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昨日のカープ。

ブログではありませんが、昨日のフェイスブックで、カープの観戦について書きました。それも偉そうに、「ヤクルトに対してあまりにふがいないのでカツを入れようと」なんて粋がって書いたのですが。まあ、お恥ずかしい。クリニックからユニフォームを着て自転車で行ったのですが、帰りはもう恥ずかしくてユニフォームを脱いで、こそこそと帰りましたよ。申し訳ございませんでした。私の責任です・・という気になって。

しかし、どうにもいけません。情けない試合でした。勝とうという意欲が感じられません。どうにも・・。監督の選手起用が分からない。投手の起用もどうして?と思うような。選手がいないというよりも、違うのでは?夫は、若手を一生懸命育ててるんよ。来年に備えて、とからかうのですが。まさか。この一戦をものにするのだという采配をしてくれません。

 前の監督の時にもそうだった、同じようなことが見られたのですが、選手の心理を読まないと。昨日あれだけ失敗したのに、一晩経ったら、立ち直れていると思うのかしら。失敗を重ねてますます自信をなくすだけではないですか。もう少し時間を置いて起用してあげるべきだと思うのですよ。

 それにしても疲れました。自転車での往復も。とても暑くて、帰りは特別に距離も遠いように思えて。足が重い、お尻が痛い。帰ると、ぐったりです。夫がかき氷に砂糖を混ぜて持ってきてくれました。ありがとうとひたすら食べたら、やっと体の中も冷やされて落ち着いたようで。ありがとう、おやすみなさいとその場に寝転んで、何とすぐに眠ってしまいました。気づいたら朝でした。床に転んだまま朝までです。よほど疲れたのだろうと、夫もそのままにしていたそうです。そんなわけで、私のえらそうなフェイスブックにコメントして下さった皆様、失礼しました。

 カープ、当分行く気がしなくなりました。私、一敗しかしていなかったのに、昨日で多いにケチがついて、これから行くと負けそうなので当分行きません。今度行くのは、阪神戦ですね。

 今日は、休診日、でも朝からスケジュールはいっぱいです。クリニックに来ると、誰も見てくれる人がいないのに、ハイビスカスが三輪咲いていました。それも前より勢いがあって、大きくて艶のあるきれいな花です。他のハイビスカス、黄色と赤のに小さなつぼみがついているのを発見して一人喜んでいます。

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待合室の隅には、やはり誰もいないのでひっそりですが、青野さんの花、ひまわりがきれいです。

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冬を無時越してくれた花たちですが、今度は夏の暑さに負けないようにケアしなければ。特に、休みの間、どうしましょう・・。


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福島みずほさんの遊説に行きました。

昨日お昼休みの終わる頃、福島瑞穂さんが遊説に来るとの情報が。それは行かなければ。クリニックのすぐそばの会場に行くと、もう演説が始まっている!!これはしまったなあと急いで近づいて見ると、全然違う党の演説でした。あれえ、どうするのかな?これが終わってからなのかな?と、しばらく待ちましたがふと見ると、隅の方に「社民党」と書いた紙を持って立っている人がいます。その人にどうするの?待つのかねえと聞きながら手に持っているのを見ると、場所の変更と書かれていました。急きょ、金座街になったと。それはたいへん。かなり距離があるし。クリニックにももどらなければならないし。でも、瑞穂さんが来るのに知らん顔もできないし。彼女との付き合いはもう長いのです。1998年、初めて議員になる前からです。それに今回の選挙は、社民党の存亡の危機だと。瑞穂さん一人でも通ってもらわなければ、と思っているので。

 金座街に急ぎました。本通りを走るように通って。パルコから金座街の方に曲がるともう彼女の演説の声が聞こえます。

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彼女のチラシとパンフレット。受け取った後、私も少し頂いて立っている人に配りました。彼女は、戦争、核兵器、憲法、暮らし、医療、貧困、と次々と多岐にわたって、明快な論調で語っていきます。そのすべてが納得できるものばかり。やはり彼女には通ってもらわないと。

チラシです。

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パンフにはより詳しく社民党の政策が書かれています。これも、納得できるものばかりです。

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私は残念。クリニックに戻らないといれけなくって、個人的に話しも握手もできませんでした。ああ、残念。

比例、全国区。夜にフェイスブック見たら博多で演説をしている写真が。広島から博多に移ったのですね。ほんとうに大変。でも、小柄な体で、元気いっぱいに日本中を駆け回っています。頑張って!!

皆様比例区は「福島みずほ」と書いて下さい。よろしくお願いします。


 


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「ヒロシマの黒い太陽」

ご案内が遅くなりましたが。「8.6ヒロシマ平和の夕べ」として、8月6日の前にこのようなイベントを行います。

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これは2011年に日本とフランスの共同で制作され、2011年8月15日、終戦記念日にNHKで放映されました。

徹底して秘密裡に開発され使用された原爆。それを検証したドキュメントです。イギリスからアメリカへ引き継がれたという開発の道のりだけでなく、その放射能による人体への影響調べる為に、広島や長崎の被爆者がどう利用されたかも。

 福島原発の事故が深刻であった2011年の8月に放映された時、私はこの番組を見ました。震えあがるような怖さと、身震いするほどの怒りを持ったことを強烈に覚えています。

その一シーンです。

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 核兵器禁止条約が批准された一方、ウクライナへのロシアの侵攻、核兵器の所持と使用を威嚇に使うという許せない恐怖と危機感を持つ今、このドキュメントの上映のみならず、ドキュメント作った監督が広島に来て、語って下さいます。

 この日にはもう参議院選挙も終わり憲法のいくすえが見え始めていることでしょう。私達はあくまでも、どんな政治下に置いても核兵器廃絶を求め運動してまいります。

ぜひ多くの皆様にお集まりいただきたくご案内いたします。ともに作品を見、監督のお話を聴き、語り合いましょう。

 

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フードバンクあいあいねっとに感謝します。

フェイスブックでは少しお話したのですが。もうすぐ出産の妊婦さんがいます。田舎から出てきて、一人暮らし。男とはもう切れていて、連絡も尽きません。田舎の両親との折り合いは悪く、連絡は全くしていません。アルバイトで生活していましたが、妊娠してお腹が大きくなって仕事が出来ません。初めて受診した時にはもう中絶は不可能でした。彼女は生活が出来ないので、生活保護を受けられるように、私のところに連れて来た、相談機関の人が役場に連れて行ってくださいました。何回か窓口に行ってやっと生保を受け付けてもらった時は、彼女の手持ちのお金が1万円になっていました。その時点で役場から当方にも電話がありました。「生保の申請がされましたが、許可がでるのに二週間かかります。その間受診をした時、支払いは生保の保留にしておいてください」と。医療費は私は何とでもしますがそれ以上に、一万円で二週間。生活できるのでしょうか。

 私が少し愚痴を言ったフェイスブックを見た友人が、ニュースで見たと、「フードバンク」のことを教えて下さいました。

さっそく私がフードバンクに電話して彼女の窮状を訴えました。そしたら、電話で話を聴いて下さった方が、ひどく心配して下さいました。そして、すぐに荷物を作って発送します明日には届きますと。

 そして今日、彼女から荷物が届いたとラインがありました。お手紙つきです。

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こんなに。

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彼女のラインには、これで二週間持ちますと。本当にありがとうございますと。誰一人援助してくれる知り合いがいないところで、一人ボッチでさぞ不安なことと思います。そんな時にこんな食料が届いたことは、多いに力を付けることになったでしょう。

私の電話一本で、何の難しいことも言わず、書類の一枚も求めず、即座に食料を送って下さったフードバンクの方たち。その行動力のすごさ。
私は尋ねました。その資金はどうなさっているのですかと。寄付を募っていますと。

