高校生が作った映画「無限の瞳」
19日、こんな記事が中国新聞に載りました。多くの広島の方なら読まれたでしょうが。他の県の方々は御存じないと思いますので。丸投げのようですが。
成城高校の高校生が1955年に作った映画「無限の瞳」。私は知りませんでした。広島で被爆し、その被爆でお母さんと弟を亡くし、父親もと共に東京に転居した成城高校の三年生、千葉亮さんが、被爆から10年後に白血病で亡くなった、そのドキュメントです。
一面。
三面
高校生の作品としては、最古ではないでしょうか。ユーチューブで公開されているというので、観ました。
https://www.youtube.com/watch?v=IRKtyLPcs2w
初めから涙ボロボロです。単に、彼の闘病だけでなく、校長先生から千葉君が「原子病」と言われる病で入院したということを聞いた成城高校の生徒たちが、自分たちでできることは何だろうかと、生徒会で話しあい、生徒総会を開き、そして全国の高校生を巻き込んで、運動が展開されました。その年、54年3月に第五福竜丸が死の灰を浴び、杉並の女性たちから、原水爆禁止の運動が広がっていました。放送部は、録音ルポルタージュを作り、それをもって、あちらこちらで聞いてもらい募金を呼びかけます。そして、映画を作ったらという勧めで、生徒会として映画づくりを始めます。
11月には、「文化祭が見たい」と言い、その内「クリスマス迄には、元気になるよ」と言い「新学期には・・」「暖かくなったら、良くなるから。そしてこれまでの恩返しに一生懸命働くよ。」と言っていた彼。その頑張りとみんなの励ましの甲斐もなく、千葉君は亡くなってしまいました。54年秋に発病し、55年5月にその生涯を終えています。被爆から10年です。
学校葬で生徒会長は、「君の死を無駄にはしない」と呼びかけます。「どんな必要があろうとも、第二第三の君を出すような原水爆使用や、人間が人間を平気で殺す戦争には断固として反対する。そしてあらゆる方法で全世界の人々と話しあい、手を取り合って永遠の平和という一つの目的に向かってみんなが足並みをそろえるその時が来るまで、僕たちは決して君の死を忘れない」と。
中国新聞の記事によると、この映画は、1955年8月に広島で開かれた第一回原水爆禁止世界大会で上映されたとのことです。
そして、私が何よりびっくりしたこと。このかれらの映画によって運動が広がり、55年8月6日の前に愛知淑徳高校の生徒たちが千羽鶴を折って広島赤十字病院に送ったと。当時、たくさんの白血病の患者さんが入院しており、その鶴を入院患者であった佐々木禎子さんも受け取って、彼女が折り鶴を折るきっかけになったといいます。「原爆の子の像のモデルの佐々木禎子さん」のそのきっかけに、千葉君の死と成城高校生たちの運動と、映画作成という伏線があった事は本当に知りませんでした。
20分弱の作品です。ぜひ、ユーチューブ、ご覧下さいね。
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