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兄が亡くなったので。

 福岡の次兄が亡くなったので、福岡に行ってきます。明日は、木曜日の休診日ですが、どうしてもキャンセルできないので、テレビの撮影だけは済ませて行きます。今日、ビル開業の産婦人科医の集まりの最中に連絡が入りました。で、金曜日の診療が困ったなあ、四方先生は、予定が詰まっていると言われるし、こんな時、一人での開業は本当に困りますね、と言ったら、みんながうなずいて。でも、なんと、兵頭まき先生が、「私、金曜日は休診なのですが」と言われたのです。そして、あっという間に私の代わりに診療して下さることになりました。みんなもよかったよかったと言ってくださって。兵頭先生は、開業前は大学病院の超ベテラン。もう、本当にうれしくて、安心しました。こうしてみんなに助けられてるんだなあと。ありがたいことです。


 兄はとても苦しんで死にました。肺炎、呼吸が苦しいというのは、本当につらいことなのですね。兄は、自分自身も牧師なのですが、来てくださった牧師の先生に、「助けて下さい」と言ったそうです。では、お祈りをしましょうと言われて、お祈りをしてもらったら、少し落ち着いたと。

 兄のホームページを見たら、こんな記事が出ていました。

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沢山の作品をどうするのでしょう。ホームページに載っている作品を、少しここに転載します。供養の代わりです。

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老後は、海辺でのんびり魚釣りをして暮らすといっていたのに、その前に亡くなってしまいました。長兄がなくなり、次兄が亡くなり、姉は施設に入ったし。私と妹だけが何とか元気です。寂しいものです。

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平和公園の桜・俳句

平和公園の桜もいよいよ満開近くなりました。

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患者様がこの新聞記事をもって来て見せて下さいました。読売新聞、3月15日付です。

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私が今日写真を撮ったのとほぼ同じ所からの写真でしょう。

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兄の命が尽きそうだと報せがありました。でも、どうしても今動けません・・。明日の夕方会いに行くから、もう少し頑張ってと、祈る思いでいます。

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またスライドを作りました。

激務が済んで楽になったと思っていたら、なんと。産婦人科の小さな会ですが、発表しなければならなかったこと。アッと言う間に明日でした。これは大変。急いで統計を取って。スライドを作りました。

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小さな会ですので、具体的に料金や、患者さんの何が大変かなどの話をします。

ベランダのチューリップが咲きました。昨年、ふるさと納税でもらった球根。150本の花がギューギュー詰めで咲いてくれました。私がずぼらだったので、球根を掘り返さず、プランターにそのままにしておいて。そしたら、芽が出てくれました。少しだけ。そして、今、つぼみが9個。その内の一番目が咲いてくれました。清楚な白です。

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そして。ハイビスカスの一号も。これは、一昨年のハイビスカス。昨年は、冬を越して何とか生きてくれましたが、葉っぱは青々として、でも、花は一つもつけなかった苗です。今年は、つぼみがいくつもついて、無事咲いてくれるか、ドキドキでしたが。

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今はほとんど新しい苗は買わず、もっぱら、以前からのをまた咲かすことに力を注いでいるのですが、でも、冬を越すのがなかなか難しくて。アジサイやスズラン等、まだつぼみをつけてくれません・・。

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「広島の性教育バッシング」

26日日曜日の午前中は性教協広島サークルの例会でした。テーマは「広島の性教育バッシング」。これまでお目にかかっていない、多くの方に来て頂いて、ありがたいことでした。作っていった資料が足りなくなって、すみませんでした。

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初めに城さんが、「広島のバッシング、その背景」として全国と広島の年表を作って下さいました。こんなのが4枚にわたって。これは素晴らしく貴重な年表です。さぞ時間がかかったことでしょう。大切に活用させていただきます。

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私は、国会や集会での、政治家たちの動画満載のスライドを作っていきました。長い間、集めて来た資料ですが、まさかこんな時にこれらが役に立つとは想像もできないことでした。広島に限らず、城さんの年表に肉付けする形になりました。

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沢山の方が感想を書いて下さいましだか、やはり「こんなことが起こっていたとは、知らなかった」という方がほとんどです。

お友だちのHatsue Kobayashiさんが、感想をフェイスブックに挙げて下さいました。初めて性教協の例会に来て下さったのですが、ありがたくて。お願いしましたので、ここに転載させていただきます。


これは行かねば!と、行ってきました。

城先生が纏められた「性教育バッシング関連年表」は丁寧に整理され、この年表を見るだけで右翼政治家と日本会議、統一協会がいかに教育に介入し性教育=人権教育を破壊してきたかがよくわかる貴重な資料でした。

「性教育元年」といわれた1992年から凄まじいバッシングが吹き荒れた2006年の間は、まるまる保護者であった期間。
何とかしなければと大逆風の中、懸命にたたかう教師たちと子どもをどうしたら守れるかを模索し行動していたこと、様々なことを思い出しました。

河野医師の講演は、実際に矢面でたたかわれていた医師だからこその説得力がある、かつ、実にわかりやすい講演でした。動画も多用されたスライドは感嘆もの。
時間の制約なく、全面展開される講演をぜひ企画していただきたいと思います。


※マスコミを先頭にあのセンセーショナルな子宮頚癌ワクチン「副反応」キャンペーンこそは、統一協会の「仕込み」であったことも事実に沿って明らかにされ、あー、私は騙されてたと不明を恥じた次第。
ワクチン接種券が娘たちに届いたとき、ビビって「大人になってからでも」と、子どもに転嫁してしまったのです。情けない保護者でした。
下の娘の3回目のワクチン接種がやっと終わったところです。

子宮頚癌ワクチンに関して学ぶうちに、やはりおかしいと感じるのは男性の接種がとんでもなく低いこと、性感染症の予防が女性に押し付けられていること、ヒトパピローマウイルス(HPV)の知識が皆無に等しいこと。

本来なら、性の自己決定権とはなにかを性教育、家庭科教育、保健教育で学習しなければならないのに、性交という文言は使用してはならないとする「歯止め」がある教育では宜なるかなです。

4月16日、同じテーマで教科書ネットの総会でお話しさせていただきます。きっとさらに沢山の方たちに聞いていただけることと思います。これから、資料も充実させて、もっといいお話しをしたいと思います。

お集まりいただいた皆様、小林さん、ありがとうございました。


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米澤鐵志さん追悼会・続き

今日の性教協の例会、沢山の方に来て頂いてありがとうございました。作って行った資料が足りなくなって、申し訳ないことでした。今日の内容については、また明日お話しますね。その前に、昨日の米澤さんの追悼会のお話しの続きです。

 米澤さんは、10歳の時に、市内電車に乗っていて、爆心地から750メートル、今の流川のあたりで原爆に合いました。電車は黒焦げ、運転をしていた女性も真っ黒に焼かれて即死。窓辺にいた人達はガラスが全身に突き刺さり・・。米澤さんは、満員電車の中ほどで人々に埋まるようにしていたために、助かりました。お母さまとやっとのことで電車から脱出、熱風と火に追われながら逃げ伸びました。疎開していた志和に何とか帰り着いた、その翌日からお母さまも鐵志さんも40度の発熱、髪も全部抜け落ち、苦しみます。お母さまは、9月1日に亡くなりました。そして、そのお母さまの母乳を飲んだ一才の妹も被爆はしていないはずなのに、お母さまや鐵志さんと同じように髪は抜け、体にぶつぶつが出て、そして10月19日に亡くなってしまいました。

 鐵志さんは、みんなが死ぬと思われていたのに、やがて健康を取り戻し、学校に行くようになって。でも、髪は抜けたまま、顔にはぶつぶつができたままで、みんなに「つるはげのテツ」等と呼ばれ、いじめられたそうです。

 その米澤さんは、少年時代から亡くなるまで、反戦運動、労働運動に身を捧げられました。私も少年時代の米澤さんの事を、プレスコードの中、福屋の屋上からビラを撒いた方から聞いたことがあります。

 その米澤さんの被爆証言が、ドイツ語に翻訳されて、亡くなったひと月後の12月に冊子が完成したのです。ハノーバーの市長から、米澤さんは招待されて、今年の5月にドイツに行く予定で、楽しみにされていたのだそうです。本はドイツ語と日本語の両方で書かれています。

この本を参加者は一冊ずついただきました。

おもて表紙。ここからはドイツ語が始まります。

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うら表紙。こちらからは、日本語の証言が始まります。

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 この本を作るにあたって尽力された山本元大阪府議が話されました。この本のタイトルをどうするかになった時、ドイツの学生は、うら表紙にあるような長い名前はダメだと。では「はだしのゲン」を知っているかと尋ねると、これはみんな知っていると。それなら「つるはげのテツ」にしようとなったと。「はだしのゲン」と「つるはげのテツ」。つい、笑ってしまいました。本の中にあります。

「はやしたてるだけならまだしも、追い抜きざまに、そろばんで頭をなでたり、素手でさわったりして、「やっぱりすべるのー」「つるつるじゃのー」とからかうのでした。我慢していることもありましたが、ときには、「このやろう、おれは原爆でピカピカになったなんじゃ。おれが悪いんやない。アメリカが悪いんじゃ。もう一度言うてみい。許さんぞ」と言って、からかった子どもをたたきのめしたこともありました。」