一方の行政です。やっと申請できて、家庭訪問に来られた時に、もう一万円しかありませんと言ったら、それで何とか二週間つなぐようにと言われたと。即座に行動しなければ、明日の命をつなぐことさえできないような方たちには、行政はまず何もしてくれないと考えた方がよさそうです。

そういえば、やはり困った妊婦さんに、河野のクリニックに行けば、ただで診てもらえるし、交通費も出してくれるでしょうから、行って見なさいと言った行政の方もありました。仕方ないので、私は自腹で診療費を出しましたし、交通費も渡しました。でも、おかしい。私は困っている人があればそれはボランティアと思って何とかしますが、行政にボランティアをもとめられるとそれは違うと思います。

なんにも言わず即座に食料を送って下さったフードバンクの方には、深く深く感謝申し上げます。同時に、三万円の貯金があれば生活保護は申請できない、全部使ってから申請に来なさいと言ってのけた、そしてやっと申請を受け付けたら、そこからさらにお金が出るまでには二週間かかるという、そんな行政には立腹しています。


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梅ジャム作り

完熟の梅をたくさんいただきました。これまで青い梅の梅焼酎は何度も作ってきましたが、黄色の梅はどうしていいのか分からず。ネットでみてジャムを作りました。

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一旦弱火で煮てあくを取って、そのままさまして。職場から帰ったら冷めていましたので。手で実と種に分けて。種の方は少しの水で回りに着いた実も溶かして。その水を実の鍋に移して、ずっと混ぜながら煮ます。ぐつぐつし来たら、お砂糖を半分くらい入れて、その先は味を見ながら、砂糖を少しずつ入れます私は半分はふつうの砂糖を、後から入れるのをグラニュー糖にしました。

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同時に大きいおなべで百均で買ってきたガラスの瓶をぐらぐら煮沸消毒します。出来たジャムがまだ熱いうちに瓶にに移して蓋をします。

出来ました。瓶がかわいいです。冷蔵庫で一年は持つと書いてありましたが、その前にすぐに食べてしまいそうです。

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ヨーグルトに入れて食べたらおいしい!!梅の風味がふっくらとして。

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大成功でした。まだ梅があるので、もう一度作ります。十分においしくできたので自信がつきました。今度は姉や子どもたちに分けようと思います。


 


 


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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のご案内

 参議院議員選挙が始まりました。悪夢のような安倍政権から岸田政権に変わっての選挙。この選挙の結果によって、憲法が変えられてしまう可能性が大きくなっています。ロシアのウクライナ侵攻、その陰で核兵器廃絶どころか、日本も核兵器をという論議さえされています。

 この選挙は、憲法を守り、核兵器廃絶を目指す議員を少しでも増やすことが必要と、危機感を持って考えます。

 ささやかながらその協力をしています。選挙チラシへの証紙貼り。膨大なチラシを手分けして貼るからと友人からの電話で、私は1000枚引き受けました。1000枚は楽ではありませんが。これが憲法を守る勢力の一票を増やすことにつながればいいのですが。

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さて、昨日の続きです。「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のチラシの裏面です。この会を開催する8月6日には、参院選の結果も出て、憲法のいくすえが見えていることでしょう。身震いする思いです。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のチラシは、以前から沢山の写真や文章でギッシリです。写真は手分けして撮影したり、許可をお願いしたりします。昨日のブログに出した表面の右上の韓国人被爆者慰霊祭の写真は私が撮ったものです。見えにくいかもしれませんクリックすると大きくなりますので、ぜひ見て、読んでみて下さいませ。
参加費1000円で開催するこの会は、正直経済的に苦しく、ぜひ多くの方の参加を求めますし、賛同のカンパもよろしくお願い致します。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のご案内①

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のチラシの完成版、すでにこれまでご参加下さったかたにはお手元に届いていることと思います。

今年も、とてもいいプログラムが出来たと胸を張って、お知らせできます。
この会は、これまでもずっとヒロシマと沖縄と福島をつなぐことをモットーに続けてまいりました。

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 今年のヒロシマの被爆証言は、小倉桂子さんにお願いします。

私は、小倉さんとは、40年以上前からお付き合いをさせて頂いています。58歳と若くして亡くなった桂子さんの夫、馨さんは、広島平和祈念資料館の館長を務めながら、平和のために奔走されていました。無理がたたったのか、クモ膜下出血で急死なさった後、桂子さんは猛勉強して、1984年、平和のための広島通訳者グループHIPを立ち上げました。今、HIPのメンバーは、広島に来る外国人を通訳をしながら、平和公園の案内をしています。又、桂子さんは、外国人のために自らの被爆体験を英語で語り、ひっきりなしに要請があります。


 小倉さんに平和の夕べで語って頂きたいとずっと願っていたのですが、8月6日は桂子さんにとって、一年でもっともお忙しい日です。なかなか願いがかなわなかったのですが、今年、やっと被爆証言の間に、私達の会の会場にも駆けつけて、語って頂けることになりました。私達の願いが叶いました。自らの被爆証言だけでなく、小倉さんがこれまで接してきた多くの外国人たちとの交流について、又、核兵器禁止条約についてもお話し頂けることと思います。

 沖縄からは、弁護士の三宅俊司さんをお招きしました。

三宅さんは、広島出身の被爆二世。私は、広島大学の学生時代、彼が高校生の時を知っています。弁護士となった三宅さんは、原爆をライフワークとして考え、そのためには沖縄を知らなければと、沖縄へ。一時の滞在のつもりで訪れたのが、そのまま今までずっと沖縄で活躍することになったと言われます。辺野古、高江の反対運動など、沖縄の様々な住民運動を支える弁護士として、活躍されています。それら闘う住民の方々と共に生きてきて、私達の知らない沖縄を、さらに核兵器廃絶についてもその視点で語って下さるのではないかと、期待しています。

福島からは、福島敦子さんに語って戴きます。南相馬市の住民であった敦子さんは、原発事故の翌日、娘さん二人とご両親とともに川俣町、福島市などに避難。しかし、国は「みなし仮設住宅の補助」を打ち切りました。(みなし仮設住宅とは。災害などにより、居住できる住み家を失い、自らの資金では住宅を新たに得ることのできない被災者に対し、地方公共団体が民間賃貸住宅を借り上げて被災者に供与し、仮設住宅に準ずるものとみなす制度)福島さん一家は、その後京都府に居を移しました。そして今、「被爆から逃げる権利」を語り継いでいます。伊方原発広島裁判原告、大飯原発差止京都訴訟の世話人、原発賠償京都訴訟原告団・共同代表など、一貫して反原発の闘いを務めています。

 このほかに、若い方の活動の報告も予定しています。

コロナがなかなか収束しませんが、私たちは、昨年に続き、しっかりと感染予防の対策を行って、リアルとオンライン併用してのハイブリット方式で行います。皆さんのご参加をお待ちします。

明日に続きますね。

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夾竹桃

丁度20年前、2002年8月にできたばかりの広島プリンスホテルを借り切って、性教協全国夏期セミナーが開かれました。まだバッシングが始まりかけた時。全国から1600人の方が集まって、多いに盛り上がりました。


 その時、舞台を飾ったのが夾竹桃の花です。私の兄制作の大きな花瓶にピンクと白の夾竹桃を飾りました。ある小学校の校長先生が気持ちよく切ることを許して下さったのです。原爆の焼け野原の跡にいち早く芽吹いた夾竹桃は、広島市の花と定められました。

 それから20年。今年も広島で全国夏期セミナーを行います。場所は、平和公園の中にある国際会議場です。今、平和公園の周りは夾竹桃が満開です。

 昨日、朝5時に患者さんの電話で飛び起きて、クリニックに駆け付けました。診察をして、お薬も出してそして6時には終了。さて、どうしましょう。家に一旦帰ろうか、それともここで一仕事すべきか考えて、ふと、夾竹桃を見て回りましょうと思いつきました。自転車で平和公園をぐるりと回りました。青空でなく、梅雨空でどんよりなのが少しさえないけれど。

