30年前の北海道で②
今は閉校になってしまった北海道共和高校。そこでの30年前の講演の話が、当時の先生のフェイスブックで語られました。そのフェイスブックに掲載された当時の先生作の学級新聞を拡大してみると、1991.10.20.の日付、そこに「今日はいよいよ河野美代子先生の講演の日を迎え」となっています。
私は、講演のスケジュールが記録されたノートを探してみました。1991年の最初にその年に行った講演の一覧がありました。当時事務をしてくれていた妹の字です。まだパソコンもない時代です。
これの10月20日に確かに北海道、朝日と書いてあります。でも、校名はないのです。別に朝日新聞からの手紙があったはずですが、それはこのノートには残されていません。そのノートのスケジュールのところを見ると、こんなのがありました。
この右下を見ると、確かに。日帰りで北海道に行っています。朝7時45分の飛行機で羽田へ。そこから乗り換えて札幌へ。朝7時45分の飛行機だと、朝6時頃に家を出て、車を飛ばして飛行場に向かっていたはずです。◎をして、ついたらすぐにはじめられるように1:00~3:00と。帰りは同じルートでは帰られず、羽田から大阪に飛び新大阪から新幹線で広島に帰っています。広島駅着22:06と書いてあります。こんな時は、車を飛行場に置きっぱなしで、翌日はいつも通りの診療を終えて、リムジンバスで飛行場まで車を取りに行ったはずです。当時はこんなことがよくありました。かなり過酷なスケジュールです。
さらに、ノートを見ていてふと気づいたことがあります。20日は日曜日なのですね。日曜日に高校生に話しに行ったの?きっとその日しかもうスケジュールがなくって、高校の方で無理をして日曜登校にされたのでしょう。学級通信の右下にこんなのがありました。月曜日は振替休日と。学校もかなり無理して下さったのですね。
ノートの初めの一覧を見ると、9月12日にも、北海道、苫小牧に行っています。そして、北海道共和高校の4日後の10月24日には、九州久留米に。まあまあ、木、日は東京、鳥取、埼玉、浜田、東京、苫小牧、福井、出雲、福井、等々。あちこち駆け回っています。広島の時は、午前午後と二校に行ったり。若かったのでしょうね。
このようなのを何年も続けて、でもね、世の中、ちっとも変わらないのよ。いえ、性教育に関しては、ますます後退してしまっています。私の努力なんぞ何にも変える力はないということなのでしょう。30年経っても。それはやはり政治なのですね。権力を持った人が、性教育バッシングなんぞで力を振るって。それに負け続けているということなのでしょう。そういえば、私の「さらば、悲しみの性」の後書きに同じようなことを書いています。さらばは1985年の出版ですので、37年前ですか。変わんないですねえ。
遠く離れたところの高校の、安藤先生、Oosaga先生両先生のおかげで、30年間を振り返るということができました。期せずして、「からだ・私たち自身」の、この30年振り返るというイベントと、本当に一致して、こんなことになりました。ありがとうごさいます。皆様には、よろしければ、フェイスブックのOogasa様の記事のコメント欄も読んで頂けると幸いです。
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