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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のご案内①

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のチラシの完成版、すでにこれまでご参加下さったかたにはお手元に届いていることと思います。

今年も、とてもいいプログラムが出来たと胸を張って、お知らせできます。
この会は、これまでもずっとヒロシマと沖縄と福島をつなぐことをモットーに続けてまいりました。

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 今年のヒロシマの被爆証言は、小倉桂子さんにお願いします。

私は、小倉さんとは、40年以上前からお付き合いをさせて頂いています。58歳と若くして亡くなった桂子さんの夫、馨さんは、広島平和祈念資料館の館長を務めながら、平和のために奔走されていました。無理がたたったのか、クモ膜下出血で急死なさった後、桂子さんは猛勉強して、1984年、平和のための広島通訳者グループHIPを立ち上げました。今、HIPのメンバーは、広島に来る外国人を通訳をしながら、平和公園の案内をしています。又、桂子さんは、外国人のために自らの被爆体験を英語で語り、ひっきりなしに要請があります。


 小倉さんに平和の夕べで語って頂きたいとずっと願っていたのですが、8月6日は桂子さんにとって、一年でもっともお忙しい日です。なかなか願いがかなわなかったのですが、今年、やっと被爆証言の間に、私達の会の会場にも駆けつけて、語って頂けることになりました。私達の願いが叶いました。自らの被爆証言だけでなく、小倉さんがこれまで接してきた多くの外国人たちとの交流について、又、核兵器禁止条約についてもお話し頂けることと思います。

 沖縄からは、弁護士の三宅俊司さんをお招きしました。

三宅さんは、広島出身の被爆二世。私は、広島大学の学生時代、彼が高校生の時を知っています。弁護士となった三宅さんは、原爆をライフワークとして考え、そのためには沖縄を知らなければと、沖縄へ。一時の滞在のつもりで訪れたのが、そのまま今までずっと沖縄で活躍することになったと言われます。辺野古、高江の反対運動など、沖縄の様々な住民運動を支える弁護士として、活躍されています。それら闘う住民の方々と共に生きてきて、私達の知らない沖縄を、さらに核兵器廃絶についてもその視点で語って下さるのではないかと、期待しています。

福島からは、福島敦子さんに語って戴きます。南相馬市の住民であった敦子さんは、原発事故の翌日、娘さん二人とご両親とともに川俣町、福島市などに避難。しかし、国は「みなし仮設住宅の補助」を打ち切りました。(みなし仮設住宅とは。災害などにより、居住できる住み家を失い、自らの資金では住宅を新たに得ることのできない被災者に対し、地方公共団体が民間賃貸住宅を借り上げて被災者に供与し、仮設住宅に準ずるものとみなす制度)福島さん一家は、その後京都府に居を移しました。そして今、「被爆から逃げる権利」を語り継いでいます。伊方原発広島裁判原告、大飯原発差止京都訴訟の世話人、原発賠償京都訴訟原告団・共同代表など、一貫して反原発の闘いを務めています。

 このほかに、若い方の活動の報告も予定しています。

コロナがなかなか収束しませんが、私たちは、昨年に続き、しっかりと感染予防の対策を行って、リアルとオンライン併用してのハイブリット方式で行います。皆さんのご参加をお待ちします。

明日に続きますね。

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