 夾竹桃はまず白が咲きます。白が満開になったころ赤が先始めます。赤というかピンクですね。相生橋のたもとの白い夾竹桃。相生橋は、Tの字の橋で、原爆投下の目印とされたと言われます。

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角度を変えると、右側に小さく原爆ドームが見えます。

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相生橋のTを渡ると、ドームの向いにピンクの夾竹桃が。まだ満開でないのであまり美しくありませんが。

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広島二中の慰霊碑の横にも夾竹桃が植えてあります。

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多くの被爆した人が川に浸かり、息絶えて行った、平和公園の西側の本川、橋を渡った川岸には、ピンクではなくきれいな赤い夾竹桃が咲いています。向かい側が平和公園です。

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その道路の左側に、本川小学校の外壁に沿ってピンクの、右側、川沿いには赤の夾竹桃が並んでいます。

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今、雨の夜ですが、花のアップが欲しくて、懐中電灯を持って撮ってきました。ピンクと白です。可憐な花ですが、これには毒があるということです。

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さて、今年の夏期セミナーには、夾竹桃を飾ることが出来るでしようか。どなたかのお家のを切らせていただけると可能ですが、街路樹を切るわけにはいかないのです・・。

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広島県女性医師の会

昨日は、午前中、広島県女性医師の会学術講演会と総会でした。私はもううんと前にこの会に参加していましたが、本当に長い間ご無沙汰しておりました。先日機関誌に特別養子縁組に関しての記事を書かせて頂いた、その関係もあって参加させて戴きました。

講演は、広島大学総合内科・総合診療科教授の伊藤公訓先生。タイトルとても興味深い「コロナとピロリ」です。これはきかなければと思いました。



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広島大学は、コロナのベッドが28床、重症患者さんと中等症の患者さん用です。その半分が妊婦さんだと。妊婦がコロナにかかると免疫力が低下しているので、重症になってしまう、赤ちゃんにも大変だから、ワクチンをうちましょうというのに、なかなかうたない人が多いのですね。こうしてコロナ病床の方からのお話を聞くと、やはり妊婦さんにはお勧めしなければと思います。それから、移植を受けた方は、免疫を抑制していますので、やはり重症となりやすいそうです。血液疾患の方で退院までに5か月間かかった方もおありだそうです。


その重症、中等ということですが。肺炎になっているか否かだそうです。どれだれけ40°Cが続いていても、肺炎にならなければ、軽症だとのこと。この頃コロナにかかったという人の来院が増えていますが、それらの患者さんの中には、高い熱が続いて、呼吸が苦しいし、とってもしんどかったと。それでも、あんなにしんどくても軽症なんですかという方があります。その基準は肺炎は否かなのですね。

それから、やはりワクチンの効果は明らかであると。それでもうたない若い人が多いというのを聞くと、嘆きたくなります。今後コロナに立ち向かうには、とくに若い人のワクチン接種率上げることがカギだとも。

後遺症についても。疲れる、息が苦しい、咳が続く等が続く方については、後遺症外来を設置している所が吉島病院を初めてして何か所がありますのでそこを受診して頂きたいとのことでした。

それから、ピロリについて。胃がんの99%は、ピロリ菌が原因であると。それなら、ピロリやっつければ胃がんも克服できるということです。ちなみに肝炎ウィルスが肝がんを作る率は50~70%であると。現在、ピロリには900万人が感染していて、毎年4万人以上の人が胃がんで亡くなっているのです。

私ごとですが、夫は31歳で胃がんで胃を全摘しました。私は、30年前にピロリが陽性で除菌をしました。胃潰瘍がすぐにできて、痛くて痛くてたまらなかったのが、ぴたりと収まりました。

胃がんを克服するために佐賀県が2016年から中学3年生にピロリの検査を始めたと。今は次のような地方が中・高校生にピロリの検査をしているそうです。先生のスライドからです。

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広島県はとても冷たいと。だから、

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これは、佐賀県のシステム。私がネットで探しました。尿検査で出来るであれば、個人にはそんなに負担もかからないのですが、後は経費の問題でしょうね。

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というようなことを知ることができて、勉強になりました。会に参加してよかったです。いろいろな女医さんたちに本当に久しぶりにお会い出来て、それもうれしいことでした。

役員の方々に感謝申し上げます。


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姉たちと加賀屋で食事

一昨日の土曜日は、姪と甥の二人で、姉を午前中は内科へ、午後は歯科に連れて来たのだそうです。私が一人診療終えてクリニックでパソコン仕事をしていると、姪が来ました。姉は今歯科で治療中で、甥がついていると。歯科は私のクリニックと同じビルの四階です。やがて治療を終えた姉が甥と共にクリニックに来ました。しばらく甥と姪がエディオンに買い物に行くというので、姉と二人でクリニックにいました。姉は、この前まで自分の職場だったクリニックをうろうろと歩いて回って、「誰もいない。どうしていないの?」と。もう仕事が済んでみんな帰ったんよと言っても、また誰もいないいないと歩いています。

やがて帰って来た甥たちと、久しぶりだからいっしょに食事をしましょうと。夫に連絡をすると、夫は家にいたいから、四人で食べてお出でと。相談で、加賀屋に行くことにしました。以前はとてもよく行っていた所です。甥が熊野から来た時には、まず加賀屋でした。ほんとうに久しぶりです。

 ちょっと行かない間にメニューが代わっていて、なんか名前がついています。私達は「かがやき」としいういわば天ぷら御膳。天ぷらは、海老が二匹とお魚が二つと思ったら、アナゴ一本を二つに切ってあります。ナスやレンコンなどのいろいろなお野菜。どれもサクッと揚がっていて、とっても美味。それに何と言っても、加賀名物の治部煮がうれしいです。枝豆ごはんにアサリの味噌汁、モズクと、カニの入った茶碗蒸し。これで2530円はリーズナブルでした。

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甥はステーキと網焼きのがっつりお肉。向いの私から撮ったので、さかさですが。

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食べながら、姉に「歯医者さんは痛かった?」と聞くと、うん痛かった。「痛い、痛い、痛いよー、痛いよー」言うたんよ、だそうです。
記念撮影。

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姉もよく食べました。甥夫妻が、毎日の姉の様子を書いた記録を見せてくれました。毎日二回血圧を測り、数字とグラフにして。トイレの回数や、様子等細かに記録しています。内科の先生に見せただそうです。ほんとうに良くしてくれています。

姉はすっかり赤ちゃんみたいになって。悲しいのは私の相談相手でなくなったこと。こうなって見て初めて、姉が大切な相談相手であったことを痛感します。子どものころから、しゃんとした長女で、次女の私をいつも叱咤激励してくれていました。開業してから30年間、事務長として安心して任せられたし、一緒にご飯を食べに行ったり、バス旅行に行ったり。夫は、外食もバスも飛行機も嫌い。カープも絶対に見に行きません。


どうしてこうなってしまったのか。糖尿と、乳がんが影響したのかしら、いろいろと考えても仕方がないことではありますが。私もこうなってしまわないとは限りませんし。束の間の楽しい時間でした。

 

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比治山大学の学生さんたちへの講義

一昨日木曜日、比治山大学の学生さんに話しに行きました。毎年恒例の、子ども発達教育学科、卒業後教師になる希望の学生の一年生たちが対象です。教師になる人に知っていてほしいことを盛り沢山に話します。今年の卒業生たちのうれしい写真が貼ってありました。私の講義がどれだけお役に立つかわからないけれど・・。

