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夾竹桃の歌

今日は、午後、今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のスタッフ会議でした。いろいろな地域から、ズームで行いました。また、夏に向けて、始動します。ないようにのついては、おいおいお話ししますね。

 それとは、まったく別なのですが。私が、先日ブログに書いた、広島の平和公園の向い側の川沿いに植えられた夾竹桃が、切り取られていたというお話し。G7の警備のためということでしたが。どうしても、これに合点が行かなくって。広島市の平和学習のための平和ノートから「はだしのゲン」が削除されたという話と重なって、ゆううつなのが続いています。

ふと、「夾竹桃の花」の歌が口をついて出ました。それは昔若いころに歌っていた歌なのですが。うろぼえだったで、改めてその歌詞を見てみてました。広島にとって、夾竹桃がどんな意味があるのか、おそらく県外の方、いえ、市外の方たちはよく知られないのではないかと思います。

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https://bunbun.boo.jp/okera/kako/kyouchikutou.htm

歌声サークル「」おけら」さんから、歌詞をいただきますね。

作詞
作曲
藤本 洋
大西 進
 


夏に咲く花 夾竹桃 戦争終えた その日から
母と子供の おもいをこめて
広島の 野にもえている
  ■空に太陽が 輝くかぎり
  ■告げよう世界に 原爆反対を

夏に咲く花 夾竹桃 武器をすてた あの日から
若者たちの 願いにみちて
長崎の丘に もえている
  ■空に太陽が 輝くかぎり
  ■告げよう世界に 原爆反対を

夏に咲く花 夾竹桃 祖国の胸に 沖縄を
日本の夜明け 告げる日を
むかえるために もえている
  ■空に太陽が 輝くかぎり
  ■告げよう平和と 独立を

別詞 夏に咲く花 夾竹桃 非核を誓う 町々が
くまなく地上 うずめつくして
明日あしたを歌えと 燃えている
  ■空に太陽が輝くかぎり
  ■告げよう世界に 原爆反対を


さらに、そこに書いてあるこの歌の解説です。

■1969年「原爆を許すまじ」に続く、反核・平和の歌を運動が巻き起こっていた頃の作品。同年の第15回原水爆禁止世界大会で発表された。

■夏の陽ざしの下で、濃いピンクと自い花をつけた來竹桃が咲き誇る。強い生命カを持つこの花は、1945年8月6日の原爆投下で、焦土と化した広島の希望の象徴ともなった。

 被爆直後、「70年間は草木も生えない」と言われていた広島でいち早く咲いたのが夾竹桃だった。この花が市民に復興と希望の光を与えた。1973年11月3日、広島市は來竹桃を「広島市の花」とした。

 この歌は、1969年、「原爆を許すまじ」に続く反核・平和の歌を毎年創っていこうという運動の中で生まれ、同年の第15回原水爆禁止世界大会で発表。以後、8月の広島・長崎に向けて歩く平和行進の中でもよく歌われている。

 8月6日、原爆犠牲者追悼式典に向う平和大通りの両脇にも、一斉に花をつけた爽竹桃が見られる。


1番が広島、2番が長崎、そして3番が沖縄なのですね。まさか、こんな歌に込められた「原爆反対」の意味がG7にふさわしくなくって、夾竹桃が狙い撃ちされたというわけではないでしょうが。でも、あの無残に切り取られたその姿が、胸に重くのしかかっていて、どうしようもないのです。

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強い花だから、また伸びてきて咲くようになるよという人がいますが、それは秋の内に切った場合、でも、あくまでも剪定であって、こんなに丸刈りではないのですが。今回は12月という真冬に、それもG7の予算の関係で、これからまた伸びてくれるのかわからないと大学の先生がおっしゃってました。

 

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