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山本さんは、さらにこの本をエスペラント語、英語、フランス語、韓国語等に翻訳すると。できれば、G7の広島で配りたいとおっしゃいました。そのために、自分のお金は全部使うつもりだと言われました。本の最後には、こう書かれています。

「核は人類はもちろん地球上のありとあらゆる存在、生態系と共存できません。直ちに核兵器を廃絶し、原発を止めるよう、また平和憲法を変えさせないよう叫び続けていくことを改めて決意し、さらに行動し続けていきます。」

わたしも、世界中の人に読んで戴きたいと思います。この会を準備して下さった皆様、ありがとうございました。米澤さんにはもう来て頂けませんが、これからも「8.6ヒロシマ平和の夕べ」は頑張って続けます。合掌。


 

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米澤鐵志さん追悼会に参加しました。

昨日は、京都にて「米澤鐵志さん追悼会」が開かれました。「8.6ヒロシマ平和の夕べ」から三人が出席しました。私は12時まで診療をして、午後の診療は四方先生にお願いし、新幹線に飛び乗り、3時の開会に十分間に合いました。

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私は、米澤さんと「8.6ヒロシマ平和の夕べ」についてのスライドを作ってお話しさせていただきました。

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米澤さんは、2008年の第一回に被爆証言として登壇して下さいました。それ以来、毎年、2019年までずっと参加して下さいました。2020年から、コロナの影響で、京都からの参加を控えていらっしっゃて、コロナが収まったらまた参加するからと言われ、それが果たせないままに亡くなりました。12年間に私が写した写真が沢山ありました。それを時系列に映しながら、思い出を語りました。

被爆電車に乗っての証言もはじめから2012年まで続けてくださいました。

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沢山の方が思い出を語って下さり、また、川口真由美さんの歌も。相変わらず力強い歌。米澤さんは、川口さんが大好きでした。

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皆さんの思いでを聞きながら、米澤さんは、少年時代から亡くなるまで、本当に闘い続けられたのだなあと実感しました。まだ米澤さんについて、お伝えしたいことがあります。ただ、今日の朝も講演を控えていますので、改めて、お伝えさせていただきますね。

京都の会が終わると、すぐに新幹線で広島に帰って、今日の講演のスライドづくり、やっと出来上がりました。国会やバッシングをする人達の動画満載、私がせっせと集めて来たのを一挙公開です。たくさんの方が来て下さるとうれししいです。


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伊方原発広島高裁抗告審仮処分決定

昨日は、伊方原発3号機運転差し止め新規仮処分広島高裁抗告審仮処分決定文交付が行われました。ちょうどお昼時間なので、自転車で裁判所に駆け付けました。私は、伊方原発運転差し止め広島裁判の原告団の一人でもあります。

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元裁判官、「原発を止めた裁判長」の樋口英明さんや原発訴訟弁護団の団長の河合浩之弁護士も来られました。たくさんの人々が、裁判所前に集まりました。報道も沢山。

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残念ながら敗訴。

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でも、あきらめない。まだまだ戦いは続きます。

裁判所前から場所を移して、弁護士会館で記者会見、報告会が開かれました。高裁の決定要旨、抗告人団声明、弁護団声明が出され、参加者に配布されました。

 私は、午後の診療があるので、弁護士会館には行かれませんでしたが、皆さんと怒りを共有しました。伊方原発から出される温水は、瀬戸内海の環境を破壊し、さらに事故が起これば内海は死の海となるでしょう。弁護団の声明を載せますね。

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あの、3.11の福島の原発事故の教訓が全く生かされない、司法にはやはり絶望的になります。・・が、弁護団声明の最後には、「今後も闘いを続けていく。」と、力強く結ばれています。そうですね。くじけないで。

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免許証ゴールド復活です。

今日(もう日が変わったので、昨日ですね)運転免許証の更新に行きました。もう高齢者講習を受けているので、研修はなしで、手続きと視力の検査と写真撮影で、あっという間に新しい免許証がもらえました。

 万歳、ゴールドが復活です。私、ゴールドの制度ができてから、ずっとずっとゴールドだったのに、前回、ブルーになってしまっていました。病気の若い人をその専門医の医院にお連れして、医院の前に車を停めて中に入って行って受付を済ませて外に出たら、もう駐車違反になってしまいました。そしたら、更新が5年でなく3年だし講習は長いし、がっかりしていたのです。

 で、今回復活でやれうれしいと思ったら、なんと、高齢者のゴールドは、更新が5年でなく3年なのだそうです。なんのこっちゃです。まあ、仕方ないですねえ。連日のように高齢者の事故が報道されていますもの。姉を見ていると、私だっていつ認知症にならないとも限りませんもの。それに、仕事と同じように、いつまで運転を続けるか、でもあります。私としてはまだ運転しないととても不自由なので、今のところ免許返上はしようとは思いませんが。

 今週の土曜日は京都でお話しをします。日曜日は広島で講演。そのスライドづくりが大変で。やっと土曜日のだけは出来上がりました。

 さて、明日は伊方原発の運転差し止め新規仮処分申し立ての高裁の決定が出ます。2017年地裁で申し立てが却下されたのが、2017年高裁で差し止め命令が下されました。四国電力の意義申し立てにより、2018年、高裁で、差し止め却下の決定が出されたのです。2020年、あらたな仮処分の申し立て、2021年11月地裁で申し立て却下。高裁に即時抗告を申し立て。その決定が出るということです。私も原告団の一人なので、お昼に裁判所に行こうと思っています。全国からたくさんの弁護士さんたちが集まられるようですし。夜は給料を作らないといけませんし、ゆーぽっぼの日だし。さてさて日曜の講演のスライド、どこかで頑張らないと。新幹線の中でかな?

日曜日の講演のご案内をしますね。この問題はまだ終わっていません・・。

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多くの方にお会いできればうれしいです。

 

 

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高校生が作った映画「無限の瞳」

 19日、こんな記事が中国新聞に載りました。多くの広島の方なら読まれたでしょうが。他の県の方々は御存じないと思いますので。丸投げのようですが。

成城高校の高校生が1955年に作った映画「無限の瞳」。私は知りませんでした。広島で被爆し、その被爆でお母さんと弟を亡くし、父親もと共に東京に転居した成城高校の三年生、千葉亮さんが、被爆から10年後に白血病で亡くなった、そのドキュメントです。

一面。

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三面

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高校生の作品としては、最古ではないでしょうか。ユーチューブで公開されているというので、観ました。

https://www.youtube.com/watch?v=IRKtyLPcs2w

 初めから涙ボロボロです。単に、彼の闘病だけでなく、校長先生から千葉君が「原子病」と言われる病で入院したということを聞いた成城高校の生徒たちが、自分たちでできることは何だろうかと、生徒会で話しあい、生徒総会を開き、そして全国の高校生を巻き込んで、運動が展開されました。その年、54年3月に第五福竜丸が死の灰を浴び、杉並の女性たちから、原水爆禁止の運動が広がっていました。放送部は、録音ルポルタージュを作り、それをもって、あちらこちらで聞いてもらい募金を呼びかけます。そして、映画を作ったらという勧めで、生徒会として映画づくりを始めます。

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11月には、「文化祭が見たい」と言い、その内「クリスマス迄には、元気になるよ」と言い「新学期には・・」「暖かくなったら、良くなるから。そしてこれまでの恩返しに一生懸命働くよ。」と言っていた彼。その頑張りとみんなの励ましの甲斐もなく、千葉君は亡くなってしまいました。54年秋に発病し、55年5月にその生涯を終えています。被爆から10年です。

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学校葬で生徒会長は、「君の死を無駄にはしない」と呼びかけます。「どんな必要があろうとも、第二第三の君を出すような原水爆使用や、人間が人間を平気で殺す戦争には断固として反対する。そしてあらゆる方法で全世界の人々と話しあい、手を取り合って永遠の平和という一つの目的に向かってみんなが足並みをそろえるその時が来るまで、僕たちは決して君の死を忘れない」と。

 中国新聞の記事によると、この映画は、1955年8月に広島で開かれた第一回原水爆禁止世界大会で上映されたとのことです。


 そして、私が何よりびっくりしたこと。このかれらの映画によって運動が広がり、55年8月6日の前に愛知淑徳高校の生徒たちが千羽鶴を折って広島赤十字病院に送ったと。当時、たくさんの白血病の患者さんが入院しており、その鶴を入院患者であった佐々木禎子さんも受け取って、彼女が折り鶴を折るきっかけになったといいます。「原爆の子の像のモデルの佐々木禎子さん」のそのきっかけに、千葉君の死と成城高校生たちの運動と、映画作成という伏線があった事は本当に知りませんでした。

 20分弱の作品です。ぜひ、ユーチューブ、ご覧下さいね。

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支援養成講座、手紙、映画。

昨日の休日は、ワンストップセンターの支援員養成講座でした。

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これまでの色々なテーマでの講座を受けて、今日の講座の後、ワークショップがあって、レポートを書いてと、支援員になるのもなかなかです。そういう私の講座も、理事長の北仲先生のチェックがありました。さすがの先生、鋭いご指摘がありました。これは、とてもありがたいことなのですね。一人よがりの講演ではいけません。

