ABCCの内部情報を流出させた日本人職員について①
私が、「論文を読んで泣いた」と書いたのは、この論文です。「被爆と敗戦後を生きるーABCCの原爆小頭児に関する内部情報を流出させた日本人職員を中心として」現在の原爆小頭症の被爆者と家族の会・きのこ会の事務局長、平尾直政さんの論文です。
平尾さんは、RCCの記者ですが、修道大学の大学院で学んでいらっしゃいます。
私は、きのこ会の平尾さんが作られた番組について、いくつかこれまでも取り上げています。
http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2020/02/post-7f181f.html
ここから、五回にわたって。この中にも書いているのですが、一番初めはラジオ番組です。
http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2018/03/rcc-0b7d.html
当時RCCの記者である秋信利彦さんがたいへんな思いをして、原爆小頭症の子どもたちの名簿を作り、一人ひとり、家族を説得して「きのこ会」を作られた、そのドキュメントです。このおかげで、「原爆小頭症」が被爆者として厚生省に認められたのは、被爆から22年たった1967年のことだったのです。実は、その名簿をABCCから流出せた一人の日本人職員についての詳細な記録を平尾さんがこの度論文にまとめられました。
決して流出させてはならない一人ずつの被爆者の名前や住所をメモした人のことを、秋信さんは、45年間何も言わないままに亡くなったのです。このきのこ会のことを「この世界の片隅で」に書かれましたが、「あくまでも匿名の人から名簿が送られた来た」として、決してその名前等は明かすしませんでした。そして、秋信さんが2010年に亡くなって、その忍ぶ会が開かれた時に、それにひっそりと参加していた女性が「私が秋信さんに名簿を渡しました」と皆さんの前で名乗られたのです。マスコミは、大騒ぎとなり、その事実を大きく報道しました。
彼女は、どんな人だったのでしょうか。彼女は、江田島の人であり、被爆当時、広島女子高等師範学校附属山中高等女学校の学生さんでした。その彼女のことを読んで、私は本当にびっくりしたのです。そんな彼女自身の背景があって。だから、彼女はそんな大変な事を自分の使命としてやってのけたのだと思いました。
明日に続きますね。
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