誕生日、皆様ありがとうございました。
昨日の誕生日に沢山のメッセージをありがとうございました。ちょうど日曜日、あえて何にもにもスケジュールを入れていなかったのですが、いつも通りに出勤して、クリニックでレセプトや、選挙のはがき書きや、書いたはがきとカンパを事務所に持って行ったり、あれこれして過ごしました。
出勤途中の平和公園を対岸から。右端に原爆ドームがあるのですが、商工会議所ビルがやはり邪魔ですね。
76歳になりました。母が亡くなった歳です。母は、亡くなった歳の平和公園の桜を「来年はもう見られないかもしれないから、もう一回見せて」と父に言い、父は車いすを押して、桜の下をもう一回、往復したそうです。
それに、二日前に兄のお葬式をしたばかりです。いやでも、自分の事を考えざるを得ません。次は私だろうか、などと。
兄は、自分で亡くなる用意をしないままに病気になりました。自分が死ぬかもしれないと思った時に、いろいろと残っていることに気づいたのでしょうか。苦しい中で、三人の子が小さい内に離別した元の妻に手紙を書いておりました。今更なのですが、懺悔です。元の義姉も、こんなのをもらっても、迷惑なだけでしょう。でも、それを知った三人の子の一人が、まだ兄が生きている内に会いに来てくれて、兄と話をしました。そしてお葬式にも来てくれました。おかげで、会うことができましたと喜んでいました。私は、三人の子のことを知っているだけに、他の二人の子の事が気がかりです。
そして、今の妻にも、手紙を残していました。これも懺悔ですね。でも、暖かい手紙でした。
お葬式は、教会の牧師さんが来て取り仕切って下さいました。いい方でした。兄が苦しい時に二回来てくださっています。その二回目に、兄は牧師さんの手をぎゅっと強く握ったそうです。牧師さんはおっしゃいました。
「キリストも、張り付けになる前には、動揺したと言われます。」と。
お葬式に来て下さった方たちに皆さんの中で何かお話ししたい方がいらっしゃいますか、と尋ねて下さいました。お一人の男性が、
「20年間、陶芸を教えていただきました。陶芸だけでなく、いろいろな事の相談に乗ってもらって、お父さんさんのようでした。広い視野で様々な事を教えて下さいました」と。
私は、涙で話せなくなるかもと思ったけれど、私しかいないと思って、お話しさせていただきました。
「兄は小さいころから、花を好きだったこと。お小遣いはすべてお花に使っていた事。結局大学は農学部に行ったこと。そして農事試験場に勤めていたこと。でも、ある日、農事試験場を辞めて、大学の神学部に行きたいと父に言いに来ましたと。父は、家族もいるのに生活はどうするのかと当然反対しました。兄はタクシーの運転手等、色々と苦労をしながら、大学を卒業しました。牧師になったけれど、教会の牧師さんにはなりませんでした・・。陶芸との出会い、それが生きがいになったことでしょう。・・・。
以前、肺がんになった時、「死ぬのは嫌ではない。だけど、怖い。」と言いました。だから、牧師さんに来ていただいた時に、「助けて下さい」と言ったそうですが、そんな思いだったのでしょうかと。お姉さんが一人になりました。これからをどうぞよろしくお願いします。」等と話しました。話せばよかった事等沢山ありますが、即興で、それが精一杯でした。
文化協会の活動や、九条の会や、オカリナでの慰問活動や、いろいろな事をしていましたが、まっすぐに生きた人だったと思います。でも、遺産の事とか、残していることが沢山あって。お姉さんが大変です。
兄の事を見て、私は、これから終活に入らなければと思いました。人に会うと、ああ、これでこの方に会うのは、最後なのかなあと思ったりします。いつ、どんな事があるのかわからない歳です。体はすこぶる元気でも、兄もそうでしたし。残る人のためにも、いろいろと片付けておかなければと。
そんな事を考えた誕生日でした。まさに、めでたくもあり、めでたくもなしでした。再度、皆様、お祝いの言葉をありがとうございました。うれしかったです。
『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。
| 固定リンク
コメント