劇団民芸「泰山木の木の下で」に怒っています。②
私は今、三次にいます。診療を済ませて、午後7時からリモートで今度の日曜日の沖縄CAPの講演の打ち合わせ、というか、リモートがうまくいくかどうかの予行演習でした。特に、動画がちゃんと動いて、発信できるか。これが一番の心配なことだったのですが。すべてO.K.で安心でした。もう350人も参加の申し込みがあるそうです。頑張らなければ。それが済んでいったん家に帰って、それから車で三次にきました。
明日の朝早くから、三次の中学生に話をします。それについて、今朝、教育委員会の担当の方から電話がありました。「先生、雪です。」と。「大丈夫。私は今晩三次に行って泊まるから、もし朝行けなかったりしたら大変だから、前夜から行くことにしているから」と言って安心していただきました。
ところが、うちを出る時は全然その気配もなかったのに、西風新都に入ると、雪が舞いはじめました。そして、ずっとずっと雪。その中を突っ切るようにして走りました。高速でも、雪のために50キロ制限だと。(誰も守りませんが)それに、ラッキーなことに、中国道の途中から山口方面に行くのは、チェーンがないとダメ、千代田から浜田方面への浜田道もすぐからチェーンが必要、三次を過ぎてすぐ、庄原からもチェーンが必要と。私が行く三次インターまでは、スビート制限のみでよかったです。朝だと、きっと凍結で来るのが難しかったでしょう。
今、ホテルの部屋ですが、暖房が入っているのに、窓から冷気が直撃します。ダウンのチョッキを着ていても、寒さで鼻水が出てきます。外は、雪が止まることなく舞っています。明日の講演は体育館だそうで、寒いかも。
ということで、さて。昨日の続きです。多くの皆さんが一緒に怒ってくださって、少しほっとしました。
「被爆者から奇形児が生まれる」という偏見について。特に、劇にあるような「無能児」について。これは、母親の胎内で、期間形成期、それも大脳が作られる16週までに強い放射線を浴びた場合に起こる可能性があります。しかし、木下刑事のように被爆者が後に妊娠した場合は、胎児が被爆したわけではないので、その頻度が上がることはないのです。胎内被爆児の中には、頭が小さくて知的障害のあるいわゆる「原爆小頭症」の子たちが生まれたことは知られています。しかし、それも、母親が妊娠中に原爆による被爆をした場合であって、被爆者がのちに妊娠して同じような障害のある子が生まれる頻度が上がるという証明はありません。それを混同して、まさに小山氏が書いたようなことをするから、それが被爆者差別につながっているのではないでしょうか。ちなみに、無能児は、被爆のためだけに起こる障害ではありません。その頻度は、日本では1500の妊娠に一人の割合で起こるとされています。
劇中の歌は、これです。「泰山木の木の下で・主題歌 わたしたちの明日は」と書かれいます。
明日には何があるのでしょう。これだと、何もない。絶望しかないということでしょうか。
宇野重吉さんが書かれたものを読むと、この歌は、宇野重吉さんがまず忘年会で歌うと。そして、小山祐士さんも加わって二人で歌うと。転写します。
『「小さな汽船のなかで—」という劇中の歌は斎藤一郎さんの作曲だが、この曲も小山さんの気に入ったらしい。毎年忘年会のたびに私たちはこの歌を歌う。先ず私がおだてられて真ん中へ出て歌い出す。みんなが唱和する。その中に小山さんの白髪が見える。私は寄って行って小山さんを引っぱり出す。「小さな町でも、大きな町でもー」のあたりからは、したがって私と小山さんとのデュエットになる。これを歌わないと忘年会の感じにならないのである。』
その昔、私が大学生の時。被爆者や被爆二世の会の一員で、みんなといろいろと考えたり、議論しました。まだまだ結婚や出産に社会の差別も厳しかった頃。その中で、「私たちは産もう」という結論を出して、すっきりしたことがあります。
それについては、ここに書いています。福島の若い女性たちが、かつての私たちと同じような悩みで苦しんでいることを聞いて、ああ、広島と同じような差別が繰り返されていると、胸が痛みました。そして、私たちのかつてのことをお話ししたのです。
http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-01e8.html
そして、その後もっとたくさんの若い人が福島から来て、8月6日を中心に広島で過ごしました。その中で、みんなに向けて私が話をしました。そして、そのことを密着取材したNHKの番組になりました。
http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-99aa.html
私は福島で起こったことは、隠すのではなく、きちんと情報を開示して、何より当事者が自分のことを自分で決めていけるようにすべきと思っています。差別があるなら、それこそ冷静にその差別に向かっていかなければ、と。
作者の小山氏は泣き虫で、これも宇野さんも演劇評論家の尾崎宏次さんも書かれていますが、芝居の練習の時も、演劇が上演される時も、ずっと泣いていたと。誰のための涙か知らないけれど。自分がかってに作り出した「売春をして生きるしかなかった顔にケロイドのある女性」が可哀そうだったから?「奇形児」が生まれた警察官が気の毒だったから?被爆者を憐れんでいるのですか?
それにしても、その女性から「奥さんのところに帰るように」説得されて、彼はその気になるのですが、それでもその説得の後、わざわざ敷いてある布団に抱き合って倒れこんでという場面、売春婦と悩める男のそのような恋愛や情事があってはいけないとは言わないけれど、それを広島の地でする?観客の中には被爆者も、なかでも、人知れず背中のケロイドを隠して生きている人もいたかもしれません。
この演劇が作られた当時はまだ分からなかったから、そんな劇を作ったのかもしれない、でも、今はもういろいろと分かっているし、まだ差別がなくなっていない今、それを強調して、差別されている人たちの傷口をひろげるようなことは、もうしないでほしいと思うのですよ。すなわち、この演劇はもう封印してほしい、そう強く願います。
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コメント
まったくそのとおりだと思いながら昨日に続いて拝見しました。
多くの人が同じように怒ったのですね。良かったです。
投稿: 前田耕一郎 | 2022年12月15日 (木) 12時49分