 その後は、一人の患者さんの生き死にに関わるお手紙を仕上げました。早く届けないといけません。速達で届けるのに、休日は、中央郵便局は午後6時まで。小雨の中自転車でそのギリギリに飛び込んで、無事受け付けてもらいました。やれよかった。で、今度は、また自転車で横川へシネマへ。6時半からのこの映画を観ました。

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愛媛や大阪や京都等様々な地域の選挙事務所に突撃取材をするという、なかなか笑える映画でしたが、まあ、それまでです。楽しく見れた、それ以上でも以下でもありませんでした。これまでの私のいろいろを思い出したりしましたが。

 こんどは25日土曜日の京都での「米澤鐵志さんをしのぶ会」でのお話しのスライドづくりです。これは、写真がメインです。なかなか貴重な写真を撮っていました。被爆電車、その電車の中で説明をされている米澤さんや、ええっというような素敵なゲストと一緒の写真等。それらの写真を提示しながら、米澤さんが広島の地でして下さった活動のお話しをするつもりです。

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クリニックのナースの送別会でした。

今日で、一番のベテランの看護師さんが退職するので、診療後送別会でした。

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 私のクリニックに勤め始めてからもう20年。彼女はいま55歳になりました。もう10年は働かなければならないと。でも、私がもう10年診療を続けるかと言われると、それは無理。だって、10年というと、私85歳だもの。とても無理な話。だとすると、私がクリニックを辞める時に、彼女が新しい職場を探すのは年齢的にむずかしい。だから、今の内に、新しいところに移りたいと。そして、いい所が見つかったので・・。ということです。大きな戦力低下ですが、止むをえません。残った人たちに頑張ってもらいましょう。

 退職金も精一杯出しましたし、私からのプレゼントは、吉田カバン、ポーターの緑系の大き目のバッグ。新しい職場への通勤用に。今日のお昼時間にロフトに買いに行きました。私のセンスで選んだのでちょっと心配だつたけど、気にいってもらえたみたいで、よかったです。

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食事会を終えて、私はまたクリニックへ。明日の講演のパワポを仕上げて、深夜に帰りました。準備万端、もう大丈夫。でも、福岡の兄の心配な報せが病院や義姉から来て‥。どんなにかしんどいことかと思うと、可愛そうで・・。かけつけたいけれど、なかなか時間が取れません。


 


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岡山での講演、ありがとうございました。

岡山での講演を終えました。リアルとZOOMのハイブリッドで。

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始まる前の会場です。

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日頃性教育に取り組んでいる方たち、産婦人科のドクターや助産師さん、うれしいことに高校生も来て下さいました。話し終えた後、スタッフの方たちと。高校生も写真、入りませんかと誘うと、来てくれました。

なんと、市場恵子さんも来てくださって、緊張しました。後ろの左。それから、先日のNHK広島での性教育の番組を作っていただいたディレクター、吉川さんのお母様も。びっくりしました。後ろの右端。前列には、その番組に岡山から参加された看護師の鳥飼さん。

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高校生たちは、さんかく岡山がしている「ユースクリニック」にも参加しているとのこと。いいですねえ。いろいろな方たちがともに「包括的性教育」を目指しているそうです。

皆様、ありがとうございました。

帰りの高速、岡山市内や広島市内の一般道とも、すごい車で渋滞。とても時間がかかりました。コロナからの解禁で、多くの人がお出かけなのでしょうか。それから、サミットのためと思います。空港までの高速道が、とてもきれいになっていました・・。

 次の講演は、21日火曜日、ワンストップセンターの支援員養成講座「性暴力被害者への医療的支援」です。まだ準備が出来上がっていません。今晩頑張らないと。

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「性問題行動の基本的理解」の講義を受けました。

岡山のホテルにいます。8時10分に広島を出発して、11時に到着しました。こんな時、以前だったら横に姉が乗ってくれていたのになあと、ふと寂しくなったりして。でも、テレサ・テンに合わせて一人大声で歌ったりしながら、ひたすら夜の高速を飛ばしてきました。

 明日はこれです。朝の講演なので、今日の内に来ておきました。

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今日は、診療を終えるや否や、向いの県民文化センターでの研修会に参加しました。

「性問題行動の基本的理解」。同志社大学の毛利真由美先生の講義です。私は遅刻で途中から。到着すると、ちょうど休憩時間でした。

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ワンストップセンターを委託されている「性暴力被害者サポート広島」の主催ですが、外部の方たちも含めて、沢山の参加でよかったです。お話し頂いたのは、一回目が

・非行・犯罪(行動)を扱うということ
・性問題行動の基礎知識
・加害者に対する治療教育
そして二回目の今日が
・こどもの性問題行動の理解
・親への対応
・きょうだい間性暴力への対応

私は途中からでしたが、それでも、とても良いお話しでした。

目標は、全員の未来の安心・安全

・加害者が自分の行動を変えられるように支援し、自分と他人の安心・安全を適切な形で守れるようにする。
・被害者が受けた傷をいやせるりように支援し、自分と他人の安心・安全を適切な形で守れるようにする。
・親が、自分の家族内で起きたことを理解してこれからできることを考えるよう支援し、自分と他人の安心・安全を適切な形で守れるようにする。
・施設の支援者が、自分の施設内で起きたことを理解してこれからできることを考え、自分と他人の安心・安全な形で守れるようにする。

そこに至るのに、例えば
・被害児に「許し」の期待や強要をしない。
→準備のない謝罪の場は、双方・家族にとって無益
→謝罪を聞きたいか、受け入れるかは被害児が決める
→親の「元通りに暮らしたい」という期待が圧力になる
→謝罪の機会を持つ迄の支援が不可欠

このようなアドバイスは、しばしば私のクリニックの場で起こっていることへの対応についてすっごく学びになりました。

この後、スタッフの方たちとの食事会。ここでも、活発に話が交わされました。全体の写真撮り忘れ。食事の写真だけですみません。

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私はこの後の運転があるので、アルコールはなし。煮魚がとっても美味でした。あ、小いわしの天ぷらも。

明日に備えて、そろそろ休みましょう。

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広島市の平和教育について⑨

 中沢みさよさんと電話でお話ししました。みさよさんは、埼玉と広島を行ったり来たりしながら生活していらっしゃいます。やはり、みさよさんは、今回広島の「へいわノート」からはだしのゲンが削除されたことを、広島市の教育委員会からは知らされておらず、RCCから電話があって、初めて知ったのだそうです。このシリーズ②の被団協からの申し入れにあるように、中沢さんは、はだしのゲンの原画をすべて広島市に寄贈されています。

「平和教育ノートに原画を使用するにあたって、広島市は遺族に了解を得たのでしょうが、使わなくなることについて報告したのでしょうか。
 削除を決めたのであれば遺族に経緯の説明と感謝の意を込めて連絡すべきだったのではないでしょうか。それが無償で掲載を承諾している遺族への礼儀だと思いますがいかがでしょうか。」

 やっぱり。中沢さんは、広島市から平和ノートにゲンを掲載するということを、とてもとても喜ばれたのだそうです。全国的に図書館から排除しようとする動きがある中での掲載です。「この10年は何だったのでしょう」とみさよさんはおっしゃいました。へいわノートに掲載されたのが2012年。中沢さんがなくなったのも2012年です。そして10年。広島市教育委員会は、よくわからない経緯のままに「はだしのゲン」の削除を決めました。

そして、今、「元教員や日本会議の会員たちでつくる市民団体「広島の原爆被害を考える会」は16日、漫画「はだしのゲン」を広島市立学校の平和教育の教材から削除する市教委の方針について、評価する文書を提出した」と中国新聞に掲載されました。やはりね。以前私も書いたように、図書館からはだしのゲンを排除する運動をしている日本会議や右派の人たちにとって、今回の市教委の決定は、拍手喝さいなのでしょう。

先述の被団協とは別に、日本被団協の事務局長が談話を教育委員会に送付されています。それをここに掲載させて頂いて、このシリーズも終えることにします。また、機会があれば、掲載いたしますね。つらつらと書いた私の文を読んで頂いてありがとうございました。

平和教育教材から『はだしのゲン』を削除した広島市教育委員会の決定について

日本原水爆被害者団体協議(日本被団協)

事務局長 木戸季市

 今回の広島市教委の決定を聞いて、驚き、あきれています。

 被爆者(5歳、長崎被爆)として、長く学校(小中高大院)で学び、ほぼ40年間教育の場(短大教員)で生きてきた者として、怒りを禁じ得ません。

 削除を決定した広島市教委、審議にあたった13人の識者、教育専門家に教育とは何かを根本から考える人はいなかったのでしょうか? 一人でも教育とは何かわかっている人がいたらこんな結論を下すことはなかったでしょう。

 今回の改訂にあたって「『漫画』の一部を取り上げるだけでは、被爆の実態に迫りにくい」として、「被爆者の体験談に差し替えることにした」と報道されています。悲しくなります。原爆が人間に何をもたらしたか全く分かっていないと感じるからです。

 被爆者の体験談は多くの場合、個人の体験です。『はだしのゲン』は多くの被爆者の体験を基に被爆者が苦しみ、生きてきた全体像を描いています。『はだしのゲン』を削除し「被爆の体験」に差し替えることは原爆被害の全体像を見せない結果をもたらしかねません。真逆の判断です。