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毎年どんどんと伝えたいことが増えます。今年特に子宮頸がん予防ワクチンのキャッチアップの適応の学生さんたちですので、それも詳しく。

さらに、LGBTについて。最近、性的違和を訴える小さな子どもたちの来院も増えています。この子たちが、学校でどのように対応して下さるかによって、これからの大切な発育が左右されるのも見ています。どうぞ、教師になった時にはその子たちもしっかり支えてあげられるようになって欲しいと思います。いろいろな資料を提示しました。中でもオバマ大統領の動画、「It gets better」も見て頂きました。

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ちなみにその動画のアドレスです。

https://www.youtube.com/watch?v=llmcW1rYvs8

いつもいつも盛沢山すぎて、時間が無くなって、終わりは超特急になったりしますがその分沢山プリントした資料で補っていただけるように配慮しました。スライド原稿だけでなく、性被害ワンストップセンターのパンフ、三次市のデートDVのパンフ、性教協夏期全国セミナーのパンフ等も配りました。活用してくれるといいなあと思いますが、眺めるだけでも・・。

又学生さんたちの感想が届けられることでしょう。その時に又、ここでご報告しますね。


 


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内密出産について⑥

私は「法の範囲内で」と言いましたが、特別養子縁組については、納得できないことは多々あります。私は海外にいる「主に」日系の方たちにも特別養子縁組のお世話をしてきました。でも、今はできません。法律が代わってしまって、「国内に」養親になることを受け入れて下さる方たちがいない時に限ってとなってしまいましたので。又、以前なら、私達があっせんしても、最終的に特別養子縁組を決めるのは家庭裁判所でした。そこに書類てしぃゅつすればよかったのですが、今は特別養子縁組のあっせんを許可した地方自治体の長に、その経過を一つ一つすべて報告することが義務付けられました。それが、一筋縄ではないのです。何十枚という書類を提出しなければなりません。ここまで自治体がするのであれば、家庭裁判所は一体どういう働きするのだろうと思ってしまいます。

 私たちはそれに従わなければなりません。そうしないと、資格がはく奪されることが怖いからです。

 いわばそれ以上に大切なことは、養親に育てられる子どもたち自身の出自を知ることの問題です。自分がどこで誰から生まれたのか、そして、どうして養親に育てられることになったのか、それを知ることは、自らのアイデンティティを確立していくために必要なことと思います。自分はどこの誰から生まれたのかを、大人になってから探している人のことは何人からも聞いています。

 その為に、私がずっとしてきたことは、実母が出産に至るまでのこと、そして自ら育てるのでなく、どなたかに養子として迎えて育てて欲しいとの結論を出すプロセス、一方養親側の事情についても、詳しく記録します。それを裁判所に提出してきましたが、そのコピーを当方で保管するし、養親になる方にもお渡しします。

いつか子ども自身がそれらを知ることの資料の一つとして使って欲しいと。できれば、その時には、このまま子どもに渡して欲しいことと伝えて。

もちろん、子育ての中で、早くから子どもには「産んでくれたお母さんがいること」を伝える様にお伝えしています。知らないままに実子として育てられていて、実親ではないことを思春期に知る、それも養親からでなく、他の人から、または偶然に知ることは最悪なのです。育ててくれてありがとうと感謝する気持ちより騙されていたいう気持ちが先に立ってしまいます。

 私はこれらのことを国際養子縁組の中で学びました。もうこれは私が以前ブログに書いたことなのですが、私がハワイに行った時にハワイにいる養子親子の方たちがパーティーを開いて下さいました。その中で、「私はね、広島で生まれたの。お母さんが若くて私を育てられなかったから、ハワイに来たの」などと、ふつうに言う子どもたちばかりでした。養子縁組することが、決して特別なことでなく、とても自然なのでした。

 今回の内密出産の子どもが大きくなった時、「母親が自分の名前で出生届を出すことすら拒否した」と知らざるえないでしょう。その時の子どもの心情を思いやると、たまらないものがあります。実母に対して、その子どものことも含めて粘り強く説得すること。少なくとも、自分の名前で出生届を出すことは、自分で育てられない赤ちゃんに対しての最低限の義務だと思います。出生届を出さないという選択をさせるのは、努力不足です。赤ちゃんの命を守るためという名目でそうしようとされているようですが、赤ちゃんの命を守ることと、出生届を出すことは矛盾しません。

 前回少し説明不足でしたが、実母の戸籍から、出産したこと消すことはできます。だから、出産したことが、世間に知られないようにすることは可能なのです。身内に対しても。最近では、実母の両親に知られないままに手続きを完了した人もいます。同居していたのに、実父に知られないままに完了した人もいます。裁判所もしっかり対応して下さいました。ましてや、近所の人や親戚に知られることなど、全くありません。一人ひとり状況に応じて、工夫をし、丁寧に対応することで、それらは可能です。

 今、心配するのは、多くのあっせん事業者がそれらの努力しているのにもかかわらず、熊本のその病院のみがそんな対応をしていると思われること。そして、自分も出生届を出さない対応をしてくれと、そこを訪れること。すでに第二号があらわれたと報道されています。厚労省も何の声明も出さず、黙認しています。私たちの努力が、まるで無になろうとしています。

 枯れてしまったと悲観していたベゴニアが、無事冬越しし、茎と葉が出て来て、そしてこんなに花つけています。きれいな色です。でも、これも全く枯れていたあじさいが、ムクムクと成長し、大きな株になったのに全く花をつけません。花屋さんが言われたように鉢は大きいのに替えたし、肥料も上げているのに・・。どうしたらいいのか分かりません。

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内密出産について⑤

 予期せぬ妊娠をした女性が、誰かにSOSを求めることもできず、一人で産婦人科受診することもできず悩み、抱え込んでいる内にアッという間に時は経ってしまいます。やっと産婦人科に来た時には、もう中絶可能な時期を過ぎ、産むしかないとなってしまった、でも産んでも育てることもできない場合、その赤ちゃんをどうする?誰がどこで育てるのか、ということなのですね。

 その陰には、妊娠させるだけさせておいて、一切彼女の相談にも乗らない、一人行動をとることもしない男性の姿があります。そもそも男がさっさと行動をとっていれば、彼女が一人ここまで悩み続けることもなかったのです。中には彼女が妊娠していることさえ知らないままの男性もいます。無責任な男たちのかげで、全てが彼女の肩にかぶさっているのです。もしもその女性がこれまで様々な人生の経験をしている人であれば、智恵も授かっているでしょうし、その中でさまざまな人たちとの繋がりもできているでしよう。

 でも、そのような経験もない若い女性が、一人で産み一人で育るのは、まず不可能です。孤立出産をし、赤ちゃんが亡くなって一人罪に問われる若い女性の姿も後を絶ちません。

 そのような報道がある度に、せめてその一日前にでも私の所に来てくれていたら、と思うのです。私のところにたどり着いてその日のうちに出産をした高校生もいます。生まれた後で家に連絡をし、びっくり仰天で駆け付けて来たお母さんは、「言えばよかったのに」と彼女に言いました。ふつうのお母さんです。きっと彼女が助けてと言えば全力で助けて下さったでしょう。でも彼女は「言えなかった」そうです。

 予期せぬ妊娠をした女性は、そのほとんどが親には、中でもお母さんには知られたくないと言います。そのような時女性が成人であれば知られないように出産をし、本人が望めば特別養子縁組のお世話もします。親に知られないですべてをすることは可能です。何人もそのお世話をしてきました。

