遅ればせながら「8.6ヒロシマ平和の夕べ」2021のご報告を
今年の終わりに、2021年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のご報告をします。遅ればせながらですみません。
コロナ禍がまだ続いている中、川沿いのRCC文化センターの七階、風通しの良いところで川風に吹かれながら行いました。入場される方は満席の半分の人数に制限し、同時にオンラインによる全国配信もと、ハイブリット方式で行い、両方で毎年の参加数を上回る参加でした。もちろん、会場ではすべての方にマスクをしていただき、検温も行って。
2021年、被爆76年目、1月に核兵器禁止条約が発効。7月、「黒い雨訴訟」の勝訴が確定し、被爆者にやっとやっと手帳が交付されることになりました。そんな中、被爆の継承、核廃絶をどう進めるか、問いながらの開催となりました。本会としては14回目。これまでの被爆証言者・小野瑛子さん、平和講演の中沢啓治さん、小林圭二さん、那須正幹さんも亡くなりました。
全体のプログラムは、「黒い雨」訴訟の高東征二さん、「10年目の福島から」は、いわき市の伊東達也さん。平和講演は「核兵器禁止条約の発効と核廃絶」について田井中雅人さん。世代を越えて被爆の実相をどうつなぐか、若い世代から高橋悠太さんら3人が参加、KNOW NUKES TOKYOの活動や国会議員に面談し核禁条約への意見、日本政府の参加について質問し、まとめていることを紹介されました。
高東さんは、「7月29日に判決が確定。8月3日に、私もやっと被爆者健康手帳を受けました。」と、交付されたばかりの手帳をかざして下さいました。ほんとうに長いあいだ、判決待たず亡くなった原告たち、さまざまの事情で裁判に参加できなかった被爆者もいます。もう、1日も待てません。国はすべての黒い雨被爆者に、一刻も早く手帳を出してほしい。内部被ばくの危険に、真剣に向き合うべきです。」と話されました。この内部被曝という問題、単に黒い雨の被爆者だけでなく福島の、そして世界の被曝者にも通ずる問題です。田井中さんのお話もこれに繋がることでした。
しかし今ここに来て国は、黒い雨の被爆者の方々の被爆者認定をするためには、がんや白内障などの疾病に罹っていなければならないという条件を付けてきています。高裁判決は、疾病のあるなしの条件を付けてはいません。76年も経って、いまだに被爆者と認められない方々のこと、本当にいいかげんにしてほしいと思います。広島出身の総理になってもこれまでとおんなじ!!なのです。
福島からは、伊東達也さん。ビデオで参加して下さいました。伊東さんたち「非核の火をともす会」は、今年の3.11に、楢葉町に広島、長崎で採火したの原爆の火、「非核の灯」をともしました。「福島原発被害から10年目。避難指示区域の12市町村を見ると、住民登録の半数が戻れていません。小中学校の通学者数は事故前の1割弱。営農再開は30%余。福島の難事は続いています。そもそも“廃炉”が30年、40年で終わるなど、あり得ません。」非核の火をともしたことに触れ、「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマが『核と共存できない』ことを示している」と結ばれました。
今年は3人の大学生たち、KNOW NUKES TOKYO のメンバーが来て活動の報告をして下さいました。若者たちは、「それぞれ広島、長崎出身です。」「東京で核兵器の問題を考え訴えています。東京にも多くの被爆者がお住まいです。」「核兵器禁止条約に日本が加わるために、どうすればいいのか考え議論しました。政治へのアプローチは重要ということで、アンケートを取っています。その結果。
国会議員一人ひとりに、あなたはどう考えますかと聞くために面会求めました。その目的です。
その為の手順は。
1.情報収集
2.仲間を集める
3.手紙書く
4.面会の交渉・調整
5.面会実現
このような段取りを経ての質問の内容です。
どなたに会ったら、どう言われたという報告がありましたよ。面会して下さらなかったのはどなたかという具体名も。
聞いていてとても楽しく、私達にもためになる報告でした。
「ノー・ニュークスのKNOWは、反対のノーと知るノーです」と、核廃絶と被爆の継承への新しいとりくみを説明されました。若い人達の具体的な行動、報告は参加者の皆さんに大好評でした。
やはり来年の平和の夕べにも何らかの形で若い人の参加を求めたいと思います。
そして、いよいよ平和講演。田井中さんの「核の時代を終わらせるために」。
明日その講演の報告をしますね。
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