 教育委員会のみなさんは日本被団協の『原爆被爆者の基本要求』の「原爆がもたらしたもの」をお読みになったでしょうか。被爆者が何を求めて生き、たたかってきたかを学び検討されたでしょうか。

 さらに看過できない根源的な問題があります。一つは教育行政の責務は教育条件の整備であり教育内容への介入はできないということです。もう一つは人類の歴史を知り学ぶとはどういうことかという問題です。「児童の生活実態に合わない」ことを理由に過去の出来事を学ばせないことは過去の事実を学ばせず人類の歴史を学ばない行為です。これほど人類史を冒涜する行為があるでしょうか。

 密室の会議で表現の自由を抹殺する行為は戦前の言論弾圧の歴史、菅内閣の学術会議会員の任命拒否を思い起こさせます。密室、理由なき結論の押し付けは戦争への道につながります。許せません。

 広島市教委は今回の措置を撤回し、広島市民、被爆者に広く開かれた公開の新しい会議を設け、改めて審議されるべきだと考えます。広島市教委の猛省を求め、談話とします。

以上です。それから、このシリーズの前に2月27日に、「はだしのゲン」・中沢啓治さんというタイトルでブログを書いています。それも、ぜひ読んで戴けると幸いです。

お正月過ぎに大分に帰って、義兄から晩白柚を頂きました。私の頭より大きいの。それをやっと食べました。美味でした。その皮の白いところを昨日から二日がかりでお菓子にしました。ちょっと苦みがあるけど、それがいい具合の風味になって、なかなかです。たくさんできたので、どうしましょう。

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広島市の平和教育について⑧

へいわノート、3年生の部分からはだしのゲンが消えましたが、昨年度までのへいわノートの1年生の部分にも、こんなページがあります。

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原爆の惨禍。1年生にもこうして示しています。3年生には「はだしのゲン」は、残酷すぎるのでは、と言う人もいますが。原爆の惨禍を伝えるのに、残酷過ぎるという言葉はありません。そもそも原爆そのものがこのような悲惨な核兵器なのですから。

 東京新聞の社説をウェブから転載させていただきます。東京新聞は、へいわノートについては、「はだしのゲン」と「第五福竜丸の記述も削除したということ」など、二度にわたって詳細に記事に書いて下さっていますし、社説にもこうして書いて下さっています。

<社説>はだしのゲン 今こそ読むべき作品だ

2023年2月24日 07時43分
 広島市教育委員会が平和教育の小学生向け教材から漫画「はだしのゲン」を削除する方針を決めた。原爆の実相を伝える作品として内外で評価が高く、ロシアが核兵器使用を示唆するなど、核を巡る状況が深刻さを増す今こそ、読み伝えるべきだ。再考を求めたい。
 市教委は平和教育のために開発した独自教材として、小学三年生用に「はだしのゲン」の一部場面を使用してきた。
 しかし、識者や学校長で組織する会議で内容を検証したところ、ゲンが浪曲のまねごとをして小銭を稼いだり、身重の母親に食べさせようと池のコイを盗むなどの場面に対して「児童の生活実態に合わない」「誤解を与える恐れがある」との意見が出たという。
 はだしのゲンを巡っては、松江市教委が二〇一二年、「一部の過激な描写が子供の発達上好ましくない」との判断から学校図書館での閲覧制限を決めたものの、後に撤回したことがある。
 その後も保守系の一部団体が、描写内容を問題視し、学校図書館からの撤去を求めていた。こうした運動が広島市教委の決定に影響した可能性はないのか、検証して丁寧に説明することが必要だ。
 六歳の時、広島で被爆した作者の中沢啓治さん(一二年死去)は当初、自ら目撃した悲惨な状況を思い出したくないと、自分の体験を隠していたという。
 ただ、戦争と原爆の問題が何も解決されていないと考え、被爆の後遺症に苦しんだ母親の死去を機に、二十七歳から原爆をテーマにした漫画の制作に着手した。 
 代表作であるはだしのゲンは単行本で六百万部を超える。世界十数カ国で翻訳され、原爆の被害を世界に伝えてきた。
 広島、長崎への原爆投下から今年で七十八年。ウクライナへの侵攻を続けるロシアが核兵器の使用を示唆するなど核戦争の危険性は増しており、はだしのゲンの作品価値はむしろ高まっている。
 原爆が投下された当時と現代では生活実態が異なり、理解しづらい描写があるのは当然だ。悲惨な場面が描かれ、子供には刺激が強いのも事実だが、それこそが原爆の非人道性を表すのではないか。
 広島の被爆者団体なども教材からの削除を撤回し、教育現場で取り扱うよう市教委に求めている。作品を排除するのではなく、生かす道こそ考えるべきである。

明日で、このシリーズを終えるつもりでいます。

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広島市の平和教育について⑦

改定される前の「へいわノート」が一体どういうものだったのか、「はだしのゲン」がどう扱われていたのか、多くの方がそれを知らないままに論議されていたのではないでしょうか。この度、改定前のノートをよく読んで見て、ほんとうに驚きました。これは、変えられなければならないものではない、すごい「へいわノート」ではないの、と。ゲンが浪曲をしてお金を稼ぐとか、こいを盗んだとか、それが、わかりにくいですって?それらについては、ちゃんと「平和ノート」の中で説明してあります。教師が説明しなくとも。この内容で「教えにくい」という教師がいたのなら、それは、まったく無能な教師に他なりません。

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この3年生の部分は、戦争があったころの広島となっています。その内容は、

 学習1、気づく 子どもたちのくらし~今と昔~・いまと昔の食べ物  学習2、考える 家族のきずな ・「はだしのゲン」からの手紙(1)  学習3、伝える  引きさかれる家族「はだしのゲン」からの手紙(2)

の構成で、(2)と(3)に「はだしのゲン」が使われています。

その6ページをそのまま載せますね。私がごちゃごちゃ解説するよりも、この方がうんとわかっていただけるし、有益だと思いますので。、

4_20230315145701 5_20230315145701 6_20230315145701 7_20230315145701 8_20230315145701 9_20230315145701

読みにくかったら、クリックしてもらったら、大きくなります。これと比べると、改訂版の貧しい事、この上ありません。

この内容の教育を全国の学校で実施していただいたら、世の中、ずいぶん変わるでしょうにと本気で思います。このシリーズ、今回で終わろうとしていたのですが、まだ言い足りません。もう少し、続けたいと思います。

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広島市の平和教育について⑥

「ひろしまへいわノート~いのち・しぜん・きずな~」に、ちづ子さんの被ばくの様子がほとんど書かれていないのに、最後の「さがしてみよう広島市にのこるひばく樹木」は、こんな風です。なんと!!

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なんと!!これだけのスペースを樹木でさくよりも、ちづ子さんの被爆をもっと語るべきではないのかと思います。原子爆弾が悲惨な大量殺人兵器であること、どんなことが起こったのかを具体的に知らせないこと、それこそがこのノートの改定の意図なのでしょうか。

 全国の図書館から「はだしのゲン」を取り除こうという運動は、2012年から2015年にかけて、日本会議を中心に行われました。広島でも、その陳情は出されました。そして実は、その後にも、陳情は出され続けています。

これは、2019年10月21日更新の広島市公式ホームページににおいて、「陳情第4号・すべての市内図書館より「はだしのゲン」を即時撤去することについて」という陳情が出されていると公開しています。

https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/gikai/11318.html

おそらく、このような運動をしている人たちにとって、今回の「へいわノート」からの「はだしのゲン」の削除は、拍手喝さいで喜んでいることでしょう。今回の、よくわからないところで決められたことの背景には、その人たちへの忖度はなかったのでしょうか。

 「はだしのゲン」のほんの一部だけでも載せてあれば、この漫画に興味をもった子どもたちが「はだしのゲン」を手に取ってくれるという、そんな機会がなくなってしまいました。情けない限りです。

もう一回、このシリーズを続けます。

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広島市の平和教育について⑤

改訂版の「平和ノート」、正しくは「ひろしまへいわノート~いのち・しぜん・きずな~」小学校1・2・3年の3年生の部分は「せんそうがあったころの広島」として学習1子どもたちのくらし、学習2引きさかれる家族~ちづこさんのお話~、学習3つたえたいこと~岩田美穂さんの取組~、そしてさがしてみよう広島市にのこるひばく樹木の構成となっています。

この中の2が「いわたくんちのおばあちゃん」の被ばく体験なのですね。

 絵本に書かれた、ちずこさんのあの悲惨としか言いようのない、胸がふさがれるようなあの体験が、では、「へいわノート」にはどのように書かれているのでしょうか。私が昨日のブログで絵本から抜粋したところと同じ部分です。

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一人ぼっちになったちづ子さん
 8月6日の朝、ちづ子さんは西観音町のかんづめ工場に向かいました。かんづめ工場に着いたちづ子さんが友だちと話していた、その時—ー。午前8時15分、世界で初めて、原子ばくだんが投下されました。大きな音とともに工場がくずれ落ち、ちづ子さんは、がれきの下じきになりました。なんとかがれきからぬけ出し、急いで帰ろうとしましたが、家の方を見てみると、目に入ってきたのは、まっ赤な火の海で、帰ることはできませんでした。

 ちづ子さんは、少しの間しんせきの家ですごし、火の手が落ち着いてから、家族をさがしに行きました。町は焼けて、すべてがなくなっていました。やっとのことで家にたどりついたちづ子さんが見たものは、亡くなった家族のすがたでした。