 もしもその女性が未成年であったなら。本人とよく話をします。なぜ親に話が出来ないか。話したら、親が知ったらどうなるだろうか、しっかり話を聴きます。もしも自分では言えないというのであれば、こちらから話をします。丁寧に話せば、たいていの親は、初めはショックを受けますが、時間がたてば、彼女のためにどうしたらいいのか本気で考えるようになります。そうなるまで、彼女の隔離が必要なこともあります。それから大切なことの一つ。虐待されて育った女性が、親に話せないのであれば、誰か、親に変わる人はいないだろうか、その人を探します。誰か味方になってくれる人がいないと、不安定な中で出産を乗り越えるのはとても大変です。もし身内にそのような人がいないのであれば、当方で誰か手当をします。今では、妊娠SOSのボランティアの人等が、とても大切な働きをして下さいます。どうしても親に言えないのであれば言えないままに出産することもあります。

 赤ちゃんが生まれた後、出生届はちゃんと出します。それは法に沿って。届けによって、親と一緒の戸籍から彼女と赤ちゃんの二人の戸籍になります。それでも、日ごろ戸籍を取って見る人はあまりいませんので、人に知られることはありません。いわば、時間稼ぎですね。

さらに。特別養子縁組の申し立てには、実母の同意が得られているか問う箇所はありますが、実母が未成年であってもその親の同意が取れているかを問う箇所はありません。実父の同意が取れないことはしばしばあります。特にDV男の場合、出産が知られると、絶対と言っていいほど、養子縁組の同意は取れません。それに彼女の命の危機になることもあります。そのような事情は、家庭裁判所の調査官に良く良く説明をします。この頃の調査官の方は一人一人の事情をとてもよく聴いて配慮して下さいます。

まだいろいろと配慮しなければならないことはありますので、もう少し続けますね。

ベランダの花です。ハイビスカスが、一度に五つも花を咲かせました。小さな木ですのに。それに、うれしいことに他のハイビスカスたち、温室でも冬を越すことが出来ず、枯れてしまったと思っていたのが、何と緑の葉っぱでが出てきて、小さなつぼみ見つけました。赤も黄色も咲いてくれそうです。本当にうれしくて。

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性教協夏期セミナーについて②

 昨日の続きです。性教協全国夏期セミナーですが、記念講演などの、一か所での全体会であれば、リアルとZOOMの両方でのハイブリッド方式もまずできたとしても、分科会など、一度に三か所での会を同時にZOOMで発信するというのはなかなか緊張します。それが無事出来るか否かの練習を先日したということなのですね。それが何とかなりそうということになって、本部から来られた方たちもホッとしてお帰りになりました。どうぞ、リアルででも、ZOOMででも、ぜひ多くの方にご参加いただけます様に。

しつこいようですが、記念講演も、理論講座も、シンポジウムも、ランチタイムセミナーも、それから模擬授業も分科会すべてが胸を張って、素晴らしいこと請け合いと言えるのです。

 パンフの続きをアップしますね。申し込み方法などもあります。ロゴマークの解説も見て下さいね。知る人ぞ知る、お弁当作家のナンシーさん作のロゴですよ~。

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性教協夏期セミナーについて①

 これまでにもお話してきたことですが、今年の性教協夏期セミナーは、7月30・31日、広島、国際会議場で開かれます。もう申し込みも始まった所で、昨日土曜日に、本部から会場の下見に来られ、ハイブリットで行うWi-Fiや送信の予行演習も行われました。全て上々だったようで、本部の方たちも私達も本当にほっとしました。全部すんで、食事をしながらより詳しい打ち合わせしました。今日から二日間、そのパンフレットを添付します。本部とこちらと双方で練りに練ったプログラムが出来ました。現地実行委員長としてこのプログラムは大満足なのです。どうしてもやりたかったことがすべて入りました。

 あとは、その日が来るのを待つのみ。多くの方に来て頂きたいので。お申し込みをよろしくお願いします。

まず、パンフレット6ページの内の3ページを添付しますね。

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小さくて読めない様ならそれぞれのページクリックして大きくして読んで下さいね。申し込み方法等、明日に添付します。よろしくお願いします。

 

 

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伊方原発運転差止広島裁判・切明さんの陳述

先日の伊方原発運転差止広島裁判の口頭弁論での切明千枝子さんの陳述書が広島裁判のホームページに公開されましたので、ここにもそれを転載させて頂きます。


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字が小さくなってよみにくいかもしれません。本分の部分だけ写真でなく転載します。

 本日は貴重な意見陳述の機会を与えてくださり、心から御礼申し上げます。私は切 明千枝子と申します。今年93歳になります。

 私が原爆に遭ったのは、広島県立第二高等女学校4年生の時、15歳でした。動員 先の専売局注 1から、先生の許可をいただいて、病院に行く途中、比治山橋(注 2)のたもと でした。ピカッと光って、私は叩きつけられ、気がつくとガレキの下でした。なんと か這い出して、広島市内の方を見るともう一面火の海でした。申し上げたいことは沢 山ありますが、2つのことだけ申し上げます。


 ひとつは雑魚場町(注 3) で建物疎開の作業をしていた一人の下級生のことです。建物疎 開組は爆心地から近いこともあって全滅でした。一人だけ奇跡的に助かったのです。 この人は戦後結婚し、子どもも設けましたが、37歳で亡くなりました。直接には胃 がんでしたが、わかったときには全身にがんが広がっていたそうです。原爆には生き 残ったが、放射能の魔の手からは、逃れられませんでした。

 もう一つは温子(たずこ)ちゃんと澄子(すみこ)ちゃんのことです。2人は母の実 家の、私のいとこです。年も近く仲良しでした。2人の父親は日銀広島支店に勤務し ていましたが、遺体も見つかっていません。母親は建物疎開ででていました。これも どこでなくなったかもわかりません。もう一人長女がいましたが、彼女の遺体もわか りません。たずこちゃんとすみこちゃんの2人だけが舟入(注4)の家の中にいて助かった のです。

 2人は下着姿で宇品(注 5) にあった私の家に逃げてきました。傷一つない綺麗な体でし た。家に着くとすぐ寝込んでしまいました。2日くらいしたら血便を出し始めました。 母は、当時誰も放射能のことは知りませんでしたので、赤痢にかかったと思い、私は 2人に近寄ることさえ許されませんでした。高熱が出て、「水、水」と水を欲しがりま した。体に斑も出てきたそうです。1週間くらいしてでしょうか、2人は亡くなりま した。お棺がないので、桐のタンスの引き出しに遺体をいれて、宇品の翠町(注 6) の桜土 手の、その堤の根元付近で2人を焼きました。

 裁判長、放射能は恐ろしいものです。 福島原発事故が起こったとき、夫(悟【さとる】氏)がすぐ「山田に電話せい!」と いうので電話しました。山田さんというのは元福島大学学長の山田 舜(あきら)(注7)さ んのことです。夫とは「さーちゃん」「しゅんちゃん」の間柄の幼なじみでした。山田 さんは「放射能というのは目にみえんし、ここらにもとんできとるかもわかりゃせん のだけども、おれは原爆のことがいやで福島まできたのに、また放射能にやられるか と思うと腹が立って腹が立って地団駄をふみたくなる。」といっておられました。また 山田さんは、「あちこちにできとるんだろうが、原発は人間が作っちゃいかんものだ。」 ともいっておられました。

 裁判長、私は、やっぱり原子力なんて、ましてや核兵器なんて人間がいじってはい けないものだと思います。生命(いのち)にどんな恐ろしいものをもたらすか。人間が 核や原子力を制御できると思っているのか、事故が起きたらどうするのか。実際ある 資料(「国際原子力事象評価尺度」(注 8))によると、60年あまりの間に7回、チェルノブ イリ原発事故や福島原発事故を含めて、放射能を大量に出す事故が世界のどこかで起 きているというではありませんか。人間が制御できるものではございません。

