・。人出に阻まれて残念でした。神楽の子どもたちの頑張りは素晴らしい。それを指導する団長さん等、大人の方たちも素晴らしいと思います。

 昨日の火曜日、診療後急いで自転車を飛ばして、アステールプラザに市民劇場、俳優座の「雉はじめて鳴く」を見に行きました。珍しく、舞台は学校、高校でした。そこの教師と生徒の物語。また感想を書きます。


 


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朝顔とコスモスの芽が出た。

7月の24日に、クリニックのベランダを見ると、なんとプランターに芽が出ていました。朝顔とコスモスです。

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朝顔とコスモスの種は、ずっと前に買っていました。ベランダに撒こう撒こうと思いながら、チューリップの後のプランターの土の入れ替えがなかなかできませんでした。ところが、そこに生えた雑草を抜いているのを見た患者さんが、土の入れ替えをして下さったのです。わざわざ土も買ってきて、古い土は持って帰って下さいました。ありがたいことでした。

 そこで、すぐに種を植えたのですが、何しろ遅すぎます。コスモスはともかく、朝顔は、6月中に撒かなければなりませんでした。植えたのが7月20日の木曜日。そして24日に芽を見つけて、もううれしくていとおしくて。今は朝顔の本葉も出て、コスモスはコスモスらしい本葉も出ています。大切に育てているのですが、咲いてくれるでしょうか?

 そして、植物を大切にする事を思います。ビッグモーターが店の前の街路樹に除草剤を撒いて枯らしたり、伐採したりしていたと。連日報道されており、東京都は小池百合子都知事が許せないと怒っていました。でも、その小池さんは、神宮外苑の樹木を伐採して再開発すると。また植樹をするからと言っているようですが、切られる樹の事をなんと考えるのでしょう。

 少し前ですが、広島市が牡蠣船の一隻を平和公園の向かい側に移転させるために、土手に生えている桜を伐採しました。とても大きくて、白が入ってグラデーションになっている見事な桜でした。

 そして、極めつけは、先日のG7サミットのために、広島市の木でもある夾竹桃をバッサリと切ったこと。警備のためだそうですが、なぜ夾竹桃だけを狙い撃ちのように切ってしまったのでしょう。平和公園の反対側、本川沿いの川沿いの方だけ、こんなふうに。

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かわいそうで。サミットが済んでみても、この伐採がどう役に立ったのか、過剰警備であったのではないかと思えてなりません。おそらく、外国からサミットに来た人たちも、メディアの人たちもこんなに木々がいじめられたということを知らないでしょう。夾竹桃は強い樹だから、また繁るから大丈夫という人達、何が大丈夫なのでしょう。小池氏のいう植樹するからというのと、同じ屁理屈だと思います。

 人の命も、動物たちの命も、そして植物も大切にしたいと、そう思います。ベランダで花を育て初めて、さらにその思いが強くなりました。

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夏祭りで、姉に会いに行きました。

29日土曜日、診療の後、姉が入っている施設の夏祭りだということなので、甥や姪たちと一緒に行きました。三月に入所して、私は初めての面会です。施設は黄金山の中腹、見晴らしのいいところにあります。瀬戸内海が見えます。

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夏祭りは、沢山の職員の方たちや地域の方たちも一緒になって、盛大に行われていました。

姉をみんなで迎えに行って、グラウンドまで一緒に来ました。姉は、姪の顔をじっと見ています。私の顔も見ますが、私だとわかっているのか否か・・。その内、甥の長女夫妻も、赤ちゃんを連れてきました。

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私には笑顔をしてくれません・・。

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舞台では、フラダンスや寸劇、神楽も。売店では、焼きそば、カレー、焼き鳥等、職員さんたちが汗だくです。

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私は8時から性教協のズーム会議があるので、一足お先に失礼しました。この後、花火や団扇の裏の番号での抽選会があるとのことで、残念でしたが。帰る前に先に帰るね、また来るね、と握手をしたら、姉は私の手をぎゅっと握って離しませんでした。やっぱりわかっているのかなあと思って。帰りの車を運転しながら、涙が出てきて困りました。

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