これだけです。この後は、「せんそうが終わり、ちつ子さんは、お茶屋さんを立て直し、新しい生活をスタートさせました。」と続くだけです。

 ちづ子さんの被爆体験は、こんなものではないはず。絵本に書かれていた、

工場で下敷きになったちづ子さんたちのさけび声も、真っ赤な火の手から振り返りながら逃げた姿も、全身やけどやガラスがささったりの大けがをした大勢の人たちの姿も、がれきと一緒に転がっている沢山の死体も、そして何より家族の死体を見つけた時のこと

「やがてあらわれたのは、こげた体が二体。
この大きいのは、お父さん?そばの小さいのは・・ひろちゃん?。焼けてしまった体。その大きさではんだんするしかありません。見覚えのあるタイルがわずかに焼け残っていました。

間違いない、ここはうちの台所。そこにうずくまるようにしてなくなっていたのはお母さんと末っ子のきみちゃんでした。あのしゅんかんお母さんはとっさに小さなわが子をそのむねにかばったのでしょう。強く強く抱きしめたのでしょう。
二人のむねが合わさったところだけ、ほんの少しだけ洋服のぬのが焼け残っていたのです。これはお母さんが着ていたブラウス、これはきみちゃんが着ていたワンピースの花もよう。

ちづこさんは泣きました。小さな二まいの布の切れはしをにぎりしめずっとずっと泣き続けました。」

これらは、何にも出て来ません。ただ、「ちづ子さんが見たものは、なくなった家族の姿でした。」だけですよ。それから、学徒動員で亡くなったもう一人の妹のことも。700人の女子生徒が亡くなったこともでてきません。

 「へいわノート」には、ただ、絵本のあらすじが書かれているだけです。これでも、「はだしのゲンの代わりに、感動的な被爆体験の絵本を採用した」と言えるのでしょうか。子どもたちには、できるだけ被爆の惨状は知らせない方がよいとされているのでしようか。
 まだ続きます。

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広島市の平和教育について④

「はだしのゲン」の代わりに平和ノートの収載されたのは、「いわたくんちのおばあちゃん」です。2006年に主婦の友社から出版されたものです。絵本では、小学4年生の岩田君のおばあちゃんの被爆体験が語られます。

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岩田君のお母さん、岩田美穂さんのお母さん、綿岡智津子さんは被爆当時16才の高校生でした。両親と三人の妹の6人暮らし。被爆前日の8月5日に家族みんなで写真を撮ります。でも、その写真に写っていた智津子さん以外の5人はみんな原爆で亡くなってしまいました。以来、智津子さんは家族のだれとも一緒に写真を撮らなくなりました。

缶詰工場に学徒動員で行っていた智津子さんの被ばくのところからの文です。漢字や文章は正確に転写していますが、行替えはしていません。


八月六日午前八時十五分、世界で初めて人の上に原子爆弾が投下されたのです。目がくらむような光。そのしゅんかん、大きな音とともに工場がくずれ落ちました。ちづこさんは、がれきの下じきになりました。何が起こったのかわかりませんでした。近くから遠くから
「だれかー」「助けてー」「先生ー」。泣き声、うめき声。たくさんの声が重なり合って聞こえてきます。「明るい方へ行け!」だれかがそうさけぶのを聞いてちづこさんは一心にはい出ました。たちこめる土けむりの中、動ける人はみんな思い思いの方向へバラバラとにげ出していきます。

 わたしもにげなくちゃ!ちづこさんは家に帰ろうとしました。しかし、原爆が落とされたのは、ちづこさんの家の近く。こちらに向かって沢山の人たちがにげてきます。だれなのかわからないくらいひどいやけどをした人。爆風でふき飛ばされたり、ガラスが全身につきささったりして大けがをした人。たいへんな姿のたくさんの人たち。家には帰れん。どこに逃げたらええん?やがてちづこさんは思い出しました。(略)山の方にある親せきの家。道という道も分からない中、ちづこさんは歩きました。ふり向くと、真っ赤にもえる町が迫ってくるようです。歩いて歩いて歩いて歩いて最後は倒れこむようにその家にたどり着きました。

(中略)
  次の日。ちづこさんは家族をさがしに広島の町にもどりました。町は無残にこわれはてたくさんの死体ががれきといっしょに転がっています。私の家はどこ?丸いドームの鉄わくを残し、くずれかけたコンクリーの建物。そんな建物の残がいと市内を流れる川を目印に家があった場所をさがします。ここらへんかもしれん。すべてが真っ黒で炭のようです。何か焼けずに残っているものはないかと手でそこらじゅうをほりました。やがてあらわれたのは、こげた体が二体。
この大きいのは、お父さん?そばの小さいのは・・ひろちゃん?。焼けてしまった体。その大きさではんだんするしかありません。見覚えのあるタイルがわずかに焼け残っていました。

間違いない、ここはうちの台所。そこにうずくまるようにしてなくなっていたのはお母さんと末っ子のきみちゃんでした。あのしゅんかんお母さんはとっさに小さなわが子をそのむねにかばったのでしょう。強く強く抱きしめたのでしょう。
二人のむねが合わさったところだけ、ほんの少しだけ洋服のぬのが焼け残っていたのです。これはお母さんが着ていたブラウス、これはきみちゃんが着ていたワンピースの花もよう。

ちづこさんは泣きました。小さな二まいの布の切れはしをにぎりしめずっとずっと泣き続けました。


 あの朝、ちづこさんと一緒に笑顔で家を出たかよちゃんは、それっきり見つかっていません。かよちゃんといっしょに作業をしていた女子中学生は七百人ほどいたといわれていますがだれひとりとして生き残ることができませんでした。

八月六日。ちづこさんはひとりぼっちになりました。」


この、悲惨な迫力のある文章。絵については、悲惨なところ、例えば被爆した人が逃げている所や、死体が転がっている所等は、ほとんど描かれていません。これを読む子どもたちへの配慮でしょうか。これについては、いろいろな論があるでしょう。原爆資料館から被爆した人形がすべて取り除かれた、それと通ずるものがあるのでしょうか。

 では、この読んでいて胸が詰まるようなこの文章が、平和ノートには、どのように書かれているのでしょうか。平和教育のの一つとして「被爆の実相を知る」とされていますが。
(まだ続きます)

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広島市の平和教育について③

はだしのゲンは、現在24か国語に帆編訳され、世界中に広まっています。

2009年には、英語の翻訳本全10巻が完成し、広島で完成記念の会

英語版全10巻出版記念会『世界へ飛びたて はだしのゲン』出版激励会が開かれました。私も、その会の呼びかけ人の一人として参加させていただきました。その会について、ゲンの翻訳、編集を務める「プロジェクト・ゲン」のブログをご紹介します

http://project-gen.seesaa.net/category/26551217-1.html

平成21年7月26日、プロジェクト・ゲンは広島市メルパルクにおいて『はだしのゲン』英語版全10巻の出版の記念会を行いました。また、現在、各言語で出版されている、もしくは目下翻訳中のゲンをも含めて激励しようとこの会を企画しました。
広島平和文化センターのスティブン・リーパー理事長様、中国放送顧問の佐々木典明様、河野クリニックの河野美代子様、広島映画センターの牛尾英隆様には呼びかけ人としてご尽力頂き、広島での会は一層有意義のものとなりました。
当日はこの時期、特にご多忙の秋葉広島市長様や中川宝塚市長様始め、英語、ロシア語をはじめ朝鮮語、ポーランド語、ウクライナ語、中国語、イタリア語の7言語の翻訳者、北海道や沖縄からの参加者は100名を超え、また新聞、テレビ、ラジオの取材陣も30名以上となり、急遽会場を拡張していただきました。

会場では英語版『はだしのゲン』を参加者の皆様にお買い上げ頂き、中沢啓治さんが中央に減の顔を描いた色紙に参加者は思いおもいのメッセージを書いて、オリヅルを添えてオバマ米大統領&ファミリーに届けることにしました。無事届いたかどうかに関しては今のところ定かではありませんが、確実に届く方法を採っていますので、いずれ判明しました時には皆様にご報告いたします。(風呂敷と和紙による包装の写真)①

プロジェクト・ゲンは海外ゲストとしてウクライナの ワシレンコ・ニーナミハイロブナさんとタイのチャットナコーン・オンカシングさんを招待しました。(以下略)

 2016年には、「はだしのゲン翻訳者の集い」も開かれました。

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翻訳をされているプロジェクト・ゲンと共に、これらの翻訳本を世界の人々に届ける活躍をしている「NPOはだしのゲンを広める会」の声明が出されました。こうして、広島市教育委員会が行ったことは、世界中に広げられています。

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2023年2月22日

広島市の学校教材に「はだしのゲン」継続採用を求める声明

                                             特定非営利活動法人

                                     はだしのゲンをひろめる会

                 理事長  白﨑 良明 

 広島市教育委員会が、平和教育プログラムの一環として2013年度から小学3年生の学校教材「ひろしま平和ノート」に採用してきた漫画『はだしのゲン』を2023年度から削除し、別の被爆者の体験に差し替えることが大きく報道されています。