 伊方原発は船から見たことがあります。「あれが伊方原発だ」と人から教えられて初 めて気がつきました。海岸にへばりついているような原発で、事故でもおきて倒れて きたら瀬戸内海は全滅すると思いました。なんであんなところに原発なんか建てたん だろう、と腹立たしい思いをしたことを憶えております。

 私は年もとり、もうたいしたこともできません。が、このお話しをいただいた時、 すぐに原告になることを決めました。それが私にできることだったからです。

 裁判長、今回裁判では、賢明なるご判断の上、伊方原発の運転差止を是非とも命じ ていただきたいと思います。 ご静聴ありがとうございました。
(転載ここまでです。)

こうして過酷な人生を生き抜いてこられた被爆者の方たちが、命を振り絞るようにして陳述して下さることに頭が下がります。放射能の怖さを心底体験していらっしゃるからこそですね。もしも原発の事故が起きた時には、その放出される放射能が、どれだけ人体に悪影響を及ぼすことでしょう。その上、もしも原発にミサイルでも飛んで来た時のこと考えると、身震いするほど怖いものがあります。

切明様、本当にありがとうございました。お体のお早い回復を祈念しております。

 

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内密出産について④

家庭での性教育、思春期編の再録を続けます。2008年の、まだスマホなんてない頃の記事なのですが。


家庭での性教育(11)思春期の子育て②




   私は、私の前で、「お母さんだけには知られたくない。親には言わないで」と泣く子のことが同じ親として本当にさびしいと思って来ました。


  どうして、一番身近にいる大人である親が相談相手足りえていないのだろうか、と。


  世の大人たちは間違っていると思うのです。日ごろから、セックスなんて、家の子だけはしないだろう、または、してはいけませんよ、とさえ言っておけばしないだろう。若くて行動を取る子は家庭的に問題のある子だろうから。と、そう思われているようです。


  とんでもない。今の社会、情報があふれ、すでに述べたようなことをしっかりと教えられないままにすくすくと育っている子、これまで何の問題もなく、学校もちゃんと行き、受験勉強もがんばっていて、それでもそんな子でも行動を取ってしまった。そして、大変なことになってしまった。でも、とても親にはいえない。


 そんな子ほど、身近な大人にSOSを求められないままに、もっともっと大変なことになってしまうという、そんな現実を見て来ました。


 いわゆるツッパリさんは、たとえ親にいえなくとも、友達についてきてもらって産婦人科を受診したり、または叱られることを覚悟で「おかあちゃん」といえたりするのですね。


 これまでいい子できた子ほど、大変なことになったというのが先にたってしまって、誰にも言えず抱え込んでしまう。そして悩んでいる内に時が経ってしまって、やっと病院に来た時にはもう遅かったと。中絶できる時期を過ぎてしまって、生むしかなくなって、でも生んでも育てられなくてというような、そんな少女たちの出産にもさんざん出会って来たのです。


 体については、小さいときから、機会あるごとに伝える。体を知ろうね、体は大切だから。だって体に命が宿るんですもの。ちゃんと知って自分で自分の体の管理ができるそんな大人になろうね、と。


 そして、また、機会あるごとに性や避妊についても話ができればしっかり伝える、それができなければ、本を読んでもらう。その上で、何かあったら助けるよ、と、門を開いておいてあげる、そんな子育てをしていただければ、と思います。この項まだ続きます。

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5月2日に、姉と姉の孫の三人で世羅の花園に行きました。その時、ポピーの花園で、親指と人差し指で〇が書けるくらいの、小さな鉢を一つ戴きました。帰って少し大きい鉢に植え替えて大切に水と二週に一回の液肥を上げていたら、毛の生えた茎が伸びてきて、何だろうと思ったら、これは、もしかして、つぼみではないかと気づきました。やったね、すぐに今年の内につぼみがつくなんて思わなかったので、驚きました。そして、こんな可憐な花が咲きました。ポピー、けしの花、ひなげし、虞美人草とも言います。又毛の生えた茎が伸びないかと見ているのですが、この一本だけの様です。でも、本当にうれしいです。クリニックのベランダで花を育て初めて、いつもなにがしかの感動があります。



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伊方原発運転差止広島裁判口頭弁論でした。

今日のお昼時間、私も原告になっている「伊方原発運転差止広島裁判」の第28回口頭弁論に行きました。診療を終えて必死で自転車で駆け付けると皆さんが集まっている所に間に合いました。


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皆で行進して正門へ。そこからは傍聴券配布の待合室へ。

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先頭の真ん中右は、黒い雨訴訟で改めて被爆者と認められた高東さんです。昨年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」にはもらったばかりの被爆者手帳を持って駆け付けて下さいました。

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前回私が来た時には、抽選の外れが二人しかいないのにその大当たりになってしまいました。が、原告の方に傍聴券を譲って頂いたものです。今日はもう傍聴席の一つ飛びの制限がなくなって一杯入れるようになって、34席全員が法廷に入れました。

今日の陳述は、切明千枝子さんです。2019年の8.6ヒロシマ平和の夕べに来て被爆証言をして下さいました。

でも、切明さんは、お具合が悪くって、今日の法廷に来ることが出来なくって、事務局の方が陳述を代読されました。「裁判長」と、切々と訴えるその内容は、それは胸を打つものでした。代読の方も涙ぐみながら一生懸命読まれました。近々、広島裁判のホームページにこの陳述が公開されるでしょうから、そしたら私もこのブログに掲載させて頂こうと思います。多くの方に聴いて頂きたい内容でした。切明さんのお具合が心配です。どうぞ、お元気になられて、まだまだ

私たちに多くのことを教えて下さいませ。

裁判長は、今回から変わって女性です。そういえば、四国電力側の弁護団には女性の弁護士さんが一人いましたよ。うーん。

 伊方原発は、2012年に平和の夕べのスタッフと共に愛媛に行き、集会に参加しました。

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私もトラックの演題の上でマイクを持って皆さんに広島から訴えたものです。

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その伊方原発です。もしもここで事故が起きたなら、瀬戸内海は死滅してしまいます。

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 島根原発の再稼働に島根県知事が同意し、近いうちに再稼働される見通しとなりました。避難計画も、現実不可能なずさんなままに。さらにこの後に及んでも、伊方原発の向かい側に中国電力は上関原発を作ろうとしています。長い裁判になっていますが、放射能の怖さを知り尽くしている私たちが反対し続けなければと思いを新たにしました。

 裁判が閉廷すると、報告集会には参加できず、自転車でクリニックに帰りました。午後の診療にぎりぎりセーフでした。

 

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内密出産について③

5日の日曜日河口先生の講演で、大切なお知らをせするのを失念していました。

「LGBTスタディーズ」・広島県内のLGBTQ+,セクシュアリティ,ジェンダー研究者による研究発表会

2022年7月3日(日)13:00~17:00

場所:エソール広島(おりづるタワー10階)

河口先生の教室の院生等が書いた卒業論文等が広く社会に公表されます。これは聴きたいですねえ。大学の中のそれも狭い範囲の人達だけに聴いて頂くのでなく、当事者の方たちも、それからこのような研究をしたい、そのためにはどこに進学したらこんなことが出来るのかと迷っている若い高校生たちも、皆さんたちに公表されるというのは、いいですねえ。聴きに行かなくては。

内密出産についての続きです。

私が書いた家庭での性教育の転載を続けますね。前回の続きです。これを書いたのは、2008年なのですが、いまも全然変わらないそのまま通じると思っています。


家庭での性教育(10)思春期の子育て①




Q.9.  思春期の子育てで、日ごろから気をつけておくべきことがあれば教えてください。


A.9.  前回のプライバシーということにも続くのですが。「先生、娘がこんな日記を書いていたんです。友達からこんなメールが来ていたんです。」と、駆け込んでこられる方があります。子どもに知られないように、こっそりと見たと。


