再び広島市「平和ノート」について①
アッと言う間に一週間がたちました。一週間前の日曜日に「教科書問題を考える市民ネットワーク・ひろしま」いわゆる教科書ネットの総会で記念講演をさせていただきました。その時に、教科書ネットの方たちがこれまで地道に活動なさっているその一端を拝見し、感動しました。そのご報告をしなければと思いながら、時間がたちました。
平和ノートの「はだしのゲン削除」の問題が、単なる日本会議や宗教右派の「はだしのゲン嫌い」の人たちの圧力で行われた以上の問題を含んでいるということが、その後送って頂いた資料等をじっくり見て、良くわかりました。平和ノートは、なかなか手に入らず、見るのが困難なのですが、当日は、会場に展示して下さいました。
これまでの小学校1年から3年までのだけでなく。中学校や高等学校のも。
見ている時に、そばでお話しされていて、アッと気づきました。
基町高校の生徒さんが被爆者の証言を基に絵を描いた、その一人の生徒さんを取り上げています。被爆者の絵、その被爆者について、「李さん」としか書いてありません。その方がどんな被爆をされて、どんな思いで戦後を生きてこられたのか、全く出てきませんし、それどころか、お名前も出ていないのです。「李さん」だけです。「この李さんは誰だろう、じょんぐんさんだろうか」と話をしていらっしゃいました。私は、その輪に加わって、「ジョングンさんです。」と言いました。イ・ジョングンさん・李鐘根さんから、私は直接お話しを聴いています。高校生に、あの原爆が光った、あの光を描いてくれと言って。それは大変で、何度も何度も描き直してもらって。光を絵に描くというのは、本当に大変でしたと。その話を直接聞いているので、「ジョングンさんです。」と自信をもって言いました。ジョングンさんは、被爆前からその後も、被ばくによる大変な思いをされただけでなく、二重の差別を生き抜いた方です。基町高校の生徒さんには、ジョングンさんの首に沸いた蛆虫をお母さんが、アイゴーアイゴーと泣きながら、箸で一匹づつ獲ってもらった、その絵も描いてもらっています。そのお母さんは、大変に苦しむ彼を看病しながら、こんな苦しい思いをするのなら、早く死んだほうがいい、死ねとさえ言われたと。死ねば楽になるからと。
そんなお話しを聴いているので、この平和ノートに「李さん」とだけ、「被爆体験証言者」としかしか出てこない、被爆の状況も全く出てこないのが、とっても失礼なことで、一体どうなったのかと思いました。李鐘根さんが、名前を出してくれるなと言われるわけがありません。「8.6ヒロシマ平和の夕べ」だけでなく、広島市の証言活動もしていらっしゃいますし、呼ばれればどこに出も出かけて証言されていましたから。それどころか、この「李さん」とか」「被爆証言者」としか書かれていないのを見られると、さぞ悲しまれたことと思います。もう亡くなっていますので、お尋ねすることはできませんが。
この項、もっと続きます。
『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。
| 固定リンク
コメント