 広島市教育委員会は、この度、平和教育プログラムを「実相の検証」「発信」「発達段階」「最新の情報」の4つの観点に沿って検証した結果、次の問題点を挙げています。①「実相の検証」漫画の一部を教材としているため、被爆の実相に迫りにくい。②「発達段階」浪曲の場面は、児童の実態に合わない。鯉を盗む描写は、誤解を与える恐れがあり、補足説明が必要となるため、教材として扱うことが難しい。③「発信」ゲンの気持ちを考えることに留まり、教材を通して、自分が平和について考えたことを伝える学習となっていない。

(2023年2月8日、広島市教育委員会学校教育部指導第一課・第二課)

被爆の実相をリアルに伝える作品

 『はだしのゲン』の学校教材からの削除には、「時代背景の説明に時間と手間をかけて伝えることが教育の本来の役割」「切り出した場面が分かりにくければ違う場面を使う方法もあったはず」「核戦争の恐れがある今こそ、ゲンの継続採用を求めたい」「広島市議会に市内図書館から『はだしのゲン』を撤去する陳情書が提出されていることが背景にあるのでは?」など様々な意見が本会に寄せられています。

 これまで被爆者の皆さんが国内外で被爆の実相を証言してきましたが、高齢化を迎える中で次世代への継承が急務となっています。その意味で核兵器の残酷さと平和の大切さを描いた『はだしのゲン』の果たす役割は大きいと言えます。『はだしのゲン』はこれまで世界で24か国語に翻訳・出版され、国内外にて多くの子どもたちや若者たちに読み継がれてきた実績があります。戦争を知らない世代に被爆の実相をリアルに伝える最適の作品です。

 私たちは広島市教育委員会が学校教材に『はだしのゲン』を継続採用することを求めます。

『はだしのゲン』連載開始50周年に寄せて

 はだしのゲンをひろめる会は、国内外に被爆の実相と核兵器の非人道性を伝え、核兵器廃絶と平和への思いを継承していくため『はだしのゲン』の普及・読書運動を進める事業を行い、「核兵器のない世界」をめざす運動を発展させることに寄与することを目的(定款第3条)にしている特定非営利活動法人です。2013年のNPO法人設立から10年間の寄贈実績は、プロジェクト・ゲンが翻訳した英語版、ロシア語版を中心に34か国319セットにのぼります。広島市内では国際協力機構(JICA)中国、のぼり平和資料室(広島市立幟町小学校内)、広島県立図書館等にも寄贈しています。

 『はだしのゲン』は、「週刊少年ジャンプ」に連載されて今年6月に50年を迎えます。広島が活動の拠点であるNPO法人ANT-Hiroshimaの呼びかけで昨年暮れに50周年記念事業実行委員会を結成し、今年6月3日~4日、広島市内で多彩なイベントを企画しています。また全国各地で記念事業が行われるよう情報発信していきます。

 本会では「ゲン50周年」記念として、学校図書館や公立図書館等への普及・寄贈活動に積極的に尽力していく所存です。
以上です。

 今や、この件は、広島だけの問題ではなくなってきています。
ここまで広がってきたのは、それは、「はだしのゲン」が、単なる被爆証言だけではなく、権力者によっていかに人々が戦争に巻き込まれて行ったか、ゲン=中沢さんのお父さんのようにそれに抵抗する人たちがどんな風に迫害されて行ったか、言論がつぶされていったか、日本に侵略をされた国の人達が、どう差別されてきたか、原爆がいかに非人間的、悲惨なものであるか、そして、それを三度繰り返さないためには私たちはどうすればいいのか、それらが余すことなく、描かれているからでもあります。原爆の被害にあって、それらを一番知らなければならない「広島」という土地で、子どもたちの教育の場で、「ゲンが外された」ということは、世界中に広められています。

 「はだしのゲン」の代わりに採用された「いわたくんのおばあちゃん」は、先日の中国新聞のように「素晴らしい本だと」言われていますが、「被爆証言」としてはそうでしょう。しかし、それだからと言って、決して「はだしのゲン」に代わるものではありません。

「いわたくんのおばあちゃん」について、その本について私が思うところと、肝心の「へいわノート」に、この絵本がどう扱われているのか、それを続けます。

 

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広島市の平和教育について②

「ひろしまへいわノート」から、はだしのゲンが削除さた事について、広島県原爆被害者団体協議会の理事長は、広島市教育長に対し、申し入れをしました。この申し入れ書には、大切な事が書かれていますので、それをここに再現しますね。これはすでに世に出ていますが、私のブログを読んでさる方の中には、まだ目にされていない方がおありと思いますので。

2023年222日 

広島市教育長

糸山 隆 様

           広島県原爆被害者団体協議会

                 理事長 箕牧智之

「ひろしま平和ノート」からの「はだしのゲン」削除について

かねてから、教育全般にわたり尽力されていること、そして、被爆地ヒロシマとしての平和教育に力を注いでおられることに敬意を表します。

さて、現在、大きく取り上げられている「はだしのゲン」を「平和教育ノート」から削除することについてですが、私たちは「はだしのゲン」は中沢啓治さんの実体験に基づいた反核・反戦の強い願いと、わかりやすく人々、特に子どもたちに伝えたいという思いにあふれたものであると認識しています。そして、「はだしのゲン」は佐々木禎子さんの折り鶴とともに、広島の惨禍とそれが繰り返されてはならないことを世界中に伝えており、ヒロシマの象徴ともなっています。

今回の「平和教育ノート」からの「はだしのゲン」削除について、多くの反応があったことはそれを如実に物語っているのではないでしょうか。

そこで、お尋ねとお願いとを申し上げます。

1 まずお伺いします。

  • 「はだしのゲン」を「平和教育ノート」から削除するに当たって、これほどの反応がある重いものであることを想定されなかったのでしょうか。

広島市は、中沢さんの作品・活動を評価して名誉市民とし、また、一連の中沢作品の原画の寄贈を受けて、貴重なものとして平和記念資料館で管理していると我々は認識しています。

その中沢さんの作品の扱いについてより慎重な判断があってしかるべきではなかったかと思いますがいかがでしょうか。

(2) 新聞報道によって経緯を見ると次のとおりです。

識者や学校長たち13人の会議でプログラム全体の内容を検証。うちゲンの場面(1)(2)について「児童の生活実態に合わない」「誤解を与える恐れがある」との意見が出た。作中の別場面を引用する案も出たが、「漫画の一部を取り上げるだけでは、被爆の実態に迫りにくい」として、場面(3)も載せず、(被爆者の体験談に)差し替えることにした。」217日中国新聞。( )部分と下線は被団協で挿入)

別場面の引用をせず差し替えることにしたとの結論に至る過程で、どれほどの検討がなされたのでしょう。会議録や決裁過程を示して議論の経緯と内容を教えてください。私たちは「はだしのゲン」には様々なエピソードがあり、切り口を変えることによって「はだしのゲン」を残す対応ができたのではないかと考えています。削除せず今回予定の体験記を加える方法もあったのではないかとも思います。どうでしょうか。

2 次に、外すことについての市側の対応についてです。

先にも触れたとおり広島市は中沢さんから作品原画の寄贈を受けて管理しており、広島市は事前に遺族の了解を得て原画を無償で利用できるようになっていると承知しています。

平和教育ノートに原画を使用するに当たって、広島市は遺族に了解を得たのでしょうが、使わなくなることについて報告したのでしょうか。

削除を決めたのであれば遺族に経緯の説明と感謝の意を込めて連絡するべきだったのではないでしょうか。それが無償で掲載を承諾している遺族への礼儀だと思いますがいかがでしょうか。

3 もうひとつ重要なことがあります。

ご承知のとおり原爆の使用がもたらす結果は酷いものです。多くの人が一時に死に、傷つき、後々まで苦しみます。そして、戦争も多くの酷い死をもたらします。

私たちはその酷さを子どもたちにしっかり認識して欲しいと思っています。そのことによって原爆・戦争はいけないとの考えを身につけることができると考えるからです

その点において私たちは「はだしのゲン」の果たしている役割を高く評価しています。

広島の子供たちには私たち原爆で被害を受けた者たちが肌身で感じた悲惨さ、酷さを知った上で「平和」を口にし、訴えて欲しいと思っています。

教育は本当に大切なものです。かつて我が国は、国民を、そして子どもたちを戦争に協力させ渦中に巻き込んでいきました。その反省から現在の憲法があり、それに基づいた教育があります。過ちを繰り返さないため、「平和」についての根本を子どもたちに理解させるよう力を尽くして頂きたい。それを心から願っています。

核、力による支配の脅威が大きくなっている今、広島の平和教育の重要性はますます高まっていると感じています。このことに心を致しながら教育を進められるよう強く念じ、申し入れます。

以上です。

クリニックのベランダ、冬をようやく生き抜いた花たちが元気に咲いています。一番手前はアジサイ。一作年の鉢ですが、昨年も無事生きて、つやつやのはを茂らせていたのに、まったく花が咲きませんでした。今年も温室に入れて、先日、外に出しました。元気に葉をつけていますが、果たして今年は咲いてくれるのでしょうか。チューリップもすくすく葉を伸ばしていますが、まで茎が出てきません。花が咲くのか、ドキドキです。お水と肥料はちゃんと上げています。

