兄の遺児に50年ぶりに会う。
鹿児島にいます。昨日診療後、新幹線で来ました。昨日の夜大切な一人と、そして今日の午後もう一人と会います。3月に亡くなった兄の遺児たちです。兄が離婚して別れた子どもたちです。みんなが泣いて離婚を止めたのは、ついこの前のようながします。兄は三人の子をとてもかわいがっていましたので。兄も子どもたちと離れるのはつらかったようですが、でも、離婚は兄にとって必要な事だったのでしょう。
離婚は、ちょうど私たちが結婚するときでした。私の式に来た兄が式の後「愛情は、日々再生産していくこと、自分はその努力を怠ってた。」と言い、私は大泣きしたものです。兄は、家族もいて、勤め先を辞め牧師になるべく大学の神学部に入りました。タクシーの運転手などをしながら、それは苦労して家計を支え、大学も卒業しました。新婚旅行を、義姉や子どもたちがいる所にして会いに行きました。その時、義姉の両親もいらっして、ものすごく叱られました。私も夫も黙ってうなだれて聞くかありませんでした。叱られても、私には、どうにもできないことでした。
三人の子供たちには、その後も学会がある時などに会いにいったりしましたが。その一人の子は兄のお見舞いにもお葬式にも来てくれました。
でも、長男は、その後ある時から連絡も取れず、どこでどうしているのか、私たちにはわからないままでした。住所を聞き、どうぞ無事届きますようにと、長い手紙を書いてその返事が来たときには、本当にうれしくて。
その彼と50年近くぶりに会いました。全然様子が分からないので緊張しましたが、赤ちゃんだったあの子が立派な男性になっていました。穏やかで、口数は少なくとも、しっかり目を見て話しを聞いてくれました。困難な生活だったでしょうに、よく生き抜いてくれてたと思いました。ラインも交換しました。そのラインの一部ですが、今朝、「・・・昨日は遠方より来て下さり、また場を設けて下さりありがとうございました。誰かと会って食事をしに出かけるのはホントに数年ぶりだと思います。ほとんど一人行動ですので。。。」こんなのを読むと、また涙です。それから、兄の残した膨大なキリスト教関係の本、彼が引き取りたいと言ってくれました。ああ、兄が生きているうちに彼と会えていたら、とほんとうに残念で、きっとキリスト教論議をいろいろとしていたでしょうに。
兄が子どもたちに会いたくて会いたくて、とうとう会いに行ったけれど、かなわなくて、とぼとぼと帰ったことなど、この50年間のことは、まったく伝わっていませんでした。クリスチャンになっている彼を何とか兄が近くに呼んで、一緒に生活したいと思い、兄は無理なので、仲の良い牧師さんに義姉に会いに行ってもらったことも、知っていませんでした。兄が死んだ今、やっといろいろな誤解が溶けたけど・・遅すぎました。
今日は、午後お葬式にも来てくれた二女に会います。お昼ご飯は「しろくま」ですね。写真は、彼と食事をした一部です。薩摩料理のお店です。
それぞれランチョンマットが異なって、なんと私のはこうでした。びっくりするほどリーズナブルで、丁寧でいいお店でした。
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コメント
お疲れ様です。
白クマは「むじゃき」。
かるかん、春駒は明石屋
が定番ですかね。
白クマはどこでも同じような味だと思いますが。
今夕の番組も拝見します。
投稿: 前田耕一郎 | 2023年6月28日 (水) 15時13分