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30年前の北海道で①

今日は、フェイスブックの友人になって間もない方の記事を転載させていただきます。昔の私についててです。過去のことが続きますが。暮れにアップして戴いていた記事です。北海道の高校の先生です。そもそもは、昨年の12月、他の高校の安藤先生が、広島に修学旅行に来られるとのことでホテルに会いに行きました。安藤先生は、高校の放送部の顧問でいらっして、高校時代演劇部の活動に熱中していた私の興味を多いに引かれていました。そこでコメント書いて、フェイスブックで友達になって頂いていました。短い時間ですが、直接にお会い出来て、お話して、楽しいひと時を過ごしました。その先生へコメントを書いたことで、安藤先生の友達である他の高校の先生が私だと気づかれたそうです。

フェイスブックだと、シェアすれば良いのですが、私のブログを読んでいただく方は、フェイスブックをされない方の方が多いので、こういう手段を取らせていただきます。ご本人にも了解して頂きました。

https://www.facebook.com/mitsuru.oosaga/posts/1770565926476074

2021年の最後の最後に。


今年の投稿を締めくくるにあたって、意外な再会のことを伝えておきたいと思います。Facebook仲間、放送局顧問仲間である、安藤先生の投稿の中に、広島の産婦人科医河野美代子さんのコメントがありました。ひょっとしたら、あの河野美代子先生かと思い失礼ながら、安藤先生の投稿の中でコメントしました。すると、どうでしょう、河野先生でした。

 以下に記す、最後の学級通信の発刊に寄せての中にそのことが書いてあります。二校目に赴任した共和高校(この学校は2018年に閉校してしまいました)での出来事でした。その後の生徒達との関係も含めて彼等には担任としてとってもよいことを残せたと思っています。

 Facebookで友達になり、河野先生のその後のご活躍の様子を散見することが出来て、大変うれしく思います。個人的にはなかなか大変で不本意な年でありましたが、安藤先生との繋がりの中でよもやの河野先生との再会でした。Facebookも色々と問題も多いようですが、先に書いた通信を介した新たな出会いもあったり、僕にとっては大事な窓口です。今年もいよいよ残りわずかとなってきました。午前中に雪かきをして身体もへとへとですが、2022年は皆さんにとって、そして僕にとっては時間講師という形で生徒達との関わりは減りますが、良い年になることをお祈りしています。



 次の赴任先は共和高校でした。農村地帯にある高校なのに生徒達は荒れていました。岩内町から通ってくる不本意入学の生徒達でした。転勤してすぐ学年主任=担任でした。最初は大変でしたが、生徒達とそこそこ仲良くやれるようになりました。

 2学年になってクラスの女子生徒が妊娠しました。ある男子(高校生ではない)との付き合い方が問題でした。このままでは、妊娠するという予兆があって、何度も家庭訪問をして、親にもとくとくと話をしていたにもかかわらず。彼女は学校を辞め、男の子を出産しました。学級のことは上手くやってきたつもりだったのに、何も出来なかった思いがありました。

 そんな時に広尾高校から転勤してきたD先生との出会いがありました。広尾高校も荒れていましたが、学級通信、学年通信などを通して生徒達と一緒に学校作りをしてきた先生でした。広尾高校は野球で甲子園にも出場しました。彼と話をする中で、学級通信の力を感じ、在学中に妊娠し中退するような生徒を二度と出したくない、そんな思いもあり、3年生の担任になったとき、B4版で学級通信を毎日出すことにしました。当時はパソコンはなかったので、ワープロ(といっても君たちには通じないかも、親に聞いてください)で原稿を書き、切り貼りして作りました。裏面には読んで欲しい本をコピーして両面印刷した通信でした。最初に載せた本は、妊娠して学校を去った生徒のことが頭にあって、広島の産婦人科医の河野美代子さんの『さらば、悲しみの性』でした。生徒達は朝のSHRで通信が配れると裏面から熱心に読んでいました。

 そして、一つの奇跡的な出来事がおきました。当時の朝日新聞社には「高校生のための国際セミナー」という企画があり、著名人を高校に呼んで講演するというものでした。もちろん、無料です。それに応募したら、河野さんが講演をしてくれることになりました。僕のクラスの生徒達は驚き、喜び、疑いました。通信に連載されていた本を書いた先生が共和高校に来る。最初は冗談だろと言った生徒もいました。

 講演会の時、彼らは食い入るような目をして熱心に聞き、態度が悪い下級生たちを注意してくれるほどでした。担任の評価も高くなりました。通信の力が発揮されたと思いました。卒業式の日、クラス全員が卒業の喜びで泣きました。その時、一人の生徒の母さんが「『しらんど』(学級通信のタイトル)があったからうちの息子が何とか卒業できました」と話しかけてくれました。僕自身の初めての学級通信。それも毎日。色々なことを考え、悩み、生徒達に投げかけて、二度目の卒業生を送り出すことが出来ました。

 卒業式の後少し経ってから、一通の葉書が来ました。妊娠して学校を退学した生徒からでした。結婚披露宴の招待状でした。嬉しくて涙が出ました。彼女の妊娠が毎日学級通信を出すことにしたきっかけだったからです。披露宴ではかわいい女の子を抱いた素敵なお母さんの姿を見ることが出来ました。

以上引用です。探して見つけて下さった写真もアップしてありました。それも拝借しますね。若い私、今からは考えられないほど細い私も見て下さいませ。

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明日もう一度これについて書かせてくださいませ。

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