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広島市の平和教育について①

広島市の平和教育用の平和ノートから「はだしのゲン」が削除されたことについて、中国新聞に三人の方の意見が出ています。にたような三人の意見。紙上討論なのなら、ゲンを削除すべきでないと、これまでゲンを使って授業をしてきた先生たちの意見を聞くべきでしょう。現役の先生が無理なのなら、O.B.でもいいでしょうに。

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この意見は、ウェブ版でも読めます。

https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=129222&fbclid=IwAR1gHF8ZOxZhhTTfTniIFsgq7USVrIrPQD1UZn3t408G442JjF4iy15ZNeA

ウェブ署名が始まっています。すでに3万を超えています。

https://www.change.org/p/%E3%81%AF%E3%81%A0%E3%81%97%E3%81%AE%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%82%92%E5%B9%B3%E5%92%8C%E6%95%99%E6%9D%90%E3%81%8B%E3%82%89%E5%89%8A%E9%99%A4%E3%81%97%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A7?recruiter=52711965&utm_source=share_petition&utm_medium=facebook&utm_campaign=psf_combo_share_initial&recruited_by_id=096d0160-9cd7-0130-ef3e-3c764e049c64&utm_content=fht-35555492-ja-jp%3A2

ここに書かれている、「教科書ネット」の岸さんの文章をここに載せますね。


私たちは、広島県の元教員、保護者、様々な市民からなる市民団体「教科書問題を考える市民ネットワーク・ひろしま」です。


2月16日の中国新聞で「『はだしのゲン』の平和教材から削除『被爆の実相に迫りにくい』広島市教委」という記事を見て驚きました。


平和教材からの削除を決めた広島市教育委員会は、自らが作成した「ひろしま平和ノート高校生版」で次のように『はだしのゲン』の重要さを紹介しています。


『はだしのゲン』は中沢啓治さん自身の被爆体験をもとにした漫画で、作者の分身であるゲンが、原爆で家族を失いながら戦後をたくましく生き抜いていく姿が描かれています。「週刊少年ジャンプ」に連載された作品は子どもたちの支持を得て、原爆の実態を広く世の中に知らしめました。現在24言語に翻訳され世界の子どもたちに平和を訴えています。また、日本や世界の数多くの賞を得て、すべての原画が広島平和記念資料館に寄贈されています。被爆者である中沢啓治さんは「僕の次の世代が、平和がどんなに大切かということを本当にわかってくれたら、僕の役目は終わるんですよ。・・・戦争は絶対にしちゃいかん、核兵器を絶対になくしていかなくちゃいけない、そういう世代を育てなくちゃいけない。・・・」と。


このように、はだしのゲンの果たしてきた役割を十分に理解していたはずの広島市教育委員会が、なぜ平和教材からの削除を決めたのか、私たちは理解に苦しんでいます。


また、2月22日の中国新聞記事では、はだしのゲンの作者中沢啓治さんの妻の中沢ミサヨさんは「夫は原爆の恐ろしさを自分の体験を通じ、子どもたちにわかるように描いてきた。今の時代に合わないなら仕方がないが、作品を読むきっかけが失われるのが残念。ゲンはコイを盗みたくて盗むのではない。母親を助けたいという思いが強い。それが分かりにくいなら他の場面を使えばいい。何がいけないか、市教委から詳しく理由を聞きたい。」と述べておられます。


このように、日本だけでなく世界中の多くの人々に支持され、原爆の恐ろしさを子どもたちに伝えるために欠かせない教材として長く使われてきた『はだしのゲン』を広島市教育委員会が「ひろしま平和ノート」から削除したことに市民からとまどいの声が沸き起こっています。


私たちは、広島市教育委員会に対し、ヒロシマの心『はだしのゲン』を「ひろしま平和ノート」から削除しないことを求めます。


この署名に賛同してくださる皆さんの声を広島市教育委員会に届けます。どうぞたくさんの声をお寄せください。

これを読んでもわかるように、広島の教師は、これまで平和ノートの「はだしのゲン」で、授業をしてきており、そこに「これではやりにくい」という声をありません。子どもたちにとって、「はだしのゲン」は、大好きなまんがなのです。そして、この漫画から、子どもたちは多くの事を学びます。

 先生方が、この教材は難しいと言ったという声は、市教委の「平和教育プログラム検証会議」の議事録にも見られません。それどころか、現場の先生である委員は、「3年生では、はだしのゲンというものが、児童にとってとても身近な教材なので、その思いを表現することはしやすい。難しい浪曲というものについては、教員が補足的に紹介できる。中身については、家族について考えるとか、戦争が全部奪ってしまうことについて考えることはできるのではないか。」と語っていらっしゃいます。また、ある校長先生は、「3年生では、学習1の戦争中の厳しい食生活の状況は戦争の実態にあたる。学習3のところに戦争や原子爆弾が尊い命や家族のきずなを一瞬で奪う非人道的なものであるというところも実態にあたる。」と言われています。

 そのような議論から、どうして「はだしのゲン」が削除されることになったのか、そのつながりが分かりません。

この項、続きます。



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マイナンバーカードと保険証の一体化で。

共同通信の記事です。

政府の医療DX(デジタルトランスフォーメーション)推進本部が、医療分野でのデジタル技術活用に向け策定する工程表の骨子案が7日、判明した。全国の病院や薬局で電子カルテの内容の一部を共有し閲覧するため創設するシステムの対象情報を、順次拡大していくなどの内容。マイナンバーカードと健康保険証の一体化を加速することも盛り込んだ。

 政府は、推進本部幹事会での議論などを踏まえ、今春に正式決定する方針。

 骨子案は、医療DXを「保健・医療・介護に関する情報やデータを活用し、国民自身の予防を促進し、より良質な医療やケアを受けられるよう社会や生活の形を変えていくこと」と定義。関連施策を進めることで、健康増進や医療機関の業務効率化、保健医療データを利用した医薬産業の振興を実現すると強調した。

 病院と薬局間のほか、自治体や介護事業者とも必要な医療情報を共有する仕組みを構築し、行政手続きの負担軽減などを目指す。救急患者の治療時にアレルギーの有無や服用できない薬といった必要な情報が速やかに調べられる仕組みを早急に整備するとした。


これこそが、私がもっとも恐れていたことです。マイナンバーカードと健康保険証が一体化されるという、その陰にあるものを怖いと思ってきました。患者さんのプライバシーが丸裸にされると。私は産婦人科医ですので、他の人には知られたくないだろうというのをいっぱい見ています。例えば、人工中絶等の妊娠歴、性感染症歴等。それを他の科の人たちや自治体の人が見ようと思えば見られるようにする、こんなこわいことが予想できたので、私はマイナンバーカードをどんどん人が作っているのを「いいんだろうか」と思って見てきました。

もっとも、そう簡単にできることではないと思っています。でも、2万円あげるという(それも税金ですが)ことでまさかと思うスピードで、マイナンバーが広がっているのを見ると、なんか、なりふり構わずやってしまいそうです。電子カルテにしそびれて、いまだに紙のカルテで診療をしている私には、もう、およびのない事なのでしょうが。

今、広島市の平和ノート、「はだしのゲン」についてシリーズを書こうと準備しています。しっかりと固めてからにしなければならないのでもう少し時間がかかると思います。

クリニックの青野さんのお花です。今回は、ほっこりした大らかなお花です。

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夾竹桃の歌

今日は、午後、今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のスタッフ会議でした。いろいろな地域から、ズームで行いました。また、夏に向けて、始動します。ないようにのついては、おいおいお話ししますね。

 それとは、まったく別なのですが。私が、先日ブログに書いた、広島の平和公園の向い側の川沿いに植えられた夾竹桃が、切り取られていたというお話し。G7の警備のためということでしたが。どうしても、これに合点が行かなくって。広島市の平和学習のための平和ノートから「はだしのゲン」が削除されたという話と重なって、ゆううつなのが続いています。

ふと、「夾竹桃の花」の歌が口をついて出ました。それは昔若いころに歌っていた歌なのですが。うろぼえだったで、改めてその歌詞を見てみてました。広島にとって、夾竹桃がどんな意味があるのか、おそらく県外の方、いえ、市外の方たちはよく知られないのではないかと思います。

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https://bunbun.boo.jp/okera/kako/kyouchikutou.htm

歌声サークル「」おけら」さんから、歌詞をいただきますね。

作詞
作曲
藤本 洋
大西 進
 


夏に咲く花 夾竹桃 戦争終えた その日から
母と子供の おもいをこめて
広島の 野にもえている
  ■空に太陽が 輝くかぎり
  ■告げよう世界に 原爆反対を

夏に咲く花 夾竹桃 武器をすてた あの日から
若者たちの 願いにみちて
長崎の丘に もえている
  ■空に太陽が 輝くかぎり
  ■告げよう世界に 原爆反対を

夏に咲く花 夾竹桃 祖国の胸に 沖縄を
日本の夜明け 告げる日を
むかえるために もえている
  ■空に太陽が 輝くかぎり
  ■告げよう平和と 独立を

別詞 夏に咲く花 夾竹桃 非核を誓う 町々が
くまなく地上 うずめつくして
明日あしたを歌えと 燃えている
  ■空に太陽が輝くかぎり
  ■告げよう世界に 原爆反対を