「日記を読まないとあの子のことが分からない。うそばっかりついて、何をしているのか分からないじゃないですか。」と。


 私は、そんな時に言います。


「お母さんね、こどもが思春期にもなると、子どものすべてを知ろうと思うのがもう無理なのよ。大切なのは、子どものすべてを知ろうとすることではなくて、私は、子どものすべてを知っているわけではないと認識すること。子どもは、私の知らない心を持っていると。それを認めたところで、子どもとの関係をつくって行くしかないのではないかね。さびしいけどね。それが思春期、親離れ、子離れの時なのよね。それを乗り越えて、またいい関係が作れるようになるから。」と。


 その上で。私は、娘が小学校4年生のときから、私に作文を見せなくなりました。先生には見せるのに、私には見せてくれない。ああ、始まったな、と思いました。そのときから、私は娘に言いました。


「見せたくないものは見せなくていい」と。「私にも覚えがあるから。おばあちゃんに日記を読まれてすごくいやだったことがあるから。でもね、学校からの親へのお手紙、これはあなたがちゃんと私に渡してよ。それだけを守ってくれたら、私は、あなたがいないときにこっそりランドセルを探して、こっそり見るということは絶対にしない。絶対にしないから、信じていいよ」


「でもね、これだけは覚えておいてよ。あなたがこれから生きていくときにね、いろいろとしんどいことがあると思うよ。お友達のこととか、進路のこととか、どうしたらいいか分からなくなって、自殺したくなることだってあるかも知れない。そんなときにはね、ここに相談相手がいるよ。私は、あなたの親なのだから、あなたが困ったときには、何があっても助けて上げたいと思ってる。あなたがどうしたらいいか分からなくなったときには、一緒にどうしたらいいか考えてあげることもできると思う。ここに相談相手がいるという、これだけは忘れないでね。」


と、機会あるごとに、「何かあったら、助けるよ」というこのメッセージを息子にも娘にも繰り返し伝えて来ました。      (今日の転載はここまでです。)




そして、もう子どもたちも巣立った今、孫もいる今、つくづくこうして「何かあったら助けるよ」と言い続けて良かったと思っています。子育ての最中は本当に色々なことがあります。今考えても、冷や汗が出そうなことも。それらを無事通り抜けたからこそ、多くの子育て中の方たちにエールを送ります。

私のクリニックのベランダの花たち。黄色の蘭の花が終わったら、何と黄色のバラが咲いてくれました。寄せ植えのバラですが、初めて咲いたのが、きれいな黄色でびっくりしました。これまで色は分かりませんでした。まだたくさんのつぼみをつけています。うれしいものです。

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河口和也先生の講演「性の多様性の認められる社会に向けて」

今日は午前中は性教協広島サークルの役員会と総会。午後は性教協と「広島市差別のない人権尊重のまちづくり条例」制定を求めるネットワークの共同主催での河口和也先生の講演会でした。リアルとズームのハイブリッドでの講演です。

 性教協の会議は今年の夏の全国セミナーの打ち合わせです。7月30・31日の二日間に渡っての国際会議場での全国大会です。もう参加の募集が始まっていて、出足好調。もう少ししたら、皆様にもここで全容をお知らせしますね。本当に久しぶりに多くの皆さんとお会い出来ればうれしいです。

 午後の河口先生の講演。「性の多様性の認められる社会に向けて」は、改めて数々のことを教えて頂きました。河口先生には先述の性教協全国セミナーでも、二日目のランチョンセミナーで語って頂きます。そのテーマは「性の多様性を巡る日本社会の変化とこれからの課題」です。ずっと渦中に身を置かれた先生のこれまでの歴史を含めて語って頂けることとても楽しみなのです。

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 今日のお話では、「性的マイノリティーが直面する孤立の問題」も丁寧にお話し下さいました。孤立には、①感情的孤立、②社会的孤立、③認識的孤立、さらに家族の孤立もあると。

①感情的孤立とは、家族や友人等の社会的関係から切り離されているという感覚⇒自分のセクシャリティやジェンダーを受容してもらえないのではないかという不安⇒家族や友人の間でのコミュニケーションの不足

②社会的孤立とは、性的マイノリティどうしが出会うことが困難である。
1.実際に出会いの場が物理的に少ない。
2.自分のセクシュアリティやジェンダーを否定的にとらえていることで、他の性的マイノリティとの出会いを避けようとする。
3.出会っても自分の情報を伝えることが難しい。

⇒性的マイノリティが社会的なつながりを持つことが難しくなる。
⇒「コミュニティ」形成の困難

③認識的孤立とは、性的マイノリティがセクシュアリティやジェンダーに関する情報を得ることが難しい。
情報における「正確さ」や「偏見」
・否定的な情報に傷つく
・間違った情報を鵜呑みにしてしまう。
・出会いでの交流に傷つく

そして家族の孤立について。

孤立するのは当事者だけではありません。
カミングアウトを受けた家族も孤立します。
特に家族内で知っている人と知らない人がいる場合には、家族問題に発展する可能性もあります。

私はこれらをしっかり胸に置いて明日からの患者さんに対応しようと思いました。ご家族にも。

広島市のバトナ―シップ専制制度についても詳しくお話し下さいました。性的マイノリティのカップルが直面する問題としては・相続・医療福祉・在留・福利厚生・親権・税制・住宅。

そのうえで、SUUMO(リクルート住まいカンパニーが行った不動産オーナーの「LGBT」に関する意識調査の結果も。

パートナーシップの意義、それにより出来ること、等お話下さいましたが、それが同性婚に繋がるかと言われれば否定的であるとも。同性婚については、札幌初め全国各地で裁判が行われています。この中の札幌地裁での判決で、(他はまだ判決が出ていません)同性婚が受理されないことは憲法に違反するという画期的な判決が出ています。

そして、最後に「府中青年の家同性愛者差別事件裁判」について。日本で初めて同性愛を争点としての裁判です。1990年2月に同性愛団体アカ―が府中市青年の家で宿泊合宿をしようとした際、利用が拒絶されたことについての裁判です。91年2月に提訴。94年3月30日地裁の判決、97年9月に高裁判決。いずれも、勝訴でした。

 その裁判を通して得られたこと。これが素晴らしく画期的なのですね。

行政の役割 ですが、「都教育委員会を含む行政当局としては、少数者である同性愛者を視野に入れたきめ細かな配慮が必要であり、同性愛者の権利・利益を十分に擁護することが要請されているのであって、無関心であったり、知識がないということは許されない。このことは、現在はもちろん、平成二年も同様である」(第二審判決部兼より抜粋)

様々なことに、例えば私がかかわっている特別養子縁組についての手続き等、これがそのまま当てはまりそうに思います。

孤立の問題、これも養子縁組や孤立出産にそのまま当てはまります。又内密出産についてはぼつぼつお話しますね。

 

 

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内蜜出産について②

 親に言えない、でも、私の場合はまだ姉がいました。その姉に助けられたことが何回かありました。一度、本当に死のうと思って、一人家を出て川に行きました。そこに飛び込めば死ねると。川土手に立って川面を見ていた時、姉が自転車に乗ってきました。そして、帰ろうと。その肝腎の兄弟が仲が良くないとこれはダメですね。中には兄弟がまるで敵のようになっている人たちもあります。

 内密出産は、子育てと密接に繋がります。どのような家庭でどのような会話を交わしながら、育てられたか。私はいつも大人に性教育の話をする時に、家庭の中での会話について話します。性教育って、子育てそのものですから。子どもが幼い時あらゆる質問に逃げないでごまかさないでお目々を見ながら、ちゃんと本当のことを答えてあげましょうと。子どもは様々なことに疑問持つ。その答えを得ることにで成長していく。ねえどうしてと。口が回るようになった時から質問責めですね。中には、体や性や関しての質問も。それらに対して答えてあげればそれで家庭での性教育は十分だと。