さらに、そこに書いてあるこの歌の解説です。

■1969年「原爆を許すまじ」に続く、反核・平和の歌を運動が巻き起こっていた頃の作品。同年の第15回原水爆禁止世界大会で発表された。

■夏の陽ざしの下で、濃いピンクと自い花をつけた來竹桃が咲き誇る。強い生命カを持つこの花は、1945年8月6日の原爆投下で、焦土と化した広島の希望の象徴ともなった。

 被爆直後、「70年間は草木も生えない」と言われていた広島でいち早く咲いたのが夾竹桃だった。この花が市民に復興と希望の光を与えた。1973年11月3日、広島市は來竹桃を「広島市の花」とした。

 この歌は、1969年、「原爆を許すまじ」に続く反核・平和の歌を毎年創っていこうという運動の中で生まれ、同年の第15回原水爆禁止世界大会で発表。以後、8月の広島・長崎に向けて歩く平和行進の中でもよく歌われている。

 8月6日、原爆犠牲者追悼式典に向う平和大通りの両脇にも、一斉に花をつけた爽竹桃が見られる。


1番が広島、2番が長崎、そして3番が沖縄なのですね。まさか、こんな歌に込められた「原爆反対」の意味がG7にふさわしくなくって、夾竹桃が狙い撃ちされたというわけではないでしょうが。でも、あの無残に切り取られたその姿が、胸に重くのしかかっていて、どうしようもないのです。

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強い花だから、また伸びてきて咲くようになるよという人がいますが、それは秋の内に切った場合、でも、あくまでも剪定であって、こんなに丸刈りではないのですが。今回は12月という真冬に、それもG7の予算の関係で、これからまた伸びてくれるのかわからないと大学の先生がおっしゃってました。

 

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観音高校演劇部OB会でした。

3月2日木曜日の夕方から、観音高校演劇部OB会でした。カラオケルームを借り切っての会でした。OBの伊藤勝昭さんが、東京で「少年口伝隊」の演劇を演出、上演した、そのDVDをみんなで観ようというのも目的の一つでした。カラオケルームのテレビ画面を使って観ましょうと。「少年口伝隊」は、原爆直後、中国新聞社が、壊滅状態で新聞を発行できないけれど、起こっていることをみんなに知らせるために、少年たちに原稿を覚えさせて、あちらこちらで、口頭で伝えたという事が、あまり知られていないけれど、そんな事があったのですね。その事を井上ひさしさんが朗読劇にした、それを伊藤さんがちゃんとした演劇にして、上演したのだそうです。本物は観られないけれど、DVDでぜひ見たいと思っていました。

 OB会は、4年ぶりです。コロナの間はできなかったのです。しかし、この4年は大きかったですね。みんな年を取りました。その年のせいで、いろいろとずっこけがあって、まあ、近来にない大笑いをしました。私、お腹が痛くなるほど笑ったのは、本当に何年ぶりでしょう。

 先ず、日にちを間違えた人がいました。その人に連絡を取ることから始まって、まあ、次々と・・。でも、仲の良い仲間ですので、いろいろと起こることに怒る人もいなくて、ただただ笑って過ごすことができました。みんなが言う事。年をとって、ぼけてきたのが自分だけでないことが分かって、安心したと。結局、そのDVDは観られなかったのです。

 でも、若いころの事がいっぱい出てきて、楽しかったです。市の大会で優勝して、県大会に福山に行った時に衣装をごっそり忘れて行ってしまったこととか。中国大会で岡山に行った時に、旅館のお風呂に私たちが入っている時に男性が入って来て大泣きしたこととか。(誰かが女子風呂と男子風呂の看板を入れ替えたようです。その犯人はいまだに不明です)



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いつか、またDVDを観る会をやりましょうということになりましたが、さて、無事にできますでしょうか。

それから、いつか早いうちに、OB会で演劇をやりましょうよ、という話も。今も現役で演劇をしている人もいて、私もうずうずしています。やりたいですよ~。脇田さんが生きていてくださってたら、きっと、率先して乗って下さったでしょうに。

 若いころを共に過ごした仲間というのは、本当にいいなあとしみじみ思います。難しい人たちと会うのは、もういいかな?


 

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尾道で。

昨夜から今日のお昼まで、尾道で過ごしました。昨夜の尾道での、浜中和子先生との素敵な食事については、浜中先生のフェイスブックで報告頂いていますが、私のブログの読者の方には、フェイスブックをされない方もおありですので。少しご報告を。浜中先生は、大学の後輩ですが、がん患者大集合やリレーフォーライフなど、献身的に主催されりていて、尊敬する先生です。レストランは、尾道港に面した「こめどこ食堂」。新鮮な自然の食材で、思いっきりおいしいごちそうでした。浜中先生との久しぶりのお話しも楽しくて。先生の開業前後のご苦労話も、いろいろとお伺いして。私だけでなく、みんな頑張っていて・・。私もいつまでも落ち込んではいられないなあと思いましたよ。

写真に写っているのは、太刀魚やひらめやイカのカルパッチョとタラの芽、菜の花等の天ぷらです。春の味!!

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これは、自家製のローストビーフ、ソースが半分はバルサミコの甘いので、半分は、こうしてチョコレートの塊をすりおろしてかけて下さいました。食べ比べて見てと。うーん、どっちも美味。

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 浜中先生からは、特に、これからは「会いたい人に会う」「行きたいところに行く」「うれしいことをする」「笑顔になる。辛いときこそ笑顔に」「おいしいものをたべる」このアイウエオを教えてもらいました。それに、私はもうこの年なので、誰にも遠慮しないで「言いたいことを言う」を付け加えたいと思います。

ホテルは海沿い。朝です。目の下が、船の停車場。

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ホテルのフロントには、素敵なお花が。

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今日、私が尾道に行ったのは。野暮用なのですが、これです。

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映画を観に来ました。広島で見逃して、探していたのです。東京で上映されるのを知って、東京まで行こうかと思っていたのですが、ここでするのを知って、うれしかったですね。どうしても見たかったので。シネマ尾道は三回目です。一回目は「かれらが本気で編むときは」トランスジェンダーのガップルの話。悲しかったです。二回目は、養子縁組希望の方の家庭訪問と研修をしに来て、その後、ここで小津安二郎監督の「東京ものがたり」を。そして、今回は、これです。

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新幹線に乗って、ホテルに泊まって、映画を観るのかとも思ったのですが、行かないといつまでも後悔すると思ったので。行ってよかったです。日本の食、農家の人々が、ものすごく苦労して、工夫して、かつ生き生きと生きている姿を観させていただきました。それに比べて、政治は、減反だの、種苗法改定で農家の自家採種・自家増殖を禁じる等と、食料自給率38%なのに、次々と農家の締め付けを行っています。そんな中でも農家同士の繋がりで、自らの工夫を他の方たちにもひろげながら、日本の食料を担っています。うーん、どんな分野でも、懸命に生きている人達のルポは、いつも素晴らしいと思ってしまいます。

 せっかくの尾道ですが、観光もしないで、すぐに帰りました。午後から、テレビ局の方と打ち合わせです。今度、特別番組でしゃべります。また、お知らせしますね。

 そして、今日は午後5時から、お楽しみ、観音高校演劇部のOB会です。三年ぶり、楽しみです。いまから出発します。

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この頃のお昼ご飯

頑張ってダイエット成功と思っていたら、あっという間に元に戻ってしまいました。原因は、お昼ご飯。寒いので、お弁当に暖かいスープやお味噌汁等を一緒に食べていたら、たちまちでした。で、汁物はよほどお昼が貧しい時だけにしたら、ちょっとずつまた下がってきています。やれやれ。

で、最近の私のお昼ご飯です。海苔は韓国のりです。

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クリニックの傍のサンモールの地下の天津飯、小のネギかけをテイクアウトで持って帰ります。絶品。でも、半分だけ食べて、後は夜に食べます。

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お弁当をもって来ない時は、以前は姉と外食をしていましたが。今はこんなもので。
どん兵衛には、小さい小さい明太子が入っていました。

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「ちから」の中華そばのカップ麺は、11月のローソンでの限定販売だったと。今売っているのは残りで、もう新たには出ないそうです。確かにちからの味です。。

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この具沢山の味噌汁が曲者で、おいしいものだから、あれこれ買い込んで食べてたら・・。です。

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からし明太は、バターで焼きます。と、アジのフライ。

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これは、映画館で。てまり寿司二個とゆずスカッシュ。

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そごうの「グルメフェスタ」で、熊本の黒ラーメン。多いので、残しています。はじめは美味だけど、だんだんニンニクの味が強くなって・・。

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同じくグルメフェスタで買った、木村屋のパン二切れ。バターを挟んできました。と、前夜の残りの牡蠣のシチュー。

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やはりグルメフェスタでサバのフライを買ったらおいしくなかったので、さとうと醤油で煮たら、まずまず食べれるようになりました。汁物は夜のもつ鍋の残りを少し。

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お休みの日にメルパルクのギュウスジのカレー。以前はカツカレーだったけれど。替わっていました。すっごく美味。でも、食べきれません。

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あなご弁当の残り物。いろいろと残したので、お弁当が豪華です。

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いつも、晩御飯の残りが出た時のみのお弁当です。子どものお弁当を作っていた時と違って、自分だけのだと手抜きもいいところ。でも、楽しみではあるのです。

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こんなもので。お粗末でした。

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