これらについて、私は何度かブログに書いているのですが。2008年の5月に「家庭での性教育」のシリーズを書いています。子どもとの家での会話、子どもたちがどんなことを外で聞いてくるか、聞いたことは、家で再度質問します。ねえ、ママ本当?友達がこんなことを言ってたんだけどと。その時こそ真正面から起動修正をと。シリーズの一回目はここにあります。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/1_5223.html

ラブホテルについてきかれたことそれについて私がどう答えたかとか。性交をどう伝えたかとか。

そして、子どもたちに「何かあったら助けるよ」繰り返し伝えてきたことなどなど。

その思春期編何回かをここに転載しますね。以下転載です。


家庭での性教育(9)息子の部屋にエッチ本が。


Q.9.  息子の部屋でエッチ本を見つけてしまったのですが。



A.9.  子どもが中学生にもなると、部屋に鍵をつけろなどと言い始めたり、親が部屋に入ることをいやがり始めます。それは、思春期のプライバシー意識の芽生えなのですね。


  親としてもっともいけないのは、マスターベーションをしているところを見てしまうということ。これが日本の家庭ではとても多いといわれています。


子どもたちの電話相談のマスターベーションの悩みのトップは、害はないかというもの。(害はありません。自分で自分の性欲を解消する合理的なものでもありますし、大人になっていくプロセスで大切なことでもあります。)そして、二番目に誰かに見られたというものがあります。見られた相手のトップは母親なのですね。見られたらどうなるか、家出したくなった、自殺したくなった、親の顔なんか見るのもいやになたと、ろくなことはありません。


  なぜ見るか。それは大人の側のプライバシー意識の欠如なのです。家族同士といえども、プライバシーはある、こどもといえども、プライバシーはあると。その意識がないのですね。


  私は、親が子どもの部屋に入ってはいけないとは言いません。でも、そこは子どものプライベートな空間なんだという意識で、せめて部屋のノックをして、返事があって初めてドアをあけるという、それくらいのプライバシーの尊重はしなければ、と思うのです。


  そのかわり、親の寝室には絶対に入れない、入るのであれば、誰かが寝室にいるときに、ちゃんとノックをさせて、返事があって開けさせる、それくらいの取り決めをしておくべきでしょう。親がいない間に親の寝室に入って、コンドームを見つけただの、お父さんのエッチビデオを見つけただの、そして、お父さんなんて不潔と嫌う、なんて話しもよくあるのです。それは、こどももの側から親のプライバシーを侵害したということですね。


  まして、思春期にもなればエッチ本のひとつや二つ見たい。でも、見ていることを親には知られたくない。それは成長の過程での当たり前の心理なのだから。知らん顔をしておいてあげなさいと私は、心配して相談に来られた方に言います。


  ただ、エッチ本については一度は迫力もって、女っていうのはこれがすべてだと思ったら大間違いだからね、といっておきたいですね。性的な存在だけではないということを。でも、隠しているものを見つけたときにそれをやってしまうと、彼の面子丸つぶれです。それは、配慮してあげるべきでしょう。この項、まだ続きます。

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クリニックの青野さんに活けて頂くお花です。涼しい色合いです。




 


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カープ交流戦勝ったよ~!!

6月2日のナイターは、パーティールーム。平日にも関わらず、30人の方が集まって下さいました。

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お料理を食べたり飲んだりしながら。

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試合はよく見えます。ベンチの中も。

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試合はとっても面白くて、みんなで大盛り上がり。5回の押し出し三連の次に中村奨成の走者一掃の二塁打。もうもうわあわあとっても賑やかでしたよ。最後の栗林の力投。

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勝った勝ったでまた大騒ぎ。

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そして、奨成君がヒーローで呼ばれて。また大歓声。この写真は奨成とスライリーと記者さんたちを入れています。

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奨成君のインタビューは大画面を写しました。いい笑顔です。

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ところでビッグボス、新庄監督、いい人ですねえ。始球式は子ども。バッターがビッグボスですよ。この時、ビッグボスは赤を身に着けていました。後でピッチャの子どもに駆け寄って肩を抱いて。

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監督同士でメンバー表の交換をした後、マスクも腕もすべて黒に交換していましたよ。他の監督ではなかなかこうはしないでしょうね。

それから、私にはびっくりのプレゼントがありました。はい、ナンシーさんがお菓子を作って来て下さいました。そっくりでしょう?どうしよう。食べれない。このまま保存して置く方法はないものでしょうか。ナンシーさん、本当にありがとうございました。

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皆さんのおかげで、無事楽しいひと時を過ごすことが出来ました。ありがとうございました。そうそう、もちろん楽しかったのは、カープのおかげも。勝ってくれたので、ひときわ心に残ります。負けても負けても、カープファンであることは当然だけど・・。


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内密出産について①

今日の木曜日は休診日、午前中クリニックのエアコンの一斉清掃を業者の方に頼んでいたので、一人クリニックに来て、作業してもらっています。私は仕事です。先日書いた原稿「生殖器のがん」のゲラが出来て来たのでその校正です。途中原稿を持ってゲートインに行って、モーニングを食べました。久しぶりです。

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赤入れをして、スキャンしてPDFにして、送付。終了です。

 ここの所、例の「内密出産」についてずっと考えています。それについて、少し書きたいと思います。自分自身を振り返りながら。

 そもそも、「親に言えない」ということ。それは気持ちはわかるのです。私だって、高校生、大学生時代、何より母には何も言えませんでした。そもそも母は結構厳しい人で、何するのも「いけません」という人でした。 私に何か不祥事があると、それこそ烈火のごとく怒る人でした。

 小学校の時から、先生に叱られると、それが必ず母の耳に入って(実は友達の一人が、自分の母親にそれを告げて、そのお母さんが私の母に言うという図式が出来上がっていました。)母からももう一度叱られていました。「あんた、先生に怒られたん?お母ちゃんに恥をかかせたね」と。だからもう一度母に叱られるということが憂鬱でたまりませんでした。どこかに消えてしまいたいとさえ思っていました。私は、小学校1.2年の担任にいじめられていました。なぜか自分でもわからないのですが、ひどい扱いを受けていたと思います。えこひいきがひどい教師でした。一生懸命がんばるのですが、それがかえって良くない様でした。先生にとって、私は生意気だったのかもしれません。なぜ怒られるのかわからないまま、廊下に立たされたり、運動場を走って来なさいと言われたり。母になぜ怒られたのか言いなさいと言われても、私自身がわからなかったのですから。わからんと泣くことしかできませんでした。

 思春期に入ると、とにかく何も母に知られたくなかったのです。知られないようにすること、それが私の行動の基本になっていたのかもしれません。

 そしたら、母は探るようになりました。私の日記を隠れて読んだり、文通をしていた人からの手紙を読んだり、こそこそと探られることが嫌でたまりませんでした。どうやって隠すか、それも私の課題になりました。大切なものはいつも持ち歩くこと、それしかありませんでした。私が友人関係のことなどで悩んだ時、どんなにしんどくても、SOSを求められる人はいませんでした。死んでも母に助けては言えませんでしたね。

 熊本で出産した少女が「親には知られたくない」と言った、その気持ちは痛いほどわかるのです。だったら知られないようにすればいい。だけどそれは彼女の名前で出生届も出さない、内密出産とはならない、それが私の方針でもあります。

そんなことで、これからもぼつぼつと書いていきます。

今日は、これから熊野に姉を迎えに行きます。そして、お楽しみ、カープですよ~。負けても負けてもカープファン。タイガースファンのお気持ちも分かりますよ~。

 

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